ペン森通信
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10を取材して1を書け
 9月末から週1回、の中央大学キャリアセンターが催すマスコミ志望学生向けの論作文講座の講師をまた務める。また、というのはもう10年近くつづけているからである。受講生は年を追うごとに減っていき、去年は17人にすぎなかった。毎回、欠席が目立った。この講座からメディアに就職して、活躍しているひともは少なくない。

 ことしは新しい試みとして、課題図書を指定し、それについての感想文を課して、提出した者にだけ受講資格を与えようかと考えている。この制約を超えてくる学生がはたして何人いるか見当がつかないが、楽しみではある。19日の日曜日、毎日新聞の書評欄にあった『生き方の不平等』(白波瀬佐和子 岩波新書)を課題図書にしようと思っている。
 
 まだ読んでないけど、生き方に不平等がある、ということだから、貧困や格差の固定化や階層化を取りあげているにちがいない。06年のNHKスペシャルの『ワーキングプア』をきっかけに、働く層の貧困があらわになった。社会の深層に視線を注ぎ、そこから問題をあぶりだした傑作番組だった。東北の雪の中をひたすら歩く象徴的なシーンは、映像ならではのインパクトがあった。

 ペン森から『ワーキングプア』のようなルポ記事を書いてくれるような鋭角的な記者はでないものか、と思う。そのような記者になるには、実社会の底辺や下層に現われる断片が社会全体のなにを意味するかを見抜く眼力が要求される。ヘミングウエーは「文章は氷山の一角である」といったが、表に出たほんの一部の裏や奥に隠れた大部分の存在があればこそ、一部が光る。その一部から全体像を見透かす目が記者には必要ということだ。

 ぼくが記者になったころ、10を知って1を書け、とうるさい上司がいた。そのときはなんとしつこくうざいやつだろう、と毛嫌いしていたが、いまでは納得だ。ぼくがサンデー毎日のデスクをしていた当時、あまり取材しないで修飾過多の感傷的な文章を書くライターがいた。事実だけを残すように削っていったら、その原稿は3分の1に減少した。かれは1を取材して、10を書こうとしたのである。1を表現するには、その奥に10の取材がなければならない。上司はあたりまえのことを強調していたのだ。

 ぼくがペン森で厳しく繰り返しているのは、ES(エントリーシート)や論作文は1を知って10を表現してはだめ、ということだ。女子大で教えていた時期があったが、彼女たちの書くスピードはすごかった。なんにも考えることなく鉛筆を滑らすだけ。思考ゼロ。ぼくの胸にはなんにも響かない。表現の裏には思考という精神作業が必要なのだ。学生にネタ仕込みに出かけろ、その努力を怠るな、と注文するのは、ネタを見つけるという取材とネタに対する思考が、目に見える部分を支える、底の部分にあたる、ということである。『生き方の不平等』でなにを考えたか。考えたことが10の部分になる。











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