ペン森通信
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ことしのわがベスト1小説
 ことし読んだ小説のぼくにとってのベスト1は、平野啓一郎の『決壊』と思っていた。匿名ネット社会の不気味と壊れゆく現代社会をあますところなく露出させ、総毛立つような内容。上下巻の長い単行本で哲学的な記述もある小説だが案外、すいすいと読みやすい。だが、今月読みはじめた奥田英朗のサスペンス『オリンピックの身代金』(角川書店)がぼくにとってはベスト1。

 オリンピックとは昭和39(1964)年の東京オリンピック。その関連施設工事の過酷な労働を体験する東大経済学部院生が、たったひとりの爆弾テロリストとなって、オリンピックを推進する国家に立ち向かう話。主人公は秋田の貧農の出身で、小説は格差社会の下層に三脚を固定したように下からの視点で描かれていく。戦争の焼け跡からみごとに復興して、オリンピックを開催するまでに進展したニッポン万歳の内容では決してない。そこがいい。

 ぼくは昭和37年に新聞記者になった。オリンピック年の39年には警視庁7方面のサツ回りをしていた。墨田区、葛飾区、江戸川区などの下町が守備範囲である。折しも東京が無秩序に発展して畑の中に木造アパートがつぎつぎに建ち、貧しい家庭の子どもが水路や肥だめに落ちてよく死んだ。工事の災害事故も多かった。青森県・大鰐からの出稼ぎ労務者が数人、橋工事で埋まり死亡した。ぼくはこの取材体験が『オリンピックの身代金』と重なるのである。

 東京オリンピック関係の工事で亡くなった労務者は東海道新幹線で200人、高速道路で50人、地下鉄工事で10人、モノレールで5人、その他を合わせると300人を超えたという。小説の主人公は強調する。「犠牲者の上にしか繁栄を築けないのであれば、それは支配層のための文明です」。当時、国際便は羽田に乗り入れていて、羽田近辺の沿線から見えるごみごみした貧相な住宅は国辱ものだ、外国人には見せられないという声まであがり、日本人はオリンピックに沸騰して正常な感覚を失っていた。

 一定方向に流れがちな日本人の性向は、小泉支持でもあらわだった。小泉新自由主義の規制緩和が調節弁としての派遣導入を導き、格差を加速させた。また東京にオリンピックを、なんて一部で興奮しているが、これとてすべり台社会のすべり台から落ちて下からはい上がれない貧困層と外国人労働者に支えられるのだろう。再度の東京オリンピックが仮に実現しても、それは支配層のための文明にちがいない。ぼくは再度の東京オリンピックには反対だが、日常は支配層の末端の末端にぶらさがってときどき温泉旅に出かけ、安穏な生活に無反省なばかりである。悪いなあ。ごめんよ。高齢者だから勘弁して。

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冤罪はこうしてつくられる
 最近2件、アタマにきたね。①北千住駅の構内でお巡り2人に呼びとめられ、リュックの検査とボディチェックをされた。②新宿TSUTAYAから前に借りたビデオ1本が返却されないままだ、という電話が自宅留守電にはいっていた。いずれもおらっちにかかわることではあったが、関係ねえことだった。

 ①はJR常磐線安孫子へ女子大の授業に行く途中、地下鉄半蔵門線からの乗り換えに際して遭遇したこと。2人の制服警官がぼくの前にたちふさがって「ちょっといいですか」と呼びとめた。それまでもこの駅はやたら制服警官が目立っていて、若者によく職質しているのを見かけた。今度はこのよれよれじいさんが、うさんくさく見られたらしい。テロをやりたい気もしないではないがね。

 「ちょっと端のほうへ」と隅っこへ寄せられ、「リュックの中を見ていいですか」といいざま、返事もまたずに中に手を突っ込んでごそごそやる。「このリュックは有名なナイフメーカーの製品なんですよ。知ってました?」「いや知らん」。一方でもう1人が「チェックさせてください」と衣服の上からなでなでする。ナイフメーカーのリュックだから、きっとナイフおたくだと思ったんだろうね。単細胞にあきれるばかりだったよ。

 ②は黒沢明傑作のビデオ版『天国と地獄』を借りて、4階の返却ボックスに入れて返した記憶がまだ鮮明に残っているのに、返却されてない、という。自宅に2回も電話があった。夜、問い合せるとぼくの登録番号をきいて「1本返されていません」「返したはずだよ」「家をよくさがしてみてください」。余計なお世話だ。

