ペン森通信
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

作文直前特訓で力を掘り起こせ
 作文の直前集中特訓をはじめたのは、15期か16期のときからである。今回19期は来週いっぱいが特訓日である。去年はペン森で実施したが、受講生が一堂に会すると、座りきれなくなるおそれがあったから、偶数日と奇数日のふた手に分けて、2週間つづけた。だが満席になるのはせいぜい2日目までで、3,4,5日目はスカスカ状態。ふた手に分ける必要はなかった。今回もネタ切れを予想して4日目だけはペン森で実施する。

 この特訓の効果は絶大で、結果として自分を掘り起こして新ネタを見つけだし、共同、朝日、NHKから内定をもらった女子もいた。彼女は果敢にも毎日、新ネタをぶつけてきた。その分、新鮮ではあったが巧拙の差が大きかった。彼女は「防犯カメラ」という題で故郷青森の銭湯で見たおばさんたちの会話を書いた。青森弁の絶妙な会話がいきいきとして非常におもしろかった。その会話はぼくには再現不可だが、彼女はこの特訓で飛躍した。

おばさんたちは大声で話すと防犯カメラに拾われると心配していたのだった。ぼくはその作文に高い評価をつけた。それを内定した3社で使いまわした、と言っていた。作文特訓がなくても、センスのいい彼女は1社くらい内定したかもしれないが、3社内定は特訓の成果だとぼくは思う。ほかにも1本のネタを通し3社に内定した男子もいた。いま、かれは朝日の中堅記者として、数々の話題ものの記事で名をうっている。

特訓は1日3本の異なる題の作文を1本800字70分以内の制限で書かねばならない。高い評価をもらったネタの使いまわしの訓練も兼ねている。使いまわしをしなければ、70分はあっという間にすぎてしまう。用意したネタで勝負するほうが気がきいている。卒業生たちのなかにはあの特訓のおかげで新聞記者になれましたと、いまだに礼を言う者もいる。以前、共同通信が採用試験に1日に3本の作文を課した。それに倣った特訓である。

直前特訓の最中もESの締め切りがあるが、記入する項目が多いNHKはすでに締め切った。NHK応募者がきわめて多いが、採用も多い。ディレクターは難関だが、記者は新聞記者と同じ仕事なので人材が分散する分、難関というわけでもない。今春は例年と異なり、NHKと新聞大手各社は4月上旬に試験日が集中するが同日同時間帯に重なるケースはないようだ。ただ、面接日は重なるのではないか、とみている。

それでも複数社から内定をもらう幸福な学生も多数出るだろう。NHKと朝日なら、映像と紙媒体なので選択は比較的楽だが、共同通信も含めて紙媒体数社から1社を選ぶとすれば大いに困るだろう。ペン森生の多くは複数社から内定をもらい、どこに入社するか大いに迷う。安定志向の学生はおおむねNHKに進む傾向が強い。新聞なら朝日、日経、読売。通信は共同。今年は有力ブロック紙や地方紙の志望者も目立つ。きわめて好ましい。

一足早く、民放キー局は選考がすでに最終段階を迎えている。きょうか、来週早々にはペン森にも朗報が届くだろう。2人がそれぞれ別の局を受けたが2人とも内定するのではと期待している。泣いても笑っても、あと1カ月余でNHKと新聞大手の試験日だ。これで人生の方向が決まると言っていいだろう。力を尽くして後悔のないように頼む。

 

 

スポンサーサイト
羽生や真央は異人種若者!?
 ソチ五輪もそうだったが、日本の若いアスリートの活躍がめだった。その前にあったローザンヌでの若い日本人バレリーナの上位独占も快挙だった。ぼくらと同じ日本人だが、羽生結弦なんか同じ日本人ではない気もする。小顔ですらりと脚が長い。胴長短足のぼくらの世代から見るとまるで異人種だ。羽生も浅田真央も異様に脚が長い。91年のアルベールビルオリンピックで銀メダルに輝いたフィギュア―女子の伊藤みどりは短足。

