ペン森通信
ペン森生という同時代の友へ
 考えるまでもなく、ぼくはいま人生いちばんの自由時間がある。うまくしたもので自由に動けるのに金欠だ。貧窮貧困にあえいでいるわけではないが、旅が思うようにできない。企業年金のない会社2社に職をえたのが悔やまれる。それでも厚生年金はぼくの分月20万円+妻の国民年金がある。日常の家庭生活はできる。酒も飲んでいる。幸い九州に赴任している男子の教え子が好きな銘柄の芋焼酎をしばしば送ってくれるから助かる。

 好きな芋焼酎は鹿児島県屋久島の三岳だ。5年前同じ京王線沿線に住んでいた女子と帰下車して飲んだのが三岳だった。これはほんのりと甘くさわやかでお湯割りがおいしい。その飲み友だちの彼女とは8月末長崎を旅した。文化庁が推していたが、世界遺産の推薦に漏れた長崎の教会群を訪ねた。費用は彼女がほとんど負担してくれた。「だって、社会人ですもん」というのが、費用をもってくれる理由だった。けっこうキモの太い女性である。

 教会は昔、ポーランドで入ってみたほどの荘厳さと大型ステンドグラスの原色鮮やかな光の絢爛さはなかったものの、民衆が支えてきた素朴な深い敬虔さを底にたたえていた。ぼくの家系は浄土真宗だが、本願寺とは異なる西洋風の教会の中に足を踏み入れると、普段感じたことのない感動につつまれた。レンタカーの運転も彼女がしてくれた。じわじわといまでも胸に来る旅。現在、べつの女の子から北海道に行きましょうと誘われている。

 温泉、酒、海鮮、風景を楽しみましょう、と。もちろん酒友の20代前半女性。「免許証返上なんてしないでください」と頼まれているが、返上はもう決めたことだから、やはりそうする。これまで、ぼくがペン森生のあっし―をやって伊豆・中部・信州・北陸・東北とほとんど行きつくし、富士山の5合目まで2回も車で登った。オートマ車のサードを使ったのはこのときだけ。70歳で車を手放したのは、税金などの経費が苦しかったからだ。

 ペン森卒業生の結婚した女子のなかには夫のフ―ゾク通いは目をつぶると割り切っているひともいる。ぼくはフ―ゾク、パチンコ、カラオケなどにはまったく関心がない。早くも、なのか、これが通常なのか知らないが、もう7,8年前から男としての機能は失っている。男子ペン森生が心配して海外旅行で旅の恥をかき捨てて、秘薬を買ってきてくれた。都内のその手の有名薬局で、これまた効能ありという薬を買ってくれた男子もいる。

 いまもそのまま持ち歩いている。無用だが北海道へもこっそり持参するつもり。車の免許がないとなればJR北海道しかないが共同通信なみに不祥事連発の路線だから乗るのが怖い。来年あたり安全安心だろうか。第一、ぼくの不自由な左足はどうなっているのだろうか。杖が必要かもしれない。間違いなく、月日を重ねるごとにぼくの年輪も増してくる。若いペン森生も例外なくばあさん、じいさんになる。いま、意識しないだけである。

 悠久の歴史からすれば、若いペン森生も老いたぼくも、ほんの一瞬だけ同時代に生きている。同時代に呼吸をしている。同時代の仲間であり、友だちである。これまでのブログと内容の重複する部分の多い更新になった。以下は同時代の友へのお知らせ。

*ペン森の講師をしてくれていた谷雅志を追悼する瀬下塾ジャーナルができた。きのう220人分発送したが、届かないひとは大半、住所変更を知らせなかったため登録されてないひと。インクがにじむなどの都合で送れなかった20人分は追加発送しました。
*次号に続編を予定しているので、追悼文を寄せたい方は急いで期と所属を付記し本文400字書いてメールでペン森に送信してください。


