ペン森通信
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太き骨のそばに小さき頭の骨集まる
女子大の授業「文章表現法」ではビデオ上映だけではなく、その場で課題をあたえて書いてもらったり、外へ出てなにかを発見して観察文を課す場合もある。今週は先週の作文につづいてその場の課題。知るひとぞ知る広島の被爆歌人、正田篠枝の秘密出版歌集『さんげ』に収められている7首を現代の女子大生がどう捉えるかをみてみたい。

 ①燃える 梁の下敷きの娘 財布もつ手をあげ 
            これ持って逃げよと 母に叫ぶ
 
 ②ズロースもつけず 黒焦の人は 女(おみな)か
            乳房たらして 泣きわめき行く

 ③可憐なる 学徒はいとし 瀕死のきわに
            名前を呼べば ハイッと答えぬ

 ④太き骨は 先生ならむ そのそばに
            小さきあたまの骨 あつまれり
 
 ⑤人見れば 声泣きあげて 女訴う
            首席の 吾子をもどしてくれと

 ⑥鈴なりの 満員電車 宙に飛び
            落ちて潰れぬ 血にぺしゃんこに

 ⑦天上で 悪鬼どもが 毒槽を
            くつがえせしか 黒き雨降る

 おわかりのようにこれは被爆直後の光景を詠んだ短歌である。原爆を扱った作品の出版は禁止されていた。だから『さんげ』は秘密出版なのである。昭和22年12月5日広島刑務所でこっそり100部印刷され、ひそかに配布された。歴史的な原爆歌集として知られる。

 ところで原爆について最初に報道統制をしたのは、日本政府だった。被害者が統制したのであった。現在の日本政府もその体質をひきずっているような感じをぼくは受けるね。GHQが報道管制をしいたのは昭和20年9月2日からだったので、『さんげ』はGHQの目をくぐって世に出たことになる。

 35歳の正田は爆心地から2キロのところで被爆した。「そのころは原爆のゲの字も書いてはいけない時代でした」と正田はあるインタビューに答えている。もそ歌集を発行したことがGHQにに見つかれば必ず死刑になる」と親類は引き止めた。「死刑になってもよい。身内のものが止めるのもきかずに、やむにやまれず秘密出版しました。無我夢中でひそかに泣いている人にひとりひとり、さしあげた」

 原爆症による乳がんによって正田は54歳で亡くなる。上に列挙した短歌でいえば、ぼくは⑤の「先生と子どもの骨」はペン森生に何人も示した。いまの先生と子どもたちの関係と照らして教育を論じろ、と。②のズロースを知らない受講生が多いのに驚いたのは数年前だ。さて女子大生たちはこの短歌の底にある抗議と人間の香気を察知してくれるだろうか。
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きみもぼくも絶滅危惧種
  イギリスのホーキング博士(65)は2年くらい前、今後1000年以内に人類は滅亡するか、他の惑星に移住するしかない、と警告した。他の惑星にほかの生物ともどもこぞって移住できるわけがないから、つまりは人類は1000年以内に死に絶えるということ。

 ホーキング博士は車いすに乗った天才物理学者であるといえば、ははん、あのひとかと思い浮かべるかたもいるだろう。車いすに乗っているのはALS(筋萎縮性側柵索硬化症)を20歳ごろ発症したからである。言葉を発声することも書くこともできないから、コンピュータを活用して意思を伝達する。こうして1988年に出された本が『ホーキング、宇宙を語る』。これは世界で1000万部、日本で110万部のベストセラーとなって、日本でも一般にホーキング博士の名前が知られるようになった。

 博士は2009年に宇宙旅行をする計画という。もちろんそれは宇宙への移住でも逃亡でもないが、博士が人類は宇宙移住しかないとその理由にあげる地球温暖化は一向にストップする気配はない。ゴアさんがノーベル平和賞をもらってら、アメリカ人がはたとめざめて京都議定書を尊重してエネルギーを節約しようと立ち上がる動きもない。

 それどころか、国連環境計画は最近、地球環境対策は不十分で「このままでは人類の生存を脅かすかもしれない」とこれまでにない強い警告を発した。危機はもうそこまで迫っている、とホーキング博士よりもさらに一歩踏み込んだ。これじゃぼくもきみも絶滅危惧種ということになるぜ、人類諸君。亀田だのエリカだので騒いでる場合かよ。
パンツの歴史、立ち小便の沽券
  昨年5月に惜しくも亡くなった米原万里さんはロシア語の名通訳者であると同時に名エッセイストであった。名エッセイのひとつに『パンツの面目 ふんどしの沽券』がある。沽券(こけん)の意味は知ってるよね。面目とおなじようなニュアンスがあって、年配者はいまでも「それはおれの沽券にかかわる」なんて怒る。体面というか、プライドのことだね。

