ペン森通信
人生のふしぎと出会い
 ペン森卒業生の政治記者の仲介で海江田万里内閣府特命担当大臣と一献傾けた。海江田とは旧知の間柄で、ぼくはかれの独身時代から知っている。野末陳平といっても、若いひとはもう知らないかもしれないが、野末は野坂昭如と漫才コンビを組んだりした早稲田大学出の変わり者有名人だが、漢詩漢文に造詣が深く、大正大学教授も務めた。教授の前は参議院議員を4期24年勤続の政治家として名を馳せた。海江田はその野末に師事していた。一時、ぼくが野末とよく会っていた関係で昔、海江田と面識をえたと思う。

 万里という名前は父親が中国取材で活躍していた毎日新聞記者だったことから「万里の長城」のような雄大な人間になってくれ、という意味でつけられたらしい。海江田は慶応出だが、その物腰の柔らかさ、好男子ぶりはいかにも慶応と思わせる雰囲気をもっている。あなたとは40年近く前に会った、と彼は言うが、ぼくはまるで憶えていない。若い時分に知り合った知人が、いまや、もしかしたら総理大臣になるかもしれない位置にいる。そのことから出会いのふしぎを考え、ペン森出の若者の将来について感慨を催した。

 ひととひととの出会いほど人生のふしぎはないというが、ぼくはペン森を開設しなかったら、若い学生男女と出会うチャンスはなかったのである。それはペン森に集う若者同士でも同じだ。人生は男と女と出会いと別れ、という4要素で成り立っているが、ぼくは自分自身、出会いに恵まれた人生だと思う。毎年異なる若者との邂逅がめぐってくる、という巡りあわせは大学の教員の立場と同じだが、学生と先生のあいだの距離が短く、親しさという点ではペン森は独特ではないかと自負する。

 大学はペン森のように自由ではない。セクハラに要注意だ。その点、ペン森女子は寛容なもので、ぼくがお手手にぎにぎしても許される。もちろん女子のほうから握ってきても!ぼくは嫌な顔ひとつしない。もうひとつペン森の絶対名物は、夏はカツオの刺身、冬はペンロウという中国田舎鍋を定番とする飲食懇談である。論作文の添削を受けたあとみんなで手料理を囲んで、ビールや日本酒を楽しむ。ときには熱い議論が沸騰したり、毎日がコンパだから全員が一体となって刺激しあい、旧制高校みたいに親しくなる。

 海江田と知り合ったころのかれの年齢は、いまのペン森生とほとんど変わらない。そのかれが総理大臣まで視野に入れる政治家になるとは、まるで考えの及ばないことだった。ぼくはペン森一門を政治の松下政経塾に対抗するジャーナリズム勢力にしたい、という願望がある。新聞、テレビなど既存メディアに属しながらも、メディアを目指したときの初志を忘れず、志操、情熱、思索心、探究心、思いやり、野心を持続して世のため人のために大成して、歴史に存在をしるしてもらいたい、とペン森生に期待するのである。

 ペン森生が一流のジャーナリストになるかどうかは、それぞれの今後の出会いにもよるだろう。どうか一期一会をたいせつに。






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女でしか男は変われない
 「金持ちでも不幸、貧乏でも幸せ」という特集を週刊現代(11・6号)がやっている。ぼくは年金生活者だから金持ちではない。年金生活者でも営々と預貯金をして、けっこうな金持ちが多く、この貯蔵金をいかに引き出すかということを政府はねらっているが、年金老人はその手にのらない。いままで国にだまされてきた経験に懲りているのだろう、抱え込んだ金は決して離そうとしない。その点、ぼくは年収300万円、ローンも完済して戸建ての持ち家も所有しているし、貧乏ではないかもしれないが、金持ちではない。

 ぼくは蓄えた金もない代わり、貧乏でも幸せの部類にはいるだろう。まもなく72歳になるが、日々若い男女の大学生に囲まれて、大学教授でも弁護士でも議員でもないのに、先生、先生と慕われて?親しく触れ合っている。ぼくは、転職先の出版社の役員にはなったが、そこも56歳で辞めて、記者体験を活用して論作文添削教室を開いた。先日開設15周年のパーティを終えたばかりだが、まあ自由勝手な第三の人生を送っているといえる。第三というのは新聞記者が第一、出版編集者が第二だから、である。

