ペン森通信
新インフルから宮澤りえまで
1,マスクをした人がここ一両日、激減したように感じる。新型インフルエンザが弱毒性で致死率の高い鳥インフルとは異なること、変異してないことがわかったからだろう。最初、関西では某大新聞記者がガスマスクみたいなゴーグルをつけて現場にあらわれたそうである。メディアは北朝鮮テポドン騒動と同じく、過剰反応して国民はあおられたね。麻生さんは政府のテレビCMにでて「冷静な対応を」と呼びかけたが、冷静とは家の中に引きこもっていろ、ということかい。ぼくは鼻炎がおさまったのでマスクなしで快適だったよ。

 2,朝日のオピニオン蘭(5月29日)が「西松事件は国策捜査だったのか」といまごろ問題提起をした。村松治編集委員がきりだす「西松事件の最大の「功績」は民主党や一部検察OBらが「検察の横暴」や「メディアとの癒着」を言い立てたことで、国民が、政治と検察、メディアの関係を見直すきっかけを与えたことだろう」。この事件によって政治空白ができたし、むしろ検察の恣意性が与える恐怖とメディアが検察のコントロール下にあるらしいことと闘わない草食性が表出された。裏金づくりの内部告発をしようとした高検公安部長を逮捕した検察の独善的悪質体質は変わっていないようだね。変わっていれば郷原信郎・元検事やジェラルド・カーチィス・コロンビア大教授の検察批判になんらかの反応をしたはず。

 3,太宰治は「走れメロス」が太宰作品のなかで最も夢や希望や人間の前向きの信頼性を表現しているように感じるんだが、どうだろう。「斜陽」「人間失格」「ヴィヨンの妻」は暗く先がなく息が詰まる。同じく生誕100年の松本清張は太宰に比べると恐るべき肉体派でエネルギーむんむんだが、作品は暗い。「点と線」「眼の壁」「ゼロの焦点」といった社会派推理ものよりぼくは「無宿人別帖」「かげろう絵図」といった時代物が好きだね。色と欲の大奥陰謀絵巻「かげろう絵図」は大傑作です。どんなに時代は進化しても人間の内面は進化しないということ。太宰や清張では気が滅入るという向きは司馬遼太郎の青春小説「竜馬がゆく」「坂の上の雲」で元気をもらえばいい。「竜馬がゆく」はペン森で大流行してぼくは幕末入門講義を所望され、昼間から一升瓶を飲みつつ話し、夕方には酔っぱらって添削どころじゃなかったことがある。

 4,宮沢りえが女児を出産した。結婚して間がないような気がするが、でき婚だったんだね。篠山紀信撮影りえのヌードがちょっと前の週刊文春グラビアに載っていた。切り抜こうと思ってとっておいたのだが、間違えてすててしまった。たわわにしてまだ熟しきっていないような見事なおっぱいだった。「たそがれ清兵衛」におけるあのきりりとした清楚可憐な姿はまだ目の奥に付着している。ぼくは吉永小百合と差し向かいで一献やったことがあるが、小百合よりもりえが好みだね。りえよりも夏目雅子だけどさ。昔は永遠の処女・原節子だったが、最近小津映画を見るにつけ、柄のでかさがどうもいかん。以上は文春SPECIAL「映画が人生を教えてくれた」に触発されて連想。


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片思い幻想、恐るべし
 23日の土曜日は夏日だったね。ぼくはさっそく半ズボンにTシャツスタイルで買い物に行った。趣味の布団干しもバッチリしてね。ひさしぶりに半ズボンを履いたら、むかしのことを思い出した。佐藤ムッシュのことだ。太股の中間付近でGパンを切断した半ズボンを履き、真っ赤なTシャツという当時のぼくのスタイルで新宿・伊勢丹店内をうろついていたら、佐藤ムッシュにばったり出会った。

 「ずいぶんざっくばらんな格好だね。きみを見たらだれも有能な社会部記者なんて想像できんよ」。いや、有能といったかどうかはわからない。この部分はぼくの自己愛的装飾。ムッシュと呼んでいたのは、かれがパリ大学に留学しフランス文学に知悉したフランス語の達人だったから。『パリ文学散歩』という著作も筆遊びで書いた。おっとりとした口調で鋭い皮肉もその口調の中にくるまれていた。もうだいぶ前に亡くなった。

 日本の文学上の歴史は、フランスに対する熱烈な片思い、というのがぼくの偏見。「フランスへ行きたしと思へどもフランスは余りにも遠し」。文学でなくても文化人はみな片思いだったのでは、とも思うよ。その点、ぼくはフランスへ行ったことはあるが、行っても思いを遂げた感懐はなかった。それはぼくがフランス文学にあまりなじみがないからにちがいない。街は犬の糞だらけだったしパリが以前、臭気ふんぷんたる鼻もひん曲がる不潔な都市だったことをいまにうかがわせた。

