ペン森通信
11回挑戦して内定も、ペン森就職速報
  きょうはペン森の大掃除。12期生の採用試験もほぼ終了したので、13期生を迎える準備をしているところである。通常にあてはめるなら修業式と新学期の境目に相当する。
 12期生は新聞秋採用の結果がきのうの毎日新聞でほぼ決着した。ほぼというのは中日の最終面接をきのう受けて発表待ちの慶應生が1人いるからである。これまでのマスコミ内定状況は以下のとおり。

*朝日新聞9人(早稲田大5人=うち女子2人で1人は写真記者、中央 大1人、筑波大1人、お茶の水女子大1人=女子、慶応大1人=女  子)
*共同通信3人(早稲田2人のうち朝日辞退者1人、10期から継続  1人、東京学芸大=女子)
*毎日新聞2人(九州大1人=女子9期から継続、明治大1人=9期から継 続)

*日本経済新聞1人(中央大)
*西日本新聞2人(九州大1人女子は毎日と同時内定、早稲田大1人= 10期から継続)
*北海道新聞1人(慶応大)
*中国新聞1人(東京大院)
*中日新聞1人(東京外大=写真記者)
*内外タイムス1人(横浜国大=10期から継続)
*日刊工業新聞1人(アメリカン大)

*小学館1人(聖心女子大=女子)
*ソフトバンククリエイティブ1人(東京大院=女子)
*NHK出版1人(早稲田大)

 秋採用試験で最終まで残って惜しくも内定を逃した受講生が数人いたが、来春をめざしてやり直してくるだろう。なにをやりたいかという問題意識の部分での視野の広さや情熱の伝え方の熱量が不足していたのかもしれない。毎日に内定した九州大女子は毎日だけで11回も挑戦して決してめげなかったのである。

 


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バランスのとれた酔っぱらい
 世間は3連休だが、ペン森は祭日も通常開店なので、ぼくはいつもどおり土日に休んで、きょうは出ている。とはいえ午前中、車の点検に行ってきた。いまぼくはトヨタカローラに落ち着いているが、この車は特徴がなく退屈。しかしバランスがとれて気に入っている。まるで自民新総裁福田康夫みたいだな、とひとりで苦笑いしつつステアリングを握ったことであった。タイヤが経年劣化していた。

 カローラの前は日産プリメーラ。これはリニアに前輪がステアリング反応して快適な運転が楽しめた。プリメーラは1期生~7期生が合宿によく同乗して活用した。草津と熱海に前に勤めていた会社の保養所があり、それを無料で利用できたので、数人で酒や食材を持ち込んで出向いた。当時から勉強はしないで、ただ飲むだけの合宿が多かった。8期からカローラに変わった。

 パジェロ3L4WDショートはプリメーラの前。ぼくがすこぶる元気な50代のころ、これで長野、静岡、山梨、群馬、奥多摩の山へ休日、決まって遠出していた。コンビニでおにぎり2コとお茶を買って走っていた。鈍重ながら迫力のあるマスクをもっていて、山道で前車に迫ると、必ずよけて通してくれた。助手席にだれかが乗っていた記憶がないので、この車の時代はまだ女の子にも興味がなく、単独行動が普通だったらしい。不健全な人生があったのだ、ぼくにも。

 3連休の初日の23日、うちでだらだら過ごした。家人は夏の疲れが残っているのよ、と同情していたが、なに単なる二日酔い。前日、12期生に研修で上京中の11期生に7期生が参入してきて、日本酒とワインを飲み、酔ったついでに健全にも11期女子に旅あそびを強要的に持ちかけた。どうやら2人と佐渡行きが成立したが、もしかしたらその日はぼくが出張講師で外出し、時間がないかもしれない。困った。

 で、金曜21日夜は、電車をおりてから酔っぱらい歩行によって、道をはずして路傍のやぶに倒れこんだりしながら、帰り着いた。まことに久しぶりの痛飲だった。昔は、うちにたどり着くとひたいやひざから血が垂れていたりしたが、今度は怪我もなく無事だった。ぼくもカローラなみに、おもしろくもない無色のバランスのとれた酔っぱらいに成長したのかしら。
大量死をまねいた軍医森鴎外頑迷
 身体検査という言葉はいま、政治家とくに閣僚の金銭的な前歴を調べるという意味で使われる。ぼくの小中高時代はまだ健康診断とはいわず、身体検査とよんでいたように記憶する。必ず実施されたのが脚気(かっけ)の検査だった。膝頭を小槌のようなもので叩いて、膝下の脚がぴくんと反応するかどうかを調べるというものであった。反応すればOK。

 脚気は日本特有の難病とされ、3代将軍家光、13代家定、14代家茂、家茂に嫁した皇女和宮も脚気で亡くなったといわれる。昭和15年ごろまでは毎年、1万人の死者を出していた。これが軍備増強の日本にとって、悩みの種だった。ものの本によると、日清戦争の戦死者453人に対して脚気による死者は4000人をこえた。日露戦争では脚気で2万7800人の将兵が死んでいる。