 2週間前、ビデオ1本を入れた紺色のTSUTAYA袋を神保町から新宿までもっていったんだから、そりゃボケ寸前のおれっちだって忘れるわけないよ。だが、こっちも確たる証明はできない。こりゃ水掛け論だな、どういう顛末になるんかな、と半ば案じながら本日TSTAYAに行った。

 念のため先に『天国と地獄』のあった棚を見ると、それがちゃんと収っているではないか。カウンターに行くと登録カードを差し込んで「1本返されていません」とまた同じことをいう。「ちゃんと元のところあるよ」。店員だかアルバイトだか、女の子が確かめに走った。「申し訳ありません。私どもの手違いでした」。人間よりもコンピュータを信じるのかよ。自分の目で確認したことだけを信じるようにしてくれ。

 きのう17日からペン森の講義開始。今週のテーマは冤罪。知的障害者の福祉施設で起こった「甲山事件」で犯人とされて逮捕され、25年後に無罪が確定した山田悦子さんのインタビュー「冤罪はこうしてつくられた」を教材にしている。犯罪は故意に仕立てられやすいんだよ。要注意。


あてになる自分をつくる
 今年3月には中央大学をリタイアし、来年3月には川村学園女子大もリタイアする。両大学とも、正規の授業をもっていた。ぼくの授業は文章添削を伴うから、土日のうち1日は添削時間にあてねばならない。土日に温泉旅や「乗り鉄」の予定を組んだら、1000字の課題文章を600~800字と短くしたり、ビデオ鑑賞だけですませたりと添削労力の低減をはかるのは当然、他の曜日に添削して消化するなど苦労した。

 来年から書いた本人に返却しなければならない文章添削はペン森だけになる。もちろん、大学は授業時間が収入に姿を変えてもどってくる。こんどはペン森のみとなるが、これは収入を伴わない。持ち出しである。これまで持ち出しは大学授業収入でまかなっていたから、その原資が消えることになる。だが、その代わり時間が浮く。自由使いで増えたのがなによりうれしい。

 企業に週休2日制が導入されたのは80年代である。土曜日も休みになったとき、なにしろいきなり永遠の2連休だから、かなり戸惑ったひとも多かった。余った時間を活用したのが小学館の名物編集長だったYくん。小説を書きはじめて中央公論新人賞を受賞した。「土曜日も休みになったんで、時間をどう使おうかと困って」とかれは言っていた。

 城山三郎に『毎日が日曜日』という小説があるが、リタイアしてやることがなければ、毎日が日曜日になる。すると、それまで深夜帰りだった亭主がいつも家にいるものだから、かみさんはたまらない。鉄道職員をしていたAさんは午前8時、正午、午後6時と毎日寸分違わず食卓に座り、食事の文句をつらつら言う。かみさんは息苦しくてたまらない。ついに離婚にいたった。夫婦は毎日顔をつきあわせてはいけないのである。

 その点、大学をリタイアしたぼくは平日、無収入のペン森に出勤する。土日は適当に列車に乗って温泉旅などに出かける。ところが来年は、JR3割引のジパング会員とはいえ、乗車券代に加え宿代が払底する。その不足をどう工面するかがじつは楽しみなのだ。必要は発明の母です。旅をするためにはきっと、収入の算段をするはずで、いやもう、その目論見がある。

 で、なにをするか。だが黙っておこう。来年のことを言えば鬼が笑う、というからね。鬼が笑うは、烏が笑う、ともいう。先のことはわからん、あてにならん、ということ。でもぼくは、自分をあてにしなきゃならんの。明日はどうなるかわからん、この経済危機、みんなも企業だけに頼らず、あてになる自己形成に力を注いでくれい!

五木の子守歌を知ってるかい
 カラオケ、フーゾク、バー・クラブ、パチンコ、ゲームセンターといった風俗営業の類にぼくは縁がない、と思われているが、じつは遠い昔、カラオケじゃないが歌は歌った。歌声喫茶で、ロシア民謡とかインドネシアの哀歌とか。『五木の子守歌』もときどき。60年安保の抵抗世代としては『五木――』は民謡に名を借りた抵抗歌と理解していたからね。

 『五木の子守歌』は方言ながら易しい歌詞。「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと 盆がはよ来りゃ はよもどる」につづく次から問題意識が表面化してくる。「おどま非人非人 あん人たちゃよかし よかしよか帯 よか着物」。非人は「かんじん」と読んで歌う。差別、偏見です。南九州育ちのぼくのかすかな記憶では「かんじん」は「乞食」をさす方言だったような。