 76歳の性愛作家、渡辺淳一の『孤舟』が評判だ。22日の毎日夕刊にインタビューが載っていた。大手広告代理店の役員を経て定年になった団塊の世代が、自由気ままな第二の人生を夢見るが、待っていたのはどんよりとした退屈な日々。「川からぽつんと小さな舟が漂っている」というイメージでこの題名がつけられた。医者でもある渡辺は言う「人間は生きがいがなくなると急速に病気になる」。では男はなんによって救われるか。「恋愛なんだ。女でしか男は変われない」。妻では得られないトキメキが最高の処方らしい。

 老作家は、顔色はツヤツヤ、血行もすこぶるよさそう。今恋愛中で?
「もちろん!」
 小説みたいに20代女性?
「もっと上だけどね」
 京都へお忍び小旅行も?
「ああ、やってるよ」

 地位もなにもなく、ひとりの男に立ち返った小説の団塊男は、デートクラブで27歳の女性と知り合い、デートを重ね京都へ旅する。なんとも羨ましい、と羨望する向きもあるだろう。その点、ぼくは主人公をうらやましいとは思わない。ぼく自身がそれ以上の幸運に恵まれている。あるいは渡辺老作家よりも、初々しい20代女性がそばにいる環境にあると自慢してもいい。そのへんについての詳しいことは、ここでは避けるが、きょうも男子学生が言うには、先生ほど幸福な老人は知らない、と。

 ぼくは貧乏だが、心は貧乏ではない。みずみずしい女子のおかげで、ぼくも心の鮮度が保てているのでは、と思う。豊かな精神にくらべ、肉体方面は底知れぬほど貧乏だなあ。幸福でもせつないよお。

偏見差別嫌悪の背景が怖い
 「犬がひとを噛んでもニュースにはならない。ひとが犬を噛めばニュースになる」という古典的なニュースの定義がある。意外性や珍奇、奇矯でさえあればニュース性があるという、この説をいまだに信奉しているデスクもいるが、とんだ錯覚だ。犬がひとを噛んでも、ひとが犬を噛んでもニュースである。そもそもひとを噛む犬がうろうろしていたら、飼い犬ならば飼い主の責任が厳しく問われるし、野犬の場合なら保健所が捕獲して殺処分だ。噛まれた被害者が幼児だったらマスコミが取り囲んで大騒ぎになる。

 犬を噛む人間がいたら、そのひとは精神鑑定が必要だろう。現代の日本には犬食文化はないから、といって油断はできない。国民新党の亀井静香代表は東大の学生時代、仲間と犬を殺して食べた。赤犬がおいしいという評判を耳にしたひとも多いにちがいない。ではそれはなにを根拠にしているのか。ぼくの故郷、鹿児島には江戸時代前まで、犬の腹を割いて臓物を出してよく洗い、米を詰めて蒸し焼きにする「犬ころ飯」という料理があったらしい。その犬には赤犬が重宝された、と文献にある。

 韓国や中国は犬を食する文化がある。「羊頭狗肉」という言葉を知っているでしょう。看板に羊の頭を出しておいて、実際には犬の肉を売ってごまかすこと。見かけだけ立派で実質が伴わないことのたとえである。見出しでだまされる羊頭狗肉の記事や番組はあきれるほど多い。ぼくの旅仲間の女子は中国で、そこらへんで遊んでいた犬を殺した鍋料理を食べ、お代わりした、という。いっしょに旅をしていると、そのたくましい健啖家ぶりに驚嘆する。犬肉は日本では忌避されるが、現代の日本にもうら若い美女の犬食いがいるのだ。

 じつは弥生時代から日本人は犬を食べていた。仏教の伝来とともに肉食全般が穢れと考えられるようになるが、犬食はひそかに常食とされたらしい。犬の切断された骨の出土からそれは推察される。明治の文明開化によって日本人は肉食のタブーから解放されえたが、代わりにペットなど愛玩動物を食することがタブーになった。ぼくは大学時代、猫を食べたことがあるが、現代では犬猫を食うなんて嫌悪の対象である。中国人や韓国人に対する差別観を構成する一部の要因にはかれらの犬食文化に対する嫌悪があるかもしれない。

