ペン森通信
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尾行者をからかった谷雅史
谷雅志の逝去に伴い、ぼくに対して「長生きしてください」という励ましというか、若い友を失った同情というか、いつもとは異なった性質の声が寄せられた。ぼくは16日の通夜に行ったが、翌日の告別式は遠慮させてもらった。理由は二つある。第一に死んだ谷の顔を見たくなかった。開けてある棺の窓から死に顔を見て別れを告げるのが告別式の通例だが、入院の末期に二回生きているときの谷の顔を見た。それで十分だった。

棺が車の後部から押し込まれて出棺時、車のホーンがひときわ高く長く響くときじゅずを手にして平静でいられるかどうか。前夜は午前1時前に帰宅し、そのときは本葬にも行かねば、と思い直していたのだった。寝つかれぬままに元気な青春時の谷を回想しているうち、涙を見せたことのないこの強い男の前でみっともない姿はさらしたくないと思いはじめた。谷は、鈴木宗男みたいに泣くのはやめてくださいよ、言うにきまっている。

 本葬当日7時半に起きだした。8時半にうちを出れば10時からの告別式に十分に間に合うはずだった。やはり行くのはよそうと思った。机の上に吉村昭の『冷い夏、暑い夏』が重ねた本の一番上にある。兄弟のなかで最も親しい弟をがんで亡くした兄吉村昭の小説。弟に対して兄はがんであることを徹頭徹尾伏せ、やがて弟は痛みや幻想に悩まされ、ついに生命の灯を消す。見舞いに来た弟の親友が病室で激しく号泣する声の描写が痛ましい。

 ぼくも出棺時にたまらず号泣するのではと恐れたのである。通夜は酒がついて、むかし親しかった旧友にも出会えて、にぎやかにすごせるが、しんとして厳粛な告別式はそうはいかない。去年義兄がなくなったとき、嫁は棺にとりすがって「これは嘘でしょ」といつまでも泣きじゃくり、ついにその娘たちが「おかあさん止めて」と引きはがした。ぼくも葬儀にはよく参列するし、ひとの死に泣くことないが、谷の死にはやはりこたえている。

 谷はがんであることをわきまえていた。メールで体調を尋ねたら「この病気はたちが悪く、もちろん体調はよくありません」と返信が来た。それが今年のはじめだった。3月下旬のペン森卒業式には谷が乾杯の音頭をとり、卒業生は瀬下塾にはいって年会費をおさめてちょうだいとスピーチするのが恒例となっていたが、卒業式にも出席しなかった。病状がよほど悪いのだろうかと、古い仲間たちはこそこそと話して心配した。

 ぼくが前の会社にいたころだったから、もう20数年を経ているが、谷が珍しく困ったような顔をして訪ねてきた。「ぼくらはSSTと呼ばれて公安が目をつけていますよ」と言った。Tは谷、Sの片方はぼく。「なにもしてないのを証明するのはむずかしい。どうしましょうか」「ほっとこうよ」。その後、谷は尾行されていると漏らし「こんにちはご苦労さん」と女性公安警察官らしい尾行者をひやかしたらびっくりしていましたよ」と笑った。

 なぜ尾行されたか不明だが、察するにJR関係である。ぼくが東労組の委員長をしていた松崎明と親しかったことに原因があるだろう。松崎はかつて過激派革マルのナンバー2だった。谷がどうからんだかは知らない。谷は満遍なく付き合う事情通だった。怪文書に詳しかった。話題豊富だったが、谷自身のエピソードは少ない。馬鹿をしそうでしない男だったのだ。ご冥福を祈る。


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「夜間非行」の快男児逝く
 殺しても死なないような男ががんで死んだ。かれが大学3年生のときからの知り合いだから、もう40年になんなんとする付き合いであった。58歳の若さで逝った。妻と成人したばかりの美人姉妹が残された。かれは自分のことはあまり話さず、ひとの面倒をよくみた。酒もよく飲み、交際範囲がひろかった。16,17日の通夜、本葬には各分野からさぞ大勢の男女が押しかけるにちがいない。かれ谷雅志は講談社編集総務局長だった。

