ペン森通信
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マスコミから採用の見直しをしろ
現実には今年の就活はまだ終わってない。15万人が就活を続けていると数日前の新聞に出ていた。8月の面接解禁は失敗だったのである。大企業の足並みも揃わなかったし、外資企業は無視した。マスコミでは企業の応援団ともいうべき日経がほとんど無視して青田買いをした。えっ、と思うくらい内内定をだすのが早かった。この混乱を少しでも緩和するため来年は6月に面接解禁となるが、見直しても効果はないだろう。

新卒一括採用を止めて通年採用など企業側が柔軟な採用に踏みきらないかぎり、混乱と矛盾はつづき正社員になれない学生もふえるだろう。新卒一括採用の機を逸してどこからも内内定の朗報に接しなかった大学生はやむなく非正規社員に甘んじる場合が多い。新卒一括採用は日本的経営が大手を振っていた時代は有効だった。グローバル時代、IT時代になって、日本的経営の象徴とされた終身雇用、年功序列は過去の慣行になりつつある。

企業をめぐる環境が激変したのに、採用条件は旧態依然として変わらない。なぜ、欧米のような新卒、既卒を問わない採用の仕組みがとれないのだろうか。経団連の8月面接解禁の指針を知ったこっちゃないとばかりに採用活動をはじめた外資系あたりが、徐々に日本の慣行を侵食して、日本大企業もこれじゃいかんと方向転換してくるのだろうか。外資系には旧来の習慣にこだわら企業が多く、企業間を横断する転職者の社員も目立っている。

80年代にぼくは『ジャパン・アズ・ナンバ―ワン』のハ―バ―ド大エズラ・ボーゲル教授に大学と隣接する教授の自宅で会ったことがある。80年代は日本経済が興隆してアメリカでは「日本には戦争に勝ったのに経済で負けた」という声が上がったほどだ。アメリカは大統領命令で日本的な経営を研究しに研究者が派遣された、という話をきいたことがある。日本は上り調子で若者には父親の世代を乗り越えるという約束があった時代だ。

ひるがえってみれば、60年代の初期に大学を出たぼくらの世代も経済成長へ向かって一直線の上り坂時代だった。ただしエネルギーが石炭から石油へ急激に交代したによるひずみもあった。三池炭鉱を舞台にした総資本対総労働の闘いといわれた三池闘争などもそうである。ぼくの家は炭鉱の坑道の天井や壁を支える坑木を炭鉱に納入する商売をしていた。それがエネルギー革命ですっかり傾くまで追い込まれたのである。

それでもぼくは東京の私立大学まで進学できた。わが家にはそんなに余裕はなかったが、社会はまだ大学生を大切に扱ってくれた。大学進学率もたぶん10%に達していなかったと思う。大学の同級生はごく一部の独立心の強い者を除いてほぼ全員がどこかの企業の正社員になったはずだ。60年近く前の当時から新卒一括採用だった。それはマスコミも同じだ。これだけ世の中が多様化しているのに採用条件はむかしのままが多い。

今年ペン森のフィリピン国籍の女子が毎日に内定した。13歳で来日して日本語を覚え大学に進学したのだからたいしたものである。マスコミの中には純血日本人以外排除するところがいまだに存在する。ある程度の年齢制限は仕方ないにしても新卒一括採用をやめて新卒既卒学歴も問わず採用試験を受ける権利を与えるべきだ。


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世界を不寛容にさせたIS
過激発言で知られるアメリカ共和党の大統領候補、ドナルド・トランプの人気は本当みたいだ。最新の世論調査によると支持は32%で共和党の中でダントツである。トランプは不動産王と呼ばれるビジネスマンだが、ビジネスマンだから支持されている面がある。アメリカは収入よりも支出のほうが多い国だから、ビジネスマンが必要と言うわけだ。パリ同時テロ事件に際してイスラム校の教会モスクを監視下に置くべきだと主張している。

 トランプはロシアのプーチンはおれに任せれば、オバマよりも交渉がうまい、と言っている。プーチンはエジプトの東部シナイ半島で起こったロシア旅客期は爆弾テロだったと17日に断定して以来、イスラム国(IS)に対する態度をがらりと変えた。猛烈な空爆を加えはじめ、世界をアッと言わせた。フランスと手を組み共同作戦に乗り出すようだし、アメリカとも協調するような気配をみせている。敵の敵は味方、という論法だ。

