ペン森通信
ひげ面流行にのってみようか
毎朝、顔のひげを剃ってうちを出るが、きょうは剃らなかった。意図的に無精をしたのである。ブラッド・ピットや渡辺謙の例をあげるまでもなく、街中でよく見かけるが、無精ひげがいつの間にか、男のおしゃれのようになってきた。つるつるの顔ではなく、あご、鼻の下、頬、と部分のひげを単独で伸ばしたり、鼻の下とあご、頬とあご、というふうに2つの部分を組み合わせているかと思うと、顔全体をひげ面にしている者も少なくない。

剃らないと1ミリにも満たない短いひげが夕方、ざらざらして、快適とはいえない。帰宅したパパが幼ないわが子に頬ずりをすると、すでに伸びたひげがざらざらして気持ちわるい、と子どもが悲鳴をあげた記憶をもつ父親も多いだろう。無精ひげの男たちはひげ面をすりすり押しつけられる側の気持ちを考えないのであろうか。たとえば女子に確かめたことはないが、頬をすり合わせるにしろ、つるつるのほうが気持ちいいに決まっている。

ひげ面の流行は一説によると、スポーツ選手から広まったという。サッカーの長友佑都は顔全体にざらざら感があるし、水泳の北島康介はあごに少々。水泳選手は水の抵抗を少なくするために、体中の毛を剃ると聞いたことがある。胸毛はもちろん、陰毛まで剃るのだそうだ。真偽は不明だが、ヨーロッパの選手は陰毛を剃るらしい。シャワーを浴びるとき、日本人選手は恥ずかしい思いをするとなにかで読んだ気がする。

映画や雑誌でヘアを解禁するかどうか、が大きな話題になったのは70年代だったように思う。70年代にぼくは警察庁を担当しており、ヘアが出ている洋画を渋谷に観に行った。ヘア行政のトップともいうべき、保安部長に同行していた。保安部長が記者たるぼくの意見をきいて、解禁イエスかノーの参考にしたいということだった。映画を観るまでもなく、流れは解禁である。自然にあるものを隠すべしと取り締まってきた当局がおかしい。

 週刊朝日が表紙に女性の正面裸体の絵を使ったことがあった。ヘアが表紙のまん中に威風堂々、黒々と描き込まれていた。いまにして考えると、あれは当局に対する挑戦だったのかもしれない。駆け出しのサツ回りのころ、警察署で試写会という催しがあった。手入れして没収してきたエロ映画を記者たちに披露するサービスである。ぼくもみたはずだが、遅れてきて見損なった朝日記者がはしたなくも、怒り狂っていたことだけを憶えている

 ひげ面おしゃれというのは、女性の茶髪と同じような現象かもしれない。あすあさっての土日、ぼくはそのまま剃らずにおこうかと思っている。まあ、3日くらいでは大してひげも伸びないだろうが、顔に野性味でも加われば儲けものだ。味をしめたら今度は夏休みにもう1回やってみよう。鼻ひげはものを食うとき、邪魔にならないのだろうか。キスの際、女性は痛かゆくならないのだろうか、これは見当もつかない。

  欧米に赴任した特派員のなかにはひげを生やして帰任する者もいる。日本人は子どもみたいな印象なので、おれは大人だよとアピールするために生やすのである。毎日の主筆、岸井成格はいまでもひげだが、これはワシントン特派員のときの大人ひげをそのまま保っているのである。ひげで外見上の様子は変わるが、茶髪と同様、気分も変わるのではあるまいか。ひげで気分転換ができるとは、年金暮らしにはなんと安上がりだろう。





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過ぎたるは及ばざるが如し
 中国はすごい。追突高速列車の計器類のある運転席付近を重機で粉砕して現場の畑に埋め、批判多く一転して掘りかえした。原因究明くそくらえ。わずか1日半、あっというまに運転を再開して、列車を走らせるその乱暴な迅速さは慎重な日本人には驚嘆ものだ。もし福島のような原発事故が起こったら、直接の関係者をくびにし、原発施設そのものに上から土かコンクリートをかぶせて覆い尽くして、ほとんど瞬時に収束したにちがいない。

