ペン森通信
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男が終わって回顧と展望
 ペン森はきのう23日が「望年会」だった。今年を忘れる「忘年会」ではなく、来年に希望を託す望年会である。この望年会では各自、今年の回顧と来年への展望を述べる「回顧と展望」スピーチが強制される。そこで以下にぼくの「回顧と展望」を。

【回顧】
 旅をしなかったこと。JR長距離が3割引きになるジパング倶楽部の会員だが、6月に更新したのに使ったのはたったの2回だけ。自宅とペン森を往復するだけのほとんどひきこもり状態だった。四国、北海道行きの計画も実現せず。情けない。
 
 松本清張の『天保図録』を買いそびれたこと。これは『かげろう絵図』とならぶ清張の傑作らしい。幕末の妖怪、悪辣な鳥居耀蔵を主役にした権力闘争本らしい。最初は朝日文庫から出たが、講談社文庫にも収められているらしい。神保町の書店でも見つからなかった。見つからなければ、余計に読みたくなる。ぼくは同じ本を買ってじくじたる思いをする癖があるが、『天保図録』はまだ読んでないはず。
 
 金欠に苦しめられたこと。ペン森は2月、家賃もスペースも3分の1のいまの部屋に引っ越した。家賃を払えなくなったからである。ペン森から給料が出た時期もあったのだが、いつの間にかまた無給に逆戻りした。引っ越しに際し、ペン森OBを含む有志がペン森債を購入してくれて、ようやくしのぐことができた。私的にも年金生活の節約心が身についた。

 完全に男が終わったこと。これが最大の回顧だ。ぼくはその機能不備から「こんにゃく」としてペン森では知られるが、名誉なことではない。実際に試したわけではないが、どうあがいてもこんにゃく状態だから、間違いなく終了した。案外、まじめに生きてきたことをいまは後悔している。男が終了したら、それを補うようにエロ度が増した。すっかりエロじじいに変化した。


 【展望】
 16期生を志望先に内定させること。大半がゆとり教育世代の16期生だが、OBたちに比べるとちょっと根性がないし、気がきかないように見える。マスコミも超氷河期の就職難。15期生も内定率は芳しくなかったが、人間力に秀でた者が結局は志望先をゲットした。いかに人間力の秀でた若者に仕上げるか、ペン森も変容してきた。

 自らのPC力を強化すること。そろそろ受講生依存から脱して、HPを自分で作成できるようにしたい。ぼくのPCはメールとブログとニュースのためだけにある。活用不足。

 歩くこと。 足腰が弱くなる、というがぼくは、腰はまだ強い。脚力の衰えが激しい。足がこんなによたよたになるとは! 男は終わってもなに食わぬ顔で活力老人になろう。
 

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カリスマも逝ってしまった
  ことしは押し詰まった12月9日になって、知り合いの大物が亡くなった。過激派の革マル派のナンバー2といわれた松崎明である。本人は、革マルから脱退したと言っていたが、そうだと思う。還暦60歳をすぎたとき、おれは60歳から新しい年齢を重ねる。だからこれで120歳までは生きられる、と高言していた。健康に対する気遣いは並みではなく、駅弁でも添加物のチェックは欠かさず、JRの駅弁は添加物が多すぎる、孫の世代に悪い、と文句をつけていたのを直接耳にしたこともある。

 亡くなったという知らせがあったとき、まさかと思った。120歳まで生きるはずだったのに、74歳の若さだった。松崎と面識をえたのは1991年ではなかったかと思う。ある会合で、すでにJR東日本の労働組合・JR東労組の委員長に就いていた松崎はこう言った。「国鉄時代、死にもの狂いで列車を止めてきた。今度は死にもの狂いで列車を走らせる」。それを聞いてぼくは松崎に手紙を出した。「その話を本に詳しく書いてもらえないか」と。すぐに返事があって、そのインタビューをまとめた。92年刊行の『鬼が撃つ』である。国鉄民営化反対から賛成に転じたのは、時代の流れと組合員の雇用を守るため、と語っている。

 『鬼が撃つ』を読んだ新右翼一水会の鈴木邦男から「松崎さんに会わせてくれないか」という手紙が届いた。松崎と鈴木は左翼と右翼、水と油、思想的にも運動的にも真逆の立場にある。70年闘争のころ「あいつをぶっ殺そうと思っていた」と鈴木は漏らしたことがある。松崎の労組委員長室の机には、JR東日本社旗や東労組の旗とともに日の丸も飾られていた。松崎は案外、底にナショナリストの根があるのでは、とぼくは考えた。2人はぼくの立ち会いで、ホテルの一室で面談した。

