ペン森通信
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ぬる湯で口ずさむ学生時代
 少年の純情と青春の混沌を70をすぎたぼくはまだ引きずっている。いつまでも若いと思うな、と自己牽制しながらも毎夜飲んでいる。病院に定期診断に行ったら前々回、あれだけ禁酒を迫った医師がきのうは、酒はそんなに多くなければいいですよ、とえらくものわかりがよかった。前々回に言ったことを失念していたようだ。いまはPCに替わったが、この内科医は女子も書かないようなちっこい字でカルテに記録し、どこか頼りない。

ところが酒のことを忘れた代わりに今回は、べつの注文をつけてきた。なるべく早く帰宅するように、ストレスもためないようにしてください、と。たしかに帰宅時間は老人にしては遅いほうだろう、神保町で自宅最寄り駅直通に乗車するのが、早ければ夜9時38分、遅ければ10時40分だ。それから約1時間で下車駅に着く。たいてい、ではなく必ず酒が入っている。この時間帯には優先席にも若者が座っているが、1人分は空いている。

で、最寄駅の先の駅まで寝過してしまうこともしばしばだ。うちに着いてシャワーを浴びて就寝するのは、午前1時すぎということも珍しくない。起床は7時20分~30分と、決まっている。8時半に血圧計で血圧を測る。だいたい高いほうが平均150だろうか。就寝前は125平均か。まあ、微妙な数値であろうが、ときどき悪化して朝170を超えるときがある。深呼吸を繰り返して、再度測るとたいてい150に落ち着く。

 深酒をしてシャワーのあとに測ると案外、低い。120を切って110台の低血圧になることもある。素人判断だが、酒とシャワーで血管が弛緩するのだと思う。そして、自宅にいて酒の量が減る土日は血圧が朝も夜も高い。かみさんのいる家にいると摩擦を避けてつい我慢して、もしかするとストレスがたまり、血圧が上がるのかもしれない。詳しい因果関係はまるで知らないけど。ストレス解消すなわちぼくの健康法は旅以外にない。

 4月1日はあさひ、読売、共同、NHKの筆記試験日である。春の採用試験の期間中がぼくが旅のできる時期だ。4、5、6、7月は採用試験の切迫期ではないので、ぼくは土日月は比較的自由に動ける。火水木金とウイークデーにも休めるのなら、文句なしの休暇が楽しめる。そうすると遠出も可能になる。大学時代、各駅停車で鹿児島―東京を何回も往復した。それを再現してみると、青春と老春の歴然たる相違に泣きたくなるだろう。

 もうだれも知らないが、ぼくは逆三角形の上半身をしていた少年だった。1日4キロ海で泳いでいたからだ。水着の痕跡は大学に入っても腰にくっきりとついていた。銭湯の鏡に映し陶酔して眺めていたからよく憶えている。いまは、日曜日に田舎の無人駅で何時間も列車を待っているときに、思えば遠くに来たもんだ、とコップ酒を飲み、来し方と田舎駅とを重ねてセンチメンタルに陶酔する。陶酔というより切ない心境といったほうがいい。

 ペン森17期生は平均して21歳である。52年も差がある。かれらにくらべたら、ぼくには膨大な過去がある。なにしろ敗戦が小学1年生。過去が多い分、思い出にも底がない。5月までには遠くのぬる湯の温泉に浸かりたい。ぬる湯に入っていると「かあさんの歌」を自然に口ずさむ。なつかしい歌声喫茶に入りびたった学生時代。いきなり青春が戻ってきて涙ぐむ。そして青春真っ盛りの同行者としみじみと飲み、語り、あくびをする。




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女子と師弟関係を結んだ
 前田敦子がAKB48を卒業するという。ぼくは、これは独立宣言では、と思った。ペン森も16期生の卒業式を3月18日におこなった。送る言葉を述べた17期生女子の1人が「今回、採用試験は見送って、先生についていきます」とぼくの弟子入りを宣言した。これまでぼくを「先生」と呼ばず「師匠」と呼ぶ女子はいた。私的な師弟関係というにふさわしい仲の男子も女子もいた。今度のケースはおおっぴらな師弟関係の成立である。

