ペン森通信
無計画停電と計画的な原発安全神話
 計画停電という無計画停電は、首都圏を中心に実施されているが、無計画なゆえに各方面にただごとでない影響を及ぼしている。ぼくの住んでいる地域は第2グループに入るがまだ1回も停電してない。無計画の証拠である。個人的には3月21日に呼ばれていた高崎市での結婚式が、停電区域に入っているため無期延期された。この結婚披露宴でスピーチは頼まれてなかったが、つぎの5月4日の披露宴は乾杯の発声をする予定だ。

 5月になれば、震災もかなり落ち着いているかもしれない。だが、「おめでとう」と心から乾杯ができるだろうか。被災者のなかにはまだ避難所に残っているひともいるにちがいないし、流失した家の跡に新築の家の基礎を敷設するまでにも至ってないだろう。第一、元の場所に家が建てられるかどうか、計画的な復興の図割しだいで個人の自由も制約され可能性がある。今度こそ、大地震にも大津波にも負けない復興計画にしてもらいたい。

 こういう状況が予想されるなかでの「乾杯」である。もちろん新郎新婦にはなんのわだかまりもなく「おめでとう」と祝福することができる。だがね、である。首都圏の停電はまだ時期が先の夏に再開されるからその心配はない。まして、披露宴が行われるのは電力豊富な兵庫県芦屋である。それでもやはり、心中は快晴の日本晴れにはなれない。肉親を失った悲痛、長引く原発事故、避難。ひとびとの心情をどうしても想像してしまう。

 新郎は共同通信の社会部記者だから当然、被災地取材をしたはずである。名状しがたい悲惨な現実を目の当たりにして、声もなかっただろう。ぼくは乾杯スピーチでこう言おうかと思っている。「列席のみなさんのなかに日本一部数の多い読売新聞の記者もおられます。新郎は日本一読者の多い新聞の記者です。共同通信はニュースを各県ともシェアは50%を軽く超える地方紙に配信しております」とまずは共同通信を持ち上げて説明し、続ける。

 「各地方では地元の新聞が一番よく読まれていますから、共同通信は日本一の部数を誇ると言っていいのです。この一番読者の多い新聞に新郎は被災地のひとたちに希望、元気、笑顔を与えるような記事を書いてください。被災地の新聞には東奥日報、岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友、茨城新聞などがあります。これらの新聞に新郎の書いた記事が掲載され、少しでも被災者に力が戻ってくれば、すばらしいことではありませんか」

 そのあと、乾杯!だ。ぼくはスピーチで「人生は短いけれど、夜は長い」という言葉を使って締めくくることもあるが、これは誤解されている。断じて下ネタではない。「夜は長いから、大いに飲む時間がある、ぜひ飲みなさい」という意味なのだ。乾杯スピーチでもそれを言おうかどうかと迷っている。新郎は底抜けの酒飲みだから、夜は長い、というセリフは酒の時間が長いということだとみんなわかってくれるだろう。

 停電の影響でますます夜が長く感じられることもあるだろう。77年のニューヨーク大停電の翌年ベビーブームだった、という話もあるからこの際、停電は少子化防止に役立つと言えないこともない。まあ、役立つひとはせいぜいがんばってくれ。ぼくは原発推進の経産省と監視機関の原子力安全・保安院が同じ組織だというインチキ、東電、日立、東芝、政党、と一体になって安全神話を築いてきた原子力行政の闇を暴き、責任を問いたい。






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最初に届いた物資は棺だった
 東洋経済の木村記者がメールで、被災した上に原発事故の被害が重なった福島県相馬市の状況をレポートしてきた。もちろん、ガソリンも水も不足して物資が欠乏していることは他の被災地と変わらない。そこに10トントラックンに積んだ物資が届いた。それは200個の棺だった。トラックは荷降ろしをしてそそくさと引き揚げて行った、という。海には300~400体の遺体が浮かんでいるというから、いずれ棺は必要になるだろう。

