ペン森通信
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買えば義援金『震災歌集』
『震災歌集』という本(中央公論新社)が発行された。筆者は俳人の長谷川櫂。【その夜(3月11日)からである。荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきたのは。私は俳人だが、なぜ俳句ではたんかだったのか、理由はまだよくわからない。「止むにやまれぬ思い」というしかない】。ほんの一部を紹介するが、1100円+税、ぜひ購入されたし。印税は義援金となる。

【かりそめに死者2万人などといふなかれ親あり子ありはらからありを】
阪神・淡路大震災のときNHKの男性アナウンサーが冷静にたんたんと死者の数を述べていた。すると突然、アナの顔がゆがめ涙をぽろぽろと流し、嗚咽しながら「この数字の方たちはみな急に人生がなくなったんです。家庭があり、親がいて、兄弟がいて、子どもがいて、それが断ち切られたのです」という意味のことを言いはじめた。ぼくは事実報道と主観報道のちがいを考え、ルポの場合、主観報道がいいのではと考えるようになった。

【大津波溺れし人を納むべき棺が足りぬといふ町長の嘆き】
3・11は大地震の死者よりも、水死が92・5%を占める。津波の犠牲者が圧倒的に多かった。震度7を記録して最も激しい揺れに襲われた宮城県栗原市は死者ゼロ。いかに津波被害が大きかったかを示している。こういう災害で犠牲者になるのはたいてい、高齢者だ。60歳以上が65%もいる。遺体は自衛隊が敬礼で見送ったが、棺に納められた人はまだよかった。棺不足で毛布で覆い、しまいにはシートで覆っただけだったという。

【かかるときかかる首相をいただきてかかる目に遭ふ日本の不幸】
最悪のときに最低の首相をいただいた。被災者は無念だ。首相会見で「あなたの存在自体が最大の不安材料だ」と迫った記者がいて、そのままNHKで流された。20くらいなんとか本部だのを立ち上げているが、ただ数だけ多く、それぞれの役割分担さえほとんどだれも知らない。戦争や大事故のとき最もやってはいけない逐次投入でその場をしのごうとしている。それだけで司令塔としては不合格だが、首相を選んだのはわれわれである。

【「今の若者は」などとのたまふ老人が両手に提(さ)ぐる買占めの袋】
土日、ぼくは買い物をするので3・11直後のスーパーの様子は比較的つかめたほうだろう。都心や下町ににょきにょき伸びている高層マンションや超高層マンションではエレベーター利用よりも階段を上り下りした人も多かったのでは、と思う。足腰も弱っている。階段を上り下りの苦労を思えば買い占めざるをえない。「いまの若者」にしてみれば、「いまの老人は」と言いたいこともあるだろう。ろくでもない老人も多いしなあ。

 【いつの世も第一線は必死にて上層部のやから足を引っぱる】
『踊る大捜査線』の青島刑事は会議室のおえらいさんに向かって「事件は現場で起きてるんだ」とマイク越しに怒鳴る。福島原発1号機への海水注入が55分間中断しという騒ぎは、一転して現場所長の判断で注入を継続していたことがわかったが、ぼくはこのとき青島刑事の怒りのせりふを思い出した。「会議室」にいたのは東電幹部と内閣官房。「海水注入を止めろ」と言ったって、原子炉は冷却するのが鉄則。所長は正しい判断をしたのだ。

 【つつましき文明国であるために必要なもの不必要なもの】
ペン森OBが来て感心していた。「年収300万円でも生活できるんですね」。まさにぼくは300万生活者だが、これは老人だから可能という面がある。住宅ローンは完済したし、車も手放した。衣類や靴や本はストックで十分。慶弔費用が多いだけで、医療費もいまのところたいしたことはない。旅の費用があればと考えたりするが、これもときどき舞い込むアルバイト代が補ってくれる。まあ、震災後もつつましい文明生活をしているといえる。

