ペン森通信
民主党は政党助成金を返上しろ
 このところ、週刊誌がちっともおもしろくない。野田どじょうは地味で官僚的というか内閣自体がどこか閉塞気味でウキウキもドキドキもない。なにか非常にまずい料理を口にしているような感じがある。菅直人はその点、商品価値があったね。隙だらけの稀有な人物だったから、各誌好き勝手にほじくっていた。この総理が引っ込んだとたん、週刊誌は精彩を欠きだした。どじょうは所詮、金魚にはなれないから、しばらくどじょうで我慢だ。

 どじょう内閣は震災の復旧・復興を最重点課題にあげているが、増税論議のほうが先行している。復旧・復興の最大の眼目は除染だとぼくは思う。ぼくが総理だったら、何兆円かけてもいいから、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校のグランドとその周辺、公園、通学路、住宅周りの除染に取りかかる。住民の震災前の日常復帰を一番に考えたい。除染した土などは国有地に厳重に密封して埋める。私有地を国が買って国有化すればいい。

 復旧・復興という言葉は一種のスローガンのようなもので、具体的なイメージは伴わない。津波被災については、復興構想会議のグループが取り組んでいるが、五百旗頭(いおきべ)真議長がしょっぱなから「国民全員で負担」と財務省コントロール化にあるような増税説を切りだしたから、すっかり期待は消えかかっているがね。第一、被災者の身になって考えているのだろうか、官僚が絵を描いているのではないか。

 増税の前に民主党はやるべきことがあるんじゃないの、とよく言われる。マニフェストにぶちあげた議員定数の削減、公務員の人件費2割削減、天下り禁止はどこへ行った。自ら泥をかぶらないで国民に負担を強いる、ひどい政治だ。日本人はおとなしいからこんな暴動のおこりそうな事態でも黙っている。すべては前原元国交大臣が八つ場ダム中止の打ち上げ花火の不作為と同じ。ぼくは政党助成金をそっくり返上してもらいたいね。

 ほんとになんのための政権交代だったのか。どじょう内閣によって、昔の自民党みたいになってしまった。政府税調のほかに民主党の税調までつくった。民主党が野党時代、自民党を二重構造だと批判していたものだ。党の税調会長は元大蔵官僚の藤井裕久である。どじょう総理は明らかに増税路線を敷いたわけだ。民主党は期待→失望→絶望という流れになったと前にこのブログで書いた。依然としてとしてぼくは絶望のままである。

 きょうの報道によると、たちあがれ日本の片山虎之助が参院予算委員会で「野田内閣は『直勝内閣』と言われている」と皮肉った。勝とは財務省の大物次官、勝栄二郎のことだ。
「人事も増税も財務省、事務次官主導だ」片山は口をきわめて批判したらしい。ぼくは増税もやむをえない、とは思うが民主党はやるべきことに頬かむりして、国民に負担を強いるその姿勢が許せない。ただちに政党助成金の受け取りをやめてくれ。

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電車は通常ダイヤに戻ったが・・・
 朝、神保町で降りるつもり乗りすごしてしまった。節電ダイヤが通常にもどったことは知っていたが、電車に乗っているうち、都営地下鉄内も急行運行に復したことを忘れてしまった。各駅停車に乗っていると思って本を読んでいた。うっかりミスである。節電ダイヤが元にもどり、3・11ははるかかなたに去ったかというとそうではない。あれから半年あまり、まだ心理のどこかに名状しがたい不安感は消えないまま巣くっている。

 今週から中大の論作文講座がはじまるが、講師のぼくは初回に返却する課題文の提出を課した。『震災歌集』(長谷川櫂)のなかから1首を選んで、400字で考えたことをかきなさい、という簡単なもの。受講生は30人以内と制限しているが、年を追うたびにすくなくなって、今回は20人。男女半々のようだ。この講座からは朝日と読売の総代を出しており、総じて意識も高くレベルも高い。今年の受講生に会うのが楽しみだ。

 17人のうち同じ歌は2首4人。それは「つつましき文明国であるために必要なもの不必要なもの」という1首である。1人は「つつましさ」に焦点を絞って「私は今までの明るすぎた照明に何も感じてなかった自分が恥ずかしい」と記している。もう1人はスーパーでのアルバイト体験から「日本人の秩序と礼節が世界で称賛されたが」、「水や食品、また電池などの生活必需品の買い占めもあった」と日本人の集団行動の悪い面も指摘した。

