ペン森通信
リニア新幹線、そんなに急いでどこへ行く
ぼくは各駅停車乗り継ぎの旅好きだから、リニア中央新幹線には絶対に乗らないだろう。いや、品川から名古屋まで40分で結ばれるとされる2027年までは生きていない可能性が強いし、大阪までを67分でつなぐとされる2045年には天国か地獄に行っている。10兆円の巨費を投じて、車体を10センチ浮上させて時速500キロで飛んでゆく、8割がトンネルの路線のどこがいいのだろうか。料金も安くはないだろうし。

 そもそも大阪まで67分で行きたい利用者がいるのだろうか。長野新幹線で東京―長野の日帰りが増えカネが落ちず、長野ががっかりしたのと同様、JR東海はなんて馬鹿なことを考えたのだろう、と悔むのではないだろうか。東電の17%の値上げで都庁の電気代は1億円上乗せになるという。リニアの電力消費量はそれどころの比ではあるまい。原発の2,3基の増設が必要という説もあるくらいだ。とんでもない代物だとぼくは思う。

 8割がトンネルなら当然、掘った分だけの土がでる。その膨大な量の土はどう処理するつもりだろうか。しかも南アルプスに穴を開ける。近隣村落の水涸れとか影響はないのだろうか。リニアは現在、山梨の大月と都留のあいだの18・4キロで走行実験をしている。ぼくはその前に実験線があった宮崎には植村直巳の未亡人ともう1人の共通友人の3人で旅のついでに寄って写真を撮ったことがあるので、リニアには思い入れがあるのだ。

 以前、交通標語に「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く」とスピードを戒める傑作があった。リニアと聞くと、それを思い出す。リニアの着工は平成15年からとされ、JR東海は昨年12月6日、2年間を要する環境アセスメントに着手した。ぼくが住んでいる東京都多摩市に隣接する稲城市には直径30メートルの縦坑が掘られるが、その場所は明示されてない。住宅地への影響はまったくないのだろうか。

 JR信濃大町―立山間の立山黒部アルペンルートは黒部ダムの景観が素晴らしいが、ルートはトンネルの中が多い。その掘削工事は難工事だった。リニアのトンネル工事は異常出水や岩盤崩落に見舞われるにちがいなく、難工事が予想される。工期が延びれば、工費もかさむ。借金が3兆円近くあるJR東海は自費でまかなうと言っているが、リニアに投じる10兆円は、果たして1社でもちきるのだろうか。税金にすがることがないように頼む。
 
 経済性、環境問題、電磁波障害、トンネル内事故対策と難問をかかえながら、工事は安全性をうたって前進する。それはまるで安全神話を信じさせてきた原発と同じだ。メディアがこれを問題視しないのも原発とそっくりだ。中間駅は各県1駅だが、相も変わらず地域振興のなると誘致に血道をあげている。需要は期待するほどないだろうとぼくは思う。ぼくの見立てはどうでもいいが、日本人はそんなに急いでどこへ行くのか。
 

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ペン森から「石井光太」をだすぞ!
 冬になると体中が少しかゆい。湿疹があるわけじゃないから、老人の乾燥肌のせいだろう。薬屋の店先にメンソレータム近江兄弟社のかゆみ止めがあったので、さっそく買った。ところがだ、背中の全面積にかゆみ止めは塗れなくなっていた。右手も左手も届かない部分がある。こりゃ年をとったなあ、と自覚せざるをえない。ぼくは後ろに反りかえって腹を上に、手のひらを床につけたまま歩ける?くらい柔らかかったのに。

 数年前まで、背中がかゆくても孫の手なしに自分の手でくまなくかくことができた。だからいまだかつて、背中を流してもらったことはない。それがどのような感じがするかもわからない。気持ちがよいのだろうがそれはどのような快感なのか、こそばゆいのか、気分が高揚するのか、興奮するのか。これまで全身のあらゆる部位のなかで背中だけが、だれも触れたことのない聖域だった。肉親をふくめて他人の背中を流したことも皆無である。

 背中全部に手が届かなくなった、というのは体が硬くなった証拠だろう。背丈も縮んできたような気がする。166センチあったのがいまは164センチくらいしかないかもしれない。100歳の日野原重明医師は7センチ縮んだというから、やはり歳を重ねると体はしぼんでくるらしい。そうすると、愚息も短小化してしまうのであろうか。もともと猛々しくも隆々たるものでもなく貧弱だったが、これでは縮んで極貧になってしまう。