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愛と結婚のあいだ
 愛は必ず終わるが、結婚は終わらない。『愛は4年で終わる』という世界的ベストセラーがあるらしい。この手の本には興味がないから、その本の存在すら知らなかった。週刊朝日のコラム「40代からの大人の恋愛講座」に筆者の夫婦・家庭問題評論家、池内ひろ美が、4年は間違いである、と書いている。4年というのは、結婚後4年で離婚する夫婦が多い統計から読みとって唱えたものだ、愛が終わるのではなく、結婚が終わるのだ、と。

 池内は「愛は2年で終わる」と断言する。その理由は次週31日発売号で明確に説明すると宣言している。冒頭の「愛は必ず終わるが、結婚は終わらない」という文句はぼくのオリジナル。ぼくらじじばば夫婦のことを言っているのである。こないだ亡くなった長門裕之と南田洋子夫妻は、愛も結婚も継続してむつまじいように見えた。もっぱら認知症の老妻をかいがいしく介護する夫の長門の側だけから見て、美談として受け止められた。

 妻の南田洋子は、老醜をさらし、若い美貌の女優だったころのイメージが無残に壊れるのを許容していたのであろうか。公表諾否の認識もなかっただろうが、男のぼくだって、認知症になって仮に老人医療施設に入ったとしたら、だれにも顔を見せたくない。事前にその旨、家人にきびしく言っておくだろう。これまでの印象にゆがみが生じるとか、特段の理由はない。生き方の美学みたいなものである。静かに生命の灯が消えゆくのに任せたい。

 南田洋子は、はたして長門を芯から愛して結婚生活をつづけていたのだろうか、という疑問もわいてくる。長門は、稀代の女好きだったからだ。その点ではぼくもそうだし、男性一般の傾向と同じだが、「百人斬り」のうち「8割が有名女優」という好き者であった。自伝で、池内淳子、扇千景など実名をあげて関係があったことを暴露している。事実無根だと抗議を受けて謝り改訂版で修正するが、これじゃ妻も女優もたまったもんじゃない。

 ぼくは池内淳子のファンだった。池内は去年76歳で亡くなったが、老いてなお清楚だった晩年、テレビでは母親役の女優として活躍した。池内は20代に柳沢真一という俳優と結婚するが、わずか3カ月で離婚する。愛も結婚も3カ月しかもたなかった。愛は、ほんの1カ月もつづかなかったのかもしれない。2人がどういう経緯をへていっしょになったのか知るすべもないが、性愛的な愛情を内包する恋愛も一気に破綻したわけだ。

 「恋愛講座」の筆者によると、性愛的な愛情は結婚によって情緒的な愛情へと移行するそうだ。情緒的な愛とはいったいどういう内面の状態なのか、見当がつかない。性愛に飽きがきて、喜怒哀楽をぶつけるようになる、ということか。ゴルフは夫婦でラウンドするもんじゃない、といわれる。恋愛関係だったら嫌われないように細心の注意をはらってアドバイスするが、夫婦間には遠慮というものがないから喧嘩になる。これが情緒愛なのか。
 
 このブログで何回か書いたが、老人は恋愛をすると寿命がのびる。医学的に証明されている、らしい。老人夫婦は互いに恋愛感情をもっていないだろうから、この場合の恋愛とは妻や夫以外の男女に対する感情ということになる。しかし、せっかくの恋愛も2年で終わる。2年しかもたないのであれば、とっかえひっかえ、人生忙しい。つぎつぎに相手がいるのであれば、切りのない、そんな忙しさも味わってみたいもんだなあ。


なにもかもすっきりしない
けさ電車の隣席にひっきりなしに咳をする男が座っていた。男はマスクをしてない。ぼくはしているが、本を読むため老眼鏡をかけている。老眼鏡がくもるので、マスクは口だけを覆い、鼻の穴は防護してない。男は咳をするたびに一応、手のひらを口に当てる。咳の飛沫は正面には飛ばない代わり、手のひらから漏れて横にいるぼくのほうに飛んでくるような気がする。男は一向に下車しない。ぼくの降りる神保町までずっと乗っていた。

