ペン森通信
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八ッ場ダムの住み込みルポ
  いま、ぼくが新聞記者をめざしている学生だとしたら、八ッ場ダムの群馬県長野原町、あるいは熊本県球磨川水系の川辺川ダムの五木村に住んでみよう、と思うだろう。いずれも民主党がダム建設中止を明示しているところである。前原国交相の八ッ場ダム視察では、前原大臣は門前払いをくらった格好になった。仕組まれた門前払いではなかったか、とぼくは疑っているが、現場に住みこんで調べ尽くせば内幕が明らかになるにちがいない。

 このダム問題がどのようなかたちで解決をするかわからない。1年くらい住んで地元住民との信頼関係ができていれば、解決していなくても、新聞やテレビのように折目節目にわずか1日取材するだけで、かれらよりも深く掘り下げたレポートができるだろう。1年間在住したら、住民に対する全調査も可能になる。人間ルポの対象人物も抽出できるだろうし、過去から現在にいたる賛否をめぐる住民の愛憎ドラマも描けるにちがいない。

 マスコミ志望者のESには「弱者や被災者に寄り添う」という表現がよくでてくる。寄り添う、というのは自分が上に立った状態のような印象を受ける。同じ目線で確認したいなら住み込むか、同居すべきだろう。ぼくはそれがジャーナリズムの現場主義の根幹と思う。もしかしてどこかの社会部がそのような指示を出して、記者を住まわせているかもしれない。そうだとしたら、その取材精神に拍手を惜しまない。

 計画中のダムは全国で143基あるというが、もちろん八ッ場や川辺川のストップは無駄な公共事業の見直しだけでなく、政官業の癒着や利害構造や慣習にメスを入れるという側面もある。民主党はしがらみがないから思い切ったことができるといっている。しがらみは談合やコネとほとんど同義で、民主党もいずれ日本的なコネ社会に染まってしまうんだろうね。小沢ガールズだって、なんらかのコネを辿って発掘したわけだろうからさ。

 ぼくが民主党を支持しているのは、ただ一点、未来責任が感じとれるからである。温暖化防止にしても、子ども手当てにしても、ダムストップにしても、現在世代よりも未来世代が恩恵を被るし、場合によっては未来世代の生存権を保障しようとするものだ。自民党の新総裁が地味に地味な谷垣さんに決まったが、いまどき保守をアピールしたいなんて相変わらずピンぼけ。河野太郎にして、激しくぶちこわせばまだ外野も楽しいのに。自民に明日はないね。この政党に明日を託さずによかった。

 沢木耕太郎には住み込みノンフィクションの傑作がある。『人の砂漠』(新潮文庫)という初期のころの作品。ぼくが読んだのはもうずいぶん前、40代のころだったが、いつかはおれもこういうノンフィクションを書いてみたいと刺激された。しかしただ無為に飲んでいまに至る。八ッ場ダムの長野原に住みついて書く若者はいないのかね。

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暗闘の自民戦国史と幸夫人
 鳩山さんの外交デビューは上々という評価だね。幸夫人も華やかに堂々と国際社会に顔見せしたし、今度の総理夫妻は日本人離れして目立つねえ。鳩山総理は略奪婚らしいが、よくあんな派手派手しい異星人のような女性にほれたもんだ。疲れるだろうなあ。尻に敷かれることで快感を覚えているのかしら。ぼくは年配女性が苦手でね、20代女性にしか親愛の情は感じないから、賑やかな幸夫人と夫婦になった総理はそれだけですごい、と感服する。

 新政権はなにもかもにわかに始動したが、まだ実際には動き出していない。どうせ、やるやる詐欺みたいに終わるんじゃないの、終わればいいのに、といまは行方不明みたいに姿の見えない麻生前総理は陰で思っているかもね。漢字が読めない前総理の迷走ぶりは『自民崩壊の300日』(読売新聞政治部/新潮社)に詳しい。ぼくは一気読みしたが、よくぞこんな人を日本国の最高責任者にたてまつったものだと改めて赤面したよ。

 嫉妬や猜疑心や恫喝や陰謀が渦巻く政界実録ものがぼくは好きで、現在は『自民党戦国史』上下(伊藤昌哉/筑摩文庫)をなめるように読んでいる。筆者は西日本記者から転じて池田勇人元首相に仕え、のちに政治評論家になった大物。まえがきにいう。「この書は池田元首相の創設した宏池会を中心に、大平正芳という政治家が派閥の領袖から首相となり、病を得て死去するまでのことを、私とのかかわりを通して記述したものである」

