ペン森通信
大川小の児童は救えたはず
5年半前の大震災被災地には2回行ったが、その2回とも児童・教職員84人が死亡、行方不明となった石巻市の大川小学校を訪ねた。校舎入口わきに献花台が置かれ、無数の花がた向けられていた。無人の校舎内は津波で荒々しく洗われ、校庭のすぐ裏に山がせり出していた。山はこう配がきついが、児童たちがシイタケを栽培して学習に使っていた。この山に登っていれば児童70人の死亡と行方不明4人の大半は助かったはずだ。

児童23人の遺族が仙台地裁に県と市を相手取って23億円の損害賠償を求めていた。仙台地裁は26日県と市に14億2658万円の支払いを命じ、大川小訴訟は遺族側が勝訴した。しかし、遺族にとってはこれで一件落着とはいかないだろう。亡くなったり、行方不明の児童はもどってくるわけではないのだから。児童たちは校庭に集合して50分も座って待たされたあげく、7メートルの高台に引率されて避難する途中津波に呑まれた。

裁判で問われたのは、教職員が市の広報車の巡回によって大津波の襲来を認識していたのに、適切な避難措置をとなかったことだ。現に裏山避難を訴え実行した教員は唯一助かっている。臨機応変の態度がとれなかった先生たちであった。先生の言うことを守ったばかりに児童たちは命をなくした。児童たちをじっと校庭に待たしている間校舎にいる先生たちは50分間裏山に上って避難すべきかどうか意見を言い合っていたのだろうか。

決断できない罪ということをぼくは思った。ぼくは現場に行って裏山に逃げればよかったものをと考えたが、それはしろうとの後付けかもしれない。それでも校庭に立つと選択肢はやはり裏山しかない。まして、市の広報車の運転手は津波襲来を目撃して、大川小周辺に引き返して危険を呼びかけたのだ。先生たちは津波が来る予見はあっても危険性を察知できなかったのである。大川小は市の避難場所に指定されていたから、余計そうだ。

石巻市で「ここまでは津波はくるめえ」とおじさん2人がゆっくりとたばこをくゆらしていたところを津波にさらわれた、という話も直接聞いた。津波に対する切迫感はあまりなかったのだろう。ペン森でもヘルメットと縄はしごを買って備えているが、大掃除のさい邪魔扱いされてどこかに埋もれている。ペン森はビルの2階だから大げさな避難用具は必要ないかもしれないが、上階の重さで出入口のドアが開けられなくなる心配がある。

大川小関係は新聞の大川小裁判報道に依拠しているが、このようなニュース記事にでも涙が出るようになった。小泉元首相も涙もろくなったが、歳をとるとどうして涙腺がゆるむのだろうか。小泉は原発ゼロに熱心だが、最近では東北大震災で米軍がトモダチ作戦で支援した支援米兵たちが放射能が原因とみられる鼻血・下血・甲状腺がんなどの健康被害に遭っていることを訴え支援基金を発足させた。小泉の生き方にぼくは全面的に賛同したい。

 当然ながらぼくは大川小の献花台前でも涙があふれた。裏山に逃げれば助かったものを、という感情に支配されみすみすこれからの人生を失った、と思うといたたまれなかった。小学生は先生の言うことが絶対だ。臨機応変に素早い決断をしなかった先生たちの罪は一生かかっても償えない。








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スキャンダルはおもしろい。
 週刊誌は中学生のころから読んでいた。週刊朝日が主だった。いまは週刊文春と週刊新潮だ。ぼくは新聞記者とニュース週刊誌の経験があるが、新聞は下半身のスキャンダルはよほどのことがない限り扱わない。金銭問題や人事抗争も含めてスキャンダル好きなぼくにとっては、新聞はおもしろくない。およそ人間は性欲、出世慾、金銭欲という欲望に悩み苦しんできた。この欲望がスキャンダルを生む素となるのである。

 スキャンダルは人間性の根幹に触れるからおもしろいのだ。それが自分にふりかかってくると、おもしろいどころの騒ぎじゃない。ぼくみたいな80歳になんなんとする老人になって実行力はゼロになっても、想像上のあるいは妄想上の性欲と金銭欲だけはまだ盛んだ。慶応の広告学研究会の1年生女子に対する集団強姦事件は週刊文春と週刊新潮が明らかにした。週刊誌の大半は性欲、出世欲、金銭欲を基本テーマにしているからおもしろい。

