ペン森通信
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「第三の性」を理解する
『境界を生きる』という本と『こうのとり追って』という本が25日、郵便受けに入っていた。メモ書きが添えられていたので、留守しているあいだに2期生女子が置いていったとわかった。昨日25日は箱根で1泊して午後に帰ったから、午前中留守だったのである。本は2冊とも毎日新聞に連載されていた記事をまとめたものだ。ぼくは性と生のはざまで、と副題のついた『境界を生きる』は連載時に、全部ではないが目を通していた。

『境界を生きる』は2010年、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞と第29回ファイザー医学記事賞優秀賞を受賞している。1冊の本におさめられるくらいだから、長い連載だった。長い連載になったのは、最初に取材した相手から「こんなに難しいテーマを私に一度会って話を聞くだけで記事にするんですか? まずは詳しい医者を自分で探し、十分に勉強してから改めて取材を申し込んできなさい」と言われて反省したのがきっかけ。

そうして専門医を探し十分に勉強することから、本格的な取材をはじめた。最初に出会ったひとは90年代から性分化疾患の自助活動をつづけてきた当事者。「難しいテーマ」とは性分化の種類が70以上に及ぶ複雑な疾患だからだ。「男か女か二者択一を迫られる社会の中に、これほど多様な人たちがいると知るにつけ『性別って、一体何なのだろう』という疑問が強くなった」とエピローグに記してある。男と女の境界には多様な人生がある。

性にまつわるこのような題材は、どちらかと言うとまだタブー視される。本には一話ごとに具体例が示され、その事実が詳述されている。取材相手は本人、親、医師。ペン森生は現在、春採用試験のES執筆の最中だが数年前、カミングアウトしたことをESで告白した男子がいた。その若者が性同一性障害だったかどうかは知らない。ES書きという20歳すぎてからはじめて自分と直面する場面にいたって、告白を決断したのだろう。

前に勤めていた会社に男から女に性転換したアメリカ人の30代部下がいた。父親として子どももいたが、子どもにとって女親が2人になったのである。部下は性転換するとき、ホルモンのせいか情緒不安定になって机を叩いたり奇声を発したりした。女性に転換してやがて落ち着いたさい、聞いてみた。「どう、なにか変わった?」「トイレがね、慣れで男性用に入ってしまい、ドキッとする。まだ女性用に入るには抵抗があります」

『境界を生きる』は「第三の性」ともいうべき、少数派に光をあてて世の中に理解を求めた本である。3人で組んだ取材班のペン森2期生がいたのだが、このナイーブな課題をよくそしゃくしたものと思う。取材班はもう1冊の『こうのとり追って』とも重なる記者が2人いる。これは晩婚化時代の妊娠・出産という副題がつき、きわめて現代的だ、初産年齢は11年に30歳を超え、ますます晩婚化している。その最前線をルポしたものだ。

ぼくは記者をやめてから30年近くになる。記者時代の取材相手とはもうだれとも交流がない。大半は一過性の取材される側と取材する側だった。一度会って話を聞いただけで記事にした例がほとんどだったのである。ぼくが取材される側に密着して住み込みルポを勧める所以である。


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貧困だけをテーマにする記者出でよ
 NHKスペシャルを結構楽しみにしている。2月17日は「アルジェリア」だった。新映像入手をうたっていた。とても民放はかなわない、と思わせ感心した。だが「事件の真相」というわりには、ありきたり建て前コメントをならべて、全体のインパクトを弱めた。テロの原因は「失業と貧困」なんて、だれでも言える。アルジェリアもそうだが、アフリカは資源に恵まれているのになぜ失業が多く、国民は貧困にあえいでいるのだろうか。

 そこに刃を突き付ける鋭さがなければもどかしい。本来、メディアとはそのような貧困に目を向けて社会構造を変革させる役割を担っているとぼくは考える。体制変革を求めるような大それた問題だが、事件の原因は失業と貧困なんて、突き放したものの言い方をして立ち入らないのは単なる傍観者の姿勢で救いがない。NHKはジャーナリズムとして、資源が豊かにあるわりに国民は貧困という矛盾を追求するのに遠慮があるのだろうか。