 でも、やりすぎだね。高架からぶら下がっている車両の写真を見て、過ぎたるは及ばざるが如し、という先人の格言がとっさに浮かんだ。5年間で9000キロの新幹線をつくったんだってさ。ほんの10年前まで北京市内は自転車だらけだらけだったんだよ。行ったことはないけど、テレビで中国の女の子がそんなことを自嘲していた。内陸部では、労働力を生む女をさらう風習もあったらしい。映画『紅いコーリャン』じゃあるまいしね。

 要するに、中国には新幹線を安全に運行する人材も技術も蓄積もなかったということだね。なにごともバランス、頃合い、というものがあると思うよ。たとえばの話、原子力発電所も原爆の威力を知って、これを活用しようとした人類の欲望の結果できたのだろう。石油文明のシステムのなかで無理を重ねて、原発という人間が制御できないエネルギーをありがたがって使ってきた。ぼくらはその恩恵を享受してきた。子孫に申し訳ない。

日本にもリニア中央新幹線計画がある。南アルプスを貫通して東京――大阪を1時間で結ぶ、というばかばかしい浪費案だ。東京と大阪間が1時間といえば首都圏の通勤時間より少ない。以前「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という傑作交通標語があった。まして、この南アルプスルートは日本最大の活断層、中央構造線と糸井川・静岡構造線とが交錯する土地を通る。これにカネをかけるより、ローカル線をもっと整備してくれ。

 ぼくは人間が地球の浄化作用に適さない物質を使いはじめた時点から自然と人類のバランスが壊れたと考えている。土に同化しない農薬を便利がって使用したときから、農業は衰弱した。もっとも急増する人口をどう養うか、という大問題をわきにおいているがね。マルサスが人口論を発表した1798年の世界人口は9億人だったが、213年たった現在約70億人。人類は疫病と戦争で人口調節を繰り返してきたが、現代にはそれもない。

子孫を残さない同性結婚は、近代人類が編み出した人口抑制の方法論かもね。同性愛も同じく人口増の心配がないから、もっともっと活発になればいい。あるいは、ぼくのような機能果てた老人の女子好きという、バランスを欠く例もそれに類する神の知恵かもしれないよ。中国は人口13億4000万人、一人っ子政策では人口抑制もままならず、危険な新幹線で死者が増えることを内心、望んでいるのかもしれない、と勘ぐりたくなるね。

 物質文明の進展に人間が追いつかない現象は、ケータイやPCに対応できないぼくみたいな老人が示している。交通事故による死者数が3年連続で1万人を超えたときに読売が1961年に連載した「交通戦争」は車という凶器の実現に人間がついていけない事態を扱った。工場や車の排気ガス中の窒素酸化物や炭化水素が日光に反応した光化学スモッグ騒動は70年だった。日本でも環境破壊がすさまじかった。中国は日本のいつか来た道かも。

 

 

わが同期・写真界の巨匠、江成常夫
 写真界の大御所、江成常夫が朝日新聞出版から出したばかりの超大型写真集『鬼哭の島』を自宅に送ってきた。江成は昭和と戦争を問いつづけ、木村伊兵衛写真賞と土門拳賞を受賞している。文学でいえば芥川賞と直木賞を受賞したようなものだ。木村・土門の両賞をとったのは写真家は江成だけである。著書も多い。かれとぼくとは毎日新聞入社同期生だが、カメラマンのかれは12年間勤めて、昭和49(1974)年に退社した。

 「組織を離れ、対象に自分のメッセージを託したい、などと意気込んでも、いざ人間一人になると弱いものである。仮に写真を作れたとしてもどういう手立てで発表すればいいか、人脈もない。組織から解放されたものの暗闇のなかに閉じ込められたような私は、失業保険金をしっかり貰い受けながら、どうすればいいかを考えに考え、痩せるほど考えた末、12年間蓄積してきたフォトジャーナリズムの方法論をすべて切り捨て、写真の原点に立ち戻って再出発することにした」(『レンズに映った昭和』/集英社新書)

