ペン森通信
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すぐに陳腐化する石原老人党
 石原慎太郎が最後のご奉公を国政でやるという。尖閣諸島を東京都が購入すると言っていたころ、中国と戦争も辞さず、と意気高らかだったそうで、驚いた民主党は国有化することにしたらしい。まことに困った80歳だ。今回の国政進出も若い世代が動こうとしないので、自ら行動することにした、と言っている。会見で「若いの、しっかりしてくれ!」とかなんとか吠えたが、若者はこの老人に対してなんの興味も関心もないだろう。

 ぼくは興味も関心もある。その勃起したようなウルトラ右翼ぶりはほっとけない。だいたい民間人で軍人みたいに敬礼をする男がどこにいるのだろう。ソフトバンクのCMで「この惑星では敬礼をする老人が新党をつくって国会で現憲法を廃棄せよと訴えることが大ニュースになる」とからかえばいい。当面「たちあがれ日本」の党首になるが、この党は「立ち枯れる日本」と悪口を言われるほどの老人党だ。老人に老人がくっついて気持ち悪い。

 政界にはペン森同様、定年がないので、とくに古い自民党には老人が多い。長老支配という言葉が先の自民党総裁選では悪評としてささやかれ、長老たちの応援を受けた慎太郎の長男、伸晃は、自分のパパが数少ないウリのひとつだったが、ばか呼ばわりされたあげく惨敗した。それでもパパ慎太郎は長男がかわゆいらしく、かりに伸晃が自民党総裁になっていたら、都知事を辞めて新党をつくるなんて衝動は起こさなかったにちがいない。

 石原都知事は橋下が大阪府知事当時、大阪都構想をぶち上げた際、都は東京にひとつあるだけでいい、と言っていた。それがどうだ、橋下にすり寄っているように見える。すり寄った結果、盟友といわれた亀井静香と別れた。亀井によると、石原最後の国政進出は「石原が橋下に『維新の会を全部やる』って言われて舞い上がっちゃったんだよ」(29日毎日新聞、山田孝男の「風知草」)。どうも石原の決起にはだれもついていかない気がする。

 少なくとも石原新党はブームにはなるまい。石原は自分で考えるほどの人気はない。80歳で起つというのを憂国とみるか、時代錯誤とみるか、老醜とみるか。本人は憂国とか救国の士だと思っているだろうが、同世代に勇気や志を示すどころか、老残をさらしてみっともない成り行きになるだろう。だが80歳にしてあのエネルギーだ。テレビで見ると猫背の老人だが、老人否定の日本で80歳が脚光を浴びただけでもよしとすべきかもね。

原発、増税は大事だがささいな問題、という石原慎太郎。中央集権打破が1丁目1番地のようだが、さて自民党の大臣のとき官僚支配拒否のための行動をしたか、である。ささいな問題の原発発言でおばさんたちの票をだいぶ失ったとみられ、さすがのお山の大将も晩節を汚す次回の衆議院選挙になるのじゃないか。石原慎太郎が落選することはあるまいが、石原新党は小政党乱立のなかで埋没して惨敗の憂き目をみる可能性が高い。

「近いうち」解散が年を越すかもしれない現状では、石原新党も橋下維新と同じくすぐに陳腐化するだろう。このスピードの時代、あっというまに「石原旧党」に落ちてゆく運命だろう。都政を放り投げたお山の大将の目立ちたがりパフォーマンスはそれまで持続するか。作家に弱い出版社系週刊誌も衆議院選挙まで持ちあげるのがつらかろう。
 
 


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人生のやり残し
大改装なった東京駅をまだ見てない。早く見に行って駅中と大丸デパートをうろうろして駅弁に目をつけたい。いまのところテレビで知った大丸の「ミート矢澤」のミート弁当9800円に興味がある。これをつまみながら新幹線で仙台まで飲みつづけて行きたい。ひとりでは気分が出ないから、旅友とともに9800円弁当1個を2人で食べつつ、水筒に詰めた久保田千寿をちびちびやって、松島の温泉ホテルへ、というのが目下の願望。

