ペン森通信
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披露宴にはよばないでくれ
卒業生の14期女子からいわれた。「先生が1年でおじいさんになった」。いうまでもなくぼくは老人だが、去年あたりから急速に老化が進行しはじめたような気がする。これはいかんと思っても、自分ではいかんともしがたい。とくに左脚が徐々にしろ、確実に退化してゆく。10数年前に患った脳梗塞の後遺症がいまになって出てくるとは考えてもいなかった。後遺症かどうか診断を受けたわけではないが、それ以外思いつかない。

 想定外のことはペン森生の結婚もそうだ。先週、ペン森20周年について知り合いの雑誌編集長のインタビューを受けたが、披露宴によばれるのはうれしいが年金暮らしにはご祝儀が痛い、と愚痴をこぼした。いわゆるご祝儀貧乏である。ご祝儀はいただけませんので、とわざわざ披露宴の前夜に電話してきた女子もいたが、まさか身ひとつで参加して酒をばかすか飲むわけにもいかない。そこはやはり3万円ないし5万円でお祝いする。

近年、披露宴に行って部屋を探していると係に必ず聞かれる。「ご親族のかたですか」と。
ぼくは恩師という立場になるのだが、こんな老人の恩師もいないようだ。ときどきほんとにまれに見かける新郎新婦の高校大学時代の恩師はぼくより若いのだ。だいたいいまどき恩師とよぶような先生との関係を学校時代に築くことはないのだろう。その点だけはマスコミの就職がからみ、つまりは生涯に影響を与えるペン森ならではの特殊性である。

 披露宴出席は多い年で10組少ない年で3組だ。会場が遠方にすぎると欠席だが、欠席は案外少ない。これまでは沖縄と鹿児島の奄美大島だけである。東京や近県で披露宴をやってくれると非常に助かる。今年はあと9月と10月の2組だけであるから、気は軽い。とはいえ、6万円から10万円を貯めることができるかどうかだが、これは夏まで節約にいそしめばなんとかなるだろう。転倒しないために軽量の靴を買いたいが来年にする。

 まだ何人も結婚候補者が控えているが、披露宴出席は今年の2組が最後になるだろう。来年なると、脚はさらに悪化していると思う。今年3月1日雨の日、披露宴に行く途中家の近くで転んだのをはじめ、3月に3回転んだ。3回目は帰路の夜やや暗い道で左脚が路上の突起につまずいた。転ぶとそのままでは立ち上がれないので、仰向けにされたゴキブリのように脚をばたばたさせるだけである。通りすがりのサラリーマンが助けてくれた。

 結婚には未来と希望があるがそれだけではない。子どもを授かれば社会の再生産に寄与できる。そう考えるからこそ、披露宴は老人にとってはまさに世代交代という意味合いを深く感じる。ぼくの年齢になれば自ら再生産はありえない。次代を担う子を再生産できる若者を輩出する仕事に精を出すのみである。9月の披露宴では一言しゃべるらしいからあまり飲まないようにしなければ。ばらばらに生きる卒業生と同席できるのがうれしい。

 最近は「おれを結婚式によばないでくれ」とペン森生に言っているが、来年からはそれが現実になるだろう。よぶなと言ってもよぶひとが出てきたときにどうするかだ。1組OKしたらずるずると崩れそうだし、さ。そこは意思固くいくぞ。
 

 

 

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田英夫の評伝を書きたかったが
橋下徹は政界から去る。マスコミをにぎわせた問題児というか革命児が消えてしまうのは残念だが、本人の弁だから仕方ない。決してぼくは好きではなかったけど、これで安倍がもくろむ憲法改定が遠のいて、それだけは嬉しい。敗れ去ったこの大阪都構想と橋下をどう思うか、ぼくは亡くなって月日がだいぶすぎた田英夫に聞いてみたかった。ぼくはやり残したことがあって、それは橋下以上の風雲児田英夫の評伝を書くことだ。

当然、本人の了解もえていたから、あとはインタビューを重ねて執筆して本にするだけの手順だった。ところがぼくが脳梗塞で倒れてしまった。インタビューどころではなくなった。田自身も腎臓が悪く1週間に2回人工透析を受けていた。ぼくの脳梗塞は比較的軽く3週間足らずの入院ですみ、後遺症も大したことはなかった。田の腎臓は1生ものの病気である。もともとやせ形の体型だったが、みるみる痩せて痛々しくなっていった。

