ペン森通信
過去を捨ててきれいになった
 ペン森は同じ神保町2丁目にある行列のできるラーメン屋「ラーメン二郎」の神保町店の真上に引っ越す。2月1日からそこで開講するつもりで準備を進めている。なにしろスペースはいままでの3分の1とかなり狭くなるから、手持ちの備品はそうとう削除しなければ収まりきらない。廃棄がかなり出る。論作文を書く長机も半分はいらないし、備品の収納場所も限られる。全体の7,8割は捨てることになるだろう。

 ぼくはきのうから専用の机回りの整理をはじめた。両袖に4段ずつついている引きだしの中を整理していたら、大量の写真やら書き物がでてきた。ペン森に学生のプロボクサーが通っていたことがあるが、かれは試合前、AVやらいかがわしい本の類を全部処分していたそうだ。もしダウンして再起不能になったら・・・ということまで考えて試合の臨んだという。ぼくも飛行機に搭乗するとき、チラとそういうことが頭をよぎる。そういう心配を防ぐには飛行機に乗らないことだ。ぼくはそれを実行している。引きだしにドキッとするものがこんなに入っていたとは、引っ越しを機に発見できて助かった。

 問題は書き物である。写真を見ると、毎日新聞からTBSブリタニカに転職したときの励ます会のシーンもあった。筑紫哲也、中村武志さんも写っている。25年も前のものだ。書き物も当然、25年前のものからのものがあって、それはぼくが書いたものだけではなく、もらった手紙も含まれる。女性からの告白調の恋文めいた内容のものを保管していたからいやらしい。数人から何通ももらっている。いまや昔、もしかしてぼくはもてたのだろうか。もう名前さえ思い浮かばない女性もいる。あっさり全部廃棄処分。

 名前をよく憶えている女性との交換日誌もでてきた。間をおいて数年ずつ4人と原稿用紙ノートにつづっている。これが30冊以上にのぼった。学生時代から本についてしゃべったり書いたりしていたので、本や作家に関する内容が最も多いだろうが、感情の起伏にまかせていま読んだらとても恥ずかしいことも書いているにちがいない。最早、ページをめくる気も失せているが、微妙にして秘密的なな行動や表現も必ず記録してあるはずだ。とても第三者の目に触れさせてはいけない。

 おかげで過去をすっかり精算することができた。写真は取り置いたものもあるが、書き物はすべて処分した。ぼくが有名人であったら、貴重なものもあったはずだが、有名人でなくてよかった。これで引っ越し万歳、死ぬときに気に病むこともなくなった。きれいなまま、なんの気兼ねも、汚れも、わだかまりもなく、すっきりと人生にさよならできる。あいつ、絶対なにか隠してるといっても後の祭りだよ。


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やぶれかぶれは見果てぬ夢
 以前にこのブログで紹介したことがある開高健『人とこの世界』(ちくま文庫)を毎日寝床で、すこしずつなめるように読んでいる。この本は連続人物評論集である。佐野眞一は「開高のノンフィクションというと、『ずばり東京』や『ベトナム戦記』、「オーパ!」の世評が高いようである。だが私の見るところ、『人とこの世界』が描き出した深々とした世界には及ばない」と解説で一押しの弁を述べている。

 評論の対象になっている人物は、もはや若い世代にはなじみのなさそうな以下のメンバー。広津和郎、きだみのる、大岡昇平、武田泰淳、金子光晴、今西錦司、深沢七郎、島尾敏雄、古沢岩美、井伏鱒二、石川淳、田村隆一。ぼくはこのなかのだれにも面識はないが、作品は読んでいる。島尾敏雄の『死の棘』は病妻もので知られるが、妻の病気は心の病である。20年くらい前、誰彼となく、勧めたものだ。浮気をした夫が狂気の妻に執拗に責め苛まれるるいう、心理の微細をきわめた私小説。戦後文学の最高傑作という人もいる。読んで陰鬱になりたいかたは、新潮文庫にあるからどうぞ。

 ぼくが改めて興味と憧憬を刺激されたのは、きだみのる、金子光晴、深沢七郎。いずれも漂泊放浪やぶれかぶれの、天下の自由人である。鹿児島県奄美大島出身のきだは、パリ大学に留学したフランス語の名人だった。束縛きらいの特異な人物だったらしい。八王子の恩方に長いあいだ住んでいて、不意にいずこかへ出かけた。行き先は東南アジアだったりモロッコだったりした。このへんは金子光晴と似ている。昭和18年の『モロッコ紀行』は日本人が書いた外国旅行記の最優秀な1冊と開高は絶賛している。

