ペン森通信
クリスマスに独り思う暗い真実
 昨夜、ひょいとテレビのリモコンをつけたら、午前にみた将棋の時間のまま3チャンネルになっていた。日曜日の夜は日テレの『行列のできる法律事務所』をみることが多く、昨夜は大阪府知事に立候補表明した橋下弁護士が公選法で出演できないため、おもしろいキャラの弁護士が新たに登場するかと、期待していたのだが、そのまま3チャンをみた。

 5月に亡くなった映画監督・熊井啓の特集みたいな番組をやっていた。ご存じ社会派の暗い内容を得意とする監督で、映画好きにはファンが多い。第1作が『帝銀事件・死刑囚』だったが、これは犯人とされたテンペラ画家・平沢貞道死刑囚の冤罪説を主張する告発的な映画である。のちにオウム真理教による松本サリン事件で第1発見者の河野義行さんが最初、犯人とされた冤罪を題材にした『日本の黒い夏ー冤罪』につながる作品である。『日本の黒い霧』は単に警察が仕立てた冤罪ではなく、警察発表をう呑みにして冤罪報道をした報道機関への警告映画でもあるから、ぜひみるとよい。

 さて、『帝銀事件』は若い諸君も知ってるだろう。詳しく知りたいひとは調べてもたらいたい。
事件は1948年に起こった。帝国銀行椎名町支店に厚生省技官の医学博士が訪れ、近所に赤痢が発生したので、予防薬を飲んでほしいと、実際は青酸化合物を飲ませ12人が死亡した強盗殺人事件。当時は講和条約前でGHQ(占領軍)が日本国家を支配していた時代である。青酸化合物という毒薬の取り扱いに慣れたものの仕業を警視庁でもみていた記録があり、中国で人体実験をしていた731部隊の関係者の関係者との見方が強まった。読売新聞社会部もこれに目をつけるが、社会部長に731部隊を暴くなとGHQにくぎをさされる。

 731部隊は対ソ連戦用に米国に保護され、さわってはいけないと圧力がかけられたわけである。結果として平沢貞道逮捕追及されるが、平沢は無罪を主張しつづける。熊井映画はこれは謀略的な冤罪であると訴えた。やがて平沢は獄中で病死するが、「帝銀事件」の犯人はいまだに731部隊関係者とみるひとが多い。ぼくは当時の担当検事とある件で同宿したことがって聞いたことがあるが、かれは厳として平沢説を崩さなかった。もし冤罪を認めたら、世の中がひっくり返るような大ニュースだったがね。

 熊井監督は三浦哲郎芥川受賞作『忍ぶ川』も撮っている。三浦哲郎は母ものエッセイの名手だ。かつて故開高健さんに現存する日本人作家のいちばんの傑作をあげてくれないか、といったら、迷いなく三浦哲郎の『○○』をあげた。さて『○○』がなんであったか、もう失念した、ごめんね。ただ『忍ぶ川』と名作にでてくる早稲田の学生は、不幸な家系を背負った三浦本人を思わせ、その家系にまつわる血の悲劇を書いた『白夜を旅する人々』も一読をすすめたい。ついでに731部隊なら森村誠一の『悪魔の飽食』(角川文庫)だね。
スポンサーサイト
ぼくは年賀状より年末状主義
 年賀状書きの季節だね。みなさんご苦労さん。
 ぼくはもう10年以上、そのめんどくささから解放されているんだよね。つまり年賀状は出さない。昔は年始まわりという慣習があってね、いちいち家めぐりをして新年のあいさつをしていた。こりゃ訪ねるほうも訪ねられるほうもたまらん、ということでね、郵便制度の発達とともに知恵者が年賀はがきで年始あいさつをすませればいいんじゃないの、と考案した。それが年賀状のはじまり。

 ところがぼくは、年賀状を出さな代わりに、年末状を650通だしている。年賀状はどうも予定稿みたいな感じがして、むかしから好きじゃなかった。予定稿というのはあらかじめ書いておく原稿のことでね、有名人がもういくばくもないという情報があればその業績を書いて用意しておく。ノーベル賞をもらえそうなひとがいても用意するが、めでたいケースはすくないね。逮捕とか死亡記事の場合が多い。