田はJNNスコープ(TBS)の初代ニュースキャスターである。ベトナム戦争時北ベトナムに入り市民は通常と変わらぬ生活をしていると「ハノイからの報告」を行う。この反米的な報道が自民党の逆鱗に触れ、TBSの社長が自民党によばれる。表向きはそうではなかったように糊塗されたが、田はニュースキャスターをクビになる。それが1968年であった。71年に参議院に立候補して192万票を獲得しトップ当選を果たす。

田の晩年にぼくは付き合いがあったが、いかにも男爵の孫らしく上品で穏便な人柄だった。最初は社会党議員で社会党を除名になって社民党の党首になる。国会議員になって田中角栄になにかの陳情がてら面会すると封筒を渡された。持ち帰って中を確認すると100万円の札束がはいっていた。ぼくが田の評伝を書くむね毎日新聞の岩見隆夫に伝えると、情報はいっぱいあるから教えるよと言われた。100万円の件を岩見は田から聞いていた。

ぼくが田の名を聞いたのは第一次南極越冬隊の代表報道記者だったからである。NHKのラジオから田の声がよく聞こえてきた。田は東大経済学部の学生だったが、学徒出陣で応召され、海軍の特別攻撃隊員(特攻隊)として宮崎県で出撃を待っていた。出撃の前に敗戦となって命を散らさずにすんだ。戦後、共同通信にはいり1960年に社会部長となる。後年、歴代の社会部長たちが会をもってよく囲んでくれる、と田は喜んでいた。

その田が2001年に勲章を授与される。参議院議員が30年と長かったからだ。ところが朝日の有名な元記者は勲章(勲1等旭日大授賞)をもらったことが腹にすえかねると言っていた。ぼくは田や岩見らとともに「子ども平和基金」という任意団体をつくって戦火のアフガンの子どもたちを支援する活動をしていた。元記者にも加わってほしいと頼んだが、断られた。左翼陣営でがんばった田さんが勲章を受け取ったのが気にくわない、と。

いまの学生諸君は田英夫を知らないだろう。温和なひとだったが、骨っぽいところがあった。一流のジャーナリストだった。最後のころ田英夫は過去を捨てるかのようにジャーナリストとだけ名乗っていた。ぼくも朝日元記者同様勲章を受け取ったのは唯一の汚点ではないかと思っている。なぜ勲章を受けたか問い、橋下のことを聞いて、評伝に書きたかった。





空気に染まって流されるな
一番若くて70歳という会合に先週土曜日参加した。参加者11人のうち酒飲みは7人、さすがに喫煙者はいなかった。ぼくが社会部にいた当時の社会部長の卆寿を祝う会。この種の老人の集まりには病気や薬自慢がつきものだが、平安時代の源氏物語の話がはずんだ。だれが訳した源氏物語だかわからないが6巻までいま読み進めているという者がいた。ぼくは読んでないが、光源氏の女遍歴がとっかえひっかえだったことは知っている。

宮本常一の『忘れられた日本人』の中におさめられている「土佐源氏」を読めば、源氏物語が好色な作品であることくらいはわかる。橋の下に居住する目の見えない老人の思い出話を聞き書きした「土佐源氏」もおおらかな性遍歴だから、平安時代の本家本元もさぞかしおおらかだろう。いまどきの窮屈さ息苦しさとは無縁のものにちがいない。出席者のだれかが「むなしい小説」と評していたが、これは老境に達した者の感壊である。

出席者11人は元部長が陸士出身だが、東大法卒という資料もある。本人に確認したことがあるが「陸士出は希望の大学学部のどこへでもいけた。ぼくは東大法の希望を出してそのままにしておいた。それが残っているのだろう」とのことだった。戦前の最難関陸軍士官学校は戦争中も優遇されていた。会合の席で元部長は「陸士にいたおかげで食事に困ることはなかった」と振り返った。戦中敗戦直後の食糧事情の話が出たときであった。

集まった老人たちはかつてのゴルフコンペをしていたグループだが、泊まりがけでゴルフをするほど仲がよかったのはいっしょに苦労した社会部ロッキード事件取材班の仲間だったからである。ところがぼくはその取材班には加わっていない。社会部員を実名で登場させた『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社=絶版)という本のまとめ役だったにすぎない。この本は映画化やテレビ2時間ドラマ化の計画があったが、立ち消えになった。

