ペン森通信
このど忘れは痴呆の前兆か
  身の毛もよだつほどのど忘れをまた経験した。また、というのは旅先から東京に帰り着いて、自宅に晩ご飯を頼む、という連絡電話をかけようとしたら、電話番号がまるで思い出せず、ついに自宅に着いたことがあったからである。今年の4月だった。先週は神保町の三省堂に本田靖春の『不当逮捕』を買いにいったが、ペン森から三省堂に着くまでの5分間足らずのあいだに、本田靖春の名前が頭から消え去っていた。

 『不当逮捕』は文庫本化されているから、三省堂の文庫売り場2階にあるはずだが、どこの社の文庫だったかも忘却して、探し当てられない。1階の単行本売り場に下りると、『現代プレミア――ノンフィクションと教養』が飾ってあり、この中で取りあげられた本が並べてある。あれま、『誘拐』があって、たちまち本田靖春という名前が脳によみがえった。『不当逮捕』もそこにあった。出だしはぼくがサツ回りをした警視庁第七方面本所警察署の記者クラブだ。忘れもしない再読本である。

 話はそれるが、『現代プレミア――』は文句なしに充実した内容である。「100冊×10人」のカタログ風書名列挙は、全部で1000冊だから見ても見ても尽きない。責任編集佐藤優の鼎談も奥深い知があってすばらしい。1000冊の中から選考したベスト10は『日本共産党の研究』(立花隆/講談社文庫)『戦艦大和ノ最期』(吉田満/講談社文芸文庫)『レイテ戦記』(大岡昇平/中公文庫)『昭和史発掘』(松本清張/文春文庫)『誘拐』(本田靖春/ちくま文庫)以下略。

 以上ベス5点のうち、ぼくが読了したのは3点のみ。日本共産党と昭和史は部分的に拾い読みしただけ。こういう長尺ものは肺活量の乏しいぼくにはいささかしんどい。読みとおす体力がない、というより飽きるのだ。レイテ戦記も小さい活字がぎっしりと3巻もあるが、若いとき大岡昇平にこった時期があり、そのとき読み終えた。名著、同じ大岡の『事件』も読んだ。戦艦大和は戦後文学上の記念碑。吉田満はこれをわずか3日で書いた。

 本田の『誘拐』は吉展ちゃん事件が題材。犯人の小原保を取り調べた刑事平塚八兵衛がテレビドラマとなって放映された。この事件の関連だったかどうか、上野署に応援に出向いたとき、各社乗り合わせで現場かどこかに向かった。すると朝日記者はタクシーの窓から半身を乗り出して、サイレンを模した声を出して咆吼した。そこのけ、そこのけ、というつもりだったのだろう。渋滞のない、ゆったりとした時代。古い記憶は鮮明である。

 『不当逮捕』を読み返しているが、大筋は記憶しているものの、仔細は新本と変わらない。記憶の歩留まりはどんどん悪くなる。老人は、本を読んでも、もはや頭に染みるやわらかい余地がないのかもしらんなあ。おれにも痴呆症が迫っている自覚あり

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政権交代の開票速報をいっしょに
 テレビでなにが一番おもしろく、血湧き肉躍るかといえば、選挙の開票速報だね。新総理誕生のこんどの総選挙が待ち遠しい。投開票日は8月2、30日説が浮上しているから、その日はどこか安宿に陣取って、酒をのみつつ、「おー、武部が落ちた」「中川酔っぱらいも票が伸びんぞ」「町村もとどかんから、北海道自民は総崩れ」。「やや、麻生だって安泰じゃないぞ。総理大臣落選なんて、まさかだねえ」。

 ということにはならんだろうけどね。なにせ漢字が読めないおバカキャラのイメージがまだ尾を引いているし、このひとがいるから日本は安泰というわけでもない。総理になってなにをやったのか、未来世代に生命を吹き込む政策を導入したともいえないし、落選しても国民はまったく痛痒を感じないね。これほど存在感を問われる総理がいただろうか。

 ま、3本指の宇野、竹下の傀儡・海部と輪郭不明の総理はいないこともなかったか。3本指といっても若いひとにはぴんとこないかもしれんなあ。宇野という人物は自分でも思ってもみなかったのに総理にされた文人だったが、芸者の女性に対して「3本指を立ててこれでわしとつきあわんか」と迫られたと女性がばらした。3本は30万円で月30万とは安くみるにもほどがある、ばかにしないでと女性が怒って暴露したという噂があった。

 宇野総理は麻生総理とは比べものにならないくらい教養人だったが、女で人生を棒に振った。現役では山崎(拓)も熱海不倫旅行の鴻池にひけをとらない女好きで、女子大生が宿舎に出入りしてことが週刊誌記事にされた。18歳のモデルにぞっこんのイタリア・ベルルスコー二もびっくりである。政治記者によると、山拓はいまどの女とつきあっているのか秘書もわからないそうである。ついたあだ名が「エロ拓」。

 エロ拓も九州、選対委員長・古賀も九州だが、この2人も当選はおぼつかない。これまで幅を利かせていた自民党有力議員がこぞって落ちぶれるのがこの夏の総選挙。民主党の得点ではなく、自民党の自滅によって民主党政権の誕生は間違いのない流れだが、メディアも自民党延長のような報道をするから、変革変化の実感が世の中にはまだ乏しい。ただ脇役が主役に躍り出ることを官僚やアメリカは予感して対応しているようにみえるがね。

 投開票日はうれしいことに日曜日だよ。午前の早い時間に投票して、伊豆あたりに出張って、温泉につかって酒をのみ、テレビに見入る。勝手なことをほざきながら、陶然とする。この風趣はこたえられん、と思うよ。それでだ、いっしょに行ってくれる選挙好きというか政治好きの旅友をさがしているのよ。できれば女性、なんて言わんよ、エロ拓じゃないんだからさ。