 たかが咳である。なんでもないかもしれないが、男がなにか病気をもっているとすれば、ウイルスか菌がぼくの体内に鼻から入った恐れもないではない。ぼくは席を移ろうかと思ったが、男はなんの病気にもかかってないのかもしれず、席をはずすと、悪感情をもつおそれがあり、申し訳ないと思案する。これしきの微量の飛沫がおれに伝染するわけがない、と理由もなく強気に思い直し、そのまま素知らぬ顔をして本に目を落としていた。

 開いていた本はマイク・ロイコの『男のコラム』。この本は単に、自室の本棚から引っこ抜いてきたものだ。毒舌の痛快コラム集だから、こんなうっとうしい雨の日に読むにふさわしい、と考えただけだったが、車内でとんだうっとうしい思いを経験することになった。ロイコの皮肉にうなっていた20数年前、ボブ・グリーンにも夢中になっていた。ぼくもアメリカンコラムが日本に上陸した当時、そのブームを支えた1人だったのだ。

 そのころ読んだコラムに、うろ覚えだから正確ではないが、バ―かどこかで、自分はがんだと告白した客の周囲の客が2,3メートル飛びのいた、というのがあった。がんは伝染する、とアメリカの男たちは思いこんでいた時代があったようなのだ。たまたま当時のアメリカンコラムを車内で読んでいたぼくは、「がん伝染」の記憶が頭の奥でよみがえり、余計に「咳男」を必要以上に敬遠してしまったのだと思う。


 日本の若者たちが『チーズ・バーガーズ』に親しんだアメリカンコラムの代表ボブ・グリーンは、元は地方新聞の記者。2年後コラムニストになり、アメリカ中西部を代表するシカゴ・トリビューン紙で活躍する。ボブ・グリーンのコラムは行数の制約なしに、題材に応じて、長短自由に表現したところにおもしろさがあった。内容にも独特の味があり、アメリカには珍しい抒情系にしてさわやかだった。

『ボブ・グリーンの父親日記』で家族の価値を重視したボブだが、取材当時17歳の女子高生との交渉が明るみにでて失脚する。女子高生が31歳になったとき、ボブに対してしつこく接触を試みる。気味悪いボブは当局に捜査を依頼して、14年前の淫行疑惑がバレてしまう。本人は「寸止め」して実行には至らなかったと否定するが、ABCテレビの有名番組「ナイトナイン」の解説者までのぼりつめていたのに、将来を棒に振る。

「咳男の咳」にしても「ボブ・グリーンの淫行疑惑」にしても、まるで福島第一原発の放射線の拡散のように、どうもはっきりしない。放射線のために婚約を破棄された30キロ圏内の娘さんもいる、と取材した記者から聞いた。風評被害だけでなく、実質上の差別や偏見がまかりとおっている。せめて福島原発が収束すれば、咳も淫行疑惑も世の中の汚染程度として消化できるのだろうか。世の中、すっきりしないことが多すぎる。



 


ペン森OBがまた朝日を辞めた
 朝日新聞記者のペン森OB、Mくんが退社した、という。詳しい事情はわからないが、ちゃんとした目的があればすばらしいことだとぼくは、周囲とはやや異なる感想をもった。朝日を辞めたペン森生は、ぼくが把握しているかぎり、これで4人になる。4人とも国立大学卒で、うち3人が東大卒、2人が法学部出身である。高給の日本の代表的メディアを辞める、というニュースは本人を知る身にとって大事件だ。

 人事異動はサラリーマンにとって最大のドラマである。退社は究極の人事異動だ。この種の話題はあっという間に全国規模の広がりを見せる。ペン森は朝日への就職率がきわめて高く、約40人が記者として活躍している。ほぼ同数が記者になっている薄給の毎日は退社ゼロ。40人近いNHKの2人、読売の1人に比べ、朝日は多すぎる。朝日の冷たい官僚体質はぼくも感じるが、なにか耐えられないような高慢な社風なのかもしれない。

