ペン森通信
新しき愛情関係
 先週土曜日、群馬県高崎でペン森卒業生の女子記者が結婚式をあげた。新郎は牛乳やヨーグルトを製造販売している乳業家の息子。いまどきこんな清々しい若い男がいたのかと感心するくらい芯のある、精神の骨っぽい青年だった。新婦の彼女は記者としてもすご腕だが、男に対する目利きも大したもだ。ペン森は概して、いい男子、いい女子が集まっていて、知性度も高い。大学で講座をもっている身だから、比較できるのである。

 いい男、いい女という評価はもちろん主観的なものだ。個人の男女がそれぞれ好きな相手を選ぶから、美女と野獣なんて組み合わせが成り立つ。先日プレイボールの創立者85歳のヘフナ―が60歳年下の女性と結婚直前に振られるという悲喜劇があった。ヘフナ―は雑誌からプレイボーイブランドまで手がけたやり手だが、名うてのプレイボーイとしてもよく知られる。だが、60歳年下の女性と付き合っていたとはねえ、見あげた老人だ。

 おそらく、ヘフナ―は振られてかなりまいった、と思う。ぼくと13歳差があるが、同じ老人に属するから、その心理はわからないでもない。女はあっさり別れて、すっぱりと過去を断ち切るが、男はそういう融通がきかない。未練たらたらみっともないのが男だ。だいたい別れ話の果てに刃傷沙汰におよぶのは男と相場が決まっている。女の場合、あのひとと別れるからと新しい男に殺しを依頼することが多い。こっちのほうがタチが悪い。

 別れ話で女が未練をもつときは、たいていカネがらみである。カネがからむと女は怖い。総じて男よりも女のほうがケチだ、という話は前にこのブログでも書いた。だが、男がどうの、女がどうの、と異性にこだわるのは現代では保守的だ。ニューヨーク州では同性婚が法律的に認められたばかりの26日、市中で大パレードが行われた。アメリカはピューリタンの国だから、体質的には古いところがあるが同性文化は日本よりも進んでいる。

 そのパレードにはゲイの弁護士・消防士・裁判官など50万人が参加したという。シカゴ、ロスアンゼルス、パリ、サンパウロでも行われた。アメリカで同性婚が容認されるのはニューヨークで6州目。やがて日本にも波及するだろうが、性の偏見や差別の壁が消えるのはもろ手を挙げて賛成だ。この際、男女間の年齢差も世間が気にしないようになれば、50歳年下の女子から慕われる? ぼくなんか大手を振って喜ぶ。

 土曜日の結婚式には新婦と同期のペン森卒女子も2人参加していた。2人とも20代独身。披露宴2次会は合コンだから男を探してこい、とけしかけたが、2人とも会場の隅でおとなしくしている。1人の女子はあたりかまわず、ぼくの手を握りっぱなしで「先生、浮気だけはいけませんよ。したことありませんか」と説教を垂れる。「ぼくは品行方正、浮気はしたことないなあ。でも、したいときもある」と手を強く握り返して、とぼける。

 スケベで知られた森繁久弥は「どれどれ手相をみてあげよう」と女優の手をとって撫でさすったらしいし、モノにした女優は数知れず、という。こうなると浮気などというちまちました倫理観どころではない。土曜日に結婚した新婚夫婦は北関東と九州の遠距離別居婚である。男らしい男の新郎は、たぶん妻と波風立てないよう、意思強く浮気には走らないと思う。不自由で我慢できなくなれば、あとくされないフ―ゾクで始末しておくれ。
 

 

 

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戦後史講座を始める
 ペン森は今年の秋採用挑戦組と来春挑戦の受講生をむかえているが、春採用に武運つたなく秋の延長戦に臨む受講生もふくめて人数は18,9人。人数が不確定なのは春に失敗した受講生の今後の態度が決まってないからである。さっそく7月15、16、17日と、2泊3日の合宿を行う。例年なら顔合わせの飲み合宿になるところだが、今回はESを徹底的に準備するES合宿になる。時間をみて作文の特訓もしたい。

