ペン森通信
眠れぬ美女と行く
日本列島鉄道路線一覧が載った旅行地図を買った。広げると全長3・5㍍はあろうかという長尺もの。ぼくが縦断の旅をもくろんでいる北海道・広尾→鹿児島・枕崎までは気の遠くなるような距離である。もちろん宮脇俊三『最長片道切符の旅』をなぞるわけだから、一直線ではなく先へ行ってはまた近くまで引き返す。全行程は1万3000キロ以上になる。

 これは一筆書きのコースだからコースとしては1コースにすぎない。宮脇さんは34日間かけて乗車した。つまり1コースを34分割して乗り継いで制覇し、みごとな紀行文学を仕上げたのである。ぼくも紀行文を考えているのだが、34日間以上かかるだろう、と予想する。まずスタートの国鉄広尾線広尾駅なんてすでに廃線になって存在しないから、バスで帯広まで行かねばならない。

 『最長・・・』が刊行された1979(昭和54)年には新幹線は開通していたが、宮脇さんは、ただ窓外に景色が流れさる新幹線は利用しない。あくまでも土地土地の人情、風物、自然にじかに触れてリアルな表現を心がける。『阿房列車』の作者はホームに停車中の列車を前から後ろまで歩いて編成を観察したが、宮脇さんは走行中の車内を右に左に歩き回り、まどから外を見ては屋根の変化なども目に焼きつけた。

 ぼくは『阿房列車』をまねて狂言回しヒマラヤ山系のような配役も必要とするが、派閥からいえば宮脇派である。山口瞳『温泉へ行こう』や開高健『ずばり東京』の味付けもしたいものだという野望ももたげてきている。じつは昨夜も今朝も居眠りして電車をのりすごした。車内で眠りこけて車窓のなにも目にしないんじゃないかと心配。

 ところがだ、北海道の同行者、つまりヒマラヤ山系役は女子大生なのだ。学割現役とジパング倶楽部老人の組み合わせ。年齢差47歳。わが学割女子はよき介助をしてくれるだろう。ま、世間は品よくいって川端康成『眠れる美女』程度の想像力ははたらかせるかもしれない。しかしね、内容は『最長・・・』刊行の30年前と現在の日本の矛盾や病理現象をえぐる社会派でさ、金も組織もないが志だけで朝日のルポは超えたいね。介助女子が道中、眠れる美女だったら困るが。




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遠い道を来るまでに
  きょうの午前中、新宿の蔦屋にいってビデオを3本借りてきた。このところDVDが幅をきかせてビデオはどんどん肩身がせまくなって、居場所がどんどん狭まる。ぼくは大学でも自宅でももっぱら、ビデオ利用なので選択肢が少なくなって、やりきれない思いがするのだが、やむをえない。時代の変容はこんな消費現場にもひたひた迫る。

 きょう借りてきた1本は「遠い1本の道」という昭和57年の制作。もう知らないひともいるだろう、かつての名女優、左幸子が監督して、国鉄労働組合が提携している。北海道を舞台にした保線夫の物語である。もはや国鉄がJRになったのもいまや昔語り。ぼくが網走にいったとき、国労の組合員たちは赤旗を立てて、民営化反対の路上デモをやっていた。

ぼくはSLが北海道の広野を疾駆する勇姿をみたいので借りた。折しも新幹線が九州まで伸び、九州の炭鉱が閉山の流れにあった当時である。ぼくはSLの時代に育っているので、SLには特別の感慨がある。そのうえ、炭鉱の坑木を出荷していたわが家はエネルギー変換によって左前になり、ぼくの結婚資金にも困窮したのである。

 ぼくが計画している日本縦断の鉄道とバスの旅の起点は宮脇俊三著「最長片道切符の旅」のスタート地点えりも岬近くの広尾。もとはといえば、その本のルートをなぞろうというわけだから、出発が広尾にならねば意味がない。その本は「遠い1本の道」にさかのぼること4年まえの昭和53年の紀行文。広尾線は、「愛国駅から幸福駅へ」という切符を売り出して評判になったこともあるが、1887(昭和62)年に廃線になっている。それを利用したひとははたしてみんな幸福になったか。どんな実感を抱いているのだろう。