 千葉県銚子出身の女子出版社員からきいた話だが、近所の犬が急にいなくなった、それは中国人の漁船清掃の労働者が食ったらしい、という噂となってひろまった。これとて犬食をする中国人に対する偏見や差別、嫌悪が背景にあるだろう。この偏見と差別、嫌悪観は欧米人が日本人に抱く、捕鯨やイルカ漁への反発反感に通じる。偏見と差別が意識下にあると、自分たちだけの価値観が信仰化される。北朝鮮の価値観なんてのも、旧オウム真理教となんら変わらない。60数年前の日本も一色に染まっていた。それに加担したのが新聞だ。

 ひとつの価値観を絶対化すると、思考は停止するから気分は楽だろう。メディアでその絶対価値が加算されて総量にまとまると、世間が同じ方向を向く。「ひとが犬を噛む」のだけがニュースじゃないよ。被害者や弱者は必ずしも善ではないよ。以上、新聞週間の終わりに考えた。


ついにゆとり教育世代を迎えた
 チリの落盤事故からの救出シーンの実況を見ていると、このラテン国民は見事に妻や子どもにハグをする。両手を相手の背中にクロスさせてカップリング。ぼくもペン森生とは、たとえば内定場面などでは思わずハグすることがあるが、チリ国民みたいな激しい抱擁ではない。ペン森は今週からゆとり教育世代の16期生を本格的に迎える。前期15期生からの延長組が数人いるが、かれらはいわば閉じ込められたのも同然の状態だ。来年春に全員無事に救出して、内定という歓喜の生還場面でぼくは女子にだけは密着して、ノーベル賞みたいにクロスカップリングしたいね。

 日本が経済も政治も社会も落盤事故を起こして、時代の底に閉じ込められているのは、とりわけゆとり教育世代である。かれらはやれ台形の面積の求め方を知らない、とか円周率の計算を3・14ではなく切りのよい3で計算する、各国に比べて学力の低下がいちじるしい、と非難される。だがこれは国の変転する教育制度のせいである。精神的に根性がなくすぐ折れる。草食系男子化やオタク化が激しい。意欲がない。野心がない。覇気がない。字を知らない。本を読まない。礼儀も知らない。やたら人を殺傷する。これほど上の世代からマイナス評価される若い世代は、これまであっただろうか。

 最近の若者は!という年寄りの慨嘆は古くローマ時代から連綿とあったらしい。上の世代から見れば、すべて昔はよかったという自己美化の思い出と重ねて、若者非難がはじまる。その年配者も自分たちが若いときは、年上から近ごろの若いものは、と言われた。強制的な軍国教育、皇民教育時代ならともかく、戦後の時代背景や教育政策の結果として現代の若者が現出したのである。村上龍は日本にはなんでもそろっているが、希望だけがない、と小説のなかで言った。だが、老人には寿命が延びただけ希望がある。若い女子はスタイルだけでなく、見目麗しくなってぼくら老人は毎日がワクワク楽しい。

 いまでは「ゆとり教育」という言葉自体、忌み嫌われている。だが、ゆとり世代が支えてきて未来につながっているものも少なくない。ケータイ、アニメ、ゲームはゆとり世代が拡大させてきた。70年代のNYを震源とするヒップポップをその部類に入れてもいいだろう。アニメは世界を制覇しつつあるし、ケータイの発達はコミュニケーションのあり方を変えた。加えて、ゆとり世代は総じてメカに強い。ぼくら旧世代に比べて、刺激に満ちた環境にあるからその分、感受性がすれてしまって初々しさには乏しいけどね。

 日本は、たまたま生まれた年によって恵まれるか、恵まれないかが決まる不平等社会である。本人にはどうしようもない不条理といえよう。でも現代の若者は、生まれてこの方上昇気流に乗ったことがなく、不況しか知らない。下り坂の日本にずっと身を浸してきた。日本は親の収入の多寡によって生活の層が決まりがちな社会でもある。階層がやがて階級に固定化するかもしれない。中国で半日デモがあった。そのエネルギーだけは40~50年前の日本の学生と変わらない。ネットはなかったが、既成の枠組みや社会の固定化・管理化に反発して学生同志が連動して、戦争時以外、時代を熱く抱擁していた世代もいたのだ。