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TBSは「半沢直樹』の続編で倍返ししろ
『半沢直樹』の最終回を観た。結局はもどかしいままというか、欲求不満の視聴者も多かったことだろう。視聴率は42%とドラマで歴代2位の高視聴率を打ち立てた。このお化けドラマの評判につられてぼくは原作の池井戸潤作『オレたちバブル入行組』と『オレたち花のバブル組』をテレビドラマ最終回の22日に買ってしまった。読みはじめたばかりだが、スリリングなストーリーのようでおもしろそうだ。結構な娯楽本みたい。

 ドラマの主演の堺雅人は名前も顔もまったく知らなかったが、目で演技がすごいということを聞いていた。ぼくは最終回前の15日にもチャンネルをTBSに合わせてはじめて観たのだが、果たして堺は異様な目をしていた。あのような目つきで上司をにらみつける部下がいるだろうかと考えたが、これはドラマだ。最終回は実績の割に意に反して頭取から証券会社への出向を命じられる。半沢の憤怒の目元のクルーズアップで締めくくられる。

 最終回は半沢が小学低学年のころの回想場面が2回も挿入されて、いささか情緒に流れた。小学低学年の当時、半沢の父親は首をつって自殺する。金沢で零細の工場を経営していたが行き詰まったあげく、運転資金の融資を頼んだが冷たく断ったのが半沢に悪態をつく派閥の親分、現常務だった。常務は取締役会の席上半沢に土下座をさせられるという倍返しどころか100倍返しの屈辱を味わう。だが常務は平取に格下げされただけですんだ。

 一方、半沢は片道切符の島流しだ。視聴者の溜飲が下がるどころか、かえって血圧が上がるような幕切れとなった。その不当と思われる人事は最後の最後まで観ていなければわからない。その出向を命令され、にらみの目元アップをした最後の場面の視聴率は46・7%(関西地区50・4%)という。1%は100万人の視聴といわれるから約5000万人が観ていた計算になる。NHKスペシャルが難解な物理だったせいもあっただろう。

 前週の15日、ぼくはいつもどおりNHKスペシャルにチャンネルを合わせた。それは素粒子などを扱った数式の内容でぼくの理解を超えた。最後までチャンネルは替えなかったものの次回の22日もまた同じような物理を取り上げるということだったので、そのとき『半沢直樹』の最終回を観ようと決めたのだった。Nスぺがおもしろいものだったら、ぼくは視聴習慣として『半沢』は観なかっただろうと思う。原作を読めばいいわけだし。

 そもそも、ぼくは連続ドラマが嫌いだ。次回があるからね。『あまちゃん』だって、はじめのテーマソングをきけばそれでよい。明るいその音楽が終わるとテレ朝の『モーニングバード』に切り替える。別にお気に入りが出るわけではない。これも一種の朝の習慣。ぼくの朝はNHKの『おはよう日本』からはじまる。お天気おねえさんの渡辺蘭の目の愛くるしさがなんともかわいくて朝から心地よい。堺雅人の気色の悪さとはまったく別物だ。

 『半沢直樹』の最終回では水戸黄門のような痛快な結果でなかった分だけ続編希望もすごいだろう。TBSは高視聴率を記録してくれた視聴者に倍返しのお礼をするつもりで続編を手がけなければなるまい。

「憲法改正でアベノミクスは即崩壊」
安倍首相は悲願の憲法改正をやり遂げ、自衛隊を国防軍に格上げしたら、米軍を日本から追い出すのだろうか。沖縄の米軍基地も必要ではなくなるから、沖縄は憲法改正を歓迎するはず、と読んでいるのだろうか。敗戦後日本には米軍が居座って、ほとんど半占領下にある。半占領状態を解消しなければ、国防軍の存在理由が成り立たないことは、お坊ちゃんと揶揄される安倍でも、とっくに承知の上だろう。その点がどうも釈然としない。

