ペン森通信
異端児、変わり者来たれ
 25日の月曜日に更新した今週の作文課題は「SNSの功罪」「パートナー」「妥協」である。毎週月曜日に3題ずつ更新しているが、題を考えるのはけっこう楽だ。題はほとんど無尽蔵だからである。昔は「川」と「道」とか人生に託して書く題が定番だったが、近年各社工夫して独自性を出すようになった。昔どおり抽象的な題を出すのは共同通信と毎日だけとなった。朝日や読売は「偽装」とか「原子力」とか限定された題を出してくる。

どっちにしろ、時事的な問題が背景にある。時事問題にヒントを得て出題しているからだ。若者や片親家庭の貧困を絡めると「憲法25条」ということになる。「格差」でも「平等」でもいい。横浜マンションの杭問題なら漢字2語に限れば、そのまま「傾斜」「安定」「安全」「信用」「信頼」といくらでも出てくる。題の予想は優しいようで難しい。ぼくは一回だけ合ったことがある。毎日の「曲がり角」。このとき毎日の岸井成格と一緒だった。

岸井は毎日の記者の最高峰編集主幹も務めたがいまは特別編集委員である。TBSニュース23のアンカーを務めていて、その際のコメントが変更しているとして読売、産経に掲載された意見広告でコメントは放送法4条に違反すると個人攻撃された。TBSはその個人攻撃に負けたように見えるから、アンカーは続行させるだろうと思っていたが、今度は報道・情報番組に折に触れてコメントする立場となった。ぼくはやはり棚上げと思う。

 23のアンカーは朝日を定年になる星浩に交代する。星は3月28日から出演するらしい。岸井が交代するとは前から本人からではなく聞いていた。星に代わるだろう、ということも朝日の関係者から聞いていた。一見順当な交代劇だが、テレ朝の報道ステーッションもキャスターの古館伊知郎が降板する。NHKの政権を背負う官房長官を困らせた国谷キャスターが身を引くだけでなく放送時間も夜10時に変わる。

 骨太のキャスターや番組が消えないまでも冷遇されるのは、政権の意図を忖度した結果だとは思いたくない。テレビがダメなら安倍の盟友の大臣、甘利明も週刊文春が明らかにした金のスキャンダルで辞任したし、週刊誌、新聞にがんばってもらうほかない。週刊誌や新聞は若いひとは読まない傾向があるけど、永田町や霞が関にはまだ威力がある。メディアと政権との関係を作文の題にするなら「支配」「一強時代」「排除」だろう。

 予想した題と各社の出題が一致してもほとんど関係なく作文力ある者はこなして内定する。要はどんな題に接しても持ちネタで仕上げればいいのだ。流用できるネタをどれだけ持っているか、さらには流用できる着想が働くかどうかが勝負の分かれ目であるが、近年は作文よりも面接重視の社も多くなった。諦めない強い若者が欲しいのである。辞めないで立ち向かうアグレッシブで明るい若者はいないものかとマスコミ各社は思っている。

 ペン森の受講生もそうだが、若者は総じておとなしい。ひとの言うことを気にする。気にするということは多数意見に従うということを意味している。安倍みたいに同質性に身を置いて安心する。異端、変わり者をマスコミが採用すれば日本は多様化を認め強靭になるだろう。ペン森に異端児よ来たれ。

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頑張っている週刊誌もある
NHKの『新・映像の世紀』は贅沢だ。おとといの日曜日は前半を見損ねたが、後半を見た。極秘映像?を入手して東西冷戦時代の米ソのすさまじいスパイ合戦を取り上げた。東西冷戦という戦争状態は第二次大戦終了直後にはじまった。ぼくは核戦争寸前までいった緊迫の1962年10月のキューバ危機を卒論に取り入れたことと、当時ル・カレなどのスパイ小説を読みふけっていた関係で米ソ対立と冷戦には特別興味がある。

キューバ危機はソ連がキューバにミサイル基地をつくることを知ったアメリカがキューバを封鎖して対立が先鋭化した。もし核戦争になったらアメリカ・ソ連の双方でそれぞれ1億人が犠牲になっただろうと言われる。なぜアメリカが知ったかというと、一説だが、テニスをしないキューバにテニスコートをつくっていたからという。ソ連は20世紀の実験国家だったが分解して中心はロシアとして残った。テニスは盛ん。シャラポアがその代表だ。