住んで、見て、発見して考えろ
 朝日新聞論説主幹から信濃毎日新聞主筆になった中馬清福は、「全国紙の地方取材はさっと来て、さっと取材して、さっと帰る」という一過性の「狩猟型」取材だが、地方紙は「出来事が一段落したあとも留まって「農耕型」取材をする、とそれぞれの特徴を解説している。ぼくは「狩猟型」でも「農耕型」でもない、その中間の住み込み取材の必要性を強調している。それは真新しい取材法ではないが、活字の魅力を掘り起こす一方策ではあるまいかと思う。一定期間、相手方の生活のなかに溶け込んでいって人間関係をつくり信頼関係を築くところから取材がはじまる、という方法だ。

 ぼくは全国紙の毎日新聞で育ったが、たしかに事件事故は「狩猟型」の取材をしたように思う。東京本社の社会部遊軍が長かったから企画取材や応援取材で全国をまわったが、秋田の猟師マタギの人間ルポでもせいぜい2日間の滞在にすぎなかった。これでは深みのないうわべだけの記事になるのは当然だ。そのマタギたちは雪男を追うテレビクルーに同行しヒマラヤに行き、高山病にかかってあえなく帰国した。高山に弱いことを見抜けなかったぼくは、眼力のなかったことを恥じた。住み込んでいっしょに生活しても感知しなかっただろうけど。

 住み込み取材の古典というか傑作に鎌田慧の『自動車絶望工場』(講談社文庫)がある。季節工としてトヨタの工場のラインで働いた潜入ルポである。読んだペン森生は多いだろう。沢木耕太郎の『人の砂漠』(新潮文庫)は、8編のルポを収めた沢木初期の作品だが、独特の鋭い感性が光っている。ぼくはこのなかの住み込みルポ「屑の世界」に最も感銘を受けた。クズ鉄業者の日常に入り込んで、生活に密着した手法に体当たりの血の出るような取材を感じ取って、若い記者時分おおいに共感した。

 住み込み取材の傑作としてぼくが推薦したいのは、野村進『救急精神病棟』(講談社α文庫)だ。救急と精神病院という相容れない組み合わせからして、尋常でない匂いを発するが、たしかにここには尋常でない医療の世界が迫真的に描かれる。新聞の住み込みルポなら高知新聞の「500人の村がゆく」を勧めたい。これは同じ四国の地方紙の記者になったペン森の女子が以前、紹介してくれた。若い都会風の彼女が、このような置き去りにされた末端の村のルポに興味をもっていたのかと考え、元記者のぼくは同志的な一体感を覚えながら、このひとは期待できると感激した。

 ぜひ読んでみたいという若者は『日本の現場 地方紙で読む』(高田昌幸/清水真編 旬報社)を購入するとよい。2500円と高価だから、ペン森にはぼくの蔵書を常備している。ペン森に入塾して読むのもよいだろう。この本には地方紙30紙に掲載されたルポや記事が600ページ以上にわたって収容され、分厚い中身のなかに地方記者たちの魂が沸騰している。高知新聞の限界集落住み込みルポは「きっかけは本社幹部の発案だ。役場で働かせてもらえ、何か見えるものがあるかもしれない。暮らして、見てこい」ということで39歳の記者が1年間にわたって報告した。若者よ、何事も暮らして、見てきてくれ。きっとなにかを発見して、考えるだろう。




人間は4つの内面を使い分ける
 体育の日は10月10日でなければならないと思うが、きのう11日の祭日が体育の日だったらしい。調査によると10月10日は東京オリンピックの開会式の日であることを知らないひとが多いという。東京オリンピックも昭和のかなたに消えつつあるのか、信じられん。オリンピック開会が10日に決まったのは過去の天候記録から判断して、この日は雨になる確率が最も低いからである。きのう11日は、まさに昭和39(1964)年の東京オリンピックの日と同じような雲一点ない天下の快晴に恵まれた。掛け算的に次々行動したい日だった。