 2人は時計にたとえると、下の6からスタートして、右回りか左回りの違いでそれぞれ頂上の12を目指しているのではないか、という感想をもった。柔軟な発想をして温和な鈴木は以後、松崎だけではなく東労組とも親しくなる。松崎は憶えていなかったが、ぼくはかれが国鉄動力車労組(動労)の東京地本委員長をしていた75年のスト権奪還スト(スト権スト)のとき会ったことがある。まだ若かったぼくはストの最中、労働担当の先輩記者にポチのようにくっついて歩き、動労や国労本部などを回っていたのである。

 政府と官公労労働者とが、勝つか負けるかで対立したスト権ストは8日間続き、労働側は国民に支持されず敗北する。電車は動かないからぼくも新宿から竹橋まで徒歩で通った。先輩記者と新宿の連れ込み旅館に泊まったこともあった。先輩は隣室に客が入った気配があると、コップのふちを隣室側の壁にあてがい、底を耳にくっつけて様子をさぐった。寝ているぼくの顔にそのつど浴衣のすそをこすっていく。ぼくは革命前夜みたいに騒然としたスト権ストよりも連れ込み宿のことを思い出す。その先輩もすでにこの世にはいない。

 『鬼の咆哮 暴走ニッポン』というのは、ぼくがまとめた2冊目の松崎本。2003年イラク戦争に際して、侵攻した米ブッシュにただちに英ブレア首相、日本小泉首相が支持を表明した。平和運動家でもあった松崎はこの3トップを犯罪人のように非難する。これで余計、公安にねらわれるようになった、と本人は明かしている。松崎と最後に言葉を交わしたのは、去年隣り合わせしたどこかの男子トイレだった。「年をとると小便の最後の切れが悪くなるでしょ」「松崎さんもそうですか」。カリスマも老いてあっけなく逝った。            合掌






年賀状よりも年末状
  年賀状書きの季節だが、ぼくには関係ない。ここ数年、年賀状は出したことがない。師走に年末状を出すことにしている。だいぶ以前の記者時代、年賀状の特集をするつもりで取材を進めていたところ、年末状を書いているひとがいることがわかり、年末状特集になった。それでもまだぼくも年賀状を書いていたが、ペン森をはじめてから間もなく、年末状に切り替えた。年賀状は年末に仕上げるので、あくまでも予定稿になる運命だ。それがどうも気になっていたということもある。以下、今年の年末状の全文。

  拝啓 お元気なことと思います。ペンの森はおかげ
さまで今年創設15周年を迎えました。
  2月、同じ神保町2丁目に引っ越しました。階下は
行列の切れ目のないラーメン二郎です。かつてペンの
森も、受講申込者に20人もウェイテイングしてもら
ったことがありました。
前のペンの森のビルに隣接する店で草創期当時から
残っているのは1軒しかありません。15年間の周囲
の浮沈には目を疑いたくなります。いまさらですが、
メディアも採用人数が激減しています。ゆとり教育世
代の受講を待つペンの森ですが、安全志向の若者が多
くなったせいか、受講生の減少につれ時間的なゆとり
がありすぎる状態になりました。
私は老スタッフともども酒量は減少せず、多少部品
は故障気味とはいえ、まだ活力に満ちています。
今年もまた、15年間の存続にご支援をたまわった
瀬下塾生、キリン様のご厚情にすっかり甘えました。
  来年もはつらつと元気よくがんばりましょう。敬具

 たまたま、昔の教え子やペン森卒業生でつくっている瀬下塾の冊子『瀬下塾ジャーナル』の今年最終号の発行と重なった。その冊子にはぼくのコラムを2本書いている。内容を3分割しなければ、という制約意識がはたらき、ストライクゾーンはかなり狭まった。このブログを読み年末状も届くひとには、年末状は二番煎じになってしまい申し訳ないが、年賀状の代わりにぼくが年末状を活用していることをご承知願いたい。

 年賀状は知人の家を1軒1軒訪ねて新年のあいさつをする年始まわりが極端に短縮されたものだが、妙に強迫観念を強いるところがきらいだ。もらうのは好きだが。予定稿なのに「おめでとうございます。今年もよろしく」という不自然さも気に食わない。その点、年末状は今年のお礼と来年に向けて、なんらかの意思表示をするわけだから、喪中のひとにも出せるから自由度の高い挨拶表現だ。みなさんもはじめてみたらいかがかな。


「でき婚」と責任の取り方
世界一短い手紙はヴィクトル・ユゴーと出版社のあいだで交わしたのが有名だ。ユゴーは『ああ無情』を出版したとき売れ行きが気にかかった。そこで出版社に「?」と書いただけの手紙を出した。返事もただ一言「!」。「売れ行きはどうだい?」「売れ行き好調ですよ!」というやりとり。この世界一短い手紙で知られるユゴーだが、世界一かどうかは知らないけど男性機能が絶えることなく、まれにみるほど長持ちしたことでも有名である。83歳の7月だか8月だかに没するが、そのときまだ現役だったというから恐れ入る。

