ペン森通信
作文の真髄は創造と独創
 どんな世界遺産的な秘境も人間の心の奥底にはかなわない。現代に残された秘境はもはや、果てしなき人間の欲望と情動しかない気がする。金銭欲、権力欲、出世欲、性欲。殺人、窃盗、詐欺。犯罪や衝動など不可思議な心理や行動は人間の心の闇に属する。それと反対側に属するのが善意であり、プラス思考の独創性や創造性である。善意は悪意と心の一対をなすコインの裏表であって、だれしももつものだが、創造や独創はそうはいかない。作文も創造と独創によって左右される。創造と独創こそ人間がコンピュータに勝つ唯一の才能である。コンピュータは作文を書けない。だから作文力は大事なのである。

人類は狩猟採集社会から農耕社会に移行し、ほぼ200年前の産業革命によって工業化社会へと文明を進化させた。ここで人力に頼っていた労働が機械にとって代わられる。やがて、チャップリンの『モダンタイムス』が描くところの機械に使われる人間があたりまえになり、いまでは、交通信号のように機械に支配されるほうが安全安心だ。産業革命以降の工業化社会で人間が力を発揮したのは事務能力であった。ぼくはフランスで横断歩道の信号待ちをしていたら、車が来ないじゃないか、とお巡りに笑われた。

 事務能力を必要とした工業化社会の学問・学習は、記憶と再生の繰り返し、あるいはその蓄積であった。5000年前に文字が出現して音声言語が文字によって記憶の固定化がなされたときから記憶と再生は学問・学習の核となる。それが一般化したのは500年前に印刷技術が登場して読み書きが大衆化してからである。

 大砲の弾の弾道計算をきっかけに生まれたコンピュータが実用化したのは約50年前にすぎないが、その驚異的な発達が人類社会を劇的に変貌させたのはご存じのとおり。ぼくなんかそのスピードについていけない旧式の人間だが、ともあれ、大量生産・大量販売の工業化社会で膨大煩雑な事務処理を担当するのもコンピュータにとって代わられてしまった。だが日本の学問の方法は、いまだ記憶と再生が主流である。

 記憶と再生という学問・学習分野でもコンピュータが人間の脳の代わりを事実上、果たしてくれるようになった。この万能に見える電脳機械は、文学や音楽や絵画を創造する能力はない。人間がコンピュータに勝つ唯一の才能は創造性・独創性しかないのである。コンピュータの街、秋葉原は人間が創造したのであって、コンピュータが考え出したものではない。そこで刺激を受けた若者が独創的なアイデアでなにかを書いたりしてくれれば、人間に残された最後の才能が生きるのである。作文はかくも深い意味をもつ。

作文はメディアに内定するだけの対策道具ではない。以上、外山滋比古著『思考の整理学』からだいぶ頂いた。ぼくの創造、独創ではない。だが、模倣から独創が生まれるんだよ。

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://penmori2007.blog108.fc2.com/tb.php/126-93e443b2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する