 昔はこうだった、という老人の繰りごとは若者を相手にする立場としては、戒まねばならないが、まあぼくは過去にあまり執着するほうではないから、ときにはお許し願いたい。昨夜も言ったことだが、ESラッシュのいま、女性誌、漫画・アニメ・音楽方面は大の苦手、お手上げだ。その代わり新聞ESは得意分野だろう。ただ、感覚的に多少は古い恐れもあるから、能力的にもはや通じないのではと考えることもある。

某大手紙がルポ紙面を新設するらしいときいた。これは楽しみだ。ペン森生がルポで活躍できる機会がふえるからである。まだ署名記事がないころ、ぼくは署名のルポをけっこう書いた。これまでのぼくの相手は不特定多数(新聞・週刊誌)→特定少数(ペンの森)ときたから、行きつく先は特定個人である。特定個人を世に送り出してぼくの理想を開花させたいという欲望が湧いてきている。つまり行動を共にする若者を探しているのだ。

 古きからの連続性を意識しながら、先の可能性に懸けるほうをぼくが選択しがちなのは、まだまだ枯淡の境地には至らず、生臭いところのある老人だからだろう。行くべきか、行かざるべきかだと、行くほうを選ぶのは昔から変わらない。やるべきか、やらざるべきか。やるんです。問題は特定個人に名乗りをあげるペン森生がいるかどうかだ。老体についてくる古風なペン森生がいるかどうかだ。ペン森生から出でよ、石井光太!

 

 


わが庭のメジロを愛でる朝
先週金曜日からPC不調につきこのブログの更新ができなかった。本日再開可能となった。
 
ミカンをまん中から輪切りにして割り箸に刺し、それを植え木の横に刺しておくと、可憐なメジロが飛んでくる。切り口にくちばしを突っ込み、新体操よろしく柔軟に体を動かして、周囲を警戒しているようすをドアのガラス越しに見つつ、ぼくは朝食を摂る。小さな庭だがモクレンやモッコスも植わって冬でも葉を茂らせているので、小鳥は1匹あるいはつがいで来やすいのだろう。庭の樹木からドアわきのミカンに降りてくるのである。

 ときどき小柄なメジロより四回りくらい大きいヒヨドリもやってくるが、こっちは荒々しくミカンを食い散らかして品がない。メジロが美しい緑の服をまとった清らかな少女なら、灰褐色のヒヨドリはがさつな酔っ払いのじじいだ。去年までは近所のネコのクロちゃんが庭先をうろうろしていて、野鳥たちも落ち着かなかったのだが、今年クロちゃんは姿を見せない。歳をとって寝たきりになったのだろうか。クロちゃんは老猫だったのだ。

ぼくの住んでいる辺りはかつての多摩丘陵地帯。ハイキングコースだった。ぼくは最初の赴任地が八王子支局だったのでいまの居住地あたりも取材範囲だった。多摩市役所は鉄筋コンクリート建てになっているが、当時の多摩村役場は木造2階建てだったように記憶している。村長の秘書嬢がかわいくて、用もないのに通ったものだ。ハイカーが地図を片手に丘陵地帯を歩いていたら、民家の玄関先に着いたという記事をぼくは書いた。

 50年前のそのころから高度成長につれ、東京一極集中による都市化は確実に進みつつあった。八王子から葛飾区や江戸川区という下町の事件・事故担当となるが、アパート、住宅が畑の近辺に建ち並び、子どもが用水路や畑の肥溜めに落ちてよく死んだ。子どもは急激な都市化の中に残存する田舎に適応できなかった。ぼくは都市が無秩序に拡大するスプロール現象とそれがもたらすひずみについて、なにも認識していなかったのである。

 ただひたすら現象を追いかけて、昼食を食べるのが夜になるのも珍しくなかったサツまわり時代。いまのように便利なスーパーやコンビニなんてあるわけもなく、ぼくの食事は記者クラブがあった本所警察で他の記者に出前のラーメンの汁だけ残してもらって、警察署の用務員のおじさんからもらった飯にかけてすませたりした。給料は酒に消えていた。亀有署の警部補はぼくをよく呼び出しては 夜勤警察官の賄い夕食を食べさせてくれた。