 もう1首は「かりそめに死者2万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを」。1人は「事実を正確に伝えるのがメディアの役割ではあるが、その事実によって生じた人々の悲しみ苦しみも世の人々に伝えてこそ、真のメディアといえるのではないだろうか」と意見を述べている。具体的なようでなにも訴えない空疎な考えは、いかにも頭だけの学生らしい。ぼくはこの感想文を相対化不能な最初に読んで、高得点を与えそうになった。

 そもそもメディア論に発展させるというところに無理がある。災害や戦争の被害状況は死者の数によってその様子がつかめるという側面がある。ぼくはこのような場面での主観報道を否定するものではない。死者が幼女であれば、その幼女をクローズアップするのも主観報道だろう。もう1人の受講生は「数字が大きくなればなるほど小さく思われがちな一つ一つの命の重みを訴えたかったのだろう」と素直に解釈して、説得力がある。

 あと受講生が取り上げた歌はさまざまだが、やはり自分の体験や経験に引き寄せた文章に力がある。「復旧とはけなげな言葉さはあれど喪ひしものついに帰らず」。震災で失われたあらゆるもの、いのち、自然、家屋は元通りにすることはできない。「我々はまずこの現実と向き合い、前へと進んで進んでいかなければならない」と力説しても、具体性に乏しい。論作文は具体的な案やエピソードを引き合いにだすのが一番印象に残る。

 学生は抽象論が好きだ。その論には実体を伴ってないことに気づかない。学生だけでなく、学者もそのような傾向がある。アカデミズムとジャーナリズムは反対概念だが、最近は新聞に学者の起用が多くなった気がする。だが新聞がおもしろくないのは学者の執筆が多くなったのが理由ではないだろう。新聞をおもしろくするにはどうすればいいか。そんなことを考えていてはまた電車を乗りすごしてしまう。

  

台風の夜、「しょんべん横町」
 首都圏を直撃した台風15号で電車が動かなくなり、昨夜は帰宅できないかと覚悟していたが、台風の速度が速く早めに去ったので帰宅できた。それでも時間をずらしてペン森を午後10時すぎに出たが案の定、都営地下鉄も遅延していて、いつもより込んでいた。乗りっぱなしではもったいないと考え、途中の新宿三丁目で下車して、新宿西口まで歩いて街の様子を見ることにした。車道を挟んで反対側の歩道に元気のいい一団がいた。

 一団は男9人、女2人。男たちはそろって黒っぽいズボンにワイシャツの腕ををまくっている。銀行か証券か、同じ職場の若い社員たちとみられ、飲みながら一時避難していたのだろう。一人声高に話すやつが目立ち、そういえば銀行員や学校の教員や警察官はやたらうるさい、と飲み屋のママから聞いたことがある。普段、抑制した日常を送っている分、酒によってたがが外れるのであろう。ぼくなんか抑制もしてないのに外れるけどね。

 東口のはとバス停留所のある広場は人が多く、なにをするでもなくたむろしている。西口へ抜ける地下道は最近整備され、昼なお薄暗く異臭がしていたが、きれいになった。そのきれいになった地下道には風で壊れたビニール傘の残骸が散らばっていた。台風15号は西日本では雨台風だったが、首都圏では風台風に変わった。風が強かった。すでに路面は白っぽく乾いて、街路樹の葉っぱがあちこちに落ち、舞っている。

 地下道を抜けると右手が、むかし「しょんべん横町」といった「思い出横丁」である。二筋の狭い通路の両側に飲み屋や食いもの屋がひしめき11時前、客の中年男たちも多数うごめいている。ぼくがここに通ったのは、学生時代だった。その当時とさして変わってないようだが、女性も気軽に利用するくらい清潔になったという。でも、横丁が変わったのか、女性が変わったのかはわからない。ぼくはここで「ブタキン」を食べたことがある。

 「ブタキン」とはブタのキンタマの略。薄切りにしたタマタマを酢醤油でこりこりと食べた。半世紀も前の話だ。味なんかまったく憶えてない。こりこりというのもいま、わいてきたイメージである。「しょんべん横町」と呼ばれていたころは、もっと雑駁であやしく乱暴だった。若者もはつらつと屈託がなかった。先へ伸びる人生の道が見えていたからだ。必ず上へ行けるという約束があった古きよき、日本が弾んでいたころの話だ。

