ペン森通信
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いまそこにある日本の危険な空気
 以前、橋下大阪府知事が日本のリーダーになったらどうか、といった意味のことをこのブログで書いたことがある。橋下知事や名古屋の河村市長など注目の地方政治家が標榜する地域政党が4月の統一地方選を前に、台風の目になるといわれるようになった。同時に警戒心も語られるようになった。派手なパフォーマンスや大阪都といった地方統治システムの変更や減税という口当たりのいい政策に幻惑されるな、と。

 まげれもなく未来の見えない日本に光を求める心理が働きはじめた危うさに警告する忠告である。それは古くは大衆が雪崩を打ってはやし立てた太平洋戦争で懲りたはずではなかったか。近くは新自由主義の小泉郵政選挙で加速した格差問題、あるいは自民党から民主党への政権交代で思い知ったのではないか。しかし、識者の指摘はあっても、日本人は災害民族である。災害がすぎてしまえば、すぐ立ち直り元の木阿彌という土台がある。

 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版)の「はじめに」にこうあった。「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らない」。まさに民主党は本来見てはならない夢をマニフェストで疑似的にみせて、失望、絶望を国民に植えつけて、支持を失い末期症状を起こしている。

 民主党たたきや菅首相たたきが週刊誌を中心とするメディアで盛んだ。ぼくも口をきわめて罵っているが、これとて一方に流れやすい日本人の性向が表れているのかもしれない。名著、山本七平の『「空気」の研究』にいう「空気」に染まっているのかもしれない。空気とは、その場の空気が読めない、というあの空気である。あるいは理屈ではいけないとわかっているが、いったん醸成された流れには抗えないムードのことだ。

 この空気に弱いのはなにも日本人だけではない。9・11同時多発テロ当時、アメリカの田舎町の学校に通っていたペン森女子がいた。田舎町の学校でも連日一斉に国家を歌い、アメリカ絶対主義の愛国心が強要された、と女子は感じて、どうしてもみんなに同調できなかった、と言っていた。この女子は毎日新聞に入り新入生総代になった。新入生の誓いの言葉を述べるさい、どのような内容にしたらいいでしょうか、と相談された。

 その違和感を盛り込めばいいのでは、とぼくはアドバイスし、『「空気」の研究』を読むといい、と勧め、「メディア自身が空気を醸成し、自ら醸成した空気に支配されるようなところがあるからね」と付け加えた。自戒を込めた誓いの言葉は自分の体験と『「空気」の研究』を引用したために説得力を増し、わざわざ幹部が寄ってきて、「なかなかいい本を読んでいるね、空気に焦点を絞るとは、いい誓いの言葉だった」とほめてくれたそうだ。
 
 チュニジア、エジプトに続き、リビアなど中東各国に広まった反政府暴動は、インターネットを媒介にした空気の伝染である。この空気はいつ中国、北朝鮮に伝染するかわからない。温厚平和な日本には浸透しないだろう。日本人は体中ダニに刺されたような不快なわだかまりを感じていても、ネットにはリーダーがいないからエネルギーの塊にはならない。だがいま、日本人は強力な英雄的リーダーを求めている。危ない空気が漂いはじめた。


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なにかに憑かれたよき人生
 政府打倒デモの吹き荒れる中東には行ったことはないが、行こうとしたことはある。社会部記者時代のことだから、これまた老人の昔話で恐縮だが、大型タンカーの一等航海士と親しくなった。甲板の上は、自転車で走り回る、という話を聞いて矢も楯もたまらなくなった。「おれをそのタンカーに乗せてくれないかなあ」とせがむと、2週間あとくらいに「いいですよ」という返事がきて、社会部長もOK。ところが寸前になって、タンカー会社から船員手帳をとれだの保険だのとクレームがついておじゃんになった。

