ペン森通信
『あゝ上野駅』18番線ホーム
上野駅13番ホームの発車ベルが28日から井沢八郎のヒット曲『あゝ上野駅』のメロディーに変わったそうだ。早く聞きに行きたいが、神保町―上野は交通の便が悪く3,40分で往復はできないけど、今週中には行ってみたい。『あゝ上野駅』(64年発売)は集団就職の応援歌であった。いまは集団就職という言葉を知っている若者は少ないが、東北方面の農村から中学卒業生が労働力として集団就職列車でやってきて主に東京に就職した。

 ぼくが大学生だった60年代の初頭、当時鹿児島から東京行き急行の席取りのため東京や大阪、名古屋の大学に進学した学生の家族は総出で前夜から駅に並ぶのが普通だった。高度経済成長がはじまっていたころで、中央集権がすでに形成され、地方の若者や労働者は中央に吸い寄せられていった。宮崎で生まれ育ち、鹿児島で高校時代を送ったぼくも迷いなく東京の私大生となった。こうして東京は栄え、地方は徐々にさびれていった。

 西日本は東京までのあいだに大阪、京都、名古屋と吸引力のある大都会があったが、東北は東京と直結したようなところがあった。冬季には出稼ぎ労働者という季節労働者が東京を整備する国の公共事業で働いていた。ぼくが62年に記者になってからしばらくたってからも出稼ぎ労働者が複数で犠牲になった事故取材があった。64年の東京オリンピックの施設づくりも出稼ぎ労働者の下積みの労働なしには語れないのである。

 高度経済成長を支えたのは集団就職で大都会の商店や工場に住み込んだ若い労働者たちであった。若い労働者たちは農家の二男三男が多く、父親たちの一時的な出稼ぎ労働者と違い、ほとんどは永遠に故郷と別れたのであった。54年に最初の集団就職列車が青森を出発して、75年に最終列車が上野に着くまで21年間つづいた。上野に到着すると、雇用主の社長なんかが出迎えた。金の卵と言われた貴重な労働者だったのである。

 この集団就職の話題を作文のネタにしようと調べ回ったペン森女子がいた。もう10年以上も前のことなので詳しいことは忘れたが、彼女によると山形か宮城の大学に集団就職に関する研究者がいるということだった。彼女ともう一人の女子と青森へ行ったことがあった。ぼくはもっぱら運転手だったが、下北半島で通りかかった中学校の校門を見て、「あ、この中学からもずいぶん集団就職で東京へ行ったのよ」とつぶやいた。

 埼玉の川越市に集団就職したひとたちの憩いの家があるということも彼女を通じて知った。いまでも存在するかどうかは知らない。神奈川の相模原に理髪店を構える有力者がいるともきいた。歌手の森進一も集団就職組だ。新宿の靴屋で店員をしていたこともあったらしい。直木賞作家の出久根達郎は中学卒業後、茨城の行方から集団就職で上京して月島の古本屋で奉公した。中学出の若者たちは元気に無事、中高年になったのだろうか。

 上野駅前の広場には集団就職の碑がある。東北から上京して住み込み店員の多かった上野商店街が数年前に建てた。『あゝ上野駅』は13番ホームに流れるというが、集団就職列車が着いて、ああ東京に着いた、と不安と夢を背に降り立った上野駅の到着ホームは、13番線ではなく、いまは地上から消えた18番線ホームだったのである。

 

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秋採用ESは7月が締め切り
 ここごく最近ペン森はとても込むときがある。秋採用のES締め切りが迫っているからだ。NHKだけは先週締め切ったが、朝日、共同、日経、読売と大マスコミが土日をはさんで29,30日である。こういうときに卒業生が来てくれると、これ幸いと応援を頼むことになる。昨夜は11期生男子がひょっこり顔を出してくれた。かれは作文やES見るのを苦にしないのでじつに助かった。もちろん、朝日の名物おじさん記者もしらふでつきっきり。

 きのうは午前中に通信添削のESと作文を再点検したのと、相棒の病院通いで料理当番も兼務していたのでただでさえいい加減な添削が余計にアバウトになった。ただ大筋は押さえて見当はずれはないつもりだから、原文よりかえって悪くなるようなことはない。ぼくはゴルフをしているとき、いろんなアドバイスを受けたが、結局スコアはたいして伸びなかった。打ったときすぐにあごを上げてボールをみないこと、この一つだけで十分だった。

