ペン森通信
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反原発報道の東京新聞人気
 愛川欣也が亡くなった。愛川が「私はあなたの街の宣伝本部長」と前振りをするテレ東の『アド街』が好きで土曜日の夜9時にはいつもテレビの前に陣取っていた。ついこの間まで元気に司会をしていたのに訃報を聞いて高倉健や菅原文太以上に驚いた。愛川は菅原と映画『トラック野郎』で組んだが、2人とも核の発言を繰り返していた。愛川によると「日本人は唯一の被爆国民として被爆国はもういらないと言いつづける責任がある」。

 愛川や菅原のように反原発に通じる発言をするタレントは週刊新潮が目の敵にする山本太郎くらいのものだ。でも山本はたいして影響力がない。その志が揺らがないことは立派だが、言うことがわかっている分またかという感じがつきまとう。意外性がない。そこへいくとこれも亡くなっている三国連太郎は太平洋戦争の徴兵を嫌って逃げ回った。一種の徴兵拒否である。まさに堂々たる非国民であったが、つかまって兵隊にされた。

 現在、安全保障法制をめぐる論議の最後の詰めが与党の間で行われている。閣議決定から国会審議と逆コースの決定がされて、自衛隊が東シナ海に派遣されそうだ。日本の曲がり角であるが、この問題がペン森で話題になることはない。大半の国民にとって身近な問題ではないし、難しくとっつきにくいのだろう。ぼくもよく知らないが、興味や関心がないと言っている間に、米国と共同防衛する東シナ海でドンパチがはじまるかもしれない。

 自衛隊の出動について新聞は「派遣」と言うことばを使うのだろうか。ぼくはこれは「派兵」だと思う。自衛隊は発足当時、戦力なき軍隊といわれた。戦車を特車とだれかが言いくるめた。敗戦を終戦と言うが、自ら侵略しておいて自分をらち外におくような無責任な表現はない。「安倍首相は70年発言で日本は侵略したのだから侵略という言葉を使ってほしい」と政府寄りの発言の多い有識者会議の座長北岡伸一は言っている。

 ペン森で安全保障法制が論議の対象となるとすれば、この大事な問題は必ず筆記試験に出るという緊迫性を伴ったときだ。これははっきり出るだろう。政治部が出してくる。原発の再稼動に対する仮処分申し立てについても出るだろう。大飯原発3,4号機の再稼動差し止め申し立ての仮処分を福井地裁が14日日認めたが、川内(せんだい)原発1,2号機の差し止めは鹿児島地裁が22日逆に認めなかった。川内は7月にも再稼動する見込み。

 この福井地裁の判断について朝日はとたんに息を吹き返したように元気な報道をした。鹿児島地裁の政府寄りの判断には読売がそれ見たことかと反応した。福井地裁のほうが再稼動反対だから、賛成よりも報道価値があるとぼくは思う。新聞というかジャーナリズムは大きな流れに棹をさして、愛川や菅原や三国のような言動に好意をもつ。ましてや1強支配のこわい政権だ。メディアは大勢に与せず少数意見をくみとったほうが身のためだ。

 ペン森で断然人気が高い新聞は東京新聞である。ぼくは20年以上前東京新聞に「新聞を読んで」のコラムを書いていた。当時、特報面だけが特徴的であとの紙面にはさして特徴はなかった。紙面が変わったのは福島原発事故からである。流れに棹をさす原発報道姿勢にマスコミ志望の若者は意を強くする。
 

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100万円も1円の積み重ね
ジパング倶楽部といっても若い人は知らないだろうし、まだ利用できない。男性65、女性60歳以上になってはじめて会員になれる。JRが201キロ以上利用するなら、料金2割引きの短期の試用期間をへて3割引きとなる。高齢者にとってはとても便利で助かる。ぼくは65歳になってすぐに個人会員になった。3割引きを使って孫娘の高1当時から年1回ほうぼうへいっしょに遠出した。いまその孫も大学4年の就活生となった。

 孫娘と出かけたのは秋田男鹿半島、広島原爆ドーム、徳島阿波踊り会館、京都33間堂、
金沢近江市場、飛騨高山の飛騨牛食し、三陸被災地などだ。もちろんぼく1人かだれかとほかへも行ったが、仔細には憶えていない。ジパング倶楽部会員は更新料3700円くらいで6月に更新する。去年の6月に更新してから1回も利用してない。孫娘とは去年は九州周遊を計画していたが、ぼくの体調が思わしくなく、実現しないまま流れた。