ぼくの卒論の題は『新聞の自由の歴史』だった。新聞が大手を振って威張っていたころである。当時は学生の人気も大したもので朝日、毎日は就職したい企業ベスト10の常連だった。大商社も内定学生が新聞社に決まったというと、そりゃよかったおめでとうと祝ったという考えられない時代だったのだ。甘利大臣の金銭スキャンダルを『週刊文春』 に抜かれるなんてみっともない、昔新聞記者だった古い体質のぼくは恥ずかしい。

大臣の首をとれ、というふうにぼくらは教育された。ぼくはだれの首もとらなかったし、大臣のスキャンダルをつかんだこともない。いまはそれほどの区分けはないが、新聞記者にはネタを取るタイプと、ネタをつかむよりも書くのがタイプの記者がいたものだ。ぼくは後者。この区分けは丸谷才一の『女ざかり』にも出てくる。ぼくには自慢すべき特ダネはない。果実酒がだれでもつくれるように酒税法を変えたことくらいだ。

『週刊文春』の甘利スキャンダルにはタレコミがあったにちがいない。新聞よりも週刊誌のほうが記事は長いし、おもしろく表現する。新聞記者はこの記事で読者を増やそうなどとは一切考えない。ニュースには金は必要ないという不文律はいまでも生きているのだろうか。1950年代、60年代に週刊誌がでてきて隆盛を誇ったころ1冊30円で30円文化と揶揄されていた。謝礼などニュースに金が動くようになったのもこの時期からだ。

昔、慶応大学の文学系のタレント教授から談話をとったことがある。電話の切り際、教授は言った。「談話料は出るんでしょうね」。金銭を要求されたわけだが、ぼくはそれは当然だと思う。夜、一杯やっているところにマスコミから電話が来る。専門分野のことを聞いてくる。時間を割いて答える。談話謝礼は有名菓子店のお菓子と決めている社もあったが、やはり現金が一番ありがたいだろう。ぼくの例でいうと病気見舞いだってそうだった。

新聞は建て前、週刊誌はホンネとぼくは思う。本日の報道によると出版物の販売実績は対前年比5・3%減と統計の残る1950年以降最大の下げ幅。なかでも雑誌類は8・4%減と落ち込んで雑誌は売れない。週刊誌は13・6%ともっと苦しい。活字から電子への移行期だろう。あさって木曜日は『週刊文春』と『週刊新潮』の発売日。それでもぼくは待ち遠しいのである。






引退は女の子と旅をしてからだ
 年寄りは昔の話をよく引き合いに出すが、これは昔しか話の素がないからだ。ぼくも昔のことを最近よく話す。われわれの年代のじいさんが集まると、病気自慢が最も多いネタである。あいつが死んだとか他人の不幸を面白おかしく話題にするのも年寄りに許された娯楽の一種である。軽井沢のバス事故を話題にする場合、大学生のころを思い出し、同時に両親の悲しみが胸に迫って、これは人生体験に照らしてしんみりとなる。

 今年は年末状も年賀状も出さずに新年を迎えたので、年始状を出した。書きだしは次の文面である。「2016年の東京の年初は穏やかに晴れ渡りました。ことしはこの好天のような年になればと期待します」。ところが寒波が襲ってきたし、株式市場は続落につぐ続落できのうの終値は1万6017円26銭と1万6000円割れ寸前まで下がった。ぼくは株は無縁だから大損も大得もないが、何1千万円も損したひとも多いことだろう。

 株頼みの安倍も弱っていることだろう。一国の総理といえども株式は自由になるものではない。中国の経済成長の失速と中東の原油安が遠因との説が強いが、中国の共産党独裁政治も株価にはかなわない。ついでだが、このあいだ、朝日新聞の世論調査の対象になったらしく電話でいろいろ尋ねられた。支持政党を答える際、聞かれる前から「共産党」と答えていた。日本共産党は政権をとる心配がないからぼくは支持しているのだ。

 さて、年始状に「歳を重ねた。そろそろ潮時か」と書いたら、さっそく引退表明と受け取ったひとがいた。新聞記者時代の先輩が「ご苦労さま」ランチをご馳走してくれるという。ありがたいことだ。ぼくの引退は、通信添削の受講生も21期生に10人ほどいるからその面倒を見なくちゃいけないので、まだまだ先のことになるだろう。いずれは身を引くつもりだが、いざその気になるとさびしいものである。