 遺体の埋葬は火葬ではさばききれないため、土葬にせざるをえない。ドキュメンタリー『13階段への道』だったと思うが、全面的にヒトラーの戦争犯罪を扱ったこの記録映画に、アウシュビッツ強制収容所での連合軍の遺体処理シーンがあった。アウシュビッツはぼくも訪れたが、その残虐な惨殺のせいで記憶はいまでも生々しい。ペン森には卒業生が買ってきた英語版の記録ビデオがあったが、受講生は関心を示さなかった。残念至極。

 アウシュビッツの犠牲者は15万人から400万人と幅がある。連合軍が発見したとき所内にはやせ衰えたおびただしい死体があった。連合軍はそれを無造作にブルドーザーで穴のなかにひとまとめに落とし込んでいく。東日本大震災では自衛隊が土葬を行っているが、テレビで見ると隊員は直立不動で棺を見送っている。穴のなかで棺を受け取り、区分けされた地面にきれいに並べる隊員は敬礼をして待っている。敬虔そのものだ。

 こういう災害でしばしば非難の対象になるのがマスコミの取材である。安置された遺体をまたぐ若いテレビクルーが見受けられることもある。今回もまた取材ヘリコプターの騒音のために生存している被災者の発見に支障をきたすおそれがあると、官房長官が自粛を促していた。取材ヘリは被災者が「SOS」とか「水」とか、地面や屋上に書いて助けを求めていてもただ眺めるだけのように見える。

 しかし取材ヘリは救命ヘリではないから、しかるべきところに連絡するのだろう、と思いたい。人命か報道か、という議論が巻き起こったのは、93年にニューヨーク・タイムスに掲載されたスーダンの「ハゲワシと少女」の写真だ。飢餓に悩むスーダンに潜入したカメラマンは痩せてうずくまった少女の死をハゲワシがねらっている場面に遭遇し、シャッターを切る。これが世界的な議論にまで呼び、話題になった。

 カメラマンは何年かのちに自殺するが、非難のせいかどうかはわからない。かれはハゲワシを追い払って、少女が救護センターに行くのを確認する。その後、木陰で泣きつづけたというから、繊細な感受性をもっていたことはたしかだろう。取材現場では崩壊寸前の家の前でハゲワシのように、崩壊するのを当たり前に待つ。「人命か報道か」。答えは人命に決まっている。報道は人命ほど尊敬されない。今回も東電や政府追及が甘くなかったか。

 相馬市の海上に浮かんでいる遺体はまだ身元が確認されていない行方不明者である。死者・行方不明者は3万人に達するだろう。まだ被害の全貌はわからない。底知れない惨状だ。首都圏でも余震とみられる地震が頻発、スーパーの棚も空きが多い。被災地のことを考えれば、戦時中の「贅沢は敵だ」という標語を思い出す向きもあるだろう。いまこそ「もったいない」精神を発揮しなければ。節電で薄暗くても、日常生活になんら支障はない。

 

 


買い占めの我欲に大喝だ!
 19日からの3連休にスーパーマーケットに行くと、パン、コメの主食系はもちろん、豆腐、納豆、ヨーグルト、肉類、缶詰類、インスタント麺、はてはお茶づけ海苔、たまごも売り切れ。要するに買い占めの結果である。連休中はお父さんが休みでドライバーがいたせいもあり、ガソリンを満タンにした車でトランクに詰めて帰った家庭も多かっただろう。買い占めないことが被災地の支援になるということがわかっていてもわが身が大事。

 20日ぼくは平塚を歩いたがここでもスーパー、コンビニの棚は空きが目立った。九州から「ペン森は、おコメは大丈夫か」と卒業生にきいてきたありがたい親がいたそうだが、コメだけはもらいものが80キロくらい蓄積しているので、当分は十分だ。ペン森は一般家庭に比べて野菜の多い和風の夕食を受講生に提供するから、コメの消費量は少なくない。ぼく自身は茨城の農家と契約して定期的に届けてもらう。おコメはスーパーで買わない。