 広尾線廃線の跡がどうなっているかその様子も気になるので、ぼくはそれこそ「遠い1本の道」を撮る望遠レンズの用意をしなければならないのかとも考える。広尾から帯広まではバスに乗ることになるが、まさか旧線路が道路特定財源で道路になってバスが通っているわけでもあるまい。特定財源を活用して健康器具でもならんでいるのかもしらんがね。

露出パフォーマンスは迷惑か
 毎朝、ぼくはテレビをつけたまま新聞を読む。テレビは6ch「朝ズバッ」から10ch「スーパーモーニング」に切り替える。このあいだ、モーニングで秋葉原露出パフォーマンスをやっていて、そのパフォーマンスに驚いたね。

 若い女性が電柱?の1㍍うえくらいに寄りかかって、ミニスカートから片足を上げて広げパンツを全面開陳しているようだった。カメラをもった若者たちがそのパンツの中心をねらって、群がっている。実況女性アナは「花柄の下着」とかなんとか、せめて品よく表現していたが、なんと薄汚いと思ったね。

 女性が広げた脚を180度回転させれば、それはまるでオス犬のマーキングスタイルと同じだ。テレビで放映されたからかどうか、目にあまる露出に女性は都迷惑防止条例で逮捕された。テレビにでた露出娘は22歳と答えていたから、逮捕娘が本人かどうかはわからないが、逮捕娘は32歳だった。

 ぼくは、これははたして迷惑に妥当するのだろうかと疑問をもったね。若者は嬉々としてカメラをかまえているわけだし、それはストリップのかぶりつきで上半身を乗り出して、口を開けてよだれをたらしているおっちゃんと変わりははない。いや、ぼくはそんな話をきいたことはあるが、実際は知らんよ。むかしそんな光景があったらしいぜ。

 秋葉原はそもそも子どももママのパパも外国人もいる公的な場だから、取り締まりの対象になったのだろうが、露出女性は隔離された密室でパフォーマンスをやったらどうかね。
むかしのようなストリップ小屋でやってもらい、カメラOKとする。だれの覗き趣味も刺激しないだろうけどさ。

ペンを剣にかえろ
  ネットカフェ難民を報道してその言葉を定着させたのは日本テレビだった。ワーキングプアという働けど働けど貧しさにあえぐ現代日本の貧困の一断面を切り取った特集で衝撃をあたえたのはNHKだった。

民放もときどきドキッとする報道番組で力を見せるが、やはりNHKの取材の分厚さにはかなわない。野村芳太郎監督の松本清張原作「砂の器」が傑作といわれるのは音楽の効果もあるが、やはり四季折々の光景のなかに流浪の父子を描ききったロケの成果とぼくは思う。四季を通してロケをしたというところは、息の長いNHKの取材と共通するものがある。

そのNHKは昨夜『NHKスペシャル』で「セーフティネット・クライシス」というテーマを俎上にのせた。格差社会の貧困側の危機に瀕する生活・介護・医療・教育などの側面を具体例取材によって突きつける内容だった。日本国民は憲法25条によって「健康で文化的な最低限度の生活営む権利を有する」のだが、とくに障害者・高齢者・独り暮らし・母子家庭に属する人びとにとっては憲法25条という生命維持装置が機能してないことを
白日にさらしてくれた。

 日本がこれほどまでに破綻し、崩壊の瀬戸際にあるのは、一言でいえば、急激な少子高齢化に公的な制度が追いつかなくなっている矛盾の露呈だろう。しかしこの人口現象は何年も前からわかっていたことである。工業社会と成長神話の幻想から脱しないまま、ここまできた知恵なき政府と政治が招いた結果だろう。

 先進国日本は発展途上国型の中央集権体制だが、中央政府を構成する官僚とその末端の不正、腐敗は最近、どんどん明らかになっている。これは野党勢力が伸してきたためではあろうが、旧ソ連のように内側から腐り、腐臭ふんぷんたる国家の衰退を示すにほかならない。貧困ゆえにどんなに自殺者がでても、自殺に追いやる一因をつくった彼らは罪に問われることはないのだ。

 朝日をはじめ新聞も日本の貧困問題には熱心になってきたが、どうしても上から目線のしらじらしさがつきまとう。3分の1を占める非正社員を取りあげても3分の2の側のなかでもきわめて高収入の正社員だからだろう。それでもジャーナリストはペンを剣に持ちかえ、鋭く官僚や政治家を刺して正さねば、高給をもらう価値がない。



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