ペン森通信
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新聞を食いつぶした世代として
 朝日新聞の記者をしていたAとは、防衛庁記者クラブでいっしょだった。ぼくの将棋のライバルで仲がよかった。10余年前に論説委員をしていたということを知ったのは、朝日に内定したペン森生によってであった。もうおぼろにしか記憶してないが、内定者がなにか質問の手紙を書いて社内のしかるべきひとに届けたところ、それがAに回った。Aに呼びつけられた内定者は文書でこっぴどく叱られた。「朝日人としては記者個人の見解を出してはいけない。あくまでも朝日新聞という組織の人間ということを忘れるな」と。

「どうして個人よりも朝日を優先させねばならないのですか」と内定者からぼくが問い詰められ、文書を示された。「こいつ知ってるよ、いま、かれはいま論説か」。Aは東大出でこんなことを言っていたことを記憶している。「朝日という名前は東大よりも神通力があるなあ。朝日はすごいよ」。Aは,朝日絶対主義者だったのだ。入社すると大抵はその会社を絶対視するものだが、朝日にはその傾向の強いひとが極端に多い。大学時代のゼミの教授は朝日出身だった。ぼくが毎日を受けたら「朝日だけが新聞じゃないもんな」と皮肉った。

 朝日にはなぜ朝日絶対主義者が少なくないのだろうか。夜郎自大かもね。やろうじだい、知ってるかな。自分の力量を知らずにいばること。政治家にもこういうタイプが目立つね。鳩山邦夫さんは東大法学部を首席で卒業したというが、脱党して新党結成をめざし、坂本龍馬たらんとしている様子をみると、どこか滑稽。このひとは自分絶対主義だね。ぼくはNHKの『龍馬伝』をまるでみないからよく知らないが、龍馬役は太ってはいないはず。太った龍馬は革命行動家のイメージにそぐわないよ。

 新聞社の春採用試験は直前に迫ってきた。ペン森では直前作文講習の最中、28日に14期生の卒業式を行った。今期卒業生だけでなく、メディア就職をめざして努力している15期生に向かって、気のきいた励ましのことばを述べるつもりでいたが、口の悪いのが性分だからという事情に重ねて、メディアの将来が危ういから、ついつい口調も励ますどころではなくなった。メディアに明るい兆しはない。ぼくは日経のWEB版は実験と考えればおもしろいと思うが、高すぎる。出版も各社勝手に電子化の動きが急だ。

 メディアに就職したいひとはお金よりも、志や心意気といったやりがいを求める性向が強いというのは昔の話。このところ記者や編集者が寄ると触ると経費カットが話題の中心を占める。広告収入の激減に加えて若者の新聞・テレビ離れが加速している。トンネルの先の光が見えない。朝日人の自己絶対主義は、新聞が言論報道の王者だった古きよき時代の名残だろう。あるいは栄光の思い出を単に引きずっているだけか。朝日人のいやらしさだけが健在ということは、新聞を代表する朝日が時代に置き去りにされた悲哀を感じさせる。とはいえ、ぼくらの世代はおいしい生活を送ったなあ。新聞を食いつぶしてごめんよ。

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多才をしのぶ飯田線ひとり旅
 大不況だというのに20日からの3連休は、温泉地のホテルや旅館は満杯が多い。もともと3月は、ひとが開放感を求めて、よく動く時期ではある。ぼくが雑誌の温泉別冊や特集を見入ったり、ネットで温泉宿の検索をしたりしているのは、これまで書いたとおりだ。有名温泉地の1泊2食貸し切り風呂付き部屋は2人6万円でももう埋め尽くされている。ぼくも連休を利用して遠出をするつもりで、JR飯田線の踏破を考えている。まず宿泊先を中央アルプスの麓にある駒ヶ根にしようかとワクワクしているところ。

 飯田線は、五能線、只見線とならんで鉄道ファンなら1回は乗ってみたいJRローカル線である。乗り鉄のぼくは、五能線は孫娘と只見線は好きな13期生と同行したが、飯田線はまだだ。昨年、ふたり旅常連10期生から駒ヶ根に誘われたことがあり、駒ヶ根行きの際、飯田線にも乗れると期待していた。なにかの都合でそれが予定変更となって、実現しないままになっていた。駒ヶ根は高原美術館をのぞいてみたいと、そのときから楽しみにしていた。常設展示メンバーにかつて親しんだ、いまは亡き天才がいるからである。