 谷が慶応の学生のとき、先輩の大学院生がいた。院生は朝鮮戦争に詳しい国際政治学者・故神谷不二(かみや ふじ)教授の門下生である。院生は防衛大学への就職を打診されたが、やや左翼思想的な立場だったからか、断った。ぼくは社会部の遊軍記者をしていて世相や若者を担当していた。院生も若者論に興味があるようで執筆を読んだぼくは、院生を取材した。5月か6月だったと思うが、院生はまだ黒いとっくりセーターを着ていた。

 その院生を通じて谷と付き合いはじめた。院生は夕刊フジやら週刊朝日で物書きのアルバイトをして学生を使っていたのである。谷も学生グループだった。谷や院生のほかにもぼくの周囲には若者が集まりだし、だれかの知人の海岸の別荘へ行って、着いたとたんにぼくがすぐさま引き返してルポを書け、と指示して若者たちがあわてて引き返した。谷がなにを書いたか記憶にない。ぼくも30代の後半で、元気にあふれ酒も強かった。

ぼくが飲み会に女性を連れてこいと1人に命じたら未成年の女子高生を伴ってきた。女の子はアルコールを1滴も飲まなかったような気がする。まだ東京都の淫行条例がなかったころだが、もちろん淫行なんてやるはずもない、きわめて品行方正な若者たちであった。長じてぼくも含めて、品行はあやしくなって、谷は病に冒されてから「夜間非行」も自由にできない体になった、とメールで嘆いたりしていた。谷も昭和の青春を謳歌した。

谷から1通だけ年賀状や暑中見舞いと関係ない手紙をもらったことがある。スペインのバルセロナに1年間留学したが、そのバルセロナからだった。ぼくにはどうも書きにくい、という内容の一部は憶えているが、その他のことは忘却した。ただ若いころからかれは悪筆の宮沢賢治とどっこいどっこいの字を書き、味はあったが下手くそだった。頭は鋭く回転も速かった。「夜間非行」のくせに、下ネタや女性の話題は避けがちのところがあった。

谷は原発反対のデモに加わっていた。反原発のデモ帰りだとペン森に寄ったことがあった。だが谷は原発を若者と話すことはなく、価値観の強要はしなかった。自分の娘に関しても、父と子はまったく別人格と言っていた。姉妹はまぎれもなく美人だが、娘さんは美人だね、と言ったら、そりゃそうですよ、おれのかみさんの子だから、と嬉しそうだった。最も切なさそうな表情を見たのは、親友のテレビ作家腰山一生を亡くしたときだった。

ぼくがペン森をつくったとき、かれは一席設けて激励してくれた。病に伏して管とつながった姿をかれは見せたくなかっただろう。それがかれの美学だったと思う。最後の見舞いも意識がなく、掛け布団をすこし剥いで右手を握った。上にも下にも横にも好かれた快男児の手を握ったのは初めてで最後である。合掌。

重大ニュースがあった今週
今週気になったニュースを3つあげるとすれば、①福島原発放射線汚染水が海へ1日300トン流出②安倍内閣が集団的自衛権行使容認の姿勢③ワシントン・ポスト紙をアマゾン・コムのジェフ・ベゾスCEOが買収。かなり重要ニュースのあった週だった。①の汚染水流出はもう東電には任せておけないと国が対策に乗り出すことになった。東電が負うべき負担を国民が税金で肩代わりするというわけだから、とんでもない話である。

 もともと、東電は国の金をねらって場当たり工事でごまかそうとしてきたのかもしれない。国は凍土による遮蔽壁を造って流出を防ぐ考えらしいが、さてこれで解決するかどうか。地元の漁協は沖合での試験操業を予定していたが、1日300トンの流出発覚で操業を延期した。漁民は風評被害にいっそう悩まされる事態となっている。その補償はどうなるのだろう。当然、被災者に対する補償と同じく、東電が面倒をみるべき問題である。

 ②の集団的自衛権は憲法の問題である。安倍内閣は右傾化の傾向が目立つ危険な内閣だが、集団的自衛権行使容認にまで手を出してきたか、という感じは否めない。歴代内閣が護ってきた平和主義を突き崩そうとしているように見える。安倍首相の恣意によって憲法解釈が勝手に変えられるということか。集団的自衛権行使容認派の小松一郎を内閣法制局長官に据えた。容認派を要職に配して好きなようにやりたいとうということだ。