 癒着なんてものではなく、完全に同化していた。没収したエロフィルムは試写会と称して鍵をした部屋で若い記者と捜査官が観賞した。遅刻した朝日記者がおれにもみせろ!と激昂したことを思い出す。60年代のはじめ、社会はまったくゆるかったのである。多摩丘陵が宅地開発されるとは知らなかった。わが家は多摩ニュータウンの外側にあるが、周辺は丘陵地帯の名残で野鳥も多く、わが庭までえさを求めてやってくるのである。

 いまや多摩ニュータウンも、大都会の中の限界集落のようである。30年近く居住しているうち、町内の子どもの入学祝は消滅し、顔なじみも見ないと思ったら亡くなっている。ネコの多い町内だったが、すっかりネコも見なくなった。老人の送り迎えをする介護の車だけが増えた。時代は容赦なく流れて、現実がどんどん様変わりする。老境のぼくは小さいころ小鳥を殺した罪悪感を反芻し、二日酔い知らずの健康体で朝、メジロを愛でる。

ESは数撃っても当たらない
もう10年くらい前だが、エントリーシート(ES)を電車の中で書いている女子大生がいた。たまたまそれを目の前でみた記者が憤りのコラムに書いていた。ちょこっと記入しただけで通用するもんじゃないよ。ぼくは1ヵ月くらいかけて書いたもんだ。1ヵ月はかけすぎかもかもしれないが、せめて1週間は考えて記入してくれよ。という内容だったように記憶している。今年もまた春採用前のESシーズンになり、そのコラムを思い出す。

 ESは21年か22年かの過去の自分と直面するはじめての機会であるとぼくは考えている。ペン森にも2時間か3時間でさらさらと書く学生がいるが、お前の過去はそんなに軽いものだったのか、と軽蔑したくなる。就職難と言われながら、学生のESに取り組む姿勢には真剣さが不足している。朝日に入った卒業生のなかにはESを見る立場の記者もいるが、かれはESの劣化がはなはだしい、と口癖のように嘆いている。

 つまりは人生をまじめに生きてこなかった結果が、ESに反映されているのだ。この場合、まじめというのは授業にきっちり出ていた、という意味のまじめではない。なにをどう考えてきたのか、その思考を通して自分の意見を確立しているか、といったことや世界を旅して日本をどう客観視できるようになったのか、国内を旅したのなら地方に行って感じた日本の実相といった側面を、自分の言葉で表現できるかどうか、ということだろう。

 近年、若者は優しくなった。半面、心身ともに弱くなった。東南アジアひとり旅をして長期滞在もしてきた気の弱いペン森男子が前にいた。ところがかれは帰国してきたら、たくましい別人に変貌していた。自信をもってはきはきとものを言い、ものの言い方にも深い思慮が感じられオーラすら発して、リーダーシップを発揮するようになった。かれは1年目、就職に失敗して秋から外国に行き冬を越して帰国し、見事に脱皮したのである。

 ぼくも以前はもっとまじめで優しくはなかった。現役で早稲田に入った記者志望の女子に「なにも知らないまま社会に出たら社会に対して失礼だ。1年間休学してもう少し世の中のことを勉強してから記者になれ」と休学を強いた。2年後彼女は記者になった。広島に帰省する早稲田生男子に航空機や新幹線には乗るな、路線バスを乗り継いで行け、と命じ、かれに寝袋をプレゼントした。10日間かけてかれは日本の内臓を検視し帰省した。

 ペン森は帰国子女や留学経験者が多いが、一般に若者が内向きで欧米留学の学生が激減したという。ハーバードやMITやケンブリッジへ日本人学生が留学しなくなったのは、学力がついていけないと自覚しているか、未知への試練に二の足をふんでいるか、自分の意見を持ってない不安があるか、のどれかか、あるいはそのすべてだろう。ぼくは学力がいちばんの理由ではあるまいかと思っている。それはペン森でも明らかだからだ。

 学力低下や立ち向かっていく姿勢やこれまでの蓄積の浅さが、ES記入にも表れている、とぼくは感じる。印象に残るESはそんなに簡単に書けるものではない、ということはみんなわかっているはずだ。数撃ちゃ当たる、ということもESにかぎってはありえない。数を撃とうとするから全部が内容の浅いものになって、全敗につながる。1発必中のつもりで第一志望に時間をかけて集中すれば、使いまわしもきき、複数社内定の近道だ。 


