ペン森通信
ハンター型とライター型
 15日の日曜日、昼間からしこたま飲んだ。1期上の先輩記者だった杉山康之助の30回忌があったからである。杉山は日本アルプスのルートを新開拓した山記者で知られ、明敏な神経をもった記者だった。酒飲みでもあった。船橋で後輩記者と飲んでいて、2階から階段を転げ落ちて意識不明となり、還らぬひととなった。まことに山記者にふさわしくない人生の結末だった。

 その故人に対して29年間にわたって回向を欠かさなかった仲間がいた。ぼくなんか呼びかけに応じて参加したり、しなかったり、ずっと継続して供養してきたわけではない。かれは駆け出しのころ、青森からぼくのいた八王子支局に赴任してきた。美容院の2階に住んでいたぼくの部屋にしばらく同居していた。ぼくは米軍払い下げのでっかいベッドに寝て、かれは脇の畳に寝た。「なんできみが上に寝て、おれが下なのか」と毎晩文句を聞かされた。

 体脂肪率の低い筋肉質の杉山は当時全盛だった日比谷高校出身で、東大ではなく早稲田出身。文学と映画に一家言をもったプライドの高い教養人で、名文家として社内に名を馳せた。ぼくは本田靖春の『警察回り』を読んで、杉山は本田が敬愛する朝日の深代惇郎に相通じるものがあると思った。ただ、深代はよれよれのコートを着ていたらしいが、杉山は夏でも冬でも黒に近い濃紺のスーツを着ていた。ダンディーだった。コート姿は見たことがない。ぼくが結婚するとき仕立て屋につれていって濃紺のスーツをプレゼントしてくれた。

 かれの葬儀には日比谷高校の同窓生やかれが指導した北大の登山部の連中もきていた。のちに東大出の女性弁護士と知った女性が「杉さんはあなたの記事を胸ポケットにいれて、これが新聞の文章だ、とみんなに見せていたんですよ」とぼくにささやいた。杉山は享年42。独身だった。背は高いほうではないが、頬肉のそげたいい男だった。酒が入ると冗談は通じず理屈っぽい正義のひとだった。結婚しても離婚しただろう。完璧主義に耐えかねて相手が逃げるという顛末で。しかし、自社の記者にも、他社の記者にも、一目置かれて愛された。

 社会部記者は大きく分けてハンター型とライター型とがいる。ハンター型は事件屋で、ライター型はいわゆる書き手である。「あんたは事実をそのまま話してくれ。おれが書くから」とライター型がハンター型に言い、その組み合わせで、昔は記事ができたこともあった。杉山もぼくもライター型の流れを汲む。特ダネ記者ではない。その二つの系譜に関しては、新聞論説委員を題材にした丸谷才一『女ざかり』が触れている。男ざかりに亡くなった杉山の30回忌に集まったのはこれまでになく少人数で、元記者4人と日比谷高校出身の2人。みんなもう老人になった。ぼくは墓石にワンカップ大関をかけた。
 
 自分もライターと呼ばれた時代があったんだな、と墓石を流れ落ちる酒のしずくをみて過ぎし日を思っていた。

スポンサーサイト
代表的日本人も忘れられた日本人
 『論座』『現代』『諸君』と月刊誌の休廃刊が相次ぐなかで、『文藝春秋』だけが1人勝ちをつづけている。部数は60万部らしい。最新号の4月号はお得意の昭和特集で「教科書が教えない昭和史」。ぼくの世代はすこぶる興味があるが、ぼくが楽しみにしているのは藤原正彦お茶の水女子大教授の「名著講義」だ。この名著について学生が意見や考えを述べるゼミナールの再録という形式で記述され、今回のテキストは内村鑑三の『代表的日本人』。

 内村鑑三は代表的日本人として、5人の人物をあげ、その言動と内面を表現した。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人である。のっけから学生の1人が言う。「恥ずかしいのですが、私はこの本に登場する5人のうち、最初に出てくる西郷隆盛しか知りませんでした」。西郷以外を知っている学生はごく少なかったみたいだ。

 いまどきの大学生でも二宮尊徳や日蓮上人はお馴染みだろうと勝手に推察していたが、この2人ですら、もはや過去の忘れられた日本人であるらしい。本を読みながら薪を背負った二宮金次郎像が浮かぶ旧世代としては、まさかという感想を抱かざるをえない。前にも書いたが、61年にケネディ大統領が尊敬する人物として上杉鷹山(ようざん)の名をあげたとき日本人記者はみんな「鷹山Who?」だったというから、記者も当てにならない。