伊藤みどりはぼくがかかわっていたニューズウイーク日本版の表紙になったことがあるが、その号は見事に売れなかった。記事の内容は記憶にないが、惨敗の要因には伊藤の表紙写真も影響したのではと思う。ぼくなんかも胴長短足のわが身を見るようで、大げさに言えば目をふさぎたくなったものだ。もちろん伊藤にはなんの責任もないが、育った環境は、現在のような椅子生活ではなく足を折りたたむ畳生活だったろうから無理もない。

ぼくは身長165・5センチだったが、75歳のいまは2センチくらい縮んでいるのではと思う。測ってないからわからない。これも測ったことはないが、ペニスも1センチくらい縮んでいるのではないか。体重は温泉への旅でよく量る。66キロ。ベストは62キロだが、体が重く感じられる66キロを維持したままである。60数年前の学生時代は55キロだった。やせていた。ズボンのベルトも80センチを超えた。腹が出てきたようだ。

70歳になるまで女子大でも教えていたが、彼女たちはいい家庭の子が多く栄養の満ち足りた生活をしているせいか、やたら体格がよく背丈も高かった。ぼくが中程度の高さだった。女子ジャンプの高梨沙羅は152センチでこれは例外的に小さい。優勝して一番高い台に乗っても2,3位の外国人選手と肩を並べる。女子高校生でも背の低いほうだろう。
彼女は金メダルこそ取り損ねたものの、まだ17歳だ。前途洋洋たるものである。

 高梨はオリンピック3連勝は堅いのでは、とぼくは考えている。ぼくの大学生当時に比べて男子の身長は10センチ以上、体重も15キロ程度増えているが、これは戦後の豊かな生活の反映にちがいない。ぼくですら朝食はごはんからパン食に変わった。学生時代はパンなんて体に力がつかないと思って食べなかった。もっとも給食はコッペパンに脱脂粉乳だったから、パン嫌いはそのトラウマだったのかもしれない。牛乳はまだ飲めない。

 食生活はたんぱく質の摂取が学生当時に比べ格段に増加した、パン食には肉類がついているし、ぼくは第一トリ肉牛肉が大好物である。土日自宅から買い物に出ると、たいてい肉類を買う。ペン森でも火木はぼくの料理番だから、取り置きのない場合は肉料理になる。トリもも肉の野菜ニンニク蒸しは得意中の得意。だがうちでは決してつくらない。塩コショウのみの味付けだから、家内が塩が効きすぎているというに決まっているからだ。

 家内は同時多発のがんから生還したが、味覚障害という後遺症に悩んでいる。ぼくは脳梗塞の後遺症で左半身がほんの少し不自由だったが、走り出すと止めようにも止まらないパーキンソン病の気があるようだ。焼酎のお湯割りをごはん抜きのおかずだけで飲むと気分壮快、健康全開となって、背も高くなった心もちだ。


ペン森恒例の季節がまためぐってきた
 15,16,17日と2泊3日と予定していた19期生の合宿は15日の大雪のため、場所を変更して2か所で実施した。16日は東日本橋の中央区立産業会館、17日は早稲田大学戸山キャンパスに隣接する早稲田奉仕園。いずれも15日に探して予約した貸し会議室である。幹事団は18期生が務めたが、素早い対応だった。ぼくは1週間ずらして八王子セミナーハウスでやればいいと思っていたが、ES提出などで無理とのことだった。

 ペン森はこれから直前集中特訓、18期生卒業式とイベントがつづく。直前集中特訓は3月早々を考えている。作文を1日3本、制限時間内に書いてもらうという過酷なものだ。
例年、最初だけは人数が多いがだんだん少なくなる。明らかにこれをくぐったからこそ第一志望の大手マスコミに内定した受講生が毎年1,2人はいる。1日3本だから最初は使いまわしでしのげるが、3日目になるとネタ不足になってしまい、書けなくなる。

 それでもなんとか自分の内側を突き詰めていくと材料が見つかるものだ。人間はだれでも隠しているものがあって、建て前で作文を書くとそれが表に出てこない。やはり裏にあるものにそのひとの真実がこもって、説得力が増す。美しく自分を飾ろうなんて思ってはいけない。集中特訓の4日目5日目は本当の自分探しをやってもらうことになる。ネタという素材もしくは材料は一次情報が鉄則だ。それは自分の体験以外にないのである。