 ことしのぼくの年末状は以下の全文を150字くらいカットしたものにした。あさって投函するが、このブログを読んでいるひとの99%にはとどかないはず。いま公開してもなんの支障もない。


拝啓 お元気で年末をすごされていることでしょう。
 新年を迎えるといっても、私ももう69歳ですから楽しくも珍しくもなく、ただ酒を飲むばかりです。毎日、学生とマスコミ受験対策勉強のあと、日本酒や芋焼酎をすこし飲んで、2~3缶の氷結で締める。これが飲酒パターンになりました。土日はまったく飲みません。小中学校以来の大変化です。
 夜は10時くらいまでほとんど一歩も出られない生活ですから、ことしもまた不義理を重ねました。会合に出席してペンの森に帰り学生の相手をして、そのままソファに寝る。そんな体力はもうとっくに失せました。でも、まだ意気高らかですよ。来年ひまをみては、かつて人々がいた無人駅、廃村、ほそぼそと命脈している限界集落を歩いて、私たちが失った過去と直面し、現場に立って去来するものを自分の胸に問うてみるつもりです。
 中央大学と川村学園女子大での授業はつづけていますが、大学は長期休暇があるので時間の捻出ができます。まあどっちみち、来年は大学定年の70歳ですしね。
 ペンの森はおかげさまで13年目に入りました。来年就職組は朝日だけでも9人が内定しました。朝日をふくめ、新聞は言論機関として揺るぎなく、もっと骨っぽくなってほしいと思います。
 卒業生たちは期待どおり、曲がったことを正す、良いマスコミ人になりました。卒業生たちも来年は大勢がパパやママになります。慶賀の至りです。
 キリンさまからは変わらぬご厚情をいただいております。ありがたいことです。
あなたさまにとって来年がほがらかな年でありますように。                 敬具
 2007年12月



いま、こんな先生がいます
 さて、今週どういう週か知ってるかい。年内最後の大学授業日。女子大の授業(1~4年選択・全期4単位)で先週作文を書いてもらった。「忘れえぬ先生」800字。「忘れえぬ」なんて表現をするぼくは古風だな。その作文からさわりを紹介。
 
①「大学に入学した最初のガイダンスで白髪まじの丸顔の目の大きいただのおっさん先生が登場してマイクを握るといきなり「アンモナイト」の話をはじめた。一瞬、なにが起こったのかわからなかった。

②小6のとき、先生がお腹にいるはじめての子どものことをうれしそう話した。しかしその子は流産という結果になった。先生は教室で泣いた。やがて先生は再び妊娠して、朝礼時に教室に飛び込んできてうれしくてたまらないようすでそのことを発表した。卒業時、教室の全員が先生に感謝と産まれてくる赤ちゃんの無事を祈って、贈り物をした。わたしもテディペアをつくって贈った。不器用な人形をおおいに喜んでくれ、数年後、あの人形を妹の結婚式に飾らせてもらったと手紙が届いた。

③あすから春休みになるという日、先生に呼び出された。とくに悪いことをした思いもないまま、いつもどおり、みんなにさよならも言わずに教員室にいった。先生はみんなに内緒でねと
『ハリーポッター』の第一作目を手渡した。私は分厚いその本を春休み中かけ読破した。いままで味わったことのない高揚感を知り、それから私は読書に夢中になった。

④「本当に心を鬼にして毎日毎日、がんばれって思いながら、他の子と同じメニューで練習させていたんだよ。強くなってくれてうれしいよ」とバレーボールのコーチは言った。私は小学低学年まで小児ぜん息もちでアトピー。肺機能を向上させるためバレーボールをはじめたが、チビでぜん息で走れなかった子が他の子と同じメニューをこなせるわけがない。それでも「こなせ」とコーチは言った。アトピーはかゆいし、痛いし、つらくて苦しくて、毎日泣いていた。親は「いつ辞めてもいい」と心配したが、仲間が当たり前にやってることを私もしたくて、がんばった。5、6年次には2位3位と成績をのこすことができた。コーチの厳しさの裏の優しさが暖かかった。