 それでも朝日を辞めた4人のうち2人は公認会計士になった。将来への道はしっかり確保していた。Mくんの退社について「もったいない」という声があるなかで、ぼくがやや違う感想をもったのは、人生の方針を確定させた上での退社かもしれない、と思ったからだ。『空白の五マイル』で42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した角幡唯一も朝日に5年在籍したがかれの場合、朝日記者もツアンポー峡谷に挑むためのプロセスだった。

 ぼくは2社辞めたから、所属する会社に対する帰属意識は濃いほうではない。辞めたのは毎日新聞とTBSブリタニカ。毎日は積極的に退社したわけではなく、2年近くも説得されて引き抜きに応じた。TBSブリタニカに『ニューズウイーク』の日本版をだす計画があり、その週刊誌づくりのハードとソフトの両方を知る技術者として乞われたのである。TBSブリタニカには11年在籍して取締役で退社して、ペン森を創設した。

 ジャーナリスト育成の血は毎日記者時代から流れていた。30代後半から周りに慶応、早稲田のマスコミ志望の学生が集まるようになり、酒を飲ませては作文の面倒をみたりしていた。マスコミは不特定多数に向けての情報を提供することで成り立つが、ぼくは特定少数の若者を対象にした寺子屋式の塾を開きたいと永年、胸にあたためていた。給与年収1800万円からほぼ給与ゼロになったが、厚生年金で息をついできた。

 TBSの『報道特集』がホームレスになった管直人の慶応出の盟友の特集をやっていた。そのなかで、朝日歌壇に登場したホームレス歌人の投稿者を探すドヤ街ルポ取材中の三山喬という人物が紹介される。三山は東大経済学部出身の朝日記者だったが、13年在籍して退社する。フリージャーナリストをしているうち、経済的に行き詰まってしまう。転進するつもりで雑誌編集者に最後の挨拶の電話をかけた際、ドヤ街ルポが決まった。

 三山のルポは本になった。『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所)。Mくんはまさか「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて1日生きる」というホームレス歌人のような境遇にはなるまい。なんらかの成算があって朝日記者を捨てたと思いたい。ルポを書きたいのであれば、場所提供も含めて協力したい。特定少数の終点は特定個人になる。ぼくはルポ作家を志す若い特定個人に対して、蓄積を接ぎ木できれば、と熟慮中である。 

 

 

 

作文の上達法は思考すること
作文の上達法についてよく聞かれるが、短期上達の極意というものはない。それは歌唱と変わらない。カラオケ下手が練習を重ねた結果、うまくなることもあるが、必ず一定のレベルで止まってしまう。それ以上の作文を望むには考えること、すなわち思考すること、ということを重ねねばならない。その前段として、言葉ひとつに対するこだわりと吟味があれば、それも考えることと無縁ではないから、効果はあるだろう。

 「たとえばぼくは」は、「例えば僕は」でもいいのだが、ぼくはやわらかい平仮名が好きだから、「たとえばぼくは」と表記するようにしている。「ように」は「様に」とは書かない。「平仮名」それ自体を漢字にしているのに他意はない。前後に用いた漢字が多いか少ないかによって、ひらがなにもするし漢字にもする。そのへんは臨機応変に使い分けている。「使う」だって「つかう」にすることもある。要するにそのときの気分や心境の問題。

 作家では、吉行淳之介は同じ言葉が一文のなかで平仮名になったり、漢字になったり、そんなことは気にしなくてよい、といっていた。関係ないが、ここで吉行にまつわるエピソードを思い出した。開高健と芝居をみていたとき、吉行が開高に「ちょっと待っていてくれ」と席を立った。30分後に戻ってきた。「30分で女優とヤッてきたんだよ。なんと素早い」と開高が感嘆していた。ふたりとも故人だが、味わいの異なる名文家だった。

