ペン森通信
大震災で儲けた申し訳
商売でもばくちでも、損したひとは、よくしゃべる。もうかったひとは、口をつぐんでいる。節電で大もうけをした外食チェーンがあるが、節電のおかげですとは言わないから一般には節電で儲けた話はあまり流布してない。店の入り口付近はまだ涼しいが、中へ入ると冷房は効いてない。この夏、こんな経験をしたひとも多かろう。電気料金はけっこう高いもので、ペン森も冷暖房の季節には電気代がかさむ。そのコスト減はうらやましい。

 ペン森はあまり節電をしなかったので電気料は、減りはしたが目立った減少ではなかった。明るかった地下街や駅構内も薄暗くなったが、最初こそ不気味に感じたものの、近ごろではそれが当たり前のようになった。慣れとは怖いものである。なんでも節電のためと言えば、だれも文句を言わないのでありがたい。節電の無抵抗な流れに、ぼくは節電意識も一種のファッショでは、と思ったりしている。

 でわが家も節電ファッショに便乗したというか、大勢にしたがってというか、冬に備えて石油ストーブを2台購入した。これが居間のある1階においてある。エアコンもあるうえガスストーブもまだ元気に待機している。床には電気カーペットが敷いてある。かみさんの異常な冷え症対策なのだが、地震停電を恐れるあまり石油ストーブ購入に至ったのである。灯油を入れるポンプは電池式で容量を満たすと自動停止するように進化していた。

 量販店にいくと石油ストーブは品薄状態か品切れである。これも節電特需だ。節電意識はもはや、それを意識するまでもなく家庭生活に自然に溶け込んで人々を支配するようになった。震災がなければ東京では石油ストーブの出番はなかったにちがいない。捨てるに捨てられず、物置から旧式の石油ストーブを出して使用して、この冬は節電事故や火災が発生する恐れだってある、とぼくはみている。

 それだけ電力に依存した生活をそれぞれに見直しているわけだ。それもこれもすべては3・11大震災がもたらした市民生活の変化である。節電だけではない。小さな変形ビルの2階にあるペン森でさえ、ヘルメットと梯子状の避難ロープを用意している。大地震の大地変動の恐怖とライフライン途絶への危惧が頭から離れないのである。被災地へ行かなくてもあれだけの大報道であった。しかし、早く忘れたいという心の動きも強い。

 ぼくは地震に怯えることにかけては普通ではない。テレビの緊急地震速報のピヨンピヨンという音は3・11の夜の余震でいやというほど聞かされトラウマとなった。体感的にいつも揺れているような状態はなくなったが、余震が断続的にある被災地のひとから体感的な揺れは消えたのだろうか。体が感じるということは生きているということである。震災で人生を損したひとがいる半面、ぼくら生きていて人生を儲けた組も大勢いる。

 石井光太『遺体』を読んで、ぼくは3・11時点をまた認識するようになった。近々、被災地へ出向いて追悼しなければ申し訳なくて年は越せない。それにしても運命はなんと不平等、不条理なのだろうか。毎日、酒を飲んで笑いさんざめき、大地震が来ても快適な生活ができるように備えることができる幸せと被災者、行方不明者、原発避難者との落差。二分されて、儲けたほうになる身としては、被災地で大損した運命に頭を垂れたい。
 (今週は月~水と多忙につき、更新が遅れました)。

 


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グルジア・コニャックを飲んで
 久しぶりに映画の話をした。10期生の旅好きの女子がグルジアへ行って、みやげにコニャックをもってきてくれて、話がはずんだからである。グルジアへ行く途中の飛行機のなかで『永遠のゼロ』を読んでいた、と言っていたが、以後どういう流れで映画の話題になったかはもう定かではない。このところつい2,3日前の電話の内容を忘れるという症状が出てきて、いよいよボケがはじまったかと悩んでいるところだ。