 もっとも他のメディアがそこまでやるかというとまずやらない。そんなに大きなことはメディアが扱えるような問題ではない、と思っているのかもしれない。富者と貧者が世の中に存在するのは当然であって、ましてや競争原理の自由主義社会にはそれはつきものなのだ、と諦観しているかもしれない。それでもどうして金持ちと貧乏人が生まれ、その間の差が拡大していくのかに疑問を呈すべきだ。それがメディアの拠って立つ責任であろう。

 メディアはいうまでもなく、受け手の知る権利を読者や視聴者から負託されている。昔、新聞には大(おお)新聞と小(こ)新聞とがあり、大新聞の流れをくむのが朝日、毎日で小新聞の流れをくむのが読売だ。大新聞は言論を主とし、小新聞は庶民の話題を中心にしていた。読売は江戸時代の新聞、かわら版を売り子が記事を読んで売ったことから読売という名がついた。社会面が強くなんとなく庶民派の印象があるのは由来のせいでもある。

 もちろん、現在の新聞には大も小もない。論調も多少は違う傾向がみられるものの、似たり寄ったり、だ。だがアフリカの貧困に対して、資源の乏しい日本などがもてる資金と技術を活用して搾取しているとは、いわない。日本は圧倒的な富める国でこの富は、世界の絶対的な貧困の上に成り立っている、ともいわない。9・11の同時多発テロにつづくアフガニスタン紛争で盛んに指摘された遠因は富める国と貧困のアンバランスであった。

 以前、ペン森にはブラジルやフィリピンの貧民と暮らして活動をしている若者がいた。かれらは日本のマスコミに入って、困窮の生まれる構造を変えねば世界に平和は来ない、と熱い思いをもっていた。だが、無念にもこの熱い訴えはメディアに届かず、内定にはいたらなかった。日本のメディアは世界の貧困問題は自分たちとは関係ないと思っているのである。異端の採用をしないのは、内部に旧弊な徒弟制度を保持して捨てきれないからだ。

 日本人は変化を好まない保守主義だという説がある。起業の盛んなアメリカでいわれる。
だが頑迷固陋な新聞ですら朝日も読売も毎日も、主観ストーリーを取り入れるようになってきた。主観ストーリーは異端の記者の表現や視点が読ませる。テロ事件の原因は「失業と貧困だ」と見えすいた建て前に逃げ込むのはそろそろやめようじゃないか。貧困だけをテーマにして社会構造を変えようとがんばる記者がいてもよい。
(PCの不調で更新が遅れました)



あと10年、やりたいことをやる
北海道の網走から内陸に入った温根湯温泉のホテルの経営者と親しかった時期がある。ホテルに泊ってなにかの用で外へ出たら、こっちのほうが近い、とホテルのひとが抜け道を教えてくれた。高い塀に覆われたその中に足を入れるとたちまち立ちすくんだ。檻がいくつも並んでいて、檻の中には身長2mを超すヒグマが1頭ずつ入れられ、うなり声で迎えた。強い獣臭に身をすくませながら檻と檻のあいだを抜けて塀の外へ出た。

あれは密猟のヒグマではなかったかといまにして思う。そのあと吉村昭の『羆』を読んだが、これはなんと凶暴なおそろしい肉食獣だろうと戦慄した。きょうペン森に来る途中、前の7人掛けの長椅子には女性3人男性4人が座っていたが、ぼくはいつの間にかヒグマの目で前の乗客を物色していた。正面右端のむっちりと太い腿を黒いタイツでくるんだ若い女性は脂が乗って一番おいしそうだった。隣の痩せた中年眼鏡男はいかにもまずそうだ。

吉村昭の『羆』も開拓集落の家に押し入り女性を食う。やはりヒグマも嗜好があり、適度に脂肪のついた柔らかい女性を好むらしい。ぼくも腹に脂肪は付いているが、それは余分な脂肪だ。高齢だから肉も固くてまずいだろう。ヒグマは人間の顔の美醜には目もくれないのだろうか。美しい女性がいろんな意味で必ずしもおいしいとはかぎらない。それは世の男性が経験ずみだ。女性をみる観点にヒグマの目を取り入れてみるのも一興だね。