 若い人は知らないかもしれないが、池田満寿夫さんは版画、陶芸、小説、絵画、映画監督と多彩な才能を発揮した世界的芸術家だった。かれはぼくたちが一時つくっていた新聞記者仲間の会の一員として参加していた。ぼくたちは「満寿夫ちゃん」と呼んでいた。好人物だった。63歳で没。かれは長野北高校出身で読売新聞の販売店に寄宿していたことがあって以来、新聞記者に親近感をもっていたらしい。天才バイオリニストの佐藤陽子さんといつも一緒だった。結婚はしてなかったが、2人はいつでもどこでも連れ合うパートナーだった。でも、ほかにも女性はいた。かれはエロスと官能の芸術家で実行家でもあった。あまりの多才のゆえ、芸術家たちの嫉妬にかこまれた人生だった。

 ぼくは満寿夫ちゃんの作品に接したくなったのも動機となって、駒ヶ根で下車することにした。かれの芥川賞受賞作品『エーゲ海に捧ぐ』(中公文庫)を再読しながら列車に身を託すのも一興だろう。この天才も東京芸大に3回落ちてあきらめ、若い時分、路上の似顔絵描きで糊口をしのいだ。挫折をはねのける、その飽くなき表現欲望を若い人たちは見習ってもよい。かれの行きつけのレストランが飯倉片町近くにあり、メニューに女性器の絵が描いてあった。流麗な線が絵の特徴だったから、それは表現欲望を刺激する題材だったのだろう。しかし、若い人はそれを真似しちゃいかん。別の欲望に支配される。

 池田満寿夫記念館は同じ長野県の松代にあるが、ぼくは飯田線のついでがいい。列車は豊橋まで天竜川に沿って走る。この線は無人の秘境駅がつづく人っ気のない線である。寂寥感に襲われそうなところも、3月という別れの季節に合致する。社会にでていく寸前、ぜひお供をという14期生はいないよな。酒を飲みつつ、今度もひとり旅となるね。





日本は恥知らずの文化になった
 鳩山内閣の支持率は毎日新聞以外、30%につけている。3月16日で政権について以来半年たつが、期待→失望→絶望という経過をたどった。そもそも選挙前の約束に比べるとほとんど詐欺みたいな内閣だ。鳩山さんはリーダーにふさわしい器ではないこともほぼ明白だ。マザコン総理だね。報道によれば1億円と7000万円の所得税を免れた社長2人を東京国税局が東京地検に告発した。鳩山さんは告発される資格が十分すぎるほどある。母親からもらったお金をためていたのは、脱税という犯罪だもん。

 ぼくも民主党支持だった。いまやなぜこんな政党に未来の希望を託す気になったのだろう、とイヤになる。鳩山内閣たたきは最早、週刊誌の定番特集になってきた。それだけ市場価値があるということだ。半年まえの追い風がいまや台風なみの逆風になってきた。みんな落胆している。子ども手当ては半額実施になって、高速道路は一部地方路線だけが無料化されたが、国外か県外移転を謳っていた普天間はどうなるかわからない。鳩山内閣の決定打のなさとビジョンのなさは、サッカーの岡田ジャパンとそっくりだ。

 岡田監督は南アW杯でベスト4をめざすと言っているが、これまた鳩山さんの「財源はあります」と繰り返した根拠のない話に似ている。どちらも実質を伴わない願望。北京五輪で星野監督は金をとると宣言して大恥をかいた。星野氏はCMなどにも出ているから、外野が大恥をかいたはず、と思っているだけかもしれない。その点、鳩山さんと同じ不感症人間かもね。男にも不感症ってあるんだっけ。ルース・ベネディクトは『菊と刀』で日本は「恥の文化」と規定したが、国の総大将がこれじゃ日本は「恥知らずの文化」だよ。

 小沢幹事長もおかしいよね。腐臭ふんぷんたるものだ。「国策捜査だ」と息巻いていたのに、嫌疑不十分で不起訴が決まったとたん「厳正な捜査の結果、私には不正はなく潔白であることがわかった」と豹変した。しかし、不動産フェチということはわかったね。一方の検察も裏金を実名で告発しようとした大阪高検公安部長を口封じ逮捕したことで、検察が正義だとはだれも信じなくなった。ぼくは検察も小沢幹事長も信じないね。検察に対して外務省の密約調査みたいな隠蔽体質を剥ぐ調査はできないのかね。

 ぼくは厚生年金が収入源である。他の雑収入と合わせてもぼくは年収300万円。65歳以上の高齢者は2025年には30・5%になる見込みだし、社会保障制度が崩壊寸前だ。いや、日本自体の破局がありうる。この恐ろしい事態をうすうす感じていたから、われわれは政権交代をして破局を回避しようとしたのではなかったか。だが、鳩山さんはその自覚がないようにみえる。未来構想力のある政治家と早く代わってもらわねば。若者よ、坂本竜馬はいないのだ。政治に頼っちゃいけないよ、自分自身で食っていける専門性をもって羽ばたいてくれよな。結局は自分だけが頼りだよ。