 昨夜はペン森にぼく一人だった。一人で焼酎を飲み、テレビを見て時間をつぶした。なるほど、一人暮らしはさびしいと言うことがすこしわかった。ぼくは無趣味だから、余計にさびしさは募るだろう。以前は、旅、温泉とよくでかけたが、昨年は遠出がなく、ペン森生と伊豆高原へ行っただけだった。伊豆は近いがぼくの好きな温泉地だ。小田急で小田原へ出てJRの東海道線に乗り換え、熱海で伊豆急のリゾート21に乗り継げれば最高だ。

 旅をしなくなったことが歳を感じて潮時と考えた一番の理由かもしれない。旅をしないから温泉にも行けない。以前は孫娘やペン森女子男子がよく同行してくれた。孫娘は4月から銀行員になるし、ペン森生は18期生が最後だった。20期21期生は帰りに神保町の改札までよく送ってくれるが、列車に乗って出かけることはない。ぼくも年齢相応に昔はよかった思い出に生きるようになったのだろうか、まだ女の子とも旅をしたいよ。

 どうせなら、女の子と旅をしてから引退しよう。旅先で温泉につかって焼酎を思いっきり飲む。帰りのことを考えなくてすむから旅先で飲む焼酎はいい。焼酎を飲んでいたのは高校生のころだから、これもまた昔に戻ったのかしら。

 




大雪の駅行列は不気味
 きのうの東京の大雪で予想はついたが、各駅で乗客の長い列ができ、それは予想以上の混乱だったとメディアは伝えている。京王線の千歳烏山北口の長蛇の列を最初に報道したのはNHKだったと思うが、その後民放も列を報道しはじめた。災害報道のNHKだから各民放局もNHKにチャンネルを合わせて流しっぱなしにして、「おい、NHKの千歳烏山を見たか。烏山にカメラと記者を回せ」とデスクかだれかが言ったにちがいない。

 ぼくはうちにいてテレビを見ていた。利用している京王相模原線は調布から若葉台まで運転見合わせだという。テレビでは調布―若葉台は正常ではなかったが、しびれを切らしてうちを出た。駅に着くと電車は動いている。駅員に聞くと「ほぼダイヤどおり」という。ホームに出るとすぐ本八幡行きの快速が来た。快速はちょっと時間がかかるが乗った。1時間で神保町に着いた。ペン森のテレビは午後も調布―若葉台はまだ不通と伝えていた。

NHKもあてにはできない。JRや私鉄の運転指令所に電話一本かければ開通していることはすぐ判明することだ。なんと言う手抜きだろう。開通をいまかいまかと待っていたひともいただろうに。運転見合わせなら、いつ正常に戻るのだろうかと思うのが普通の感覚だ。そこまでの着想がなかったのだから、これは誤報以上のチョンボだ。ぼくは会社勤めの立場とは違うので、駅に並ぶようなことはないが、あの長蛇の列は気持ち悪い。

そもそもぼくは並ぶのは好きではない。正月には必ず初詣でに出かけるが、あの長い列を目にするとうんざりする。で、並ばない。列のわきを抜けてお賽銭箱のそばまでゆく。そういうズルをすると幸せはこないよ、と言うひともいる。なるほど後ろから投げた500円玉が後頭部に当たったこともあったが、それは偶然だ。ぼくは大雪による行列や初詣での長い列を見ると、右向け右で一斉に同じ方向へ流れる気色の悪さを感じるのだ。

大雪の駅行列の人びとのなかには3、4時間も並んだひともいたらしい。なんと融通のきかないひとだろうと思う。いや、日本人は全体に融通がきかないのだ。このSNS時代に連絡のとりようはいくらでもあるだろうに。会社に遅れていっても仕事にはなるまい。会社の対応も悪い。こういう事情だから本日は遅刻も認める、あるいは休業するという一斉メールでも発信すれば無駄は省ける。なんのためにスマホをもっているのだろう。

ペン森の階下にあるラーメン二郎神保町店もよく並んでいる。同じ男をよく見かけるから、かれは中毒ではあるまいかと疑っている。ひとつの店に限定する「ラーメン中毒」がいるかどうかは知らないが、ラーメン二郎は量が半端じゃないと言うから、ぼくらの年代はさすがに見かけない。若者が多い。ペン森OBにもファンがいて、ペン森を訪ねてきたのかラーメンを食べに来たのかわからない通もいる。まあ、どっちでもいいが。