 つまり小松は安倍のポチの役割だ。安倍は反対派の説得に自信がないから、周囲にポチを集めてなんでも都合のいいように進めようというわけだろう。メディアも参院選直前に自民党幹部がTBS出演拒否を打ち出して以来、触らぬ神にたたりなしと弱腰だ。メディアこそいま第一の野党にならねばならないのに、ポチ化してはかえって害をもたらす。とりわけ制約のない新聞は憲法、TPP、消費税、原発再稼働、原発輸出に論を張るべきだ。

 ワシントン・ポストの身売りを3番目にあげたが、ぼくはワシントン・ポスト系列のニューズウィーク日本版の発行にかかわって10年、タイムとともにアメリカを代表するその週刊誌で仕事をしてきた。動向を注目するのは当然だろう。ニューズウィークはアメリカ本国では電子版だけになり、紙媒体ではなくなる。部数減のためだ。部数が減ると広告収入も減る、という悪循環に陥る。日本の週刊誌の部数減は、アメリカの後追いのようだ。

 朝日や毎日や読売や産経や日経もワシントン・ポストのようにIT長者あるいはIT企業に買われるのだろうか。プロ野球球団がソフトバンクやDeNA,楽天に買われるなんて1数年前は想像もできなかったことだ。新聞には記者がいる。新聞が電子版になっても記者という専門職は、人数は減少しても職業としては残るにちがいない。インターネットが新聞を吸収してもニュースの発信源になる記者がいなければ成り立たない。

 ペン森は新聞の秋採用にいどむ18期生が追い込みにさしかかっている。新聞という紙媒体の未来が危ういとはみんな予測しているだろうが、それほど深刻には考えてないようだ。日本の新聞の息が長いのは、ほとんどライフライン化した独特の宅配制度にあるだろう。朝夕配達してくれるかぎり、不動産もあるし、もうしばらくは持つだろう。


小学時代にはじまった余生
病気で就活ができなかった女子がいて、きのう彼女に何回目かの本を送ろうとしたが、封入してから著者の吉村昭と藤沢周平の名前を思い出せなかった。のど元までは名前が出ているのだが気管にひっかかって出てこない。10分くらいたってふいに名前がうかんできたものの、これは認知症のはじまりかな、と考えた。最近とみに人名の度忘れがひどくなった。酔って忘れることは以前からあったが、しらふでも忘れてしまう。

 くだんの女子に最初はジェフリー・アーチャ―の『ケインとアベル』を送るつもりだったが、書店で文庫の書架をみているうち吉村昭と藤沢周平に心変わりがした。この2人の作品を近所の書店とBOOK OFFで買ったので送るむねメールしようとしたら、2人の作家の名前がでてこなかったのだ。これはどういうことだろうか、いよいよボケがきたかといぶかしんだ。涙もろくにもなったし、だれにでもある単なる老化現象ならいいが。

 ペン森生の名前と顔は一致して記憶している。6月29日の後期高齢の宴には104人が参加してくれたが、ほぼ間違いなく全員の就職先と名前と顔は憶えていた。でも期別となるととたんに怪しくなる。大学のゼミ教授が君たちの名前と顔は忘れることはないが卒業年次はまったくわからない、といっていたがまったくそれと同じ。その教授も数年前から車いすの身で、もはや認知症も本格的だ。教え子の顔をみても判別できないだろう。

 くだんの病気療養中の女子は親に付き添ってもらい車いすで後期の授業に臨むらしい。やむをえずとはいえ青年期の車いす生活体験はその後の人生に、他者への思いやりとか表現意欲とか、よい効果をもたらすにちがいない。若い時期は細胞の動きも活発なところがぼくたち老人とは雲泥の差だ。老齢者の先行きはたかが知れているが、若者の未来は無限大といってよい。その可能性があることにもっと興奮発奮してよいだろう。

 ぼくは小学1年時、臨終に陥って蘇生した。移り気な性格はせっかく生き返ったのだから、好きなこと精一杯やっておこうという打算が働いているからかもしれない。あるいは居直った人生をすごしているのかもしれない。度忘れや移り気は細胞の摩耗による自然現象だと楽観的に受け止めている。ほとんどすべてのひとは老齢期に余生に入っているが、ぼくは小学生時代から余生だったわけだ。以来、好き勝手やってきた。