慶応の件についても新聞は大学側の発表通り。週刊文春と週刊新潮は集団強缶があったくとをつかんでつたえた。これをテレビのワイドショーが取り上げるものだから、慶応学生の破廉恥は全国に知れ渡った。週刊文春の記事を引用すれば3万円を払わねばならないというがテレビ局にとっては、こんなに安くおもしろい話題が取材もせずにたった3万円で放送できるのだから、きわめておいしい話である。

電通の女子社員が過労で自殺したが、これももっと追及すればなにかでてきそう。2013年にも30歳の男子社員が病死したがこれも過労死だったと労基署が認定していたことがわかった。電通に限らずマスコミは労働時間が長い。学生は相変わらず憧れているがいざ入社して配属され、長引く事件でもあると2,3か月は休めない。要領のいいやつは
車の中で仮眠をとるが新人はそんなことをする余裕はない。

 でんつうは大広告代理店打。新聞もテレビも週刊誌も広告収入に頼るところが大きいから、広告を取り持ってくれる電通にはあまり触りたくない。自殺した女子社員は東大卒だったが、東大に合格した喜びも電通に就職した喜びも、いまとなってはぬか喜びにすぎなくなった。女子社員はおじさんたちのいじめに遭ったのではないかという話を女子大生たちはしている。これがほんとにいじめ自殺だったら問題はさらに広がる。

 ぼくも新人時代1年上の先輩や支局長にいじめられた。たまたまぼくが支局長に怒鳴られているとき、後輩が訪ねてきてドアを開けて入室しようとしたが、恐れをなしてそのままドアを閉めて帰って行った。この支局長は夜中に酔っぱらって帰ってきて、警察に警戒電話をかけているぼくに「お帰りなさいといえないのか」となじる。そんな根の腐った支局長だった。自分が交通違反を犯してもらい下げてこい、それも仕事だとも言い募った。

 理不尽な上司はどこにでもいる。新人時代のぼくの上司はそんなもんだと思っていたから平気だった。だがいまごろになって思いだして腹が立つ。支局長は記者としては無能だった。新聞も週刊誌も菅官房長官と稲田防衛大臣の領収書問題を取り上げない。金を出したほうが領収書を書くという裏金作りに通じる行為がまかり通っているのはおかしい。どこか追及しろ。

 
 

1970年前後の記者像
認知症のはしりか、錯覚か知らないが、電車内でうたたねをしていて目が覚めるとここがどこかわからなくなくなるときがある。ペン森の自分の机でも本を読んでいてパタリと落として目が覚める。家かと思い、次に朝飯前かもう朝飯はすんだか、昼にしてはずいぶん様子がちがうという考えがよぎる。ほんの1秒かそこらの意識の混乱である。すぐに正気に戻るが、なにかの悪い信号ではあるまいか、と気がかりである。

これは歳をとったせいとばかりとは言えない。読売記者となった11期生の某くんの作文かESを見ているとき、不覚にもぼくは居眠りをしてしまった。かれが書いた紙を落としてしまってハッと気づいた。ぼくが初老に差しかかった12年もまえの話だ。5期生の出版社に就職した女子は入社2年目くらいだったと記憶するが、インタビューの最中、相手の前で居眠りしたと言っていた。若くてもその種の失敗はあるようだ。

手なれた新聞記者は事件や事故で列車出張取材をする際、座席には座らない。寝すごしてしまわないようにデッキで立っている。いまは車があるからその中で仮眠すればいい。ぼくが記者になったころは、車の中で張り込むなんてことはできなかった。人家の軒下にたたずんでいたものだ。警察の手入れは明け方が多かったから軒下で寝ずの番だ。そのうち早起きした人家のシャッターが上がると、身の置き場に困り近所をうろうろした。

ぼくらの時代は経済の上昇気流に乗っていて未来は明るい希望に満ちていた。それでもまだ車社会ではなかった。車は社有車か借り上げのタクシーかハイヤーが主だった。マイカーをもっている者はごく少なかった。車は走る棺桶と言われたものだ。事故死も全国で1万5000人くらいだった。安全性や環境対応によって車が売れるようになるのは最近である。ぼくは50歳になってから免許を取得したが、それまで困ることはなかった。