おいしいものにありつきそうな予感
 ぼくは日本社会については悲観的だが、自分自身については悲観も楽観もしてない。もう人生の残り時間が少ないので、前方が明るく広がるという活況は望めない。ただペン森の若者を相手に酒を飲んで笑いさんざめき、ときにはr指定トークに時間を忘れ、好ましい女子の旅友候補が見つかれば声をかけ、限定された範囲でうるおいを楽しむ。読書も内面を耕作してくれるが、いくら耕作してももはや実りは求めない。楽しめればいいだけ。

 個人的には読書は娯楽だから、DVDや旅と同じように取りかかる前の期待がふくらむ。本来が活字好きなので本の所有は多いと思う。書棚には未読の本がかなりある。読まねばと気になっている。ステファン・ツヴァイクの『バルザック』、藤沢周平の『白き瓶』、ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』、ラインホルト・メスナー『メスナ―自伝』とたちまち書名がでてくるほどの強迫観念がある。要するに分厚い本は後回しにしてきたのだ。

 ぼくはおいしいものを最後に口に入れるほうだから、おいしい作品が残っていると思うことにしている。購入した当時はいまより若いわけだから当然、エネルギーもまだあった。分厚い本を読みこなすのが平気のはずだったのに、なぜ未読本がかくもあるのか。書棚6000冊のうち20分の1は読んでないかもしれない。同じ題名が単行本と文庫とあったりするから、読んだことを失念しているケースもよくある。

 失念の傾向はだれにでも共通すると思うが、ぼくの場合は単行本以外に同じ題名の文庫が2冊、3冊あったりするからちょっと度がすぎている。もちろん買う際はページを開き冒頭部分に目を通してチェックするようにしている。ところが老眼鏡をかけず、裸眼でぼんやりとした活字をたどるだけなので、ストーリーの把握までには至らない。これは老化現象というよりも、内側から凋落していく過程に入ったと見るべきではあるまいか。

 たしかに記憶再生装置はもはやメンテしても間にあわない。作文もだれがなにを書いたか、憶えている率がいちじるしく低下した。これには印象深いエピソードを土台に展開する文章にお目にかからなくなったせいもあるので、ぼくの劣化現象のせいだけとは言えない。でもね、老成熟のぼくを補ってくれる仕組みができつつある。7期生の現役記者を中心とした当番制の17期生ES・面接支援システムが動きはじめているので心強い。

 卒業生の支援システムもそうだが、ぼくはここにきて、おいしいものにありつきそうな予感がする。最近女子から旅の誘いが降ってくる。うれしい予感。あのケネディ大統領はぼくと同じく?!マリリンモンローとか女性の噂が絶えない男性だったが、50年前のホワイトハウス女子実習生が8日、交際の日々を語る回顧録を出した。50年後、ぼくも回顧録を書いてくれそうな女子とねんごろになっておきたい。JFKに負けてたまるか。
 
 

中島らもにはなれないが
 神保町に100円ショップが開店した。ぼくは100円ショップが好きで土日にはわが家の近所の店を必ずのぞき、ペン森の雑貨を補充している。神保町の店は通路が狭いので行かないが、その代わり古本屋街の歩道に面してワゴンセール状態で売っている100円古本が大いに気に入っている。最近勝ったうちの1冊が中島らも『しりとりえっせい』だ。90年に夕刊フジに連載したものを講談社文庫にまとめたものである。

 ちょっとシミがついていて、いかにも古本だが、奇才というか鬼才中島らもが博識を惜しみなく展開していて飽きさせない。ぼくは就寝時にページを開いているが、睡眠に入ってからも興奮がおさまらず夢を見ることがある。ゆうべは得体のしれない蛇のような魚がへそから体内に侵入してきて内臓が喰われた。これは日本近海にもいるらしいヤツメウナギの一種「ヌタウナギ」の記述があまりにもおどろおどろしかったせいにちがいない。

 「ヌタウナギ」は目がすっかり退化して、普段は海底の砂地にもぐっている。触角と嗅覚が異常に鋭く、頭上を大型の魚が通過しようものなら、腹に口からくっつく。円口類だから、口は丸く開いて、その口で吸いついて腹を破り中に入っていくのだ。体内に入られたが最後、魚は骨と皮だけになるまで喰われつくされるのである。このおぞましさにぼくは、へそのあたりがなんだかむずむずしたまま寝入ったらしい。