 開高は「文章はメリ、ハリ、ツヤ、テリだ」といっていた。「ツヤ」と「テリ」の区別がよくわからない。「顔のつやがいい」とぼくはいわれることがあるから、ツヤは艶のことだと察しがつく。すると、「テリ」は「照り」か。女子中学生の肌はツヤではなく弾けるように照っているから、「テリ」もなんとなくわかる。では文章に置き換えるとどうなるか。開高文体もテリがあるような気もしないでもないが、深遠すぎてぼくはお手上げだ。

 井上ひさしに『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』という新潮文庫がある。文章読本はその井上をはじめ、三島・谷崎・丸谷と数多いが、おとなを対象にした作文読本は珍しい。井上曰く「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにもわかる文章で書くということだけなんですね」。かねてぼくがいっていることと同じだが、果たして、その内容までしっかり理解できるひとは、どれくらいいるのだろうか。

 自分にしか書けないこと、とはずばり自分だけしか知らないこと。ほかのだれもわからない自分だけの体験と思えばいい。ペン森生も、大勢で同時体験する大学受験とか祖父母の認知症とか、ありきたりの題材を書く例が目立つものだから、ぼくは「体験ネタリスト」を作成した。新潟・旧山古志村手掘りトンネル、長野・無言館、山形・小中学生の早朝論語素読、島根・ロシア兵の墓、東京・靖国神社軍馬の慰霊碑、東京・慈恵院水子地蔵…

 ネタ先はそれ自体ドラマ性や歴史的な背景に彩られている。行ってなにを考えたか、がキモなのだ。その思考の先が井上のいう「だれにもわかる文章で書く」につながる。だれにもわかる文章とは、平易な表現ということだが、それだけではない。普遍性も重要だ。源氏物語は1000年たったいまでも読まれる。普遍的な価値があるからである。古いネタでも思考の結果が普遍的な価値へ昇華すれば、現在に通じるいい作文になる。
  

話題は下ネタの無害老体
 前から粗忽ものであったが、このところそれに輪をかけて、ちょんぼが多い。前回のこのブログでも浜岡原発の地震予想「M8」とすべきところを「震度8」とうっかりミスを犯した。ぼくは現役記者のころから自分の原稿を読み返して点検しなかったし、ましてやブログは大して緊張感もなく軽い気分で書いている。そのゆるさゆえにポカをやってしまうのだろう。あるいは生来的な粗忽性に加えて年齢が影響しているのかもしれない。

 酒がはいると度忘れが激しいのは、昔からだったが、いまは酒がはいってなくてもひとの名前をよく忘れる。先週はあろうことか数分前までその名を言っていたペン森女子の名前が突然、頭の中から消えてしまい思い出すのに1時間くらいかかった。メールも内容の勘ちがいが目立つようになった。あとで寝床にもぐってから、脈絡もなくぽっと再生することがある分、まだ救いがあると慰めるものの、脳の装置がだいぶ摩耗したか劣化した。

 もともとが優秀とはいえない脳だから、部分的にすこし壊れるだけで、全体の破壊に直結してしまうのではと恐れる。高速を逆行して事故を起こす高齢者がいるが、それは他人事ではなない。自分にもありうることではと考える。だが、このへん慎重なところもあって70歳をしおに車を手放し、運転をする機会がほとんどなくなった。正解だったと思う。ほとんどというのは旅先で、やむなくレンタカーを利用することがあるからだ。

 80歳の現役個人タクシー運転手もいるらしいから、ぼくなんかまだガキの部類に属すると強がりを言うこともできるが、教鞭をとっていた私立大学は70歳を迎えるその年、きっぱり定年になった。今年も就職関連の論作文講師のオファーはきているが、70歳はいい区切りだ。頭脳のキレも鈍化するし、肉体の機敏さも衰える。電車の中でよくたたらを踏んでしまう。坂や階段をのぼるのも辛い。駅のエスカレーター停止の節電で鍛えねば。

 国際オリンピック委員会の委員、岡野俊一郎(サッカ―)と猪谷千春(スキ―)が80歳の定年になるという記事が朝日に出ていた。定年80歳とはすごい。もっともぼくには定年がない。元気であることが前提条件だが、90歳まででもペン森の先生をやっていられる。だが、そこまでやる気はないからご心配なく。ペン森には体験受講生が月3,4人やってくるが、入塾はごくすくない。これはぼくの老齢印象が一因かも、と考えている。