ぼくの亡母も肉付きがよかった。ヒグマがよだれをたらしそうな女性だった。父親は太っても痩せてもいなかった。ただこの両親は子どもの前でも人前でも手を握り合っていた。ぼくが女子の手を握るのに抵抗がないのは遺伝のしからしむるところ。ヒグマを思い出したのは前の席の太った女性が亡母を連想させたからだ。亡母は若くしてがんで亡くなったが、たくましかった。ついでにぼくはスズムシやカマキリに思いが走った。

小さいころ、うす緑色をしたカマキリが木の枝の上で交尾をしたあと、メスがオスをむしゃむしゃ食べる様子を何回も見た。前脚をのばしてオスをつかんで、ほんとにむしゃむしゃと音がするような食べ方であった。スズムシもあの可憐な美しい鳴き声とは裏腹に交尾のあとはメスがオスを食べる。スズムシは明るいところでは行動しないので観察はしてないが、メスがオスを食うのである。亡母は夫を食ってストレスがなかったと思う。

先月、13期生の結婚式参加の折、両親の眠る墓参りをしてきたが、さてぼくもここに納骨するのだろうと考えた。山の中で生を受けたので山に散骨してほしい。NPO法人日本散骨協会のHPによると、ぼくが希望する植樹散骨は、秩父の山の3坪のスペースに散骨の上に植樹して料金は50万円。秩父になじみはないが、東京からそう遠くない。ぼくが趣味で俳句をやっていたころの号は「恵山人」。「恵山人」にふさわしい散骨だと思う。

だが、山に還るのはまだ先だろう。女子をヒグマの目で見る新視点も楽しまねばならないし、女子の手も握り足りない。なにより行きたい国内の旅がありすぎる。ペン森の20周年も2年先だ。あと少なくとも10年、やりたいことをやってから散骨ね。


 



スキップするわくわく老齢
 8・9・10と2泊3日で18期生の合宿を八王子セミナーハウスで実施、先輩多数が来て面接官やESチェックをしてくれた。来てくれたのは超先輩1、6期生1、7期生2、10期生1、17期生(内定者)6と合計11人。合宿で大勢の先輩が面倒を見てくれるようになったのは、場所が山梨・塩山や伊豆から八王子という交通至便な近場に変わってからだ。17期生以外、第一線で活躍しているから、仕事の合間をぬって駆けつけてくれたのである。

 前にも書いた記憶があるが、ひととひとの出会いほど人生のふしぎはない、という。合宿で若者たちの顔をみていたら、この連中の95%はおれという存在がなかったら、生涯出会うこともなかったのだ、と感慨深いものがあった。宮崎県の国有林のなかで生まれて、鹿児島市にある高校に通い、東京の私立大学から全国紙の新聞記者になり、結婚して子ども2人に恵まれ、転職し、若いジャーナリスト志望者の面倒をみながらぼくは年老いた。

 もちろん通行人のように目の前を通りすぎただけの若者も少なくない。若者と付き合いはじめたのは、70年代のはじめ、若者が熱気にあふれながらも挫折感を味わいその余熱が冷めきってないころ、社会部の世相と若者担当の遊軍記者をしていて、慶応の大学院生から学内紙の取材を受け、彼が弟子になったのがきっかけだ。彼のアルバイト仲間の早稲田の学生がこぞって近づいてきて、彼らの作文の添削をはじめたのが、36,7年前である。

冒頭部分に超先輩と記しているのはその当時の早稲田の1人である。ぼくがまだ30代で熱量が多くエネルギーに満ちていたころ出会った。これも口ぐせだが、人生の構成要素は「男と女と出会いと別れ」である。老齢になるにしたがい出会いの機会は減少してくるがぼくは毎年、新しい若者と知り合いになる。これまで中央大学、日本大学、川村学園の短大と4大で講座を持ってきたが、長続きするのはやはり飲食を共にするペン森生だ。

