ペン森通信
記者志望女子にだまされる面接
  
 またまたぼくのPCは故障していた。中断していたブログを再開します。
 新聞秋採用のES(エントリーシート)提出がヤマ場をすぎた。新聞は読者離れと広告収入減により、いずこも経営環境は厳しい。春は各社とも採用人数を絞った。秋は他業種からも受験者が流れてくると予想され上、財政が苦しいらしい毎日がギブアップして採用試験を見送るという事情も加わるので、秋採用はかなりの激戦だろう。

 ペン森は恒例の直前論作文講座を8月のお盆期間中に開く。新聞、NHKで課される論作文の強化対策である。ペン森は、春が大不振だったので、秋の挽回に期待しているが、今期生は春から秋に向けての意欲執念が足りず、実力があまり向上してない。これまでの期が肉食系だとすれば、あきらかに草食系。蓄積から立ち上ってくる内発的なパワーに乏しい。男女とも優しく繊細だけど、精神が頑健でない。

 昨年までの受講生は個々に存在感が濃かったような気がする。論作文も総じて本数をこなし、表現も巧みだった。その濃い存在感が面接で有利に作用したと思う。面接はなにを言うかという中身よりも、答える態度や人柄で判定される場合が多い。一見して、感じのよいタイプの内定率は極めて高い。人間力の総合点で判断される、ということ。女子は20代半が華だが、男子は30代に力を出すという意見に賛成するね、ぼくは。未来可能性のある男女を内定させなければ、なんのための採用試験かわからんもんね。

 新聞面接はとくに女子の場合、辞めそうもなく長続きしてくれるひとを優先的に内定させるが、入社させるとこれが当てにならない。職場環境も悪いのだろうけど。採用おじさんたちは自分の結婚で女子が変貌することをリアルに知って、懲りているひとも多いはずだが、面接ではきれい系女子にころりとだまされる。頭のよしあしの判断はつくが、こころのありようがとんとわからないから、某社のように現在20人が精神で休養という事態になる。間違いないと見て採用した女子記者に夜、張り込みをさせたら、暴行罪で訴えるとFAXしてきた父親がいたらしい。蝶よ花よ、で育っていたことを面接官は見抜けなかった。

 面接には正解がない。作文も正解がない。しかし、作文は「着想力」「表現力」「視点」の3要素をみれば、かなりの確率で判断がつく。ありきたりな着想、稚拙な表現、だれもが考える陳腐な視点であれば、とてもA評価はもらえない。採点者がトクした気分になるとっておきのオンリーワン作文がいいのである。知らないことを知ったらトクをした気持ちになる。これだよ。



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自由競争から再び民主平等へ
  ぼくは共産党の党員でもフアンでもないが、国政選挙では共産党に入れることがままある。政権をとる心配はないし、発言はばかばかしいほど真っ当だからである。部分的に民主党と重なる政策はあるものの、実体からすれば白票みたいなものかもしれない。都議選では民主党に一票を行使した。きたる8月30日の衆院選でも民主党に投票するつもり。

 自民党から民主党に政権が代わる政権交代選挙だから、意見や考えがほぼ合致する民主党に入れたくなるよね。権力移動の気分的な変化を望むということもあるが、テレビで民主党の野田佳彦議員が「中間所得層を増やしたい」といっていた。ぼくは社会民主主義のような政策を掲げる党を支持したいのね。支持政党は民主党ということになる。9月に実現する、平成の大革命が待ち遠しい。

 かつての世論調査では、自分は中間層に属すると自覚する日本人は7割も8割もいた。もちろん格差もあったのだが、現在ほど極端ではなかった。平和な安全・安定・安心な理想的社会だった。それは富の平等な分配を旨とする戦後自民党政治の成果だったとぼくは思う。南九州の田舎で生まれ育ったぼくが、70歳まで発展しながらも安定的に平穏な生活を享受できたのは、自民党政治がつくってきた「結果の平等社会」の恩恵を授かったからでは、と考える。

 つまり日本は戦後、民主(平等)に比重のかかった社会だった。それが小泉政権になってから、盛んに平等よりも自由(競争)が強調されるようになる。みんな仲良くお手手つないでの「結果の平等社会」から自由競争の「機会の平等社会」への脱皮が急がれた。市場原理主義の追求で強者と弱者の区分けがくっきりとして、格差が加速し、社会福祉がなおざりにされた。なんという国になったのだろうねえ。

 自民党は14日、古賀選対委員長が都議選惨敗の責任をとって辞意を表明した。責任をとる、というより麻生総理へ抗議や当てこすりの意味を込めて辞めたのだろう。自民党はこの大事な選挙で選挙の責任者がいなくなった。断末魔である。投票日までまだ間があるから、嫉妬、野望、自暴自棄が渦巻いて自民党はコアの部分だけ残り、反麻生派が数人ずつ欠けていって、自壊していくのではあるまいか。

 新政権党になる民主党は、肉食系自民党にくらべると草食系でなにか頼りない。小沢前代表は肉食もりもりだったけどね。政策も弱肉強食ではなく、福祉に厚い政権党になってほしいものだ。小泉的アメリカ型自由競争ではなく欧州型民主平等へハンドルを切る。手強い官僚の抵抗はすさまじいだろうが、メディアはたぶん応援するぜ。

この夏のこの話
  5日の日曜日午後、日暮里・舎人ライナーに乗った。始発――終着を折り返しただけだが、4両編成の車両が小粒でよかった。同じモノレールでも多摩と立川を結ぶそれは、大柄でやたらのろいが、舎人ライナーはけっこうきびきびした感じで足立区を走る。2階建ての民家の屋根を眼下に見ながらスイスイと進行していく。高層ビルが少ないのですこぶる気分は壮快。屋根の下の日常は活発であればいいが、と想像する。