 みんなそれなりに地力はあるが、ご破算と願いましては、の新規やり直しになってさらに力を加える工夫が必要だ。春の内定者がペン森史上最低の6人だったから、あと10人くらいは秋に内定してもらわねばならない。春に内定した6人は実力にプラスして、チャップリンのステッキ効果ともいうべき強みをもっていた。歴女、自衛隊高校在学歴、財務諸表が読める、ぶり縄木のぼり枝払い体験、アメリカの大学で学生記者をしていた…

 ステッキ効果は自らの体験や熱中してきたものなど、これまでの生き方や運に負う側面があり、直前にじたばたしても間に合わない。だが、作文やESに必要な考える力や地力は、その気になればすこしずつではあるが、身につけることが可能だ。考える力が備わればものをみる視点に独自性がでてくるようになる。独自性の蓄積が地力である。その一助として、7月4日から午後2時~4時、ペン森で戦後史の講義をつづけることにした。

 日本の戦後は昭和20(1945)年8月15日、天皇のラジオ放送(詔勅=玉音放送)によって戦争が終結してはじまった。玉音放送はラジオの受信状態が悪かったり、内容のわかりにくさで敗戦を理解した庶民はあまりいなかったと伝えられる。しかし「帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とリード文(前文)の部分「共同宣言ヲ受諾」の文言で敗戦を知った庶民もいただろう。

 日本が米英などにポツダム宣言の受諾を伝えたのは前日だったから、対日戦争勝利の日は8月14日である。だから、実質的には敗戦は8月14日。きのう、沖縄では慰霊の日を迎えた。6月23日は沖縄戦終結の日ではない。司令官牛島中将らが自決した日である。司令部の崩壊を知らない兵士たちはなおも散発的に戦いを続行していた。牛島中将の孫は中学教師をしていて、生徒を沖縄につれていき「祖父は悪いひとだった」と話すらしい。

 ぼくは8月15日を終戦と指定しているのは気にくわない。8月14日敗戦が正しい。終戦と言い換えるのはごまかしだから敗戦と正確に表現したい。沖縄慰霊の日、6月23日も地上戦で多数の住民を戦没させたわけだから軍隊の親分の自決の日を慰霊の日に制定したのはおかしい。新聞表記では慰霊の日は「旧日本軍の組織的戦闘が終結した」(毎日)と苦しまぎれだが、記者ははたして実態を知っているのであろうか。

 ぼくの戦後史講義はややもすれば横道にそれるかもしれない。横道には作文やESのネタを用意しておこう。敗戦→終戦の言い換えは、戦車→特車でも例示できるが、抽象的でネタにするのはむずかしい。高度成長と団地、集団就職、定番エッチ場所などあまり語られない秘話もサービスしよう。あるテーマに興味をもつひとができれば、思わざる効用だね。半藤一利『昭和史』戦後編を基本とするが、あれこれ蓄積を披露したい。

未来世代への責任のない国
 愛媛にいるペン森卒業生がメールに「県内避難者にまつわる記事を書いている」と表現してくる。これはペン発の放射能から逃れてきたひとたちのことではないかと推察しているが、沖縄に避難しているひともいるくらいだから、四国に行きたいひとの気持ちもわかる。避難しているのは小さい子どもをもった母親が多いだろう。目の見えない放射線物質におびえるひとをだれも笑えないところが、この事故の不気味さである。

 遅まきながら首都圏や長野で放射線量の測定がはじまったが、プルトニウムやウランは何万年もかかって放射線を出しつづけるが、福島原発で問題になっているセシウム137は30年で半分だけ出しつくす。最近首都圏では放射線量の多いホットスポットの存在が明らかになって、問題になっている。その場所が公園や保育園・幼稚園の砂場、小学校のグランドであれば、なおのこと母親たちの不安と心配は限りなくひろがる。

 放射線測定値0・6マイクロシーベルトなどとあるのは、1時間あたりの数値だから、年間、10年間と累計しなければ被曝線量はつかめない。官房長官が「ただちに、人体に影響はありません」というのは、考えてみれば正しい言い方なのだ。逆に疑って考えれば10年後は人体に影響があるかもしれません、ということである。日本の法律では年間の被曝限度は1㍉シーベルトだが、これはただちに人体に影響はない量である。