 こんな日本晴れの日はぼくも外気に触れたかった。だが、祭日は、ペン森は通常通り開塾している。だれも来ないとわかっていれば、最近足が弱っているので外歩きをしたいのだが、日中はただひとり、じっと机の前に座っているだけであった。これでは歩行能力の劣化が一層すすむ。じっと座って目の前に飾ってある女の子のフィギュアを眺めたりして、オタクとはこういう状態の男を指すのか、とニヤニヤしていた。そのフィギュアは高さが10センチくらい、膝上までの空色のワンピースを着てすらりとした脚もかわゆい。

 フィギュアを見て1日すごしたわけではない。それを目にして、多少は妄想も楽しんだが、添削もやった。大学の先生をしていた知人が時代小説大賞に応募するので、400字原稿用紙にして300枚の原稿をチェックした。知人はぼくより年上だが、飽くなき表現欲望には頭がさがる。文系ではなく、ダムなどが専門の恐るべき理系じいさまである。じいさまらしく、かなりの好色。そのへんはぼくと似ているともいえるし、全然似てないともいえる。知人も大学では謹厳であったと思われる。ぼくも大学では、くそまじめだ。

 ただし、表面だけね。人間は表面と裏面を持ち合わせている。いや2面でなく、4面を使い分けているというのが、ぼくの説。4面とは掛け算、足し算、引き算、割り算という4つの内面だ。普通、組織はこの4つのタイプで成り立っていて、着想に優れ企画力、人脈が広がる掛け算タイプと、着実で信頼性の厚い足し算タイプで8割くらいの生産性があるらしい。引き算タイプは自らなにもしない指示待ち人間、割り算タイプは陰気でひねて他人の悪口ばかりいう文句人間。1人の人間もこの4つの内面で構成されている。

 だれしもこの4面を使い分けて生きている。気分がよければ掛け算か足し算、失恋したり面接で落ちたりすれば、たりまち引き算か割り算に変質する。きのうのぼくはフィギュアを見ているときはなにもせず引き算だった。添削をはじめたら足し算に変わった。通常、掛け算のときは、やれ四国に行こうとか、合宿に行こうなどと高揚するのである。きのうは完全に掛け算心理に作用するような天気だったが、ぼくは外出しないままだったので引き算人間になった。なんとついてないと愚痴ると割り算だ。知人の元大学の先生は掛け算の比率が異常に高い。

 4分類はぼくが社会人相手の講演でよく使うネタ。採用試験でも、面接で強いのは断然、掛け算タイプと足し算タイプである。そのことは意識しておいたほうがいい。ESも同じ。面接やESで引き算や割り算タイプであることを打ちだしてはいけない。



やぶ医者、やぶ総理・・・やぶ列伝
 家の近くに日医大多摩永山病院がある。こんな近所に大病院があるというのに、数年来、近隣のひとはだれも利用しない。「じゃあ行ってくるよ」「行ってらっしゃい」。玄関先で奥さんに見送られて元気ぴんぴんで検査入院した中年主人が帰らぬひととなった。検査入院して死んでしまったというケースは町内で1例にとどまらない。だから町内から徒歩10分足らずで行ける便利なこの大病院は、天下のやぶ病院という評判がたち、だれも行かなくなった。町内事情に通じている家内から聞いた話である。

 やぶ医者に出会うと一生をふいにするから、みんな名医にかかりたいと考える。ぼくが通っていた整形外科医はまぎれもなく名医だ。手術を半ば覚悟していた、ぼくの頸椎の椎間板ヘルニアも電気療法だけで治してくれた。左手首の骨折もギブスで固定し2回通院しただけで元にもどった。家内が2年間苦しんでいた掌の痛みもあっという間に消えた。医者と弁護士に友人がいるのは人生の幸運だというが、日本はやぶ総理が連続して、今度の菅総理もどうやらやぶだから、この将来不安なさなか日本はついてない。

 しかし、総理大臣は国民全体の反映でもあるから、国民全体が劣化しているとみることもできる。そこへいくと選挙というろ過装置を経ない検事の劣化はただごとではない。大阪地検は特捜のみならず組織そのものに腐臭がする。その職についたら、更新試験もなく安穏にすごせるという意味では公務員がそうだ。とりわけ学校にはエロ先生も目立ち、女子小中高生をもつ親は心配だろう。中学時代、先生からひどい性的被害を受けたペン森女子は、成人したとき先生を訴え失職させた。
 