 なぜ契約したかといえば以前、レンゲ米の復活を促す運動に参加していた縁である。昔、春の田んぼはレンゲに覆われ、一面薄い紫色に染まってそれは美しかった。小学校唱歌「春の小川」に【春の小川は、さらさら行くよ 岸のすみれや、れんげの花に・・・】と歌われたように日本の原風景であった。農薬によってレンゲは水田から消えてしまい、どじょうやめだかも消滅した。レンゲ風景の再来をめざす運動にぼくは参加していた。

 レンゲは根の球形の根粒が窒素を固定する、強力な機能をもつ自然の肥料として重宝されていた。田植え前にレンゲが植わったまま田を耕して、自然の肥料としたのである。つまりは無農薬の有機農業だった。レンゲの花は蜜源としても有名だ。若いひとでもレンゲのハチミツは聞いたことがあるだろう。レンゲの花は気温の高い南九州から咲きはじめて北上していく。それにつれハチミツ採集業者は南から北へと移動していったのである。

 子どもは転校に次ぐ転校でめまぐるしく友だちが変わった。ハチミツ採集の北上物語は昭和30年代にはよくルポの題材になったものである。そういう風物詩もいまは見ることもない。土着的な習俗も津波で押し流されたことだろう。4月に孫娘を連れて行こうと思っていた茨城県の岡倉天心・六角堂もまるごと流された。岡倉天心については詳しくないので調べて孫に講釈を垂れようと思っていた。天心の孫、徹志が同期の記者だったし。

 地震、大津波に加えて原発の事故がかぶさった。天気のよかった連休中、東京で外に洗濯物を干している家庭は少なかった。外国人の日本脱出もはじまっている。18日の金曜日に10期女子が来訪して「夫の同僚の外国人社員はみんな国に引き揚げてしまった」と嘆き、「日本人も金持ちは東京脱出をしている」と怒っていた。原発をめぐる安全神話はもろくも崩壊した。検証がはじまったら、東電や政府は血祭りにあげられるにちがいない。

 今週中には世の中も安定を取り戻すだろうと期待したいが、石原都知事のいう「我欲の日本人」は当たっているかも。「天罰」は言語道断だが、「我欲」は納得。テレビで「冷静に」とか「落ち着いて」というが、世情不安のなかで聞く耳をもつひとはいるまい。パニックに陥ったら、笛を吹いて気持ちを鎮めさせよう、とぼくはもう絶版になった『一大事心得帳』に書いた。交通整理や運動会のあの笛だ。これを買い占めるひとはいない。

 

 


支援に行って被災地に春を呼べ
 マスコミ春採用試験をひかえて、14日から16期生の「直前対策」を実施しているが、受講生がとんと来ない。初日の14日からして、ぼく自身が計画停電による電車の不通で1時間遅刻する始末だった。これでは受講生の意気があがるわけがない。受講生の出席は日によってまちまちだ。ぼくも東日本大震災が論作文出題にどう影響するのか判断しかねている。しかし、太平洋戦争に次ぐ、これほどの大災害を出題者は無視できないだろう。

 もちろん、受験する側もきっと大災害がからんだお題が出るにちがいない、と踏んでいる。この講習は来週いっぱい続けるが、800字の論作文を1日3題書いて備えるというものである。例年、この直前講習のおかげで内定できた、という声のある恒例行事である。ではあるが、今回は思わぬ事態の出来によって1日2題にした。内定者や卒業生が評価の手伝いをしてくれるならわしも今回は中断されている。