 もちろん相手は美系の女子だし、表現欲望も満々とした自由奔放、頭脳活発な21歳だから、ぼくは否応もなく受け入れた。前にこのブログで書いたように、不特定多数→特定少数とぼくの対象が変化してきたからには、つぎは特定個人に移行してくるのは必然だから、他の受講生には悪いが、弟子たる彼女の面倒をつぶさにみることになる。ペン森としてはみんなと同じ扱いだが、ぼく個人としては特別待遇をすることになる。

 彼女はルポライターを希望している。ぼくは彼女が大宅壮一賞を受賞するまでは寄り添うつもりだが、欲を言えばぼくが70代のうちにとってもらいたい。ぼくが80歳になっても彼女はまだ20代なのだ。どのような作風になるか、まだ見当もつかないが、ぼくは内容的にはシカゴ・トリビューンのコラムニストをしていたボブ・グリーンのような自由な文章を期待している。ストーリー性に秀でた人間味の濃い文章である。

 ボブ・グリーンは、取材相手だった17歳の少女と婚外交渉をしたことが露見して、もはや過去の人物になってしまったが『アメリカン・ビート』とか『チーズバーガーズ』とか、二十数年前の名著を何冊かもっている。これらの本を参考のため彼女にあげようと考えている。とにかく人間に対する興味と関心を失わないようにしてもらうことがぼくの務めだ。それに加えて、幅広い知識と考察力、観察眼を身につけてくれればいい。

 文章は本人の感覚とセンスをより磨いてもらう以外にない。彼女の文章はセンテンスが短くて読みいい。思いきりのよい性格を反映して「・・・が」など接続助詞でつなぐだらだら文でない歯切れのよい文体が特徴だ。文章は書かねば上達もないから多く書くにかぎる。その近道はなにを見るにつけ、必ず何かを発見するつもりで、多くを見て観察することにつきる。それを経ないと、具体的かつ人間的な内容とは程遠い粗雑なものになる。

 3月18日に弟子入り宣言をして以来、弟子とは会ってない。まだ師弟関係は形式だけの、メールによる通信師弟関係だ。実質は乏しい。春採用試験が終わってぼくが落ち着いたら、同じ体験をして同じものを見て、実作指導に取りかからねばなるまい。オン・ザ・ジョブ・トレーニングである。まずは土台づくりだ。すべての目に見えるものは目に見えないものに支えられている。目に見えない部分を分厚くしておくにこしたことはない。

 短編の名手、三浦哲郎が自作を書くにいたった経緯を説明している『雪の音 雪の香り』(新潮文庫)を読むと、師匠の井伏鱒二がしきりに書くべき題材を勧め、面倒を見てくれたことに触れている。この師弟関係はすばらしい。真似したいものである。

 


新旅友との紀行文に期待
 最近、やたらと眠い。ペン森に出てくるとき電車の座席でうとうとしてしまう。開いていた本を床に落とすこともしばしばだ。睡眠は十分とっているつもりだが、長年の疲労が蓄積しているのかもしれない。あるいは飲み疲れかもしれない。最近、遠出の旅をしてないから、ストレスがたまっている恐れもある。旅は肉体的には疲れるが、精神的には爽快である。久しぶりに日本海沿いに北上して山形・鶴岡の藤沢周平記念館へ行ってみるか。

せっかく新しい旅友志願女子が現れたことだし、遠出をしないテはない。鶴岡の温泉といえば、湯野浜温泉がある。晴れていたら、さぞや日本海に沈む夕日がきれいだろう。女子と窓からみれば、いかにもロマンチックだ。ところがぼくはあんなに鶴岡を訪れたのに湯野浜温泉には泊まったことがない。温海温泉には出版社勤務の8期女子2人に誘われ3,4年前に行った。ぼくの鶴岡市内泊はビジネスホテル「ルートイン」だ。

だれといっしょでもぼくはシングルを予約する。女子が連れなら、なおさらひとり寝がいい。ぼくはいびきをかくことがあるから同室にだれか寝ていると、えらく気になる。それに小便がますます近くなった。やむなく温泉で同室の場合もあるが、そういうときは、トイレに近いベッドを使わせてもらうことにしている。年をとると若い時分には考えもしなかった事態が日常的になる。ぼくの旅相手は若者しかいないから、楽しいけどつらい。