 累計被曝量100㍉シーベルトごとに0・5%がん死亡率が上がるといわれるから、避難地区に入ってない地域だといって、住みつづけていると決して将来安心とは言えないのだ。1986年に事故を起こしてレベル7の最悪事態をまねいた旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所周辺では現在も、年間5㍉シーベルト以上だった地域が立ち入り禁止になっていることからすれば、同じレベル7の福島事故の基準は甘すぎる。

 チェルノブイリ並にすれば、福島市も郡山市も東北新幹線も東北道も立ち入り禁止になる、と週刊朝日に連載コラムをはじめた辛坊治郎は7月1日号のコラムで指摘している。「避難区域の線引きは科学的というよりは、政治的・経済的な観点から設けられたものだ」と。いまが大事、未来世代への責任はどうでもいいのだ。母乳からヨウ素が検出され、小児がん、甲状腺がんが発生したとしても菅はいない。民主党も消滅しているだろう。

 そして時の政権は因果関係が不明だと責任回避するに決まっている。10年後20年後に白血病の子どもが増えようと、知ったことではないのだ。避難民そっちのけで、あるいは利用して、政争を繰り広げる政治。IAEA(国際原子力機関)は「複雑で硬直的な体制や組織が緊急時の意思決定を遅らせた」と日本政治を批判しているが、要は責任をとらない組織の縄張り争いが大災害時にまかり通るのが、日本という村社会だ。

 原発は現在の石油文明システムに適合しなかった、とだれかが言っていたが、けだし名言だと思う。村上春樹は効率に入れあげすぎた、と反省した。日本は下り坂にさしかかって、もはや高度成長はありえないのに、アクセルを床まで踏みつけるくせはまだ抜けない。原発も推進するというし、効率とスピードのリニアモーターカ―計画は進めるし、原発事故でもまだ懲りずに、頭のおかしいのがやたら幅を利かせている。のんびりいこうぜ。


村上春樹の声を聴け
結婚披露宴でよくスピーチを頼まれるが、よし笑わせてやろうという下心が渦巻いているので、自ら受けねらいの邪心に惑わされることが多い。スピーチの内容は準備してゆくこともあるが、たいてい、新郎新婦についての司会者の紹介や最初のスピーカーの話からエピソードを寸借して間に合わせる。そこへいくと、さすが村上春樹はスピーチ原稿を練りに練って、スペインのカタル―ニャ国際授賞式でメッセージ性の強いスピーチをした。

その原稿全文が共同配信で14,15,16日と3回に分けて毎日の夕刊に掲載された。スピーチは「非現実的な夢想家として」と題し、内容の骨格は広島・長崎を体験した日本人は原子力発電を容認してはいけなかった、と原発拒否を語りかける。ドイツとイタリアは脱原発の姿勢をはっきりさせた。これに日本が続くと日独伊が意を通じ、反原発の新三国同盟になるが、村上春樹はそんなダジャレは言わない。以下に村上メッセージを届けたい。

「日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような危なっかしいかっこうで位置しています」

「日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。(略)そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では『仕方ないもの』として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです」

「戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう? 理由は簡単です。『効率』です。原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。(略)効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無残な状態に陥っています。それが現実です」

「我々日本人は核に対する『ノ―』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。(略)たとえ世界中が『原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ』とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心に据えるべきだったのです」

 原子力でないエネルギーの開発は、広島と長崎亡くなった多くの犠牲者に対する、日本人の集合的責任の取り方となったはずだと、村上春樹は強調する。村上メッセージは、日本人に向けられたものでもあった。村上春樹はことしもノーベル文学賞の候補か、と騒がれるだろう。ノーベル賞を受賞したら、その発言はより強いインパクトをもって伝わり、世界中に反原発運動が広がるだろう。若いひとや女子が好む村上文学は老骨男子のぼくの口には合わないが、このスピーチは胸にすとんと落ちて納得した。

作文はESの母である
マスコミの春の採用試験が終わって、ペン森には秋採用をめざす若者が体験受講に訪れるようになった。今月は女子だけ3人。この3人が入塾すれば、計9人の新人が加わることになる。春は武運つたなく、秋に延長戦を挑む者も4,5人いるので、合宿をしようと思えば可能な人数だ。春の敗戦組のなかには最終面接で落ちたひとが数人いる。なぜ内定をもらえなかったのか、エントリーシート(ES)が不完全だったのでは、と推察する。