映画は監督やキャストまで決まってぼくは台本を預かっていたがなくした。テレビ化は取材班の主だったメンバーが持っていたカバンや筆記用具、編集局各部の配置など3日間にわたって取材を受けた。実現しなかったのは政治的な圧力があったか自粛かは知らないが、なんらかの政治的な作用によってだめになったのは確実だろう。なにしろ総理大臣をしていた田中角栄が東京地検に逮捕された大事件だった。「政治とカネ」問題のはじまりだ。

元社会部長は剛毅な人だ。当時の社会部員もホネがあった。最近のペン森生とそこが大いに異なるし、ぼくが一番気がかりなことでもある。ぼくらの時代は社会の矛盾や政治に対して鋭く反応した。20期生は優しい。素直である。が、面接官はどう思うだろうかと気に病みすぎる。自分を出すより相手に合わせようとする。大きいものにはそんなに同調しなくていい。自分の考えていることを言って自分らしさを表現すればいいのだ。

権力者の考えそうなことを忖度している意見に疑いもなく同意するのは危険である。山本七平に『「空気」の研究』という名著がある。論理では抗えない空気が醸成されるとみんながその空気に流されてゆく。それを戦艦大和の特攻出撃を例にとって記述している。メディアは安倍の空気に染まっていないか。内定に焦るメディア志望者よじっくり考えろ。




次に日本は中国に依存する?
『文明の衝突』で有名なハンチントンだったと思うが、日本について以下のように著書で言っている。「日本はかつてイギリスに頼り、次いでアメリカに依存してきた。今度は中国に身を委ねるだろう」。現在は軍事力が衰えてきたアメリカを自衛隊で補うような日米首脳会談であった。もちろんこれは中国の台頭を意識して日米のタッグの強さを世界に示したわけである。ハンチントンの予測は何年か先にそのとおりになるのではとぼくは思う。

いま井上靖の『天平の甍』を再読している。中国へ遣唐使として派遣された若き留学僧が鑑真和尚に渡日してもらう内容である.鑑真は学識の深い宗教人ゆえに渡来を惜しまれて密告されたりするが、日本に渡って教義を広めたいという意思は揺るがない。当時は漂流・難破が待ち受け死を覚悟しなければならない船旅を強いられた。鑑真は渡来を5回失敗する。その間約10年、失明してもあきらめず、753年現在の鹿児島県坊津に到着した。

ペン森で「外国人」と言う作文の題をだしたところ、万葉集を引き合いに出して「奈良時代末期のこの雑歌集は大陸から伝来してきた漢字による表現で成立している。日本は外国文化を取り入れ外国人に学ぶことによって発展してきた」と論じた者がいた。幕末は長州も薩摩も最初はゴリゴリの外国人排斥派だったが、両藩とも外国と戦ってその文明に触れて驚き、やがて尊王の開国派へと転換していく。外国とは欧米だった時代である。

乱暴な言い方をすると、アフリカではじまった人類の歴史は時計回りで発展してきて、今ようやく中国、東南アジアに到達しつつある段階だ。中国もアジア諸国もまだ先進諸国並みの文明を享受するには至らないが、すごい勢いで発展している。ヨーロッパよりもアジアである。ぼくは日本から進出してきた日本企業の従業員とその家族を読者にもつ「じゃかるた新聞」を勧めるが1,2名の語学達者を除いてペン森生は興味を示さない。

ぼくが思うに欧米の隆盛はもうか終わった。明確にその像が大きくなっているのはアジアだ。ところがいつまでも欧米にコンプレックスを抱き、とりわけフランスに対する片思いはまだひどい。日本海外進出企業上位10位の中でアメリカが4位にランクインしているが、あとは全部アジアだ。中国が断然多いものの撤退する企業も目立つ。1位中国続いて2位はインドネシア、3位タイである。日本人はアジアに偏見をもっているのではと思う。

中国も少子高齢化に悩み、やがて落日する運命が見えている。落日の前にアジアを経済で支配しようと独自のインフラ投資銀行(AIIB)を発足させるが、予想どおり日米は参加しないもののヨーロッパの有力国がこぞって参加を表明した。これで中国の出資比率は下がりその分アジアでの影響力も小さくなる。遅ればせながら日本も中国の出資比率をさらに低くするためにアメリカと相談しつつ参加するかもしれない。

どうも日本はアメリカと一蓮托生であることを安倍訪米ではっきりさせた。まだ国会審議もへていないのにアメリカの両院で安保法制の実行まで約束した。野党は存在しないかのような独裁総理である。アメリカの言いなりになるこの総理も将来に禍根を残すかもしれない。



 





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