 おそらくタンカー会社のほうが最後にびびったのだろう、と思う。ぼくはその航海のルポを書くつもりであった。単調ではあるだろうけれど、いかにして、どういうところから、どういう船乗りが、どのような期間、どういうルートで、石油のない日本に石油を運んでいるのだろうか。何人の船員でタンカーを動かし、家族はどういう心境で帰国を待っているのだろうか。まだ30代だったぼくは期待するばかりだったが、むなしくも実現はしなかった。だが石油のことを勉強したのはよかった。いまではもう記憶にとどまってないが。

 そのころだったような気がするが、南極の大氷山を海上で引いて、水に苦しむアフリカや中東に供給しようという話もまじめに検討された。たしか氷山は3分の1くらい溶けるがそれでも十分にまかなえるという計算だった。さらに雨の多い屋久島の水をタンカーで中東に運ぼうというプロジェクトもあった。タンカーは日本に腹いっぱい石油を積んでくるが、中東に行くとき、腹はからっぽだ。これにミネラルいっぱいの屋久島の水を積んで行こうではないかという壮大なアイデアだったのだが、いつの間にやら立ち消えた。

 30代と若かったぼくは、海外雄飛の気概に満ちていたのである。しかし、なにひとつかなわなかった。カトマンズからバスで72日間かけてロンドンまで行くという旅も計画して、企画としてだした。企画は半分だけ通り、出発地はカトマンズではなくエジプトに変わっていた。「こんなのおれの企画じゃない。ほかのやつを派遣してくれ」。ぼくは各国若者とまじって自炊もしながら、文明の行き渡らないアジアから文明のヨーロッパにはいっていく行程こそ書きでがあると思って、企画を出したのである。

 国内の東京⇒新潟⇒青森⇒網走のヒッチハイクレースは完走して、このヒッチハイクに参加した若者など、何人かが近づいてきて交流した。アフリカには2人が行ったが、1人はサハラ砂漠でラクダとともに死んだ。これは前に書いた。もう1人は大阪の学生だった。フイルムを託して現地で撮った写真を送るように頼んだら、砂漠で上半身裸になった自分の写真など数葉が届いた。あのころの若者は向こう見ずだった。リビアの海で泳いだ女子もいた。サハラで果てた若者のガールフレンドからは、イタリアに住んでいます、と数年前手紙がきた。

 ぼくも昔は血がたぎっていたようだ。いまは、私的には各駅停車乗り継ぎを楽しむくらいが関の山である。18日~20日と八王子のセミナーハウスでペン森の合宿をしたが、その間2010年開高健賞受賞の『空白の五マイル』(集英社/角幡唯介)を読んだ。チベットのツアンポー峡谷に憑かれた早稲田探検部OB(元朝日記者)の探検ノンフィクションである。憑かれたようになにかに熱中する人生の時期があるというのは、幸福な生き方だと老骨になってしきりに考える。ぼくはペン森の若者に夢中だから、まあ、いい生き方だね。

 

新燃岳が呼び覚ます幼年時
宮崎の霧島新燃岳のニュースを見て以来というもの、甘酸っぱくも小学1年生当時を連想することが多い。降灰に悩む都城の隣の村(現在は合併して都城市)でぼくは子ども時代を送った。小学1年生というと、昭和20年太平洋戦争敗戦の年である。その年の秋にはもう、外地から出征した兵隊や軍属が引き揚げてきていた。故郷の記憶を呼び覚ますような絵を子どもたちに描いてもらい、引き揚げを待つ兵隊さんたちに送って慰めたい、ということだったと思う、そのような絵を描きなさいという指示が学校からあった。

ぼくは霧島山を描いた。おぼろげな記憶によると、その村から望見する霧島山は中央が尖ってその頂点の両脇に同じ三角形をした標高のやや低い小ぶりの頂を従え、なだらかに稜線が張っていた。じつにきれいな自然の優美を目にできた。ぼくはその霧島山をスケッチして、提出した。たしかスケッチは知事賞をもらったような気がするが、もはや65年も前の小学低学年時のことだから、あやふやな思い出である。ただ、遠くに見える霧島の姿だけはいまでもしっかりと脳髄に付着している。