 これまで出した題は「エネルギー」「情報」「目安」「ボランティア」「海」「想定外の事態」「日本を元気にする法」。これからの題は考慮中だが、「助け合い」「私の防災対策」「分かれ目」「いのち」「原発は必要か」「安全」「秩序」「再建」「伝える」「水」「灯り」「生きる」「ライフライン」などが候補になる。読売だけは直接的な題を課しがちだから「大津波」「大地震」「大震災」「原子力発電」「通信手段」「燃料」「停電」「余震」「自衛隊」などが要注意。

 まだまだ個別の題は挙げればきりがない。「帰宅難民」「揺れる」「災害とメディア」とつぎからつぎへと湧いてくる。ぼくがメディアの出題者だとすれば、人生の運不運、生死の「分かれ目」、みんなの生活を支えている「ライフライン」、略奪もなく静かに運命を受け入れている日本人の「秩序」、「DNA」あたりかな。あるいは力強く「再建」に乗り出し「明日」や「未来」を見据えて活動が盛り上がる「東北地方」に「春よ来い」です。

 終日テレビやラジオをつけて被災地情報や原発情報に接している。新聞は朝読み、毎日は自宅において朝日をペン森に持ち込み、ひまをみて丁寧に読むことにしている。だが、リアルタイムで情報が入手できる電波メディアのほうに依存する。きょう名古屋から5台のタンクローリーが被災地に向かったというニュースをNHKが流していた。民放は地元テレビ局が現場に肉薄しているが、災害報道のNHKは人海戦術で重層的だ。

 タンクローリーの運転手が「なにかをしないではいられない」とやむにやまれぬ心境を漏らしていたが、ぼくはそれを耳にして1期生女子を思い出した。彼女は95年の阪神淡路震災時、テレビが伝える惨事を見て、居ても立ってもいられなくなり、後輩の高校生たちを引き連れて神戸へ向かった。ボランティア部隊を編成してそのリーダーとして、現地で活躍したのである。彼女は大手出版社に就職し、一児の母となっている。

 ペン森でもきのうから、自然発生的に受講生同士の募金の呼びかけがはじまった。現地入りして手伝おうという気運もあるようだ。やはりじっとしておれないのだろう。だが、かれらは採用試験を目前にして人生の分かれ目に直面している。内定してから支援に行っても、広範囲の被災地だから、やるべきことはいっぱいある。それからでも遅くはない。まずは内定し、それから思う存分若いエネルギーを発揮して、被災地に春を呼んでくれ。
 

大震災が描く人生の途絶と継続
 3月11日午後2時46分に発生した大地震の津波大被害の呼び名は「東北関東大震災」(NHK)、「東日本大震災」(朝日、毎日)、「東日本巨大地震」(読売)と名付けた。統一のない勝手な呼び名はメディア側の混乱を示している。だが、混乱を超えて、訴訟ものの失態をさらしたのが東京電力といえる。福島の原発被害状況の告知だけでなく、計画停電の発表も二転三転して、初日の14日は末端の混乱と不安を増加させただけだった。

 地震発生時、ペン森が2階に入居している細長い鉄骨ビルはぐにゃぐにゃと揺れた。ぼくは上階の圧力で出入口のドアが開けられなくなるのでは、と心配してすぐさまドアを開け放しにして外へ出た。とはいっても通りではなく、1階の階段下でビル出入り口の鉄製の門扉に手をもたせていた。通りの向かいにモルタル造りの古い民家があり、左右に大揺れしている。それが倒壊したらこっちも危険だと思って、ただ見ていた。

 ペン森ビルのエレベーターは自動的に止まった。このビルは6階建てだが、上階から階段伝いにひとが下りてきて怖い、怖いと震えていた。隣のビルからも非常階段を女子事務員たちが黄色い声をあげながら、わらわらと出てきた。長い揺れがおさまらないうちに、通りは混んだ電車みたいになった。なかにだいだい色のリュックに白いヘルメットをかぶった男の群れが目についたが、非常持ち出しや危機管理がしっかりした会社なのだろう。