松島のセンチュリーホテルの温泉には「ぬるめ」と「熱め」の大浴槽が並んでいる。ぬる湯のぼくはもちろん「ぬるめ」。ここは食事も半バイキングですしなどの要望の品を係が席まで出来たてをもってきてくれる。ごはんもすこぶるおいしい。ぼくは1回宿泊しただけだが、愛媛・今治の大潮荘とならんでぜひリピートしたい宿だ。外観を目にしただけだが、四万温泉のバスの終点わきにある四万グランドホテルも探ってみたい。

今治の大潮荘はことし中になじみの旅友と行こうかと思っていたが、来年の春休みに孫娘と四国一周を考えているので、来春宿泊だ。孫はまもなく車の免許を取得する。尾道でレンタカーを借りて、しまなみ海道を往復できれば念願成就で、もういうことはない。ただ、孫が免許の取りたてでしまなみ海道から四国入りして、四国を回ることができるかどうかが気がかりではある。ぼくもほぼ3年ぶりにハンドルを握るか、危ないかな。

今月下旬には奄美大島へペン森生4,5人と渡る。渡ると言っても船ではない。鹿児島乗り継ぎの飛行機。大嫌いな飛行機だが、やむをえず搭乗する。知り合いの作家も飛行機嫌いでかれは鉄路で鹿児島へ行き、フェリーで奄美へ行った。4日かかったというから、鹿児島まで日本海回りの列車の各駅停車を利用したのだろう。途中下車して3泊くらいしたのかもしれない。こういう旅のスタイルは老年になったぼくの憧れるところだ。

旅をしていると、いかめしい登山靴をはいた派手なおばさんの群れや、ひとりで地図入りのファイルを下げたおじさんによく出会う。中高年がこんなに多数が外出遠出するようになったのは、日本歴史上はじめてではあるまいか。昔はお伊勢参りが中高年の旅だったらしいが、いまほど盛んではなかっただろう。ぼくの新人記者時代、立川駅は季節になると遠足の子どもたちでホーム中がわんわんと賑やかだった。いまは中高年ばかりだ。

ぼくが駅弁をもって列車の旅へ行こうと急に思い立ったのは、うちの押し入れから水筒が3,4本出てきたと家内が言ってきたからだ。以前、3Lのジープ型の車に乗っていたころ、水筒にお茶を詰めコンビニでおにぎりを買って休みごとに奥多摩や山梨に向かい、山道でお茶を飲みおにぎりを食べていた。それを列車で実行してみようと思いついたのである。酒はビンやペットボトルのラッパ飲みではなく、品よく水筒からコップにつぐのだ。

そうすると当然、駅弁も吟味しなければならない。石原慎太郎は80歳で新党を起こすが、その結果として、若者の可能性の芽をつぶす気はぼくにはない。第一石原のような元気もない。石原も残された時間は限られているから、やり残したことを消化するのだろう。
ぼくのやり残しは旅に関することだけだ。



橋下の攻めに朝日防戦一方
 読売新聞も朝日新聞もとんだ醜態をさらしたもんだ。いや新聞全体が田中慶秋法務大臣の暴力団関係者との交際を週刊新潮に暴かれ、なにも報じずに赤っ恥をかいた。警察官の不祥事や取り調べの際の誘導質問もゆゆしき問題だが、これとて新聞が暴き立てることはなかった。新聞が公人のプライバシーを守る必要はない、というのがぼくの意見だ。公人とは国民の税金で生活しているひとたちのことである。その代表は政治家や役人である。

他人のことはとやかく言えないが、新聞も警察も政治家も役人も日本国同様、劣化現象がいちじるしい。読売の大誤報「世界初、iPS細胞移植」は森口尚史のインチキを見抜けなかったまぬけぶりをさらしたが、ぼくだったらうそに引っかからなかっただろうか。いささか怪しい。ハーバード大学客員講師、東京大学先端科学技術研究センター特任教授などという肩書にころりと騙されたかもしれない。ぼくもブランドや肩書に弱い。