じつは旅でひとり寝をするようになったのは40歳くらいからである。ぼくがJTBと航空会社とホテルの営業マンが集まった会の会長にまつりあげられ、九州などへ旅をしても寝るのはいつもひとり。旅のプロたちは疲れないためには絶対にひとり寝ですと勧めたから、以後、ひとり寝が快適になった。もちろん飲酒の果てだから多少、それだけでも同室者に迷惑をかける。だれにも気づかう必要のないひとり寝が最高の贅沢なのである。

早いとこペン森を閉めて、紀行ライターになってみたいという欲望がうごめくことが多くなった。ぼくにも自由時間をくれ、と叫びたい。せいぜい2泊か3日の旅しかできない身がかわいそうでたまらない。同年齢の年寄りたちの大半がひまをもてあましているというのに、ぼくには余裕がないのだ。ローカル線乗り継いでのひとり旅もいいが、気のおけない若者とのふたり旅もきわめて趣味に合致して気分はいい。

紀行文は会話が弾む相手が同行してくれ、道中の会話や同行者のひととなりを挿入すれば単調平板さを消すことが可能だ。内田百の一連の『阿房列車」、山口瞳の『温泉へ行こう』しかりである。その点、宮脇俊三は同行相手がいない場合のほうが多い。紀行文を文学にまで昇華させたかれは、列車や線路や駅そのものや窓外の光景を描ききったので同行者は必要なかった。ぼくの新旅友とのふたり旅はよき紀行文を生んでれるにちがいない。




 

不倫は日本の文化だった
 姦通という言葉はほとんど死語である。浮気もあまり使われない。ぼくは旧式の人間なので、不倫よりもしめっぽい姦通や浮気や情事や密通や不義に愛着をおぼえる。愛着があるからといって、期待されても困る。ノンフィクション『コンニャク屋漂流記』が第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」を受賞したが、コンニャクとしては読まねば、と学生からひやかされる。ぼくはもはやその方面には実践も実戦も関係のない機能喪失の高齢者です。

 期待にたがわぬ官能発揮の活躍をみせたのは、小栗旬ではなく、むかしの耽美主義文学の国民詩人、北原白秋。「待ちぼうけ」や「この道」などの童謡で親しまれる白秋は、浮気相手の人妻の夫から姦通罪で訴えられ、起訴される。以前の刑法には姦通罪があったのである。「有夫ノ婦姦通シタルトキハ2年以下ノ懲役ニ処ス」。妻が姦通すると、夫は妻とその姦通相手を告訴することができた。夫は姦通しても人妻でないかぎり、問題なかった。

 ぼくがもっと若く力みなぎる妻子ある公的立場の壮年であっても、若い独身女子と情事にふけってもなんの咎めも受けなかったのだ。妻の目と腹上死が怖いだけである。腹上死といえばけっこうあるらしい。ぼくのように飲酒を伴う高血圧初老は脈拍が異常に速まってしまうから、実力を超えてがんばってはいけない。話がずれた。いま公的立場の男性が人妻や独身女子と情を通じたら、フライデーがほっとかない。窮屈な世の中だ。

 その点、ぼくは公的立場ではないし、有名人でもない。気楽な自由人ではあるが、コンニャクがかなしい。ぼくは性愛とはほとんど無縁ではあるが、それに関する情動は豊かである。枯れるということがない。ぼくは文学者ではないから、これは想像だが、日本の文学者は情動豊富でやりきれぬ思いをしてきて、それを作品にぶつけたひとが多いのではないだろうか。1000年前の『源氏物語』以来、密通姦通は日本の文化の伝統だったのだ。

 だから素足で靴をはくタレント石田某が、「不倫は文化」と言ったのには深い意味があったのである。言い得て妙。ぼくは密通文学の戦後の最高峰は藤沢周平の『海鳴り』だと思っている。人生を考える高齢男性には胸が詰まる内容だ。話があさっての方向に行ってしまったが、もとに戻すと北原白秋の姦通について書くつもりだった。白秋はきわめてナイーブな抒情性を童謡によって表すが、じつは性愛の陶酔に自己を解放した男だった。