戦争放棄、平和主義の日本国憲法は日本国家を規制する基本法であるだけでなく、国際宣言という性格をもっている。憲法改正には近隣諸国も日本はかつての好戦国家に戻ろうとしている、とごうごうたる非難を浴びるだろう。7、80年まえ、日本は北朝鮮と変わらない偏執狂の国だった。ところが広島、長崎に原爆が投下されて人びとの日常までが破壊され、合計で20万人を超える犠牲者を出したために、加害国から被害国に変質した。

中国や韓国からすると、自国を侵略したにっくき日本だろう。日本は加害者そのものだという意識が強いにちがいない。戦記を読むと、いかに日本軍が残虐だったかがわかる。原爆もその残虐性において犯罪そのものだが、大陸で犯した日本軍の行為は具体的で生々しいだけに肉親の記憶に鮮明に残るだろう。家族の前で妻や娘を強姦したり、赤ん坊を空中に放り投げては銃剣の剣で刺して受け止めたりした、という目を覆いたくなる話もある。

現代の日本人はまさかと思うだろうし、ぼくも信じたくないが、現に国民小学校に通ったぼくは中年の兵隊を若い兵隊が殴打する場面を何回も見た。柔道など部活の体罰が旧軍隊の尾を引いていることは間違いないだろう。侵略した大陸の民を痛みつけたであろう先人たちの行状も察しがつく。中国や韓国との関係がより悪化したのは安倍が登場してからだ。安倍は中国や韓国に多大の迷惑をかけたことを深刻に考えていないのかもしれない。

安倍の国防軍構想に対して疑問を呈しているのはフランス文学者の鹿島茂である。週刊文春最新号の読書欄で知った。「自衛隊を国防軍にしたら、沖縄を含めてアメリカ駐留軍には日本から出て行ってもらうというのが筋道だと思う」と言っている。ぼくも鹿島と同じような疑問を抱いているが、同様の矛盾を感じているひとは少なくないと思われる。鹿島は「国防軍と改まった以上、軍事費の増大は避けられない」と踏み込んだ指摘もしている。

さすがに当代一流の知性の読みは深く、「となったら、社会保障と国防費という双子の赤字で国庫破綻はさらに早まるだろう」と追撃する。書いているのは読書欄。鹿島が好著と太鼓判を押すのは専門家4人が戦後のポイントを討論した『戦後日本の「独立」』(筑摩書房)。鹿島は「憲法改正は国庫負担贈だから、デフォルトを恐れるマーケットはウリに転ずるはずだ。そうなったらアベノミクスは即崩壊である」と鋭い。成長戦略どころじゃない。

ぼくはそこまでは思考が及ばなかったが、なるほど安倍が壊そうとしているのは国防をアメリカに任せて経済に専心しようという戦後体制そのもののようだ。「日本を取り戻す」というキャッチフレーズには深遠な意図が潜んでいる。安倍は思い込みの強い観念右翼かもしれない。日本もかつては、天皇を頂点に据えた観念国家だったし、怖いね。



ほんとは不平等な消費税
 台風一過の大快晴。どんどん秋めいてくる。本格的な秋になるだろう10月1日になると、阿倍首相が消費税に関して正式に発表する。報道によると、阿倍はすでに決めていて3%を上乗せして消費税は来年4月から8%になるのは確実。消費増税をすると、アベノミクスで上向いてきた経済の腰折れが心配なので、阿倍は財務省に対して5兆円の経済対策を要求して圧力をかけているらしい。5党円は消費増税の2%分にあたる。

 3%の値上げ分のうち2%は政府が手当てするというのだから、これでは1パーセントずつ上げればいい、という本田悦郎内閣官房参与の意見と差し引き変わらない。安倍のブレーンとして脚光を浴びるアベノミクスの応援団長、濱田宏一エ―ル大名誉教授も来年4月増税には反対だ。このひとは1年先延ばしにすればいい、という考え。経済成長が年率4%にならないと安心できないと言って、経済対策は馬鹿げた話と切り捨てている。