 つまりは三角大福中の大を中心にした自民党戦国武将たちの暗闘を克明に描いており、歴史上の日本統一の武将列伝よりもぼくにとっては刺激的である。三角大福中の、三木も角栄も大平も福田も中曽根も名前だけはおなじみだし、国会でロッキード事件の証人喚問取材もしたから、自分の体験と重なる部分もある。ついでながらこの本は記者ものとしてもおもしろい。当時の政治記者は政治家べったりだったんだね。いまもそうかもしれないが。

 「政治には一種の狂気がある。解決を迫られるいろいろな難問の中で生きようともがく政治家の精神は、異常な高ぶりを示し、そこから通常では考えられないような行動が出るものだ」とつぶさに政治家をみてきた伊藤は書いている。異常な高ぶりは政権交代したばかりの民主党閣僚に当てはまるだろう。長妻、前原、岡田大臣は通常では考えられない狂気を持続して、難問の解決をしてもらいたいものだね。

 この精神の高揚という心理状態は就職活動にも通じるもので、採用試験に臨んで高ぶりがなければ相手を飲み込む迫力は生じない。そのような迫力は生まれつきではなく、日々一歩一歩の集積の表現であることは当然だよ。幸夫人の言動は生まれつきだから真似しちゃいかん。ぼくは目立ちたがりやよりも20代楚々美形が好みだなぁ、まあ関係ないか。

政権転換よりもNHKはのりピー
 ①17日午後7時のNHKニュースのトップはのりピーの謝罪会見だった。この日は鳩山民主党政権の事実上の初日。それこそトップニュース級の政策転換が大半の省で各新大臣によって発信された歴史的な日だった。中央集権の権力機構が音をたてて、きしんだ日だったのである。それをこともあろうに、日本の代表的な報道機関がのりピーとは、ポピュリズムきわまれり、である。NHKはまだ自民党とのしがらみから脱しきっておらず、自民党への遠慮がそのような選択をさせたのだろうか。あるいは視聴率アップの欲にかぶれたばかりに判断を誤ったのだろうか。民放は無料だから文句はいえないが、NHKには高い受信料を払っている。こんなニュース判断に受信料は払いたくないね。不払い運動に参加したいくらいだ。

 ②今年のマスコミ採用活動は時事通信の面接を残すだけとなった。マスコミはどこも採用人数を絞り込み、これまでにない難関となった。内定に届かなかった学生も多く、就活を延長して来年を期すケースも目立つ。しかし来年、景気回復によって、あるいはマスコミをめぐる構造変化によって、採用がふえるという保証はどこにもない。来年もまた、採用は厳しいとみたほうが当たっている。「メディアに明日はない」と前回このブログで書いた。あまり読まれないブログだが10拍手も反応があった。反応が数多いとやはりうれしい。NHKもこのような素朴な心境だったのかもしれない。でもニュースで視聴率を気にしたとすれば、尋常ではない。面接で「政権交代」と「のりピー」のどちらをトップにするか、と聞かれて「のりピー」と答えたら、うちは民放じゃないと威張って、落とすに決まっているのにさ。

 ③新政権とメディアの関係は雲行きがあやしい。鳩山内閣が打ち出した「官僚による記者会見の禁止」が国民の知る権利に制限を加え、ひいては報道の自由を侵害するものだ、という反発である。一方で民主党は情報開示を謳ってきた。記者クラブの開放も約束している。記者クラブは既存マスメディアが官庁発表を独占的に聞ける存在であるから、それに対する牽制もメディア側にはあるだろう。
発表はトップの次官会見をはじめ、局長会見などほぼ毎日ある。これが官庁詰め記者のニュース源または情報源となっているが、記者クラブの開放ということはクラブ所属記者の独占形態が崩されるということだ。雑誌、専門紙、フリーランス、インターネットなどの関係者にも門が開かれるということになる。国民の知る権利の間口が広がることを意味するから、これはすばらしい。「官僚による記者会見の禁止」はすでに次官会議も取りやめになっている。次官会見hz実質を失っている。
 次官会見では翌日の閣議に各省庁から上げる案件を事前に発表して官僚内閣制の色合いが濃かったので、民主党は次官会議の復活は許すまい。記者会見は次官会見以外、従来どおりに落ち着くのではあるまいか。


