ペン森通信
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サヨナラだけが人生だ、に向かうとき
 こういうことは自分には関係ない、と若者は思っているだろうが、いずれ深刻に考えることになるはずである。お墓のことだ。秋には72歳をむかえるぼくは、自分の墓所をどこにするか、かなり真に迫った問題として頭を悩ましている。父や母の眠る代々の墓地はあるが、それは鹿児島だ。向こうに住んでいたころはお盆には必ず墓参りをしていたが、東京に居を構えてから墓参をしたのは、かれこれいつだったか、思い出せない。お墓はほんとうに必要なのだろうか。先祖を敬うには他の方法もあるのでは、と思案している。

 このあいだペン森で雑談をしているとき、この種の話になった。島田裕巳『葬式は要らない』(幻灯舎文庫)の話題から広がったわけではない。寿命の話が転じて葬式の形式をどうするか、ということになった。ぼくの家の宗派は浄土真宗なので本願寺系になるが、ぼくは、葬式は要らない派だから、海や山に骨粉を撒く散骨を希望する、と主張した。海洋葬や樹木葬で自然に還るのもいいのじゃないか。墓をつくって、命日にペン森卒業生が墓参りをしようかどうしようか、と気遣うようだと心苦しい。いっそ、墓無用、墓参も無用にして、ただこの身が消滅し、自然界に戻ったほうが、気がすむ。

 縁起でもない、お墓の話なんてやめてよ、と言われそうだが、事実「お墓でも買おうか」と言っていたひとが数日後、ほんとに亡くなった例をぼくは知っている。毎日新聞に勤めていたころ、20年勤続賞というのがあり、該当者にお金をくれた。社会部のサブデスクの1人がそのお金をもらった。「なにに使うつもりですか」とぼくは聞いた。「うん、墓でも買っておこうかと」。墓の購入が間に合ったかどうかはわからないが、その元気だった上司は40代半ばで旅立ってしまった。ぼくは20代で縁起でもない実話を経験したので、この手の話題は不吉な感じがして避けてきた。

 だが、肉体の衰えは日々に感じるところで、やがて寿命が尽きることを考えないわけにはいかない。余命いくばくもないほど切迫はしてないものの、人生の第4コーナーを回って、よろよろと最後の直線にさしかかっている。元気で余裕がある分、この世にまだ未練たらたらだ。都はるみがうたう阿久悠作詞の名曲『北の宿から』は「・・女心の未練でしょう・・」と切ないが、女には男ほど強い未練はない。恋愛でも後を引いて懊悩するのは男である。女はすぐ立ち直る。と、作家、渡辺淳一先生も言っている。ぼくも男だから女子方面に未練はあるが、やり残したことにはもっと未練がある。

 このままあの世に行ってしまっては、埋葬にしろ自然葬にしろ、ぼくの魂は行き場がなく浮遊してしまう。それほど生への執着がある。まだやってないことが多すぎるのだ。最も未練があるのは、やはり国内の旅である。これからの旅は、山でも海でも、無意識のうちに散骨の候補場所をさがしてしまうのではないだろうか。どうせなら複数ヵ所、たとえば山と海5ヵ所ずつ、計10ヵ所見つかればまあよしとする。

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