ペン森通信
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作文はネタがいのちだよ
 だれが置き忘れて行ったのか知らないが、ペン森のテーブルに『あなたが知らない太平洋戦争の裏話(新名丈夫・新人物文庫)とうポケット版があった。著者の新名(しんみょう)は元毎日新聞記者で太平洋戦争の強行に対して「竹槍では間に合わぬ」という記事を書いて東条内閣に反抗し懲罰召集を受けた記者として有名だ。いまの安倍政権の沖縄や原発再稼動や自衛隊問題を厳しく批判するよりもっと勇気ある記事だったのである。

 その本のはしがきにいう「新運記者は、他人が一度書いたことは、書かないものである。二番煎じはしない。また、寄せ集めで、物を書かないものである。書くなら、まったく新しいことでなければならない。それが新聞記者たるものの心がけである」。一次情報を旨とする作文に通じる言葉である。作文もまたメディアが報じたことは書かないことだ。借りものに依っているからである。自分以外だれも知らないことを書くのが作文である。
 
 いま、ペン森生は作文のネタ仕込みに動き回っている。3月末までにそれぞれ異なるネタで作文を10本書いて提出するようにという宿題を課しているせいもあるだろう。あるいは常連の連中は早くもネタ切れになって行き詰っているせいもあるだろう。本番作文はつまるところ、ネタ勝負といってよい。着想がきらりと光る独自性の強いネタをみな懸命にさがし回っているのだ。まったく新しいことを書こうという心構えはあるようだ。

 ぼくが警視庁7方面の本所警察の記者クラブに詰めていたころ吉展(よしのぶ)ちゃん)誘拐殺人事件というのがあった。犯人は吉展ちゃんを殺したあと、身代金を要求する。警察の失態が目立つ事件だったがこれをきっかけに誘拐事件の報道を差し控えるという報道協定ができる。社会部記者で吉展ちゃん事件を知らない者はほとんどいないと思う。事件は6方面の上野警察署記者クラブの管内入谷で起こった。吉展ちゃんは当時4歳だった。

 事件のことは読売出身で6方面担当だった本田靖春が『誘拐』(ちくま文庫)という本に詳述している。本田は犯人小原保の生い立ちと背景を念入りに書いている。記者志望者必携の本といえよう。記者志望の20期生に村越吉展ちゃんが近い親戚にあたるという男子がいる。吉展ちゃんの身内の者だというだけで、年配の面接官が身を乗り出すはずだ。それほど有名な大事件だった。ぼくもかれの作文を読んで「おつ」と叫びそうになった。

 問題はかれが事件をどの程度自分の作文にとりいれるかである。かれは吉展ちゃんが遺体で見つかったお寺に行って住職から話をきいたりしている。本田が書いた本の引き写しのようになったら、低い評価だろう。自分が身内であることをひけらかすことも避けねばならない。住職の話あたりからはじめるのもよかろう。要は現在を書き出しにもってきて吉展ちゃんそのものは簡単にすます。いいネタだが料理はけっこうむずかしい。

 作文はネタ勝負。なぜそのネタを選んだかのセンス、その具体事例をどう効果的に活用しているかの表現力、さらにどう自分に関連づけ普遍的な価値にまで昇華させているかというまとめる力も問われる。意外性あるネタを見つけて示してもらいたいね。



 


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春合宿の成果は「声を大きく出せ」
 21日から23日の昼まで八王子セミナーハウスでの20期生の春の合宿だった。3月1日に就職活動は解禁されるが、すでに民放や外資企業は採用試験をはじめており、経団連と大学の間で作った決まりは一部破綻しているものの、マスコミの大半の採用試験実施は夏にずれ込むだろう。今回の合宿は出入りがあって24,5人が参加した。ESを提出しての模擬面接が主だった。声が小さいということを先輩たちからくどいほど指摘されていた。

 声が小さければ内容がたっぷり100あっても、それは聞いてもらえないから、ゼロにひとしい。まだ本番までは余裕があるから、普段から大きい声で言うように心がけることだ。腹からものを言うようにしておきたい。歌舞伎役者は声がよくとおるが、これは訓練によって客席の隅々まだ聞こえるようにしたわけだ。面接官には聞きとってもらえなければ、すべては水の泡となる。声は小さいが20期生は女子1人と男子はやんちゃで活発だ。