 ただ金子は妻を伴うが、きだは独りである。「家庭団欒などは見ていてヘドを催すな。女は発見や前進の危険を冒さんですよ。女は安定のなかにいたい。家庭だなんてのは女の発案でね。たえず変るものには耐えられないのだわナ。餓死と贅沢のあいだを往き来するというようなことは女にはできないのだ」。真実を衝いてけだし名言のようにみえるが、時代は変わって、女を現代の男に当てはめれば、草食系男子かマイホームパパに当てはまるんじゃないの。きだの感懐は男が猛々しかったころの話。

 開高「当時60歳のきださんが20代の私に向って、私がきださんのように文体をいつまでもみずみずしく若く保つためにはどうしたいいか、とたずねたら三つの方法があるときださんはいった」。1つは横文字の本をたえず読めということ。2つ目は文壇づきあいをするなということ。「けれど最後のが非凡で唐突でした。女とやるときに上に乗るなというんです」。あれま、71歳のぼくには3つとも関係ないね。だけど、自由人ってなんと着想も超越していることかと感心する。老いて肉体は不自由をきたしても、精神は自由を求めてやまない。やぶれかぶれは男の見果てぬ夢です。

小沢も特捜も大嫌い
 小沢一郎に一回政権をとらせたい、と言ってはばからないペン森女子が数年前にいた。えっ、あんたは小沢シンパなのかと驚いた。ぼくは当時から小沢が大嫌いだった。でも小沢は嫌いだ、とんでもないと反論すれば、ぼくが彼女から嫌われるかもしれない、という恐れから「そうだね」とあいまいな返事をしてやりすごしていた。小沢ごときをめぐって軽く手さえ握らせてくれる彼女と悶着を起こしては、なんの足しにもならない。

 ばりばりの事件記者に成長した彼女は当初、支局の上司や同僚や取材先の警察官とどのように接したらよいか戸惑い、悩んでいた。好き嫌いのはげしかった彼女なればこそ、好きな仲間うちだけでわがままが通せた学生生活とは極端に異なる社会のなかに放りこまれて参った。あの人は嫌いだから取材したくない、というわけにはいかないのである。支局内で口もききたくない上司とも打ち合わせをしなければならないのである。体臭のきつい同僚と机が隣り合わせになっても我慢しなければならないのである。

 嫌いな人を好きになるのは非常にむずかしい。好きな人を嫌いになるのはきわめて易しい。ちょっと話はそれるが、ペン森では熱愛カップルが結婚にゴールインという結果になる例はあまり多くない。相手が嫌いになったかどうかは知らないが、少なくとも好きだという感情が持続できなかったわけであろう。好きな人を嫌いになるのは簡単という例は2分何十秒に1組という離婚の多さをみれば明らかだろう。ペンラブから結婚に至ったカップルの離婚例は皆無である。同慶の至り。

 ぼくは小沢一郎の記者会見における傲岸不遜な態度も嫌いだが、「カネの力」と「数の力」を信奉するようなところにも反発する。おそらく特捜部も世論は小沢の応援団ではないと踏んで元秘書の石川知裕衆院議員らの逮捕と関連先の家宅捜索を強行したにちがいない。折しも民主党大会の直前の強制捜査だったから、特捜部が政権党にけんかを売った塩梅になった。ぼくは嫌いな小沢一郎が追いつめられて内心、快哉を叫んだ。小沢ファンのペン森卒女史はこの事態をどう思っているのだろうか。彼女は人間関係にうまく折り合いをつけていい記者になったが、好き嫌いのいやみが消えた。独特の味がなくなったのが残念。

 ぼくは大学で教えているとき、かわいい子にはどうも甘い評価をした。挨拶をしてくれたり、話しかけてくる子にも悪い点はつけづらかった。大学教授は冷静を装っただけの感情人間なのである。小沢ケースについて、検察も人間だから、というコメントがあったが、特捜部は法律にしたがって厳正中立にというが、感情に支配されたところはなかったのだろうか。検察は小沢一郎が大嫌いだとぼくはみる。だが小沢一郎が実質的に犯したカネの犯罪要素は、いまの時点では見当たらないし、特捜部はどのようなストーリーをつくってそれを当てはめていくのだろうか。小沢民主党と検察との大乱闘に期待しよう。どう転んでもどっちも嫌いだけどさ。