 ぼくが大学生だとすると、70をすぎたじいさんに教わろうとは思わないだろう。キャンパスではぼくみたいな高齢者はとっくに定年を迎えて退場しているのである。学生からしてみれば、祖父よりも年寄りなのだ。歌は歌謡曲、話題も過去やエロが中心で、ケータイやパソコン操作はからきしだし、きわめて現代性に乏しい。枯れて好々爺どころか、羞恥心が擦り切れてあけすけだ。女子も参加して昨夜も下ネタで盛り上がるペン森だった。

 被災地へ行かねば、という気持ちがある。一方で、迷惑をかけるだけだから止めとけ、ともう一人の自分がたしなめる。もう一人の自分の声に対して聞きわけがいいのは紛れもなく、体の機敏性、躍動感が若いときの5分の1程度に落ちているからだ。被災地で救急車の世話にはなりたくない。でもね、内面はまだまだピチピチと躍動しているよ。老体にしては、いや老体だから人畜無害かもと女子に思わせ、心のなかはいつも弾けている。

 

 

 

10年以内に原発は全廃炉にしろ
原発は10年以内に全基廃止して、日本から退場させるべし、というのがぼくの主張。タッチゾーンの10年間にすこしずつ代替エネルギーに差し替え、同時に雇用も吸収する。一方では電力消費の軽い商品を開発する。その場しのぎの思いつきか、延命策か、横須賀を控える米の強い依頼か知らないが、菅首相の浜岡原発の全面停止の要請を中部電力はしぶしぶ受け入れた。この首相にしては、浜岡停止は珍しくも評価してよい決断だった。

 浜岡原発は静岡・御前崎にある。ぼくは御前崎グランドホテルに2回泊まり、原発わきの砂丘にも足を踏み入れた。菅首相の停止要請というのは高さ10mの砂丘と原発のあいだに中電が高さ12mの防潮堤をつくる、その2年間停止という意味だ。日本は世界に冠たる技術を誇ってきたはずなのに、日本製ロボットは福島第1で活躍したという話を聞かない。浜岡防潮堤建設にもそんなに時間がかかるというのは技術大国の名折れだ。

 浜岡原発の危険性を強く訴えてきた毎日の月曜日のコラム「風知草」の筆者、山田孝男は旧知の間柄だが、表現がやや不満な点は「浜岡を止めろ」と言っていることだ。「止めろ」とは停止なのか、全面廃止なのかあいまいである。ぼくは浜岡全廃止だ。ご存じのように、浜岡は東海地震の予想震源域の真上にある。地盤が弱く、地盤隆起は避けられない。震度8クラスの東海地震は30年以内に87%の確率で起こるとされている。

 いま日本には54基の原発があるが、うち30基は3・11の地震で停止、あるいは定期点検中である。新たに10数基を新設する計画だが、政府はなお推進の意向だ。原発は1基5000億円、最もコストの安い電気エネルギーだと政府も電力会社も言うが、福島事故による社会的損失は10兆円でも収まるまい。原発は100点かマイナス100点かだ。政府はこの人災の補償は、電力料金値上げを認めて賄うようだが、とんでもない話だ。

 原発エネルギーは日本の電力の27%を占めるが、10年間で徐々にその比率を低めていく代替エネルギーの開発に技術力を注いでもらいたい。日本は火山の国であるから、温泉が豊富だ。地熱発電に乗り出せばいい。太陽、風力、波力、バイオエタノールと多様な自然・再生エネルギー源があるが、これまで原発推進しか目になく、原発以外への開発取り組みを政府や東電などが邪魔したことはなかったのか。どうも疑念がぬぐえない。

