ペン森通信
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『運命の人』は肉食系特ダネ記者
 山崎豊子が文藝春秋に長期連載していた『運命の人』がついに単行本化され、全4巻のうち1巻と2巻が先行発売された。ぼくは、連載は読まず本になるのを待っていた。内容は1972年のアメリカから日本への沖縄返還に際して日米間に密約があり、アメリカ側が支払うべき現状回復費400万ドルを日本が肩代わりしたというのが沖縄密約問題である(原状回復費は6500万ドルが秘密裏に支払われた、とのちに判明)。それをスクープして逮捕されたのが西山太吉元毎日新聞記者で、「運命の人」とは西山のことだろう。

 作者の山崎豊子も元毎日新聞記者でその上司が同じく作家の井上靖だった。山崎は西山と面識がなかったと思われるが、題材に沖縄密約を選んだのは、元新聞記者山崎にとって看過できない問題を含んでいたからにちがいない。ぼくはまだ1巻の途中までしか読んでないので、内容の詳細は語れないが、この事件そのものには大いに関心がある。国家権力はうそをつき通す、ということをこれほど如実に示した事件はない。

 日米間に密約があったことはアメリカの公文書によって朝日新聞と毎日新聞がすでに明らかにしている。当時の吉野文六外務省アメリカ局長も密約があった旨、証言している。しかし日本政府は、密約文書の「存在はなかった」と隠蔽をつづけている。このような国家権力の姿勢に裁判所も踏み込まず、政府と司法のありようが恐ろしい。

 国家秘密の暴露によって西山記者はメディアの知る権利をはたしたことになるが、この問題が西山の私的スキャンダルに変質していったのは起訴状の文言によってである。東京地検の担当検事はのちに国会議員となる佐藤道夫であった。「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」と佐藤が書いて、風向きが一気に変わった。ぼくは当時、毎日新聞の社会部にいたが、西山逮捕に激しく憤って抗議していた毎日の勢いは水をかけられたように沈静し、世間に顔向けができない沈痛な表情におちいった。

 「情を通じ」という表現はいかにもなまなましく品がなく、毎日新聞にうすよごれた印象をもち、購読をやめた潔癖な主婦も多かったらしい。問題の本質のすりかえが行なわれた重大性よりも国民は男女スキャンダルに対する好奇心を優先させた。国民はなんとたやすくコントロールできるのだろうとほくそ笑んだ権力者もいたにちがいない。

 西山記者は退社するとき編集局の1人1人に「お世話になりました」と挨拶してまわった。「ご苦労さまでした」と返したぼくは、そのときはじめて希代の特ダネ記者を目の前でみた。なおも名誉回復のため闘いつづける肉食系大先輩記者を見るにつけ、いまどきの記者は牙をむかない草食系ばかりのようだ。すこしは闘ってくれよな。





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絶望の別れと希望の別れ
 鹿児島県の屋久島は世界遺産に登録され近年、ナチュラリストが生活の拠点にしたりして、その方面や樹齢7200年の縄文杉、エコツアーなどで有名だが、40年前は九州で最も高い宮之浦岳(1973)を中心に1500㍍超の嶺が20座もひしめくことで知られるきれいな水と山だけの島だった。ちょっと離れた種子島は鉄砲伝来の地である。いまはロケット打ち上げの宇宙センターがあるが、サーファーが集う海洋レジャーの島でもあるらしい。

 種子島は、若くしてがんで亡くなったぼくの母親の生地だが、ぼくは行ったことがない。屋久島は取材で行った。それが40年も前である。宮之浦岳で大分大学の学生2人が遭難した。ぼくは勤務していた北九州市の西部本社から、早朝の列車で向かい、途中の博多で福岡総局のカメラマンと合流して、列車で鹿児島についた。鹿児島空港には列車の僕たちを追い越して先着した社のセスナ機が待っていた。そこから約120キロ離れた屋久島に飛んだ。季節は春だった。

 宮之浦岳の頂きはまだ冠雪していた。すでに白い布で覆われた遭難学生の遺体が担架に収容され、男たちが担架をロープ状のひもで吊るように積雪の急斜面をトラヴァースしながら下山していくところだった。扇のかなめの部分に担架があって、何本かのひもがあたかも扇の骨のように、担架を吊るしていた。ぼくたちは旋回しながら取材したが、写真撮影のため縦横無尽にセスナ機は動き、山が眼下に見えたかと思うと、海が真上に見えたりして、めまぐるしかった。