 京王線の改札口に着くと、「はいここまでです」とぼくの目前で駅員が手を広げる。改札規制をしているのだ。前方のJRの連絡口改札をみると、赤と黄色を編み込んだひもが渡されていて、人が何重にもひしめいていた。規制が解かれて、各駅停車に乗り込んだが、やはり何人も立っていた。ドアのそばに陣取ってふと近くの座席を見ると、ざんばら髪に寝癖がついててっぺんの髪が立っている男が座っている。後輩記者のKくんかと思った。

 京大出のKくんが異動で去る直前、「おまえ、異動費用がでたろ、それで飲もう」と誘って飲み明かしたことがあった。かれがどのようにして 転地へ行ったかは知らない。うぶでやや変人のかれは、子どもができたときぼくに電話をかけてきた。「出生届を出すのに最もいい区役所はどこですか」。こういう常識外の記者もいたから、いまどきのものを知らない若者は笑えない。うちに着いたのはちょうど12時、記憶が刺激された台風の夜だった。

台風の夜の「しょんべん横町」

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分け入っても分け入っても泥の中
 野田佳彦総理は自分の言葉をもっていると評する向きが多い。そうかな。どじょうは 便所の神さまとも便所の詩人ともいわれるへたうま字の「相田みつを」のパクリだった。所信表明の正心誠意は勝海舟の「氷川清話」にでてくる。政治今昔談の内政論で「政治家の秘訣は正心誠意」と題してつぎのようにいう。

 「政治家の秘訣は、ほかにはないのだよ。たゞ正心誠意の四字しかないよ。道に依て起ち、道に依て座すれば、草莽の野民でも、これに服従しないものはない筈だよ」。これまた断りもなく、さも自分で考えたかのように盗用した。こういう場合、相田みつをさんの名言を借用すればとか、先達勝海舟の「氷川清和」によればとか、一言あいさつがあってしかるべきである。総理大臣ともあろうものが他人の言葉を黙って引用するとは、ね。

 ペン森生が読むべき課題図書というのが以前あった。「氷川清和」と福沢諭吉の「福翁自伝」である。強制しなかったから、2冊とも読みこなしたひとは少ないと思う。2冊とも読みやすくてとっつきやすいのは、話し言葉の文章だからだろう。「氷川清和」は勝海舟のやや自慢話めいている中身だが、だれかにしゃべったことを編んだものだ。講談社学術文庫の江藤淳・松浦玲編は注が行き届いて、非常に親切である。

 「福翁自伝」は諭吉が口述したものを新聞記者がまとめて連載した自伝。いってみれば日経の「私の履歴書」みたいなものだ。ぼくはずいぶんむかしに読んだので、内容はほとんど憶えていない。おもしろさからいうと、「氷川清和」のほうが切れ味よく、小気味よい。ぼくも口はあまりよくないから、辛辣きわまる人物評が気に入っている。「木戸松菊(木戸孝允の号)は、西郷などに比べると、非常に小さい」とか、遠慮がない。

 ペン森で「氷川清和」を勧めたのはこういうくだりがちりばめられていたからだ。「おれが長崎に居た頃に、教師から教へられた事がある。それは『時間さえあらば、市中を散歩して、何事となく見覚えておけ、いつかは必ず用がある。兵学をする人は勿論、政事家にも、これは大切な事だ』と、こう教へられたのだ」。政事家をジャーナリストに置き換えて考えれば、現在にも通じる、観察眼や虫の目の大切さを強調しているのだ。

 ところで相田みつをにどこか既視感があるのはぼくだけだろうか。あの名言、人生訓の語調は山頭火に似ている、とぼくは感じる。「やれなかった、やらなかった どっちかな」「分け入っても分け入っても青い山」。内容はまったく違うが、言葉の調子は似ている。ぼくは山頭火や尾崎放哉といった放浪行乞の俳人が好きで、相田みつをよりもさみしく切ない山頭火にひかれる。「旅法衣ふきまくる風にまかす」。旅先で吹きまくる風いいねえ。

 野田どじょう総理は吹きまくる風にまかすどころではないだろう。増税を言っただけで実際にはなにも具体的には進んでない。細川元総理は西郷さんのような男とほめたが、どうも西郷さんのような大人物ではなさそうだ。ただ寡黙だけのさびしい男。分け入っても分け入っても、泥の中、かもしれん。このどじょうが泥にもぐり込んで姿を消すのも案外、早いかも。日本はかなしいねえ。