で、『永遠のゼロ』から人肉食いの話になったのか、戦争の話になったのか。ぼくがいま、『宮崎勤裁判』(佐木隆三/朝日学芸文庫、上中下)を読んでいることを話題にしたらグルジア女子が、81年の佐川一政人肉事件を持ち出した。フランスに留学中の留学生、佐川一政が知人の25歳オランダ人女性を呼び出して、ライフルで射殺して屍姦し、遺体の一部を生で食べ、遺体撮影後さらにフライパンで料理して食べたというあの猟奇事件だ。

88、89年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被疑者が宮崎勤である。佐木隆三はかれの全裁判を傍聴した。『宮崎勤裁判』はその記録だ。警察庁の指定事件となったこの幼女連続誘拐殺人のことをペン森生に聞いたら、全員が知っていた。それほど世間を騒がせたまがまがしい事件だった。幼女を誘拐して自分の車に乗せ、絞殺して性器に指を入れてビデオで撮影する、というのがパターン。死んだ幼女を食べたりした。

戦争で大陸や南方へ出征したひとたちは、あまり戦争体験を語らない。日本軍には食料は現地調達という無責任な放置主義がとられたため、ジャングルなどで力尽きた兵士たちは味方の兵隊に太ももなどを食べられることも珍しくなかった、といわれる。そのような実体験をしたり見聞したから口をつぐんでいる、という見方もあながち的外れではなさそう。大陸では赤ん坊を空中に放り投げて、銃剣で刺して受け止めた例もあったという。

ぼくが12,13日の伊豆合宿の行き帰りに読んだ石井光太の『遺体』は涙なしには読み進められない本だった。津波被害の遺体をめぐる人間模様は、敬虔かつ粛然とさせるものがあった。遺体の身元確認の検歯のために地元歯科医も動員されるが、死後硬直で口を閉じたままの遺体の口を開けるのに悪戦苦闘しながら歯を調べていく。歯は人体の組織のなかで最も硬く、歯もそれぞれ固有の個性があるから身元確認に有効なのである。

『遺体』もまた一読を勧めたい本である。以上のような話がコニャックで盛りあがり、最後は映画『月光の夏』を話題にした。グルジア女子はぼくの旅友で、読書、映画の話がいつも尽きない。彼女が『月光の夏』を知らなかったのが意外だった。ぼくも監督は?と聞かれて,神山征二郎の名前が出てこなかった。『月光の夏』は出撃を前にグランドピアノでベートーベンの「月光」を弾きたいと小学校に走ってきた特攻隊員の実話である。

コニャック女子はシルクロード踏破をめざす豪胆な20代で、長身の美女。今回はぼくもドキュメンタリーのワイズマン監督を知らず恥をかいたが、いいこともあった。伊豆のぬる湯温泉へのふたり旅の約束ができた。さらに『遺体』に刺激を受けたぼくは年内に被災地への旅をしようと決めたのである。コニャック懇談の成果は大きい。



読売のカダフィの報復はあるか
某週刊誌記者から先週金曜日に電話がかかってきた。「二ユースをみましたか」「きょうはラジオもつけてない。なにがあったの?」「読売の渡邊会長が・・・」「えっ、死んだの?」。こういうやりとりがあって、巨人軍の内紛を知った。ペン森は最近、読売新聞志望者がいるようにはなったが、まだ目立つほどではない。読売の体育会的な体質に加え頂上に君臨する渡邊会長の存在とそれを許している社内風土に自由な精神を感じないからだろう。

 このドンの専横ぶりは知らないひとがいないくらい有名だ。清武読売球団代表兼GMのたった一人の反乱は丸谷才一の小説の題名を思わせ、どこかやるせないが、しかしよく反抗したものだとその勇気をたたえたい。ある新聞社の元役員から聞いた話だが、「ナベツネさんは怖いひとだよ。おれに歯向かうやつは絶対容赦しない、とぼくに直接言っていたからね。シベリヤに飛ばして荷物はあとから送ればいい」と。