 ロマン・ロラン、バルザック、デユ・ガール、サルトル、コレット、プルースト、コクトー、モーリャック、マルロー、サン・テグジュペリ・カミュ、ボーボアール、20世紀の素晴らしい作家の名前は出てきてもぼくが読んだ作品はじつに貧弱きわまりない。学生時代、佐藤ムッシュみたいな友人でもいれば感化されて、カミュかぶれやサルトルかぶれと、対等に話ができたかもしれないのに、くやしい。佐藤ムッシュのように記者には驚くべき知的教養に満ちた、あるいは博学恐るべき仲間が多く、劣等感をおぼえたものだった。

 フランスは農業国家だが、その幻想性は歴史が培った文学、絵画、哲学、思想、史実、絵画、映画など文化の深みによるだろう。古いアメリカ映画にこんな台詞を見つけた。
「あなたとの結婚を考えたけど、ライバルがいたわ」
「だれ?」
「フランスよ」
「それなら2人に共通の恋人だ」(和田誠『お楽しみはこれからだ 3』

 男はハンフリー・ボガード、女はミッシェル・モルガン・アメリカ男性もフランスを片思いしていたらしい。でもフランスは富士山と同じ、遠くから見るにかぎる。男から見た女もそうだね。結婚したら、この意味がわかるよ。幻想だった、と。な、ムッシュ。



身の丈の幸せで十分

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むかしの映画は喫煙もうもう
 むかし観た、あるいは見逃した映画をDVDでよくみる。徒歩25分のところにある地元のTSUTAYAには毎土曜日に借りに行き、新宿のTSUTAYAは水曜か木曜に開店早々の時間に立ち寄る。DVDやビデオを2度借りしまうのは、ぼくにとっては珍しくもない。TSUTAYAは高いという印象が強かったが、高齢者優遇料金を取り入れてから、7泊8日1本200円と割安。で、気軽に何本も借りるようになった。TSUTAYAは過去に借りた経歴を教えてくれないから、たびたびあれこりゃ前にみたよ、となる。

 もっとも以前にみたが、また観たいという映画もある。小津安二郎の遺作「秋刀魚の味」は1962(昭和37)年、ぼくが新聞記者になった当時の作品だが、先週あらためて借りた。下から目線のカメラワークよりも、今回ぼくは中学を出て40年たつ旧友たちの仲のよさ、かつて古文を教えたひょうたん先生の泥酔落魄ぶり、見合い結婚、トリスバー、喫煙真っ盛りに時代の流れを感じた。旧友たちは盛代に飲み、よくたばこを吸う。ぼくは、旧友の仲のよさにペン森の卒業生もそうなるだろうと思った。ひょうたん先生の泥酔落魄は10年後のぼくと重なった。ぼくの世代には嬉しくもせつない名画である。

 キャストは小津映画の常連、笠智衆(男はつらいよ、の住職)をはじめ佐田啓二、岩下志麻、岡田茉莉子、東野英治郎、杉村春子、中村伸郎と芸達者をそろえた名作。妻に先立たれた煮え切らぬ父親の笠智衆は、かいがいしく世話を焼いてくれる24歳の娘、岩下志麻を旧友たちの計らいでやっと嫁に出す、と筋はきわめてシンプル。だが、味わいは魚のサンマよりも深く奥行きがある。初老を迎えた男の悲哀や孤影が、画面につかず離れずこもっていて、ぼくなんかやはり実感的に身に染みた。

 たばこで忘れられない名画は「グッドナイト&グッドラック」。50年代マッカーシズムという赤狩り(共産主義者やそのシンパに対する弾圧)が世に狂った。そのアメリカの「魔女狩り」に抗ったCBSキャスターエド・マローを描いている。言論の自由は闘いであるが、メディア志望者必見の映画である。話は逸れるが、オンエア中、マローはいつも左手指にたばこを挟んで立てていて、煙が立ち上っている。ほかのスタッフも喫煙しているから、スタジオはそうとう煙もうもうだったろう。アメリカは赤狩りに頭に血が上った反面、たばこにはまだ寛大だったのである。

 マローは65年に肺がんで亡くなるが、アメリカで禁煙運動が吹き荒れるのはかれが他界したあとからである。たばこで見逃せないのがアル・パチーノ主演の「インサイダー」。アメリカのたばこ産業に真っ向から挑むテレビプロデューサーの実話である。このころになると喫煙=悪の図式ができつつある。禁煙ファッショという声もあるが、ぼくも6,7年前から家族の猛反発で吸わなくなった。



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