 ペン森の被害は水屋の中の大皿が飛び出して、破片が散乱しただけですんだ。主に西日本在住のペン森卒業生数人から、見舞いの電話やメールがあった。「なにはともあれ、ご無事でよかった」と。ありがたいことだった。たぶん避難所にいるひとたちは余計にひと恋しい気持ちになっているにちがいない。ぼくはうちでもペン森でもテレビをつけっぱなしだが、画面で被災者や被災地を見ていると言いようもない感情が突き上げてくる。

 この大異変でもぼくは酒を飲みつづけている。あたたかい食事を口にしながら、テレビを見やると、そこには悲惨きわまる現実がひろがる。画面の奥の途絶した人生と、画面を前にした継続する人生の差は、天と地のちがいだ。申し訳ないと心の中で謝り、ぼくは死者や行方不明者や被災者の代わりに幸福を味わっているんだ、とわが身に言い聞かせつつ、日本酒の杯を傾ける。不幸と幸福の落差に胸がつまって涙が落ちこぼれる。

 テレビを見てぼくの頬を涙が伝わっているのを家族は気づかない。今年はひどい花粉症に突然、襲いかかられ目が痛かゆくてたまらない。鼻水もぽたぽた落下する。避難所の被災者の辛さに比べると、この程度の悩みに文句は言えない。しょっちゅう鼻をかみ、目をぬぐっているので、津波で消滅した被災地と肉親をさがす被災者を見て、ぼくがうるうると感情の抑制ができなくなっていることは、察知されない。

 一方で、災害とはまったく関係ないことを思い浮かべたりする。あまりにも「死」というものを意識させられるからではないかと思う。震災の死者は、その地に居住していたことも含めて運がなかった。だれにもいつ不運が振りかかるかわからない。運のある、いまのうちに豊かで確実な人生に味わっておこう、という心理である。だから、この2,3日は旅や酒の相手をしてくれる方面に空想が働いてしようがない。



 

 

メディアの内部に入るということ
 94年大阪、愛知、岐阜と3件4人が連続リンチ殺人された事件で当時18~19歳だった3被告に対する最高裁判決は上告を棄却した。これで名古屋高裁の3人全員死刑の判決が確定することとなった。3被告は現在、全員35歳になっている。死刑確定によって厚生の可能性がなくなったとして、NHK,朝日などの有力メディアのほとんどが匿名から実名に切り替えて報道した。ところが毎日は匿名報道を継続した。

 毎日は大意、次のような見解に基づくと述べている。「残虐極まりない事件だが、事件当時に少年だった被告の名前は少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を最高裁判決が出たからといって変更すべきではない。少年法は、成熟した判断能力をもたない少年時代に起こした事件に関してその少年の更生(社会復帰)を目的としている。死刑確定後も再審や恩赦が認められて社会復帰する可能性がまったくないとも言えない。少年事件の実名・匿名問題は今後、個別のケースごとに議論を重ねたい」

 これはメディアとしてのひとつの見識である。毎日は報道と人権に関して先駆的な役割を果たしてきた。ぼくが現役の記者だったころ、被疑者は警察に逮捕された時点で呼び捨てにされた。89年毎日がトップを切って「呼び捨て廃止」に転換し、現在の「○○容疑者」と呼称をつけるようになった。この背景には、無実の少年の犯人視報道(89・8月、綾瀬母子殺人事件)やセンショーナル報道や過剰報道への強い批判があったからである。

 この転換の毎日の理由は「推定無罪」であった。言うまでもなく推定無罪は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則、人権保障である。しかしメディアの犯罪報道がぼくら老OBの現役時代と変わった、という意識はない。相変わらず警察記者クラブで発表に依存するかと思えば、相も変わらず刑事まがいの地まわりや夜討ち朝駆けの早撃ち速報競争に文句言いつつ熱中している。