 つまり、「右手でおカネをとって、左手で渡すようなものだ」というわけ。阿倍が各界の60人から消費税についての意見を聞く機会を設けたのもいまとなっては、アリバイづくりの感なきにしもあらず。国民の多数が消費税アップに賛成しているからだ。ぼくは条件付きで賛成している。もともと消費増税は年1兆円規模で増える老人の医療費など社会保障費の財源を確保するのが目的の税である。目的どおり充ててくれれば文句はない。

ただ復興税を復興とは無関係の奥縄の海岸工事などに使われているのをNHKがスクープしたのをきっかけに、無関係使用がどんどん明るみに出た。はたして、消費増税分は社会保障に回されるのであろうか。どうも信用がおけない。自民党お得意の公共事業に使われるのではないかという疑念がわいてくる。消費増税を前に社会保障費に充てるという話はいつの間にか立ち消えになったみたいだ。社会保障費の財源にしない増税には反対する。

3%とはいえ、ぼくら低所得の年金世代には痛い。低所得とはいってもぼくは持ち家もあり、まあ恵まれている。家なき、職なき低所得層がいることを思えば幸せだ。日本には年収200万円以下が1100万人いるといわれ、貧富の差は拡大するばかりだ。アメリカはほとんど同じ数の富裕層がいるが、日本の富裕層は世界で2番目に多い約358万人。年収100万ドル以上を富裕層というが、単純に考えれば年収1億円以上の金持ち層だ。

消費税はみんなが平等に負担する平等税だと言われるが、とんでもない。世代間貧富間の不平等税である。若い世代は営々と払い続けねばならないし、低所得者の負担は大きい。税率も平成15年10月には10%に引き上げられる予定だが、このときになってはじめて低所得者対策が取られるらしい。海外では食料品などの生活必需品は軽減税率を導入しているところが多いが、日本でどうなるかは具体的にはなにもまだ決まってない。

ぼくら年金生活者も年金支給が細くなっている。2・1%の復興税のことを忘れているからそう感じるのだ。自動的に引かれることにはすぐ慣れて関心も鈍感になりがちで文句もいわないが、使い道にはもっと敏感になってどんどん文句を言わねばならない。


 

半沢直樹がいた昭和の青春
マスコミのことしの秋採用がほぼ終わった。ペン森は8,9人が挑戦したが、内定の報告はたった女子1人だけ。予想はしていたがまったく振るわない。予想ができたのは意欲が希薄だし、前向きのチャレンジ精神に乏しく、発想が貧困だからである。第一、ペン森に顔を出さない。きのうはいつものように内定女子1人が来た。テレビから三橋美智也の『夕焼けとんび』が流れてくる。昭和33年、ぼくが大学にはいったときの流行歌だ。

18期女子は「こんな歌はじめてきいた」といっていた。「夕焼け空がまっかっか とんびがくるりと輪をかいた ホーイノホイ そこから東京が見えるかい・・・」という歌詞をぼくらの世代はメロディーと共に憶えている。東京が憧れや夢だった時代。高度成長期にはいったころの歌謡曲だ。東京オリンピック前の歌である。ぼくも九州の田舎から当然のように東京にでてきた。私大を出て74歳になるまで居座り、おかげで地方は衰退した。

日本の若者がトンビのように上昇気流に乗って、なお上に行こうと元気がよかった時代にぼくら世代は青春をすごした。元気がよかった証拠にぼくの高校の同級生は志望大学がエジプト大をはじめ、東大だけでなく北海道大、東北大と遠方の大学を視野に入れ、意気盛んだった。ただ、女子は大いに不利だった。亡くなったぼくの姉は東京の大学に受かり、高校の校長がうちまできて頼みこんだが、父親は決してうんとは言わなかった。

それでもぼくらの男世代がいい時代に生きてきたという感慨はひとしおだ。2020年の東京五輪の話のついでに、前の東京五輪の際はまだ貧しかった、と付け足すひとがいるが、ぼくは貧しいという意識は当時いっさいなかった。万事に楽観的できりきりと深く考えないぼくの性格によるのかもしれないが、むしろいまのほうが貧乏感はある。それも、高価な本が買えないとか、好きなところへ旅をする旅費に困るとか贅沢きわまる。

