ペン森通信
若者の目線と民主の姿勢
 近所のスーパーのエスカレーターで前にいたおばあさんが、その前にいた息子とおぼしき中年のおっさんに突然話しかけた。「今度の選挙はおもしろいねえ」「そりゃそうだよ、政権がひっくり返るんだから」。この親子ならずとも8・30への関心は高い。メディアの中盤・終盤情勢調査によると、どうやら揺り戻しもなくこのまま民主のコールド勝ちになりそうだ。有権者の意思で政権を変えるから、これは日本憲政史上、画期的なことだ。

 べつの言葉で表現すれば、戦後最大の政治的な隆起である。あさっての結果をみて、歴史的、革命的という形容コメントがテレビから聞こえてくるにちがいない。自民党に対して溜まった恨みや不満や嫌悪や憤怒や冷笑がマグマとなって噴出し隆起現象を起こした、とみてもはずれないだろう。この歴史的かつ革命的な転換のようすは30日夜のテレビ開票速報で知ることができる。

 わがペン森有志数人は、伊豆の貸しコテージに行って開票速票を見る。現代の若者たちも、やはりこの現象には発熱するのであろうか。ぼくら60安保世代や70年安保世代(団塊)は学生時代、やけどするくらい血潮をたぎらせて、政治はこれでいいのか、と沸騰し、仲間喧嘩することも普通だった。現代世代はおよそ闘争を好まない。上部構造に対する抵抗感があまりなく、その代わり下部構造に現れた矛盾や問題点を見る目は鋭敏である。扇の先端に接しては考えるが、その矛盾が要に届く全体パワーとしてはまとまらない。それだけ価値観の多様性があるといえば、聞こえはいいが、要はばらばらなのだ。 
 
 現代は体系だった価値観のない安穏な時代である。体系だった時代だからこそ、国家体制や管理体制という上部支配に向かって60年や70年の若者は炎をあげた。現代の下部被支配といえば、派遣、母子家庭、父子家庭、農業、障害者、いじめや事件事故の被害者、ホームレス、限界集落、老々介護、外国人労働者などに若者の目は向けられ同情的である。そして安穏の陰には貧困の固定化という状態が横たわっていて、階級化が進んでいる。1人1人の若者は気宇壮大ではないし、権力に立ち向かう強さにも欠けるが、優しい草食系のまなざしがある。

 その若者のありようは民主党に通じるものだろう。パワーがなく、先行き心配なばらばらなところも似ている。体系だった価値観に立ち向かった当時は、社会党や共産党に共通するものがあった。ラジカルでない現代のメディア志望の若者は次々民主党に出る当選確実、当選をどう受け止めるのだろうか。そして自民党の惨敗はどのような意味があるか、どういう感想をもつのだろうか。あさっての開票速報を若者たちと同時にみる60年世代としては、一発ぶちたい衝動にかられるかもしれないが、ただ黙して、ひさしぶりに酒解禁の自由にひたろう。民主党を祝う酒じゃないよ。


スポンサーサイト
橋下知事を総理にしようぜ
 テレビは飽きもせず、酒井法子だ。のりピーが1番手で衆院選が2番手という感じ。それほどのりピー事件は大事なのかね。ぼくは酒井法子という日本のタレントが中国や台湾で大人気だということは知っていた。だから向こうで活躍しているのかと思っていた。日本在住だったんだね。テレビはのりピーという下痢症状をおこしているみたいに騒いでいるが、どこに意味があり、おもしろいのかさっぱりわからん。その下痢ピーがはじまるとチャンネルを回してしまうね。

 チャンネルを回すといえばベルリンの世界陸上もそうだった。ボルトの疾走を見たいのに、どうして織田祐二がでてくるんだよ、ってそのつど叫んで、チャンネルを変えた。湾岸署の青島刑事も見ているうち鼻についてね。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの類で、かれの声も気にくわない。世界陸上が終わってホッとしたよ。リモコンを片手に自室のテレビで世界陸上を見入ったが、織田がでてくるたびにチャンネルを切り替えた。直前に察知したとたん切り替えてね、その反射神経のスピードがどんどん速くなったよ。

 麻生総理なんてテレビでしか見たことはないが、表情がだんだん険しくなって悪人づらになってきたと思わない? 学生との対話集会で「金がねえなら結婚しないほうがいい」と言ったんだって。そりゃ自分は金持ちだろうがね、あくまでも最上階から見下ろす目線だね。そこだけはブレない。「子どもに夢を、若者に希望を、なんてスローガンを言ってるが、村上龍が「日本にはなんでもそろっているが、希望だけがない」と喝破したのは数年前だぜ。当時から自殺者は年3万人以上。過去10年間で30数万人の都市が消滅したのと同じなんだ。