 作文でもあれこれ言うよりもその本人の個性をみて一言か二言、助言すればいいのではないかということを18年間で知った。細かいことを無数に指摘しても歩留まりはきわめて少ない。きのう神保町の路上でたまたま出会った昔のゴルフ仲間は、いわゆる教え魔でコースにでるとあれこれとうるさいことだった。かれはぼくよりも上手ではあったが、所詮は素人、たかが知れていた。かれが教えてくれたことはなにひとつ憶えていない。

 ESを見れば、このひとはどの段階まで進むか、という勘は備わってきたように思ったが最近はそうでもない。ESを見たり面接をする者がどんどん若返って、採用側との感覚にずれが生じてきた感じがある。その点、ぼくは古いタイプの記者である。ずれは新聞社だけでなく、出版社OBともよく話題になることで、ぼくら古手は採用側のセンスをあまり信用してない。どうしてあいつに内定をくれたのだろうというケースが珍しくないからだ。

 ESの提出が一段落すると間をおいて本試験が行われる。ESよりも作文のよしあしの判断はやさしい。抽象論、一般論の展開で終始するのは明らかにだめ。マスコミには難しいほうが合う、と勝手に思い込んでいるのだろうが、マスコミ文章はリアリズムの極致だから、具体的でなければ通じない。自分だけが知っている一次情報を第三者がよくわかるように書くのが最大のポイントだ。構成はESと同様、現在→過去(経緯)→未来が効果的。

 当然、現在・過去・未来のなかに自分の考えや意見も盛り込んで自分という人間性も表現しなければならない。よく表面的な現象を書いたり、過去のいきさつからから入ったり、タイトル(表題)の説明からはじめたり、評論を書く人がいるがペン森にはさすがにいない。ペン森以外の受験者には大半がそのようなだめ作文を書くのではあるまいか。ペン森生の内定率の高さは、だめ作文を書かないような文章修業ができているからだろう。

 秋採用の本試験が終わったあと、いよいよぼくは解放される。金銭的な余裕がなないから青春18きっぷを利用してみようかとも考える。行きたいところは長崎だから、疲労の老体には長旅は無理かもしれない。時間をたっぷりとれば可能だろうが、さてどうするか、それを想像するのが目下の楽しみなのだ。

 

あしたの10万円よりもきょうの1万円
 自民党が圧勝するのは、報道各社は事前にわかっていた。民主党の惨敗も予想していた。共産党が伸びることも知っていた。見たて通りになったのである。その意味ではまったくおもしろくない選挙だった。この結果、自民・公明が政権をになうことになったが、これが10年つづくとは思われない。公明は自民のストップができないまま、憲法のキモの9条で押し切られ、若者を取り巻く状況は徴兵制導入とかものすごい変わりようかも。

 小泉ブームのとき、有権者は小泉を支える投票がいずれ自分たちの首を絞めることになるとは想像してないだろう、怖いことだ、と警告したひとがいたが、今回もそれに似ている。小泉政権下でメーカーの非正規労働が法律で認められた。現在の非正規が労働者に占める割合は38・2%。非正規を企業は首にしたり雇用したりのクッションとして利用しているわけである。その非正規の不利益を見通さなかったことが小泉大勝の要因となった。

 今回の選挙の投票は憲法、原発、TPPよりも目の前の経済優先、利害損得が優先された。あしたの十万円よりもきょうの1万円だったのだ。ぼくが18年間、やってきたペン森はきょうの1万円よりもあしたの10万円のための仕事である。ぼくらの年齢に達した高齢者はすべからく未来世代のために残りの人生を使うべき、というのがぼくの考えだ。ぼくらはこれまでの人生でえたノウハウや知恵を後世に伝承してゆく責任を負っている。

 ES記入の際、ぼくよく学生にこんな言葉があると例を挙げる。「すべての目に見えるものは目に見えないものに支えられている」。それを考えるようになったのはゴルフをやりはじめたころであった。まだ暗い早朝の電車でゴルフ場に向かう途中、この電車の運転士の妻や子どもはどんな気持ちや表情で運転士を送りだしたのだろう、とふと思った。ぼくのゴルフは運転士をはじめ保安部門や運転士の妻子にも支えられている、と感じたのである。