 もっとおぞましいのがアマゾンにいるという。あのピラニアではない。「カーネロ」というナマズの一種で、こいつは人体の穴という穴ならどこへでももぐりこむ。男性の場合は肛門から、女性の場合は膣口から侵入する。尿道へ入る場合もあるらしいが、体長15センチほどの小魚だ。体内に入るとエラを立て、抜けなくなるので、外から取りだすことは絶対にできない。体内に入ると内臓が喰い破られるのを待つだけだ。

 地元のひとは川に入らねばならないときは、貝殻などであらゆる穴をふさぐ。川から出たからといって、川っぷちで立ち小便をしてはいけない。こいつは「滝のぼり」もするのだ。尿の先から伝ってのぼってきて、尿道口に入りこむというから、どこまでもタチが悪い。もっともこれは人間の立場からだけの利害関係で、「カーネロ」にとっては正当な生存手段だ。なんらやましいところはなく、人間にとやかく言われる筋合いはない。

 以上、ほとんどが中島らもの本の引用である。『今夜、すべてのバ―で』でや『ガダラの豚』などの小説を親しみ、朝日新聞の「明るい悩み相談室」の回答者としてなじんでいたので、作家かと思っていた。ただ、ずいぶん破れかぶれのひとだとは、アル中ぶりを描いた『今夜、すべてのバ―で』を読んで知っていた。最初はコピーライター、飽きっぽいからなんでも手をだした、と本人は『しりとりえっせい』に言う。多才な奇人であった。

 ぼくは規格外の人間が好きだが、自分は規格内におさまってしまう小心な保守的タイプだ。規格内でありながら、規格外になろうとする。100円の価値でありながら1000円に見せようとする。自己矛盾に困っているから中島らもの「明るい悩み相談室」に相談してもよかったのにと、後悔している。 

 

 

十人十色ではなく一人十色
 きのう2月2日も卒業生が訪ねてきた。今週は月曜からずっと卒業生のだれかが来訪して治外法権的な飲み食い談笑が繰り広げられる。迫りくる首都圏直下型地震のことなどまったく意識することもなく、7期生が来れば気分も10年前にもどり幸せだ。きのうは13期生のひとりが社会人採用試験に合格したとの知らせも加わって、余計に高揚した。作文やESの書きなおしに率直に応じてくれて、ぼくも応援のしがいがあったというものだ。

 けさ遅まきながら、インフルエンザの予防接種を受けてきた。今晩も卒業生が来るかどうかはわからないが、予防接種のおかげで深酒はいけない。たぶん採用試験を控えた現役17期生のESを見て作文に目を通して、そのうち予防接種のことはどこかに消え去ってしまい、17期女子はかわゆいなあ、とまたまた興奮して焼酎のお湯割りを重ねるのだろう。勢いで旅をしようよ、とパワハラまがいの言動でひんしゅくをかうのかもしれない。

 飲んだら自分でも予測がつかないから、酒は興奮剤として最適だ。フエィスブックに某女がペン森はR指定トークが楽しいと書いていたが、大文字にするほどどぎつくはない。女子の参加率も高いあけっぴろげなトークだから、せいぜい小文字のr指定程度である。それだけみな開放感にひたるということだろう。まことに健康的なストレス発散の場だ。きのうも編集長をしている某女の美貌と肉体がコンニャク風にぐにゃぐにゃになった。

 女性の酔っ払いといえば、今期17期生はいままでにない新人種である。その多くは日本酒を好む。この事実は酒好き女子好きのぼくにとって、抱きつきたいほど刺激的でうれしい。今年だったか去年の暮れだったか、その飲みっぷりに舌をまいて感心していたら、ぼくのほうにホルスタインみたいな肉感で迫ってきて、抱きついた女子がいた。情けなくも思わずたじろいだが、そこはじっと耐え、生温かい感触が伝わってくるにまかせた。

 ぼくは大学では謹厳実直にして寡黙な先生でとおしている。大学の教え子がペン森に入塾すると、予想もしなかった多量の飲酒と賑やかさに驚くが、人間は十人十色というよりも一人十色だ。多重人格は連続誘拐殺人事件の宮崎勤で知られるようになったが、たいてい普通の大人はひとつの人格のなかに10人ぐらいの人間をひそませている。家庭に偉人なし、というがどんな偉いひとでも家庭ではただの父親であり、じいさんだ。