ハーバード大学に客員講師という制度があるかどうかは知らないが、ぼくは中央大学の客員講師だったことがあるから、引っかかりやすい素地はある。客員講師は普通外部から来る非常勤講師とことなり、月給制である。夏休も冬休みも決まった額が振り込まれる。非常勤講師は1コマ90分単位で1万8000円とか出来高制だ。中央大学の客員講師の給料は月5万円だったが、5万円とはいえ安定して振り込まれるので、大いに助かった。

朝日新聞の話は100パーセント子会社の朝日新聞出版が発行する週刊朝日10月26日号の緊急連載「ハシシタ 奴の本性」の差別表現問題である。きょう発売の週刊朝日のトップ見開きで編集長のおわびが掲載されている。おわびによると、「この連載は、編集部がノンフィクション作家・佐野眞一氏に執筆を依頼しました」ということだから、読売をだました森口のような売り込みではなかった。見出しも記事もひどかったとぼくも思う。

連載は1回で打ち切りとなったが、橋下大阪市長の非難口調も尋常ではない。きょうの毎日新聞によると「自身の出自に関する週刊朝日の連載を巡り、おわびが掲載された同誌が市役所に届いたことを明かし、『謝り方も知らない鬼畜集団』などと批判、公開の場で直接謝罪するよう求めた。記事を執筆した佐野眞一氏に対しても『佐野を(社会的に)抹殺しに行かないといけない』などと激しい言葉を並べた」という。

「(朝日)社内の関係部署のチエック、指摘も受けながら進めました」というが、どのような指摘があったのだろうか。佐野眞一は一連の宮本常一本までは好きだったが、『東電OL殺人事件』を読んで嫌いになった。ゴビンダは実際無罪になったが、ゴビンダ無罪論にあまりに肩入れする一方的な主観表現のノンフィクションが許されるのだろうかと疑念を抱いたからだ。それでもぼくは主観報道を是とするが、初めから結論ありの主観ではない。

災害や事故報道で被害者の数をただ述べるだけで終わらせるな、奥にある家族や人生に思いをいたせ、ということだ。石井光太の『遺体』や思わず内面をさらけだして無力感に泣き、悩む大震災の記者のルポなどは外から見た佐野眞一よりも価値ある主観報道のノンフィクションだ。



山本周五郎をまた夢中に
 先祖かえりとでもいうのだろうか、あるいは単なる懐古趣味だろうか、いずれにしても74歳を目前にした年齢と関係があるにちがいない。中高大時代に読んだ本を再読しはじめたのである。同年齢の本好きが、はしかにかかったように夢中になった山本周五郎をまた手に取っている。愛読書に『ながい坂』をあげた11期女子がいた。えっと驚いた。周五郎の作品は総じて求道的で『ながい坂』は、彼女に似つかわしくなかったからだ。

 少年2人の友情成長物語『さぶ』、仙台藩重臣原田甲斐に定説とは別の善人の角度から光をあてた『樅の木は残った』、浦安在住当時の漁師町の生態を活写した『青べか物語』と名作は数多く、原作はよく映画、舞台、テレビ化された。『樅の木は残った』はNHKだったが、小説を読んだ吉永小百合は「女心をよくご存じだ」ともらし、最後のシーンでわたしはぬれた、との感想だった。ぼくは最期を読み返したが男だからかなにも感じなかった。

 なかでも有名なのは『赤ひげ診療譚』だろう。いまでも「赤ひげ先生」という言葉は一般に流通している。これは黒沢明が映画化した。三船敏郎が赤ひげ先生に扮した。3時間におよぶヒューマンな名画だが、長さを感じさせないドラマチックな黒沢映画だ。赤ひげは困ったひとを助けるところに意味がある。ぼくが16期男子からもらった秘薬は赤ひげ薬局で求めたものだ。まだ使うチャンスがない。ぼくも困った男だが、使うあてもない。