 シベリヤ送り、なんて表現がいかにも時代錯誤の老人だが、通称ナベツネが読売新聞グループの絶対権力者であることは紛れもない事実だ。清武クーデターを「清武自爆テロ」と見出しをつけたスポーツ紙もあったが、清武は自爆の覚悟をもって「鶴の一声」を告発したのだろう。社会部記者出身らしい独裁者に対する刃の向け方であった。世間は圧倒的に清武の味方についていると思われる。おそらく清武処分にはナベツネも困るだろう。

 いや、ナベツネは清武をくびにするとすれば、時間をおくだろう。政治部長時代ロッキード事件で疑惑にさらされ検察や警察からいつ調べられるか、という噂も立った。自社の社会部記者も政治部長のケツを洗った。責任を問う社内幹部も出てきた。ロッキード事件のあと渡邊は社会部勢に報復していくが、このあたりのいきさつについては魚住昭の『渡邊恒雄 メディアと権力』からの引用である。講談社文庫800円で読める。

 ぼくの友人に読売新聞の元警視庁キャップがいる。かれはおれを尾行したと渡邊に勘違いされて読売を辞めざるをえなくなった、と聞いた。権力者は自分になびく者はかわいがるが、異をとなえる者は許しがたい。「お言葉ですが・・・」と一族経営の社長に異論を述べたばかりに一生うだつが上がらない目にあわされた友人もいる。冷や飯を喰わされるよりも追従したほうがよい、という取り巻きを集めていたのが反対派に殺されたカダフィだ。

 ナベツネの独裁ぶりはさしずめ読売のカダフィだ。チュニジア、エジプト、シリア、リビアと雪崩をうった反逆の嵐が読売に飛び火したかと評する向きもあるが、スケールがあまりにも違いすぎる。お家騒動にすぎない。ただ北アフリカや中東の反乱よりも格段におもしろく、週刊誌ネタとしてもこれはおいしい。週刊朝日、サンデー毎日がさっそく食いついたが、木曜発売の週刊新潮、週刊文春もおもしろおかしく追撃してくるはずだ。

 週刊誌購買禁止を自らに課しているぼくは、困ったことになった。ほっておけないスキャンダルである。飲み屋で沸騰する話題は人事ネタです。読売スキャンダルはこれを満たすから盛り上がるんだよね。

 

泣きながら書いた大津波
きのう木曜日、よほど週刊新潮と週刊文春を買おうかと思った。木曜はこの2誌の発売
日である。駅のホームにある売店の前に立つと、売り子のおばさんが黙って週刊新潮と週刊文春を差し出してくれる。きのうは売店を避けるためエスカレーターを利用した。週刊誌マニアのような習性を完全に修正するには時間がかかりそうだ。浮かせた金で本を購入することにして、さっそく『記者は何を見たのか』(中央公論新社)を買った。

 3・11大震災を取材した読売新聞78人の手記だ。78人のなかに中大の教え子が1人、ペン森卒業生も1人いた。「津波」「原発」「官邸・東電」「東京・千葉・各地」の4部構成。78本の体験手記は若い記者が、あまりに巨大な絶望的光景にたじろぎ、伝えきれないもどかしさに自問自答を繰り返す内面が語られ、体温が伝わって思わず感情移入してしまう。「津波」の章ではとてつもない現実の前で記者たちは無力感にさいなまれる。

 記者の生身の人間がむきだしになるのは、あまりにもおびただしくむごい生と死に正面からぶつかったからだろう。記者は被災現地赴任者だけでなく、かつて勤務して土地カンのある者、出身者などである。全国から応援取材に駆り出される。涙をこらえて取材し、泣きながら原稿を書く。新聞に載らなかった取材内容も書きつづられる。圧倒的な変貌を前にした被災者の優しさに、人間の強さや気高さを見て記者の感情が揺さぶられる。

 『記者は何を見たのか』には通常は客観という壁ひとつ外側にいる記者が内面をさらすところがきわめて主観的、むしろ清々しいが、ぼくはここに活字のもつ精神の重さを感じた。ペン森に集う卒業生たちは、記者という制服を脱いだ裸の素顔になるが、それはその記者がもつ人間性の一面にすぎない。かれらがどんな顔で取材し対象に肉薄するか、ぼくは知らない。子どもが仕事をする父親の顔を知らないのと同じである。