 ぼくは病院の予約があったので23日の朝、朝食を抜いて引き揚げた。血液検査や血圧に
問題はなかったが、MRI脳検査の結果小さな梗塞が頻繁に発生していることがわかった。これとて前回2年前と大差はないのだが、合宿ではだいぶ舌がもつれた。言語不明瞭な事態がけっこうあった、と思う。学生に声を大きくと注文をつけるだけでなく、ぼくも大きく口を開けて矯正していかねばならない。長嶋名誉監督ほどではないが聞きづらいだろう。

 八王子のセミナーハウスを利用するようになったのは16期生あたりからだが、今回は山を下ったはずれにある長期棟で勉強と飲み会。寝所は隣の國際棟。個室にはトイレ・バスは設備されておらず、いったん廊下へ出なくちゃならない。初日、タオルを部屋に置いたままシャワーを浴びたので、頭も体も濡れたまま衣服を身につけねばならぬ羽目に陥った。
76歳にしてはじめての体験だった。少年時代海でも川でも泳いだあとはきれいに流した。

 セミナーハウスは開設50周年というから、建物も設備も老朽化している。なによりバリアフリーゼロのため老人にはきつい。いくら若い学生のための施設とはいっても、付き添いの老教授も来るだろうに、と不満たらたらで本館4階の食堂まで階段を上り下りした。エレベーターがないのである。脚の悪いぼくは2階にあるペン森への出入りもエレベーターを使っているというのに。ただ以前に比べて食事はシェフが変わったのか食えた。

 食堂や事務室や宿泊部屋のある本館は上階になるほど大きく広がり、下の階ほどすぼまっているというじつにめずらしいコンクリートの建物。重心が上階にあるようで一見して地震に耐えうるかこわい感じがする。近くの地下を立川断層が通っているはずだ。前に一回この建物に宿泊したことがあるが、窓が上から床面に傾斜をつけて付いているので、下が良く見えるものの、真逆なせいで錯覚を起こしてめまいがしそうだった。

 八王子は近いので卒業生がよく来て学生たちの面倒を見てくれる。それがありがたい。それまでは主とし山梨・塩山の古民家を利用していた。卒業生こそほとんどいなかったが人数は40人規模だった。めっぽう寒かった。次回も八王子だろうが、16期生前の老人に負担のない勉強部屋兼宴会場がいいね。
 

現代に志士の若者はいないのか
先週末、友人が訪ねてきた。ぼくと同年齢なので向こうも老いている。ぼくと同じく転倒して、ゴキブリのように手足をばたばたしたことがあるそうだ。ぼくのように脳梗塞の後遺症で脚が悪いということもなさそうでいたって健康にみえた。だが、そのうち「ほれあれはだれだっけ?」と友人たちの名前をいちいち思い出さない様子である。認知症には
遠いが、物忘れは年齢相応のようだった。東大出といえども頭は平等に衰えるのだ。

 年齢相応といえば、ぼくはめっぽうな涙もろくなった。もともと、涙腺は緩いほうで小説を読んでも映画を観ても泣けそうなシーンで鼻水が出て、涙があふれ落ちる。これは老化の特徴的な現象らしいが、ぼくは昔から涙もろかった。人一倍感情量が多いみたいで、それが涙に液化して外へ出る。感情量が多いから、激しやすいところもある。安倍嫌いなのも感情の発露である。総選挙の対応をみていっそうこの人物は好きになれないと思った。
 
後藤健二ら日本人2人は安倍の中東訪問がなかったら殺されなかったのではと考える。積極的平和主義という矛盾をくっつけた造語を引っさげて、イスラム国対策費として2億ドルを拠出すると胸を張ったが、イスラム国側は敵対表明として受け止めただろう。いくら人道支援だと強調してももはや後の祭りだ。老年にいたって、ぼくは怒らないことをモットーにしていて実際、好々爺を装っているが内心反安倍で沸騰している。