日本人よ頭を耕そうぜ
  ぼくの実家は林業だった。炭鉱の坑内の壁面を支える材木を扱っていた。昭和30年代の半ば、ぼくが学生を終える時期だが、エネルギーが石炭から石油への交代が顕著になった。このエネルギー転換によって当然、日本の産業構造にも大変化が起こった。農業が衰退傾向になるのもエネルギーの転換がおおいに作用する。多種多様な農機具の動力源として石油が使えるようになり、労働力が様代わりし農作業にじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんが従事する「三ちゃん農業」がはじまのもこのころからである。

 そしていま、メディアも大転換期にさしかかっている。数歩先をゆくアメリカでは職を失った新聞記者が2万人におよんでいるらしいというから、ただごとではない。日本では今年2010年には新聞広告はインターネット広告に抜かれるだろうといわれる。4月から毎日新聞が共同通信に加盟し、毎日の地方紙の記事受け入れもメディア再編の動きのひとつだろう。産経と時事が統合するかも、との噂も流れている。

 メディアも統合再編してすっかり風景が変わるのはまちがいない。みずほ銀行やりそな銀行の元は何銀行と何銀行がいっしょになったのかわからなくなったと同様、20年くらいたったらメディアも産経、毎日、DOCOMO、文化放送、TBS,角川出版と入り交じって、元がわからない時代を迎えるにちがいない。活字離れ、携帯電話の普及、インターネットの興隆などに加えて広告収入のダウンが重なって既存メディアは青息吐息、瀕死の状態に陥っているところすらある。

 石炭から石油への転換でぼくの実家は傾いて、こんどはメディアの構造変化によって、もともと傾いていたペン森は傾きすぎてひさしが地面に着いたような塩梅である。それでもメディアというかジャーナリズムに対する期待があって、ぼくは未来ある若者を未来なきメディアに送りだそうという意欲が消えない。受講生は信じられないくらい少なくなったが、それこそ少数精鋭が集ってきたと思えば納得もいく。物質欲に逆らう彼らが、われわれが失いつつある精神の香気を高めてくれるものと信じたい。とくに活字メディアの衰退はとりもなおさず、知性や文化の衰退につながるのだから。

 ぼくは実家が林業だったせいなのかもしれない。農業、漁業、そして農山村、寂れた漁村にいたく心が動く。最近、日本全体が祭りも含めて、郷愁めいたふるさと感覚を求めはじめたような気がする。物質主義や合理主義、人工主義への反省がはじまったのではあるまいか。ジャーナリストはそこを見逃してはなるまい。世界ナンバーワンより世界オンリーワンだ。内田樹の『日本辺境論』もそこのところにフィットした。ペン森の精鋭たちには「辺境ルポ」をどんどん課したいと考えている。竜馬の洗濯にならって、日本人は頭の耕作をしなきゃ。耕すという意味の源は文化と同義じゃなかったかな。

ペン森卒の2記者につづけ
 いまや、なにも決めない迷走先送り総理とバカにされる鳩山さんは、神経がないのか太いのか、そのどちらかだろう。神経が太くて鈍感すぎるのかもしれないが、ぼくみたいな細くて鋭敏すぎる人間にはまことにうらやましい体質だ。引っ越し検討中のペン森は行き先がなかなか決まらず、ぼくは年末年始、そのプレッシャーために酒に逃れた面もあったのである。だから、リクルート事件を自分の立場から書いて明かした江副浩正氏はよく耐え抜いたと感心した。

 ペン森はかつてないほど受講生がすくないので、まったく張り合いがない。その上、引っ越しの金策をしなければならず、半病人を抱えた年金生活者としては頭がいたい。酒に加えて睡眠薬を半錠飲んで寝につく状態がつづいている。助かるのは時刻表や温泉宿のネットを開いて旅の想像空想を愉しむ趣味をもっていることである。同行を約束してくれるペン森生もいるのがありがたく、窓外を流れる雪景色の想像空想が、現地に着いて宿では?と妄想に発展したりし、にやついて寝入ることもある。

 今朝はペン森卒業生の記事が朝日と毎日をそれぞれ飾っていて、朝から気分がいい。朝日は一面に青木幹雄氏の参院選への立候補を報じる南彰記者の書名記事。それだけでなく南記者は内政面の半分を埋め尽くした大型企画「探訪保守」も書いている。これは昨年連載した「探訪保守」と同じく、竹下登首相を生んだ公共事業王国の島根に切り込んだルポのつづきである。前回の最終回が年末年始に再訪しなければ、と読者に約束して終わっていた。その約束を自分だけの目、耳、体感を武器に見事なペンさばきではたした。前回の連載を見て「朝日のルポ記事はすばらしいですね」と感嘆するペン森15期生がいた。あの記者はペン森生だよ、と教えたら、びっくりしていずれあんな記事を書きたい、と意欲をもらした。