 4日から5日にかけて、『新聞記者――疋田桂一郎とその仕事』(柴田鉄治・外岡秀俊編/朝日選書)と『絶対貧困――世界最貧民の目線』(石井光太/光文社)を読んだ。前者は元天声人語記者による淡泊透明な新聞文章論。圧倒的な富の側の視点。それでも若い記者志望者にとってはバイブル本のひとつになるだろう。後者は反対に絶対的な貧困に寄り添った最高のルポ。汚物の匂いまでしてくる。世の中にはこういう大組織に安住しない体当たりジャーナリストもいるんだね。1ドル以下で生活する貧困者は世界に12億人。

 『週刊現代』の「麻生特集」のなかで次期衆院選に対する期待と選択を聞いている。ぼくは以下3人の意見に賛同する。「日本を建て直すには社会民主主義しかない。憲法9条は日本の宝。9条を守る政党を支持」(森永卓郎)「新党大地に期待。反・新自由主義の理念が明確で、鈴木宗男氏の政治姿勢・行動が際立っている」(魚住昭)「日本共産党。カネや欲得汚れていない唯一の純粋野党。一度政権を獲らせてみたい」(鈴木邦男)。鈴木邦男さんは新右翼として知られ、ぼくの知人。共産党は政権をとる心配がないからいいよね。

 10年くらい前まで毎年、仲間といっしょに軽井沢72でコンペをしていた。泊まりがけで、信州のどこかの民宿を宿にした年、ホタルが見られるというのでみな興奮していた。みなというのは、ぼく以外みんなの意。ぼくは南九州に生まれ育ち、村には小川が流れていた。魚とりなどで暮れどきになることも多く、初夏、ホタルの乱舞をかき分けかき分け家へ急いだ。源氏ホタルを何匹も手でつかんで部屋に放ったりした。信州民宿のそれは目をこらしてやっと1,2匹見つけられるかどうか、貧弱きわまりなく寂しかった。ある新聞写真部ではホタル舞うと称して懐中電灯を回してその光を撮影したこともあったらしい。

 4日、DVD『二十四の瞳』を借りた。家人がみるかもしれないと思って、居間のテレビのわきにおいた。小学時代の若い女教師、池田トム先生を連想して泣きだしそうだからぼくはみない。池田先生は小学時代2年間担任だった。中学2年の2学期ぼくは鹿児島に転校することになった。バスの発車まぎわに先生が息を切らせて走り込んできて、「これを」と紙に包んだものをぼくの手のひらに乗せてくれた。バスが走り出して後部座席から、もうもうたる土埃のなかで先生が手を振っているのが見えた。まだ国道も舗装されてない時代のことである。紙包みは餞別だった。なぜ餞別を? ぼくにとっての大石先生であった。

節塩者がなお食べたいラーメン
 神保町のわがペン森近くの成人ビデオ屋あとにまたラーメン店が開店した。午前11時になると開店前なのに30人ぐらいが列をつくっている二郎がある。学生や営業マンやニートが音もなく並んでいる。覆面ラーメンの斜め筋向かいにはワンコイン500円ラーメン。もっと安い日高屋も近接していて、路地に入るとこれまた有名な半ちゃんラーメン発祥のさぶちゃんがある。

 ところがぼくは乱立するこのラーメン店のどこにも入ったことがない。以前、三番町の出版社に勤務していたころ、皇居のお濠づたいに有楽町の中本まで3,40分かけて歩いていったものだ。なんとラーメン好きな、とあきれられたほどのラーメン好きであった。中本は有楽町に移転する前から警察庁の広報課長とよくいっていた。6,7年年前に入ってみたら、相変わらず太麺だったが、全体の味は劣化していた。どこか獣くさく、食べられるものではなかった。

 有楽町の新橋よりのガード下にあった室蘭ラーメンはスープが絶品だった。高かったが、おいしかった。平べったい洗面器大の器に細麺が行儀よく入っていて、箸をつけるのも惜しかったのが、日本橋高島屋横の洋食のたいめんけん。著名な洋食店だったが、店主がラーメンに挑戦して、上品な薄味の醤油ラーメンを仕上げた逸品。高島屋を抜けて難解も通ったが、いまはどうなっているのだろう。

 世田谷区の経堂に下宿していた学生時代、休日の昼にたびたび出前のラーメンをご馳走になった。駅から農大通りを歩き、角にあった代一元のラーメン。下宿で食べるころは時間がたってもう伸びていた。そのせいでぼくはゆであがったばかりの麺よりも伸びた麺のほうが好み。一種のトラウマであろうか。代一元は京王沿線にある。数年前まで仙川店の冷しを食べていた。笹塚店のみそラーメンが卓抜だったが、店そのものがなくなった。

 旅先では福島の白河が思い出深い。記者になった早稲田の女子と白河の関をネタ仕込みみで訪れたさい、国道の交差点角に家族連れが並んでいる店があったが、時間がもったいないので直進してラーメン店をさがした。右側の適当な店に入ったら、ニンニクが効いてこってりと美味だった。冤罪の菅家さんで再び全国区になった栃木・足利学校わきの石畳の路地奥にある中華店のラーメンも醤油細麺ながらしっかりとした味がする。

 ぼくはラーメン絶ちをしてから、6年くらいたつかな。スープまで飲むと、ぼくの塩分制限量1日分の半分を摂取してしまう。死ぬまでにどうしても食べたいのが鹿児島ののぼる。がん死した毎日・佐藤健ものぼるが一番といっていた。健はラーメン好きが高じて自分でもつくるようになり、振る舞っていた。どうせ素人芸だから、ぼくは遠慮した。最近のラーメン事情には疎いが、ブームで素人みたいな店も増えたんじゃないのかしら。



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