 ところでぼくのパンツの歴史は白さるまた→白ブリーフ→桃ふんどし→柄トランクス→紺ブリーフ→白ブリーフ→黒ボクサーブリーフときて、最近はもっぱら黒系前ボタンボクサーブリーフを愛用している。桃ふんどしというのはピンクの越中ふんどし。これは30代に着用していた。ピンクという色がどうもぼくという人間を反映してあやしげだね。デパートに売っていた。締まりに欠けたが風通しよく気持ちよかった。かみさんは干すのをしぶっていたが、これから復活も考慮中。

 ぼくが小さいころはふんどしが大人の日本男児の下履きだった。子どもはさるまた一辺倒。さるまたはトランクスのことだといってよかろう。日本女性のパンツはミニスカートの流行とともに布の断片みたいに短くちいさくなったらしいが、戦後しばらくはまだ長いズロースだった。日本の女性が下履きを履くようになったきっかけは、よく知られているが、昭和8年日本橋白木屋デパートの火災。これは日本初の高層ビル火災だった。上層階から綱を伝って脱出していた女店員たちが着物のすそがめくれて綱から片手をはなして前を押さえようとして墜落死した。野次馬が下から見上げていたからね。当時、まだ着物の下は腰巻きだけですっぽんぽんだったのだよ。

 それで思い出したが、戦後まもないころ田舎では着物を着たばあさんが立ち小便をしている光景が珍しくもなかった。着物のすその後ろをからげはしょって、脚を開いて上半身前傾姿勢で馬並みに地面に放出していたもんだ。その間きょろきょろと見回しているふうだったが、これは
警戒心や羞恥心というのではなく、むしろ快感忘我の境といった表情だったのである。女性用立ち小便用の便器を開発製造したという話を聞いたこともある。実現したらさぞ壮観だったろうに。

 ぼくは立ち小便には沽券にかかわる思い出がある。警察担当の新人当時、畑のわきで放出していると、下校途中の女子高生の一群が向こうか
らきた。大あわてでジッパーを引き上げたら、逸物の柔らかい裏皮に食い込んでしまった。押せども引けどもただ痛いだけ。コートで前を隠し自宅アパートにもどった。ズボンのジッパー部分をはさみで切り取り、食い込ませたままぶら下げて、泌尿器科にかけこんだ。医者は奥さんを呼んで「珍しいからお前も見ろよ」と笑った。

 医者はペンチ様の器具を使って、ジッパーの金属の噛み合わせをひとつひとつ解除してくれて、ほっとした。残念なことにそのあとは、盛り上がりもせず、ギザギザの変形もなく、変哲のないつるつるすべすべ。すこしは痕跡を残してくれたらよかったのに、とちぢみゆくわが愛息をいとおしむ加齢頻尿の秋の夜。
地震、雷、火事、女の現代
 昨夜は疲れていたので、帰りの電車は空いていた優先席に座った。向かいの1人分の優先席に白髪白ひげの70歳くらいとおぼしき男性が座った。ぼくが本を読みはじめていると、白髪が隣の30代とみられる先客女性に文句をいわれてきょとんとしている。「・・・」。「脚が邪魔なのよ。脚!」とにらむ。白髪は女性に一瞥をくれて、脚をすぼめる気配もなく夕刊紙をひろげている。

 たしかに白髪は脚をややハの字型に開いていて、右ふくらはぎあたりが女性のパンタロンを圧迫してしているかもしれなかった。「脚よ、脚!」と女性は再びするどい声を発した。白髪は動じるふうもなく、黙って夕刊紙を見入ったままハの字の先端、すなわち靴をせばめようとしない。ぼくは女性の態度に既視感があったね。どうということもないのにいちいち口うるさい。わがまま、自分勝手、価値観の強要。そういうのがかつてペン女のなかにもいたからさ。

 そもそもくだんの女性は若いはずなのに優先席にどっしり構えているのが気にくわない。白髪を目にしたら席をたってゆずろうとするのがマナーだろうに。その点、韓国へ行ったぼくと同年齢の高齢者がしきりに感心していうには「若者が電車でもバスでも条件反射のように席を立って、年寄りに席を空けるんだよね」。さすがに長幼の如の儒教の国だね。