 『ここ過ぎて 北原白秋と3人の妻』を書いた瀬戸内寂聴は天台宗の尼僧になったが、学生結婚して夫と子どもをすて、「不倫こそ真の恋愛」というほどの自由人で、白秋を書くにふさわしい作家といえよう。本の題名は「ここ過ぎて官能の愉楽のそのに」という白秋の『邪宗門』からとっている。白秋は最初の姦通相手の印象を「下腹部できゅっと締って腰の出っ張った」日本人離れした女性と表現している。助平な目つきが想像できる。

 文学者というか文士は男ざかり、女ざかりに姦通して元気になり、傑作を残した。日本の文学や文化の地下水脈には不貞不義密通が伏流しているのである。日本人は単純真面目そうに見えるが内面は、大いなる助平というのが実体なのだ。

 

 

3・111周年が迫った人生の再考
大震災から1周年目3月11日のテレビや新聞は特別番組や大特集がすごかった。3・11はそれほど衝撃的だったということだろう。ぼくも1年前、あの長く激しい地震と帰宅難民となり、ペン森で夜を明かしたことを思い出していた。帰れないとわかったとたん、酒を買って飲んだが、つけていたラジオから緊急地震速報が飛び出してきて、そのつど緊張してあまり眠れなかったこともよみがえった。

普段の生活のなかで振り返ることもなく、次第に記憶も希薄になってゆくのを報道機関が食いとめてくれるのは、うんざりするけどありがたい。「忘れないようにしよう」と決意も新たな3・11だったが、実際は何年か先にはスペシャルもなく、通常の1日になるのだろうか。原発事故という途方もない人災は否応なく廃炉まで40年間もつきまとい、忘れようにも忘れられない。40年というと、いまのペン森生は60歳をすぎている。

原発は最終的に核廃棄物、すなわち核のゴミを出す。2011年度のボーン・上田賞を毎日の会川晴之記者と朝日の奥寺淳記者が受賞したが、会川記者は日米が極秘に核のゴミの処分場をモンゴルにつくる計画について交渉している、と報じた。モンゴルを最終処分場にしようとの目論見であったが、日米の計画は白日の下にさらされた。国内では福島原発がれきの中間処分場問題で騒がれているが、最終がないのに中間とはおかしい。

 原発は子孫に核のゴミを残す。ぼくはその点だけでも反原発の立場である。人間は自分の能力を超え、コントロールできないエネルギーに手を出した。石油が限界だったのだ。原発頼らないことを決めたドイツは、原発は倫理問題という捉え方をする。子孫に核のゴミを残すのは倫理に反する行為だ、いうわけである。大震災は日本人に生活と生き方の再考を迫った。自然エネルギーへの移行、転換を選択するひとが増えたのは教訓的だ。

  
 以上、今回は短めにまじめに。
替え玉検便の時代に比べると・・・
 ESの項目に「いまだれにインタビューしたいですか」というのがあった。昨年京都大学で携帯電話によるカンニングが発覚して逮捕された受験生をインタビュー相手にあげたペン森生がいて、ぼくはそのセンスに感心した。その後かれは大学に進学したのだろうか、あるいは世間の目を恐れてひきこもってしまったのだろうか。これで逮捕するほどあくどい行為か、という意味のことをぼくはこのブログで書いた。

 採用試験の一環としウエブ試験を課す企業が多いらしい。その試験を代わりの者にやってもらう替え玉受験が当たり前のようにおこなわれている、と聞いた。昨年から経団連の申し合わせで10月1日に就活は解禁されたが、その分就活の期間は圧縮された。会社説明会やES提出が2カ月間に集中して、学生は忙しい。神経的に参っている学生も散見される。焦って替え玉ウエブテスト受験を頼むのだろう。替え玉には当然、謝礼を払う。

 冷静に考えればもちろん替え玉なんて、やっても頼んでもいけないことだ、と分別がつくはずだが、焦りまくって、もはやプライドもなにもない。ぼくには替え玉を頼む気持ちがまったく理解できないが、もしかしてぼく自身がESの替え玉記入をしていると考えるときがある。記入文章の点検は仕事のうちに入っているが、文章記入まで依頼されることがある。そうすると、これは本人に成り済ました行為になるのではあるまいか。