 安倍は祖父の岸信介を尊敬している。岸の名前を耳にするたびによみがえってくるのは60年安保闘争である。ぼくは国会乱入こそしなかったが、デモにはほぼ毎日加わった。警官が学生を殴っているというラジオ関東の実況放送が耳に残っているから下宿でラジオを聴いていたこともあった。60年闘争よりも70年闘争のほうが激しかったが70年のときぼくはもう新聞記者をやっていた。取り締まりの総本山警察庁担当だったのだ。

 警察庁の警備局長に食ってかかったのもいまとなっては単なる思い出にすぎない。「こんなに厳しく学生を取り締まっては、学生はテロや暴力に走るようになりますよ」。実際、学生は暴力化した。警察は革マルや中核派を過激派という呼び方をしたが、いまやイスラム国こそ世界の凶悪派である。その凶悪派を刺激する国家に日本はなっていたのだ。戦前の日本に似てきたと危惧する近代史家がいるが、ぼくも不気味な国家になったと思う。

 日本は安倍政権によって急旋回で変質したが、おそらく世界も変わった。「殺し合わずともどうせ死ぬものを」という意味の川柳があったそうだが、人類の歴史は殺し合いであった。報復と復讐の歴史。イスラム国はネットに依存するがなぜ世界中から若者が集まったのだろうか。平和に倦んだ。血に飢えている。ひとを殺したかった。預言者ムハンマドの指示に従っているだけ。いろんな解釈があるだろうが、若者が凶悪殺し屋集団に入る現代。

 ぼくはまだイスラム国という名前を使っているが、ISという言い方がすこしずつふえてきた。ぼくもイスラム国は国家ではないし、過激な殺人集団だからISにしようかと思っている。日本も幕末にはテロが横行した。新撰組という殺人集団もいた。にしても薩摩や長州の田舎の青年がよくぞ革命的な世直しの原動力になったものだ。現代の若者も志士たれ。


名作『自転車泥棒』は喜劇か
現代映画にどんな傑作があるかよく知らないが、戦後間もないころは傑作が多かったように思う。今度の月曜日の名画鑑賞会ではイタリア映画を見せようかと考えている。戦後の1950年前後のイタリア映画は、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、ロベロト・ロッセリーニなどの監督が名作を世界に放って気を吐いた。なかでもぼくはデ・シーカの物哀しい自転車泥棒(48年)が好きだ。来週月曜日にみるとこれで5回目。

ロッセリーニの『無防備都市』『戦火のかなた』『ドイツ零年』の戦争3部作も有名である。なかでも『戦火のかなた』第1部の最後の場面で若い母親がドイツ兵に撃たれるシーンは戦争の無慈悲を表現していまでも例にあげるひともいるほど印象的だが、枢軸国のイタリアはなぜ同盟国のドイツ制圧されていたのか。イタリア兵があまりに弱かったのでドイツが頭にきて占領したと言う説もあるが、戦争準備が整っていなかった説が有力。

たしかに機械みたいな剛毅なドイツ兵にくらべるとイタリア兵は軟弱にみえる。イタリアチームに属していたことのあるプロサッカー選手が言っていたことだが、イタリア選手たちがバスで移動しているとき、監督も含めて全員が右側を向く場合がある。後部座席の自分が右側になにがあるかと目を向けるとそこには必ず若い女性がいる。かくもイタリア人は女性が好きらしい。イタリア人は度がすぎているようだ。日本人はとても及ばない。

NHKのニュース9でもとりあげていたそうだが、日本人の夫婦のセックスレスは45%に達するという。疲れているからそれどころではない、というのが最大の理由みたいだ。ペン森の新婚夫が以前、疲れているんだから勘弁してほしいよ、とこぼしていたことがある。ではイタリアはどうだろうか。手元にデータがないからわからない。回数からいえば、ギリシャ、フランスということは知っているが、日本人は草食系どころか絶食系に属する。

話がそれたがぼくは、戦後のイタリアで失業者があふれる世の中で自転車だけが身をたてる術だったのにその自転車が盗まれ、盗まれた自転車を探し歩く主人公も自転車泥棒と疑われるという名作『自転車泥棒』は見るたびに哀しく切ない。敗戦直後をすごしているからかもしれない。職がない時代に職安に勤めていた親戚がいたが、失業者が刃物を持って迫ってきたことがある、と話していたのを思い出す。戦争直後の荒廃はどこも同じだ。