 家族に見せるほんの一面の評価で父親やじいさんを決めつけては真実を見逃す。家でだらしないひとが仕事場に立ったら、きりりとしている。その姿を家族は見たことがないのである。ぼくは酒が入ると自分自身、たががはずれて真人間になる、と思っている。通常のまじめなぼくは周囲に合わせる演技である。ぼくだけでなくひとはみな、演技をして摩擦を避け、よき人間を装い、歳をとる。年寄りほど演技達者だから、騙されちゃいかんぞ。

 ちなみにぼくは、甘いものも好きだ。たい焼きが好きなことはもう家族にもペン森にも知られたが、午後の紅茶のミルクティーに目がないことは、家族は知らない。エロよりもバイオレンス映画が好きなことはだれも知らない。きわめて足が弱いことは自分だけが知っている。神保町の飲み屋に詳しくない。ぼくだって一人十色。酒だけでは語れないじいさまだが、今夜も17期男女と飲むのだろうなあ。

日本民族は絶滅危惧種
 おとといもきのうも卒業生が来訪して、屈託のない夜だった。よく笑うおかげでストレスから解放され血圧も下がって、若返る。みんな「先生、体を大事にしてください」と言いつつ、お酒を提げてくるが、ぼくはこのところ焼酎のお湯割り専門だ。日本酒の冷やはおいしすぎて、飲みすぎてしまう傾向があり翌日、下痢に悩まされる。焼酎お湯割りは体との相性もいいようで健康的。だが、老人がいつまでも健康でいいのだろうか。

 ぼくは健康であることに気がとがめる年齢に差しかかっている。電車のシルバーシートにも堂々と座れるようになったが、60代にはまだ遠慮があったのである。子どもや若者が陣取って席を譲ろうともしない、と文句を言う老人が多いが、これからを担う世代が座っていてどうして悪いのだろう。年少者の優先席があってもいいのじゃないか、とぼくは思う。だって、かれらの支払いによって年金や社会保障が支えられる。大事にしなきゃ。

 つらつら考えるに、ぼくもふくめた老人は日本の歴史上、最も恵まれた世代だろう。ちょっと上の世代は戦争に駆り出された。若者時代は親の世代よりも豊かな生活が送れると約束されていた。上り坂の上に雲があった。その雲をつかもうとして故郷を棄て、都会に出て家をもち車も愛用した。こうして核家族というばらばらの家族形態を経て、無縁化へとなだれ込んだ。いまの年少者にはなんでもそろっているが、その実、充足感はない。

 若者が先行きに思いを馳せると暗澹たる気持ちになるだろう。超老人社会を支えねばならないのだ。一人っ子同士が結婚すると、妻は自分の父母と義父母と4人の面倒をみなければならなくなる。夫は自分の親の介護すらきわめて不得手ときているから、妻に頼らざるをえない。だから結婚しないという女性もいるし、介護のために退社した女性もいる。結婚できる所得もないときては、非婚者は増える一方で、人口減少に歯止めはかからない。

 いまの20歳そこそこの若者がぼくの年齢に達する50年先には、関東一都六県分の人口が消える。総人口は8000万人台になると予想される。狭い日本でこれは適正規模の人口と言えなくもないが、老人が死なない老人だらけの社会という側面を忘れてはいけない。江戸時代は3800万人とされ、国を閉ざして自給自足の生活をしていた。その当時から昭和にかけて、人数の少ない老人をうやまった価値観がシルバーシートに継がれた。

あすぼくは病院の予約をしている。医者はしっかり禁酒しているか、と聞くだろう。老人は早く死んで次世代の負担を減らすのが社会貢献では、と反論したい。ぼくは死ぬならピンピンコロリの「ピンコロ」がいい。徘徊7年寝たきり3年という状態は避けたい。幸い脳梗塞の病歴がある。再発を希望するが、脳梗塞は寝たきりになる心配がある。「ピンコロ」は心臓疾患が近道だが、ぼくは心臓の弱い欧米人ではなく、頭の血管が弱い日本人だ。

 計算上はこのままいくと、日本の人口は3000年後ゼロになるらしい。まだだいぶ先だが、絶滅危惧種の日本民族だ。しかし、この惑星の現世老人は長生きして幸せだ。大正期には孫の顔が見られるじじばばは少なかったが、ぼくは4月、大学入学の孫娘と旅をする。毎日孫みたいな女子に囲まれて、ブータンそこのけの幸福度も味わっている稀な老人である。 



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