うなぎとステーキが食べられる幸せ
ぼくは旅好きだが、ほんとうの意味での旅好きではない。外国に興味がないからだ。若山牧水や松尾芭蕉と同じ国内派である。それでも拓殖大学に進学しようかと考えたこともあるから、若者らしく海外雄飛の夢ももってはいた。なぜぼくが国内派かというと、海外の食べ物が口に合わないというか、苦手だからだ、ぼくはこの年にしては海外体験が少ない。アメリカ5回、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ポーランド各1回だけ。

古い記憶をたどれば、アメリカは食事の量が半端じゃない。2食でもあり余る。だからもっぱら日本食になって、高いラーメンを食べることに。イギリスにいたっては、こいつら味覚というものがあるのだろうかと疑いたくなるほどまずい。でもパブはよかった。ビールとハムで夕食はすませた。朝はキオスクのサンドイッチ。世界に冠たるフランス料理はしょっぱい京料理という感じ。ソースでごまかしてミシュランなんてずるい。

 ドイツ、オランダ、ポーランドに関して食べ物の記憶がないのは、おそらく舌が憶えるほどの逸品ではなかったからだろう。ドイツのビールが甘かったこととソーセージが美味だったような気がする。海外体験の大半はひとり旅だったから、レストランにはあまり縁がなく、パブやキオスク利用が多かったから、食文化を語る資格はぼくにはない。とはいえ、一言いいたいのは、おいしいものにありつけなかった恨みである。

 ぼくがけっこう食にこだわるのは、美味に出合うのは人生の幸福だと思っているからだ。ペン森は受講生に夕食を出し、アルコール類もほぼ飲み放題である。将来1日3食食べるたびにペン森ですごした時代を思い出してほしいのである。きのうとおとといはカツオのたたきだった。きょうはビフテキ用の肉を買ってきた。肩ロースだから柔らかくて、うまいかどうかはわからない。要はぼくが牛肉を食べたかっただけの話である。

 ぼくは肉より魚のくちだが、ときどき無性に肉を食べたくなる。たぶん、体が欲しているのだろう。肉と同じようにうなぎもむやみに食べたくなる。このあいだ孫娘と口にした飛騨高山の飛騨牛のステーキは絶品だった。とろけるような牛寿司の米沢牛も忘れがたい。こんど旅するなら、肉質5等級を目いっぱい味わいたい。うなぎは三島のさくら家にいまでもときどき行く。尾花、野田岩といった名店ではなく用賀の庶民的な「うな茂」もいい。

 エネルギッシュな老人はステーキやうなぎを好む。都知事をやっていた美濃部亮吉はステーキ派だったらしい。コラムの名手だった山本夏彦はうなぎ派。ぼくは脂っこいものは口に入れないようになったし、塩分も控えるようになった。以前とはまるで逆の食生活。高カロリー、しょっぱいものが好きだった報いで高脂血症、高血圧の老齢に達した。薬は欠かせない。エネルギッシュどころかエネルギー不足を補うステーキとうなぎなのだ。

 さて、19日は敬老の日。自分にさくら家のうなぎをふるまって、のちのちのエネルギーをたくわえようと思う。うなぎは土用ではなく、秋口のいまが旬である。で、9月はうなぎ、10月11月は旅先でフィレステーキ180グラムといこう。日本にはうなぎ文化もオバマ大統領が羨むステーキ文化もあるから、まあ幸福だね。

失言大臣の失言は失言だったか
この秋採用試験の作文(小論文)の題は朝日新聞が「ことばの力」、NHKが「言葉の重み」だった。たぶん鳩山由紀夫から菅直人へとつづいた民主政権のあまりの思いつき、その場かぎりの発言などから発想したのであろうが、重みにしろ、力にせよ、どこかこうあるべきという説教めいたニュアンスのある上から目線の題。自分たちは言葉の価値を知っているぞ、という権威主義がぷんぷんにおい、メディアとしての反省のない題であった。

読売は「災前、災後」。構想会議に福議長としてはいっている政治学者の東大教授、御厨貴が「これからは戦後ではなく、災後と呼ぶべきだ」という大震災後の命名をそっくりちょうだいしている。御厨教授は「災前災後」は戦前戦後にとって代わる表現というが、題震災から半年たってこの表現が定着しているとは言えない。読売は特別編集委員の橋本五郎が構想会議のメンバーに名を連ねているので、その影響があっての題だったかも。