夏の合宿はおおむね、飲みだけの親睦会になる傾向がつよい。今季はES合宿にしようかと考えているところだ。ESを書く、という精神作業は20年余りの人生にはじめて自分が直面するということにほかならない。真剣に自分と向き合い、自分を問いつめなければ、書けるものではないだろう。うそやごまかしでとりつくろっては、内定にむすびつくことはできない。自分に正直なひとはまず間違いなく内定する。

すべての目に見えるものは目に見えないものに支えられている。このぼくの口癖をESにも応用したい。朝日に「最近、感動したことは何ですか」という項目と「いままで一番つらかったことは何ですか。また、どうやってそれを克服しましたか」という項目がある。これにみんなが悪戦苦闘する。「なんにも思い浮かばないんですが、どうしたらいいでしょう」と聞かれても、当人の見えない心の中のことだから、ぼくにはどうしようもない。

しかし、作文を何本も書いていれば、「あれを書いたら」とアドバイスができる。作文はESの宝庫である。そのことに気づかない受講生が案外、少なくない。作文を数多く書く。言ってみればこれが内定への近道なのだ。「筆記の通過率は高いので、作文はもういい」と思っているひともいるが、とんでもない勘違いだ。ESを想定しながら「感動したこと」とか「辛かったこと」という作文題を出すこともある。

「感動」は社会的なこと、「つらかったこと」は家族との関係が目立つ。「感動」で憶えているのは早稲田大学の時計塔の時計機材がアナログからデジタルに変わる際、親子2代で80年間メンテナンスをつづけてきた2代目職人が引退した、という例だ。朝日記者となった本人の許可はとってないが【『時計は正確でなけゃいけない。精度がよくなるなら仕事はなくなってもよい』。空襲、全共闘運動の最中もメンテをつづけた職人は潔かった】。

天声人語も参ったと言いそうないい話である。この身近な具体例は目に見えない部分に支えられている。見えない部分は、①アナログからデジタルへという流れをみる感受性 ②職人に直接話を聞いている行動力とコミュニケーション力 ③時計塔に目をつけたセンス ④職人の気質まで表現している表現力 ⑤涙、涙の安っぽい感動ドラマではないこと ⑥虚飾やうそのない事実であること。 以上をふくんだコンパクトな記述が冴えていた。

かれはこれを作文にも書いていた。なにか作文の材料になる素材はないだろうか、と鵜の目鷹の目で神経を研いでいたから時計塔が目についたのだ、と思う。作文は表に現れた表現の背後に多量の見えない部分をかかえていれば、作文としても見事だし、ESのふくよかな母にもなるのだ。




若者よ、毒を持て!
 宇宙飛行士の古川聡が宇宙飛行船ソユーズに乗って、10日国際宇宙ステーションにドッキングして宇宙の住人になった。ぼくは99年に宇宙飛行士候補に選ばれたばかりの古川、星出彰彦、角野(現山崎)直子の3人の作文の先生を2日間したことがある。「夢」と題した3人の作文がペン森どこかにしまってあるはずだが、どこにあるかはわからない。内容もほとんど記憶してない。あまり上等な出来の作文ではなかったと思う。
 
 「夢」はあらかじめ、宿題として書いてもらった。400時詰め3枚だったが、悪戦苦闘したようで古川は「2日かかった」と言っていた。古川は東大病院の外科医から応募して合格した。現在47歳のかれはすでに30代になっていた。たしか宇宙飛行士になるのがちいさいころからの夢だった、と書いていた。女の子向けのエッセー風作文を読ませてくれた角野直子とは、しばらく年賀状のやりとりをしていた。

 なぜぼくが宇宙飛行士に作文講座をやったかというと、ペン森に博報堂から文章研修に派遣された社員から「こんな企画があります、ついては講師になってもらえないだろうか、と依頼されたからである。ほかにもスピーチとか記者会見とか、講座が組まれていて、作文はエッセーや寄稿を頼まれた際に困らないため、という理由がついていたように記憶する。博報堂は宇宙開発事業団からしこたませしめたにちがいない。

 宇宙飛行士の作文があまり頭に残らなかったのは、優等生の書く型どおりの正しい文章だったからだろう。人物も正しいだけのひとはおもしろくない。ちょっと感じはちがうが、民主党の岡田幹事長みたいなものだ。人間的魅力のある人物は、おおむねどこかが壊れている場合が多い。型にはまってない自由人でもある。キャラが立って個性的だ。エピソードには事欠かない代わり、そばにいる家族にとっては迷惑な存在である。