 このまま経過すればまったく利用しないまま更新時期をむかえそうだ。マイカーを手放したのが70歳すぎ、それまで東北を中心に本州各地をめぐっていたのだが、パタリと各地の道の駅とも高速パーキングエリアとも縁が亡くなった。趣味のローカル線も孫と秋田――青森・弘前の海岸のすれすれを走る五能線に乗って津軽三味線を車内で聴いたのが最後。すっかり行動が鈍くなってきた。こうしてどんどん老化退潮してゆくのだろう。

 退行現象がすすんでいった果てに引きこもりがはじまる。と行く末を予想しだすとまことにやるせない。最近、土日だけの休みでは足りなくなってきたように感じる。疲労が蓄積されているのだろうと家人は言う。休んだあとの月曜日は体が軽く杖を必要としないくらいだが、金曜日の夜は体が重い。幸い、頭は以前のような回転はしなくなったとはいえ、まだ比較的まだ明瞭だ。だが、作文の添削がずさんになった気はしないでもない。

 もしかして学生のほうが変わってきたのかもしれない。ぼくは学生に100点は求めない。60~80点で十分だと思う。100点にするには40~20点が必要となるが、それは本人の可能性、潜在能力だと考えるようにしている。採用試験も可能性に期待をかける。学生は作文のどこをどう修正すれば100点になるかを知りたがる。ぼくは自分で思考して答えを見つけろ、という方針だ。学生は一気に答えがほしいようだ。

 それが顕著になってきたのは平成生まれが多くなってからとの印象がある。プロセス抜きの解答に慣れた世代である。作文は急に上達するものではない。天分のある者は別だが、たいていは努力と日々の研鑚によって力をつけてゆく。100万円も1円の積み重ねである。記者になってデスクや読者が納得する記事が書けるようになるには5年はかかる。ぼくは37歳が頂点だったと振り返る。入社してから14,5年を要している。

 ぼくは37歳以降は下り坂を下っているわけだ。下る途中でペン森を開設して、下るだけで上ることなく、学生と接してきた。若いひとに囲まれてきたせいで下るスピードは緩慢になった。だがいつ止まるかわからない。止まったら引きこもりになる。まだ止まりたくないから、きのうもきょうも上りのエレベーターは使わず、階段を1段ずつ上った。

 

老骨の生々しい青春
サクラは好きじゃない。春の盛りに散るからきらいだ。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは短編小説の名作とされる『檸檬』の梶井仁次郎だ。サクラをみる梶井は『檸檬』ではないが青春の不安、焦燥、憂鬱を感じるらしい。梶井の作品ではサクラがあまりに見事に咲いているのでそのように感じるというのだが、ぼくはサクラにはほとんどなんの感壊もわかない。あー咲いたか早々に散り去るなよ、くらいの気分である。

 もはや春はすぎて、初夏に近い。若芽どきである。ぼくの一番好きな季節だ。人生で言えば若葉は中高時代である。20代前半の悶々とした緑濃い青春をすぎて駆け足で夏という熟年がやってくる。あとはもうつるべ落とし。気がつけば中高年の秋の落ち葉にわが身を重ね、やがて裸木の寒々しい季節。ぼくはいま、その寒々しい季節に到達している。好きなのは季節も人生もまだ入り口にさしかかったばかり生命に満ちた若葉の季節だ。

 その点、ぼくはフィリピンで少女など1万2000人を買った元中学校長とは趣味が似ているのだろうか。でも完璧に異なる。元校長の場合70代の老女もいたという。それは醜悪にすぎる。仮にぼくが女好きだとすれば、高校生くらいの少女から大学生までの人生の入り口にいるころまでが好みだ。もっともそんな贅沢は言っておられない枯れ枝の年齢なので最近では20代であればすべて許容するようにしている。贅沢な好みだが。

