ペン森通信
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酒好きで乱れる女の子がいい。
世間は本日からGWがはじまったというが、ぼくは来週月曜日の5月2日から7日まで休みはない。土日の休んでいる間、なにをするかというと、いつもなにもしない。ただ寝転んでテレビを見るだけである。日中おもしろいドキュメンタリーでも放映してくれればいいが、午後2時半からフジテレビでやってくれるだけだ。今回は熊本でボランティアをやりたいが、高齢の上左脚が不自由ときているので受け入れてはくれないだろう。

昔は車をもっていたし、運転も好きだったので、コンビニでおむすび2個とお茶を買ってかならずどこかへ出かけていた。奥多摩方面が多かった。軽井沢を抜けて草津温泉へもよく行った。草津に前に勤めていた出版社の保養所があり、OBとして利用させてもらったのだ。長期休暇でペン森生を同行したのは伊豆の貸し別荘と新潟から日本海沿いに男鹿半島へのコース。男鹿半島を下った広大な八郎潟の中心部は何回も訪れいまでも案内できる。

47都道府県行ってないところはないが、もちろん記者時代仕事であった。だから観光目的は得意ではない。事件、事故、企画ものの取材だから観光とは無縁だ。温i泉を楽しむようになったのはペン森をはじめてからである。50歳記念にゴルフもやりだして熱中した。すべて晩稲(おくて)。ゴルフは60歳くらいでやめ、車は70歳の直前に手放した。免許の更新もしていない。運転は上手だと思うが、高齢運転は絶対にしない。

更新といえばTSUTAYAのメンバーカードもほっておいたら1月で期限切れとなった。きのうはJRの200キロ以上が3割引きで乗れる高齢者用のジパング倶楽部の更新手続き書類が届いていた。去年の割引手帳はまっさらである。1回も利用してない。なるほど年を重ねるにつれ、行動範囲が狭まりどんどん引きこもり状態になっていくのだなあ、と自覚する。これでペン森を辞めたらあっという間にあの世に直行だ。

高1から毎年2泊3日の旅をしていた孫娘もいまや就職して銀行員である。ペン森の男女が帰宅時、神保町駅の改札まで送ってくれる。女の子の場合、手をつないで歩き改札への階段では左腕を組んだり、手で支えたりしてくれる。杖は女の子が持ってくれることが多くなった。それでいて右手では手すりをつかまえているから見る目もすっかり介護老人である。ぼくが若さや生命を保っているとすれば、若葉の季節にあるペン森生のおかげだ。

ジパング倶楽部は更新手続きをしなければと思う。同行してくれる若者もいないし、独り旅になる。足の不自由なさびしい独り旅である。スマホはもってないし、もっていても使いこなせないだろうし、時刻表は荷物にしては重いしから列車に乗り遅れないようにしなければ。遅れそうになっても走れない体なので駅の待合室で長ければ1,2時間待つのは仕方ない。年をとるとかくも世間が狭くなるのがやりきれない。

ではどこへ行くか。できれば女の子の同行が望ましい。以前は旅のクーポン3万円分をくれて娘をよろしくと頼んできた父親もいたのだ。わがままを言えば、酒の強い子がいいね。旅先で酔って乱れてくれたらなおグ―だよ。





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かくも深い差別と偏見の意識
松本清張の『砂の器』は国のらい病(ハンセン病)の差別と偏見を鋭く問う小説だ。松本作品ほぼ専門に映画にしている野村芳太郎監督が映画にしていて、ぼくは女子大の授業をはじめペン森生にも見せた。音楽が非常な効果をあげていることでも有名な映画である。
らい病で差別されたために村を出た父子が放浪して歩いてくるシーンに突然切り替わると、もうそこで涙である。隔離される父親を追って線路を走る子どもの姿にまた涙だ。