 現在の中高大生はわれを忘れるくらい夢中になって読みふける小説はあるのだろうか。出版社に就職した3期生男子は大の冒険小説好きでぼくと冒険小説談義をよく交わしたものだ。もっともそれは15年も前の話だかから、冒険小説も古典ばかり。アリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』とかギャビン・ライアルの『深夜プラス1』とかジャック・ヒギンスの『鷲は舞い降りた』とか、ハラハラドキドキの懐かしき物語だ。

 『女王陛下のユリシーズ号』の荒れ狂う海の描写力はすごいなあ、『鷲は舞い降りた』は悪人一辺倒のドイツ兵のなかに心やさしい者もいたという視点がよかった、といった会話がすっかり消えたのはいつからだったろうか。そのころ、ペン森には土曜日に映画会や読書会もあって、『鷲は舞い降りた』も上映した。DVDはまだ登場してなくて、ビデオテープをだれかが借りてきた。やっとケータイが売られはじめたかどうかの時代だったのだ。

 今年、うちの近くにBOOKOFFが新規に開店した。このあいだは向田邦子を6冊買ったが、あすあさっての土日は山本周五郎だ。短編集『大炊介始末』『日日平安』『おさん』
『ひとごろし』『おごそかな渇き』。ほとんど大学当時に読了したが、筋だけはかすかに憶えている。細かい部分はまったくはじめてという感じ。半世紀のあいだに98%は消し飛んでしまい、わずかに2%だけが濾過されて、純度の高い上澄みとして残留している。

 濾過されたとか純度が高いといえば聞こえはいいが、実際は過去の美化された一部が記憶されているにすぎない。老人の過去はすべて純度高く美化されるのだ。でもぼくは、現在を美化する赤ひげ秘薬をいつでも使えるよ。使いたいけど使えないだけの話。 

 
 

原発が露呈させた民主主義の限界
ノーベル文学賞をもらった中国の莫言は、まったく知らない。作品名に『赤い高梁』があるのを新聞で知り、映画『紅いコーリャン』の原作ではないかと思った。事実そうだった。この映画はチャン・イ―モウの初監督作品である。少女がハンセン病の年齢の離れた男の嫁にやらされ、広大なコーリャン畑のしじまを破って奥の一軒家で初夜を迎えた少女の短い悲鳴だけが響く。この映画は、このシーンが謎めいた強い印象として残る。

 中国映画は田舎の風景がぼくらの年齢にとっては、どこか懐かしく、もうそれだけで涙ぐんでしまうシーンもある。『初恋のきた道』『小さな中国のお針子』『山の郵便配達』…まるで戦後間もないころの日本の山村を思わせる風景がぼくは好きだ。いがみあう日本と中国だが東洋独自の自然情景に共通の心情を感じる。中国がいかに広大とはいえ、人々が身を寄せ合って暮らす内陸山間部の静かなたたずまいは古い当時の日本それと同じだ。

 中国映画はどことなく映像に透明感がある。だが『紅いコーリャン』は一転して、暴力的。それもそのはず、反日ゲリラを扱っている。この間の反日デモでもテレビはゲリラ化してテロさながらの暴力若者を写しだしたが、中国人の怨念は、根深いのではあるまいか。太平洋戦争で被害国の戦勝中国は日本に賠償を求めなかった。日清戦争で勝った日本は敗れた中国から賠償金をとった。その怨念は忘れっぽい日本の比ではないだろう。

 莫言は日本でも知られた作家らしいが、あまり食指の動く作家ではない。村上春樹もエッセーは『村上朝日堂』などは好きで愛読したが、小説は吉村昭や藤沢周平ほどの好みではない。『1Q84』はエンターテイメント性が強いというが、読もうとも思わないからコメントはなにもない。『ノルウエ―の森』は昔、上下目を通したが、憶えているのは表紙の原色と題名だけだ。『風の歌を聴け』も内容はまるで忘却の彼方。これも題名が記憶にある。