 そして江成はつづける。「それまでやってきたことの延長では固有の世界は築けないし、新聞社という恵まれた場を捨てた意味も薄れてしまう。『そうだ、ニューヨークで1年を過ごそう』、そう閃いたのも、続けてきた仕事から少しでも早く脱皮したかったからである」。そのころ、ニューヨークでは、日常的な対象に作者の意図を反映させ、新しい写真の価値を見出そうとする波があり、日本の写真界にも大きな影響を与えていた。

 「そんなニューヨークの写真事情も、明日に向かって手さぐりしていた私には一つの灯に思えた」。当時のニューヨークの写真事情は世界の代表的な写真誌だった『LIFE』が休刊するなど、フォトドキュメントのテーマ主義が勢いを失いつつあった。江成はニューヨークに滞在期間中、語学学校に通い、黒人、ラテン系、東洋系などの家族と触れ合い、アメリカの庶民の素顔を撮りつづける。『ニューヨークの百家族』(平凡社)である。

 「技巧を排し対象を真っ直ぐ見据えることで浮かびあがってきた新たな世界。私は一年間、継続してきたニューヨークの家族訪問で、それまで考えたこともなかった方法論を見出し、『写真は対象を真っ直ぐ見詰めてこそ本来の力を発揮する――』、さらに言えば『表現としての写真にとって、技巧は本質を曖昧にしてしまう』、という思いを強くした」。技巧は本質を曖昧にする、という指摘は文章にも通じる。ESも技巧はだめだ。

 日本に帰った江成は、母国に思いを寄せてやまない戦争花嫁のことが頭に付着している。アメリカを再訪し、こんどはロサンゼルスを拠点にする。戦争花嫁とは日本に駐留した米兵と結婚した女性である。敵国ニッポンの女性はアメリカで人種差別に遭い蔑視されるが、なかでも黒人の花嫁への差別偏見はひどかった。江成はその日本人花嫁の一人一人と会い、望郷の叫びをテープにとり、写真に記録した。『花嫁のアメリカ』(講談社)である。
 
 きょう23日から9月25日まで東京都写真美術館で江成常夫写真展『昭和のかたち』が開催される。太平洋戦争で亡くなった100万を超える霊が太平洋の島々に取り残されままだ。江成はその15島へ鎮魂の旅をして、写真220点の『鬼哭の島』を仕上げた。『昭和のかたち』はその関連写真展である。ぼくもペン森生何人かと連れだって観に行って、亡魂の声に耳を傾けるつもりだ。そして江成の志とエネルギーに頭を下げたい。


なでしこは新女性像をつくるか
なでしこジャパンのなでしこは公募で決まったらしいが、世界一にふさわしいチーム名ではないね。だって、強そうなイメージではないもん。知っていると思うが、日本女性の美しさを表現する言葉に「大和撫子」(やまとなでしこ)というのがある。なでしこは「撫でし子」からきているらしいから、女子や子どもに似つかわしい名前である。「秋の七草」のひとつで、花びらの先端が細かく分かれた優雅な花だ。

 ぼくの好きなタイプの女子は優雅で清楚な20代前半。このことは周囲のほぼ全員が承知している。わがペン森は、清楚はいるが優雅はいない。ペン森以外ぼくは親しい女子がいないので、ぼくの「撫でし子」は清楚系女子ということに限定される。ペン森ではぼくが清楚系の手を撫で撫でしても日常風景だからだれも奇異に思わない。男子は総じてそうだと思うが、清楚系女子には憧れに近い感情を抱いている。処女崇拝に似ているかな。

清楚系にしても優雅系にしても、いまや絶滅危惧種に近い。まだ清楚系の生息量が多いのは、深窓の令嬢といった上品系の存在が姿を消して、素のままの飾りっけのない女子が目立つからだろう。秋田美人は圧倒的に清楚系の傾向だが、優雅系ではない。博多美人は優雅系が多く、清楚系はすくない。京美人も妖艶な優雅系だ。女子高生は制服を着用していると、たいてい清楚系に見える。それが制服の効用でもあるのだろう。