⑤私たちのクラスは音楽発表会で優勝できず、泣きくずれた。すると1人が「担任の先生にお礼をしよう」と言い出した。担任はみんなの話をよくきいてくれる男性教師だった。担任1人を前にして私たちは教室で合唱した。中2のときだった。

⑥中学生のとき悩みごとがあった。放課後の図書室で司書の先生に相談にいった。パソコンから顔をあげた先生は相づちをうちながら真剣に耳を傾けてくれた。「たくさん悩むと、悩んだ分だけ成長する。後になって初めて、悩んだ意義を理解できる。いまはつらく思うだろうが。そのつらさは後できっとあなたの身ににつく」。月並みな慰めよりもよほど意味のある言葉だった。

⑦受験に息がつまりそうな高3の晩秋、先生は生徒たちを気遣い、やきいもパーティーを開いてくれた。生徒たちのうれしそうな顔をみている先生の満足そうな笑う顔。素晴らしい先生に出会えた幸せを私はかみしめた。
本の刺激をくれた『ダカーポ』よさらば
 『ダカーポ』の最新号にして最終号が発売されている。休刊ということだが、売れ行き不振による廃刊だろう。軽く読めるいい情報誌だったし、ぼくはレフトリベラルと位置づけて愛読していた。『噂の真相』もとっくにななり、雑誌界からどんどん毒気が抜けていくなかの『ダカーポ』休刊。『アエラ』はすっかり女性誌化してインテリじじい(自分で称しているぼくの別名)にはやわすぎて読めん。

 『ダカーポ』最終号の特集は恒例の新聞、雑誌の書評担当者が選ぶ、本当に面白かった本。「今年最高!の本」と銘打っていてね、『悪人』が最高得点のトップ。納得したね。九州弁が絶妙かつ縦横無尽に駆使されて、善良だけど悪人の若い人物像が描かれて飽きさせない。朝日の連載小説だったんだけど、1冊の本にしたから価値が通底したといえるな。朝日に載るとおもしろくても教科書みたいだし。

 九州弁とはいっても北部九州の方言だよ。鹿児島だったら注かルビが必要かもしれん。いや、いまや鹿児島でもじいさんばあさんの地ことばだけがわからないか。会話体の妙といえば、黒川博行の大阪府警ものが白眉中の白眉だとぼくは思っている。『ダカーポ』が取りあげている『悪果』も会話は絶品だし、警察組織の収奪的な裏金づくりをえぐり出し、どこかかわいげのある暴力対策刑事のあくどさもすさまじい。

 まもなく『週刊文春』のミステリーベスト10も出そろう。近年は国内2,3冊しか読んでないことも多い。以前は7,8冊だったことからすると、ぼくのなかでミステリー離れが起こってきたらしい。今年はそういえば『阿房列車』の百鬼園や井上靖、松本清張、山本周五郎、藤沢周平、池波正太郎、開高健などの再読や宗教ものも多かった。重松清はきょうも買った。ノンフィクションが気になったのはいつもどおり。『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』『世界屠畜紀行」は読みはずしたので、正月休みの宿題。さらば『ダカーポ』よ。
三味線ツアーの代わりのツアー
 津軽三味線ツアーには同行希望者ゼロ。弘前は遠いし時間と金かかるし、いまどき寒いし、三味線なんて古風すぎるし、まあ若い女子は関心ないだろうよ。ずっと前、ペン森で高橋竹山のじょんがら節をテープで流していたら、これなんですか、と不思議そうに聞いた学生がいたもんなあ。荒波が間断なく押し寄せて岩に砕け散るような連続的なバチの音がなんともいえないよ、ぼくは。