 古き良き昭和には新聞が幅を利かせていた。商社から内定をもらっても新聞に決まれば、商社があっさり「それじゃ仕方ない」とあっさりあきらめたくらいだった。いまや、新聞よりも商社復活の時代である。昭和の新聞社には半沢直樹がいっぱいいた。目の下を赤く腫らして部下に倍返しされたデスクも珍しくなかった。連続ドラマは連続だから制約を受けて好きではないが『半沢直樹』は昭和の匂いがする。今度の日曜も観ようと思う。

 昭和の学生が意気高らかだったのは、兄弟が多かったことと関係があるのではとぼくは思う。ぼくは6人兄弟だが、5人6人はざらだった。ひとりっ子には会ったことがなかった。兄弟という社会で競争に負けないようもまれ、自然にたくましさや貪欲さやずるさが身についていった。ぼくの孫娘はひとりっ子だが、ひとがいい代わり自主性にかける。親も祖父のぼくも大事に怪我をしないよう見守り、蝶よ花よと可愛がっているからである。

 その意味でひとりっ子政策をとるこれからの中国はどうなるのだろう。わがままな小皇帝たちの支配に世界が悩まされるのだろうか。日本でも少子化や人口減は経済的な側面から語られがちだが、自殺やいじめや引きこもりや精神的な要素のほうが大きいのではないか。昭和は戦争や暴力の時代だったが、発見に興奮して精神的には豊かだった。昭和真っ盛りの人間は老年に達した。あさっての敬老の日は休みます。

IOC安倍発言の危うさ
最初は震災復興五輪と標榜していたのに、復興も汚染水垂れ流しも来るべき大地震も忘れ去ったかのような浮かれぶりだ。2020年夏季五輪の東京開催はぼくにとってそれほど感動はなかった。考えたのはそれまでは生き抜いてもっと旅をしようという目標ができてよかった、ということだ。7年というとぼくにとって実現可能な目標だ。56年前の東京五輪のときぼくは新人記者だった。それ以来日本は物欲国家になった気がする。

 長崎を旅して間もないのだが、またぞろ旅心がうごめいてきている。数日来,オムロンの遠赤外線治療器を使って左腿に朝晩各1回遠赤外線を20分程度照射してみたら、足の引きずり症状が改善したように感じる。普通に歩ける日も夢ではない、と希望が湧いてきている。歩くスピードはのろい状態のままだが、足が上がって引きずりが消えれば、駅のホームに階段の多い地方へも心配なく出かけられる。東京五輪よりもこっちが嬉しい。

 7月下旬におこなわれる2020年の五輪開催時まだ81歳である。11月の誕生日がくれば82歳になる。猛暑の7月に開催されるのは、アメリカの大スポンサーテレビ局の都合による。9月にはアメリカが熱狂するアメフトやバスケットがはじまるからアメリカのためにスポーツ閑散期の7月に開かれるわけである。安倍首相は2020年にも原発は安全ですと宣言したが、7年後までに原子力をコントロールできるはずがない。

 政府はあわてて本日10日、コントロールできているはずの汚染水漏れについての対策会議をもった。後追いのちぐはぐさは、阿倍発言はまゆつばということだろう。もともと人間がコントロール不可能なエネルギーを使用したところに過誤がある。業務上過失致死容疑で告訴・告発されていた当時の東電幹部と菅元首相ら42人を9日、東京地検は不起訴とした。国会事故調は「人災」と明言している。責任者がいるのに責任不在とは。

 首都東京は安倍のいうとおり「安心、安全、安定」なのだろうか。安心、安全は原発に関する不安をぬぐうための国際公約にちがいない。安定はイスタンブールのような政治暴動もないし、隣に危険国家とされるシリアのような隣接国家もない、マドリッドのような経済不安もない、ということを示しているのだろう。ぼくはNHKスペシャルが報じた超大地震が気がかりでしようがない。いつ来てもおかしくない首都直下と南海トラフである。