思い出は連鎖作用を起こすのだろう、そのころの家の周りの景色まで浮かんでくる。わが家の敷地は300坪くらいあり、家は母屋と大きな物置小屋2軒に畑。畑は200坪あったろうか、サトウキビ、トウモロコシ、カボチャ、キューリ、トマトなどが栽培されていた。庭では鶏を放し飼いにしていた。小学校は家から1分、ゆるい坂と小さな石段を登るともうそこが正門だった。木造2階建ての校舎だった。周囲は田んぼと桑畑。隣家は医院、前の農家は種馬をもっていて、種付けがしきりに行われていた。

ぼくはその種付けの様子を意味もわからないまま、飽きずに眺めていた。意味がわかるような年齢に達した大学の教養課程で、いま詳述は避けるが、その生々しい行為を哲学のレポートに書いて、痩せて好色そうな教授をからかったことがある。幼児体験がその後の人生にどの程度、どのような影響を与えるのか知らないが、ぼくは歳を重ねるにつれ、地方の荒廃というものに胸を痛めるようになった。利用した駅もいまや無人駅となったらしい。あの駅が無人に! 想像すらできない。今年か来年か、幼年時をすごした田舎を訪れたい。

中2で鹿児島市内に移転し、その後東京に来て、もはや大都会生活も50年になるが、霧島噴煙が思い出させてくれた田舎生活は、時代の変遷と日本の構造変化を実感する上で貴重な体験だったと思う。ぼくの親父は炭鉱に坑木を納める林業を営んでおり、村一番の納税者だった。だが、石炭から石油へのエネルギー転換によって、鉄道の線路に敷く枕木を扱うようになった。家には寸法の余った丸太の端が転がっていて、ぼくはオノでマキをつくる役割をしていた。子どもも労働を担った時代である。いまの子は消費からはじめる。

新聞記者になろうと考えたのは中学時代である。深い理由はなく、単なる憧れだった。だが、この憧れは生命力が強く、高校、大学と持続して新聞記者となった。高校でも大学でも一貫して新聞記者志望だったのである。だからと言って、こういうことをやりたいという、しかとしたテーマはなかった。いま、今春採用試験のES記入の時期だから、ぼくはやりたいことを明確に表現するように、と強調しているものの、自分自身振り返るとまことにあいまいなまま、いろいろ書くには書いたが、ついに老齢にいたった。


飛行機、各駅停車、新幹線
先週木曜10日から岡山でのペン森卒業生の11日の結婚式にひっかけて、旅を楽しんできた。行程のすべてが列車だった。ぼくは飛行機が苦手だから、沖縄以外、大抵は列車乗り継ぎである。かつて親しくしていた某作家も飛行機嫌いで、たしか奄美大島まで列車と船を乗り継いで4日間かけて行ったと言っていたことがある。でも、ぼくは駐機中の飛行機や離着陸する旅客機や軍用機の様子は飽かず眺めていたものだ。都心にまだ超高層ビルが少ないころひとり暮らしの友人が羽田近くのマンションの11階に住んでいた。

そのマンションに夜、たびたび行った。ひたすら窓から着陸してくる旅客機を見たかった。お風呂を借りて、持ち込みの酒をコップでちびりちびりやりながら見やっていると、、着陸態勢に入った旅客機が遠くから前照灯の光を走らせながらだんだん降下していく。それがつぎからつぎへとつづく様がなんともロマンチックというか幻想的で、冬の夜は空気が澄んでとくにきれいだった。ただし、上空を飛んでいる飛行機を見るのは好きではない。あの物体のなかで数十人の人間がじっと座っていると思うと不気味すぎる。

それでもぼくも海外へ行くときや、国内の北海道や九州に移動する際は飛行機を使うことが多かった。そのとき、とても気になったのが、もしこの機がハイジャックに遭ったら、あるいはなにかトラブルが起こったら、ということだった。職業は新聞記者、または元記者である。単なる旅客とは異なる鋭い観察眼が働いているはずとだと第三者は考えるに違いない。ハイジャックやトラブルの一部始終をコメントできるだろうか。手記を求められることもあるだろう。さあ、どうする? それが心配でたまらなかった。