 いまぼくは生きているが、それは目に見えないものに支えられてきたからこそだ。故郷、学校、友人、旅、ペン森の教え子、読書・・・ そのすべてが1ミリずつ重なってぼくという老齢男子は形成された。支えてきたものをぼくもほかの高齢者も忘れがちだ。1ミリが集積して1メートルになったのなら、1ミリずつ次の世代に返していけば、それは相手に残ってゆく。今回選挙はあしたの10万円には思慮が及ばず高齢者は浅ましかった。

 選挙の結果、ねじれは解消された。ねじれ解消を声高に言っていたのは与党の自公である。思う通りにならないことをただ嘆いていただけの話だ。ねじれのどこが悪い、とぼくは思う。「決められる政治」でいま拙速に未来世代がしりぬぐいしなければならない施策や制度をきめて現役世代は一万円をえて知らんぷり、というのは無責任すぎる。スピードとか効率とか今風の価値観に乗っては、限界ニッポンの崖が目前に迫ってくるだけだ。

民主党の復活は10年後もないだろう。その意味で今回は民主党葬送の選挙ともいえた。なにしろ鳩山・菅・野田と3人のトップがひどかった。つまり人材が払底している党だ。寄せ集めであることを取りつくろうことももう止めてもらおう。未来責任を口にしなかったその無責任無能によって今回の政権が生まれたのである。
 

芋焼酎「三岳」「赤兎馬」バンザイ
12期生男子から「三岳」2本と「伊佐錦」1本の計3升の芋焼酎が贈られてきた。同じ日に13期生男子から「赤兎馬」(せきとば)1升が届いた。ぼくは日本酒党からすっかり焼酎党に変わって、焼酎のお湯割りを大ぶりの湯のみ茶碗3杯を飲む毎日で体調がよくなった。以前は日本酒の贈り物が多かったが、最近は焼酎になった。大いに助かる。1升はほぼ1週間分の燃料である。これから死ぬまで焼酎を飲むだろうと思う。

 ぼくは粘着質ではなく、けっこう移り気だが、ビール、ウイスキー、日本酒と変遷して、それぞれ割に長期間飲みつづけた。それでもやはり十代でなじんだ芋焼酎がいちばん体質に合うようだ。老齢になって先祖かえりしたようなものだ。焼酎のおかげで元気を保っていると信じている。なかでも「三岳」と「赤兎馬」は好み中の好みだ。「三岳」は帰宅が同じ路線だった13期女子と途中下車して飲んだ。その軽いのどごしが気にいっている。

「赤兎馬」もあまりくせがなく上品な味わいである。これは数年前新宿小田急デパートの13階で昼食中、テーブルのチラシに「赤兎馬あります」と書いてあったのが最初の出合い。もちろんすぐさま注文したが、そのときはぼくにとって単なる焼酎にすぎなかった。
だが吉川英治の『三国志』にでてくる英雄関宇の名馬からとった名前だとわかったとたん
愛着がわいた。折しもたまたま11期男子が1升プレゼントしてくれてからはまった。

 『三国志』の講談社文庫は全8巻だが、全巻読みとおした。ぼくはだいたい別の本4,5冊を並行して読むくせがあり上下巻だと下巻までは読み終えないこともしばしばだ。つまりは粘りっけがなくあっさりしている。吉川三国志も後半部分で諸葛孔明があまりにもヒーローになっているので止めようかと思ったが、焼酎「赤兎馬」を知らしめてくれた小説だから読み終えた。赤兎馬の主人への愛情と献身は馬ながらたいしたものだ。

 そしていま、北方謙三の『水滸伝』(集英社文庫)全19巻を読みはじめている。焼酎の銘柄に「水滸伝」とか「梁山泊」とかいうのがあるかもしれないが、温泉宿の「梁山泊」は知っているが焼酎は知らない。ついでになるが、ペン森は「梁山泊だね」と評されることがある。風変わりな俊英が集っているという意味ならわからぬでもないが、評した人物は単に若者が集まってワイワイ飲んだくれているという意味でいっているようだ。

 焼酎の「三岳」と「赤兎馬」は2本とも栓を開けている。2本交互に飲んで楽しんでいるわけだ。それぞれの贈り主のことや、それぞれにまつわるペン森卒業生のことや物語を想起して飽きることがない。奄美大島の黒糖焼酎もすてがたく、入手が困難な宮崎の麦焼酎「百年の孤独」は相当なものだし。「明るい農村」という芋焼酎もレベルは高い。ぼくの自宅用芋焼酎「宝山」も柔らかくてうまい。焼酎の名前の命名には知恵者の教養を感じる。