ラーメン二郎の行列には感じないが、きのうの大雪の行列には日本人の同じ方向に一斉に向き流れる不気味さを覚えた。寒いなか黙々と並ぶ姿をテレビで見て、これは日本人の特性ではあるまいか、と思った。いつか来た道をふたたび歩かないようにしよう。



新聞は滅びても記者は滅びない
 活字離れとか新聞離れとか言われて久しい。たしかに出版社も新聞社も経営的には苦しい。その苦境の業種で仕事をしたいという若者を送りだすのがぼくの生業である。苦境とはいっても設備投資はよき人材を確保することだから、まだまだ他の製造業にくらべて給料は高い。そこで働く人間の知恵、才能、ものを見る目、時代感覚などが勝負の分かれ目なのだ。それでもじわじわと侵食してくる時代の浸水にはかなわない。

 じわじわどころかそれは10年20年単位で考えると急激な変化である。じわじわと緩慢な変化だと思って対策が遅れているのは、それらの業種の経営者だけかもしれない。社会人経験のない大学生にも、新聞をこれまで読んでこなかった新聞志望者がいるようになった。大学生になって一人暮らしをはじめると同時に新聞を購読しなくなるのが普通だ。昨夜、ペン森は現役の記者と21期生週刊誌の特ダネの話題で盛り上がっていた。

 きのうの毎日新聞「オピニオン」欄で京大教授の佐藤卓己が [18歳選挙権]について書いていた。「新たに有権者となる18~19歳は約240万人、有権者全体の2%である」と前振りして続ける。「ことの発端は14年6月に憲法改正国民投票法で投票権が18歳以上と決まったことである。だが18歳選挙権の出発点が『憲法改正』問題にあることに注意を促す記事はあまり見かけない」。とメディア批判もチクリ。憲法改正は安倍の念願だ。

 「それよりも気になるのはデジタルネーティブ世代の急速な「新聞離れ」である。昨年夏に実施された第8回『メディアに関する全国世論調査』(新聞通信調査会)の話題は衝撃的だった。ぼくはその話題を知らなかったがこの佐藤寄稿文を読んではじめて知り、衝撃を受けたのだった。「朝刊を毎日読む割合は全体で52・8%(70代以上で81・1%)とここまではいい。ぼくはいい読者ではないが、新聞がないと朝困る70以上である。

 衝撃を受けたのはここから先。「18~19歳ではわずか4・8%に過ぎない。しかもこの年代の閲読時間は平均で8・9分である。最も満足度が高い記事は『テレビ・ラジオ欄』だった。このデータから浮かび上がる18~19歳の読者から、政治や経済の記事を熱心に読む姿をイメージすることはできない。しかし、彼らはぼくらの世代を置き去りにしていくSNS達者だ。それらを通じてニュースに接しているのかもしれない。

 ネット世代は総じて思考が貧困だ。ネットを使えばすぐ答えがでるからである。いまは考えなくてもいい時代だ。ぼくらみたいに漢字は書いて書いて手で覚える、というまどろっこしいことはやらない。途中を省いてストレートに答えを求める。20年前、ペン森の部屋には公衆電話設置されていて、内定通知もそれで受けていた。いまはES用の新聞も図書館かスマホですませ、ESはノートPCをペン森に持ち込んで記入する時代だ。

 ニュースが刑法犯109万件と昨年戦後最少だったことを伝えていた。防犯カメラの普及、窃盗犯、少年犯罪の減少が大きいという。でも少年犯罪は逆に増えている印象はないか。現実は減っているのにマスコミ報道が激化しているから、増えているように錯覚する。活字・新聞離れも言いすぎで錯覚していればいいのだが、これは現実。減っても増えてもニュースになるのだから、ニュースは不滅、記者は永遠です。

 

駅前旅館があったころ
けさ自室で「女子12楽坊」のCDを探した。見つからない。この中国の女の子たちの胡弓を使った哀しいような切ないような、さわやかな音色が好きで、車を運転して東北や新潟へ遠出していたころ、運転しながらよく聴いていた。女の子のこの楽団は紅白に出たこともある。AKB48もそうだが個人名を知っているのは指原だけだ。AKBはグループでNHKの朝ドラの主題歌を唄っているので、朝からぼくは気持ちが晴れる。

CDは発見できなかったものの、『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』(大穂耕一郎/筑摩書房)という懐かしいポケット版の本が目についた。懐かしい、というのは駅前旅館という名前の響きが物悲しく昭和を語っているからだ。駅前旅館と言えば井伏鱒二の小説を思い出すが、上野駅前の旅館の番頭が戦前から戦後にかけて旅館に集う客や従業員と仕事などの独白の思い出話である。すこぶるおもしろかった。駅前旅館はいまどこにある?