 幼い日の臨終体験はいまでもよく憶えている。高熱を出しているぼくを父親がおぶって自転車をこぎ、数キロ離れた街の医院に行く途中、ぼくは話そうとするが声が出ない。そのうち気を失ったらしく、目を覚ましたら布団の周りに親戚の大人たちが並んでいた。自宅だった。臨終を迎えたぼくの死を遠方から駆けつけた親戚がみ見守っていたのである。花園があって透明な心地よさを感じた世界を見て持ち直し、ぼくの余生ははじまった

 移り気を反復しながらのぼくの余生は他人より長いが、おそらくストック切れは間もない感じもある。このところ無意識のうちに、あと何年かと思いにふけってハッとすることがある。幼少時にいちど盛り返した命も勢いがなくなったが、移り気という浮気心は老いてなお日増しに活動的になる。


かくも老人は発情中です。
「死ぬまで」か「死ぬほど」か。ぼくは「死ぬほど」派である。60歳からのセックスの話だ。この春からとりわけ講談社の週刊現代と小学館の週刊ポストは熟年の性の特集を組んでいる。それだけでなくこの2誌は手を替え、品を替え、女性外性器のグラビアも掲載する。くだんの週刊誌の女性記者に「またかよ、いつでやるんだよ」と聞いたら「だって、売れるんだもん」と答えた。どうやら高齢社会に売れ筋の鉱脈を見つけたらしい。

 この現象を毎日の7月31日付夕刊が「特集ワイド」で取り上げている。90年代に「ヘアヌード」がグラビアを飾ったが、それに次ぐ性的なブームである。日本の塾年はそんなに発情しているのか。もっとも、ぼく自身はこの手の特集やグラビアが目立ちはじめたころから週刊誌は買わなくなった。ぼくもべつに嫌いなわけじゃない。だがもはやうんざりしている。マンネリは好きじゃないが、週刊誌に性特集があってもいい、とは思う。

 自分じゃ買わないにしても道徳的でもないし潔癖性でもない、と自覚している74歳のぼくは、したがって肯定派なのだ。だが、「80歳から」なんて特集もお目見えしては、ちょっと首を傾げるばかりだ。1回のセックスによる体力消耗は100メートルを全力で走るのに相当するというから、これは「死ね」と宣告するに等しい。もちろん「死ぬまで」という意味は、それぐらい長続きして楽しみなさいということだろうが、余計なお世話だ。

 毎日の記事によると「日本家族計画協会が2012年に16~49歳の男女3000人を対象に行った調査では経験者のうち1カ月間性交渉ゼロ、いわゆるセックスレスが44%に上った」。家族計画協会のセンター長には「その上の世代なんて、5年、10年、もしかしたら15年以上ご無沙汰しているのでは」と推測する。ぼくは10余年まえから悲しいかなコンニャクだ。「死ぬまで」の実行力はどうあがいてもゼロなのである。

 だがせめて「死ぬほど」女子と旅をしたい。20代女子と車中でおしゃべりして酒を飲みながら列車に乗って移動する。週刊誌特集のひとつに「20代女性と・・・」というのがあったがその点、ぼくの旅友は人もうらやむ20代女子だ。美醜よりも、酒の相手をしてくれる女子優先。20代にこだわるのは、それはもう鮮度の問題。去年までは20代前半にかぎる、と贅沢なことを言っていたが後期高齢まぢかになって自己規制を緩和した。

 渡辺淳一の『愛ふたたび』はぼくと同じ年齢の整形外科医がEDになる内容らしいが、本になったら買って差し上げます、という20代女子がいたのでまだ読んでない。本人は失念しているらしく、残念。中身はおよそ想像がつく。彼女がプレゼントしてくれればともかく、たぶん手にしないだろう。夏休みは8月末にとるが幸いなことに旅をして飲みましょうという20代女子がいる。いまこれが「死ぬほど」うれしく待ち遠しい。

 70年代、警察庁の保安部長とヘアの見える映画を観に行ったことがある。ヘア解禁についての意見を聞きたいということだった。未開発の当時にくらべるとなんと解放されて自由になったものだろうか。ぼくには無関係だが、セックスはお盆と正月だけくらいが鮮度を保っていいんじゃないの。



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