美人論の井上章一教授によると、美人が最も多いのは東京だそうだ。地方からどんどん上京してきて大学に入るからである。東京のなかでもテレビ局が際立っているらしい。ぼくはテレビ局にここ10数年足を踏み入れたことがないから、井上教授の美人度の測り方はタレントをさしているのか、社員をさしているのかわからないが、テレビ局に美人がそろっているというのは納得。ただし、清楚系となるとNHKに集中しているね。

たしかに美人清楚のペン森卒業生の多くは、NHKに就職した。新聞社に内定した男子が「新聞社は女子を顔でとっているんじゃないんですね」と感心していたことがあったが、
裏を返せば、新聞社には美人はいないということ。ところがテレビでコメンテーターを務める論説委員や編集委員には美人が少なくない。政治家を取材するぶら下がり記者にも女子が増え、目鼻立ちのくっきりした女子記者が映るようになった。

 数年前、ペン森男子がこんな話をしていた。「母親がNHKにすごい美人がでているよ。観にきなさい、とうるさく言うもんだから、テレビの前に座ったんですよ。ね、すごい美人でしょ、と母が自慢そうに言う。あれっと思いましたよ。このあいだペン森に来ていた○○先輩じゃないですか。で、母に言ったんです。この女性はペンの森の先輩記者だよ。先日、会ったばかりだ」。清楚系の彼女はぼくの旅友でもあったんだよ。

 むかしに比べて美人の比率は高くなったと感じる。以前の女子オリンピック選手といまの選手とを見比べれば、一目瞭然だ。それにつれて、清楚系と優雅系が増加したかというと、むしろ逆だ。清楚系にしろ、優雅系にしろ、やはり内側から醸すものや、しとやかさ、清らかさ、優しさという要素が必要だ。なでしこジャパンはあきらめ知らずのたくましさ、すばしこさ、協調性が持ち味だ。優雅系に代わる新しい女性像をつくってもらいたいね。

 



 

菅首相と朝日は好き合っている!?
 エネルギーをめぐる世の中の風向きは脱原子力発電である。その追い風に乗って、13日朝日新聞は「原発ゼロ社会」を大々的に提言した。折も折、日本の代表的な言論機関とタッグを組んだかのように菅首相も会見でエネルギー政策の転換を打ち出して「原発に依存しない社会を目指すべきだ」と明言し、脱原発の姿勢を明白にした。朝日にしても、首相にしても、反対する人は少ないとみられる。ぼくは遅きに失した感じさえ受ける。

 たぶん、朝日も首相も世論の動向を様子見していたのだ。国の基本的な政策の転換にしては、首相は熟議をふまえた形跡はなく、独断的なあるいは独裁的な印象を与える。よくいえば、事前の反発を警戒して唐突に発表したのだろう。事前の反発とは、国会議員、経済産業省の官僚、経済界、電力会社による圧力である。首相はもう一つ、退陣を表明しながらまた延命策をだして、生きながらえようとしているとの疑念がつきまとう。

 その疑心暗鬼か、巻き返しの波を受けてかわからないが、菅がれき内閣のスポークスマン枝野官房長官は14日「原発のない社会が望ましいというニュアンスだった。脱原発依存とまでは言ってないと理解している」と冷ややかだ。あのおっちゃんまた、思いつきでなにを言ってるんだ、と政府内では相手にしない向きも多いらしい。消費税率10%、TPPへの参加表明など打ち上げ花火をあげて、あとは知らんふりの前科があるからだ。

 首相の明言した内容には賛成だが、それを菅直人の口からはききたくなかった。これが大半の反応だろう。こうなると首相と二人三脚で脱原発を主張したように受け取られる朝日は内心、間が悪い。原発ゼロ社会への提言を一面とオピニオン欄に社説を見開きで載せたその日に、なぜあの首相が同じようなことを言うのだ、と。おかげで大朝日は菅直人が好きだと思う読者もでてくるだろう。ほんとは通じているかもしれんけどさ。

 最近は耳にしなくなったが日本が成長途上にあるとき、鉄は国家なり、という成句があった。製鉄所の溶鉱炉が燃えたぎって、建設用鋼材、自動車用鋼板を大量生産して日本経済をリードしていたころの話だ。それが、あれよあれよという間に、原発は国家なり、に転じた。原発の力によって、基幹産業が動いているからである。この小さい国に電力会社は北海道から沖縄まで10の地域に区分けされ、各地域の殿様企業である。