元記者になってから、そのことをかつての記者仲間に話したら、「おれもそうだ」という連中が何人もいた。ハイジャックが多かった時代の一種の職業病だったかもしれない。いやそれだけ、職業意識が高かったということにしておこうか。以前、ハイジャックに元記者が搭乗していたが、なにも見てなくてしゃべれなかったということがあった。そのことが記者仲間のあいだで話題になったことがあったのである。いまはぼくも老齢になったから、そんな心配は無用だ、そもそも飛行機になんか乗らないし。

今回は列車乗り継ぎとはいっても大半は新幹線利用。やはり各駅停車に比べると、窓の外の景色がただ流れ去り、風情がないこといちじるしい。1月末は東北線、磐越西線の各駅停車に乗って新潟へ抜ける予定で出かけたが、大雪のために会津若松で足止めをくった。
もちろん会津も雪。宵の口、路上の縁に寄せられた雪の上を歩いたが、バリバリに凍結している部分もあり大いに危険。翌朝引き返して両毛線に乗って日本の最古の学校「足利学校へむかった。この気分に応じて自由に動けるのが各駅停車のいいところだ。

  だが各駅は景色に目移りがして本には集中できない。乗客の入れ替わりの激しいところもいい。足利からの帰り、高校生の下校とぶつかった。女子はこの寒さのなかでどうしてパンツ丸出しみたいなミニスカートなのだろう。ボックス席に大股開いて座っている。見るに耐えないが、気になるからちらちらと目がいく。新幹線にはこんな情景は皆無である。その代わり本が読める。今回は読み残していたエド・マクベインの87分署シリーズの『警官(サツ)』を読み終えた。ポケット版か文庫本を読むのは新幹線にかぎるね。








地方からの爆発的日本改革
与謝野増税論者をむかえた菅内閣はそのまま増税内閣の性格をもつが、6日の出直し名古屋市長選、愛知県知事選は減税派が圧勝した。だれでも増税はいやだから当然だろう。まして、税金がほんとうに正しく使われているかどうか、大いに疑問があるし。民主党は国家公務員の2割カット、国会議員の定数削減を公約していたが、いまや、そんなこと言ったっけ、という感じ。トヨタの経営みたいに乾いたタオルを絞って、無駄な経費を絞り出す姿勢が必要とも強調していたが、まるでなんにも実効のない政権になった。

 愛知県は民主党が09年衆院選15選挙区で全勝した民主王国だが、元民主党衆議院議員の河村たかしらが率いる地域政党に惨敗した。今度は、民主党は全焼だね。河村は何回も民主党代表選に立候補しようとするが、推薦人20人を確保できず、断念した。それでも名古屋から総理をねらう男と公言してはばからない、異色の議員だった。代表選では毎度出馬表明するものだから「民主党代表選の風物詩」とからかわれたりした。テレビでわかるようにあけっぴろげな人柄で、傍目には憎めないが、直接の相手だったらどうだろう。

 河村は名古屋言葉をテレビでも使うことで知られ、知名度が高い。市民税10%減税をとなえ、市会議員はボランティアで行うべきで、議員が税金で身分保障されるのはおかしい、議員の年収は800万円でいいじゃないか、と主張している。そうすると市会議員の手取り年収は、年金掛け金、住民税、党費など諸経費を差し引けば8万円にすぎない。きのうもTBSラジオで経済評論家が言っていた。「これじゃ、金持ちだけしか市会議員になれないんじゃありませんかねえ」。金持ちでもボランティア精神でやってくれればいい。

 この個性派首長に呼応しているのが大阪府知事の橋下徹。2人は中京都構想、大阪都構想をぶちあげて相互支援関係にあるので、この関係を自ら薩長同盟とよぶこともある。薩長同盟は薩摩と長州が反対勢力で、いがみ合っていたといういきさつがあるが、河村と橋元はいがみ合っていた形跡はない。いまのところ仲良しに見えるが、強すぎる個性と個性は相容れないから、いずれ険悪な関係になるのでは、と想像する。この2人の上目遣いにみて様子をうかがっているのが宮崎県知事だった東国原秀夫。