 その村上春樹の才能を認めてノーベル賞候補になりうると、早くから太鼓判を押していたのが先日亡くなった丸谷才一だ。丸谷もまた作家でエッセイストで英文学の権威で、マルチの才人だった。いかにも朝日新聞に合致する肌合いの持ち主と見られがちだが、毎日新聞に近かった。論説委員を描く『女ざかり』は毎日新聞がモデルといわれる。世評の高い毎日の書評欄は丸谷が一新した結果であった。丸谷は毎日書評欄の顧問を務めていた。

深い知性の丸谷才一は原発をどう考えていたのだろうか。リトアニアの国民投票は62・70%が原発反対の意思表示をした(15日現在)。古今東西の書物や人物を土台にエッセーを知的に展開する丸谷のコメントを耳にしたかった。原発が稼働すれば、放射性廃棄物はどんどん蓄積していく。この廃棄物をパックしたガラス固体化が安全になるのは10万年先だ。人類は15万年に誕生した。10万年先、人類は生存しているのだろうか。

 われわれは未来世代に対する責任を負っていないのだろうか。負っていると認識すればこそ、CO2の排出を問題にしているのだ。民主主義は現役世代の利益調整を図るにはいい制度だが、原発で限界を露呈した。いまさえよければ、いいのか。自然がぴくぴくと息づいていたころが懐かしいのは、郷愁ではなく、反省からだ。民主主義に代わる新しい制度をだれか考えだしてくれ!
 

 

 

 

 

ノーベル賞受賞おめでとう
いつかは受賞すると思われていた山中伸弥京大教授がノーベル賞を受賞して、日本中が沸いた。少なくともメディアは興奮一色だった。ぼくは群馬の温泉から帰ったばかりでテレビをつけるとそのニュースがホット・ニュースとして報じられた。山中教授の名前の「伸弥」は友人と同じなので、関係ないけど、親愛の情をおぼえていた。さらに教授に関することを毎日新聞の理系大学院出の5期生女子がよく記事にしていたので関心があった。

といってもぼくはできの悪い文系の老人ときているからiPS細胞なんて、1ミクロンもわからない。授賞理由は「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」。これも理解を超える。どうも再生医療や難病の仕組みの解明などにつながる革新的な功績らしいが、ぼくは再生医療というところに多大の興味を抱いた。まもなく74歳になるが、この再生は老齢者には及ぶのか及ばないのか、というただ1点の興味と関心である。

インタビューを通じて知った人間性は一言で言うと「孝のひと」と言う印象であった。父や母に対する深い孝心を公にするところはいかにも古い旧式の日本人だ。「死んで父に会う」とNHKでは言っていた。孝心がなければ言えることではない。えっ、山中教授もいずれは死んでしまうのか、再生はないのか、と一瞬ぼくはふしぎの感に打たれた。よこしまな期待があったからね。再生能力はどうやら不老不死とは密接な関係はないみたいだ。

ぼくのよこしまな期待というのは言うまでもなく、秘薬も効かない能力低下の再生はな
らないかということ。やんぬるかな、74歳を目前にしてあきらめるわけです。これが遅いか早いかは、他人に聞いてないので分明ではない。ぼくの再生なんて微小なことだが、6日に訪れた八ッ場ダムに沈む運命と言われた群馬・川原湯温泉は悲惨。吾妻線の川原湯温泉駅とともに標高の高い山上に移るというが現在はわずかな旅館が営業しているだけ。

すべての旅館が営業していたころ3期生と草津合宿の帰りに寄ったことがある。そのとき入浴した共同風呂はそのままあった。300円を払って、渡り廊下をぬけて露天風呂に浸かると底に木の葉が沈んでいた。昼どきだが、近所に食堂はない。「駅前に行くとなにか
食べられますか」「ないですよ」「コンビニはありませんか」「タクシーに乗ると行けるよ」。おばさんの助言にしたがい、その浴場で食券を買ってインスタントラーメンを食べた。