ローカル線のほうの作者は元学校の先生。撮り鉄だが、言わずと知れた旅好きである。学校の教師は夏休みなど長期の休暇がある。この休みを利用して旅をしようと言うのが教師の志望理由であった。もちろん面接ではほかの教育的なことを言ったと思うが、撮り鉄が高じて駅前旅館の虜になった。鉄道の写真を撮るひとはいまでも大勢いるが、はじめて一人で駅前旅館に泊まった1978年当時から撮り鉄はいたのだ。

60年代の前半の学生時代、ぼくは夏休みなど南九州から鈍行列車を乗り継いで上京したが、線路わきに撮り鉄の姿を見ることはなかった。そのころはまだ蒸気機関車が列車を引いていた。ぼくは鹿児島―東京間の駅の30か所くらいは途中下車しているが、駅前旅館に泊まりたいと思ったこともなく、またその金もないので、駅前の公園で蚊に刺されながら寝たものである。のんびりした時代で警官に誰何されることもなかった。

列車の荷棚は網棚で、そこに駅の洗面所で洗濯したランニングシャツをぶら下げ乾かしていた。切符売り場の窓口からせりだした板に寝たこともあった。駅員がはいって切符にパチンと刻みを入れる半円型のボックスにしゃがんで目をつぶっていたこともあった。戸塚警察署前庭のパトカーの中に寝て警官に叩きだされたのはもうちょっとしてからだ。若い時分は無鉄砲なものだ。いまはマスコミや世間がうるさいから昔みたいにはいかない。
 
 去年はまったく遠出をしなかった。旅友になってくれる仲間がいなくなったせいもあるが、脚が不自由なことがいちばん大きい。駅は階段だらけだから足の悪い老人は本当に困る。駅を出ても出歩けないから、駅前旅館に泊まってもいいが、いまどき駅前旅館は消えている。よくてビジネスホテルに化けている。ぼくはおととい神保町のビジネスホテルに宿泊したが、脚が悪いベッド派の身にとっては畳の旅館よりもうんと勝手がよい。

 卒業生から温泉に行きましょう、と言う声が上がっている。さきおととしは新潟・湯沢に行った。ぼくはぬる湯専門だから、大浴場には入らなかった。部屋の内湯に加水してすませた。いまはまた伊豆へ行きたくなっている。伊豆でも駅前旅館は見かけないなあ。宿泊先は貸し別荘だけど、だれか付き添ってくれないか。

ぼくはもうあまり頑張らないよ。
通常、朝10時前に家をでて夜11時に帰りつく。これはほとんど50数年目に経験した新聞記者の警察回りと変わらない労働である。7時ごろからは酒がはいっての懇談タイムになるので、実質の仕事はたいしたことはない。サツ回り時代も夕方から飲んで、酒臭い息をして事件の被害者宅を訪ねたりしていた。ただ20代前半のサツ回りのころと比べると、老体のいまは金曜日になると体が重い。ずっとがんばってきたからね。

 せめて夜は9時ごろまでに帰宅して、テレビを見るなり、本を読むなり、DVDを見るなり、自分の時間がもうすこしほしいと思っていた。どうやら夜はペン森ですごす時間をやや軽減できそうだ。添削を教え子朝日記者に委ねられそうだからだ。本人も快諾している。ただ昼間は問い合わせメールや訪問者の対応や訪ねてきた卒業生の相手やら、届きものの受け取りなど忙しいときもある。昼間はぼくいなければペン森は動かない。

 区切りよく21年目がスタートしたばかりだし、タイミングとしては最高だと感じる。こうして少しずつぼくが退いてゆけば、2,3年かけてすっかり引退の運びとなるだろう。なぜ2,3年かかるかといえば、後任の朝日記者がまだ現役で定年になるのを待たねばならないという事情がある。こう見えてもペン森は株式会社だ。当初、ぼくを含めた株主8人の資金に寄って運営をはじめた。ぼくは57%をもつ筆頭株主なのだ。