 あさって21日の夜はテレビの選挙速報に張りつく。ペン森にある「三岳」か「赤兎馬」をペットボトルか空きビンに詰め、お湯わりをちびちびやりながら、前のめりの自民党独走は怖い、民主党はおしまいだ、山本太郎は原発反対一本で当確、よくがんばった、などとぶつぶつ言いたい。せっかくの焼酎もまずく感じる結果が目に見えているのが残念。



ぼくが男料理をおぼえたわけ
 火曜日と木曜日はシェフを兼務している相棒が奥方を病院につれていくため休む。で、ぼくがシェフを兼ねることになる。ペン森は酒つき賄いつきというのが売りもののひとつで、これがあるから古い卒業生もよく足を運んでくれる。酒は卒業生の持参も多く、つねに何本かは用意してある。相棒と週2,3回来訪する朝日のI君は日本酒党でぼくは芋焼酎。毎晩飲んで21:58神保町発の電車で帰宅するが、このところ泥酔状態ではない。

 焼酎はお湯割りを専用湯のみ3杯がちょうどよい。日本酒を飲んでいたころはつい飲みすぎて、乗り換え駅のホームで派手に転んだり、うちの前の路上にひっくり返ったりした。いまは途中の公園で立ち小便をするくらいのもので悪酔いはほとんどしない。では、いい酒のみかというと、そうともいえない。ペン森は治外法権のような制約のないところなので、エッチ方面の話がはずむ。女子も話に加わって大笑いしているからセクハラではない。

 今週は相棒がきのう月曜日も休みだった。きのうは定期的に北海道の牧場から直送してくる短角牛の焼き肉にした。きょうはスーパーに立ち寄ってつぼ鯛の開き299円を3匹買ってきた。半身にすれば6人分ある。主婦のパートらしいレジのおばさんが「これ安いわね」と感心していたほどだから、たしかに安い。三陸で土産に買ったときは1匹600円以上した。東京のスーパーではあまり見かけない高級魚だ。脂がのってとてもおいしい。

 つぼ鯛+鎌倉ハムのあらびきウインナーをゆがいて、野菜はインゲン、ジャガイモ、ナスを実にしたみそ汁でとってもらうことにする。漬物はべったら漬け。何人来るか毎日不明だが、およその見当をつけてご飯を炊く。きょうは3合か。夏になって日が伸び、夕方6時になっても、受講生がそろわないことが多い。腹をすかせてきてなにも食いものがないというのはかわいそうだから、たいてい1人前くらいは残しておくようにしている。

 料理をしながら作文添削やESの添削をすることになるが、支障をきたさないよう、ご飯とみそ汁は6時前にはできあがるようにする。ぼくの料理ではトリもも肉ニンニク野菜蒸しがなかなか評判いい。今度は木曜日の当番日当番になるだろう。大フライパンにトリもも肉4個とニンジン、ジャガイモ、ピーマン、シイタケ、ニンニクを山盛り入れる。もも肉の皮の焦げ目がきつね色になったころ、肉をひっくり返す。あとはじっと待つだけ。

 野菜から水分が出てほどよい汁が底にたまるから、野菜も肉も焦げることはない。味は塩コショウを振りかけるだけですむ。ぼくの創作料理だが、自分でもこれは傑作な男の料理じゃなかろうかと思っている。最初は火加減とか、野菜の切り身の大きさとか、塩コショウのタイミングと量とか、いろいろと試行錯誤があった。ほぼ1年がかりで失敗なく蒸すことができるようになったのである。失敗しても食べてくれる若者がいたからこそだ。

 ぼくの趣味は旅と女子、ということになっているが、料理を加えてもいい。豚肉の辛味味噌漬けなんてのも昔1人暮らしのころはよくやったものである。コンビニもスーパーもない商店街の時代、1人暮らしの男は自己流の料理をおぼえざるを得なかったのだ。


日本もぼくも女子化がひどい
つくづく軟弱になったもんだと思う。宮崎県の人口2万くらいの農村で子ども時代をすごしたぼくは、敗戦直後の困難期を体験している。おやじは林業を営んでいたので、農村ではちょっと肩身の狭い非農家だった。食料に窮することはあまりなく、スズメやイナゴや川魚を自分でとって焼いて食べていた。川魚はハヤやナマズなどだが、釣りには自宅の流しの外の湿地にうようよいるミミズを使っていた。そのミミズがいまや気持ち悪い。