 採用試験の面接で一次、二次までは通過するが、最終で落ちるひとがいる。一次では多少角のある個性的なタイプを好んでも、最終に進む過程で角は回避され、丸いタイプに落ち着く。最終面接の面接官は年のいったおじさんが多い。保守的だ。冒険をしない。角のある挑発的なタイプは扱いにくい、ということを過去の経験から知っている。といって没個性派が有利というわけではない。人畜無害な丸い個性派の内定確率が高い。

 だが、いい子ぶりっこして内定しても、現実にもまれるうちに素がでてくる。組織や集団にいると自然に、ねたみ、そねみ、ひがみの感情が引き出されてくるからだ。どんな組織も優秀2・普通6・使えない2の割合で構成されるという説がある。本人の実力は入社して仕事をしてゆく過程でわかってくる。新人が配属された現場から「なんでこういう使えないのを採用したんだよ」というような文句のこない安全パイが丸い個性派なのだ。

 宇宙飛行士派3人とも見事に角のない丸い個性派だった。人間は丸く、文章も丸い優等生では刺激に乏しい。3人の作文は調味料が不足していたのだろう。作文は鋭い角があるほうがおもしろい。鋭い角は風刺の切れや毒と言い換えてもよい。現代の若者に圧倒的に足りないのは毒気である。若者よ、毒を持て!






一途の情熱に期待
 新聞社に提出するエントリーシート(ES)の、好きな本の項目に大崎善生の小説をあげた男子がいた。大崎の小説が好きとは、はじめてESで目にしたのでよく憶えている。大崎は小説よりもノンフィクションに優れたものがあるから、『聖の青春』や『将棋の子』だったら、ぼくにもわかる。大崎は日本将棋連盟に就職して、雑誌『将棋世界』の編集長を10年間務める。青春ノンフィクションの第一人者である。

 ずっと以前、このブログで名著『聖の青春』は取り上げたような気がするが、定かではない。聖(さとし)とは29歳で病死した棋士、村山聖のことだ。「村山ほど一途に将棋に打ち込んだ棋士はいない、とその死後誰もが口を揃えた。村山というたった1人の人間の将棋への純粋な情熱が、ある意味では将棋界を支えていたのだということを教えられる。体の悪い村山があんなに頑張っているんだから、自分も負けるわけにいかない。そう思って歯を食いしばった棋士がどれくらいいたことか」と大崎はエッセーで書いている。

 3・11大震災から3カ月「被災者のことを思えば」というせりふがほとんど日常化した。他者のつらい立場を類推してわが身を処する癖がついたひとも大勢いることだろう。上をみればきりがない、欲をつっぱらず身分相応で満足しておけ、という人生訓は、それなりの恵まれたひとにそれ以上望むな、と諭すことばだが、下をみればきりがない、ことをわれわれは3・11で知った。これは上をみるより、自分を奮起させるバネになる。

 ペン森は高い内定率が自慢だが、それでも採用試験に落ちる受講生が毎年いる。採用する側が決めることだし、ぼくは採用側に無謬性はないと思っているので、なぜ落ちたのかと聞かれても歯切れが悪い。それでも採用試験の傾向として、実力のある優秀なやつは内定するし、文法がおかしく誤字の多い学生は落ちる。そこへいくと、将棋のような勝負の世界は勝ちか負けしかない。強ければ勝つ、弱ければ負ける。はっきりしている。

 近年のマスコミESに必ず記入させるようになってきたのが「これまで熱中したことはなにか」という項目である。集中力があるかどうか、継続してなにかをやりぬくパワーがあるかどうか、などを知りたいのだろう。ぼくは「熱中」と同時に将来やりたいテーマをもっているか、どうかも重要な項目だと考えている。やりたいテーマさえあれば、苦境や辛苦に陥った場合でも、我慢して乗りきれるものである。