朝日にしてもNHKにしても作文(小論文)としては、「約束」とか「信頼」といったエピソードを力や重みに当てはめて書けばいいので、題としては簡単だ。ぼくが採点官ならむしろ、「言葉の無力」を表現した者がいたら高得点をつけた。大震災は日本人の死生観を直撃した。あの未曾有のすべてをなぎ倒した自然の猛威が胸に迫り、「日本は一つ」とか「がんばれ東北」と叫んでも無力感に襲われた。だから言葉商売の作家たちは無言だった。

新聞テレビのメディアは過剰に雄弁だったが、過剰なゆえにかえって訴求力に乏しく空疎だった。集中的に特定のテーマに絞り込んだ毎日新聞の2ページ見開きの検証ドキュメンタリー(6月10日ほか)は新しいニュースも加えて読みごたえがあった。菅直人前首相のインタビュー証言を基に構成した見開き「日本がつぶれるかも」(9月7日)もよかった。でもメディア志望の若者が集うペン森で話題になることはなかった。読まないのだ。

事実を拾い集めて積み重ねていくドキュメンタリーやルポルタージュは良質な新聞の武器だとぼくも賛同するが、読まれなくては詮ない。ツィッタ―の促成短文に慣れた若者は見開き長文は読みこなせないし、その時間もない。第一、新聞社が考えるほど価値ある表現方法だとも思ってない。ほぼ10年前の7期生までは新聞コラムをめぐる仲間の論争もあったが、いまは新聞の内容や表現をめぐって議論するという風潮が消えてしまった。

たとえば、鉢呂吉雄前経産大臣の失言問題。以前のペン森だったら全員がメディアの言うとおりにはならなかっただろう。ぼくに対して「死のまちのようだった」のどこがいけないのか、と突っかかってくる学生が必ずいたはずだ。それは事実でしょう、事実を排除するのですか。あるいは、大臣はありのままをそう見るだけの感性や感受性があったわけでしょ、その感覚は大切じゃないんですか、と。ぼくは一言も言えない。そのとおりと思うからだ。

「放射能をつけちゃうぞ」は子どものおふざけレベルだが、このおふざけは最初、毎日の記者に防災服をするつける仕草をして言ったらしい。これを翌10日になって伝聞として報じたのはフジテレビ、あとは雪崩を打って一斉報道したと13日の朝日が検証している。赤信号みんなで渡れば…自主判断の欠如か思考停止というほかない。メディアは全体の方向に寄りかかってそれを増幅する。その言葉の洪水を大衆は信じる。




ネット・SNS時代の新聞
フェイスブックをはじめた。まだ利用の仕方がよくわからないので滞りがちだが、ぼちぼち慣れてくるだろう。ツイッタ―とどう違うのかも判然としないが、フェイスブックは発信すると反応が速く、また多人数である。若い知人のあいだにかなり浸透している。いかんせん個人あてのメッセージの送り方もまだ勝手がわからず、まるで若葉マークだが、親しい仲間のいまを覗き見る要素もあって、情報ゲームのようなおもしろさがある。

おかげで通常思い出さない卒業生を何人もピックアップできた。フェイスブックは実名登録のところに、匿名とはちがう責任が伴い、気軽ななかにも気軽にできない側面がある。チュニジア、エジプト、シリア、リビアと燃え広がった民主化の波はこの新しい伝達手段を駆使して大衆を動かした結果である。その実名性ゆえに日本ではあまり普及しないだろうと見られていたが、若い人を中心に野火のように拡大しているようだ。

ぼくはツィッタ―にもまったく縁がないが、いわゆるSNSといわれるコミュニケーション機能は2000年代に入ってからはじまったものらしい。インターネットだって、わずか40年の歴史しかないが、日本の普及率は75%に達している。90%台の北欧諸国に届くにはまだ余地があるが、日本は名だたる高齢社会である。老人が慣れ親しむようになると普及率はあがるだろう。親しんでいる世代が高齢になったらどうなるのだろうか。

ぼくは新聞で呼吸をしてきたアナログ世代だから、新しい電子機器にはどうしてもなじめない。なじめないからわからない。だから余計に遠ざけてしまう。必死になって付いていってやっとこのPCブログができるようになったが、これはペン森で若者に囲まれていることが大きい。隠遁孤立生活を送っていたら、まだPCも扱えないにちがいない。さて、アナログ世代がいなくなったら、アナログメディアはますます苦境に立つだろう。