 話はちがうが、東国春で宮崎はどげんかなったんじゃろか。新燃岳、鳥インフルエンザと、いまこそどげんかせんといかんのに。東国春がそのまんま東と称したタレント時代、ペン森出身の週刊誌記者がそのまんま東の女が秋田にいることを突き止めた。飛行機に乗ったので尾行をあきらめ、全国紙の秋田支局にいた同期生に事情を話して確認を頼んだ。秋田空港で記者が張り込んでいると、そのまんま東は察知して、脱兎のごとく走って逃れたという。「いやあ、その足の速かったこと!」とのちに記者はあきれていた。

 足の速さでは橋下もそうだった。府立北野高校ラグビー部時代全国大会にまで進んでいる。70メートルを独走したトライシーンをテレビで見たことがある。愛知は橋本・河村らの薩長同盟が既成政党を吹き飛ばして嵐の勝利をおさめた。日本が中央をあきらめて、地方から変革していく。エジプトのあの大群衆の叫びは、日本の地方の不満や不安の総量が暴動化しているように見える。と同時に60年安保時大学生だったぼくはエジプトデモに60年安保、70年闘争を見る。この閉塞日本には爆発的な革命が必要だ。



目にみえないものに支えられる
 春のマスコミ採用試験が近づいてきた。試験を受けるには事前にES(エントリーシート)を書いて提出しなければならない。このES記入に応募者は悩む。ESは相手にぜひ会ってみたい、と思わせなければ意味がないから、応募者はいかに自分をすばらしい人間に見せるか知恵を絞る。7,8年前の新聞記者のコラムに「電車の中でエントリーシートを書いている女子大生がいた。なんと手軽な。もっと真剣に就職を考えろ。私は1カ月熟考して書き、中学時代から希望していた新聞記者になった」というのがあった。

 そのコラムを切りぬいて、いつも持ち歩いている意識の高いペン森女子もいた。彼女は、志望理由明確に示して、複数の新聞社から内定をもらった。ところが最近は、志望理由を最後まで空欄にして、最後に書くケースが目立つ。本来なら意欲に満ちて最初に記入すべきところだが、なぜ記者をめざすのか、なぜ編集者をめざすのか、というその肝心な芯の部分があいまいな場合が多く、たいていは最後に回される。記者になってなにをしたいか、編集者になってなにをしたいか、目的意識が自分でも不得要領のまま、書きだすからである。

 ESには欠かせないポイントがあって、①なにをしたいか、という目的意識が明確であることが最も重要である。つぎに上記とも関連するが②なぜその職種を志望したか、という職業観と、③これまで最も熱中してきたものはなにか、ということに加え、④自己PRの4点。この3点さえしっかり押さえておけばいい。ただし、抽象論や観念論は通用しない。あくまでも○月○日の紙面にあったように、とか具体的でなければ訴える力に欠ける。大筋でいうと、自分が提供できることを強調することだ。

 以前にもこのブログで書いたが、人間のタイプは、人間と情報の輪が広がる行動力豊かな「掛け算型」、着実に仕事をこなし信頼性の厚い「足し算型」、腰の重い指示待ちの「引き算型」、愚痴と文句ばかりの「割り算型」、この4つに分類できる。内定が早いのはいうまでもなく「掛け算型」と「足し算型」である。表現法も「掛け算型」「足し算型」になるよう前向きの元気さを出すよう心することだ。間違っても、相手のいやがる問題点を鋭く指摘することができる、なんて自慢してはいけないよ。

 これまでぼくはぼく自身が考えたフレーズをペン森生の自己PRにプレゼントしてきた。その中の「便所の100ワット」というのは、「人柄が明るすぎる」という意味。どこも注目してくれなかった。本人は一見して悩み系、内向きの「引き算型」だったから、さすがに見破られた。努力系の「足し算型」を表現するのに「100万円も1円から」、あるいは着想力と思慮深さを示し「掛け算型」思考に優れていることを強調する「すべての目に見えないものは、すべての目に見えないものに支えられている」と気のきいた表現も便利。