飲んだ、旅した、だけですぎてゆく!
 新聞社の同期だった友人から47年間の社会人生活を“卒業”した、というはがきが届いた。卒業をちょんちょんひっかけ“”でくくるなど、まことにセンスがないが、かれは、英語を巻き舌でしゃべり、口を○に書くような記者独特の崩し字とは縁遠く、由緒正しい楷書体が見事だった。庭に咲く桜も贅沢にして見事だった。それを見て飲んだ。

 ぼくの名前をファーストネームで呼ぶ唯一の友人だが、福岡の出でぼくと同じ九州人として親しかった。光という名前で、その名のとおり、かなり前頭部が後退していて、仲間うちでは陰で「ぴか」と呼んでいた。東京から大阪に転勤になるとき、「ひかりは西へ」と新幹線にひっかけて挨拶した。楷書みたいにおもしろみのない男にしては、笑わせた。

 かれは33年間の記者生活のあと、電子投票を開発する仕事に就き、広告会社の顧問を経て、退役した。はがきには楷書の手書きで「あっという間の47年間でした。多謝〃〃です」とあった。あまり過去に関心のないぼくも、わが来し方と思わず向き合ってしまった。スタンダールの墓碑銘は「生きた、書いた、愛した」だが、さて自分は簡潔にどう表現できるのだろうか。生きたことだけは間違いないが、存在感ある生き方をしたか。

 宮本常一の『忘れられた日本人』は、文藝春秋7月号の名著講義の題材になっているが、このなかで盲目の元馬喰(ばくろう)が語る色ざんげ「土佐源氏」の生き方がまた血のしたたるように実感的。「ああ、目の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった。かまうた女のことを思い出してのう。どの女もみなやさしいええ女じゃった」。かまうた女がみなやさしいええ女じゃった、と振り返るよき時代の自由な陽気な性。

 名著講義は藤原正彦お茶大名誉教授のゼミだから、ゼミ生は全員女子大生。通りあわせに声をかけて相手が受け答えをすれば気のある証拠で夜になれば押しかけて行けばよい、こばむもんではありません、という「夜這い」にも度肝を抜かれるが、昔の人々は慎み深かったと信じていた学生は「土佐源氏」は作り話では、と疑う。一方で「どんな女でもやさしくすればみんなゆるすもんぞな」という言葉に半ば共感する。しかし真に受けちゃいかん。現代では訴えられ、逮捕されるぜ。

 盲目の馬喰の述懐。「わしは八十何年何もしておらん。人をだますことと、おなごをかまうことですぎてしもうた」。おなご以外は、ぴかやぼくにも共通するかもなあ。70余年、ぼくはなにもしておらん。ただ、飲んだ、旅した、だけですぎてゆく。せめてこれから、おなごにやさしくせねば。ね、ご同輩。

菅家さん釈放が問いかけるもの
 足利事件で釈放された菅家利和さんは、優しそうないい顔をしている。きょう5日の朝日朝刊に佐藤博史弁護士の写真が載ってなかったのは残念。テレビや他紙でみると、このひとも人間味のあるいい顔をしているね。菅谷さんが釈放されたとき、そのわきで根っからうれしそうに笑い、歯磨きの宣伝みたいな白い丈夫そうな歯を全開していた。

 菅家さんの無実はDNA鑑定で明らかになったが、これから宇都宮地裁で再審が行なわれる。宇都宮地裁はこの事件の一審裁判所だが、これまでの再審請求でも再鑑定を実施せず請求を棄却していた。再審がはじまったら、宇都宮地裁は裁判所として怠慢、無責任、誤審について、謝罪すべきだろう。とんでもない裁判所なのだ。そのことを自覚しているだろうか。

 もちろん、菅家さんも強くいっているように検察、警察の罪も問われねばならない。これまた「自白の強要」事件である。菅家さんは、警察による取り調べは髪の毛を引っ張る、蹴飛ばすなど拷問に近かったという。戦前の刑事訴訟法では自白が絶対的証拠とされ、そのため、拷問や脅迫による自白強要が横行し、作為的に罪が生み出された。

 昭和24(1949)年、新刑事訴訟法が施行され、自白証拠主義が物的証拠主義に変わるが、警察の体質は改められることなく、鹿児島の志布志事件など江戸時代みたいな取り調べが現代に残っている。見込み捜査、自白強要、物的証拠の無視やねつ造・偽造・隠滅、代用監獄(留置場)問題、社会的弱者に対する犯人仕立て、ずさん捜査・・・これらによって、冤罪がつくられ、起訴後に真犯人が現れた事件も多い。

 菅家さんの刑は無期懲役であったが、死刑確定したあと再審によって無罪となった冤罪事件が4件ある。免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件である。逮捕から無罪になるまで、いちばん短い松山事件でも28年、あとの3件は34年前後と気の遠くなるような長さだ。1948に熊本県・人吉市で起こった祈祷師夫婦殺害、姉妹2人に重傷を追わせた免田事件は見込み捜査と別件逮捕、拷問自白、物的証拠廃棄があったのである。

 免田事件の免田栄さんは07年81歳のとき、パリで開かれた反死刑世界会議で死刑廃止を訴えるなど、活動をつづけるが、必ずしも地域住民にあたたかく溶け込んだわけではない、と人吉出身者から聞いた。なお疑う住民もいた。冤罪の恐ろしさである。これは警察の発表を鵜呑みにして報道してひとびとの意識を支配するメディアの罪である。裁判官も検察も警察も劣化しているが、ジャーナリズムの劣化もはげしい。社会が菅家さんをなんのわだかまりもなく迎え入れるよう、意を尽くすのもメディアの役割だろう。





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