 すでに旅館の半数は、あたかも三陸の津波跡のように、敷地の斜面にコンクリートの基礎部分だけを白く残していた。もはや栄華の再生はない。地域の住民たちはダム建設に翻弄され、共同体はばらばらになり、人間関係もずたずたに裂かれ、浴衣姿も行きかわず下駄の音もしないわびしい温泉通りとなった。再生医療の進化にはめざましいものがあるのに、地域再生にはどうして進化がみられないのだろうか。川原湯温泉を壊したのはだれだ。

 もしかしてノーベル賞の騒ぎはもう一回あるかもしれない。村上春樹の文学賞である。大江健三郎の欧米におけるPR活動は本人が来てたいしたものだったとアメリカの日本人教授から聞いた。川端康成は候補になってから10年待たされたそうだ。井上靖は万年候補のまま没した。村上春樹の受賞スピーチを聞きたい。脱原発のアピールをするだろう。



スマホの興隆、旧メディアの凋落
あす10月3日から来春むけ中大の論作文講座がはじまる。キャリアセンターから依頼されて部外の講師を務めてから、何年になるだろう。キャリアセンターもまだ就職課と呼んでいたから、10年近くになるだろう。並行して職員として担当した中大ゼミ生からペン森に入塾してきたのがペン森10期生だ。このあいだゼミ1期生が来訪して8年ぶりと言っていたので、かれこれ中大とはかれこれ10年のつきあいになる。

 ペン森でやっていることと大学でやっている内容にはたいして差がない。以前は中大のほかにお嬢さま系女子大とその系列の短大、ペン森に近い日大でも講師をやっていた。4つの大学で5つの文章講座をもっていたのである。中大のゼミは職員扱いだったので、70歳定年で担当しなくなった。女子大も同様に定年でやめた。短大は少子化による学生減で学校自体が閉校になった。遠い距離にある女子大にもよく通い、忙しい60代だった。

 もっと忙しかったのは大学受験小論文の通信添削をやっていたころだ。なにしろ1学年の全員を丸投げしてきた東京の女子高もあった。人数は80人くらい。ほかに埼玉、秋田の高校も学校がペン森を勧めたらしく、一校につき7,8人の面倒を見た。東京の名だたる受験校の生徒も応じてきて東大法学部、京大経済学部へ数人が合格した。ただし、京大経済学部は日本語の論文だけでなく英文の論文と数学もあってお手あげだった。

 よくしたものでこの繁忙時代、ペン森には東大生や東大大学院生も文学部、法学部、工学部と分野がそろっていたから、SOSを出すと直ちに応援してくれた。京大アメフト部のマスコミ志望者も通信添削の受講生となり、朝日やNHKに合格した。日本ナンバーワンだったこともある京大アメフト部がまだ強かったころである。交通信号が変わったとたんに飛びだす練習法を繰り返していたという部員はNHKに入っている。

 小論文の添削を受けた女子高校生もICUや上智の学生となってペン森の受講生となって馳せ参じ、それぞれ大メディアに就職していまや子持ちである。56歳ではじめたペン森を「先生20周年まではやってください」と切望されるが、さてそれまでもつかどうか。
資金もそうだが、ぼくの体があと何年耐えられるかが問題。来月74才になるじじいだ。女子が旅に誘ってくれるのがありがたく、気分だけは若いままである。

 ついに今年も夏休みがとれなかった。ちょうどいまの時期は17期生の就活が一段落して、18期生の入塾を待つ端境期である。近年どんどん減少傾向にある受講生の入塾は少なくなる一方だ。「いま何人在籍しているんですか」と聞かれても正確なところはわからない。5人は秋採用不振で来春まで持ち越すが、やめたのか継続しているのか不明な者もいるので正確な人数はわからない。やめたのかと思っているとひょっこり来る若者も多い。

 あすから毎週水曜日にある中大講座の申し込みはわずか10人。6、7年前は60人を超えていたのに。メディアの信頼度や興味関心が同じように下降しているのか、じじいには教わりたくないという反応が露呈しているのか知らないが、スマホの隆盛にこれでいいのか、と叫びたくなる。ついにぼくも古いケ―タイをスマホに替えるけどさ。

 




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