じつは本は2冊買った。もう1冊も大震災ものだが、こっちのほうはさらに痛々しい。書名はずばり『遺体』(新潮社)。『絶対貧困』の著者石井光太が書いている。石井は2日後の3月13日に被災地入りして取材活動をはじめる。かれは貧困や医療をテーマにしているノンフィクションライターだから、行き当たりばったりに「遺体」というテーマを選んだわけではなかろう。ぼくは『絶対貧困』の著者だから『遺体』を購入した。

『遺体』はまだ目を通してないが、石井の素早い行動には、やるもんだなあ、と感心する。ぼくは被災地に足を踏み入れてないので、なにがしか負い目を感じないわけにはいかない。頻尿老人なのにどうしていまだに現場主義に行きたがるのだろうか。昔とった杵柄がもぞもぞと動き出してくるのだろうが、それを制止するのがやはり頻尿だ。最近はますます、蛇口からでる水道の音やシャワーにも勝手に反応する。付随意筋は老人泣かせだ。

ぼくが被災地に行くも行かないも世の中にはなんの関係もない。しかし、記者を志す若者は行ったほうがよかった。せめて『記者は何を見たのか』を読んで記者という仕事の一端に触れてもらえばと願う。

 

時刻表は過去を照らす
折あらば時刻表を開いている。ペン森にJTB版,うちにJR版の大判を用意している。うちの時刻表はいま、山陽山陰四国のページを広げたままになっていて、朝夕眺めて思い出にひたる。ぼくの部屋は椅子机と座卓のほかに寝転んで本が読めるスペースもとってある。中古のPCもあるが、これはDVD観賞専門でネットにはつながってない。うちの時刻表で見つけた路線や温泉はペン森PCで確認することになる。

 山陽山陰四国は、ぼくにとって東北ほどなじみではない。山陽本線は学生時代、南九州に帰省する途中よく利用した。山陰も萩や津和野は人物ルポや観光地ルポで何回か取材した。四国も災害取材で行った。しかし、記憶にはもう輪郭すら浮かばない。森林太郎(森鴎外)の故郷、津和野の掘割の錦鯉をかすかに思い出すだけだ。秋芳台には新洞穴を発見した山口大学の探検部についていって、洞穴内で1泊したこともあるが、遠い昔だ。

 時刻表で新しい鉄道路線や聴きなれない温泉を発見してわくわく興奮したのは、じつは60代までだったような気がする。いまは回顧と郷愁の刺激剤になってきた。列車に乗ったとき、以前は前へ進んでいるという感覚が強かったものだが、現在はややもすると過ぎ去ってゆくという感じがする。ぼくが同期生会に出席しないのは、過去や後ろ向きに関心がなかったからである。いまは前よりも後ろを見るようになってきた。

 ある一定の年齢に達すると、男女にかかわらず同窓会とか同級生の会合に熱心になるものだが、ぼくはまだそこまでは感覚が進行してない。ところが先週、ぼくの大学時代の友人の所在を知りたいという長い封書が、当時東大生だった知り合いから届いて、ぼくは50年も前に引き戻された。友人と当時の東大生はある学生研究団体を立ち上げた仲間である。そのころの仲間が一堂に会して、昔をしのぼうということらしい。

 そのかつての東大生は去年、同じ東大の同級生に呼びかけて親しく語り合ったらしいから、この手のイベントに熱意を注ぐたちとみられる。かれのような仕切り屋というか中心になるまとめ役がいると、われ関せずばらばらになりがちな仲間もグループとして固い形成力をみせる。それはペン森でも感じることで、世話役をいとわない中心人物がいると、期別の結束力は各社の記者になっても持続するものである。