 梶井仁次郎の『檸檬』はほとんど知らない。木の下に埋まる死体は知っていた。大学に入ってからも『檸檬』という漢字が「れもん」とはつゆ知らなかった。知ったのは不安、焦燥、憂鬱に悶々としていた20代前半のことだった。老齢に至った現在の不安、悶々には死への脅えが潜んでいる。同時に、20期生がみな無事に内定するだろうか、という一抹の疑念も混ざっている。心配のない作文達者もいるが、センスのない数人が気になる。

 内定をもらうには努力しかない。そのことを意識することなく作文を書こうとしない若者もいるが、後悔先に立たずである。肝に銘じてくれ、と言いたくなる。アルバイトで時間がないかもしれないが、そんなのは理由にならない。優先順位を考えれば、内定第一だろうに。ペン森は受講料の請求はしないうえ、夕食がただで食える。出世払いでいいし、ESも現役記者・編集者が懇切丁寧に見てくれる。いい塾だと自讃したいくらいだ。

 ペン森生の女子はみんなぼくの好きな瑞々しい20代前半。20代前半ではあっても、だれしも老齢に向かって移行してゆく。花のうちに将来の道筋を決めておこうと言うのが内定だ。この麗しい花は内定すればあと数十年咲き誇って、サクラのように春爛漫に散りゆくことはない。あと数十年咲き誇ることができるかどうかは、本人が数十年咲き続けるテーマややりたいことを情熱的に継続できるかどうかだ。前向きやる気プラス思考だよ。

 ぼくは若い時分から若者や世相、異文化に関心があった。異文化はアメリカの有力週刊誌に関わってある程度実現した。若者はペン森を開設することによって記者時代から継続している。世相は若者に付着してくる副産物のようなところがあるが、デジタル関係はちょっとお手上げ。でも20代前半と日常的に接していると精神は生々しい青春なのだ。


 

 

 


思いつくままにだが、読んでくれ
予報が当たって、本日4月8日はめっぽう寒い。千葉県の銚子は降雪が90年ぶりの記録更新だって。わが家はぼくのジャンパーがまだそのままだったので、きょうはそれを着用してきた。電車の中は暖房がほしいくらいだったが、冷暖房OFFで冷え込んだ。家を出るときはみぞれで皮手袋をしていた。左手に傘、右手に杖だから転んでも手のけがが軽くすむようにと用心のためでもあったのだけれど。

 話はそれるが、きのう『捏造の科学者 STAP細胞事件』で大宅壮一ノンフィクッション賞に決まった毎日記者須田桃子はペン森5期生である。まだ39歳と若い。ぼくの周辺で大宅賞を受賞したのはこれで3人目。最初は故人になってしまったが91年『プロレス少女伝説』で井田真木子、2人目は99年『朱鷺の遺言』で小林照幸。須田桃子は早稲田大学大学院出身だからSTAP細胞で一躍有名になった小保方晴子の大学院先輩になる。

 井田が受賞したときの選考委員の1人が立花隆だった。立花は「なにを書くかを最も重要視すべきだ」というような意味のことを述べて反対する。明らかにプロレスが嫌いと思わせた。案の定、立花はプロ野球が大嫌いでその取材だけはしたくなかったが、入社した文藝春秋でプロ野球取材をやらされわずか2年で文春を辞めている。ぼくらは好きなことだけを取材する自由意思はなかったし、辞めれば妻子が路頭に迷った。

 芥川賞でも直木賞でも選考委員のコメントを読むと、全員が授賞作に賛意を示しているわけではないことがわかる。全員一致はむしろ珍しいくらいだ。採用試験の作文も当然、この作文の筆者は面接へ通さないほうがいい、という意見が出る。主観判断が混ざるのは仕方ないにしても、3人で1作文を評価するとして3人の中で一番偉いひとの評価に引きずられるのはよくない。ABCの3段階で評価する場合、偉いひとがCだとどうなるか。

ほかの2人はAとBだったが、Cに変化してしまう。評価者は言うまでもなく経験豊かな記者である。記者もサラリーマンだから、偉い上司には逆らいにくい。面接に進んだかもしれない筆者はあえなく筆記落ちとなる。ぼくの古い古い体験によると3人ともAのAAAはごく少ない。このケースではAと評価した選考委員がいたわけだし、話し合いが行われるだろう。ただし、C評価の偉いひともプライドがあるから譲らない。