やぶ教師はこうやって追放するしかない。一方、追放されたかにみえて復活する例も少なくない。オリンピックで金メダルはいただきだ、と豪語して赤っ恥をかき、とんだやぶぶりをさらした星野仙一は楽天の監督に色気まんまんらしい。ぼくは楽天好きだが、星野嫌いだから、楽天は1人ファンを失うことになる。野球の場合、感情と気分の次元ですむが、ひとの生死にかかわって大勢を死なせた森鴎外は許しがたい。陸軍の軍医トップだったが、かれは脚気細菌説に固執し、ために日露戦争で脚気患者21万1600人、脚気死者2万7800人をだした。

 森鴎外は犯罪者に等しいやぶ医者だったのである。脚気はビタミンB1の欠乏で脚のむくみやしびれを起こし、やがて心臓まひで死ぬという恐ろしい病気。英国医療の海軍は麦の摂取を取り入れ、犠牲者をゼロ近くまで激減させた。鴎外は処女舞姫にうつつをぬかしたことでわかるようにドイツに学び、脚気細菌説と白米絶対主義を崩さず、陸軍兵士はビタミンB1欠乏症に陥った。昔は、健康診断で膝がしらを叩いて脚の反応をみるという脚気検査があった。そのことが記憶のなかにあるくらいだから、ぼくも古い。
 
 古いけれども添削のやぶではない、と思う。添削歴37年、やぶだったら淘汰されたはず。メディアの論作文採点や面接者にはやぶも混ざっているから、これは相手を圧倒する力をつけるしかないよ。
 


温泉に行ってシャワーだけ
ぼくは酒飲みだと思われている。事実、酒飲みである。最近は日本酒と焼酎(氷結を含む)を専門にしている。旅好きとも思われているが、あまり旅にでない。旅は鉄道に乗ることと、温泉に行くことが主たる目的である。温泉はぬる湯にかぎるので、たまに野沢温泉(長野県)のような熱い源泉かけ流しに出合うと、シャワーだけですませてしまう。混浴で知られる酸ケ湯(青森)のような強い湯につかると皮膚が1週間かゆかった、という思い出もある。温泉に行ってシャワーだけという温泉好きはあまりいないだろう。

今日午前、病院で月1の定期診断を受けてきた。血圧は、前回上が145下が70だったが、上134下72とほぼ正常にもどっていた。降圧剤を服用しているおかげで安定しているのである。温泉をさがす場合、どうしても高血圧症、免疫力強化、肝機能障害、EDなどの自分にかかわる効能に目がいってしまう。温泉ガイドには効能は書いてあっても、高温かぬる湯かはほとんど案内されてない。それはぼくにとっては大問題だ。ぬるいことで有名な武田信玄の隠し湯、下部温泉(山梨県)は何回でも行きたい。

おととし下部の共同浴場にペン森生3人とはいり、列車に間に合うようあがって、受付で荷物を受け取ろうとしたら、係の女性が席をはずしていた。呼べど叫べど、一向に姿を見せない。やっと出てきたときは、列車の時間が迫っていた。「駅まで7分で行きますから」
とのんびり知らせてくれるが、時間は7分もない。駅まで下り坂の道を走ったね。登りの道だったら、間に合ったかどうか。下部温泉ではぼくの脚力は強化されなかった。脚力強化とか脳活性化など高齢化現象に必要な温泉はないのが残念。

 いま、ただちに行ってみたいのは黄金温泉(山形県)。ここはなんと高血圧症とEDに効くらしい。先日、71歳の下着どろぼうが逮捕され、家宅捜索をしたところ押入れから色とりどりの女性の下着がぞろぞろと出てきた。「性欲を満たしたかった」だとさ。ぼくも気分はまだ枯れてないが、ぼくと同じ71歳だよ、いい加減あきらめろよ、といいたくなるね。でもぼくはあきらめないよ。すでに終わったのは酒のせいかと思っていたが、降圧剤もEDに影響があるらしい、とペン森で聞いた。高齢が原因とは思いたくないね。