 この歌は赤ちゃんをあやすのではなく子守娘の心情を歌っているから、「守り子歌」というらしい。よかし(衆)というのは地主階級、非人(かんじん)は小作人で、田畑はもちろん家、屋敷までよかしから借り受け、娘たちは10歳かそこらでわずかな賃金で子守奉公に出た。盆がきたら帰れる、早く盆よ来い、というのが出だしの意味。

 ペン森に来訪した日経記者は、非正労働者に対する労働者の首切りはすごい、と驚いていた。現代では正規社員が「よかし」、「かんじん」に当たるのが非正規労働者。現代の「かんじん」ともいうべき派遣社員はひどい扱いを受けている。1日やっと1食の若者もいるというしね。しかし、年金もそこそこもらえて、「よかし」に分類されるぼくは、彼らの心の奥も実情も知らず、ただ外からものをいうだけ。まるで朝日新聞みたい。

 五木村は球磨川水系の川辺川ダムの湖底に沈む運命にあった。だが樺島熊本県知事のダム白紙撤回表明によって、五木村はそのまま残ることになる。ところが、反対から合意に転じたという経過をたどり、ただ下流の住民のために家や農地や先祖代々の墓所を手放して離村した。残った住民は国が用意した代替地へ移転してしまった。いまさら、という住民の怒りと戸惑いは深い。五木村は42年間にわたって翻弄されつづけたのである。

 これでは五木村住民は「かんじん」扱い同様である。似た例が群馬・長野原の八ツ場ダム。ペン森生が合宿の帰りにこぞってはいった名湯、河原湯温泉もダムに沈む。来年から本体工事にはいるといわれるが、ここも52年にダム話が持ち上がってから半世紀、振り回されつづけている。国は国土保全という公共事業に固執して住民の生活基盤に打撃をあたえる。メディアは「かんじん」の立場に身をおいて、そこから見える視界に報道価値を見出さねば。権力行使側の「よかし」の情報に依存しすぎてはいないか。

中大に美人が多いという新説
 中央大学は美人が多い。ぼくは水曜日、中大へ出講している。美人がかなりいる、といつも思う。もしかして70歳になって審美眼や鑑賞力が摩耗しているんじゃないかと心配したが、今週しみじみと観察したら、やはり中大も地味一本槍ではなくなっている。栃木や茨城や埼玉にも美人はいるわけだから、中大にいないわけはないのである。

 中大といえば、刻苦精励の苦学生の大学というイメージがあって、その存在は弁護士や検事を輩出する法曹の雄として語られることはあっても、女性美で語られることはついぞなかった。いや、いまでも上智や青学や立教のように、女子学生がファッションなどで話題にされることはない。しかし、固定観念をいつまでも引きずっていては世の中の変化から置き去りにされる。

  戦後の中大女子学生の世間評はつぎのように変遷してきたのではないか。中大にも女子学生がいる→中大にも女子学生が増えたが、いもねえちゃんばっかり→中大の女子学生はファッションセンスがなく、見栄えがしない→中大の女子学生はブス揃い→中大の女子学生にもときどきかわいい子がいる→中大の女子学生にも美人がいる→中大の女子学生には美人がかなりいる→そして遠い将来。中大の女子学生は美人だらけ、になるかもよ。ぼくはもういないけど。

 1カ月くらい前、毎日新聞の夕刊に「東京にはなぜ美人が多い?」という特集があった。その道に造詣の深い井上章一・国際日本文化研究センター教授が「とくにテレビ局は美人がそろっている」とコメントしていたような。ペン森の卒業生の某くんは、テレビキー局の最終で落ちてぺん森女子とともに大手紙の記者に内定したとき「新聞社は顔で採るんじゃないですね」と感心していたことを思い出した。ペン森女子は結局他社へ行ったけど、失礼な話だよねえ。彼女も新聞社じゃりっぱな美人です。

 もっともぼくは上智や青学や立教は覗いてないから、テレビ局を見ないで新聞社だけみているのかもしれない。でもね、オリンピックにしろ日本女性はスタイルもよいし、きれいになった。以前は鬼瓦みたいな顔をした選手がいたから隔世の感ありだね。畳から椅子生活、ご飯みそ汁からパン肉食と食生活の変化で胴長短足が短胴長足に欧米なみに変身して、それが平準、平均化され、坊ちゃん嬢ちゃんがこぞって大学にはいった。先述した中大評の変遷はそっくり日本全体に通じるね。

 大学のキャンパスを歩くと、身長165センチのぼくはチビだと感じる。大学生はみな背が高い。胴長短足のぼくは、この数年で背丈も縮んで余計短足になった。股下が3センチも短くなっていたんだよ。ぼくは美女たちを仰ぎ見ながらいっそう縮んでいくのね。




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