 大地震が2020年までに来ないという保証はまるでない。それでも安倍は自然でさえ支配できるかのようなプレゼンをした。これで地震の不安はわきに置いてしまおうと思った日本人もいるだろう。都合の悪いことは考えないようにすれば、ないことになってしまう。この思考によって、日本人は太平洋戦争で失敗したし、福島原発だって3年半前の津波以上の津波の来襲を予想したことがあったが、そんな津波は来ないことにしていた。
 
 2020年を前にしてぼくの左足が自由に動かせるようになったら、被災地に行って仮設商店街で飲もうと思う。ぼくは飲むことでしか貢献できない。その際は地元の日本酒になる。ひとりでしんなりと飲むより、女子でもいてくれれば、量が増えるだろう。それだけ貢献度が増すのだ。女子よ、だれかいっしょに貢献しようよ。

    
 

老人の逃げ切り天国
 ぼくは休日の土日は食料品や生活用品の買い出しと朝昼晩の後片付けをする。いつのまにかそうなった。買い出しは妻が購入品のメモとそれに見合う金額を用意していたが、これもいつのまにか、おカネもぼくが負担するように変化している。まあ、ボケ防止と軽い運動だ。昼食は妻の手づくり弁当だから、昼食代はかからない。昼食の節約が1日平均700円だとすると、週3500円月1万4000円浮くことになり、それが買い出し出費。

 もちろん赤字である。でも、全体が大した金額ではないからなんとかしのげる。ペン森の外で酒を飲むこともないし、パチンコもしない。1週間に1000円も使わない日がほとんどである。使うとすれば本代が主。これも神保町という地の利をえて、古本店で100円の本を買ってすませたり、うちの近くのBOOK・OFFで安い本を買って倹約することが多い。いま読んでいる北方謙三の『水滸伝』もBOOK・OFFだ。

 趣味と言えば、列車の旅くらいで、まあ無趣味のほうだろう。地方に出向けばどこにでもペン森出身者がいて、歓待してくれる。別にあてにしているわけではないが、かれらがぼくに払わせないから、10万円用意して行けば大抵すべて足りる。JRは遠距離3割引きのジパング会員だ。新幹線「ひかり」と「さくら」に在来線特急代を含めても東京―長崎往復3万3070円。「のぞみ」にはこの割引は適用されないが、ぼくは気にしない。

 収入はないが、もらう受講料は日本酒と焼酎に化ける。これまでの大学講師などの蓄えを切り崩す明けくれだ。今年は結婚披露宴によばれることも極端に少ないから、ご祝儀の出費がかさまずにすみそう。ご祝儀に包むのは3万円が多く、ときどき5万円だが、これが一昨年のように年7,8回あると預金も一気に減る。今年はおそらく年齢のせいで講師のオファも絶である。預金は出る一方で入金の予定もない。それでも貧乏感にはほど遠い。

 現在の老人は恵まれている、と思う。世代的にはぼくは年金を支払った分より多く支給される逃げ切り世代だが、若いひとたちの負担はこれから大変だ。消費税10%で増大する国の借金はまかなえないだろう。医療費はぼくで1割負担だが、政権が考えている2割負担でも個人的にはどうってことはない。リハビリに通ってマッサージと電気の干渉波治療を受けていたが、1回たったの100円。あまりに安く気の毒で通わなくなった。

 行きつけの医者は「まだ働いているんですか」とびっくりしているが、ぼくは収入よりも健康のために働いている。ペン森は若い人たちが集まっているから、ぼくのように感情量の多い老人には刺激たっぷりですばらしい。外見上の年齢はともかく内面はまだ青春に近い。定年をすぎてなお働ける、あるいは働きたい年寄りは少なくない。労働力人口が減少していくのを補うには年寄り、女子、移民の三つしかないのにひまな老人が多すぎる。