大学は建て前で持っている社会だから、ホンネの個性を殺さねばならない。その点、ペン森はゆるい。治外法権的なところがあって、行為は束縛されても、発言は自由闊達で制約がなく、多少行きすぎても許される。ところが大学は発言も拘束される。残念ながら、今年はどういうかわいい子と会えるだろうか、とわくわくした心境にはまったくならない。ペン森生とははじめから親密の度合いが異なる。ペン森は毎年わくわく感を味わえる。

ペン森は人間関係が濃厚だ。その濃さに耐えられない若者もいるだろう。よくアットホームな雰囲気ですね、というひとがいるが、それは酒つきの談笑が外見上そう見えるだけかもと思う。ぼくは若者が高齢者になったとき、彼らの血脈的な友情関係がどのように持続しているか興味がある。「就活も婚活もお世話になった」と礼をいうペンラブを経た夫婦も何組か誕生した。会うは別れのはじめ、ではあるが、別れる夫婦はいないだろう。

いつもは左足を引きずって帰宅するのに、ゆうべはスキップするように軽く歩けた。最近にない現象だ。合宿で若者に親しく先輩が接するのをみて、血流が躍動した成果だろう。今度は採用試験直前に作文の特訓をやる。それが終わったらぼくは近しい若い娘と2泊3日の旅だ。なんとわくわくする老齢なのだろうか。


鉄道の不親切表現
 ぼくが利用している京王線相模原線に2月22日から特急が走ることになった。以前も特急はあったが、廃止されて20分間隔で急行の都営新宿線乗り入れの急行が走っている。
ぼくの最寄り駅も急行が停車し神保町にも停まるので、これを利用してペン森にくる。朝9時44分発の最寄り駅発の急行に乗ると神保町に10時30分すぎに着く。ところがこの電車には座れないことが多い。最近は必ず座れる40分後の10時24分に乗る。

 特急も最寄り駅に停まるようになるがこれは新宿まで。ぼくが利用する地下鉄都営線乗り入れの急行はどうなるのだろうか。HPでは特急新設と書いてあって、急行にはふれてない。急行は従来のまま、特急を増設するのだろうとぼくは考えているが、この書き方は不親切。都営地下鉄乗り入れの急行は残します、くらい示してほしい。これで急行が廃止されたら、ぼくは特急を利用して途中駅で都営地下鉄乗り入れに乗り換えねばならない。

 ぼくは列車の乗り換え、乗り継ぎは嫌いではない。ひまさえあれば、分厚い時刻表を開いては路線図を見て温泉地や列車名や車両編成を見いっている。大型時刻表にはJR発行とJTB発行の2種類があるが、うちにもペン森にもJTBのものをそろえた。前はうちとペン森用とを分けていたが、ぼくにはJTBのほうの乗り継ぎがわかりやすいので、ペン森もうち用もJTBになった。時刻表は列車百科事典みたいのもので見ていてあきない。

 この間、鹿児島へ新幹線乗り継ぎで行った帰り鹿児島で「さくら」の8両編成に乗車した。ぼくが持っていた指定券は6号車である。ところが乗ってみたら、グリーン車。グリーン券を購入したおぼえはまったくない。どうなっているんだと、そのままグリーン車に入った。緑色の豪華なグリーン席はすぐ寸詰まりとなり、まん中の間仕切りのドアを抜けるとそこが指定席になっていた。1車両を半分をグリーンと指定に分けていたのだ。

 時刻表の列車編成表には6号車は2両分のスペースがとってあり、たしかにグリーンと指定に分割してある。「さくら」は九州新幹線の列車だ。携帯電話のコンセントが座席わきの随所についていた。木目を多用した車内デザインが無機的な印象を消してくつろげる。しかもぼくの指定席は片側2列シートになっていて、ゆったりとしている。九州新幹線に乗りたいというペン森生がいたが、なるほどこれなら乗ってみたい気分になる。

 時刻表は巻末に旅館・ホテル一覧表も掲載されており、これを眺めるとますます旅情がかきたてられる。宿泊の値段帯、部屋数をはじめていねいで、短い特長コメントも楽しいが、温泉なら源泉や風呂の温度もぼくは知りたい。近々、ぬるい温泉に行きたいと思っているからだし、かねがね40度以下にせめて10分間は浸かりたいと願っているからだ。ぼくは年間を通じてうちではシャワーを浴び、浴槽に浸かることはない。