もちろん、ミミズは手先でちぎって針につけていた。その当時はくにょくにょした軟体動物が気持ち悪いなんて感覚はまったくなかった。ヘビだって案外、平気に手づかみしていた。ヘビをいつもポケットにいれている友人もいたし、ヘビはどこにもいた。日本はまだ自然がいきいきしていたのである。ドジョウはたんぼの水路でドジョウすくいの要領で片足を手前に少しずつ寄せて、かごに追い込んですくいあげればおもしろいように獲れた。

すべて遊びを兼ねた食料調達だった。農村だから山林、田んぼ、畑が周囲に満ちて、小川の清流も泳いだり、魚をとったり、都会では考えられない環境だった。スズメは地面に置いたコメ粒の上にひもをつけたかごを伏せ、コメ粒をついばんでいるとひもを引っ張る。閉じ込められたスズメはバタバタと騒いだが、手をつっこんで捕まえた。頼りない骨組のスズメの首をひねって殺し、熱湯をかけて毛をむしり、内臓をだして焼いて食べた。

ぼくは鶏のさばきもできるようになったが、いまは断末魔の声を聞くのに耐えられるだろうか。農村から鹿児島市という中都市をへて東京という巨大都市に移りきて、つまりは戦後日本の推移に波乗りしてここまでやってきた。この間、嫁をもらい、女の子2子をなし、女子の孫をえた。そうして、肉食系に近かった少年は便利な文明の進化とも相まって、自然性を徐々に失い、同時に草食系の傾向を強めて気弱な老人になった。

たぶん、ぼくら70、80台の世代は同じような体験をして現在に至る。18期生のだれかが、祖父は戦災孤児だったと言っていて、それを作文に書くように勧めたいと思っているうちに、3・11の震災孤児に話が流れるうち失念してしまった。震災孤児は200人強だと記憶しているが、戦災孤児は13万人だったか、どうもあやふや。戦災孤児たちは上り坂の戦後高度成長の波にのって、社会に吸収されて溶け込んでいったのだろう。

ぼくはその戦災孤児のゆくえと高度成長と家族のあり方をからめたルポを書きたいと一時考えたが、戦災孤児のゆくえを探すのに困り果てて、ついにあきらめた。たしか戦災孤児の一例がだれかのミステリーになっていたが、神奈川県の久里浜から千葉県の金谷までフェリ―で渡る場面しか思い出せない。参院選中だが、国政選挙のたびに日本のこれまでとこれからを強く意識する。「日本を取り戻す」というキャッチコピーがピンとこない。

司馬遼太郎だったと考えるが十数年前、日本はいかに上手に坂を下るかの時期にきているといった。それは司馬が国会に進出するかどうか憂国の思いにあったころではなかったか。憂国の三島由紀夫も信奉者は多かったが、偏りがあった。ぼくのような田舎育ちの偏りのない思想家や哲学者がこれからの日本には必要だ。ぼくは偏っているけどね。日本も女子化したなあ。
 

面より裏が真実を語る
 けさ食事中に電話がかかってきた。いつものように妻が受話器を取った。「まあ!」とか「あらあ!」とか感嘆符つきの言葉を発していた。妻の家系の知り合いからだった。「100歳になったんだって。ご本人からよ。旦那さんお元気?ゴルフは?」とも聞かれたらしいが、ぼくはまだ74歳だ、年相応に疲れはするが元気である。きのう記者OB仲間が毎夏やっている軽井沢ゴルフコンペの誘いがきたが、今回も不参加。10年連続である。

 ぼくがゴルフに熱中していたなんて、ペン森生はほとんど知らない。5期生のころはNEWS23のアンカーをしている岸井成格とプレーをする機会が多く、帰りにかれはペン森に寄って若者と談論風発していた。かれは裏表のない人格者だが、裏があるとすれば若いころ酒がすぎると人間が豹変する癖があった。これはだれにでもあることで、若い時分の裏のぼくも大酒のみでどこで怪我したか負傷絶えず、上司にもよく食ってかかっていた。

 どの人間にも会社にも国にも表と裏がある。あんなまじめなひとが人を殺すなんて、というコメントはまさに人間に裏があることを示している。会社も最近では大企業ですらリストラしたい社員を1部屋にまとめて閉じ込めているなんてことをやるし、週刊文春は和民のブラック企業ぶりを追及している。国もあのオバマのアメリカが友好国からも盗聴情報を仕入れていた。復興予算をまるで関係ないケースに使っていたのは役人の裏知恵だ。