政権交代よりもNHKはのりピー

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マスメディアに明日はない
垣根涼介の小説、山本周五郎賞に輝く『君たちに明日はない』(新潮文庫)はリストラに遭ったひとの首切り面接官を主人公にしていて、身につまされる。ぼくはこの題名をみて忸怩たる思いがした。マスメディアで働く君たちの明日はない、というふうに読めたからである。ぼくは未来のない業界に有為な若者を送り出しているからやるせない。これからは会社は潰れても、食っていける人材を養成せば。

 最近のぼくの口ぐせは「既存のメディアをねらうのではなく、新しいメディアを自分で考え出したほうがこれからの時代にはいいぞ」というものだ。既存の大メディアはとくに新聞の退潮がいちじるしい。毎日と産経はこの秋、採用を見合わせた。これは経営が苦しいから採用に手が回らないないわけで、社員の感情からすると、もう先はないという悪い予感に結びつく。毎日は91年のバブル末期には、150人の新卒を採用していたのである。

 基礎体力のない毎日、産経だけでなく、盤石と信じられていた朝日も赤字、日経は特派員を8人帰国させて2人しかださない。新聞経営はいうまでもなく販売収入(部数)と広告収入の2本柱で成り立っているが、部数は減る一方、広告も激減しずっと1兆円で推移してきたのが、09年は6000億円にまで減少する見通し。大学生が新聞を読まなくなって久しい。それだけ、新聞には余分な記事が多いということだろう。全部をくくるマス機能は最早、必要でなくなった。ぼくも読まない部分のほうが多い。

 週刊新潮が新聞業界のタブー、押し紙について告発する記事を載せた。押し紙というのは販売店にだけ届けられ、読者には配られない新聞のことで、部数水増しの悪習である。過剰な部数は広告主にとっては詐欺みたいなごまかしだ。それだけではなく、新聞広告の費用対効果にも疑問がついてきたのだろう。新聞は格安旅行と通販の広告だらけになった。おそらくそれもダンピングだろう。

 きのう9日、三省堂本店を覗いたら、『20011年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚/文春新書)という本が新書部門の売れ行きナンバー2だった。面識はないが、筆者は毎日出身のフリージャーナリストで、『文藝春秋』10月号にリポート「大新聞が潰れる日」を書いている。きわめて実証的で新書もリポートも示唆に富んでいる。ついでに『新聞が危ない』(本郷美則/文春新書)も読むとよい。こっちの筆者は朝日出身。新聞は衰退一途の自民党みたいになってきた。

 メディア状況が先行するアメリカでは2000年から6万人以上の記者が解雇されたという。日本も近い将来そうなると佐々木はリポートする。では明日のない君たちはどうすればいいか。志望のマスメディアに入ったら、取材や表現法や人脈を盗むことだ。力をつけて転職せよ。自分で他のメディアをつくれ。ネットにはまだすき間がありそうだぞ。マスメディアは全部が消滅するのではなく、銀行のように元の名前がわからないくらい合併統合し、変質して残るだろう。マス機能はなくなってもメディア機能は、社会が必要とする。追求するテーマや専門をもったオンリーワン記者にならねば、先はないのだよ。


パス回し社会からシュート社会へ
  オランダに3-0で敗れたサッカーの日本代表について、英ジャーナリストの観戦記をきょう8日の朝日が載せている。「こんなサッカーは初めてだ。前半の日本は素晴らしいパスと知的なプレスで中盤を支配した。だが、シュートがひどい。こんな落差は見たことがない」。いつもながら日本はシュートができる位置にいるのにパスして、ボールを回す。シュートしないから、点が入るわけがない。日本サッカーを見るたび、日本社会が透けて見えて、気分が曇る。

 シュートの決断に欠けたもどかしい試合運びをわれわれは、何度経験したことであろうか。過去にはゴール直前で自由になりながら、他の選手にボールをパスして点にならなかたケースさえあった。華麗なパスまわしこそサッカーの醍醐味と日本選手は考えているようである。点を取りにいく獰猛さにいちじるしく乏しい。狩猟民族のヨーロッパチームにくらべ、日本はあきらかに強い個性を必要としない農耕民族である。

 出る杭は打たれる、という日本文化ではシュートという突出したプレーは出る杭である。だからパス回しという農耕的共同作業がDNAとして受け継がれてきた。シュートして和を乱してはならないからパスを出す、という意識が染みついている。日本人のこの特性は、なにもサッカーにかぎったことではない。政治や社会のあらゆる分野に、強力な規範として息づいている。規律を乱すものは除外されるのが日本社会である。