おてんば娘の光と陰

 きょう木曜日発売の『週刊文春』と『週刊新潮』の格好のネタと思っていた愛子ちゃんの登校拒否問題は、やはり両誌が飛びついていた。主タイトルは、文春が「愛子さまいじめ 学習院の『崩壊』」、新潮が「『愛子さま』不登校の全真相」。ぼくは学習院初等科内の子どもの問題をどうして公表したのか、学校で自己解決の努力はどの程度したのか、その点が気になるが、いったん表に出た以上、週刊誌がどう周辺を洗い出してくるか、注目する向きも多いだろうと思う。なにしろ、日本人は皇室関係の話題は、おおっぴらに言うのがはばかられる雰囲気がある分、微妙に大好きときているからね。

 ぼくは皇族といえども、愛子さまというのにいささか抵抗や照れがあるので、愛子ちゃんと一般的な呼び方で通すが、新潮が「愛子さま」とカギかっこ付きで広告コピーを表現したのも、ぼくと似たような心理が働いたからかもしらん。昭和天皇が病気療養しているとき、ニューズウィークの英語版は「天皇はがんだ」と明らかにした。日本版はそれを伏せた。編集長から相談されたぼくは「日本ではがんの告知はまだされてない。天皇も同じ日本人だから、同じようにがんであることは隠しておくほうが人情だろう」とぼくは判断した。21年前の話である。いまは告知が当たり前の風潮だから、即決掲載だ。

 愛子ちゃんの不登校や不安感について、ぼくは特別関心があるわけではない。愛子ちゃんは運動会のようすなどから察して、ひ弱ではなく、むしろおてんばだという印象をもっていた。おてんばという言葉は、子どもたちが屋外で活発に遊ぶ機会が少なくなって、使われなくなった。実際おてんばの女の子も見受けなくなった。マスコミはおてんば好みだが、それは、この子は心身がたくましいだろうと考えるからだ。もうとっくに、これが錯覚であることに気づいてはいるんだが、いざ面接になるとまた内定を与えてしまう。採用側はいつまでたってもおてんば娘の内心を見抜けない。女好きのおじさんが面接するからだろうね。

 新人はすぐ心が折れる、どう扱ったものか、という上司の悩みはずいぶん前から聞かされた。男子は出社拒否、女子は拗ねる、泣く、辞める、というのがマスコミとくに新聞の典型的なケースである。ぼくが辟易するのは、思いこみの激しいペン森生。マスコミ人は思い込みもある種の資質ではあるが一方、それは宗教と同じような思考、感情、心理の固定化だから、その壁をはがすのがぼくの仕事となる。本人は柔軟な発想が不得手なのに、森羅万象を対象とするマスコミを志望する。その行き違い。行き違ったまま内定すると、上司がいくら腫れ物扱いしてくれても、本人は不幸感を引きずったままだ。やりきれない。

 学習院の問題では愛子ちゃんよりも、乱暴少年とされたほうのこれからが心配。騒ぎはこの少年の背にどれだけ被さってくるのだろうか。ずっと引きずったまま人生を送る、やわな親や本人でなければいいが。愛子ちゃんはおてんばさんになってほしいね。

気概と情熱の告発型メディア
 無名のマイナー雑誌には、それをつくったひとの心意気や情熱や使命感がこもっていて大マスコミとは違った趣がある。ぼくが愛読している『自然と人間』もそんな雑誌である。これは97年に創刊されたリニューアル版だが、反権力と環境問題(自然)に力点をおき、主張のはっきりした雑誌である。ぼくは一時、編集顧問としてかかわったことがあるが、いまは単なる一読者にすぎない。大学で教えていたころ、教材として重宝した。活字を読まない女子大生たちに記事のコピーを配って、リポートや感想文を書かせた。

 3年前に出したのは、たとえば次のような課題だ。「『ナラ枯れ』」という現象が、東北の里山にひろがっている。この現象を書いたコピーを読んで、どうしてそれが広がったのかという背景を考察しながら『ナラ枯れ』が示す警告について記しなさい。800字」。ナラという樹木はブナ科の落葉樹でたまご型の葉にノコギリ状にギザギザに切り込みがある、あの高木だ。こう説明すれば山へ行くひとや田舎育ちのひとはすぐわかるだろう。それが原因不明で枯れはじめているという記事であった。原因不明とはいえ、酸性雨とか病原菌とかそれらしき推測はもちろん専門家によってなされていた。