 宮之浦岳の下山口につくと、中年の夫婦がのんびりと散策していた。一組の遺族だった。まだ悲惨な結果になったことを知らされてなかったのか、ごく平穏な光景だった。遺族のうちのもう一組は職業が住職で、夜遺体が収められた小屋から、長いあいだ、読経の太く低い声が響き、屋久杉の生い茂るしじまに吸い込まれていった。広場には木材が四角に積まれていて、荼毘の準備が整っていた。

 翌日は快晴だった。穏やかな海の先に停船している本船に向かうはしけの中で、2組の夫婦が押し黙って下を向き、夫はそれぞれ膝に遺体を焼いたばかりの白い骨箱を抱えていた。はしけには折しも、島から都会に集団就職で向かう一団が乗船しており、盛んに手を振りながら「さようなら」と口々に泣き叫んでいた。入江を囲んで端から防波堤がのび、その上を1人の少女が衣服を翻して走って、はしけに向かって懸命に手を振っていた。無言と絶望の別れと、希望と期待の別れという2種の別れを乗せてはしけは、屋久島を次第に遠のいていった。

 きのう16日の毎日夕刊に田口ランディが屋久島のことを書いていたので蘇った40年前。

どうにも止まらない恋の季節
 それをはじめると夢中になってどうにも止められなくなるというものがある。七つ下がりの雨と40すぎの恋がそうだ、といわれたのは江戸時代。現代は夕立という現象は消えてなくなったようだが、ぼくたちが小学生のころは決まって夕方になると一天にわかにもくもくと入道雲がわいてきて、驟雨があって走って帰ったものだ。その途中、犬にふくらはぎをかまれたことをいま思いだした。

 40すぎの恋とは、べつの表現をすれば中年の恋。どうにも止まらないというより、自己抑制のコントロール不能に陥るらしい。最近、渡辺淳一の『欲情の作法』がよく売れているみたいだが、買うのが恥ずかしいのでまだ読んでない。これから読むかどうかもわからない。だいたい渡辺淳一の描く中年男性は欲情活発ながらどこか煮え切らないという特徴がある。『失楽園』なんてその典型じゃなかろうか。『欲情の作法』の内容はおおむね察しがつく。

 中年の恋は、むしろ人生の苦しさの代表として語られることが多い。加速するばかりでおよそブレーキのきかない恋愛状態になるからという。それは『失楽園』の中年編集者しかり。三島由紀夫は、恋愛は性欲の美的表現である、といった意味のことをいったが、男性心理的にはそれもしかりだろう。ガルシア・マルケスの長編『コレラの時代の愛』は、51年9カも相手に恋いこがれ、76歳を迎えた老男の物語だがここには欲情はほとんど感じさせない。76歳と72歳相手との性愛はあるがね。

 そこへいくと、韓国のキム・ギドク監督の映画『魚と寝る女』とか『弓』は、幻想的にエロティックだ。2つとも水が大きな役割をはたすが、とくに『弓』はじいさまが船上で共に暮らすようになった16歳の少女に夢中になる話である。この少女が詩的にこよなく美しく、それだけでぼくなんか眠れるロリータ感覚が目をさました。このじいさまは少女との結婚を生き甲斐に生活しているが、その心理がじつにやるせない。

 中年の恋よりもぼくは、はじめれば止まらなくなるゴルフのほうが理解できる。しかし、ゴルフも6,7年やってストップした。50歳になったとき、ぼくはゴルフをはじめた。たしかに一時、狂ったね。あれは一方向だけの肉体を使用する。ぼくはラウンドの終いのころになると、腰が痛くて歩くのもきつかった。止めてよかったと思うが、ゴルフ番組はいまでも好きで、今回のマスターズは早朝観戦しましたよ。48歳の苦労人、ケニー・ペリーに勝たせたかった。48歳、まさに中年の真っ盛り、恋の季節だね。かれは、恋とは縁遠そうな顔相だが。

空気に抵抗する自我の主張
 ミサイルが上空を通過した秋田の男鹿半島に行ってきた。孫娘と2人旅。4日昼、秋田駅でレンタカーに乗り継ぎ、日本海沿いに男鹿の突端、入道崎にむかい男鹿温泉に宿泊して翌5日、なまはげ伝承館でなまはげの実演を体験した。なまはげの真に迫った実演に孫娘がおびえているころ、北朝鮮ミサイルが通過したらしい。男鹿はすべてこともなく、住民は平和になにごともないかのように日常を送っていた。発射はぼくが予想した4日ではなかった。4日はご誤探知の失態が明らかになっただけ。

 ぼくはミサイル発射を知ったのは5日夕方、秋田市内のホテルにはいってテレビをつけてからだった。レンタカーを運転中もミサイルのことを考えることもなかった。考えても「落石注意」みたいなもので、天から落ちてくるものに気を病んでもはじまらない。どだい、これはマスコミの過剰反応による不安かきたてだ、とはすに構えていたから、物体やら破片やらが落ちてくるとは毛ほども思ってない。だから、孫娘をつれて行ったわけだけどね。

