ペン森通信
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生まれたときから死へ向かう。
 ペン森は先週から今週水曜日まで、新聞春採用むけの直前作文講座を実施している。1日3本指定時間内に書いてもらったものを即読んで、ABC評価をつけて返却する。それに追われて先週はこのブログもさぼってしまった。連続10日間、1日約60本見なければならないから、相当にしんどい。

 直前の講座というか特訓は毎年やっていることで、ぼくは慣れているつもりだが、どうしたことか今回はやたら疲れる。作文本数が多いわけでもないし、レベルが落ちて読解に難儀するわけでもない。要はぼくの体力と頭脳が低下した、ということだろう。
 
 そういえば、元気なころを知っていたひとの死が最近、胸にこたえる。これも心身の状態が弱っている証拠だろう。2軒隣のじいさんが亡くなった。95歳。ついこの間まで駅まで歩いていたんだけど、お迎えがきた。このひとのかみさんももう90歳にはなってると思うが、近所で評判のやきもちやきでね、つい2,3年前まで、他人のうちのかげに潜んで夫を監視したり、尾行したりしていた。

 あのじいさん、若いころ女あそびをして、ずいぶん女房を泣かせたのだろうか、と想像して、女のうらみはこわいなあ、としみじみ考えたものだ。しかしその道の専門家、渡辺淳一先生によると、女はさっぱりと根にもたない、男は未練たらたらしつこいというから、あまりあてにならない。『カミさんと私』を書いた土岐雄三は若いときのうらみがこもったかみさんに年老いてから徹底的にいじめられる。

 まあ、ぼくは品行方正清廉潔白を通してきたから、若いとき、すこし道をはずしておけばよかったかな、といまは振り返る。道ははずさなかったけど、度をはずした行動はけっこうした。だいたいが、品行方正なくせに、型にはまった生き方ができないんだな。

 悪役にはまりきれなかった俳優、リチャード・ウィドマークも亡くなった。93歳。口の端をちょっとゆがめて非情な笑みを浮かべ、しゃがれ声で西部劇、サスペンス、戦争もので活躍したぼくのすきな俳優。悪役ばかりじゃ、娘が学校でいじめられると心配して善人にも扮するようになる。ウィドマークよりもっと悪人づらをとハリウッドが登用したのが、ジャック・パランス。骸骨が顔の表皮をつけたような風貌でこれは笑う子も泣きだしそうな顔つきだった。

 かれはスタンフォード大出のパイロットだったが、戦災で整形手術をしてその顔になった。『攻撃』という戦争映画では卑怯な上官に対する復讐の鬼と化すが、正義の下士官を演じたその演技力が評判になって、いきなりアカデミー助演賞にノミネートされた。ぼくの好きな、この性格俳優も一昨年11月、87歳でなくなった。かれも、ウィドマークも、近所のじいさんもとても死にそうには見えなかったけど、ひとはみな生まれたときから死へ向かっているんだね。合掌。
 
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脳が占拠された
    きのう19日は新社会人を対象にに「ネット社会を生きる」というタイトルで講演をするはずだった。日にちを間違えていた。19日ではなく24日だった。ずっと19日と思いこんでいて、前日はまる1日かけて資料を準備した。読んだ関連本8冊、それを部分的にコピーさせてもらって、A4コピー用紙に貼り付け、クリアーホルダー20枚にはさんだ。

 ホルダーに入っている資料ははもちろん内容別に仕分けしてある。資料は受講生に配るのではなく、ぼくが話す際の虎の巻。90分話し通すというのは案外、たいへんな精神作業である。ぼくは大学で1コマ90分を経験しているから、それが実感としてわかる。ましてやこんどの講演はぼくが苦手とするネット関係だ。資料という虎の巻なしでは10分と保つまい。

 事前に頭のなかで考えた内容は以下の12項目と盛りだくさん。①ケータイ・PCがなかったころ(アナログの時代)②IT革命の実現(産業革命以来の革命)③アメリカ小児科学会の警告(脳の発達を阻害する映像メディア)④バーチャルリアリティーの世界にひたる(非現実が現実を逆転)⑤匿名書き込み(知られないがゆえの二重人格)⑥ケータイ・ネット依存症(麻薬と同じ中毒性)