 「ホリエモンの近未来大予測」というコラムが週刊朝日にある。堀江貴文元ライブドア社長の行為あるいは罪に関して、週刊朝日はずっと同情的であった。ホリエモンの逮捕は行きすぎた新自由主義にブレーキをかける国策捜査だった、という向きもあり、議論を呼んだ。規制緩和が進んで自由競争の先端にいたホリエモンは、出る杭どころか、出すぎた杭だったがゆえに、打たれたのではなく引っこ抜かれたのだ、というのがぼくの感想。

 ホリエモンはフジテレビの株に手を出したので、経済界の和をかき乱し、危機を与えたということになるのだろう。日本人一般もその金儲け主義に反感をもった。ぼくはえらい頭のいい若い男がよく現れたものだ、まるでアメリカみたいじゃんか、とむしろ愉快だった。こういう勇猛なやつを許容する社会にならなきゃ、日本は強くならん、と思っていた。だが、ホリエモンはサッカーチームに入るとシュートばかりして嫌われるね。

 南アW杯で日本代表チームは4位入賞をめざす、というが、こりゃはじめからあきらめていたほうがいい。日本企業は個人プレーに寛容でなく、パスまわしの巧みな団体力のトヨタは世界を制した。でも決断力のある大胆な肉食FWが活躍しなきゃ、社会は躍動しない。シュート人間を奨励する多様性があれば日本人のノーベル賞受賞は増えるよ。

自民惨敗、またひとつ昭和が消える
  予想どおり民主党の圧勝だった。その意味では意外性のない結果。ぼくは小選挙区も比例も民主に投票したが、小中学生1人につき月2万6000円の手当てなど未来責任を背負ったマニフェストに賛同したからである。結果は予測どおりでも、このイベントに対する興味はつきず、きのうは新聞4紙を購入、きょうは週刊誌5誌を買った。週朝、サン毎、文春、新潮、現代。月曜発売も木曜発売もきょうに集中した。きのうはアエラも買ったが、事前に用意した記事は少なくてね、よくがんばったと思う。

 投開票日の30日はペン森生6人と伊豆の貸コテージで開票速報を愉しんだ。テレ朝の当確打ちが圧倒的にはやく、NHKを40~50議席離して他局を寄せ付けなかったね。こんなに意気込んで当確をだすと、ミスが3つや3つはあって、だれかの処分につながるのではと心配したが、ミスしたのはTBS2件。NHKは慎重すぎた感じがあった。これではNHKが当確を打った時点でバンザイをすませていた陣営もあっただろう。災害報道と選挙報道がウリのNHKだからね、民放が迫ってきているぞ、しっかり頼みます。

 かぶりつきで速報を見入るわがペン森女子は、百合子、ゆかり、さつきの小選挙区落選に嬌声をあげて喜んでいた。開票速報は完全なショーだね。ニュース速報が生のショーになるのはテレビだからの現象だろう。テレ東だけは2周遅れの速報数値で、真面目に識者を集めて討論会をやっていた。金がない、というより足がないから、はじめから戦線に参加せずあきらめ特番を組まざるをえなかった。なんか痛々しかった。

 自民党はロートル議員の多くが敗れ去ったが、それでもまだ当選者には年配者が目立つ。民主党は若い。しかも女性が多い。これで衆議院は女性議員が43人から54人とこれまで最高となった。民主だけなら40人。老人から若い世代への世代交代と同時に女性への比重が重くなったのがこんどの結果でもあった。国会も若々しく、華やかになるぞ。不倫騒動や国会ラブが起こる可能性も高くなって、週刊誌のねらいどころだろう。週刊誌がんばれ!

 女性議員が増えたということは、日本に女性的な価値観を根づかせるために極めてよいことであろう。就職における女性差別は陰を潜めたようにみえるが、メディアでも他の企業でも、女性幹部が少ないことをみても差別は明らかである。ぼくはかつて、日経トップと飲んだとき、あなたの会社は女性蔑視じゃないの、と聞いたら、しぶい顔をしていた。否定しなかったから、自覚症状があったのかもしれん。

 自民党が消滅寸前になったのは気の毒。個人的にはおもしろく個性的なおっさんが多いのだが、団体になるとだめなんだ。要するに自民党惨敗でまたひとつ、昭和が消えるってことよ。




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