 ISは世界を敵に回し、国際ハッカー集団アノニマスは宣戦布告をした。ISは捕虜の
残虐な斬首場面をネットで世界中に流し、中世のイスラムの再現をねらうSNS時代のテログループだ。ネットにはネットでとアノニマス集団は戦いを挑むわけだ。フランスの原子力空母も23日臨戦態勢に入って、艦載機による空爆をはじめる。これによって空爆能力を3倍に高めたというし、IS包囲網はますます強固なものになってきた。

だがこれだけの包囲網を敷いても、ISを壊滅させることは不可能という見方が多い。パリ同時テロの首謀者はパリ地下鉄の監視カメラに写っていたし、市の人波にまぎれて都市に入り込んでしまう。難民にまぎれて進入した人物もいた。・武器調達はどうやっているのだろうか。資金は?メンバーの人数は?メンバーの国別内訳は?まだわからないことが多い。わかってどうする?という声もあるが、世界は壊滅に向けて団結する以外にない

ただパリ同時テロによって、欧米人は狩猟民族だと感じたひとも多いのじゃないだろうか。ぼくはそうだ。日本人はフランス・オランド大統領のような断固たる態度がとれるだろうか。オランドは支持率が7%上がったそうだ。フランスの空母に次いでイギリスも空爆を強化する。ついこないだまで、ウクライナ問題をめぐっていがみ合っていた欧米とロシアが急接近するなんてだれも予想できなかった。彼らは平気で殺戮を繰り返す。

ロシアのプーチンはシリアのアサド政権支持だが、ISは許せない。その1点において欧米と歩調は同じである。これで中東はロシア、ヨーロッパはアメリカ、アジアは中国とう3極体制が生まれるかもしれないとぼくは考えた。アメリカの大統領がトランプになったら世界はまた変容するだろう。トランプはIS対策として拷問の一種「水責め」の復活を主張しはじめた。ISは人間社会の不寛容性を浮き彫りにした。アメリカでは難民拒否の州が増えている。

1993年のソマリア内戦にアメリカが介入して失敗した『ブラックホーク・ダウン』というリアリズム実録映画がある。ブラックホークというのはヘリコプターである。これが民兵によって撃墜される。世界の大国はこぞってIS退治に乗り出したが失敗しないように頼む。

 

頻尿のぼくは女性嫌いかも?!
昨夜は珍しく夢の中に15期男子が出てきた。中身は忘却の彼方へ消え果てたが、紛れもなく相手は29周年パーティで話した15期男子だった。尿意を催し、爆発寸前に必ず夢を見るのである。目が覚めると同時に内容は忘れるが、人物は頭に残っている。どういうわけかすでに亡くなったひとも生きていた当時のままでてくる。いちばん登場するのは昔の社会部の仲間である。それも現役時代あまり親しくもなかった東大出のHだ。

 尿意と夢とがどういう関係にあるのか知らない。ぼくは老人だから膀胱が硬くなって、膨らまない。若者はまだ柔らかいから老人みたいに切迫感にさいなまれることもなく、尿の収容も多量である。ぼくなんかの歳になると、夜中に数回は起きねばならない。頻尿で困るのは旅をしている最中だ。昼間でも頻尿だ。だから電車はトイレのついた車両か、その前後と決めている。都内の通勤通学電車にはないので駅のトイレの場所は調べている。

ぼくは京王線を利用しているが、京王の駅はどこもきれいだ。大の場合、脚の不自由なぼくは和式でしゃがむのも立ちあがるのも難行苦行であるから洋式でなければならない。たいてい洋式のほうから使用中となるから、飛び込んで空いているのが和式だと、泣きたくなる。和式で中途半端に腰をかがめると、太腿ががたがた震えて紙の使用が困難を極める。ちなみに神保町駅の男子トイレは和式である。我慢して着いたら思い知った。

車を運転していた70歳までは別に頻尿でもなかった。運転しているとどこかに道の駅やパーキングエリアやコンビニがあるから、不自由をおぼえたことはなかった。70をすぎてから膀胱がすぐ満杯になるから頻尿になる。昔アメリカの肉体大女優マリリンモンローが来日したことがあるが、車に尿をするためのバケツを後部座席に積んでいたという。病気の頻尿だったとJTBのひとから聞いた。車を停めさせて畑でしたという。