 独占だから当然、競争がない。コストが高くなれば、電気料金に上乗せすればすむ。原子力は自然エネルギーに比べて安くつくとさんざんテレビで解説されてきたが、事故を起こした福島第一原発の賠償などのコストは計算もできない。算数に弱いぼくだからということもあるが、事後の処理額はあまりにも莫大すぎるのだ。これほどリスクの高い原発は朝日や首相に同調して止めるほうが、次世代への責任をはたすことになる。

 首相が自然エネルギーを言いだした裏にはソフトバンク社長孫正義の存在がある。孫の呼びかけた「自然エネルギー協議会」には35道府県が参加した。孫は1980年アルバイト社員2人でコンピュータ卸売会社をスタートさせたが、10年後年商500億円にする、と言ったら社員2人はホラもいいとこ、こいつは駄目だと辞めてしまった。31年後の現在、売上は連結で3兆円超。自然エネルギーへの転換はホラじゃないかもよ。

 

 
 

早く刑務所に帰りたい
 1冊100円の古本を5冊買った。そのうちの1冊『法廷のなかの人生』(佐木隆三/岩波新書)。90年2月、鹿児島で女子高生が使用していた自転車を盗み、400メートル逃げたところで緊急逮捕された70歳の男、前科18犯。その裁判の場面を再現した項目がある。なぜこの老人はドロボーを繰り返したのだろうか。弁護士、検察官、裁判官三者の質問によって、社会の矛盾と問題点が大量に浮き上がってくる。

弁護士「本籍地へは帰らないのか」
「兄弟とか一つもありません」
「前科が多いのはなぜか?」
「仕事がなくて、使ってくれない。大阪の西成区の職安へ行くと、『年寄りは危ないからダメだ』と言われ、食費も寝るところもなかった」
「生活費がないから盗むのか?」
「簡易宿泊所へ泊まれず、防空壕のようなところで、野宿をしました」 
「検察官の取り調べに、『生活に困ると、また盗もかもしれない』と供述しているね?」
「拘置所に入ったお陰で、ゴハンが食べられるから、胃が痛くないです」
「福祉事務所の世話にならないか?」
「そのためには、本籍地の手続きが要るから・・・」
「それでまた、刑務所に行くのか?」
「刑務所ではマジメにやります」
そこで今度は質問者が弁護士から検察官に代わる。
「更生保護会を知っているか?」
「北九州の小倉で保護会へ行ったけど、働かないとダメだから・・・」
「保護観察所には相談したか?」
「出所の翌日に行ったけど、12月27日で、年末の休みに入っていた」
「すると刑務所に戻るのが良いか?」
「私は酒を飲まないし、この年齢になると女も関係ない。刑務所で働きさえすれば、ゴハンを食べさせてくれる。恥ずかしいけど、早く刑務所に行きたいです」
最後に裁判官が質問する。
「刑務所を出たとき、本籍地へ帰っていれば、福祉の世話になれたのでは?」
「私は旧制中学を出ており、学業成績も悪くなかった。人間にはプライドというものがあり、出身地で福祉の世話になるというのは、やはり恥ずかしいです」
「これからの人生をどうするつもりか?」
「刑務所でマジメに働きます」

 老人は天涯孤独の身で、捕まったことに満足している。「酒は飲まない、女はもはや関係ない」というところに無欲の達観をみた。欲望は、普通の人が絶対に避けたい刑務所に入ることだけ。小さな裁判だが、あまりにも考えさせられる。公的扶助の不備、無縁化、孤独老人、単身社会、高齢者の仕事、ふるさと喪失、ホームレス増・・・感度のいい記者はこれを大きな記事にして読ませるだろう。ペン森卒業生もこういう題材から社会改造に結びつく報道をしてくれればうれしい。