 ⑦メール・コミュニケーションの便利性と罠(簡便さと礼儀)⑧ケータイ・PCを使用する時間の得失(結果だけを素早くしる代わりに思考停止状態)⑨ネットカフェ難民が生まれた背景(ネット活用若年名難民出現)⑩ケータイ小説の流行(出版文化異変)⑪ネット情報の真贋(事実の見分け方)⑫進化するネット社会とのつきあい方(生の人間と向き合う。

 関連本を読む前に考えたレジュメなので、少々的はずれの傾向も見える。ケータイからネット接続は当たり前になっているし、そもそもケータイはいまや通話の道具ではない。メール、ネット。若者はもうこれなしでは1日だってすごせない。狩猟採集→農耕→工業人間を取り巻く環境は変遷してきて→IT社会となった。工業化で労力を機械にうばわれ、事務分野に活路を開いた人間は、たかだか50年の歴史しかないITに事務能力でもかなわなくなった。人間の脳はケータイに占拠されたのである。恐ろしいことだ。
晩節をけがした?慎太郎知事
宮崎・東国原、大阪・橋下となにかと話題の絶えない知事だが、メディアのネタとしては東京・石原は極上の部類にはいる。なにしろ嫌われているからね。新東京銀行の400億円追加融資問題によって都議会でやいのやいの言われるのがニュースになるというのは、ワンマン横柄大ボス慎太郎知事がいじめにあっているようで、痛快でたまらん、というのがメディアの本音。

 もちろんメディアは都議会の尻馬にのって、へっぴり腰ながら追撃のかまえだが、ぼくは真剣真面目にアタマにきている。400億円は税金だぜ。新東京銀行の志はペン森と同じくなかなかよかった。経営大不振という点もそっくりだが、規模がちがう。ぼくは所得税の確定申告の手続きを終えたばかりだが、年金が収入の大半を占め、これから地方税の納税通知が追いかけてくる。増税感はすごいよ。

 400億円の追加がなんの足しになるのだろう、とおおかたのひとは思っている。戦争でいえば兵力をすこしずつ追加投入というパターンでこれははっきり、劣悪な指揮官がとる負け戦の戦法。多くの場合、指揮官は自己保身によって犠牲者という父も母もきょうだいもいる部下の兵隊を殺すことになる。仮に400億円の追加が都議会を通ったとしても、新東京銀行の蘇生は無理だろう、と世間は思っている。たしか、2、3日前の朝日の社説もそうだった。

 そもそも、この銀行は慎太郎知事の鶴の一声でできたようなものでしょ。みんなそう思っている。なのに責任を感じるような発言はしない。質問した民主党議員にあなたの総大将は・・・などとガキのわめきみたいな反撃をして失笑冷笑をあびても、ここは鈍感。かれはぼくが4分類でいう「掛け算」タイプでね、掛け算発想の先に新東京銀行があったんだろう。

 育ちのいいお山の大将的掛け算人間は、わがままでね、攻撃の的にされると、ひねたりだだをこねたり、始末に困る。慎太郎知事は結局は、責任逃れで男を下げた。もはや晩節をけがした、といってもいいかもしれん。若くして華々しく登場したのに、老醜無惨になる予感。りっぱそうな訓戒をたれてきたから老いてからはなおのこと、モハン的な人間にならねば、と同じくじじのぼくは考えるが、かれは老いたという感覚もなさそうだし、こりゃ手に負えない。

大作と大長編を生んだエネルギー
  講談社の学芸局長をしていた鷲尾賢也さんは毎週火曜日、毎日の夕刊にコラム「本のウチソト表裏」というコラムを書いている。11日はその最終回。書き出しはぼくもまったく同じ経験があったので驚きつつも懐かしかった。「ずいぶん昔のことだが、車中でツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』(みすず書房)に読みふけってしまい、乗り越したことがある」

 ぼくは大学時代、フーシェというカメレオンみたいに思想も信条も変幻自在に変えて、フランス革命を生き抜いたすごい人間の存在を知った。日本にもフーシェ的な人間は多いがいかにも小粒で、あの本物のすごさはない。若いぼくが電車を乗り越したのもツヴァイクがフーシェという希代の人物を書ききったというところがおおいに作用しているだろう。

 ツヴァイクは評伝の匠であるが、著作は『マリー・アントワネット』も『バルザック』も長編。格闘技のような心構えで執筆したであろうと想像させる。もちろん、ワープロやパソコンはまだかけらもない時代だったから、一字一字ことばを紡いで大作を仕上げた。たいへんなエネルギーだと思うよ。