 話は逸れるが、東京の電車で戸惑うアナウンスは「黄色い線の内側を歩いてください」というものだ。黄色い線が白い線の場合もあるが、問題は「内側」という言葉。線路側から離れてくれ、という注文なのだが、ぼくは「内側」を線路側に受け取ってしまい、かえって線路に近づきそうになる。「線路から離れて」でいいと思うけどね。まぎらわしい。

体育会系の暴力はやむか
柔道全日本女子の園田隆二監督が辞意を表明した。全柔連は続投させる方針だったが、その考えは世間の風圧に吹き飛ばされた。ロンドン5輪代表を含む女子選手15人が連名で全柔連ではなく、日本オリンピック委員会(JOC)に告発文を提出して監督交代などを求めていた。はじめから、全柔連は相手にされていなかったのである。クーデター的なこの告発の原因は、園田監督が暴力や暴言によって女子選手を傷つけたという点ある。

 15人の連名というのは、選手たちがよほど腹にすえかねた末の結論だっただろう。園田監督は目のくりっとした丸顔の優しい印象で獰猛な印象はないが、暴力的な体質がひそんでいたのだろう。定期的に食事会をしてざっくばらんに懇談してコミュニケーションがとれていると感じていたらしい。ぼくは毎晩ペン森で食事会をしてざっくばらんに女子と懇談しているが、ざっくばらんすぎてひんしゅくをかっている。

自分のほうからだけの一方的な信頼だった、という意味のことを監督は繰り返したが、これは相手も信頼してくれていると錯覚していた、ということだろう。相互信頼していると思っていても所詮は勝手に思い込んでいるだけなのだ。ずっと愛していると信じていたのに、夫婦の3分の1は破局を迎え離婚する。信頼というのは明確な形に現れない分、あいまいで実体はない。ただし、明らかにうそをつけば信頼関係は崩壊する。

女子柔道の告発問題は、大津の中学生いじめ自殺が引き金になったにちがいない。折しも、大津市の第三者調査委員会はいじめとの関連を指摘し、いじめによる自殺と認定した。加えて報道の問題点も指摘した「報道合戦は異常でセンセーショナルなものだった。マスコミの存在意義はどこにあるのかということが、各社、各記者本人に突きつけられている」と批判した。なかでも読売新聞の関連記事について「虚偽」とまで踏み込んだ。

ぼくの小学校入学時代は太平洋戦争末期で、校舎には米軍の上陸に備えて兵隊が詰めていた。そこで見たのが暴力だった。若い上官が年配の部下をなぐる。軍隊は暴力装置だが、内部も暴力支配がまかり通っていた。しかし、部下が上官をなぐることはなかった。上意下達方式。ぼくがいた毎日新聞社会部では宿直の晩、部下に殴打されて翌朝目の下を真っ赤にはらしていたデスクがいた。新聞社も暴力的だったが下から上へも珍しくなかった。

新聞社は体質が古いままのところが多いからけっこう暴力的である。近年は肉体よりも暴言だ。読売は体育会系と評され、やれ坊主になったとか土下座をさせられたとか、暴力的なイメージがつきまとう。大学では暴力的できつい体育会をきらって、サークルや同好会が生まれたが、サークルや同好会は締めつけもゆるい。本来、体育会の暴力には社会も寛容なところがあった。星野仙一は鉄拳監督と呼ばれるが、むしろこれは愛称に近い。

大津市の第三者調査委員会が報道合戦批判を行った対象は、メディアスクランブルに対してである。たとえば被害者や遺族の家へ新聞・テレビ・週刊誌が波状的に押しかけ同じ質問をする。「こういう場合、きみは被害者や遺族を取材するか」と面接できかれて、「行きません」と答えたら、まず落とされる。メディアは読者や視聴者が女子柔道みたいにグループで結束して告発しても意識は変わるまい。さあ、面接で言い負かすとよい。




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