 こんな日本にだれがした! 長崎で原爆被害の「傷跡」を「しょうせき」と読んだ首相をいただいて、政権を変えなきゃと変革心に火がついたのが8・30衆院選だろう。それにしても民主300議席超の新聞各紙情勢分析には驚いたねえ。日本人はどうして一方に極端なんだろうか、怖いよ。首相は鳩山になるが、なんか頼りない。毒が足りないよ。宮崎県知事はそのまんまひっこんでしまい、もうお呼びもかからないだろうが、それはそれで慶賀の至りだ。かれはマンゴーの宣伝をしとけばよかったのに、舞いあがっちゃった。

 ぼくは大阪の橋下知事が総理になったらと期待するんだよね。やるやる詐欺になりそうな予感のする民主政権に橋下がリーダーになって、官僚の天下りや利権構造をばっさばっさと整理して、少子化にも歯止めをかける。いけいけどんどん6人の子持ちというパワーは並大抵ではないよ。それだけで説得力があるぞ。なんたって司法試験に合格した弁護士だ。アタマもキモも野心も性欲もある肉食系のところが好ましい。

ひまになったからひま話3つ
①ぼくは自宅で毎日と朝日の2紙を購読している。けさは朝日の代わりに日経が入っていた。専売店のない日経が朝日に託して配達しているのだろうが、配達人でも変わって間違えたか。おかげで日経も8・30の選挙を「衆院選」と表記していることがわかった。朝日だけが「総選挙」と表現、読売も「衆院選」と表記している。
 ぼくも「衆院選」のほうがいいと思う。衆議院議員は任期4年で総議員を改めて選びなおす。だから総選挙。参議院議員は3年ごとに半分を改選するから、ふつう参院選と略称する。参院選と区別する意味で衆院選としたほうがわかりやすいよね。朝日は読者へのサービスよりも、単に気取っているのかしら。衆議院議員選挙をどうして総選挙というの?と聞かれて困るお父さんもいるだろうよ。朝日はこういうところがいやらしい。
 ところで選挙情勢の調査はきのうが朝日、きょうが読売。民主は朝読とも300議席前後を獲得して、自民を圧倒殲滅する勢いは止まってない。9月は官僚も新聞も世の中も革命的に大混乱するぞ。変化を好まない保守的な日本人も今回は石橋を叩いて渡りそう。

②ペン森の本棚から『日本すみずみ紀行』(川本三郎/六興出版)を引き抜いて電車のなかで読んだ。昭和62(1987)年の発行。14,5年まえ、ペン森草創期のころ過疎化が進む農山村や小さな漁村が描かれている。ぼくは読んだはずだが記憶に留まってない。そのころはペン森のことで頭がいっぱいで、ほかのことは上の空だったのだろう。
この本が取りあげている北海道の広尾や下北半島や角館や五能線への興味はまだ覚醒していなかった。川本紀行は14ヵ所のルポで成り立っているが、ぼくはこの15年間のあいだに内陸部の奥地にも足を踏み入れた。車があって連れがいたからだね。最近、ローカル線への郷愁がふつふつとよみがえってきているが、車を手放してからは連れを希望してくれる人数も減るばかりで、ついにはひとり旅が多くなった。
 リタイアする日もそう遠くはないだろうから、まずは北海道へわたり広尾からバスで帯広へ出たいものだ。宮脇俊三『最長片道切符の旅』をなぞりたい未練が断ち切れない。もしもだが、20代女子の連れがいたら、男女老若ふたりの全国気まま旅。売れるかもよ。

③『羆撃ち』(久保俊治/小学館)は、題名の印象とは違って静謐なノンフィクションであった。これを読むうち、秋田のまたぎ取材を思い出した。空き地に並べられた十数個の檻に捕獲された羆が入っていて、檻のあいだを早朝ひとり抜けて歩いたのは北海道・留辺蘂だった。背丈2㍍以上の羆がみな立ち上がって「えさ」のぼくをよだれをたらして見つめ、怖かったねえ。恐怖体験は40年たっても鮮明に残るものです。
 川本紀行には宿の食事に熊肉の刺身なんていう山里料理も紹介してあるが、『羆撃ち』著者は撃ち殺したら腹を割いて、まず心臓をあぶって食べる、などというワイルドな話がひんぱんにでてくる。でもこれは殺した羆と一体になるための礼儀のようなもので、この本には動物と自然界に対する尊厳の念が満ち満ちて、すがすがしいナチュラル本。気合いを入れたい草食系にお勧め。