 ぼくはESの提出締め切り直前に「みてくれ」と頼まれると、内心では「この内容では通じないよ」と毒づきながら妥協してOKを出してしまうことがけっこうある。直しても、それはぼくの価値観を注入しただけのことで、本人の考えを反映したものではない。清書の時間を考慮すれば、とてもアドバイスで片付ける余裕はない。テンパった状態の本人はもう恥も外聞もなく、1から10まで他人に頼り切らざるを得ないのだろう。

 頼られるぼくは替え玉受験とほとんど同じインチキをしているわけだ。近年の若者は考えること、思考が苦手だからすぐ答えを求めたがる。スマホやPCなどのコミュニケーション機器は思考というプロセスを省いて瞬時に答えを出してくれる。それに慣れた若者はプロセスを他の知恵者に任せて結果だけを得る。これじゃ思考力が衰えていると懸念されるのも当たり前だ。ペン森17年、ESや作文が示す学力の低下は明らかである。

 いつからか検便がなくなった。マッチ箱に便を少量入れて学校にもっていったものだった。ぼくは自分のものを持参したが、なかには他人のものを入れる子もいた。妹が「姉ちゃんのを貸して、次は私のを返すから」という会話を耳にしたのを記憶している。これも替え玉だ。なかには犬の便を入れてごまかそうとした男の子もいた。ウエブテストの替え玉は金銭のやりとりがあり学生間の取引が成立しているようだが、検便の可愛いさはない。



規格外人間は可能性と文化だ
春は別れと出会いの季節である。ペン森16期生の卒業式は3月18日におこなわれる。彼らの大半は記者となって地方に赴任する。研修で上京するたびにペン森に寄ってくれるだろうが、徐々に自社の空気に染まってきて、立ち寄る頻度は少なくなる。彼らとの別れの一方、17期生はそのまま残り、夏がすぎるころ、秋採用ねらいの若者たちがやってきて新しい出会いが生まれる。年年歳歳同じ繰り返しをしてきて17年になる。

 日曜日は伊豆でミニ合宿をして、きのうはその足でペン森に着いた。伊豆はぼくがルネッサ城ヶ崎、ルネッサ赤沢の会員になっているので、数年前からよく合宿に利用している。中央大学でぼくがゼミをもっているころからだから、ペン森の期でいうと8年前の9期生からになる。ゼミ合宿は伊豆だけでなく飛騨高山、白川郷にもそれぞれ一泊した。中大前に2台の車で集まったときぼくが「さてどこへ行こうか」と言ったら、みんなたまげていた。

 予定はあらかじめ決めている場合もあるが、たいていはその場の気分や天気で決定するのがぼくのやり方だ。いい加減といえばいい加減である。だからぼくの人生は定規で測ったような規格品ではない。規格からはずれたような男女が好きだ。規格外にこそ可能性と文化の生命がある、とぼくは考えている。近年の大学生はあまりにも規格品でありすぎて、規格外はすくない。若者の内向き、男性の草食化は規格品に安住しているからだ。

 自衛隊は志願制だが、戦前戦中は徴兵検査があった。「検査の対象は、徴兵通例者いわゆる壮丁と呼ばれる、満20歳に達した日本男子全員である。例外は高等専門学校や大学に在学中の者で、こちらは徴兵延期の手続きをして卒業後に受験する」(帚木蓬生『蠅の帝国』)。「壮丁は一人ずつ下着ひとつの丸裸になり、順番に検査に並ぶ。このとき、パンツは例外で、越中か六尺ふんどしである」(同)。ぼくは一時、ピンクのふんどしを着用していたなあ。

 いうまでみなく、いまはふんどしが例外である。洋もののパンツは日本男児たるもの穿いては恥だったのだ。色も柄もない白いトランクスがほとんどだったらしい。検査は身長、胸囲、体重、座高の計測、眼や耳田氏が不自由な者と身長が150センチに満たない者は丁種不合格、トラホームと性病の検査を受けただけで退場させられた。丁というのは甲乙丙丁のランクの最下位だ。体格のいい甲種合格は意気揚々と兵隊に行って死んだ者が多い。