ユゴーの絶倫ぶり、初夜に9回、と以前にもこのブログで書いた記憶がある。ところで絶倫の意味がわからない若者もいまや少なくない。ぼくは帰宅中の夜中の電車で同じ方向に帰る女子にいきなり「絶倫ってなんですか」と大声で聞かれてへきえきしたことがある。厚労省の発表によると、第一子の4人に1人ができちゃった婚の子だという。「でき婚」は95年が18%だったが、すこしずつ増えてきた。その割合は年齢が低いほど高くなり、15~19歳では8割にのぼっている。10代後半はまだ絶倫なんだ。その限りでは慶賀の至り。

 女子のあいだでは「でき婚」という言葉はもうあまり使われないそうだ。「さずかり婚」が当世風の美風らしい。そういえばダルビッシュ投手は「でき婚」だったが、インタビューで「子どもをさずかりまして」と嬉しそうに言っていた。子どもをさずかったのはいいが、そのダルも同じ24歳の紗栄子夫人と離婚の協議中。虐待ママや虐待パパはどうも若すぎる「でき婚」の果てというケースが多いようだ。「でき婚」でも「さずかり婚」でも構わないが、性欲を満たすための婚前交渉がまねいた不幸な結末である。

 「でき婚」は英語では「ショットガン・マリッジ」とか「ショットガン・ウェディング」と呼ぶ。妊娠した娘の父親が相手の男に銃を突きつけて、婚約を迫ったことからきている、という。日本でも妊娠させたら責任をとる、という男がむかしはふつうだった。今回の「でき婚」調査でも責任をとってやむなく結婚した男らしい男子も含まれているだろう。結婚以来、その男子が世も末の不幸を感じて悔やんでも、もう遅い。離婚も増えたが、離婚は相当のエネルギーを必要とする。結婚は勢いだから簡単にできる。「でき婚」は簡単婚だ。

 責任をとらなかったのが、島崎藤村である。ぼくは藤村の抒情詩が好きな少年だった。「まだあげ初めし前髪の・・・」(初恋)。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」(千曲川旅情の歌)。千曲川の後半「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ」に人生を感得した。いまでも好きな言葉だ。藤村の妻は産後の肥立ちが悪く亡くなる。姪にあたる兄の娘が家事の手伝いによこされる。藤村はこの姪に手をつけた。妊娠した姪を残して、藤村はフランスへ逃げる。

 なんという偽善者の藤村だろうか。当時のことだから姪は処女だった。処女はだめ、ということはないが、相手は姪だぞ。いまの「でき婚」でさえ、逃げる金はないにしろ、それなりの手続きを経ていっしょになっている。お前に、藤村を罵倒する資格はあるのかと問われたら窮するがしかし、ぼくはむかし絶倫いま絶望だよ。

 

ウィキリークスとシー・シェパード
  内部告発サイト、ウィキリークスの創設者が拘束された。スウェーデンから強姦容疑で国際手配されていたが、強姦で国際手配とは裏になんらかの政治的意図が働いていただろう。権力の機密をさぐって暴くのがメディアの仕事であり、責任でもあるが、ウィキリークスに対するメディアの態度は当惑気味だ。とくに朝日はどう扱ったらいいのか、態度を決めかねているようで、12月8日現在全国紙では唯一、この問題を社説で書いてない。このような内部情報の告発は、尖閣ビデオや極秘のはずの警視庁公安情報の流出など今年になって、いきなり目立ってきた。まさにネット社会ならではの現象である。

 ウィキリークスに憤ったところで、無意味だとぼくは思う。内部になにかの理由で機密を公開したいという意思をもった人間がいるかぎり、情報は外に漏れるだろう。漏らしたくない情報を抱えている機関はいかに隠し通すかの知恵をしぼればいいのである。ウィキリークスの件は米政府が国益を損ねると大憤激したが、なにが国益を損ねたかは判然としない。遠くもない将来、ネット社会初期にはこんな騒ぎもあった、と笑い話になっている可能性が大きい。同じような騒動はこれから繰り返されるにちがいない。いまだけの現象ではなく、時代の流れを反映して生じた現象だからだ。 

 拘束されたウィキリークスに関するニュースをみていたら、反捕鯨のシー・シェパードを連想した。シー・シェパードのテロ的な行動に対してオーストラリアの国民はやんやの喝采をして英雄視していると報じられたが、なにあの国民は国中でカンガルーを食べる。
しっぽの煮込みスープ、マリネ、ステーキなど調理法も発達している。カンガルーを殺して食べるような野蛮はやめろ、と乗り込んで行って抗議したらどうなるんだろう。でも悔しいかな、脂肪分の少ないカンガルー肉は牛や豚に比べてコレステロールも少ない健康食品だという。かの国の心臓病財団は健康維持のために大いに食べろ、と勧めている。