 ケネディが上杉鷹山を知っていたのは、『代表的日本人』に依ってである。内村鑑三はこの著作を英文で書いた。「日本人を世界に向て紹介し、日本人を西洋人に対して弁護するには、如何(どう)しても欧文を以てしなければなりません」と言っている。内村鑑三と同じキリスト者で札幌農学校(北海道大学の前身)でクラーク博士の感化を受けた新渡戸稲造も『武士道』を流麗な英文で書いた。

 新渡戸稲造は五千円札の肖像で知られる。この有名人物「にとべいなぞう」を読めなかった北大生がいて話題になったが、五千円札はなぜ内村でなく新渡戸になったか。2人とも、欧米の歴史や文化に深い知識をもった国際人だったが、内村は宗教上の理由から教育勅語への敬礼を拒否した不敬事件を起こし、旧制一高の教職をクビになっている。さらに、足尾鉱山事件で天皇直訴を起こした田中正造を支援し、堺利彦や幸徳秋水などとともに社会運動にもかかわった。それらの経緯が国家にとってはマイナスに作用したにちがいない。

 とまあ、話が横にひろがっていくのがぼくの悪い癖。『代表的日本人』は岩波文庫に収められている。登場人物5人がすべて「徳のひと」であるだけに、心がすがすがしくなる。一読を勧めたい。



巨乳の悩み、貧乳の悩み
 ぼくのかみさんは乳がんの手術で右の乳房を全摘出した。ところが、平べったい胸をしていて、あるかなきかの状態なので、いまではどちらを全摘したのか、自分でもわからなくなるときがあるらしい。「このおっぱいでもずいぶん役にたった」というのが自慢だ。2人の子どもを母乳で育てたからである。

 同じく乳がんの全摘手術をした知り合いのボインおばさんは、がんが再発したわけでもないのに胸の手術をしたそうだ。残ったほうの乳房が重くて、とてもたまらない。バランスをとるために、摘出した乳房のあとになにか重しをいれる手術をした。巨乳にも人知れず悩みがあるものであるらしい。

 女子大の作文にも乳房が大きいがゆえに肩こりがはげしい、とるる述べたてるものがいた。おまけにその子はなで肩で、ブラジャーのひもがずり落ちる。巨乳に生んでくれた母をうらまずにはいられない。ということを「私を語る」という作文で書いていた。これは男にはまるで理解不能な身体状態である。

 そこへいくと、かみさんは子育て期限定の豊乳であった。子どもを生んだとたんに胸がふくらんで、急に豊かな丸みを帯びてきた。乳房が張って、乳だけがホルスタインになった。第一子の長女は生まれて3時間後、これまた早くも食い意地の本性をみせて、おっぱいに吸いついてきたそうである。「早くおっぱいを飲まないと、死んでしまうかもしれないと思ったの」というのがのちのち、長女が語った言い草らしい。

 世の中には巨乳願望の男も多いようだが、かれらは巨乳の悩みを知ってるだろうか。かみさんのように通常、極貧の貧乳も素早く動けるメリットはあるものの、あるべきものが盛り上がってないので人前では裸にるのを厭う。すなわち温泉大浴場を敬遠しがちになる。その点、巨乳や豊乳はぷるんぷるんして巧みに走りにくい面はあっても、堂々と胸をはって入浴できることで公平なのであろうか。どっちみち、だれにしろ悩みの種は尽きないということ。以上、今回は軽く。

小沢一郎の体質研究
 小沢一郎というひとはまるでかわいげがない。それどころか権力をかさにきた憎らしいわがまま男、というのが昔からの人物評であった。今回の献金事件で東京地検特捜部との全面戦争の姿勢を示したが、国民的な同情は少ないだろう。なにせ、田中角栄、竹下登、金丸信といった金権体質の派閥の親分衆にめっぽう寵愛され、己に利あらずとみればあっさり親分衆に見切りをつけて去る。信頼や誠実や徳とは関係ない男の印象がある。

 そのいやらしい素顔を容赦なく描いている本が『自民党幹事長室の30年』(奥島貞雄、中公文庫)である。筆者は田中角栄から加藤紘一まで事務方として22人の自民党幹事長に仕えた。22人のなかで田中角栄は人間味にあふれ、最高の幹事長であった。それに比べ最低の幹事長が情薄い小沢一郎であった。奥島のみるところ、小沢は「懐体屋」だ。「解体」は組み立て直して再生可能だが、「壊体」はただ壊すのみ、と手厳しい。