 だがペン森は投資の対象にはならない。儲からないからだ。ほんの一時期3期生4期生のころは受講生もあふれわずかながら利益も出た。当時、受講生がポスターやチラシを各大学の就職課に電話して許可をとりポスターを張ってもらいチラシを置いてもらった。新聞がまだ言論・報道機関として大いばりだったころである。しかし同時に新聞の勢いと人気が衰えはじめ、その見識や姿勢に読者が?をいだきはじめたころでもあった

それでも新聞はそのような劣化現象が起こっていることの自己認識がなく、横柄だった。朝日の一連の誤報問題騒ぎあたりから少しわが身の先行きを意識しはじめたようで、今度の軽減税率の対象となったことで政権にますます遠慮するのではと気がかりだ。若者の新聞離れはまず大学生になって大都市で一人暮らしをはじめたときに顕著になる。新聞なんてこのスマホ時代必要ないようだ。新聞を読むひとを電車内で見なくなって久しい。

スマホでなにを見ているのかまるで知らないが、ニュースも見ようと思えば見られる。先日来た大商社の若者ははっきり新聞は読まなくても世の中で起こっていることは、Yahooでみんなわかると言っていた。新聞はもはや中高年が時間つぶしに読むものになった気配がある。ぼくも朝食の前の3,40分と昼食の時間に読むだけだ。あとはゴミとなる。活字文化の衰退とともに学生の新聞志望は減ってはきたが、まだ受験者は少なくはない。

 総じて新聞社は給料がよい。だからなにかを訴えたい志からではなく、高い給料を求めて受ける傾向が見える。入社して体質の古さに愕然とする若者も多い。ただペン森生の志は高い新聞の強きよき時代の空気を知っているぼくは、新聞をめざす若者にその精神を求め、殻を突き破ってほしいと願ってきた。気分はせわしいままときは流れる。もう頑張らないよ。でも学生は頑張れ!



 

bokuha
通常、朝10時前に家をでて夜11時に帰りつく。これはほとんど50数年目に経験した新聞記者の警察回りと変わらない労働である。7時ごろからは酒がはいっての懇談タイムになるので、実質の仕事はたいしたことはない。サツ回り時代も夕方から飲んで、酒臭い息をして事件の被害者宅を訪ねたりしていた。ただ20代前半のサツ回りのころと比べると、老体のいまは金曜日になると体が重い。ずっとがんばってきたからね。

 せめて夜は9時ごろまでに帰宅して、テレビを見るなり、本を読むなり、DVDを見るなり、自分の時間がもうすこしほしいと思っていた。どうやら夜はペン森ですごす時間をやや軽減できそうだ。添削を教え子朝日記者に委ねられそうだからだ。本人も快諾している。ただ昼間は問い合わせメールや訪問者の対応や訪ねてきた卒業生の相手やら、届きものの受け取りなど忙しいときもある。昼間はぼくいなければペン森は動かない。

 区切りよく21年目がスタートしたばかりだし、タイミングとしては最高だと感じる。こうして少しずつぼくが退いてゆけば、2,3年かけてすっかり引退の運びとなるだろう。なぜ2,3年かかるかといえば、後任の朝日記者がまだ現役で定年になるのを待たねばならないという事情がある。こう見えてもペン森は株式会社だ。当初、ぼくを含めた株主8人の資金に寄って運営をはじめた。ぼくは57%をもつ筆頭株主なのだ。

 だがペン森は投資の対象にはならない。儲からないからだ。ほんの一時期3期生4期生のころは受講生もあふれわずかながら利益も出た。当時、受講生がポスターやチラシを各大学の就職課に電話して許可をとりポスターを張ってもらいチラシを置いてもらった。新聞がまだ言論・報道機関として大いばりだったころである。しかし同時に新聞の勢いと人気が衰えはじめ、その見識や姿勢に読者が?をいだきはじめたころでもあった

それでも新聞はそのような劣化現象が起こっていることの自己認識がなく、横柄だった。朝日の一連の誤報問題騒ぎあたりから少しわが身の先行きを意識しはじめたようで、今度の軽減税率の対象となったことで政権にますます遠慮するのではと気がかりだ。若者の新聞離れはまず大学生になって大都市で一人暮らしをはじめたときに顕著になる。新聞なんてこのスマホ時代必要ないようだ。新聞を読むひとを電車内で見なくなって久しい。