 年上を敬い大切にあつかってくれる美風は日本にもあった。ぼくの親父は実家に帰るとぼくからみれば祖父に対して、正座してまずあいさつしていた。怖いものの代表が地震、雷、火事、親父だった向田邦子の時代、日本にも長幼の如があったような気がする。いまや親父は怖いどころか、友だちあつかいされてため口をきく相手。権威も権力も失墜した。大沢親分と張本の「喝!」が親父にとっての一喝の代弁みたいなもんだ。

 白髪はその後同じ優先席にできた空席にずるずると身をずらして、女性と距離をとった。きょうあたり飲み屋で「怖い女がいてさ」なんて話しているのじゃなかろうか。「おれは意地でも脚をせばめなかった。触らぬ女にたたりなし。女にはかまわないのが身のため」。ぼくとしては「ここはおれたち老人席だ!」と女性に喝をいれてほしかった。周囲もぼく同様、ちらちら見るだけ。いやあ、白髪はとんだ災難だった。地震、雷、火事、女の現代。(PC不調につきこのブログはちょっと間ができた)



 
亀田大毅の暴力性を考えた
 あまりにTBSが持ち上げて肩入れするもんだから、亀田大毅は世界レベルの天才的なボクサーかと錯覚していた。一方的な情報をうのみにして乗せられた自分が悪いのだが、ぼくと同じく亀田3兄弟は無敵の強さを誇っている、と思ってチャンネルを合わせたひとも多かったにちがいない。
 
 相手の体にタックルしたり投げつけるなどレスリングまがいの行為にでて下品な暴力性を見せ、結局は弱い犬はよく吠えるといったたぐいのボクサーにしかすぎなかった。お山の大将、井の中の蛙だった。しかし、かれは街に放ったままにしていたら、どんなヤンキーになったのだろうと思う。リングに押し込めておいたので、街の平和が保たれたともいえよう。

 それは高校野球にも通じるところがあるね。ぼくは高校野球がどれほど青少年の不良化防止に役立ったことかと、かねがね考えている。野球が中高校生のありあまるエネルギーを吸収してくれて、日本社会の安全と健全化に計りしれない貢献をした。高校野球の特待生問題の指針がきのう出されたが、有識者会議のおじさんたちはこのことを視野に入れてくれたのだろうか。

 これから亀田ファミリーは、朝青龍や前時津風親方、北の湖理事長、あるいは沢尻エリカと同じような風当たりにさらされるだろう。自業自得というものだが、朝青龍やエリカにつきまとう異物排除のニュアンスとは異なり、加工された人工的偶像が剥げて冷めたわけだから、TBSも含めて以て自戒せねばなるまい。大毅は街で放し飼いにしないように頼みます。まだ少年法適用の18歳だし、リングで再起をはかってくれい。


 

 
垣根涼介を君たちは読んだか
 奇才、垣根涼介の『君たちに明日はない』(新潮文庫)を買いにペン森をでて、本屋に着いたら、どうしても垣根という名前が思いだせない。作家別棚を見回すも記憶にかすりもせず、あきらめて梅原猛の『日本の霊性』を手にして電車に乗った。日経の試験で「垣根」という作文題がどうしても読めず、ついにタイムオーバーとなって筆記落ちをして、朝日記者になった卒業生がいた。そんなことを電車の中でふっと思い浮かべたりした。。

 垣根涼介は、南米移民(棄民)の子が騙した日本国に復讐する痛快大作『ワイルド・ソウル』で冒険小説作家として名をはせたが、単なる冒険小説作家ではなかった。『君たちに明日はない』はサラリーマンものである。山本周五郎賞をこの作品で受賞している。幅広い題材を大胆かつ器用に料理する手際はまことに巧みで描写もじつにリアルである。あたかも匂いが鼻をついてくるような描写。それは狂愛小説『サウダージ』を読むとムッときてへきえきする。

『…明日はない』は33歳のリストラ面接官が主人公だが、決してじめじめしてない。この作家の主人公、あるいは登場人物はみな元気があるから、読後が爽快だ。元気をもらいたいひとのひとには『…明日』を勧めるね。福田首相をみるよりもパワーが身につくぞ。福田さんはパンチがないねえ。ここでは関係ないがね。