 ぼくはゴルフをしていたころ、早朝も電車を利用することがあった。こっちは休日遊びに行くのに、電車を運転している人がいる。目に見えないところで何人がこの電車の安全運行を支えているのだろう、と思ったものだ。そうなんだよね、ヘミングウェイがいうように「表現は氷山の一角」。表に出た氷山の下には9割の見えない氷の塊がある。9割が目に見える1割を支えている。簡単に事象の奥や裏を探りたい、と書く人が多いが、「目に見るものは目に見えないものに支えられている」という言葉が表わす含蓄の深みを知ろう。

 


創造は模倣からはじまる
 きょう火曜日発売の週刊朝日に「60代からの新恋愛講座」という特集がある。サブタイトルに「60歳からの愛とセックス」「恋に臆病になってませんか」と振って、迷いの心境にたたずむ初老を刺激する。ここ1,2年、中高年から上の高齢者まで視野にいれたこの種の読み物が週刊誌に登場するようになった。週刊現代が最初に連続して特集を組んだ。週刊現代は定価400円と最も高い総合週刊誌だが、高いにもかかわらず売れ行きを伸ばしたことで、他誌も真似することとなった。

 創造は模倣から始まる、という至言があるくらいだから、企画やレイアウトは真似も許される。良いとこ取りをすればいいのである。性や恋愛に関することは若者の専売特許と勝手に思われ、年寄りは卒業世代だから、買うはずがないと決めつけてきた週刊誌の扱う企画ではなかった。週刊現代の編集長は、鋭い勘の持ち主だった。情報はキャッチボールによって拡がる要素があり、最初にボールを投げた週刊現代は偉かった。アイデアを模倣する企画やレイアウトは、次第に進化と深化に結びつくのでかえって良い面もある。

 いきなりセックス場面ではじまるミステリーがあった。この国内ミステリーのキモは、デルヘルの女とセックスをしている男の年齢だ。本の題名も作者も忘れてしまったが、作者の罠にぼくもはめられた。男は70歳である。セックスは若さに伴うものという一般の思い込みを逆手にとって、作者は読者を騙しとおす。70歳の男はセックスをしないという強く固定的な思い込みである。70歳をすぎたぼくですら騙されたのだから、ましてや大半の読者は当然、種明かしに目をむいたことだろう。

 しかし、このミステリーのキモを真似してはいけない。一回こっきりでだからこそ価値がある。見えすいた二番煎じをやると馬鹿にされる。ところが、メディアの記者は、同じネタを後から使わざるをえない場面に遭遇することがある。他社の特ダネの後追いをしなければならないときだ。これは「抜かれ原稿」というが、ハンター記者にとっては屈辱。記者にはハンター型とライター型とがあって、ハンター型が特ダネを追求するケースが多い。ぼくはライター型だったが、幸い抜かれ原稿は大して書かなかった。

 昔はハンター型とライター型はかなりはっきり区別されていたように思う。この点に関しては丸谷才一の『女ざかり』(文春文庫)に書き分けて描写してある。もっと詳しく、新聞記者の生態を知りたい向きはご一読を。メディア環境が激変したいまとなっては、やや牧歌的な記者生活を楽しんでいたころとを比べるのは、あまり意味がないかもしれないが、記者ものとして読む分にはおもしろい。ついでながら、上中下3巻の新潮文庫になった高村薫『レディー・ジョーカー』はハンター型の記者ものともいえる。

 写経という記者の文章勉強法がある。天声人語をそのまま写しとる。これが写経だ。ぼくはそのやり方には賛成しない。天声人語を写すと、文章の呼吸はおぼろにつかめる可能性もあるが、ハンター型にはなりえない。思考を伴わない、単なる模写で終わってしまう。現場に行って、見て、考える、という精神行為がハンター型もライター型にも通じる。現場に行って、見て、考える、という精神行為の模倣は大いにやるべきだ。これこそ、創造は模倣からはじまる、ということだ。

 

 




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