 言ってみれば村山聖の「将棋への純粋な情熱」を持ち合わせていたら、いいマスコミ人になれる資質が備わっている、ということだ。将棋をなにかやりたいテーマに置き換えて考えるといい。問題は、純粋な情熱が若者から立ちのぼってこないことだ。明らかにぼくらの学生時代に比べて、いまどきの若者は情熱が不足している。熱情のあまり口論から喧嘩沙汰に発展することもない。大崎のノンフィクションは激しく熱中する青春を描く。

 村山聖の師匠は森信雄6段だ。大崎はこの師弟関係を書くことにそれこそ、純粋な情熱を注ぐ。師匠は命がけで将棋を指す弟子のためにパンツまでも洗ってあげる。なんと美しい師弟関係だろう、とぼくは思う。ぼくにも新しいペン森生のなかから何人目かの特別の弟子ができる可能性が濃い。弟子は女子なのでパンツは洗えないが、20代の一途な情熱に期待するばかり。
 
 

 


ポスト菅は土方歳三型でいけ
菅首相は「一定のめどがついた段階で」若い世代に責任を引き継ぐ、と表明したことにより、とりあえず不信任案から逃れた。だが、前夜は一睡もできないくらい気が気じゃなかったのだろう、不信任案賛成討論のさい、先が見えてほっとして居眠りをしていた。そのへんの神経は図太い。「一定のめど」とは、なにを指しているのか、このずるい男のことだから、あいまいにして居座る策略ではないかという疑念も生じさせている。

 人間一生のあいだに、こいつだけは殺したい、と顔も見たくない相手が3人はいると言われる。菅直人くらい周辺から嫌われる男も珍しい。嫌われることだけで存在感がある男も珍しい。野党時代、知り合いの女性キャスターが選挙を手伝ったことがあると誇らしげに信奉していた関係で、ぼくも1回会ったことがある。気色悪いくらい作り笑いをしていたが、もちろん1回会っただけでぼくごときに本性が見抜けるわけがない。

 菅直人の権力亡者の本性がはっきり表れたのは、総理大臣の椅子を手中にしてからだ。政治記者に言わせると、1日でも、1分でも総理の座にしがみついていたいだけの男、ということになる。政治記者から菅はいい男だ、という評を聞いたことがない。おそらく市民運動家でやってきた政治家という装飾にみんながだまされた。それは菅直人個人のみならず、民主党にも通じる。期待→失望→絶望。この急降下感はぼくだけではあるまい。

 それでも、解散にならなくてよかった。菅首相がその位置にとどまったのがよかったというのではなく、総選挙を回避できてほっとした。当面は「一定のめど」をめぐってまたひともめするだろうが、日本の危機の極みに800億円もかけて選挙なんて正気の沙汰ではない。民主党の内紛は幕末の殺し屋集団、新選組の内部抗争を想起させる。現代は幕末のようなテロと粛清がまかり通る時代ではないが、言葉のテロはまかり通っている。

 近藤勇も土方歳三も大名になることが最大の夢だったといわれる。農民階級の出だったからだ。隊長の近藤は内部分裂でやせ細った新選組を「甲陽鎮撫隊」と改称して、勝海舟からけしかけられた甲州城に向かう。10万石の大名になるつもりだった。途中で大宴会や女郎買いの遊興に費やし、着いたときには甲府城は新政府軍に占拠されていた。近藤は流れ流れて、下総流山で新政府軍に捕まり、斬首される。まだ35歳の若さだった。

 若さを別にすれば、その戦略眼のなさで部下が離反する姿は、民主党のリーダーとそっくりだ。この夏、勝沼へ行く予定だが近藤隊が惨敗した勝沼の戦跡をみてみたい。副長の土方は、そこへいくと腹が据わっていた。京都時代は殺りくを屁とも思わない、ただの暴力漢みたいなところがあったが、箱館戦争では人間がすっかり変わり、反政府軍のリーダーとして指揮が冴えわたる。見事な野戦指揮官だったのである。

 民主党は菅おろしの第2幕がはじまったようだが、与党であれば、ポスト菅につぎを継がねばならない。つぎのリーダーも近藤勇であってはだめだ。土方歳三のように理想的な方向に変化する可能性を秘めたリーダーが望ましい。民主党も内部抗争を続けていては新選組のように消滅するだけだろう。いまや消滅しようがだれも残念がるひとはいないと思われる。この党は自民党つぶしの役割を担っただけかもしれない。

 

 







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