 中国の官僚はたいていわいろをもらって若い愛人をかこっているらしい。うらやましい、と感じる日本の官僚もいるのじゃなかろうか。ぼくは昔、そこそこ偉い官僚に飲みに誘われついていったが、どうもママとその役人はデキているような匂いがぷんぷんした。役人はたぶんパトロンだった。ママのなれなれしい口のきき方、役人の態度から察せられた。日本じゃ公務員の盗撮が毎日のようにある。盗撮は女性の裏に興味がある男の裏心理だ。

 歴史だって現在定説とされている事実が本当かどうか怪しい。権力をもっている者が裏を排除したかもしれない。ぼくが日曜日、飲んでいる最中にNHKの『八重の桜』がはじまる。妻が観ているから、ぼくの目にも入ってくる。いまは会津戦争だ。『八重の桜』は会津側の視点から描かれるが、裏側のもっとすさまじい状況はドラマになってない。『ある明治人の記録』(中公新書)は祖母・母・姉・妹が自害した会津の武家、柴五郎の遺書である。

 会津は薩長支配の下で下北半島の火山灰地に移封され、約8万石の大藩からわずか3万石となる。「藩士一同感泣してこれを受け、将来に希望を託せり。されど新領地は半歳雪におおわれたる痩地にて実収わずか7千石にすぎず、とうてい藩士一同を養うにたらざることを、このときだれ一人知る者なし」。柴五郎少年は零下15度の極寒を裸足で歩き、犬肉の塩煮を飲みこんで生きる。「薩長の下郎どもに一矢を報いるまでは」と父は励ます。

 ところが薩摩に対する復讐の念は西郷隆盛が死んだ西南の役で果たしたとみて、恨みは長州に集中するようになった。まだ長州山口には一矢も報いてない。会津若松の市長が山口・萩の市長の握手を拒否するくらいがせいぜいだ。参院選だ。長州人・安倍晋三に一矢も二矢も報いる手はないか。

いい思いをしてきた高齢者の仕事
 おもしろくもおかしくもなくドキドキもしない参院選挙がはじまった。新聞は連日かなりのスペースを使って関連記事を掲載しているが、はたして有権者の何パーセントが熟読していることやら。きのうの午後7時のニュース時間帯にNHKは各党首に公約を聴いていた。読むより聴くほうが楽だし心地よいので、思わず耳を傾けた。だが、どの党首も怪我をしないようにあたりさわりのない言葉を並べるので1,2を除いて頭に残らなかった。

 維新の会の橋下徹は、慰安婦発言は誤報だと相変わらず攻撃的。朝日、毎日、NHKが誤報を垂れ流すもんだから、とこれまでの言い分を繰り返した。生活の党の小沢一郎は自民党の憲法改正原案では97条が削除されている、と指摘した。「これはあまり知られていませんが」と前置きをして言った。ネットなどでは問題になっているので知っているひともいると思うが、うちのかみさんは絶対に知らない。興味も関心もないからだ。恐ろしい。

 憲法97条は基本的人権の国民への信託である。基本的人権は人間みな平等という人間が長い歴史から得た知恵だ。アメリカ連邦最高裁の同性婚合法判決の根っ子にある平等の価値と本質は同じ。日本国憲法にはもうひとつ11条で基本的人権に触れているがこっちは「国民に与える権利」のことだ。自民党原案では、11条があるから97条は要らんじゃないの、という結論になったのかもしれないが、条文ごと全文削除はだいぶひどい。

 96条先行改正で議論が盛んだったついこのあいだまで、憲法を争点にしたいと自民党は考えていたようだが、その先になにをねらっているのか、国民の疑心があることを察していつのまにか引っ込めた。株は堅調だし、ボーナスも増えたようだから、ここは経済戦術でいこう、という流れになったのだろう。各党ともアベノミクスという自民党の土俵の上での勝負に引きずり込まれ、公示早々から自民党ペースの選挙となった。

 「人口減という最大の危機にどう立ち向かうのか」と元朝日主筆の船橋洋一が毎日紙上で叫んでいた。この日本の「国家的危機をどの政党も争点にしたがらない」と。人口減社会に突入することはいまにわかったことではなく、2050年には3人に1人が65歳以上の高齢者になる。現役世代は高齢者を1人が1人を支えねばならない。ぼくはそれまで生きていないが、えらいことだ。漠然とした将来不安で日本中が息苦しいのは当然である。