 だからC評価とされて面接に進めないのである。そんなバカなことを防ぐために毎日では再度作文だけをみる救済措置が一時とられた。ペン森の作文でもみるひとがちがうと評価も異なる場合がある。ぼくはけっこう大雑把に全体の印象を大切にしている。ポイントはよく思考したかどうか、説得力ある展開ができているかどうかで判断する。以前ゴルフをやっていたころ、教え魔が多かった。作文も同様であると感じる。

 ゴルフで学んだのは打った球をみようとして、すぐに頭を動かすな、ということ。球のあった位置に目を据えたままにしろという助言の1点だけを守ったらスコアがよくなった。
作文もゴルフと同じく1人のいう1点だけを聞いておけばいい。多くの助言を聞こうとすれば混乱するばかりだ。ぼくは考えて書けと言うだけである。以上、思いつくままに。

 

左ひざが傷だらけのぼくの人生
 焼酎のお湯割り3杯がぼくの適量だが、きのうは2杯で我慢した、おととい5杯飲んで白ワインを少々飲んで帰宅したが、下車する際ドアのところで転んだ。4,5人わらわらと寄ってホームに立たせてくれた。ホームのベンチで休んで駅を出たが、自宅まで50メートルという路上でまた転んだ。すぐ脇の鉄製の柵をつかんで立とうとするが体の自由がまったくきかない。裏がえったゴキブリみたいに手足をぱたぱたさせるのがやっと。

 30代と思しきスーツ姿の男性が通り過ぎてから立ち止まり、「大丈夫ですか」と近寄ってきてくれた。背中から抱きかかえて起こしてくれた。転倒してから5分くらいたっていた。前にもこういうことがあったなあと思いだして、焼酎の飲みすぎで脚にきて自由が利かなくなっていたのだ。まえに同じ目に遭ったのはペン森16期生の山梨塩山合宿。民宿に厄介になったのだが宴会場に5合くらい残したままの1升ビンの芋焼酎があった。

 こりゃいいと水で割って飲みはじめた。飲み終えて温泉風呂につかった。鼻歌交じりで庭に出たところで転んだ。木の枝をつかんで立ち上がろうとするが、どうにもならない。酒が入ったペン森生の騒ぎ声が聞こえる。外の冷気を避けるためドアは締め切ってある。ぼくは独りで10分くらいひっくりかえったまま動けない。このまま寝たら凍死するんだろうなあ、と考えていた。自力で立ち上がったものの部屋の階段下でまた転んだ。

 このような転び癖は脚の筋力が弱っているからであろう。焼酎の飲みすぎと家人は言うが、それもあるかもしれないが、素面で朝転倒して顔面、とくに口周りが血だらけになったのが3月1日雨の日。ペン森生の挙式に向かっている最中である。家を出て間もない場所であった。傘が大破して店によって傘を買い、慣れない杖を使用していたので、薬局で杖を買い、そのまま式場のホテルに着いた。マスクをはずして鏡を見ると血だらけだ。

だから焼酎だけのせいではないのだ。3杯を超えると赤信号ということがわかっているので、焼酎を注ぐたびにぼくの危険領域を知っている女子は「先生何杯目ですか」と聞いてくる。6杯でも7杯でももちろん飲める。ただ舌がまわらず下肢に力が入らなくなるだけだ。焼酎は下肢にひびく。おとといも下肢にきていたから、自力で立ち上がれなかった。ビールや日本酒はどうだったかというと、酔うのだろうがもう酔い方は憶えていない。

 脚の筋力が衰えたのは焼酎を飲んだとき明快にわかる。焼酎だけを飲むようになったのは70歳をすぎてからだから筋肉が経年劣化しているのだ。ビール、日本酒は若い時分に愛飲していたから、体も若かった。酔って倒れた記憶はまったくないのだ。13,4年まえに脳梗塞で倒れて以来、左半身がやや不自由である。とくに左脚が歩幅も取れず、引きずり気味でごく小さな凹凸にさえ引っかかる。擦りキズは左手と左脚が多いのである。

 ではどうすれば筋力が戻るかだ。左の太腿が疲れ知らずの筋力になれば、もう転ばずにすむだろう。手も脚も左に傷が目立つのは左から落下するからだ。最初に床や路面に着く左ひざは傷だらけである。ぼくの人生はこと女に関しては傷だらけ。





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