 玉川温泉(秋田県)にも興味がある。1分間の源泉湧出量はドラム缶45本分と日本一で包丁を1夜漬けておくと、歯がぼろぼろになる。それくらい強い。こんな酸性の強烈な湯にはいると、ぼくのやわ肌はケロイド状になって、とても生活できなくなる。だが、玉川温泉は万病に効くというし、ケロイドが治った例さえある。この温泉を利用すればケロイド治療も可能なのだ。ところがだね、ここは高温らしい。幸か不幸か、ぼくなんかまるで手も足もでない。

 玉川温泉のくだりは、嵐山光三郎の『温泉旅行記』(ちくま文庫)を参照させてもらった。この本は中身も抜群におもしろいが、巻末の温泉一覧には各温泉の温度が付加され、ぼくとっては理想のガイド本だ。


若者よ、各駅停車で帰省せよ
年内に北海道一周か四国一周をしようと思う。列車の乗り継ぎ、列車と路線バスの組み合わせ、列車とレンタカーの組み合わせ。この3パターンから選ぶことになる。列車の乗り継ぎがいちばんだが、この間、能登でレンタカーを運転したことで、行きたいところに直行できる車の便利さをあらためて実感したから、列車とレンタカーの組み合わせも捨てがたい。レンタカーとすれば、寒波が早期襲来して道路凍結が心配な北海道は来年まわしということになる。では、四国かな。これは列車乗り継ぎだけですませたいとも考える。

 おおげさに自慢すれば、ぼくは小学5年生から乗り鉄だった。日豊本線から鹿児島で鹿児島本線に乗り継いで5時間かけて祖父母の家に行っていた。5年生のときといえば、戦後まもない昭和25年である。客車はまだ架線の設備もなく当然、蒸気機関車にけん引されていた。本数が少ないせいか満員だった。乗客は窓から出入りし、網棚の上を占領してそこで寝ているおやじもいた。発展途上国を思わせる風景が当たり前の時代だったのである。事実、日本は戦争というばかげた行為の後遺症が残り、まだ発展してなかった。

 高校、大学生になると車が好きでいつかは自分の車をもって、日本海岸線をたどって一周をしようと思っていた。しかし、車の免許を取得したのは50歳になってからである。20歳すぎタクシーの運転手に介添えしてもらい貸しコースで操作を習い、無免許で市中を運転していたことがあった。それは「日産パトロール」という大型ジープ型の車種で、いまなら「xトレイル」か「ムラーノ」というところ。ぼくが最初に350万円を投じて「三菱パジェロ」を購入したのも運転初体験の影響が大きい。

 鉄道に目が開かれたのも大学時代であった。内田百の『阿房列車』にはまってからである。上野で金沢行きの夜行寝台にもぐりこんで兼六園に行ったりした。もちろん東京と帰省先の鹿児島間は各駅列車の乗り継ぎで往復していた。列車はずいぶんしゃれたデザインになった。昔は、固い椅子で背もたれが直角に立っていたが、いまはほどよく弾力があって背もたれも傾いでいて背中に密着する。だけど、設備の遅れた各駅停まりの下級列車を乗りつづけていると、家に着いてからも腰の痛みがとれないことがある。

 ぼくはあまり変わり者ではないが、風変わりなことはきらいではない。10年前、広島出身の早稲田の学生が帰省する際、聞いてみた。「どうやって帰るんだ?」「飛行機か新幹線です」「ばかかよ、お前、路線バスを乗り継いで帰れ。一生でそれができるのは学生時代しかないんだぜ」。かれはぼくの助言に従って、9日間かけて広島に帰省した。バス路線は切れ目があり、車内はばあさんが多かったらしい。「おかげさまで日本の内臓の一部を見ることができました」。若いひとはどうしてせめて各駅停車に乗って帰省しないのかね。

 さて、四国か北海道。ドライバーが同行してくれればレンタカーにするのだが、せいぜい免許年齢に達してない孫娘と列車で行くか、日中から飲めるひとり旅だろう。四国にも北海道にも飲んで叱咤激励したいペン森卒業生の記者たちがいる。こよなく会いたいひともいる。

 



 



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