 日本でもカンガルー輸入肉が食べられるが味は、なんとクジラとそっくりらしい。調査捕鯨ですら欧米から目の敵にされる日本だが、日本人がクジラを日常的に食するようになったのは敗戦時の食糧難から商業捕鯨が禁止された1987までの40年間だ。明治時代各地に解体場ができたとき、反対運動が起こり、青森県の三戸(現八戸市)では1911年、地元民が押しかけ解体場を焼き払ってしまった。クジラを獲ると血で海が穢れ、漁ができなくなる、という理由からだった。ぼくも40年代、タケリ(雄性器)、タマ(睾丸)、コブクロ(子宮)こそ食べなかったが、美味な尾のみは刺身でよく食べた。

 以上、カンガルー、クジラに関しては『世界奇食大全』(杉浦幸徳/文春新書)をかなり食いちらした。この本は買ったことさえ憶えてなかったが、本棚から引っこ抜いて電車内で読んだら、作文ネタを二つ見つけたという副産物もあった。小気味よい珍書である。複雑極まる歴史の深さと文化の多様性を知るには絶好の本。ウィキリークスに対するパニックやシー・シェパードの偏狭な思考がばかみたいに感じられる。






婚活の勝利者でも新郎は被害者たれ
ペン森をはじめるとき、結婚式や披露宴への出席が待っているとは毛ほども考えなかった。同じ志をもつ若い男女が集っているのだから、ペン森生同士のペンラブでなくても、彼や彼女がいずれだれかと結婚に至るのは当然といえば当然である。うかつにもそのことを予測してなかった。今年は披露宴に3回しか出なかった。近年ではごく少ないほうである。来年は3件の披露宴に呼ばれているが、いずれも地方だ。2月11日岡山市、3月21日高崎市、
5月4日芦屋市。3件とも小さいながら旅ができる。楽しみでたまらない。

 だが、交通費がかさむ。3月の決算期にはわが家のテレビのうち自室と居間と寝室の3台を悔しいがやむをえず、地上デジタルに替える予定だし、その費用はぼくが負担することになっている。大学で添削の講師をしているから、わずかながらアルバイト料は入るが、春休みに孫娘と恒例のふたり旅の予定がある。ご祝儀は一律3万円と決めているので計算が成り立つが、交通費と宿泊費はどれくらいなのか。孫娘との旅は今年中止か、いや3月の高崎市はその旅と組み合わせることも可能かも、などといろいろといまから思案しているのである。どっちみち後ろ向きの思案ではないので、気持ちは楽である。

 最近の結婚というのは、要するに男女ともに婚活の勝利者である。婚活めでたし、おめでとう、と勝利の宴の場が結婚式とその披露宴。披露宴ではスピーチを頼まれることも多い。一方、先生は酔うとなにをしゃべるかわからない、と不安がって敬遠されることもある。ぼくは海老蔵みたいに泥酔することはあるが、酒癖の悪い酒乱ではない。ただ席が高齢者で埋まっていると、話す内容に気をつかう。口にしてはいけない禁句を放ったりしたら大変だ。普段の口癖で「人生は男と女と出会いと別れ、この4要素で構成されている」などと言ってはならぬ。「別れ」という禁句に高齢者は鋭く反応し、お祝いの会場が凍りつく。

 酒が入っていると、思わず言ってはならないと胸にしまっていたセリフがひょこっと出てしまうことがある。「西洋音楽講座」を「性欲音楽講座」と言ってしまったNHKのアナウンサーがいたというが、潜在意識が顕在化しないようにしなければならない。ぼくの普段の口癖はもうひとつあって、それは「人生は短いが夜は長い」というものだ。今年の披露宴のスピーチで酒好きの新郎新婦にそれを使って、あっという間、夢のように人生はすぎさっていくから、せめて夜は2人で飲んで楽しくすごしてほしい、という意味で言った。ところがこれを、下ネタと受け取ったひとがいたらしい。心外であった。

 結婚スピーチで愛用しているのが「加害者」「被害者」論だ。ぼくは26歳で結婚したからもう結婚歴46年のベテランだが、よくぞ長続きしたもんだとわれながら、感心している、と前置きして続ける。「なぜ続いたかというと、加害者たる妻に被害者たるぼくが耐えてきたからです。亭主関白なんて発揮していたら、こんなに平和ではなかったでしょう(ここで、発揮していたら、離婚していたでしょう、と毎回言いそうになる)。だから、新婦は今晩から加害者になり、新郎はすっかりあきらめて被害者になって、ずっと甘んじて耐えてください」。これは、けっこう受けるよ。夫はみんな身に覚えがあるからね。








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