 直前特訓が終わると次は18期生の卒業式。以前、ぼくがまだすこぶる元気だったころは1人1人の卒業証書に文を書いたが、16期生からは記念の本をあげることにした。去年は『調べる技術・書く技術』(野村進/講談社現代新書)だった。卒業式は大学のそれと重なる場合が多いので、日にちの設定がむずかしい。みんなペン森よりも思い出の詰まった大学の卒業式に出たいだろうから重ならないようにしなければならない。

 残念ながらぼくは大学の卒業式には出ていない。掲示板に貼られた卒業者名簿を見たら、ぼくの名前は黒く塗りつぶしてあった。出席不可。別に気落ちもしなかったが、いまになって考えると残念である。なぜ出席できなかったのか。1年生でとった授業を4年間出る機会があったのにさぼったからだ。1年生の最初の授業の際、教壇の先生がぼくの名前を「○子」と女性名で読んだからだ。それに腹が立った。当時は血気盛ん短気だった。

 最初の英語の授業でメランコリー(MELANCHOLY)をメランチョロリーと読んだ学生がいて,おれはなんという程度の低い大学にはいったのかと嘆いたことも、授業をよくさぼった理由だった。メランチョロリーくんは大学を卒業してすぐ、公認会計士になったそうだから数学はできたのだろう。60年安保闘争のとき大学3年生で、よく「岸を倒せ!」のデモに行った。合宿で岸信介を尊敬すると言った受講生がいたので思い出した。

 ペン森の卒業式が終わると、19期生の採用試験の結果や途中経過が次々にもたらされる。そしてぼくは時間ができ、旅に出る。まず孫娘と九州へ。今回はどちらもペン森卒業生が複数赴任している福岡と鹿児島に寄る。4月か5月は14期女子と旅をする約束。年年歳歳、また同じ季節に同じイベント。あと何年かなと思う歳になった。

 

遠くの親類よりも近くの他人
 大雪の残り雪は都心ではほとんど消えたが、ぼくが住んでいる郊外の多摩地域では道路わきにまだだいぶ積み上げてある。降雪のあった日の翌日の9日日曜日、ぼくの町内は朝から大人たちが路上で雪かきをはじめた。普段は生活臭のしない幽霊屋敷みたいな筋向いの屋根に上がって老人が雪を下ろしていた。この老人はいつも午前10時ごろ施設の車が迎えにきている。細君に先立たれて1人暮らし。2階の窓から1階の屋根にでたたらしい。

 雪かき用のスコップを屋根の雪に差し込んで下におろしている。おそらく30センチ近い厚みがある雪だから、差し込んだスコップも容易に動かせない様子である。屋根の勾配に足を踏ん張って悪戦苦闘の感じだ。顔を近距離からじかに見たこともないが、体の不自由な近所の老人かと思っていた。屋根に踏ん張る足腰はぼくより強いようだ。なぜ、屋根にでたのだろうとふしぎだったが、たぶん雪国の生まれで大雪をみて興奮したのだろう。

屋根から落ちたらすぐ近くの消防署に119番しようと考えたが、そのまま都知事選の投票ついでの買い物にでかけた。5,60メートル長靴で歩いていると、最近新築の家に引っ越してきた若い夫婦の夫が路上の雪を脇に寄せながら愛想よくあいさつをするが、細君はむすっとしている。大して美人でもないから、不機嫌な表情をすればよけいにブスに見える。この愛想のいい夫はほかにも妻にする女を選べただろうにと気の毒になる。

ほかの家でもまずは自宅の玄関に通じる降雪をどけて通路を確保する作業をすませて、そのあとよその家の前まで奉仕しはじめたらしい。うちの町内も結構、共同体意識はあるというのが大雪に伴う発見だった。ぼくはほんの少しだけ雪をかいただけだったが、普段女房が悪口を言っているおじさんが張り切って他人の家の前でスコップを振るっている。人家のない公園の外周路もだれかが雪をどけ歩きやすくしてくれていたのには感激した。