とりわけ活字メディアは生き残るとしても変質せざるをえなくなる。新聞は日本独自の個別配達に支えられているが、配達員の確保はむずかしくなる一方だ。内容面では調査報道やルポルタージュ(ドキュメンタリー)や検証記事に活路を見出そうとしている。以前、雑誌がやってきたことを日刊紙がやろうとしているのだ。進歩なのか退歩なのか、わからない。ニュージャーナリズムの旗手として登場した沢木耕太郎時代に戻った感もある。

新聞は日本の途上国型の中央集権体制に寄りかかってきた。地方紙はそのひな型である。地方分権が成り立てば、おのずと変容してくるだろう。外的な条件として、立ちはだかってきたのがインターネットである。新聞を単独で購読している学生はほとんどいない。堅苦しい活字記事なんて就活時しか必要がない。それでもペン森は報道マンを育成しようとしている。新聞はまだ言論機関としての信頼性に最も優れているからだ。

新聞は速報性、娯楽性ではテレビに負けた。解説性でもテレビが優位。記録性ではネットにおよばない。唯一の強みが取材力に伴う信頼性だ。信頼性は客観事実によって成り立つ、という新聞人が多いが、ぼくは客観事実を読み解く主観の力が必要ではないかと考える。SNSは主観がウリになっている。沢木のキモも主観だ。事実の背後を見る目が大事だね。フェイスブックをはじめたら以上のメディア論に達した。

松下政経塾には負けんぞ
 野田佳彦総理は松下政経塾の塾生だった。松下政経塾は経営の神様、松下電器(パナソニック)の創設者松下幸之助が理想の国家を目指す若者を育成する政治塾である。前原誠司、玄葉光一郎、樽床伸二なども同じ釜の飯組だ。幕末の革命思想家、吉田松陰の松下村塾にそっくりの名前なのでまぎらわしいが、別物である。松下村塾からは革命行動家、高杉晋作をはじめ明治草創期の総理、伊藤博文、山県有朋、といった傑物を輩出した。

 松下村塾はなにも山口県萩に行かなくても東急世田谷線の松陰神社に行けば、その平屋の建物を見ることができる。雨戸が開け放ってあることが多いので、この狭い私塾の部屋で 幕末に尊王攘夷・倒幕をかかげて激しく行動した志士たちが松陰の思想を吸収し、明治形成の基礎をつくった人物たちが松陰の講義に耳を傾けていたのだと思うと、想像力が刺激され感慨にひたらざるをえない。東京の松陰神社はぼくの一番好きな場所である。

 松下政経塾も松下村塾も人材育成という点ではいっしょだが、背中を貫く思想の幹はちがう。それに加えて、松下村塾のほうが夢、希望、ロマンがある。時代背景の差なんだろう。今回のどじょう野田はちょっとイメージが異なるが、総じて小粒な人間が目立つ松下政経塾は頭でっかちな空疎な感じがする。菅直人は高杉晋作にならって菅内閣を奇兵隊内閣と称して、歴史家の失笑をかった。野田は周囲の評によると西郷隆盛だそうである。

 野田内閣は別名財務省内閣といわれる。それだけ財務省の影響下にあるというわけだ。財務事務次官は勝海舟の子孫と報じられたこともある勝栄次郎だが、勝海舟と勝栄次郎はなんの関係もないらしい。もし勝海舟の子孫なら、いまから143年前、江戸総攻撃を主張していた新政府軍の西郷隆盛と幕府全権の恭順派勝とが会談した結果、新政府軍は総攻撃をやめ、江戸無血開城となった。野田西郷と勝財務との因縁が蒸し返されたのに残念。

 政治主導の民主党は野田内閣によって官僚主導に無血開城で応じたわけである。野田の増税路線振り付けは勝財務次官だ。国民に対して増税総攻撃がはじまる。世論も借金漬け日本の危うさを感じているのでしぶしぶながら、消費税アップは受け入れるだろう。これでさらにデフレの暗闇から脱しきれなくなるが、野田をどじょうなどと親しく呼んでいる以上、文句をいってもはじまらない。ぼくら低所得者の暮らしはますます苦しくなる。