「老いらくの恋」に生きる
人生で苦しいもののひとつに歳をとってからの恋がある。恋はもともと苦しくて切なくてやるせないものらしいが、ぼくはこの方面の内面には疎いので、実際はよくわからない。仮にぼくが恋におちいるなら、それは「老いらくの恋」だ。「老いらくの恋」は歌人・川田順が弟子にして人妻との恋愛事件で一躍知られるようになった。敗戦まもない昭和23年12月4日朝日新聞が社会面トップで報じて「老いらくの恋」が流行語になったのである。

 若き日の恋は、はにかみて
 おもてあからめ、壮子時の
 四十歳の恋は、世の中に
 かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。(『恋の重荷』序)

朝日はこれに「老いらくの恋は怖れず」と見出しをつけて飛びついた。『恋の重荷』は自殺をはかった川田が東京朝日新聞の出版局長に遺書代わりに届けた長詩である。『恋の重荷』はもちろん、菊の手入れをする老人が天皇の第三夫人に一目ぼれした謡曲『恋重荷』からとったものであろう。川田は妻を亡くし、余生をひとりで送っていた。そして

 樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現はれぬ

 知人のうちで美しい人妻に出会う。京大教授だった中川与之助の夫人、俊子である。俊子も歌を詠み、ほどなく川田の弟子になる。川田は『新古今集』の研究者として名高く、現天皇が皇太子殿下のころ御作歌の指導に当たっていた。朝日歌壇や歌会始の選者でもあった。東京帝国大学卒、住友総本店にはいり、常務理事まで務め筆頭の総理事就任も約束されていたが「その器にあらず」と自己退職する。

 一方、俊子は夫とのあいだに3人の子をもうけていた。川田と出会って3年後、ついに抑制できなくなった川田が告白すると、俊子もその愛情を受け入れる。【「主人にすみませんが、致し方ありません」と再三言った。私の強い愛に負けたといふ姿であった」】と川田は回想する。2人の秘密は俊子の夫にも露見してしまう。深刻な事態である。2人は会わないことを俊子の夫に誓うが、どうしても会わずにはいられない。昼間に逢瀬を重ねる。

 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるる

 自殺をはかった川田は未遂に終わる。「たまきはる命うれしもこれの世に再び生きて君が声を聴く」と再生をよろこび、俊子との結婚を決意する。川田67歳、俊子39歳であった。28歳差のカップル誕生である。28歳なんて大した差じゃないね。ぼくは自分に照らして50歳差でも、許されるなら「老いらくの恋」をしたいと思うが、相手がいないか。川田ほどの純愛一直線にも自信がないし。

 何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはついに貫く




ペン森合宿の時間割公開
ペン森合宿の時間割をぼくの独断でほぼ決めた。今回はES主体となるが、みんなの前で話し慣れておくことも面接では必要と思われるので模擬面接の機会も設けた。ESを発表すると同時に、質問する側にも回る。今回は各人の成績簿をつけるが、質問も評価の対象となる。これまでにないシビアな合宿となる今回の参加者はこの秋採用試験に臨む16期生と来年春挑戦組の17期生に内定者を含み計20人を見込む。

1日目(7月15日)
1400 昼食をすませて現地八王子セミナーハウス本館1階集合(別途配布「ペン森ES」または「本番用ES」に事前記入してコピーを提出すること。2日目に使用)。
1430 作文①
1600 作文②
① ②とも1730までに提出、いずれも800字、その場で題出題。卒業生・内定者による評価とコメント。
コメント。               1930 各人10分間「自己PR」(ボード使用可)。
  
2日目(16日)
  終日「ペン森ES」または「本番用ES」に基づく実力アップ講習会。以下の項目について各人口頭で発表。AB2班に分け午後2時、AB入れ替える。模擬面接も兼ねて質疑応答。発表者はAとBで各1回ずつ発表。
  900~昼休み~1800 夜宴会
① これまで熱心に取り組んだこと。
② なぜ記者(編集者、制作)をめざすのですか。
③ なぜ当社(想定可)をめざすのですか。
④ 入社して取り組みたいテーマは何ですか。
⑤ これまで気になった社会的な出来事を5つ挙げてください。それぞれ理由は?
⑥ あなたの長所と短所を教えてください。
⑦ 最近、最も感動したことは何ですか。
⑧ あなたの節電対策は?
⑨ 原発に賛成ですか、反対ですか。その理由は? 
⑩ 最も印象に残った映画と本を3つずつ挙げて、理由を述べてください。
(口頭で1人30分、質疑応答20分。記入は別紙「ペン森ES」1項目につき200字~300字で)。