 日本にはこれより長い読み物を書いた作家もいる。山岡荘八『徳川家康』、中里介山『大菩薩峠』などである。『徳川家康』は26巻(講談社・歴史文庫)。『大菩薩峠』はそれより長編で41巻。都新聞(東京新聞)を皮切りに大阪毎日、東京日日(毎日新聞)、読売新聞と1913~41年まで29年間にわたって書き継がれたが著者の死亡で未完のまま。盲目の剣士、机竜之介が主人公の暗い小説。

 ペン森は大菩薩峠のふもとで合宿をする習慣なので、ぼくはこのあいだも市川雷三が机竜之介に扮するビデオに挑戦したが、陰々滅々となった。中里介山はこの小説を手書きで400字原稿用紙1万3000枚分書いたのだからすごいなあ。世界一長い小説といわれる所以である。
顔が赤くてなにが悪い!
  このあいだ、通院している病院の待合室で隣の初老のおっさんがしげしげとぼくの顔を見つめて、曰く「あんたも顔が赤いねえ」。「赤くてわるかったね」とは言わなかったが、たしかにぼくはときどき「もう酒が入ってるんですか」と学生に間違われるほど、昼間から赤い。「血圧かね」とおっさんは強い東北なまりでぼくの顔を見やった。

 おっさんが手にしている紙を盗み見ると血圧が164とメモしてある。ぼくはさっき計ったばかりで上は130だ。「いや、血圧じゃないと思うよ。ぼくはそんなに高くないもん」「生まれは西のほうかね」「九州だけど」「わしゃ東北。地域性が関係するんじゃないかね。医者に聞いてみたかね」「そんなのおじさんといま話題になったばかりだから、聞くわけないでしょ」「わしゃ、どうして赤いんだろな」

 おっさんもおそらくは酒飲み。まず酒が顔色に染みこんで赤いんだろうと察した。ぼくは家内が長期入院してから、十分に飲んで帰っても寝酒に焼酎の濃いお湯割りを3,4杯口にしている。コンスタントに週2日禁酒しているときは赤くなかった。ぼくの場合、酒量のせいだね。

 まあ、顔色は青いよりも赤いほうがいいと思うよ。血色がいいねえ、とその翌日、葬式でいっしょになったかつての敏腕記者に感心された。82歳の先輩が亡くなった葬式だったが、亡くなったそのひとも赤い顔色をしていたもんでね、参列していた老齢者もたいてい赤かった。赤くはなくても血色はよかった。このひとは記者時代、とんでもない酔っぱらいで飲みすぎて特落ちして翌日、青くなってデスクに謝っていたことを思い出して、葬式にもかかわらず内心、ぼくは笑っていた。

 
あまみや かりんの『生きさせろ!』を読め
  『難民化する若者たち  生きさせろ!』(雨宮 処凛 太田出版)は、よく目にする弱者支援をうたうどんなESよりも、はるかにリアルで説得力がある。これを読んでぼくは、時間外が出なかったマクドナルド店長の境遇が理解できた。正社員も管理職という甘い言葉で出世したように錯覚させ、理不尽な労働力提供を強いるのである。

 ぼくは、あまみやかりんという、この鋭い書き手にはなじみがなかった。実質の乏しい軽い読み物
を書きなぐるヘンなひとでは、と勝手に解釈していたが、なに、そんじょそこらの新聞記者がかなう相手ではない。すべて自分の体験、インタビュー、現場取材に根ざした質の高いルポルタージュだ。本人自身、ずっと生きづらく、自殺願望をもっていた若者だったらしい。

 格差が社会問題の俎上にのぼってこのかた、これほど優れた格差ルポはNHKの「ワーキング・プア」と『生きさせろ!』くらいのものだ。「世の中はどうも私が思っているとは逆方向へ進んでいる。だから、決めた。このテーマで、私はこの社会が変わるまで取材し、執筆し、運動していくことを。本書はその意味で、日本社会に対する宣戦布告である」とあとがきも力強い。

 微に入り細をうがった筆致で、日本の一方に若者の貧困層が生まれてきたことを告発するが、ぼくがすこしうれしかったのは、同じあとがきにあったくだり。「嬉しかったのは、マスコミのなかにも、同志と呼べる人々はたくさん存在することだ。この取材を通して、私なんかよりずーっと前から第一線闘っているマスコミの人たちとたくさん出会えた。これはあまりにも心強い」。

 どうかペン森生よ、闘うマスコミ人になっておくれ。


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