マリリンモンローは稀有なセックスマシーンと言われたケネディ大統領と関係があったらしいが、ここではそれは関係ない。関係ないことのついでに女性記者は膀胱炎になると言われていた、という話をしよう。張り込みで長い時間我慢を強いられたから膀胱炎が職業病になった。ペン森のOGに聞くとコンビニにとにかく寄って無理矢理出してから張り込むという。コンビニはそういう意味でも人助けをしている。話が飛び散ってしまったね。

ぼくが恐れているのは夢が立派なブレーキ役を果たしているから、寝小便状態にならないのだが、ブレーキ役を果たさなくなったらどうなるのだろうか。寝小便をしてその生温かさの不快さで目が覚めるのだろうか。あるいはそのまま眠りつづけているのだろうか。どうにも気になる。幸い女性とベッドをともにすることはないからぼくの弱点を知られる心配はないが、問題は昼の尿もれがいつ来るかわからないことだ。

と言うわけでこのところ漏れ防止の老人用のパンツの広告がやたら気になる。通販で買ってみようかと思ったりする。ブレーキ役の夢には女の子は登場しない。男ばかりだ。ぼくはほんとは女性嫌いかもしれない。まさか。



 


パリ・テロの3紙報道は大同小異
先週の土曜日11月14日は100人余が集まってペン森20周年記念パーティを開かれた。幹事グループの見事な采配で3次会まで無事終えた。幹事が神保町のビジネスホテルを手配してくれ、酔って、そのままホテルでダウンした。土日のホテルは外国人観光客に占められなかなか当日予約が取れないらしいが、ダブルベッドに一人寝た。翌朝のロビーには中国人、東欧人米国人が目立った。ロビーには読売新聞が無料でおかれていた。

翌15日は朝毎読ともに日本時間14日早朝のパリのテロを1面社会面はもとより紙面を動員して大々的に報じていた。家に着くと購読紙の朝日、毎日が読める。日曜日の空いた車内で読売を堂々と広げる。2,3面見開きで「無差別テロ市民標的パリ再び惨劇防げず」と白抜きのヨコ見出しの下の2面に「仏、対テロ見直し必至」と4段のタテ見出し、その横にテロ問題研究者、ロレッタ・ナポレオ―ニの聞き書き囲み記事を掲載している。

その囲み記事の見出しは「仏の治安機関大失態」となんだか紋切り型の事件見出しである。記事は「中東を安定化させる以外にテロ攻撃を減らす道はない」と上からの目線で結んでいる。ここは「中東の安定以外にない」とでもすべきだろう。国際面でも8面まるまる使って写真グラフを載せている。9面は各国の反応など。10面で「欧州覆う過激派の影」とひねりのきかない見出しで特集を組んでいる。11面に3専門家の見方が登場。

3人の中でなるほどと世界史の復習になったのは元イラク公使、宮家邦彦の発言。「より長い時間軸で見ると、背景には中東と欧州の力関係の変化、特に欧州の弱体化があるのではないか。イスラム世界とユダヤ・キリスト教世界との歴史的な対立が新たな段階に入ったとも言える。シリア、イラクなどの国境線は第一次世界大戦の勝者であるフランスや英国が秘密協定で引いたものだ」。社会面も見開きで現象や事件を詳報している。

情報源が限られているせいか、事件報道がパターン化しているせいか、新聞の送り手側の古色蒼然とした判断のせいか朝毎読ともに似たような紙面である。対症療法的な対処法や指摘が多い中で奥行きがあったのが毎日外信部長、小倉孝保の囲み記事だった。内容は宮家元イラク公使の歴史的な背景説明をさらに詳しく述べている。第一次大戦は西洋がオスマン・トルコ帝国を破りイスラムへの優位を確立した戦争でもあった、と前置きする。

「パリ同時多発テロはこの1世紀にわたるイスラム教徒の屈辱感に、民主化要求運動『アラブの春』以降の中東情勢の変化などが影響して起きた大悲劇といえるだろう」と小倉は続ける。イスラム教徒が西洋に抱く屈辱感はオスマン帝国崩壊(1922年)後、中東地域の多くが英仏の植民地となり植えつけられた、という。日本でも幕末の怨念が福島会津と山口長州にいまなお残っていることを思えば、宗教がらみのこの怨念は根深い。

朝日を開いておっと思ったのは、社会面の記事をつぶして写真グラフにしていたことだ。ほかは大同小異。朝日が一番情緒的な印象で、毎日は底力不足の感じがした。読売はちょっと芸がなく、国内事件報道の域を出てない。攻撃→報復の連鎖は平和第一の現代日本人の理解を超える。こういう場合、やはり映像で迫るテレビは強い。何回も同じ映像が流れうんざりしたが。