3日目(17日)
  900 2班に分けてGD。
  1030 各自反省と決意表明。卒業生・内定者の感想。
評価、コメントつき作文2本とES返却。
1300
   *昼食後解散
   *費用は2泊3日で1万5000円程度。

脱原発の総選挙があるか
 菅直人総理のねばり腰にはまいったね。なにもこっちがネをあげることはないのだが、管直人は「恥の文化」の日本人ではなかったのだろうか、赤面したくなるような居直りである。民主党国会対策の役員室に「百害あって一利なし」とか「宰相不幸社会」と書が貼られていたそうで、党内は憤懣やるかたない悪口雑言の嵐が吹き荒れているようだ。岡田、枝野、仙石らの総理の首切り謀議もまったく効きめなく、菅に辞める気配はない。

 菅直人は戦後最悪の首相、という声も聞こえてくるが、本人はそう思ってないだろう。ただ、歴史に刻まれるような実績は残してない、という自覚はあるにちがいない。その焦りからか、せっぱつまった心境でいろんなことを思いついては、すべては一時の思いこみで終わってしまう。完結まで至らない。市民運動家菅直人個人の思いこみなら、またまた悪い癖が、とばかにされておしまいだが、最高権力者の総理大臣だからそうはいかない。

 この最高権力者の味を菅に覚えさせたのが、よくなかったね。旧知の海江田万里大臣と飲んだとき、海江田は「総理大臣にならなければやりたいことはなにもできない」とぼやいていた。権限が集中してSPに身を守られ、マスコミの注目を浴び、機密費を使い、総理ほどおいしい職はないだろう。なにしろ、総理になりたい、ただなりたいだけの男だったことが、明らかにわかったから側近からも毛嫌いされるにいたった。

 戦争中、旧海軍に竜巻作戦というとんでもない作戦があった。せっぱつまって思いついた奇策にはろくなものはないが、これはその典型例。太平洋戦争末期、南洋マーシャル諸島の環礁は米艦隊の集結地だった。日本軍はこれに奇襲をかけようと考えた。航空機では航続距離が続かない、潜水艦では防潜網や駆逐艦の警戒をくぐり抜けることができない。そこで考えついたのが戦車から艦隊に魚雷を放つという奇策だった。

 戦車は岩場に乗り上げて、動きがとれない。作戦は中止された。菅直人も自民党からひとり引っこ抜いて混乱に輪をかけたり、奇策が得意。国会の会期延長もいったんは50日でOKしながら70日とし、押し切った。70日は、解散総選挙が頭にあるからだ。8月13日ごろ解散可能と総務省は言ったらしい。解散してから40日以内に選挙をしなければならない。50日の延長では会期の関係で解散できなくなる。だから70日の説あり。

 脱原発の世論の上昇気流に乗っかっての選挙である。小泉郵政選挙をまねる総選挙。担当大臣も初耳でびっくらこいた「1000万戸にソーラーパネルを」と国際会議の席上、唱えた奇策総理だ。脱原発をスローガンに選挙をするという目論見のようだから、悪知恵だけはよく働く。さて困ったと頭が痛いのが今度は自民党である。脱原発、反原発ブームのなかで原発産みの親の自民党はいまさらエネルギー転換はいえず弱るばかりだろう。

 イタリアは国民投票で原発不採用となった。日本では国民投票があるのは憲法のみだから、脱原発総選挙は国民投票と同じような威力をもつかもしれない。ぼくは菅大嫌いでそのためにテレビのニュースも見なくなったくらいだが、総選挙はやってもいいのでは、と思う。菅直人は、現職総理にして落選という歴史に残る結果になればうれしいが、脱原発圧倒的多数の投票結果だけでも悪くはない。原発はいずれ、菅は即不要だね。

 



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