 樹木や里山に関心のない女子大生にとっては、なじみのない課題だったかもしれないが、
ぼくのねらいは、とにかく読んで考えてもらうというところにあった。それによって旅先や近所で林や森を見る目も変わってくるかもしれない、と期待したわけである。こういう1センチずつの積み重ねをぼくは大事にしなければといつも思っている。自分自身はずぼらで無計画だけど、若いひとにはそれを求める。1センチ前へ進んでもらう。それがぼくのペン森創立の真髄でもある。ペン森もマイナー雑誌と同じく、志や情熱やロマンは14年継続してきた。当然ながら、平坦ではなく濃淡や浮き沈みはあったけどね。

 『自然と人間』の3月号は特捜批判が大きな柱になっている。魚住昭、三井環、大谷昭宏氏などが寄稿している。『週刊朝日』も検察に対して激しく痛罵しているが、検察の劣化とうさんくささ、不信があからさまになったのは、三井環氏の逮捕であったとぼくは思う。三井氏は大阪高検公安部長の職にあった02年4月、検察の裏金づくりを告発しようとして逮捕され、15カ月の実刑判決、08年に確定・収監され、今年1月18日に満期終了し、出所した。逮捕は裏金づくりをふさぐための明らかな口封じである。まるで江戸時代みたいな権力の好き勝手がまかり通って気味悪い。厚生労働省、村木厚子元局長の公文書偽造事件もどうも冤罪の感じになってきた。特捜は権力行使禁止だね。罰則も必要だ。

 大手メディアは検察・司法批判には及び腰だ。このようなメディアの精神の衰退現象に鋭い問題提起をしているのが『マスコミ市民』という雑誌。元NHK記者の川崎泰資氏が率いている。ペン森は、気概も情熱もあるうちに告発型の新メディアをつくりたいねえ。

会うは別れの始めなり
 最近は『時刻表』が愛読書になった。旅雑誌もよく購入する。実際に列車に乗ったり温泉に行ったりすることはめっきり減った。『自遊人 温泉讃歌』や『男の隠れ家 秘密の湯宿』『旅行読売 定宿にしたい温泉宿』など雑誌温泉特集をながめては想像したり妄想したり、それだけが愉しいという、かなしい老人だ。3月まで、ペン森合宿に参加したのみという近来にない引きこもり状態がつづいている。学生の合宿もグアムや中国で行なう時代だというのに合宿は近場の山梨県・塩山。旅情を味わう距離ではない。

 でも4月、5月になれば、北陸への旅が2件ひかえている。まず春休みの孫娘と、次いでペン森10期生の女子と能登半島へ。孫娘とは昨年、秋田・男鹿半島へ行った。北朝鮮のテポドン騒ぎの最中だった。これはブログにも書いた。今度は北陸。高校1年生の女の子とのふたり旅は、援助交際と誤解されないだろうか、それが気になる。帰りは金沢,富山から飛騨高山に寄って、飛騨牛を食うつもり。宿泊地はまだ決めてない。温泉ということになるが、2泊目は近年評判の岐阜県奥飛騨・福地温泉もいいね。

 10期生女子は旅や温泉のプロ、宿と予約は任せておけばぼくも安心。このひととは数年来、年2回出かけているが、なにしろシベリア、中国の奥地、アフリカと世界の僻地へ単独でひょいひょいと出向く。だから、このひとが行く先に選ぶ温泉は山奥の秘湯方面になりがち。彼女は残念ながら運転ができない。今回の能登半島は雪が消えたころを見計らって、ぼくが運転するレンタカーで回るつもり。宿泊する宿はもう決めてあるそうだ。おそらくまた、野鳥の鳴き声だけが騒々しい、ひなびた秘湯だろう。しかし、どうなるか、どうも様子が変わってきたようだ。彼女は知らぬ間に恋愛中なり。

 彼女はごく最近、ペン森を訪れた。彼氏ができたとの報告。1カ月前に2人で温泉にいったそうで、それがなにを意味するか。最後の一線を乗り越えるのがあっさりと素早い。屈託がなく羨ましい。ぼくは、何回もふたり旅をしたのに、彼女の手さえ触ったことがない。老人と20代後半の女にしては、健全というか不健全というか、ぼくは、家庭は裏切らず、世間の期待は裏切ってきた。結婚するわけじゃないから、まだふたり旅はできますよ、と彼女は嬉しがらせるが、さてどうだか。彼氏のいる身で能登行きが実現するかどうか。実現しても彼女とはなにもないまま、最後の旅になるのだろう。教え子だからね。

 つまるところ、孫娘とは年1回の旅が恒例となり、ふたり旅常連とは終焉を迎える、という流れである。こうして新しいことがはじまり、なじんできたことが終わる。人生は、出会いと別れと男と女で成り立っているが、ペン森も14期生が卒業していく別れの季節がめぐってきた。ぼくは、同行相手は男女関係なくふたり旅を2期生から13期生まで連続していたが、ついに14期生とは縁がなかった。ふたり旅も途切れそう。切ないねえ。



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