 特異な才能を見せて調査報道をしているのは毎日の杉本修作だ。ペン森出身者から新聞協会賞を受賞する記者が出るとすれば、かれがいちばん近い距離にいるだろう。かれは小沢一郎氏の金銭疑惑を執拗に追って、疑惑の黒い幕をすこしずつ開けている。かれが最初に金銭疑惑を報道したとき、小沢氏は、あれは自民党が仕掛けたものではないか、という意味のことを言っていた。そんなことはまったくない。見当はずれだ。ぼくも杉本の相談にのったのだからね。

 ペン森引っ越し先の第一候補のめどはついているが、そこでもまだ家賃負担が大きい。受講生を多く受け入れて受講料収入を増やすのが最もいい方法だ。もうひとふんばり、土曜日も開講しようかと思う。受講生が自分の頭で考えるルポ実作演習も組み入れたい。南記者や杉本記者につづく才能、熱意がもっと必要な社会になるから、と神経の細いぼくは考えている。

取り調べ可視化を主張する江副本
 あけまして、二日酔い。元旦からずっと昼間から飲んでるか、二日酔いだった。それでもお歳暮の酒は消費できなかった。読書も進まなかった。ジョージ・オーウェルの『1984』は途中で頓挫したまま、年を越した。今年にはいって1冊だけ読了したが、これが大当たりで酒三昧の身が震えた。『リクルート事件・江副浩正の真実』である。東京地検特捜部の取り調べ過程が、佐藤優『国家の罠』以上になまなましく再現されている。

 リクルート事件は、昭和63年6月18日の朝日社会面トップにリクルート川崎テクノピアビル建設に関して、川崎市誘致時に助役がリクルートの関連株を取得した、という疑惑を報じたのがきっかけで報道が過熱、政界を巻き込んで燃えさかった。この本で改めて明らかにされるのは、取り調べは検察幹部の合同会議で筋書きが決められ、下っ端の取り調べ検事は強引に、ほとんど人権無視をしながら筋書きどおりに調書を仕上げて上の了解を得なけければならない、という旧軍隊のような実態である。

 江副氏は房中ノートに取り調べの様子や文言を記録していた。本の内容は緻密にして冷静。顔が壁にくっつきそうなくらい壁に直面して思わず目をつむってしまうと耳元で怒鳴られる。座っていた椅子の脚に足払いをかけられ転がされる。ましてや無罪の可能性すらあるほど賄賂性の実体が希薄なのに、筋書き調書に署名しなければ許してもらえない。取り調べ過程を振り返れば感情が激して、とても冷静な筆致は保てないだろうと思うのだが、江副氏の感情の抑制はやはりただ者ではない。

 あとがきに「本書に関し、天野勝文氏の助言を受けたことを記して感謝したい。私は天野氏と東大新聞の広告セールスマン時代に出会いがあり、リクルート時代には仕事の節目節目で助言を受け、長い間兄事してきた」とある。天野氏は東大新聞の出でメディア論の学者である。ペン森にも年に2,3回顔を見せてくれるぼくの知り合いだ。兄事しているという点では江副氏と共通している。江副氏とは面識はないが、妻だった江副みどりさんとは顔合わせをしたことがあり、今年も年賀状をもらった。江副氏の夫婦関係はさむざむとして、不幸だったようだ。

 リクルート事件から21年を経て、なぜ江副氏はこの本を書いたか。権力構造の一端を占めて、無抵抗に突っ走るメディア批判も耳に痛いが、江副氏が訴えたいのは取り調べの全面可視化だ。「日本の司法制度は、諸外国でも稀な密室での取り調べによる検事作成の調書に重きを置き、調書の中の有罪になる部分のみが開示される。その結果、有罪率は99・8%前後に達する。裁判員制度を導入してもこうした状況が変わらなければ公正な裁判にはならない」という主張は取り調べの対象になった実体験があればこそであろう。可視化の世論喚起にはぼくも大賛成だ。99・8%の有罪の裏にどれほどの無罪が隠されているのだろうか。マスコミ志望者必読の本だ。



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