規格人間が規格外になるには
 草食系が多くなったという評判は、人間が小粒になったとか、小市民的タイプが益々多くなったとか、破天荒な者がいくなったとか、世間で評される現代の若者論に共通するものだろう。かくいう古老のぼくも昔は一時、肉食系だったような気がするが、いまや、草食うひとになったね。草食もゾウ系からウサギ系まで幅広いが、ぼくは馬にもとどかぬシカ系ぐらいかしら。

 最近、形のいびつな規格外野菜がよく話題になっているが、規格外の人間も少なくなったね。マスコミも企業も規格からはみ出した、野心に富む型はずれの人間を許容しない雰囲気があるね。社会全体がどんどん窮屈になってきた。母親はうるさいし、日常、息がつまるような思いをしている子どもも少なくないんじゃないの。もうすこし、のんびりゆったり自由にいかないものかね。

 ぼくは警察庁を担当していたころ、とばく事件を取材していてそれを防ぐ法律はないのか、と迫ったら課長に指摘された。課長と言っても、県警本部へ異動すれば本部長の椅子に座れる警視長の位にあるキャリアだ。「あんまりせっつかないでくださいよ。そう攻められると私らは法律をつくらねばなりません。結局は、それが市民を息苦しくさせ、首を絞めることにもなるんですよ」。ぼくは頭をさげて引き下がった。メディアが小さな非を大仰にあげつらって問題にすると、市民生活に束縛として跳ね返ってくる。

 そのキャリアは官僚としては型破りだったかもしれない。官僚はおおむね、融通がきかない規格品そのものの場合がほとんどだ。規格をはずれるケースは前例がないからやらない。規格からはみだした人間は日本では出世できないのである。農耕定着民族の尾をもつ日本で、ゆとり教育ははみだし人間を生産することによって国際社会の競争に勝とうとする試みだと思っていたが、学力低下によって失敗のらく印を押され、元の木阿弥となった。

 つまりは学力という規格価値によって、失敗とされた。企業の採用も規格価値で合否が決まる傾向にあり、とくに新聞では第一次面接で規格外人間も評価されるものの、二次、三次、最終面接と段階を経るにしたがい、無難な規格品が残るようになる。規格人間はなんといっても安心安全だからだ。他の企業よりもはみだしタイプの多い新聞だが、一次面接では角あるタイプを通過させても、上の面接に進むにつれ角がとれ、丸い人間が採用されがちである。これで、最近の記者は規格品ばかりだと嘆いても自業自得だよ。

 たとえていえば、肉食系は規格外で、草食系は規格品に振り分けられるかもしれない。そうすると草食系のぼくは、トヨタ車のように大量生産の安全安心の規格品ということになる。でも肉食の規格外に変貌するのは簡単。酒を飲めばいいのさ。

追憶の8月に歩いて鎮魂
 きのう8月6日の毎日新聞に知り合いが2人載っていた。「ひと」欄の写真家・江成常夫。
「レンズを通し被爆者の内面に迫る」と紹介されている。日本人における戦争の犠牲と責任を追求しつづけている著名なカメラマンである。ぼくとは毎日新聞の同期。もう1人は「記者の目」の井上梢。ペン森9期生。3日に社会面トップで「核のいらない世代を育成するハワイ・オバマ大統領の母校で教える日本人教師」を書いたが、今度はそれとも関連させながら被爆二世男性医師のものいわぬ訴えを切々とつづった。

 ヒロシマの日の6日、ぼくは江成と梢に刺激されて、早めにうちをでた。市ヶ谷からペン森まで靖国神社の境内を抜けて歩きたいためである。靖国神社の市ヶ谷に最も近い南門のすぐ左脇は神道無念流の道場「練兵館」跡であるが、いまはそれを記す石碑のみがある。「練兵館」といえば江戸三大道場のひとつ。高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)が通った。桂は剣術にも天賦の才をもっていた。師匠の斎藤弥九郎は「剣は凶器なり」と戒めた憲法9条の体現者みたいな剣豪だった。桂は師の思想を守り、剣を使わぬ、剣の使い手であった。

 本殿は参拝する気がないから素通りして、遊就館前に行く。そこには軍犬、軍馬、鳩の慰霊像がある。軍馬は昭和初期から100万頭が使役されたが、故郷に生還したのはわずか1,2頭と台座に書いてある。軍馬像は彫塑家がそのあまりの悲惨を知って鎮魂をこめ、私費を投じて制作した。台座の資金はつづかず、軍馬像はしばらく放置されていたらしい。馬は乗馬、行軍、偵察や山岳などでの兵器兵站移送用に使用された。犬はその嗅覚、鳩は帰巣本能が利用された。人間は太平洋戦争で兵士230万人など300万人が命を消滅させた。