 大阪地検特法部の供述調書改ざん工作を特ダネで放って新聞協会賞を受賞した朝日記者は、下野新聞から移籍した30代の記者だ。かれは下野新聞にいたころ、警察記者クラブに顔を出さず、潜行して特ダネを書くすごい記者だった、と同じ栃木の警察まわりだった朝日記者から聞いた。ぼくは自分の過去はさておいて、ペン森生の記者志望者に住み込み取材を勧めているが、ぼくのなかでは、住み込みは潜行や長期定点観測と同義である。

 この取材手法を犯罪報道に適用するとすれば、加害者が罪を犯した時代そのものをまな板に乗せることになる。それは本田靖春が、高度経済成長の底辺に吹きたまった暗い人間を描いた『誘拐』のような事実だ。格差社会の下層にへばりつく『苦役列車』の労務者と言ってもいい。犯罪を誘発し、自殺を促す社会そのものになぜなったのかを弾劾するルポを読みたい。取材者はバブルも好景気も享受しなかった若い世代が適任だろう、と思う。
 
まもなくペン森15期生がメディアの内部に入ってゆく。報道という社会的責任のあり方やデスクの旧態依然とした姿勢にすぐにも疑問をもつことになるだろう。報道と人権という基本的な問題にも直面するだろう。まずは、表面の裏側には陰になったままの存在があることを認識してもらいたいね。人間にも表と裏がある。すべての裏を掘り起こすのがジャーナリストの責務である。あ、地震だ。

 

 

 

松山沖の伊33号潜水艦取材ドラマ
 吉村昭の本は全部読了したと思っていたが、読んでないのがあった。『戦史の証言者たち』である。きのう病院の定期健診で待ち時間2時間半のあいだに続きを読みはじめた。戦艦武蔵の進水、山本連合艦隊司令官の戦死、福留参謀長の遭難と救出、伊号第33潜水艦の沈没と浮揚、と太平洋戦争時の4つの有名軍部秘話の生き残り関係者の証言を記録したものだ。テープをそのまま起こした話し言葉の文章なのできわめて取りつきやすい。

 綿密な取材法の公開本でもある。その聞きだし方の要領とコツがすべて明らかにされ、ぼくはこの467円と安価な新潮文庫に興奮した。おかげで血圧が上昇し、前回の先月は上が130を切り、下も70台だったのに、きのうは15くらい上がっていた。ぼくがおもしろかったのは松山沖の伊予灘で急速潜航訓練中に沈没し、水深60メートルの海底に横たわった伊33号の事故である。伊33号は全長108メートルの大型潜水艦だ。

 この潜水艦は日本海軍の前進基地だったトラック島で、修理中の出入り口のハッチから浸水して沈没した。大半は上陸していたが、艦に残っていた航海長ら奇しくも艦番号と同じ33人が殉職したという経歴がある。伊予灘で沈没した伊33号の引き揚げ作業は敗戦後の昭和28年7月に行われた。完全浮揚したとき浸水してない区画があることがわかった。菌が遮断された区画にあったのは、腐敗せず服装もそのままの生きているような遺体だった。

 中国新聞今治支局の写真が得意な若い支局長が果敢にも艦内に入って写真を撮った。ガスがこもっている可能性があり、それは危険きわまりない行為だったので、引き揚げに携わったひとたちは、目をむいて驚いた。取材合戦の激しさのあまり、若い記者は無謀にもハッチを開けて中に入ったのである。そのくだりを読んでいたぼくは27歳時に取材した福岡県の三井山野炭鉱の事故を思い出した。

 それは昭和40(1965)年に237人が死亡したガス爆発炭鉱事故だった。その取材でぼくは朝日に抜かれた。朝日記者とカメラマンは別ルートの昔の出入り口を探しだして坑内に入り込み、坑内写真を撮影して大々的に報道した。大事故にもかかわらずほとんど1人で取材していたぼくは、チーム取材にしても朝日は危ないことをやるなあ、とあきれた憶えがある。取材競争の果ての意味のない写真だった。競争は冷静さを失わせる。

