ペン森通信
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老人の妄想、若者の夢
 50代の中ごろ、勤めていた出版社社長の第二の人生は私大教授だった。私大は70歳が定年だから、それまではまだずいぶん間がある運がいい、と本人は喜んでいた。ぼくはじいさんに教わる学生は気の毒だなと心底思った。20そこそこの学生からみれば、60すぎなんて想像もつかない遠い遠い存在にちがいない。まもなく71歳になるぼくが大学生の先生になっているんだから、そりゃないぜ、と自分でも言いたくなる。

 20と70では生きてきた時代がちがうし、価値観も異なる。70はそろそろボケがはじまって、心身の反応が鈍くなる。20歳すぎると、脳細胞が1日20万個ずつ消滅していくというが、20歳からもう一種の老化現象がはじまるのである。生き物はその生命が備わったときから死に向かう。この定めからだれも逃れられない。悠久の流れからすればひとつの生と死は直近だ。20代と70代は差がないのだ。

 ぼくが老いを知ったのは、肉体的には石が投げられないことを悟ったときであった。60代前半、富士五湖で合宿した。湖にそれぞれ勝手に小石を投げて、湖面に2回3回と跳ねるのを楽しんでいた。ぼくも投げたが、目の前に小石がぽちゃんと落ちるだけであった。背筋の老化。横手投げで遠くへ着水させて小石を水面に何回も小刻みに跳ねさせる若者に、過ぎ去った自分を見た。電車で席をゆずられたのもそのころだった。

 いまぼくは帰宅時、優先席に座ることが多い。夜の遅い時間帯に優先順位の高い乗客はまずいないと見極めているからである。第一、そこだけが悠々と座れるだけの空席がある。それでも、すこし気がとがめるのだ。昼間は優先席に席をとる勇気はまだない。年寄りが乗車してきたらと気が気じゃない、と70歳の年寄りでも思うのだ。心の底にはまだ若いという意識が根を張っている。事実、気分はなかなか歳をとらない。

 早い話、ぼくは20代女子に恋ができる。その逆はないのだろうが、あるように期待する。それはまぎれもなく老人の妄想なのだが、その妄想という精神の萌えがあるからこそ、ぼくは気分は若く、70にして20代相手の先生を続けることができるのかもしれない。しかし、若いひとたちは、老人に教わる不運を嘆いている向きがあるかも、と思う。

 Yというデスクがいた。20年勤続で金一封をもらう日が近づいた。「なにに使うのですか」とぼくが聞いた。「まあ、そろそろ墓でも買っておこうか」。そのデスクはそれからまもなく亡くなった。ぼくは若い教え子よりも40年も50年も先に人生を終える。最近、墓の心配もあるが、元気なあいだにこれだけはやっておきたいという欲望のほうが圧倒的に強い。70歳でもやりたいことは多く、その質量は20代と大して変わらない。まあ、同じ想念でもぼくのは妄想だが、若者のそれは夢だ。若者はこの開きを縮めないように生きよ。
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