 大鳥居をくぐり、九段下にでると右に「昭和館」がある。まだ入ったことがない。前を通ると、宿題をやり残したような気分になって落ち着かない。いまは日記や手紙文を展示しているらしい。長野県上田の「無言館」とも異なる戦争の側面が見られるだろうから、近く行かねばと思う。ついでに千鳥ヶ淵の無名戦没者墓園もまた覗かねばと考える。毎年行く、この慰霊園は靖国神社よりもぼくにはじんわりとくる。大半が使い捨てられた名もない命の墓地だ。3万5000余の無念の魂と怨念が浮遊しているような静かな聖地である。みんなに参拝してほしいところ。合掌。

 けさも電車のなかで『永遠の0』(百田尚樹/講談社文庫)を読んでいた。0はゼロとルビがふってある。零式戦闘機戦のことだ。まだ5分の1が残っている。朝日の7月30日beで寺田農がお気に入りといっていた。1人の人間を各人各様に語る展開は有吉佐和子『悪女について』と同じだが、内容は下級兵士からみた精緻きわまる戦記である。先週『玉砕』を読了したが、「0」もリアルですばらしい。重松清以上の感涙にむせぶ慟哭の書である。エリート上層部に対する責任回避の告発も鋭く、密約があったのに認めない現在の外務官僚を連想した。旧軍の無責任体質は官僚が引き継いだのか。戦争追憶の8月、なにか腹が立つ。

j見民党玉砕への道
 やっぱ、8・30が楽しみだね。各週刊誌の予想をみると、自民はコールド負けだ。自民の森やら安倍やら福田やら麻生やらの総理経験者とじいさま連中の古カビ連中が政界を去れば、清風そよそよとまではいかないが、だいぶすっきりするだろう。自民にくっついてほとんど存在価値さえ失ってしまった公明も流浪の民となれば、これまでの権力構造や利権構造が瓦解して、嵐のあとの天気晴朗になるなあ。

 各党のマニフェストではぼくら初老世代に対する目配りは見当たらない。その代わり、子ども手当ては各党熱がはいっている。民主は中学卒業までの子どもがいる1000万世帯で手取りが増えるらしい。子ども手当ては少子化対策だけではなく、未来に向けての投資だから、これは結構。民主主義は現役世代の連絡調整には機能するが、未来世代に対する責任には無頓着な欠点がある。民主党の未来責任を負うというという姿勢はなかなかいいね。財源は民主が強引な権力をもてば、財務省も協力するかもよ、役人だから。

 2005年の総選挙で自民党は「郵政民営化による小さな政府こそこの国の問題解決の唯一の道」とマニフェストで言っていたんだぜ。小さな政府とは官僚を減らすということ。小泉改革によって非正社員が全給料生活者の3分の1になって格差が拡大し、地方は疲弊、医療も福祉も崩壊した、というのがいまや定説。でもね、小泉に日本人は沸騰して自分の首を絞めたんだぜ。ヒトラー登場時のドイツ人みたいで、日本人って怖いのお。

 ぼくは戦記ものを案外よむ。読了したばかりの『玉砕』(豊田穣/光文社NF文庫)は旧日本陸軍に対する告発ノンフィクションであると同時に戦死(実際は餓死・病死)した万余の兵士と死の密林行軍で命を終えた英豪軍3000人の捕虜への鎮魂文学である。「作戦は地図上の線引きで命令、人事はガン、首のすげかえ、という官僚的なデスクプランがここに明瞭に欠陥を露呈しているというべきであろう。大本営と南方総軍は、ジャングルに消えた1万余りの兵士の霊に対し、何と言って謝罪するのか」。

 2万人の部隊が西端から東端に着いたとたん、西端に移動せよという命令がくだった。途中はジャングル、泥地、河川、山脈だが、作戦官僚はその距離を直線で測って、なんでもないと考えた。元の西端に戻る途中1万人が飢えやマラリアで白骨となったのである。南方の風雨にさらされて、遺骨は64年後まだ数多く残っている。現場を知らない者の机上の論がいかに無責任かつ独善の空論で、悲劇をもたらすかの例である。官僚の言いなりといわれる自民党も玉砕するんじゃないの。

 ジャーナリストも1に現場、2に現場なのである。ネットですぐ答えをさがすなんてとんでもない。足で調べたことを思考して、内面化せよ。すると、内容を伴うESや作文が書けるはずだ。足で思考する。ジャーナリスト志望者は、これを銘記せよ。




プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する