 つぎのエピソードは小沢の体質をよく語っている。90年、小沢がプライベートな海外旅行をしたとき、現地の移動に民間企業が専用機を無料で提供してくれることになっていた。これを聞いた奥島は「いくらプライベートでも与党の幹事長が特定企業の専用機をタダで使ったとなると、後々問題になりかねない。料金はキチンと払うべき」と進言する。小沢は「大丈夫、大丈夫、心配いらん」と余計な口出しはするなといわんばかりであった。結局、説得に乗って料金を払うが、これで助かった。

 民間の企業とは、イー・アイ・イー・インターナショナル。その経営者がのちに東京協和信組、安全信組の乱脈経営問題にからんで国会で証人喚問を受けることになった東京協和の前理事長、高橋治則。95年、共産党議員が質問する。「自民党幹事長時代の小沢さんに無償のサービスを提供したのではないですか・・・」。もし、料金を払ってなかったら、収賄疑惑が降りかかったはずである。高橋は背任容疑で逮捕・起訴された。「大丈夫、大丈夫、心配いらん」というような人物ではなかったのである。

 今回は贈収賄事件ではなく、政治資金規正法違反の違法献金事件。西松建設は自民党有力議員にも献金しているが、民主党幹部は小沢代表をねらい打ちした国策捜査だと非難していた。しかしこれは身から出たサビ。民主党が政権をとったら恣意的に検察を動かして勝手に捜査ができる、と言っているのと同じだからだ。こんな党が政権を握ったら怖い。

 民主党は民主党VS特捜部という構図ではなく、小沢事務所VS特捜部に留めたい。全面対決を宣言した小沢代表がもはやうっとうしい。「大丈夫、心配いらん」と代表が力んでもあてにならん、と民主党議員は疑いはじめているんじゃないの。これは代表だけの問題だ。火の粉を浴びるのはごめんだ、という心境にちがいない。同情するぜ。 



涙、涙のこの1冊
 『文藝春秋』SPECIALの「日本人は本が好き」を危うく買い忘れるところだった。ぼくは単行本の良書や雑誌の増刊号は東京堂で買うことにしている。わがペン森から神保町を歩いて東京堂に着くまで、古書店がならんでいて、歴史や軍関係の専門店もある。金物屋も興味深い。書泉グランデも覗いてみたい。東京堂に着いたころはさてなにを求めてきたのだろう、と首をひねることもままある。これは寄り道のせいではなく、ど忘れ加齢のせい。小便に行く途中、いまどこに向かっているのか失念するときもあるからさ。

 きょうは書泉グランデに立ち寄っただけで東京堂に向かったので、目的の「日本人は本が好き」を購入できた。すぐページを繰った。特集「私が泣いたこの1冊」が目にとまって、ぱらぱらと見やる。「泣いた1冊」には司会者で俳優の大読書家、児玉清が伊藤左千夫の『野菊の墓』をあげている。「そのとき涙も涸れるかと思うほどないたことを今も忘れることができない」。そのときとは60年前の15歳のとき。

 ぼくも中学生のときに読んだ。「こみあげてくる涙、涙で、ついには嗚咽し、民子を失った政夫の気持のあまりの救いの無さに身もだえするほど狂おしく天を仰ぎ、滂沱と涙した」という児玉と似たような状態におちいった。ぼくは祖父母宅の布団の中で涙にくれた。「この映画、木下恵介監督『野菊の如き君なりき』は、本校の近くにある松戸が農村だったころ、古い固定観念や因習の犠牲になった悲恋物語」と前置きし教材としてビデオをみせた。ぼくは女子学生の視野からはずれた席の最後尾でひっくひっくとしゃくりあげていたんだよね。本も泣けるが、映画も泣ける。

 ビデオでは野村芳太郎監督『砂の器』、神山征二郎監督『月光の夏』もひと一倍、涙腺がゆるんでいるから、ぼくは涙涙だったね。『砂の器』は映画で泣いたことはない、と自慢する男もしまいには陥落するらしいよ。『野菊』に参った児玉は書いている。「七十五歳の老年期を迎えたのに、なお読む度に溢れ出る涙は一体どこからくるのか」。ぼくも70歳の老年期を迎えているが、どこかに少年期の残滓が残っていて、なにかの拍子にまた芽吹いてきたのではと思う切なくも純な感覚がある。その切なさに『野菊』は共鳴する。べつの言葉でいえば、育ちきってない部分があるということ?

 中学生のころの感覚を鮮明に憶えているということは、悪いことじゃないよね。すると、今春ぼくと2人旅をする中学生の孫娘は、70年後末期高齢者になっても祖父との旅の記憶を保っているのだろうか。どこへ行くかはまだ決めてないが、よい思い出をつくってあげねば。





プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する