女子生徒が援交しない日本に
「日本の女子生徒の13%が援助交際を経験」と国連の特別報告者が述べた。これは裏付けなしとして幕引きとなったが、ひどい報告だ。生徒と言うからには中学生か高校生のことである。ご存じのとおり、生徒は高校生まで、専門学校生や大学生や大学院生は学生と呼ぶことになっている。高校時代を振り返って「学生時代」と言うのは間違いである。それにしても13%が援交体験者だとは、いかなる調査に基づくのだろうか。

 ペン森にも援交体験者がいたが、これは大学生のとき弟の学費を稼ぐためだったという。援交の仕組みや流れはその子の作文によって知った。言葉だけは知っていたがどのような方法で行うかは不案内だった。ぼくはそっち方面の関心はあるし試してみたいとも思うが、実際は実行が伴うことなくすこぶる弱い。通じてないからと言って困ることは一切ない。機能を失った老人だからでもあるが、昔から倫理的道徳的だったからでもある。ホント。

 ペン森ではけっこうセクハラまがいの発言をするが、これでもいやらしくない程度に抑えているのだ。社会に出るとセクハラまがいではなく、セクハラそのものがいまなお横行している。戦後の日本社会は男の論理によって仕切られてきた。現にぼくのような古いタイプの人間は、女性をあまり信用しないどころか、上下関係では常に下に見る傾向がある。会社に電話して相手が女性だとつい男性を出してくれと言いそうになる。

 とりわけ男社会の警察、消防、自衛隊、建物や道路の作業員、企業の管理職などは男社会である。職務上は建て前として女性の意識や考えを尊重するが、実質は男社会だから女性からするとセクハラの巣窟であろう。ペン森の女性たちが記者になってまず最初に受け持つのは警察である。女性警官も大勢いるものの、彼女たちの中にも被害を受けているひとがいるはずだ。ペン森の卒業生の気の強い女子は堂々とやり返すというから頼もしい。

 こう言っちゃなんだが、ぼくのセクハラまがいの発言は記者になってから体験するであろうことを予想して経験を積んでもらうためでもある。もっとも、体験受講にきてセクハラまがいの発言のラッシュに嫌気がさしたのか、ウンもスンもなく来なくなった女子もいるから調子に乗ってはやばい。最近はペン森らしく難民の問題をはじめ日本が抱える貧困や差別や偏見や少子化や高齢化について意見を戦わすこともすくなくない。

 安倍政権は女子の活躍を意図していたはずだが、このところ1億聡活躍とか希望出生率1・8とか介護離職ゼロとかGNP600兆円とかを見聞きするばかりで、女性の登用はどこかへ消えた。想像は現実を超えることはないと言うが、夢のような発想と批判の多い安倍の想像も現実に根ざしていると思いたい。「嬉しがらせて泣かせて消えた」という演歌の歌詞があるが、どうもその歌詞どおりになりそうだ。日本はどんどん息苦しくなっていく。

 女子中高生が援交で稼いでいるかどうかは知らないが、そうやって女子が金を手に入れる社会は不健全不健康だ。ぼくは下流老人だが、夢よもう一度の600兆円の成長経済はもういらない、貧富の差が拡大して、ほんとに女子が援交をしなきゃ生活できない家庭が増えるだろうから。

 

ぼくの恋愛論を聞いてくれ
 北野武の『新しいい道徳』という本はすばらしい。子どもに対する愛情に満ちた内容だ。年寄りは自分の考えを子どもに押しつけるな、と強調している。「古くさい道徳を子どもに押しつけたって世の中は良くなんかならない。そんなことより、自分の頭で考え、自分の心で判断できる子どもを育てる方が大切だろう」とあとがきで言っている。「そのためには、まず大人が自分の頭で考えることだ。道徳を他人まかせにしちゃいけない」

 「それがいいたくて、この本を書いた」という。だから、「最初にお願いしておきたい」とことわる。「他人のいったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑みにする性癖のある読者は、ここですぐさま本をパタンと閉じて棄ててしまっていただきたい」と。自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたことを書きなさいとぼくが作文のネタさがしの心得やその生かし方を言っていることと変わらない。