スマホでなにを見ているのかまるで知らないが、ニュースも見ようと思えば見られる。先日来た大商社の若者ははっきり新聞は読まなくても世の中で起こっていることは、Yahooでみんなわかると言っていた。新聞はもはや中高年が時間つぶしに読むものになった気配がある。ぼくも朝食の前の3,40分と昼食の時間に読むだけだ。あとはゴミとなる。活字文化の衰退とともに学生の新聞志望は減ってはきたが、まだ受験者は少なくはない。

 総じて新聞社は給料がよい。だからなにかを訴えたい志からではなく、高い給料を求めて受ける傾向が見える。入社して体質の古さに愕然とする若者も多い。ただペン森生の志は高い新聞の強きよき時代の空気を知っているぼくは、新聞をめざす若者にその精神を求め、殻を突き破ってほしいと願ってきた。気分はせわしいままときは流れる。もうがんばらないよ。



 

AKB48を押しのけた古い記憶
 ほとんど見たことのない紅白を大晦日はほぼ全部見た。最近の若者は演歌には興味を示さないがぼくらの年代は、やはり演歌である。唱歌・童謡、演歌、ちょっと下ってフォークソングをラジオとテレビで聞いた世代だ。大学生時代にはテレビはまだ登場しておらず、もっぱらラジオか自分で歌う歌声喫茶で歌唱を耳にしていた。大陸から帰還した叔父はぼくの家に一時居候していて、来る日も来る日も『黄色いリボン』のレコードをかけていた。

 ついこの間まで敵性国家だったアメリカの文化が南九州の農村にまで押し寄せ、帝国陸軍少尉だった叔父は、アメリカ開拓時代の騎兵隊を賛美する歌を覚えようと必死だったのだ。ぼくが小学1年のとき敗戦になり、戦争が終わるとともに、敵性アメリカの文化や物資がどっと教室にまで到来した。ぼくがいまだに牛乳が苦手なのはバケツに入れた脱脂粉乳をひしゃくで汲んで当番が器に注いでくれ、それをのんだ給食のせいである。

 中学生のころだったか、ラジオからは唱歌や童謡が流れていた。童謡好きの母親がいつも川田正子の「みかんの花咲く丘」を聞いていた。いま「みかんの花咲く丘」を聞く機会はラジオでもテレビでもないが、母親と聞いたこの童謡はぼくにとってのセンチメンタル・ソングだ。当時は小鳩くるみという歌手もいた。「みかんの花咲く丘」の歌詞もこの21世紀の人工衛星、ロボット時代には非現実的だが6、70年前は現実だったのだ。

 その歌詞の3番はよく記憶している。《いつか来た丘 母さんと 一緒に眺めた あの島よ 今日もひとりで 見ていると やさしい母さん 思われる》。ぼくがなぜ「みかんの花咲く丘」を思い出したかと言うと、紅白で森進一の「おふくろさん」を聞き、野坂昭如が暮れに亡くなったことによる・連想が働いたのである。森進一は集団就職で上京し最初は靴店の店員になる。病気の母親とぼくの母親の鹿児島の入院先の病室が同室だった。

 森進一は向田邦子と同様、鹿児島に居住していたことがある。ぼくの大学時代のサークルの後輩の親友でもある。森は集団就職で東京に来たのだが、集団就職とは昭和50年60年代の経済成長期に地方の中学高校出の若い労働力が大都市の商店や工場に「金の卵」として集団列車でやってきて雇用されたことをさす。上野商店街が建てたという記念碑が上野駅にある。川越かどこかに記念会館もあり、森進一も訪ねたことがあるそうだ。

 野坂昭如には一回だけいっしょに飲んだことがある。焼け跡闇市派の反戦で通したかれは一時、農本主義を唱えたことがある。ぼくはそれに賛同して、農地豊かな秋田で会おうと待ち合わせた。待てど暮らせどかれは来ない。東京の家に電話をすると「体調が悪い。申し訳ない」と下手なウソをつく。どうせ飲みすぎの2日酔いに決まっているが、そんなに腹は立たなかった。かれの精神の骨格をなす『火垂の墓』に打たれていたからだ。

 本日のこのブログの更新内容は新年のスタートにふさわしく抱負を書くつもりだったが、古い古い思い出話になってしまった。紅白はAKB48はなんとかわいいのだろうと年甲斐もない興奮を伝えるはずだったのにセンチに流れた。今年はAKBのようなかわいい子と会いたいものだ。









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