いまでも地方紙や全国紙の地方支局には自転車で回る記者がいる。昼飯も自転車をこぎながらおむすびで済ますことが多い。コンビニのノリむすびはノリをはがすのが面倒だからあまり評判はよくない。昔はぼくも自転車だった。借り上げタクシーになったのは入社2年後くらいで、東京新聞の先輩記者としばしば遠出した。写真も類似していたから「東京と提携しているのか」と読者にきつく指摘されたことがあった。

ついでに言うと、筆記道具も変化した。現在は記者会見も記者はパソコンを前にしている。マス目の原稿用紙を使うのは企画ものの記事以外はなく、普通はわら半紙に3Bの濃い鉛筆を使った。電話で吹き込まれてくる原稿を遊軍記者がわら半紙にそのまま書いた。呼び出しは電報だった。電話も家庭にある固定電話を長時間確保して他社に使わせないようにした。記者同士の仲はよかった。本田靖春の『警察回り』にあるとおりだ。

奥が居眠りを頻繁にするようになったのはこの1,2年だ。前夜の睡眠薬がまだ残っているためなのか、疲れているのか、老年のためか知らない。でも通常、意識ははっきりしていて、ぼやけることはない。はっきりした頭で作文の添削をするからよろしく。

若者は優先席でスマホをいじるな
 ぼくが帰る時間帯の夜遅くにはほとんど老人はいない。それでも優先席が埋まって空席がない場合もある。この杖付きよれよれ老人にだれか席をゆずってくれないものかと思うが、サラリーマン風の若い男もOL風の若い女性も疲れて寝た振りをしているか、スマホをいじって知らんふりだ。あるいはこのじいさんに席をゆずろうか、どうしようかと迷っているようでもある。そして大半はぼくより近い駅で元気よく下車してゆく。

 だいぶ前だが、夜遅く足の不自由な白人の男性が乗り込んできた。優先席に座ったが同じ並びに座っていた30代と思しき男性に片言の日本語で「あなたには座る権利はない」と言って、窓ガラスに貼ってある優先席を指差した。男性はすごすごと間が悪そうに一般席に移動して行った。駅が来るたびに優先席の空席に男女が座ろうとするが、そのたびに白人は追い払った。なかなか大した白人だった。

 そいう態度は日本人にはできない。ぼくが優先席に遠慮なく座るようになったのは70歳をすぎてからだ。70をすぎてからもばあさんに席をゆずったことがある。心のどこかに自分はまだそんな年寄りではないという意識があったのだろう。いまは当たり前のように腰をおろす。最初に席をゆずられたのは60代だったと思う。立って吊革につかまっていたら、目の前の若い女性が笑顔でなにか言った。

「えッ?」と聞き返すと席を替わりましょう」と立ちあがった。ぼくは他のことを想像して下心が騒いだのだが、それだけのことだった。ペン森の作文にときどき、老人に席をゆずるにはかなりの勇気を必要とする、と書く学生がいる。つまり自分が周囲に注目されすぎてはいないだろうかと自意識過剰になって恥ずかしいのだ。ぼくは老人を立たせておいて座っているほうがよほど恥ずかしいことだと思うがどうだろう。

ペン森に来る途中、京王線の笹塚でホームの反対側の電車に乗り換える場合がある。すると、いままで乗っていた電車から乗客が小走りに乗り継ぎの電車に吸い込まれてゆく。杖付きのぼくはゆっくりと乗り継ぎ電車に乗り込む。優先席は満席だ。若い学生風の男がさっそくスマホを覗いている。そいつが足を投げ出していたらぼくは自分の足を引っ掛けてよろめいてみる。そいつではなく他の親切な人が席を立ってくれるケースが多い。

 全般に年配の女性は若い女性よりも親切だ。最も腹が立つのは図体のでかい運動部ふうの学生が優先席で2人分の席を占めてスマホをいじっているときである。学生ならせめて本を開いて読んでくれよと叫びたい。本を読んでいるならまだ許せるがスマホはダメだ。車内でみなスマホに見入っているがみんななにを見ているのだろうか。まるで見当がつかない。これはスマホをもたない者のひがみかもしれない。

ぼくは本なしでは電車に乗れない。『キリンビール高知支店の奇跡』(田村潤/講談社α新書)で改めて現場をめぐる大切さを学んだので、本日の車内読書は『ふるさとの生活』(宮本常一/講談社学術文庫)。1986年に文庫になっているから、昔昔に買って読んでなかったのだろう。村の消滅など現代にも通じる話がおもしろい。




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