 いまぼくは佐江衆一の『長きこの夜』を買おうかどうか迷っている。夜中にめざめて脳裏に浮かぶのは・・・老人の無明長夜、ぼくは朝5時半にはじまる『朝ズバッ!』が待ちきれないことがしょっちゅうある。午前4時ごろ目がさめてベッドで悶々と来し方行く末を考える。そういう年回りなんだよね。これじゃパンチもパワーもつかないから、今晩も酒だ。人生は短く、夜は長い。実感してるよ。垣根作品には夜の長さをもてあます老人はでてこないから、ぼくは好きなのだ。
『氷点』三浦綾子のがんばりに学べ
  火曜日は神保町から電車に1時間乗って、茨城県境にある女子大に通う。文章表現法という授業をもっている。もちろん気楽な非常勤講師。ぼくは教材に邦画ビデオを使っているが、きのうは授業を終えた学生グループから「難しかったよねえ」という声が聞こえてきた。

 きのうは先週につづき三浦綾子原作、山本薩夫監督の『氷点』(1966年)の終盤を上映した。モノクロ映画である。山本監督は『人間の壁』華麗なる一族』『金環色』『戦争と人間』などこってりとした社会派の作品で知られるが、『氷点』も文芸色のつよい社会派映画の部類にはいるだろう。

 「この作品のテーマは原罪(神の命にそむいて人間が犯す罪)。では、この映画のなかであなたが感じた罪とは?その理由を2,3シーン具体的に例示して説明(証明)しなさい」。これが学生にあたえた課題である。『氷点』上映終了後、70分くらいで800字書いてもらった。罪をどう捉えるかがポイントだ。それは当然、法律的な罪を意味するのではなく、人間が背負う自己中心の生き方と考えてよい。

 原作は朝日新聞の1000万円懸賞小説の入選作。三浦綾子は旭川の雑貨食料店のおばさんだった。小説を書くのははじめてのことで「いかに小さくても店は店、ひる書く暇はほとんどなかった。夜10時に店を閉めてから午前二時ごろまで書いた。調子のよい日は二十枚から三十枚とはかどったが、三枚くらいしか書けない日もあった」。枚数は400字詰め原稿用紙のことである。

 三浦綾子は敬虔なキリスト者だ。だから原罪をテーマにした。『氷点』には不倫、自殺、嫉妬、いじめといった人間の宿罪が物語りの起伏をあざない、あきさせない。『塩狩峠』という自己犠牲が胸を打つ三浦作品を読んで「おれ泣いちゃったよ」ともらしたペン森3期生もいたことを思い出すが、いまどきは三浦綾子が話題になることもない。エントリーシートに登場したこともない。13年間病床にあった強靱な精神力の持ち主ということも知ってもらいたい作家である。
女性2人との3人旅でぼくは疎外感?
 今週末、旅をすることになった。常連の旅友ペン女との2人旅ではなく、連れは同じくペン女ながら2人。20代編集者である。エントリーシートをみたのはついこの間と思っていたのに、もういっぱしの編集者だ。1人はなかなか内定がとれず、深夜ぼくの下車駅の暗いバス停ベンチでESをみたことが思い出される。
 
 そういえば常連の旅友は映画通、文学通だが出版社に挑んでも挑んでも跳ね返され、一次志望の出版社に落ちたときは、しこたま飲んでペン森ビルの階段で吐いた。電車も乗り過ごして、ホストみたいな男がタクシーに載せて手を握ってきたが、スーツの前面に反吐がへばりついていたためか、それ以上はなにもなかったそうだ。5000円置いておりていったらしい。

 その彼女は最近、ウズベキスタンの茶色い世界遺産、ブハラにいってきた。シルクロードを制覇するのが夢というからスケールが大きい。ぼくは青春18切符で日本の海岸線をちまちまと各駅停車で一周するのが残された人生の宿題だ。海外にはまったく興味がない。おいしい日本蕎麦が食べられないという理由で海外拒否のひとがいるが、ぼくはそもそも外国でおいしいものを食べた記憶がない。味付け、風味と量がぼくの繊細な味覚に合わないね。常連旅友の彼女は、中国の田舎できのうそこで遊んでいた犬肉の鍋が旨くてお代わりしたというから神経も味覚もたくましい。ぼくと旅をしても夕食も朝食も完食。よく寝てよく食べる。

 さて、今度の旅。新潟から山形をまわる。2泊3日。1泊目は燕三条、2泊目は温海温泉。運転手はぼくともう1人の彼女。女性2人同道というのはぼくにとってはめずらしい。日本海沿いの国道7号を北上するが、夕日ラインとよばれる夕日がみられればうれしい。ぼくはほぼ毎年、この道を走っている。新潟・村上の笹川流れ光景は何人のペン森男女と目にしただろうか。今回は2人がずっとぺちゃくちゃしゃべってぼくは蚊帳の外かもしれないなあ。やはり2人旅がいいということになったら、11月あたり女性方面のだれか相手をしてくれんかしら。

 

 


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