 司馬遼太郎によると日本には教育者と呼べるひとは2人しかいなかった。吉田松陰ともうひとりは緒方洪庵である。なにを隠そう、いやべつに隠す必要はないが、ペン森は緒方洪庵の適塾を模範としてできた。欄医学者、緒方洪庵の実学を教える塾には福沢諭吉や大鳥圭介が学んだ。福翁自伝を読むと福沢諭吉は大の酒好きで、適塾でも酒を傍らにおいて勉強していた。その酒のエピソードに感動してぼくはペン森をはじめたのである。

 野田の酒好き脱ぎぐせは有名だが、ペン森は内部では下ネタで知られる。来年の採用試験をめざす受講生がポツリポツリと来訪しているが、先生まだ地を出さないで、と在籍者から注意される。まさか緒方洪庵の話をするわけにはいかないよ、知っている学生なんていないんだから。松下政経塾出身の政治家が身ぶるいして失禁するような鋭い記事を書くジャーナリストを輩出したいもんだ、と酒を飲みつつ考えるこのごろ。

 

 

老人は無人駅でマーキング
 この夏はどうも消化不良感がある。遠出が足りない。孫娘と松本→飛騨高山→金沢とまわって来て以来、乗り鉄の胸に火がついた気がする。ただひたすらローカル列車に乗りたい。高山から金沢に向かう際、高山線が豪雨のため運休になった。朝6時発の上り名古屋行き特急が午後3時半にやっと出た。ぼくらは富山まで下って、金沢行きに乗り継ぐつもりだったが、方針を変えて15時50分発金沢行きの高速バスを利用することにした。

 高山駅で精算すると、バスのほうが安く3000円ぐらい浮いてほくほくしたが、待ち時間が4時間近く、街へ出るにしてもゲリラ豪雨である。バスセンターの待合室も満杯なので、隣接する駅の構内で時間をつぶす。ところがぼくはこの待ち時間というのが案外、好きなのだ。孫は退屈きわまりない、といった風情だったが、ぼくはうろうろと狭い構内を歩きまわって、駅員と客のやりとりを聴き、キヨスクの商品や人を観察していた。

 金沢行きのバスは乗車時間2時間15分、途中白川郷に10分間停まるだけである。困ったことにぼくは夕方が迫るにつけ、頻尿になる。白川郷まで40分ぐらいだから、これは我慢の範囲内だ。残る1時間15分は尿漏れしないですむだろうか、気がかり。前日、松本―高山間も2時間半くらいバスに乗ったが昼間なので、あまり心配はしてなかった。それでも平湯で小便タイムがあったのでほっとした。トイレのないバスは老人泣かせだ。

 その点、鉄道は設備が整っている。JRのローカル線はトイレ付きの車両がついている。1両短距離ではついてない場合もあるが、駅には必ずトイレがある。どうにもたまらなくなったら、途中下車すればいい。7月末に水害に遭った只見線は新潟小出から朝夕と昼間の1日3本しか運行してないので、下車したらえんえんと待たねばならない。幸い、列車はトイレ付きだからたっぷり水分を摂取していても平気なのだが。

 田舎から上京してきたばかりの大学生のなかには、新宿駅の山手線ホームを血相かえて走り目前でドアが閉まってがっかり茫然とする者がいる。3分後につぎの電車が入ってくることをまだ知らない。1時間も2時間も待たねばならないのか、とまだ田舎感覚が抜けないのだ。もちろん山手線の車両にはトイレはついてない。ぼくは私鉄の京王線と地下鉄都営線を利用しているが、都会の私鉄、地下鉄にもトイレは備えてない。

女性記者の膀胱炎は職業病のひとつだが、最近はコンビニが発達しているので、その点切迫することなく助かっていると思う。ぼくは男だから尿道は女性よりも長い。昔は小便を途中で止めることができたが、いまはできない。夜、うちに着く前に漏れてズボンが濡れることがある。老人になるとコントロールがきかなくなるのだ。ズボンを洗濯かごにいれておくと「また漏らしたの」と前は家内が聞いてきたが、近ごろは聞いてもこない。

コントロール不可の尿の問題に直面すると、老齢になったことを自覚せざるをえない。高齢者はだから長距離バスを避ける。孫娘とのふたり旅は数年ぶりに2回もバスに乗った。列車利用が極端に少なかった。欲求不満が日に日に増してくる。ローカル線乗り継ぎは、お金のない若者と小便の近い老人に向いているのだ。ぼくみたいな老人は無人駅にマーキングして気が収まるのである。



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