 四季折々の風物を背景にしながら父子は放浪することで、1年をとおして撮影したことがわかる。「おれは映画を観ても絶対に泣かない」と豪語していた男がこの映画にはさすがに泣いたそうだ。21世紀がはじまる前、テレビ東京が20世紀の映画を取り上げてそんなことを特集していた。ハンセン病に面と向かった作品はほかにもあるかもしれないが、ぼくには『砂の器』の印象はあまりにも強烈だった。

 ハンセン病の隔離政策がとられたのは明治40年である。感染力はきわめて弱く、戦後間もなく特効薬も生まれ完全に治る病気とされている。にもかかわらず平成8年になって「らい予防法」が廃止され隔離政策はようやく終わる。じつに90年にわたる差別である。療養所の入所者たちが解放され市民生活が戻ったかと言うとそうではない。長い隔離政策のためにそれまでの誤解が解けず、本人のみならず家族も偏見と差別を受けつづけた。

 ペン森生はこれまで1期生から20期生まで何人も全国にある療養所を訪ね、入所者と親しく交流した。入所者たちは高齢化が進んでいる。孫のように可愛がられている20期生もいたのだ。作文のネタにするというより、一種義憤に駆られて訪問するうち親しくなったという事例が多い。若者がこういう理不尽な差別と偏見に怒りを覚えて行動するのは若者らしくてさわやかなことだ。

 越前敦賀城主、戦国武将の大谷吉継はハンセン病を患っていた。茶の湯でお茶を回し飲みするに際して、列席の他の武将が同じ湯のみに口をつけようとしないなかで、石田三成だけが口をつけたことで2人は強い友情で結ばれ、吉継は関ヶ原では石田側につく。吉継は顔を白い布で覆って隠していたが、やがて馬に乗るのも難しくなり、4人かつぎの輿に乗って紙の鎧かぶとを付けて指揮をとった。差別、偏見は連綿として続く。

 戦国時代以来の差別によって入所者たちの社会復帰はなかなかできない。25日最高裁はハンセン病患者の裁判が裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題で「偏見、差別を助長した。患者の人格、尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と謝罪した。小泉政権が政府として謝罪してから15年。最高裁としてはあまりにも遅すぎた。「特別法廷」とは隔離施設などに設置された法廷である。もうそこから差別だ。

「私には差別も偏見もないと信じていたが、バレーをしているときうちのクラスが勝った。そのとき黒人の背の高い大柄なクラスメートが嬉しがって私に向かってきて抱きつこうとした。怖いと思った」というアメリカ高校の体験を記したペン森女子がいた。人間の偏見、差別には根深いものがある。難民問題やトランプ現象にも差別と偏見が横たわる。



ペン森生よ熊本へ走れ!
熊本地方は風水害に備えて、かわらぶき屋根が大半でそのかわらに重量がある。テレビの画面から重いかわらによって家が押しつぶされたようになっている様子もうかがえた。ぼくが宮崎県の鹿児島県に近い農村に住んでいた小学生当時、台風が接近するとおやじが雨戸に表から太い板を打ち付けていた。夜台風が襲来してくると風の音が不気味で家の中の座敷にいる家族は畳が風圧で床下から持ちあがり、気持ち悪く恐怖に震えたものだ。

ぼくは台風取材の経験はあるが、地震取材の経験はない。熊本には東京からも大勢の記者が現地入りしたが16日深夜にあった2回目の震度7の本震にはさぞ肝を冷やしたことだろう。地震嫌いのぼくは現役でなくてよかった、と心底思った。台風取材は九州の西部本社にいたとき、台風の目を探して風雨の中をベンツで駆け回った。台風の目を探し当ててどうするつもりだったのだろうか。いまとなってはさっぱりお見当もつかない。

土砂崩れ取材もした。東京の本社から四国へ飛んで現場へ行った。当時コント55号がテレビで活躍していたころで、遺体に1番から整番号をつけて安置してあった。ところが55番だけが身元不明。遺体は激しい土砂崩れに巻き込まれているから顔どころか、体全体がばらばらになっている。もちろんDNA鑑定はない時代だ。55号は引き取りが手ないままだ。ぼくは現在ならネットで叩かれそうな不謹慎にも混沌55号という記事を書いた。