 メディア自身もそろそろ課題解説や問題指摘だけでなく、原発に対する態度を明らかにしてもいいのではないか。読売は初代原子力委員長が元祖大親分の正力松太郎だった関係で政府と同じ推進派だろうし、NHKも国営放送みたいなものだから、態度表明は難しいかもしれない。では、朝日、毎日はどうしする?10年以内に代替エネルギーに転換していく、というぼくの構想をあげてもいいよ。節電なんて後ろ向きの姿勢だけではだめだ。

 20年近く前、東大法学部を出た大蔵省(財務省)の若手官僚が税務署長に任じられていたころ、その税務署長ら4人とぼくを含めた5人で「日本のあるべき姿」をテーマに2泊3日の勉強合宿をしたことがある。問題指摘はスムーズに進んだが、3日目になってはたと止まった。未来構想の議論ができなかったのである。ぼくたち日本人は、現実把握はできるかもしれないが、未来世代への責任を意識しての構想力・想像力に乏しいようだ。

 

 

 

旅に出れば気分も軽く
5日、前日の結婚披露宴の帰り、大阪駅構内も新大阪駅もたいへんに混んでいた。「のぞみ」も満席で自由席は通路までふさがっていたらしい。夕方には帰着したが、妙に落ち着かない重い日が続いていたが、気分がすっかり軽くなっているのに驚いた。テレビを見なかったので大震災を忘れていたこと、10期生10人近くと会えたこと、披露宴で型変わりの乾杯ができて満足したこと・・・旅先でストレスのない環境にひたれたことが大きい。

大震災このかた、テレビはほとんどつけっぱなしにしている。とくにNHKの災害放送を見つづけてきた。気を重くしたのは原発関連報道である。原発に関してはNHKですら靴の底から足裏を搔くもどかしさがつきまとう。当初、事態はかなり深刻だったが、「ただちに影響はない」と枝野官房長官が言えば専門家も「影響はない」とACのCMみたいにオウム返しに報じるだけ。いまでもなにが真実なのか不明のままだ。なにか隠している。

ぼくや発表を聴く記者や読者・視聴者を含め原発には通じてないから、発表が真実視されるから厄介だ。次第に明らかになってきたのは電力会社の隠ぺい体質とテレビに出る大半の専門家は御用学者ということ。電力会社は天下りを受け入れ、専門家に資金を出し、記者を接待づけにして、安全神話をつくってきた。原発反対や批判はメディアも封じてきたが、毎日山田記者が危険といわれる浜岡原発中止の主張コラムを書いているのはえらい。

芦屋でテレビを見なかった分、原発につきまとうもやもやが一時消えた。久しぶりにペン森を卒業して6年の10期生に会えたことでウキウキとなった。「先生、いくつになりましたか」「72だよ」「若いなあ、お元気ですねえ」。みんなメディアの人間だし、被災地を取材した記者も少なくない。話が原発をめぐる取材姿勢におよんだのもよかった。「現場は20キロ以内デモ行きたがるし、社の幹部は政府規制に従え、という」と読売記者。

規制は国によっても異なり、アメリカ80キロにはびっくりしたが、欧州やアジア人もまだ帰国したままという人間も多い。「外国人が全員いなくなって仕事にならない」と嘆く声もまだあるが、日本メディアも、朝日50キロ内だめ、など独自に規制している。放射線を浴びても結果がすぐ出るわけではないし、老人は決死隊を結成して突入しろ、とけしかける向きもある。ぼくは行かんよ。決死のサムライ取材、社員だけは禁止、は全社。

「生きがいはなんですか」「うん、酒かな、女子もそうだね」。実際は、酒も女子も含むペン森こそがぼくの生きがいなのだ。九州で30前後の記者だったころ台風の目を捕えようと車で駆けまわったことがある。宮崎で道路が冠水していて、社旗を立てた車を停めると若者が近づいてきた。「ぼくは宮崎支局員ですが、この先行けないんです」「取材だろ!水につかっていけ」と怒鳴るくらい現場が生きがいの現役時代だったのに、草食化した。