 しかし、マスコミの過剰反応についてはすこし背筋が寒くなった。太平洋戦争(第二次大戦)は新聞の責任抜きには語れない要素があるからね。一気に一定の方向に流れる空気の醸成にあの戦争時、新聞は加担した。朝日が『新聞と戦争』に取り組んで責任を検証しても、それはいまになっての跡付けだし、空気が醸成されつつあるときにブレーキをかけるのが真の責任の取り方だろう。空気を加速させる働きをマスコミは体質としてもっているのではないか、今回のミサイル報道もそうだった、とぼくは思っている。

 マスコミに就職する若い連中にぼくが勧める本が山本日七平の代表作『「空気」』の研究』(文春文庫)である。もう1冊『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)。『失敗』は戦時における6つの作戦失敗のケーススタディをした名著で、あいまいな指示など現代の組織論にも通じるところがある本だが、ここでは取りあげない。

 山本七平は「あんな空気の中では反対とはいえなかった」という「空気」とはなんだ、ということを追究している。宮崎哲弥がうまくまとめているので、それを引用させてもらう。[特定の集団(例えば企業、政党、地域、メディアなど)や社会全体が、何の合理的、合目的的な根拠もないのに、「その場その場」限りの合意が形成され、それによって全体の趨勢が一方向に流れていってしむ状態]

 空気の流れに乗るのはやさしい。メディア・スクラムという現象もこぞって一方向に雪崩を打つことと同じである。マスコミ人が抵抗や抑制をするとき、それはなんの根拠も理屈もない流れに対して抗う自我の主張だ。


「テポドン」の秋田へ行くぞ
 『週刊新潮』は、朝日新聞阪神支局赤報隊事件の犯人実名入り手記に対する朝日の謝罪要求にだんまりを決め込んでいる。虚報と決めつけられては、腹の虫が治まらないはずだが、非を認めるには業腹だしこの際、嵐がすぎるまで首をすくめてやりすごそう、という算段だろうか。朝日を天敵扱いする雑誌にしてはまことに無責任、卑怯というほかない。

 その『週刊新潮』の最新号の特集は「日本を襲う 『テポドン』15の謎 」。小刻みの
記事で組み立てていて、それぞれに見出しがついている。「最も危険『男鹿市』のノンビリ対策」に引かれてぼくは買った。まあ、新潮と文春と週朝とサン毎の4冊は毎週買ってるけどね。新潮は折も折、ぼくは孫娘と「テポドン」発射予定の4月4日~8日の初っぱな、4日に男鹿入りするんで、さてどんな記事かと。

 「予定通りのコースを辿れば、最初に上空を通過する日本の国土は、日本海に突き出した秋田県の男鹿半島辺りだ。(略)日本海洋上のブースター落下予定場所からも最短距離に位置し、最も危険な場所の1つに挙げられている」。ではどんな対策で身を守っているのか、と記事は、男鹿市環境防災課の職員がいう、とつづける。「今何してるんかと言われても、まあ、ホントのところ、何もすることがねえんだす。(略)実際、何せばいいのか、教えて下さい」

 実際、天から降ってくるミサイルだか、人工衛星だか、日本ミサイルで撃ち落としたその破片だか、どう防げるんだろ。石原都知事は「地下鉄しかない」と会見で言ったらしいが、男鹿には高層ビルも地下鉄もない。でもご安心、かの田母神俊雄前航空幕僚長が断言する。「北朝鮮の狙いがミサイル発射能力の誇示と、それによって自らの言い分を通そうとする恫喝にあると思っています。日本の領土に被害を与える気はないのだと。国民は安全だと信じていいですよ」。いや、まことに専門家らしく冷静。拍手。

 週刊誌の市場には恐怖・不安市場というのがある。恐怖や不安をあおって売るという
ショウバイである。新潮は、少なくとも日本の過剰反応に乗っかったのである。田母神説に拍手するぼくは、この過剰反応に抗ってあす4日朝、秋田へ向かう。昼過ぎに秋田着だが、そのときにはもう一件落着しているのではあるまいか。あしたは北朝鮮の天気もよいというから、きっとそうだ。

 それにしても、日本政府のパフォーマンスもすごい。PAC3の配備状況やイージス艦の監視状況を公開するなどの異常なゆるさは、スカを見通しているからだろう。領土や領海に落ちてくる心配は皆無だ。だから迎撃もありえないとみている。麻生政権はこれだけ国民の安全に神経を使っている、ということを示す、北朝鮮を逆手にとった政権浮上作戦だね。




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