といって現場にそんなに行ったわけではない。社会部では遊軍が長く、主に企画ものに携わった。要するにだれをどこに配置するかといった手配師まがいの仕事だったり、みんなの原稿を長夕刊ごとにまとめたり、正月紙面はこんな企画はどうだろう、といった類。ぼくが遊軍長をしていたころ、遊軍記者は26人いた。大部隊だったのである。いまは当時120人だった社会部員が7,80人に減ったという。1人当たりの負担が大きくなった。

人生は365日、精一杯楽しんだ。古き良き時代にぼくは新聞記者をやっていた。筆記用具も3Bの鉛筆だった。電話で受け取る原稿をB5判の半分くらいのざら紙に書く。ときにはそばに整理部員が控え、書いていく原稿をひったくっていく。知らな漢字があると悲劇だ。なまりの強い記者からの電話原稿には往生したものだ。「えどのえ」ときいても本人は「いどのい」と言ったつもりである。採用試験に漢字があるのはその時代の名残だろうか。

現在はマスコミ間の競争が激しい。不倫が大ニュースになるなんて予想もしてなかっただろう。なにしろ、自慢にはならないがぼく以外はみんな不倫していると思っていたニュースの価値も時代とともに変化する。日経には女性社員を愛人にしている社長がいた。週刊文春が暴いて知れ渡ったのだが、日経記者は社員のだれもが知っていることがどうして話題になるのだろうと首をひねっていた。まあ、首をひねるほうがおかしいけどね。

いま、『蒲団』で知られる私小説作家、田山花袋の『東京震災記』を読んでいる。関東大震災のルポである。あの情痴作家が九段・神保町・神田・深川などを歩いて被災の様子を書いている。なかなかのルポライターぶりである。ペン森生も熊本入りしないかなと期待しているが残念ながらだれもいない。

記者は男性よりも女性が優秀
 今週、旧知の出版人が英国の高級雑誌の日本語版を出したいという仕事を手伝っている日本人女性を伴って訪れた。女性はどこかで見たような感じがした。「わたしも以前ここに通っていたことがあるんです」と女性は言った。ペン森生だったと言うが思い出せない。不快ではない高い声でよくしゃべり、ぼくは問われるまま『ニューズウィーク日本版』の草創期の話をした。ぼくはNY誌創刊時の中心メンバーの1人だった。

 そのために彼女は来訪したのだが、彼女の淀みないおしゃべりを耳にしているうち、声の調子から記憶の底が耕されてきた。このひとは帰国子女で東大生ではなかっただろうか。当時の福田官房長官に会って、「ジャーナリズムは大事な仕事です」と言われたことを話していなかったか。在米中、9・11で消防に協力して黒人と白人の発音の違いを指摘していたことも話していた。その旨メールして確認すると、そのとおりですと返信があった。

 彼女は、英国高級誌のアソシエイト・エデイターと名刺にあった。ジャーナリストとして文春の月刊と週刊に原稿を寄せている。あれからほぼ10年、日本語の文章が劣悪だった彼女は文春を読んでみるとそれなりに読める文章表現をしている。英語力満点でペン森に日本語の文章修業に来たのだから、かなり向上心があるのだろう。どうして文春に食い込んだのか知らないが、積極的なその姿勢は21期生も十分見習ってよい。

 21期生は総じておとなしい。これで権力と闘えるかどうか気になる。もっともそれは男性に向けて言っているわけで、ぼくも記者の仕事は男性という固定観念からまだ抜け出せないでときどき困る。ぼくが記者になったころ、女性の同期生はいなかった。女性記者が警察の記者室に現れ、彼女が席を立つとそのあとの椅子に男性記者どもが先を争ってぬくもりを求めて座ろうとしたのは、さらに数年あとのことだ。