4日の披露宴はレストランの席をいったん離れて緑薫る庭園ではじまった。ぼくは乾杯発声の役割。「先日イギリスでロイヤル・ウエディングという前座をやってくれました。1回の乾杯ではもったいない。3回やりましょう」。まじめな内容の予定稿を準備していたが、採用面接と同じ、予定どおりにはいかない。ふまじめな爆笑乾杯となった。二次会も乾杯。「これから合コンの開始です。さあ、席替えしてください」。新カップルできたかね。

酔ってなくても自由人なわけ
社会部記者だったころ、継続取材が必要な大事件のさい、夜中の1時ごろデスクが若い記者に「きみはすぐ帰れ、早く帰すから朝は6時にでてきてくれ」と指示していた。午前2時に就寝したとして5時に起きれば、3時間の睡眠時間である。気分が高揚しているときは、これでも睡眠不足は感じないものだったが、平常時の10日に1回の夜勤の場合、3時か4時に寝て7時半起床は、30歳の半ばをすぎてきてからこたえた。

 いまでもぼくは睡眠をたっぷり7時間から8時間とらねば1日中、すっきりしない。高齢になると早く目が覚めるが、これは寝ている体力がないからだ。ぼくは遅くとも午前零時にベッドに入り、15分か20分読書するが、目覚めるのはまず4時ごろだ。尿意を催すからである。それからまたひと眠りするわけだが、早ければ5時に目が覚める。このころすでに家内は起きているが、ぼくは二度寝しようと懸命で悶々と妄想のなかに沈む。

 妄想のおかげで好きな女子と何回親しく旅をしたかわからない。それでも妄想のあいだウトウトとまどろんでいるのだろう、睡眠不足の自覚はない。昔から寝付きの悪いところがあるから、睡眠薬は必需品だ。酒が入ってない夜は1錠、入っているときは爪をたてて半分にして半錠を常用している。酒が入ってない夜はまあ皆無だから、毎晩半錠を嚥下してベッドインする。睡眠不足は血圧が上がるので、薬は医者の処方による。

 遅くとも午前零時に就寝するぼくは夜更かしではない。旅にだれと行こうとそれは変わらない。同行女子がいるとすれば、ここ数年は別部屋の場合が多いので、女子がぼくの部屋で話に夢中になっているうち、飲み崩れてしまうのがいちばん困る。だから事前に警告しておく。「ここで酔いつぶれてもいいけど、そのときは解剖するからな」。悪酔いした女子を眺めながらひとり飲みのあげく仕方なく、旅先でぼくは床に寝たこともあるのだ。

 ご存じのようにぼくは20代女子が好きで、とくにA嬢にぞっこんだ。ぼくはあまり決まりごとに束縛されない分、自由人だと思う。ところで若い女子とは別の動物、おばさんには辟易する。ペン森との行き来の電車もほぼ決まっているのに、決まったとおりに行動するのも不得手なほうだ。社会部記者当時、120人の部員のなかで最も出張の多い部員だったが、出張が苦手だった。指定時間に夕食と朝食を摂らねばならないからである。

 だから、温泉地へ行ってもややもすれば、ビジネスホテル宿泊ということになる。外で自由に飲んだり食ったりが楽しい。ホテルに戻った時点でもう出来上がって、よれよれという事態も少なくない。ペン森は賄いの飲食つきだし、ぼくは弁当持参だから、外へ出ることはまずない。旅先ではタクシーの運転手やホテルのフロントが地元の名店を教えてくれるので、美味美酒にありつけることが結構ある。同行女子とそこに行くのも感興がそそられる。

 あすは10期男子が兵庫の芦屋で挙式する。GWの期間中は3割引きのジパング倶楽部が利用できないので、「のぞみ」で新大阪まで行って翌日もう帰着する。ローカル線乗り継ぎの乗り鉄にあるまじき旅の形態だが、式服一式という荷物があるので仕様がない。披露宴で10期生に会うのが楽しみ。二次会もぼくが宿泊するホテルでやるそうだから、酔っても心配ない。一杯やる前の乾杯発声のスピーチが心配。自由すぎないようにせねば。

 



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