たけしのホンネの本でもある。ぼくはビートたけし名で書いている新潮文庫の「悪口の技術を」を読み終えたばかりだが、これもおもしろい。こっちのほうは新聞ネタというか、時事的な話題を俎上にのせて小気味よくぶった斬っている。時事的な話題といってもSMAPの稲垣の澁谷事件やブッシュ、サダム・フセインがでてくるから中身の素材はかなり古い。この本でぼくが気に入って笑ったのは「究極の『恋愛論』」であった。

たけしはこれを書くためにスタンダールの『恋愛論』をあわてて買ったらしいが、「期待したほど面白くない」と嘆いている。「恋愛を分類したり、分析したりして何が面白いんだ」。「恋愛はまず『見た目』からだよ。(中略」でなきゃ、ファッションヘルスとかの性風俗は成り立たない。女の子の顔を見て『おっ、この女がいい』って選ぶわけだからね」と述べて続ける。「結局は相手を自分のものにしたい、異性を所有したいという欲望があるだけ」

 ぼくは恋愛論は読んだことがない。読もうと思ったこともなかった。恋愛はそこそこ経験した。第一、ペン森が20年継続してきたのもぼくが恋愛体質だからだと思う。男女関係なく若者に軽い恋をしてきたからペン森に熱中できるわけだし、長続きしてきたわけだ。「軽い」というところがミソである。重かったら大変消耗するにちがいない。七つ下がりの雨と四十過ぎの道楽はやまぬ、と言う。道楽を恋と言うこともある。

 ペン森はぼくにとって道楽でもあるし恋の相手でもある。七つ下がりと言うのは午後4時すぎの時間帯だ。ぼくがペン森を開設したのは57歳だから、どちらかと言えば老いらくの恋だが、いっこうにやまないのは、半分は若者の作文添削が好きだからである。添削は37歳からやっていた。ペン森ゼロ期の古いメンバーよりも前だ。いまは途切れているが、50代まで現役大学生との付き合いをたやしたことはない。
 
そういう意味ではたけしの考えとはちょっと違う。異性を所有したいという欲望がからきしないからだ。ペン森の異性に好ましい子もいるにはいるが、さすがに所有したいとは思わない。21期生に可愛い子はいますかとOBに聞かれるが、彼らにもまだむきだしの所有欲望はないようだ。


いまほどおもしろい時代はない
 きのう11月5日は喜寿77歳の誕生日だった。もちろん、人生はじめてである。芋焼酎を各種もらったので、飲み比べが楽しみだ。洋カン、かりんとう、芋けんぴと甘いものももらった。甘いものを焼酎の肴にして飲むのもオツなものである。ぼくの好みを知っているペン森生だからこそのプレゼントだ。ぼくはいわゆる乾きものはほとんどつまみにしない。果物と甘いものがいい。糖分の摂りすぎという指摘もあるが気にしない。

芋けんぴのおいしさにうなったのは、頭がよく可愛い大好きな女子の好物だったからだ。つられてぼくも好きになった。食べ物はふとしたきっかけで、それまで食わず嫌いだったのが食べてみたらおいしいという体験が何回もあった。たこぶつなんて、飲み屋で見かけても見向もしなかった。それがどうだ。いまでは家でもペン森でもせっせと食べるようになった。好きな食べものはうなぎとラーメンにつきるが、昔ほどこだわってない。

 主食もご飯からパン食に変わりつつある。この変化も年をとってからだ。その前は当然ご飯であった。パンなんかくそくらえ、と思っていた。ご飯は味噌汁に納豆があれば十分である。ぼくが田舎育ちで太平洋戦争末期をくぐってきたせいもあるだろう。農繁期には学校が休みになった。当時「お百姓さんありがとう」という歌もあって、ぼくら非農家は身を縮めるばかりだった。戦後まもなく日本はまだ農業人口の多い農業国だったのだ。

パンはアメリカの農業政策によって日本に広まった。余剰の麦を放出したといわれる。ぼくはいまでも牛乳が苦手だが、これは脱脂粉乳を飲まされたのが原因だ。バケツに入れた脱脂粉乳をひしゃくですくって、器に注いでくれたのを飲む。なんともまずい。これで牛乳嫌いになった高齢者も多いにちがいない。ぼくは芋焼酎派だが、その原料たるさつまいもはいまだに食えない。戦争末期から敗戦直後にかけてさつまいもが常食だったからだ。