 近年は採用時女性記者の割合はだいたい3、4割を占める。男性にゲタを履かせて甘くしてもそうなる。女性のほうが成績優秀なのだ。筆記試験で上から順番に採るとすれば、男性はもっと少なくなる。毎日新聞はおおむね男女比は5対5だが、今年採用から男女区別なく成績順に採るようになったと聞いた。女性は夜回りの際のトイレや結婚して子育てなど不利な面があるが、記者としては軟弱な男性よりもはるかに優秀なひとが多い。

 テレビに映る警察記者や政治記者を見ると、美人が多いなあと驚く。社は男社会のスケベどもにわざわざ美人を配属してネタをとろうという魂胆だ。男性は美人の歓心を買おうとはしないまでも、甘く接する。とりわけ放送局は美人記者を警視庁、検察庁、政治部に配しているような印象が強く露骨だ。ペン森だって夜いっぱい飲んでやってきたOBが「なんだ女はいないのか」と男ばかりが座っている塾生に悪態をついたりしている。

 英国高級誌の女性ジャーナリストは、ぼくの勘では将来必ず名を上げると思う。美人だし物おじしない、英語堪能ときて自分の意見をはっきり言う。プーチンが好きと言うところがすこぶるいい。みんな男女は問わないから主張をもったペン森生になってくれ。
 

さあ、ESの季節だよ。
このブログは火曜日と金曜日の週2回更新だが、今週の火曜日は午前中病院に行っていた。定期健診である。月曜日は土日に届いた通信添削の作文をみるのと、作文題を更新して通信添削生15人に更新した題を送信しなければならない。早くもESがはじまっているのでそのチェックもある。あまりの忙しさに積み残しを出してしまい、火曜日はブログまで手が回らず、今週は火曜日のブログ更新なしで金曜になってしまった。

ESはエントリーシートのことだが、ぼくらのころは志望書と言った。旧世代のなかには履歴書と言う者もいる。まあ昔は本人の出身地や学歴を見るだけの簡単な書類だったのだろう。それがだんだん志望理由を書かせるようになり、最近では入社してなにをやりたいかを確認するようになっている。近年は辞めるひとが多いから、要は自分の長続きするテーマをもっているかどうかを知りたいのだ。辞められたら人事計画が狂ってしまう

辞めるひとは ①他業種への転身 ②夫や妻の転勤先に付いてゆく③この会社にはいたくない(多くの場合、あいつの顔は見たくない) ④家庭と仕事の両立ができない ⑤病気(アル中も含む)。入社してすぐの研修中にとんずらするのもいる。学生時代に想像したのと現実との差異がひどすぎる。辞める理由はさまざまだ。ぼくは22年間新聞記者をしていて辞めたいと思ったことはない。きょうが無事に終わるかと思ったことはあったが。

ペン森生は辞めないことが自慢だったが、最近、朝日と毎日の女性記者2人が辞めた。朝日記者は現場取材の機会のない部署が長いから。毎日記者は8月に第二子を出産する。長男の保育園が廃園になったので、家庭との両立はとても無理。ペン森生は辞めないとはいえ、読売の19期生も早々に退社した。家業の和菓子店を継ぐらしい。現場で「あんなに怒られてかわいそう」と読売記者が同情していた朝日記者は公認会計士に転じた。

ついでに言えば、ペン森出身の公認会計士は3人、医者、弁護士も各1人ずつ。同期同士で仲がいいのは先日卒業式をやったばかりの20期生だろう。ぼくはペン森を創立したとき、ここで生涯の友をえてほしいと願った。その意味で理想に近い仲の良さだ。国内はもとよりアジアや南米に連れだって行っていた。若いひとの集団だから恋愛は数知れず、結婚は意外に少なくてわずか4組。ペン森によって生涯の伴侶をえた一見幸せな男女である。