 1人が1人を支えるということは具体的には年金のことだ。日本の年金は現役世代が定年後世代を支える仕組みになっているからだ。ぼくの学生時代に比べてずいぶん外国人を見かけるようになったが、いずれ日本は定年も伸び、女性もさらに働くようになり、外国移民を受け入れざるをえないだろう。日本はすでに成長の限界に達した。原発という無害にいたるまで10万年を要し、人間が制御不能なエネルギーに手を出したがまだこりない。

 アベノミクスは日本全体を株式会社にしてもうけをたくらんでいるが、日本の再生復活はきつい。1千兆円という途方もない財政赤字もかかえている。経済格差はますます広がり、限界集落やシャッター商店街は増え続け、見るも無残な国になる恐れもある。ぼくは、未来世代を信託しているから彼らを喜ばせたい。喜びと元気を与えるのは、これまでいい思いをしてきた高齢者の仕事です。

 

あとは野となれ山となれ
パーティでスピーチを頼まれると気のきいたことをしゃべろう、と意気込むが、あらかじめ考えてメモまでして準備したことを話したことがない。考えてもいなかったことが口をついで出てしまう。採用面接から帰ってきた受講生が思っていたこととは別の内容を口走ってしまったと落ち込むのと同じで、ぼくも先週土曜日はそうだった。ぼくが主役の会なのでスピーチは計算していたが、まるで関係ないことをしゃべってしまった。

 いつものことなので落ち込みはしなかったが、なにをしゃべったかまるで憶えていない。用意した中身は雲散霧消した。酒のせいだけでなく、会場の私語ががやがやとうるさいうえに、マイクが本人の声をあまり拾わず、しゃべるのにコツを要した事情も加わり、伝えるのに難儀した。みな久しぶりの邂逅だから話が盛り上がるのは当然だ。旧友相集うという宴席の幹事をやったことがあるが、このときも講師そっちのけで私語が盛んだった。

それでも耳をそばだてて聴いてくれるひともいるもので、ペン森初の栄誉ある新聞協会賞をもらった読売・岩崎千尋記者の講話のあと、感想をもとめられたぼくは無罪になったゴビンダの連想から貧困問題に触れた。「日本には年収200万円以下のワーキングプアが1100万人いる。彼らを救済できるのはメディアと行政しかない」と。すると弱者に目を注いでいる女性記者と千葉県の市役所に転職して福祉課にいる男子からお礼を言われた。

ぼくもワーキングプアに近い年収だが、医者にかかっても自己負担は1割、都営地下鉄は年2万円払ってシルバーパスを使い無料、バスも都内はシルバーパスだ。知り合いの元電通マンはシルバーパスで都内のあちこちに出回って時間をつぶしている。高齢者には結構手厚い支援策がとられているものの、定年が60、65歳というのは人材資源の無駄だ、というほかない。この年齢はまだまだ働き盛りである。引退するには早すぎる。

ぼくが女子に興味をもったのは60すぎてからだった。最近の週刊誌はセックス記事の特集が際だって目立つ。ついに80歳からという特集も現れた。新聞の広告も「生涯現役」とか「いつまでもピンピン」とか「みなぎる活力」とか,そういうたぐいの薬品関係が増えた。高齢社会の反映なのだろうが、露骨すぎる。80歳でピンピン元気だったのは『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユゴ―。87くらいで没したが直前まで絶倫だったらしい。

セックスについては名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイヤモンドが『知の逆転』(NHK出版新書)で「それは楽しいからだ」と解説する。生殖を目的としないでも人間だけはセックスができる。もうぼくには関係ないが、先週土曜日ぼくの椅子の上にだれかがコンドームをプレゼントしていった。薬品メーカーの男子は「アチラの元気が必要な時は弊社製品を」とメッセージを置いていた。ぼくは再生不能のセックス絶滅高齢種だよ。

よく獣のような、と粗暴な男子を形容するが、これは獣に失礼だ。彼らは子孫を残すため規則正しい発情期がある。その自然の法則に律されているが、健康な人間はぼくのように気持ちは永遠に発情していて、はしたない。ぼくのスピーチみたいに話が逸れた。いつも、あとは野となれ山となれ、だ。



 



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