 時刻表から過去が立ち上ってくるのは、ぼくが後ろを向く人生にさしかかったいま、比較的地方を歩いてきた過去があるからだろう。大震災を取材したひとたちは被災地のことを生涯忘れず、いつか年とってから孫に様子を話して聞かせるだろう。ぼくの孫娘もぼくがこの世から消えたあとも、きっと秋田や広島や高山や金沢を頭の片隅にとどめてくれるだろう。来年は主に列車を乗り継いでの四国1周を計画している。

 あす11月5日、ぼくは73歳になる。土曜日だからうちで時刻表を見入ってすごすが、未来も見てこれからなおドキドキ興奮する思い出づくりにも励まねば。

 
   

広がる一方の幸福と不幸の差
 ついにたまらなくなって、セブンイレブンで午後の紅茶のミルクティーを買ってきた。100円ショップに売っているかと期待して、まずは最近開店した100円ショップを覗いたが見つけることはできなかった。ぼくは午後の紅茶は極上の飲料だと思う。こんなおいしい飲みものが手軽に飲めるなんて、なんという幸福!日本は男女平均83歳と世界一の長寿国だ。アフリカにはまだ40歳台の国も多い。長寿の幸福、これでいいいのか。

 ザンビアや中央アフリカ共和国には気の毒だが、もちろんいいに決まっている。四季に恵まれた日本は食生活も豊かで勤勉な国民性ときて、災害は多くても、衛生状態は良好で疫病が流行する心配も少ない。放射能汚染は広がるが、それが近々国民の平均寿命に関係してくるとも思われない。問題はぼくら老人が一向に死なず、生きていることによってなんの貢献もしていないということだ。社会保障費をただ増やすだけの存在にすぎない。

 日本人は世界に冠たる貯蓄民族だから、国民の金融資産は1400兆円といわれる。その6割は高齢者が貯め込んでいるそうで消費に使わないから、金は天下の回りものにならない。ぼくは小金すらもってなくて、全預金残高はいま3万円を下回る。ご祝儀貧乏のくせに旅が趣味ときていて、大の酒飲みだ。年間の一時期、大学の講師という季節労働をしてもご祝儀、旅費用、酒代の面倒は見きれない。借金がかさむだけである。

 年金生活者のぼくだが、すくなくとも旅と酒で些細ながらお金はコンスタントに使っている。他の多くの小金もち老人が孫のためでもいいから消費活動に熱心であれば、日本の財政はこんな苦境に陥ることもなかっただろう。ぼくの医療費は70歳すぎた身だから1割負担とこれはもう、無料に近い。それまでは3割負担だった。残りの7割9割は社会保障費という税金から補てんされる。社会保障費が年間1兆円ずつ増加する道理である。

 今週からぼくは週刊誌の購入をひかえている。毎週最低5冊買っていたからこれで月に約1万円の節約になる。代わりにラジオを聴く。3か月もつづけられれば、遠方には行けないが、車中午後の紅茶を飲み、下車駅で地元の酒に親しむ1泊の旅ができる。地方で金を使う生活に切り替えるわけだ。これでますます元気な老人になって、社会に負担をかけそうだが、これは理想的な社会主義国家をつくってきた戦後日本の余韻のおかげである。

 野田政権になっても、日本の未来像はまったく見えない。将来不安があるから少子・人口減少は止まらない。老人の死亡が加速して、世界一の長寿ランキングが下がれば、すこしバランスがとれてくるが、ぼくはまだまだ長生きしたい。ほかの老人もそれは同じだろう。いや、登りつめた戦後日本が破綻して、増える一方の限界集落や無縁社会の孤独な老人たちはそうではないかもしれない。長寿の不幸という現象も目立っている。

 1対99のアメリカほどではないが、長寿日本にはぼくみたいに幸福な老人もいる半面、縁者のいない不幸な老人も多い。いまさらだが、幸福と不幸の差は大きくなるばかりだ。それは1万を超える限界集落や廃村がよく示している。栄華の果てに内部崩壊した現代日本。これまで幸福に生かされてきたぼくのような老人旧ジャーナリストが老人ルポを書くのが見合うかなと最近は考える。

 

 

 




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