 では三味線ツアーはあきらめて、下町ツアーはどうだろう。ぼくの妻が都立駒込病院に入院していて、とりあえずあす退院する。見舞いの行き帰りに周辺を歩くと、なにがあるわけでもないが、おもしろくて退屈しない。みっしりと家屋が建ち並び、幹線道路とうものはなく路地だらけ。その風情のなかになんとはなしの癒しがある。古く懐かしい、昭和のたたずまいが見られていい。

 3期生のころは吟行がよく催された。俳句ね。5句ずつ作句してペン森で飲みつつ匿名投票して優勝者を決める。商品も賞金もでないけど、優勝したことのないぼくなんか、いたく沽券にかかわった。「きみたちはいい俳句かどうかの見分け能力がない」などとほざいてね。だって、季語はまったく無視だもん。下町ツアーのあと感性を俳句に詠んで、ペン森で句会飲み会をやるのもいいね。土曜日の午後あたり。

 これでも参加者がいなければ、13期生対象のネタツアーはどうだ。
もちろん12期生も参加してくれればうれしい。女子に限らないからさ。吉田松陰の松陰神社(高田マーくんは神社へ行く途中の商店街を書いて朝日へ)、47士が眠る外国人観光コース泉岳寺、墓石が削り撮られた義盗ねずみ小僧次郎吉の深川回向院(ぼくは行ったことないが)。
「戦争」をたどるコースもある。昭和館、無名兵士の墓地、靖国神社など。靖国は軍馬や軍犬の碑がかなしい。動物では府中の慈恵院は日本で最も古いペットの寺院。実験動物も祀られている。ペン森では水子地蔵で有名だが。

 墓地もネタ場だね。なにしろドラマ性に富んだ有名人が埋葬されているからね。谷中、雑司ヶ谷、青山・・・若い人には興味ないか。ぼくは最近、自分の永眠先を考えるから墓地には関心がある。永眠まえに日本中をまわらねば。三味線同行者がいなければ日本一周同行者はいないかしら。やはり1人で各駅に乗ってしこしこ歩くのかな。各駅停車1人ツアーだね。津軽三味線も1人旅、1人酒だなあ。
 
津軽三味線の生演奏を聴きにいこう
   日本は恥の文化といわれるが、果たしてそうか。恥が文化の域まで達していたら、カラオケの隆盛はなかったのでは、と思うよ。自分が音痴声はずれだからいうわけではないが、よくもまあ、内臓が悲鳴をあげているような声を震わせてマイクに小指を立てて、歌えるもんだと感心する。いかつい鬼瓦みたいな顔のおじさんか、髪7・3分けの色白にやけタイプにこういう演歌自慢が見受けられた。

 過去形を使ったのはもう10年以上もカラオケ設備のあるバーや酒場に行ってないから。演歌好みの建設、官僚、商社、銀行、出版関係者とよく飲んだころは、カラオケ設置店に行くのが最終コースだった。ぼくは強制されてもほとんど歌わなかったね。若いころはロシア民謡などをよく歌ったんだよ。「ともしび」とか「どん底」でね。いまや歌詞すらあまり憶えてないけど。

 F1好きが高じて某国立大学大学院から車雑誌に就職したペン森3期生の某女は、F1にも負けないくらいの酒好きの酒豪。巨乳美人で知られるが、飲んだ酒の一部がおっぱいにたまって巨大バレーボール状になったのではという野郎もいた。その彼女が編集長をしている酒雑誌最新号が「音曲酒場」を特集している。なかにぼくの知っている店もあり、思わずページに食い入ったついでに、急に青森・弘前に行きたくなった。

 津軽三味線の生演奏を聴かせる食事どころがあったことを思い出したのである。名人、高橋竹山のテープももっているが、息もつかせぬあの切迫した迫力はたまらんねえ。官能をゆさぶる。弘前には今年の5月連休あけに行ったが、これは温泉旅行の寄り道。こんどは雪のなかを歩いて津軽じょんがら節の目の前の生演奏にひたりながら酒を飲む。だれか同行しないかしら。女子方面の同行を所望するが、こういう民俗的な古典には興味ないか。カラオケよりも文化だよ。


プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する