 女子の3年育休は女子のあいだですこぶる評判が悪い。3年後職場に復帰してから元どおり仕事ができるかどうか、心配なのだ。ぼくは移民による多様性の導入がいいと思っているが鎖国ニッポンは移民に興味はないようだ。どうも老人だけが恵まれた老人天国ニッポンだ。まあペン森は老人天国だけどね。

 

長崎でキリシタン迫害を考えた
土日を含んで9日間の夏休みが一昨日終わった。熊本赴任中の13期女子とたまたま休みが重なったので、まず熊本へ。飲んでタクシーに乗るさい、彼女はまだ飲み足りないと言って別れた、タクシーの運転手が「お孫さんですか」と聞いてきた。28歳の彼女がよほど若く見えたか、ぼくがよほど年寄りに見えたか、あるいはその両方か。ホテルへ向かう道すがら運転手は「きびきびとした、いいお孫さんですね」と感嘆しきりだった。

 熊本港からフェリーでわずか30分ゆられて長崎県の島原へ。「島原大変肥後迷惑」という言うくらいだから熊本―島原は当然近い。島原半島の中央にそびえる雲仙普賢岳の噴火は熊本(肥後)にも影響を与えた。島原外港駅から島原鉄道の急行ワンマンディーゼルカーで諫早へ。変哲もない単線の私鉄ローカル線だ。23年前の火砕流に呑まれて知人の土谷カメラマンが消滅した。その記憶に関連してこの私鉄には乗りたいと思っていた。

 ディーゼルカーの右側に有明湾の海が見える。諫早でJRに乗り換えて長崎へ。駅に付随しているJR九州のビジネスホテルが宿だが、エレベーターから駅に停車している列車が見える。いかにも終着駅という感じがあって、規模はちがうがもう何年も前に行った能登半島の輪島を思い出した。停車中の列車は白い胴体をしているから有名な特急「かもめ」らしい。この列車の座席は普通席も本革張りである。長崎―博多を走っている。

 翌28日は原爆資料館と浦上天主堂、平和公園を回った。29日、ジェットフォイルで五島へわたり、13期女子の運転するレンタカーでほとんど無数に点在する島の教会を訪ね回る。この島民とキリスト教との出合いはザビエルが1549年鹿児島へ上陸したあと、
66年にキリシタン城主宇久純定の招きで2人の宣教師が城中でキリストの教えを説き、多くの島民を洗礼に導いたのがはじまりである、と最初に行った堂崎天主堂の資料にある。

 五島列島を支配していた宇久純定もその二男純堯(すみたか)と歴代当主はキリスト教の布教活動に熱心だったが、純堯の甥純玄(すみはる)が1579年当主になると、一転して迫害をはじめる。以来、1873年明治政府によるキリシタン禁教礼の撤去まで五島キリシタンは棄教、改宗をせまられ、従わねば水責め、火あぶり、磔(はりつけ)、蓑(みの)踊り=蓑を着せ手足を縛って火をつけ悶えさせるなどの拷問、処刑が待っていた。

 それは島原でも同様で、領主の松倉勝家はとんでもない殿さま。家臣も疎んじていたが、キリシタン迫害弾圧と並行して強引に税を取り立てた。年貢は米や麦はもとより、煙草の葉やナスまで取り立て、納めない農民は両親や妻子まで捕らえられて水牢に入れられ、蓑踊りを科された。餓死者がでるほどの凶作つづきのうえ、年貢のほかにも窓銭、棚銭などの税に泣かされ、悪政にたまりかねて農民はついに蜂起する。島原の乱である。

 このとき、五島でも堂崎などで農民が蜂起する、農民たちは鎮圧軍と戦いつつ、島原城に迫った。島原の乱は農民一揆ともキリシタン一揆ともよばれるが、キリシタン一揆としたのは幕府。思想統制に利用したのである。キリシタンは表向き仏教徒を装い潜伏する。カトリックは宗教上の理由で人工中絶はできない。現在でも水俣病や、カネミ油症事件の隠れた被害者がいると言われるゆえんだ。

 



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