 山野抗は73年に閉山した。つでながら、北海道でほとんど最後の炭鉱が閉山した際、1500人が解雇され、そのうち再就職できたのは5人だったか15人だったか、そのように労組委員長が発言しているインタビュー記事を雑誌で見つけた。「こんなインタビューがあるぞ」とペン森で言ったら、翌日北海道・釧路に飛んで行って調べた女の子がいた。機敏な反応を示したその女性は日経記者となった。もはや炭鉱はなくなり、炭鉱事故もない。

 伊33号の艦内写真は掲載されることはなかった。遺体がリアルに写っていたからだ。その記者は吉村昭に答えている。「私は若かったんで、危険などもほとんど考えず艦内にはいったんですよ。今じゃそんなこと出来ません。とても出来ませんよ。(略)遺体を収容した日は、仏壇に灯明をあげて冥福を祈っています、毎年ね・・・」。今年2月、ぼくは念願の松山を訪れたので、余計に伊33号の松山沖のドラマが胸に迫った。

ケータイカンニング浪人に未来あれ
大学入試投稿カンニング問題は仙台の予備校生の逮捕で落着したかに見える。こんな大事になるとは当の本人も思っていなかっただろう。まして逮捕されるとは、驚愕して恐怖に震えたにちがいない。カンニングで逮捕に至った例はたぶん、はじめてだ。本人は「1人で携帯電話を持ち込んで投稿した」と自供しているというが、ケータイ駆使だとすれば、4大学の入試会場の試験監督の目は、そろいもそろってどこについていたのだろう。

大学の教壇に立ったことのある体験からいえば、学生の挙動は大抵キャッチできるものだ。試験会場の監督はただ受験者の監視だけである。19歳の浪人生の投稿行為を見破れなかったという点には、やはり首をかしげざるをえない。見破れなかったとすれば、監督不行き届きで学内処分の対象にしなければ浪人生との釣り合いがとれない。見逃したばかりに浪人生は社会から追いつめられ、傷を負って生涯をすごさねばならなくなった。

既存メディアでは未成年は少年法によって実名は出さない。匿名で保護される。ところがネットでは浪人生の実名が早くも流通している。浪人生もネットの発信者は匿名だからバレないとたかをくくっていたのかもしれない。昔、親ばかの父親が女装して娘の試験を身代わり受験したケースもあった。これほど単純素朴ではないネットとはいえ、精密な鑑識ができ復元なども可能になっているから、ばかにしてはいけない。

72歳のぼくにとってネット社会は得体が知れず、複雑怪奇だ。だけど、このカンニングはメディアがこぞって報道するほどの大ニュースとも思えない。カンニングそのものは、じつに古典的なものだし、今回はIT技術を使った新手のカンニングだったにすぎない。あまりに大騒ぎするものだから、ぼくは腕時計かペンかボタンか眼鏡にカメラを仕掛けていて撮影し、学外の中継者に送信していたのでは、と複数犯説を唱えていた。

まだ真相がすべて明らかにされたわけではないが、どうやらケータイの活用というのは間違いなさそうだ。鳥越俊太郎も、みんなケータイと言っているが、ケータイじゃないよ、と強調していた。ぼくと同じようにスパイみたいな方法を想像していたのだろう。ぼくもマスコミに踊らされた1人だ。日本メディアの暴風雨のような報道は一向に改まる気配を見せないのが怖いところだ。新たな方法を考案した浪人生は知恵を別方向で発揮した。

カンニングできない問題を出題すれば、すべては解決する。例えばメディアとりわけ新聞が入社試験で課す作文のような、思考を基にした記述方式などもよい。記憶の再生産たる暗記だけで人間の成績を計りがちという受験のあり方がおかしい。思考力や漢字力の低下はペン森でも日々に感じるが、高校生からおよそ文章を書くという修練をしてこなかったのだから、当然といえば当然だ。大学入試にも文章執筆を取り入れてくれ。