 肛門と性器の検査はふんどしをはずしておこなう。性器はもちろん、性病にかかっているかどうかを調べるわけである。淋毒性尿道炎と記入されると「こんな恥ずかしい病気になって、畏れ多くも天皇陛下の軍人になれると思うか」とこっぴどく怒られる。そのあと根ほり葉ほり質問され、相手の女性の名前も白状しなければならない。必ずしもその道の女性から感染したとは限らないからだ。いまは素人の女性のほうが危険だという声もある。

 徴兵検査は身体的な規格品をとり出すろ過装置だったわけである。春採用組は今月ES記入が集中し、4月1日が朝日、読売、共同通信、NHKの筆記試験日である。採用試験はESの段階から若者がろ過装置にかけられていることになる。装置を抜けたらますます規格品の精神的鋳型にはまっている若者ばかりだった、ということがないように願いたい。

 

蠅たかる兵をみとった軍医の物語
帚木蓬生(ははきぎほうせい)は、現役の精神科医であり、作家である。東大仏文をでてTBSに勤めて退社し九州大学医学部に学ぶ。直木賞の候補にはなったが、直木賞は受賞してない。だが、数多くの文学賞を受賞している。吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞、柴田連三郎賞、新田次郎文学賞と総なめにしている。柴田連三郎賞の『逃亡』は吉村昭の『遠い日の戦争』と同じく、敗戦を境に追われる立場に急変した軍人を描いている。

戦争の侵略側加害者の立場が敗戦と同時に境遇が犯罪者に逆転するひとがいる。たとえば憲兵などは敗戦し占領されると、それまでお国のために共に戦った味方に攻撃される。占領軍の触手となった日本の官憲の目を逃れて生きねばならないのだ。『逃亡』も『遠い日の戦争』もその不条理をテーマにした作品である。文学の位置関係では戦争文学になるのだろうが、ぼくがいま読んでいる帚木の『蠅の帝国』は戦記ものである。

『蠅の帝国』は、軍医一人一人の手記の形式をとって、一種のノンフィクション風に仕立ててある。死体にうじがわき蠅がたかり、兵隊の命が消滅していく酸鼻きわまる南方戦線が題材になっている分、リアルな描写がつづく。帚木は医者だから医学用語を駆使して表現する。人間はなぜ戦争をするのだろうか、といった凡庸なありきたりの疑問は提示されておらず、人間という物体の生身の肉塊に医者の目を注いでゆく。痛憤凄惨な記録。

『蠅の帝国』は『蛍の航跡』の続編であるが、ぼくは『蛍』のほうは前に読み終えた。あべこべになったのは『蠅』が刊行された時点で『蛍』という前作があることを知って、『蠅』を先に買ってしまったのである。一篇一篇が読み切りの手記スタイルなので、後先に読んでも違和感はない。ぼくは読み切りや単発の本が性に合っているらしく、テレビの連続ものは苦手だ。朝の連続テレビドラマや大河ドラマも「運命の人」も一切みない。

軍医だけかもしれないが、旧軍隊の異動の多さに驚かされる。1人が戦死したら、その補充が必要になる。専門性が高いからか、順繰りに異動する。どこに配属されるか、ひとの運不運はこういうところにあらわれる。それは全国紙の記者も同じで、やたら忙しいところもある一方、ひまなところもある。人海戦術をとらねば不安な上司もいるし、単独取材で記者を鍛える上司もいる。軍隊は生死を分けるが、記者はそうではないだけの話だ。

『蠅』にも『蛍』にも軍医たちの黙示録』という副題がついている。帚木は冒頭に「先の大戦で散華された あるいは幸いにも生還された 陸海軍の軍医の方々に 本書を捧げる」と鎮魂の言葉を述べている。巻末に膨大な参考資料を示しているから、それらを読みこんで物語にしたのだろう。百田尚樹の『永遠のゼロ』と似たような、異なるような戦記ものだが、軍医の任務から見た軍隊の非人間性や狂気がこれほどわかる本ははじめてだ。 







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