さてESは読売が本日着をもって締め切った。これから新聞大手、NHK、出版大手と続く。活字メディアに未来はないと言われるが、ペン森で見る限りまだまだ志望者は多い。新聞もデジタル化に向かうであろうが、そうすると販売店が必要でなくなるからなかなか踏み切れない。簡単にデジタルに出きるのであれば、もうすでに取りかかっているだろうが裏には日本独特のしがらみがあるのだ。その点日経は専売店をもってないから楽だ。

きのうも研修中の20期生が新しい名刺をもって訪れた。ぼくにもそういう時代があったのだということを思い出した。いまは花粉症に悩み、根はスケベな老人だ。かかりつけの医者は77歳か元気ですねえ、としきりに感心するものの、若い女子が好きという点だけが救いの後期高齢者だ。


目に見えないものを見えるものに
ジャーナリストをめざす若いひとにぜひとも読んでもらいたい本がある。『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(文春文庫/半藤一利・保坂正康)だ。日本近現代史の碩学2人が語りつくすジャーナリズム昭和史と言うべき内容である。2013年の対談だから中身には最新の事象は入ってない。半藤のまえがきから引用する。「昭和元年から20年8月までの昭和史の20年間において、言論と出版の自由がいかにして強引に奪われてきたか」と。

 文庫本に世に問うことになって、半藤は書いている。「不戦の誓いのもとに形成された日本の民主主義とそれを支える憲法は、あっという間に空洞化され思考停止して同調し集団となった人びとは、異質を排除しして不寛容になる傾向をいっそう強めつつある。(略)私たちは歴史の教訓をどう読み取っているかを若い人たちに知らせ、自分の判断で物事を考える責任のあることを伝える、それが大事なときなんだ、と確信する」

 自分で考えろというやり方はぼくの作文指導といっしょだ。考えるというプロセスを経ないと深みや厚みのある文章表現はできない。いまはスマホで検索すれば、プロセスを経ないで答えが出せる。すぐ答えを求めたがる現代の若者は、ネット社会の申し子だからまどろっこしいことは好きではない。半藤も保坂も若いジャーナリストは勉強しないと嘆いている。5・15事件や2・26事件のことを知らない。常識的な歴史事実にもうとい。

知らないことを恥ずかしく思うどころか、日本史をやってないからと平気で言う。やってないから調べて勉強しようとは考えないらしい。インタビューの前に相手の著書を読むなりして、事前に下調べして臨むということもしない。若いジャーナリストは散々な言われようだが、この連中にジャーナリズムを委ねていると先行きが心配だと言いたいのだ。権力や大衆が一定の方向に向かう雪崩現象に歯止めをかけられるかという心配。

ぼくがぜひとも読んでもらいたいと希望するのは、まさにその心配があるからだ。この本の題名にあるとおり「メディアが戦争に導いた」という紛れもない過去があるからだ。「報道あるいはジャーナリズムにあおられて世論がつくられていった。日露戦争、第一次大戦、日中戦争、対米英戦争、全部そうだった。その教訓を歴史からから学んだ」(半藤)「現在のメディア状況の変化は速すぎて、考えることを放棄することにつながる」(保坂)

「考えることを放棄すると新しいファシズムにつながる。現代ではあっという間に実現するファッショ化」(保坂)ぼくが思う、考えると言うことは、現場へ行って自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じた事実を基本に思考しろと言うことだ。ただ机で自分の頭で堂々めぐりしても発想は停滞したまま進まない。テレビやスマホで動画に接してもそこには匂いがなく、生死にも無関係だからリアル感に乏しい。刺激的な思考は生まれない。

残念ながら、ペン森生はあまり現場へ行かない。自分で自分を刺激しない。「目に見えるものはすべて、目に見えないものに支えられている」と言う言葉がある。目に見えないものとは努力であり、歴史も含めた背後である。ジャーナリズムは目に見えないものを目に見えるものにする役割をもっている。



 



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