大きな変化があると、その共同体のなにかが変わるというか、共同体の本質が表れるというか、隠れていた町内の姿を見た。まったく隣近所交流がなかったのに、これをきっかけにあいさつをするようになる。あるいは災害時の隣近所の助け合いという現象も非日常の天変地異によって形成されるのかもしれない。遠くの親類より近くの他人、とはよく言ったものだ。たしかになにかことがあったときに頼りになるのは近所の人である。

多摩地方は都心よりも2,3度は気温が低い。町内ではゴミ収集のトラックが通れるくらい道路の中央は雪がどけてある。駐車場につくられたかまくらも今朝はまだ健在だった。子どもが中に入ってままごと遊びでもしているときに崩壊しなければいいが、と思いながら通りすぎたが、年寄りが多く子どもの少ない町内だから、おとなだけがはしゃいでいた大雪だった、と気づいた。ままごとなんていまの子どもはやるのだろうか。

きょう11日は北風が強く冷える。あまりなじみのない建国記念の日という祝日だが、ペン森は土日だけ休むので開けて営業している。集英社のESがあした締め切りなので、出版志望者が何人かくるだろう。自分も忙しいのに封筒のあて名書きを分担したり、昔は大雪時のぼくの町内みたいに互助精神が豊かだった、と改めて思う。
 

合宿所の食事から幸せと怖さを考えた
 19期生の合宿を15,16,17日に実施する。いつもと同じ八王子のセミナーハウス。内容も作文、ES点検、模擬面接、グループ・ディスカッション(GD)で例年と変わらない。参加者はOBも含めて20人くらいか。山梨の塩山で行っていた15期生のころまでは車3,4台の分乗組に電車組を合わせて40人くらいと大人数だったが、マスコミ人気の凋落とともに参加人数は減少してきた。19期生は26人中12人が参加するのみ。

 八王子のセミナーハウスは首都圏の各大学が金を出しているが、それだけでは運営できないので、セミナーハウス自身でも稼がねばならない。広大な敷地に食堂や宿舎のある本館、学生グループの宿舎、付添人用の個室建物、講堂、図書館などとそろっている。2泊3日で1日3食付きで1万5000円足らずだから結構安いが、老人のぼくには揚げもの中心の食事が苦痛だ。朝食のおかわりをした女子がいて驚かされたこともある。

 作文は16日に2題、その場で題をだすが、まだ決めてない。16日夜と17日午前に予定しているGDのテーマは事前に知らせて自分の意見や考えをまとめてきてもらう。①万能細胞「STAP細胞」の作製に成功しノーベル賞級の成果をあげた小保方晴子さんについて考えたこと②国民投票の年齢を18歳からとすることについての賛否③安倍総理の発言、行動、政策について考えること④少子化対策⑤未来を担う若者としてこれだけは言いたい。

 そのほか3~4題になるだろう。討論は昨年の例だとかなり白熱して時間をとった。人間性とか発言が論理的かどうか、学生の人間力が掴める気がする。マスコミ各社がこの方式を採用試験に取り入れる理由がわかる。少なくとも新聞社の採用試験は作文を主にした筆記試験、面接は1次から3,4次までとほとんど同じだが、途中にGDを組み込むところがあるのが近年の傾向だ。作文を手書きさせるのはもう何十年も変わらない。

 食事はぼくが若者であれば、不満を感じないのかもしれない。不満を覚えるほどの時代に生活している幸福も一方では感じる。ぼくのような老齢になると、それなりの体験を重ねているし、ましてや社会部記者だったから人間の狂気も知っている。日本も70余年前は新聞も含めて北朝鮮みたいな様相を呈していたのである。オウム真理教の地下鉄サリン事件から20年もたってない。ぼくの上の戦争世代は戦地の体験をあまり話そうとしない。