 文章は読んで評価するほうの実力も試される。芥川賞や直木賞の選評は選考委員によってまちまちだし、評価は主観に左右されやすい。でもそれでもいいのでは、とぼくは思う。型にはまらない規格外の人間が合格するという楽しみがある。ペン森に大学でカンニンして1年を棒に振ったやつがいたが、規格外れのかれはいま、すごい記者に成長した。カンニング浪人もよい大人に成長してほしいものだ。





卒業式贈呈本で思い出した記者たち
 ペン森15期生の卒業式が3月26日(土)に行われる。例年になく卒業生はすくない。だから内定者もすくない。既存メディア不人気きわまる、という側面が表れている。メディアに内定したのは12人、銀行に1人。卒業生は13人である。この若者にぼくは記念品を贈ることになるが、今回は現役16期生の発案で本を贈ることになった。ぼくは手軽な文庫か新書におさめられているノンフィクションに見当をつけたい。

 それぞれにコメントをつけてくれ、という注文だから、本人になんとなく合致する種類の本であることが好ましい。ぼくが読んだ文庫と新書なんて限られているから底が浅いが、リストアップは楽しみだ。読んだときは単行本でその後、文庫になったかどうか不明の本もある。その1冊がフィクションだが、はじめて文明というものを見た南海の島の酋長の目に映った欧米文明批評本『パパラギ』である。

 この本は20数年前になると記憶するが、若くして亡くなった毎日社会部の1年先輩、杉山康之助の平塚にある墓前に供えに行ったことがあった。その杉山の33回忌を3月20日の命日に行うとの知らせが杉山と同期の大住広人から届いた。大住は毎日新聞が経営破たんして新社に移行したときの毎日労組の名委員長だった。すこぶる面倒見がよく、杉山の供養が毎年つづけられているのも大住の献身にほかならない。

 法事にはぼくも毎年参加している。今年は折しも孫娘と年1回の旅の予定を組んでいたが、旅は延期して法事に参加しようと思う。参加するのは毎日関係だけでなく、杉山の出身校都立日比谷高や山の男たちである。杉山は早稲田の山岳部に在籍したこともある山男で日本のアルプスの新ルートを開拓したこともある。入社して青森支局に赴任し、八王子支局に異動したときぼくといっしょになり、しばらくぼくの下宿に居候していた。

 杉山は酒飲みだった。千葉の飲み屋の2階で飲んでいて、スツールから転げた。たまたま階段に接した位置だったから、そのまま階段を転がり落ちてしまい、頭を強打して意識不明となった。意識が戻らないまま葬儀を迎えた。遺影の前で女性弁護士がぼくに近づいてきて名刺を出して言った。「あなたのことは杉山さんからよく聞いていました。杉山さんはあなたが書いた記事を胸ポケットに入れていて、これが新聞記事だと見せていましたよ」

 15期生卒業式で卒業生に贈る本のなかで欠かせないのは読売記者だった本田靖春の著作だ。本田と杉山は接点がなかったのが、残念だ。本田の『警察回り』(ちくま文庫・新潮文庫)は上野署の記者クラブに詰めていた若い記者たちを描く記録だが、名文家として鳴らした朝日「天声人語」の、のちの執筆者深代淳郎のことを、親しみを込めて書いている。本田と深代に杉山が加わっていたら、と『警察回り』を読んで考えたものだ。

 だが、本田の著作で記者をめざすペン森生が一番に読むべきは吉展ちゃん事件の『誘拐』(ちくま文庫)だろう。全員に贈呈したいのは野村進『調べる技術・書く技術』(講談社現代新書)である。本を贈る、と約束した卒業生の記者がいるが、『誘拐』と『――技術』の2冊ははずせない。大住広人ほど面倒見はよくないので、いつまで約束が果たせるかわからないが、いい記者になってほしいので可能なかぎり贈り続け、後押ししたい。

 



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