最近土曜日になるとわが家は夕食どき、フ―テンの寅さんがテレビ画面に顔を出している。寅さんが毎度マドンナに惚れてやがて失恋するおなじみのパターン。その間に寅さんをめぐって賑やかな泣き笑いのドタバタが展開する。ぼくは家庭で「おいちゃん」と呼ばれているが、これは子どもが小さいころときどき家にいるよその「おいちゃん」だったからでもあるし、寅さん映画に夢中だった影響も強い。自らそう言わせていた面もある。

 中央大学でゼミをもっていたころ、ゼミ旅行先で『自転車泥棒』をみせたことがあった。1人の男子が「この映画は喜劇ですか」と聞いてきた。がっくりきたが今度のペン森名画鑑賞会ではそんなことはないだろう。その次の再来週16日は寅さんにしよう。


後藤健二さんを悼む
 ついに後藤健二が殺害された。政府は1カ月かけて政府の対応を検証するというが、イスラム国(IS)には、理屈や情が通じるとも思えないから答えはなかなか見出せないだろう。ただ、安倍外交が利用されたという指摘にどう触れるかである。安倍が中東訪問中に表明した2億ドルのイスラム国対策支援と身代金の額が同額なのはなぜか。もうひとつ現地対策本部をイスラム国と交渉ルートを持つ親日トルコになぜおかなかったのか。
 
 2億ドルの支援は日本人2人を拘束しているイスラム国を完全に敵に回す刺激になったのでは。さらにアメリカに同調して空爆にも参加している有志国ヨルダンにどうして現地対策本部を設けたのか。日本にとってアラブは遠い存在だったが、今回の事件とイスラム国の「今後も(有志国)の日本人を標的にする」という恫喝によって、すぐ近くの存在になった。イスラム国はISと表記されることも多くなったが、怖い存在に変わりはない。

 政府の検証が安倍の誤算にどの程度踏み込むかあやしいものだが、ペン森ではイスラム国の残虐非道を少しでも知るためにきのうの名画鑑賞会では急遽、予定を変更して北野武のバイオレンス映画を観た。具体的な人殺しの「アウトレイジ」である。これは稀有な暴力・拷問至上主義のR-15指定映画だ。イスラム国もまた人殺しで世界に蛇蝎のように嫌われている。具体的にひとを殺すということがわかるということで脅威となっている。

 あまりに激しい血なまぐさい暴力と目をそむけてしまいそうな拷問。歯科の椅子にあおむけになって治療中のやくざ幹部の口の中に歯科の治療用の器具を押し込んでひっかきまわし、口から血を噴き出すシーンを見た1人の女子は半泣きになって見ちゃおれないと外へ出た。拳銃を派手に撃ってひとを殺し、たしかに女子には耐えられないシーン満載の映画であるが、ぼくは日本の戦国時代も似たような残虐が日常だったのでは、と考えていた。

 イスラム国はネットに動画を投稿して世界中に拡散させる。そういう意味ではネット時代の犯罪だが、動画だからリアルである。一次大戦の末期から飛行機からの爆弾を投下する抽象的な人殺しがはじまった。操縦士には無差別に人殺しをしたという実感はあまりないかっただろう。至近距離の拳銃や刀剣は目の前で殺すから具体的だ。戦国時代や、あるいは人切り半次郎などが刀を振るって相手を殺害した幕末も具体的な殺し合いだった。

 対イスラム国有志連合の空爆も無抵抗の善良の民を殺している。抽象的だから殺せるのだろう。しかし、「人を殺してみたかった」という具体的なすぎる殺人も最近、日本では10代女子がやっている。斧でおばあさんを殺し1月27日19歳に逮捕された名古屋大1年生、昨年4月長崎県佐世保で同級生の15歳の女子をハンマーで殴って殺害した16歳の県立高校1年生。イスラム国にはひとを殺してみたいという心理の若者も加わっているはずだ。

 後藤健二は、戦争や内戦で家を失って避難民となった子どもや女性や老人の悲痛な叫びと声を代弁するジャーナリストだった。社員ジャーナリストは危険な地域にはほぼ行かないし、行かせない。われわれはかれが撮影した子どもや女性をNHKや民放の映像で見たはずだ。かれは、社員ジャーナリストの犠牲でもあった。ご冥福を祈る。



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