 「中国に来た日本兵,悪い人多いよ。わたしの村に日本兵襲ってきたとき、妊娠している女の人を、何人もの日本兵が追いかけた。妊娠している人よく走れないよ。すぐつかまって、何人もの日本兵が強姦する。それ終わると、銃の先についた剣で、妊娠した女の腹裂いて、赤子とりだすと、銃の先に刺して振りまわして、みんなで笑っている。(略)日本に帰ってきて、自分の家庭に入って、どんな顔して生きとるのか、こわい感じするね」

 『花岡事件の人たち――中国人強制連行の記録』(社会思想社・野添憲治)にでてくる花岡事件の生存者のインタビューである。ぼくの叔父も中国戦線に行ったが、なにをしたのかはわからない。戦後は中学のよき先生だった。素知らぬ顔をしていたのかもしれない。人間のこわさを若者世代はもう少し学んでもいい。



「都知事ってる」って意味知ってる?
 週刊現代の2月15日号に掲載されているポテチ次郎の連載漫画アー・ユー・ハッピー?にでてくる女子の会話。「昨日の合コンどうだった?」「何か都知事ってたよね」「うん!」
え?何 都知事ってたって・・・」「今回の都知事選みたいにこの人だ!!と思えるような人がいないつまり決め手に欠く感じって意味よ」。たしかにぼくもだれに投票するか困って一時は舛添要一にしようかと迷った。が、すぐに原発ゼロの支持だから細川護熙に戻った。

 細川は若い人だけでなく76だぞ、と年寄りもいう。ぼくは持ち場こそ異なるが、同じ時期に警察まわりをした。細川は京大に2度落ち上智を出て朝日の記者になり鹿児島支局から東京社会部に異動する。同じ警察を担当していた読売の記者から聞いた話だが「宴会でだれかが酒をついでくれるまでただじっと座っているだけだった」という。熊本藩主の細川家18代当主の身分が身にしみついて殿さま気分がいっこうに抜けなかったらしい。

 大学受験に失敗したから、それなりの挫折は味わっているし、国会議員に転じてからも総理には担がれるものの、あの小沢一郎にいじめられけっこう苦労もしている。政界引退後、というか投げ出し後はTBSラジオでコメンテーターも体験した。週刊文春に連載していた漢詩のふるさとを訪ねるようなコラムは学識の深さを十分に感じさせ、やはり由緒ある家の教養は只者ではなかった。漢詩の読めないぼくなんか同じ世代なのにと悔しかった。

 陶芸にいそしんでいることはよく知られているが、展示即売会をやるとたまに1億くらいの売り上げがあったという。細川の名前で売れたと言われるが、素人離れをしたろくろの腕でもあったのだろう。細川家はいまでも熊本では知らぬ人のいない名家だが、東京では通用するとは限らない。世論調査によると都知事候補のニ番手につけて当選はむずかしいらしいが、これとて原発ゼロに切り替えた小泉の応援があればこその2番である。

 細川と同じ脱原発を唱えているのは、共産党と社民党が推薦している宇都宮だが、どうして同一主張なのに宇都宮は細川と組まないのだろう。そこは党派性というわが身大事のわがままな関係のせいだ。社民党の源流は戦後の大野党日本社会党だが離反相次ぎ、いまやあるかなきかの存在に落ちぶれた。独自候補を擁立できない民主党の体たらくが「都知事ってる」最大の原因だろう。健全な野党がないので原発推進自民の一強支配を招いた。

 「日本は燃料に乏しい国だが、主要な工業国の中でも再生可能エネルギーにはもっとも恵まれており、現在行われているプランよりも小さなコストとリスクで、エネルギー効率の高い長期的なエネルギー需要を全体として満たすことができる」と『新しい火の創造』という本の序文にある。物理学の権威エイモリ―・B・ロビンスの著作だ。世界の地熱発電の機器は大半が日本の電気メーカーの製品、というドキュメンタリーを見たこともある。

 ドイツは3・11の2ヶ月後に脱原発に政策転換した。2020年の東京五輪招致で浮かれているが、大震災からまもなく3年、14万人が故郷を失って県外に脱出したままの福島のことを忘れちゃいけない。都知事ってるなかでも、細川は大震災被災者に心配りをするから支持したい。



 

 



プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。