都会では庭にかぼちゃを植えていたらしい。ぼくが育った田舎の家の畑は200坪あったが、トウモロコシ、サトウキビ、さつまいも、トマト、ナスなどを育て、ほとんど自給自足だった。コメだけは買っていたようだ。おやじは林業を営んでいたせいで薪はふんだんにあった。薪割りは日常生活に溶け込んでいた。ご飯炊きは小学生のぼくの仕事になっていた。もちろん薪でご飯を炊いたのである。長い中断があるがめし炊き歴は古いのだ。

もちろん、はじめちょろりょろ中ぱっぱ、赤ん坊泣いてもふた開けるな、の精神は守った。コメのとぎ方も知らない最近の女子に比べたら自活能力はかなりあるだろう。自活能力が身についた背景は、社会の不安定や不安不幸、非文明的未発達であった。いまでは「ひもじい」という言葉さえ死語になった。腹が減ってひもじさに耐えきれず。犬のくそまで手づかみで食べた浮浪児もいたのだ。現在は豊かさのなかの不幸不安不満である。

パートや派遣など非正規の労働者が全労働者の4割に達したという。ぼくが大学生になったころ大学進学率は10%足らずだったが、卒業後はみな正規社員として就職した。終身雇用は日本的経営と自慢していたのも、いまは昔だ。だが能動的前進的に生きようとすればいまほど変化にと富んだおもしろい時代はない。



 

男と女と出会いと別れ
 10月31日11月1日の土日、ペン森OBOGと伊豆へ行ってきた。宿泊はぼくが会員になっているルネッサ城ヶ崎。コテージ3棟に15人が泊まった。そのコテージは1棟ごとにかけ流しの温泉が備えてある。ぼくは気にいっていて年2回は行く。自然の温泉がぼくにとっては熱いのが困るが、水でぬるめて浸かる。メンバーズカードに押してくれるスタンプがもうまもなく満杯になる。すると1泊無料で宿泊できる。

 ところが今回はぼくの名前で申し込んでなかったので、スタンプは押してくれなかった。どうやら異動があったようで、常連のぼくを知っているひとがフロントにいなかったようだ。9月に行く予定があったのだが、大雨で当日キャンセルした。「今度5,6人でいきますから」と係に伝えていた。5,6人どころか総勢15人で押しかけたからキャンセルの電話を受けた女性がいたら、なにかと便宜をはかってくれただろう。

 フロントには見知らぬおじさんが座っていた。親会社を定年で辞めて再雇用されたか早期退職者だろうと思った。えてしてこういうおじさんは融通がきかないことが多く、現役時代は上司も部下も扱いに困惑していたはずだ、と想像をたくましくしてただ車に乗って待っている無聊をなぐさめた。運転してくれるのは、10期生か11期生のとき同じく伊豆を旅した際、ぼくと交代してハンドルをまかせた12期某くんである。

 この某くんは運転が下手くそで11期の合宿で山梨へ行ったときの帰り、田園の中の有名な蕎麦屋の駐車場で接触事故を起こした。日本海沿いに北上して秋田へむかったとき日没を迎え対向車がランプを点灯しはじめていた。運転手の彼もランプをつけたようだったが「東北は道路も暗い」と独りごとを言う。暗いはずだ、スモールランプしかつけていなかったのだ。「ポチポチと2回押さなきゃ主ランプはつかないよ」

 その彼が見違えるくらい巧みに運転して国道135号を帰路についていると、熱海の伊豆山で見えた白亜のマンションに1期生3期生と合同宿泊をしたことを思い出した。1期生女子が飲みすぎてダウンして押し入れで寝たことがあった。あれやこれやと思い出の多い伊豆だが、ぼくはゼミをもっていた中大のゼミ生ともよく訪れたので、多少思い出は混乱している。旅はプランの段階が楽しいというが、すぎてしまえば夢のようである。

 20期生のなかにはいま現在外国旅行中の者もいる。伊豆には2人連れで四国へ自転車旅行をした1人も参加していて、ぼくは今治のタオルを土産にもらった。生涯会うこともないような若者同士がペン森で出会って友情を深め、一緒に旅をする。ぼくはこんなときペン森をはじめてよかったと思う。車の免許を放棄してから、とんと旅をしなくなった。脚が不自由な老人になったせいもあるが、旅が思い出だけになったことは哀しい。

 人生は男と女と出会いと別れである。人生にとってペン森は男と女と出会いのいっときである。若者にまだ別れはない。卒業旅行も再会の望みがあるから別れではない。ぼくは明後日喜寿77歳を迎えるが、旅の思い出には浸っても、21期生と出会ったし、別れはさらに先の先だ。





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