ペン森通信
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身の丈の幸せで十分

 最近、ぼくは小津安二郎のDVDをよく借りる。歳をとって小津映画を観るとまたひとしお、初老の哀切を感じて、自分のこれまでの生き方は満足すべきものだったろうかという思いが、胸に去来する。辞世の書などをひもとくと、過ぎし日はみな夢のようだ、と書いている人が多い。振り返れば、人生は夢のようだった、と。果てしなく発展をつづける戦後は未来に対する夢も大きかった。一方いま、若者の死因のいちばん多いのは自殺である。

 希望と期待に満ちて上り坂をのぼるような、未来に対する高揚感はもう望みえないのだろうか。ぼくが若者のころ、未来は明るく、あれもやりたいこれもやりたいという内発的な衝動のひろがりがあった。明治時代のような未開発の先方に見える坂の上の雲ではなく、開発の途上にあって、若者は用意されたエスカレーターに乗れば、最小限の幸福は約束されていた。団塊の世代まではそのような日本の楽園を享受しただろう。

 たしかに現代は完成された成熟社会である。もはや発見も秘境もなく、秘境は不気味にひとの心の中だけにある。なにをしたらいいかわからない、と若者の内発的な情動は枯渇し、内向きの閉ざされた内面という傾向が共通している。江戸時代の鎖国が個人に縮小されたような精神生活。政治も希望にあふれる未来構想を示すことはない。最大野党の党首選挙さえ矮小化され、変化よりも継続を選び、期待の灯を消し去った。第一、政治は未来世代に責任をもつ意識は毛ほどもない。

 この閉塞感を主体的に打破するには、とりあえず希望の職業に就くべく努力すること、自立の可能性をさぐること、欲望を持続的に満足させる手段を見つけること、それぐらいしかない。外部条件が未来に開けていない以上、自分自身に頼るのが手っ取り早いし、確実だ。ぼくの孫娘は高校生になって写真部に入ったという。これだったら、彼女の自立の可能性、表現欲望の満足をにらみながらぼくはアドバイスができる。

 という愉しみもあるが、彼女には大学生までぼくの助手になってもらう手も考えている。ぼくは70歳だから先は見えている。残りの人生に表現欲望を充足させてくれる題材に取り組みたい。類似を手がけるひとが出る前にスタートしなければと思う。ペン森生を取材助手にお願いすれば、かれらにパワーをつけることができるという愉しみもある。しかし、いずれにせよペン森を閉鎖しなければ時間がないことだから、頭が痛い。

 来週日曜日の24日、JR飯田線に乗ろうと思う。孫娘とは7月にまた旅をする約束ができている。カメラを持参してもらおう。いよいよぼくは、小津映画的な身の丈のちいさな幸せにひたりたい人生をむかえているようだ。この世の中、身の丈の幸せがあれば十分じゃないの。

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