 脚気がビタミンB1欠乏症であることは現在ではよく知られるが、あの偉大な森鴎外は死ぬまで細菌による感染症と主張していた。鴎外は明治時代、大日本帝国陸軍の軍医で陸軍軍医総監までのぼりつめた。除隊後、小説に専念するが、軍医のときにドイツに留学して、ドイツ医学を修得する。バリバリのドイツ医学者であったのである。陸軍=ドイツのつらなりを形成したのが東大出身者。脚気細菌説で凝り固まった一派だった。

 陸軍には日清戦争以前、兵食に麦飯を採用していたせいで、脚気は見られなかった。麦飯にビタミンB1が含まれているのを知ってのことではなく、それは経験によったのである。ところが鴎外はこれを蔑視する。日清、日露の戦地へ麦を送ることを反対して、白米主義に固執しこれが大本営の方針となる。結局、鴎外はロシアのどの将軍よりも日本兵を殺したという批判につながった。

 片や海軍は軍医・高木兼寛(のちの海軍軍医総監)が脚気は食物が原因である、との説をとる。海軍では脚気患者は出なくなった。陸軍の白米主義に対し、海軍は麦飯主義。くっきりと分かれて、日露戦争で兵力が低下した陸軍は203高地で苦戦、海軍は海戦で歴史的な大勝利を収める。海軍はイギリス派で頑迷な方法論にこだわるドイツ流にくらべて、経験と現場を重視した。これはわれわれにも教訓をあたえてやまない。興味のあるひとは吉村昭の『白い航跡』(講談社文庫)を読まれたい。鴎外は短編『妄想』で自説を披露しているらしいが、読んでない。

 
 
女連れ旅作家が曲がり角の視界に
 私大教授になった友人がいた。「定年が70歳なんだよね。まだずいぶん先」とかれは喜んでいたが、ぼくは70歳まで大学生を教えるなんて、学生の身にもなってよ、と腹の中で学生に同情したものだ。だが、ぼくも来年の11月には70歳になる。おそらく再来年はささやかながらも収入源である大学講師も終焉を迎え、自由の身となるだろう。
 
 そこで悩んでいる。ペン森を続行するか、縮小して移転するか、閉塾するか。70のじじいが平成生まれの学生と仲間意識と志を共有しようと頑張って飲めば、学生がたじろぐにちがいない。一方で、ペン森から300人のマスコミ人が巣立ったし、社会に対するぼくの役割は終わった、という感想も芽生えている。

 女性の25歳はお肌の曲がり角らしいが、人生の70歳は夢実現のがり角のようだ。その意識の方向を大別すると、過去を振り返るか、未来に思いを馳せるか、このどちらかだろう。ぼくは後者だね。これは大学卒業以来、ずっと連続して学生との付き合いを絶やさなかったことが大きい。若い学生には未来志向しかないのが普通だ。ペン森にはマスコミで活躍したい若者がやってくる。このような若者に過去話を繰り延べてもうざいと敬遠されるだけである。ぼくはどちらかというと、若者に同化してきたと思う。

 人生の曲がり角にさしかかろうとしているぼくは、後方にはほとんど関心がない。興味の視界は前方に広がる。70歳まであと1年余。それまでが助走期間である。旅先でメモ用に使うデジタルカメラを買った。
旅作家をめざしているのである。青春18切符とレンタカーを組み合わせて、田舎を見てまわる。繁栄の陰の限界集落、廃村、廃校、無人駅、さびれた漁村・・・

 20代の女性が同行してくれるというのがぼくの絶対的な強み。これを最大限に生かして、毛色の変わった紀行文をねらう。だが、ペン森を閉めれば現役女子大生の同行がなくなる恐れがあるなあ。それにしても、男どもが振り返る20代美人は貧相な70じじいと旅をしてどこがいいのだろうか。ぼくは20代美女を旅友にして、世の中生きていくのが楽しい。ペン森を閉めれば現役女子大生と旅をする機会も消滅するのだろうか。じゃあ、閉めるわけにはいかんのかなあ。
どうした1周遅れの朝日見出し
 安倍辞任の興奮さめやらぬうちに14日になった。朝刊各紙は、次期自民党総裁=総理への自民党派閥の動きを伝えている。情報内容の深度を反映する見出しを見ると、朝日がなんだか元気がない。最大の攻撃目標、安倍総理が突然消えてしまったので、うつろな空虚感を味わっているのだろうか。
 14日各紙朝刊最終版の1面見出しは以下のとおり。

 「福田氏、立候補へ」(朝日)
 「『福田総裁』強まる」(毎日)
 「福田氏への支持拡大」(読売)
 「福田氏支持広がる」(産経)
 「福田氏参戦 優位に」(東京)
 「後継、福田氏軸に」(日経)

 朝日以外の全紙が福田氏が立候補することを前提にした見出しなのに
どうしたことか朝日は1周遅れのランナーみたいである。写真は朝日、
読売、産経、日経が福田氏、麻生氏、額田氏の3人を並べたのに対し、
東京は福田氏と麻生しの2人、毎日は福田氏1人。他紙の顔写真とは異なり、福田氏の上半身ポーズで、氏を取り囲む記者たちのインタビューの手が伸びている。毎日は福田氏から「出馬の意向と書いてもらっても構わない」という言質もとっているからよほど自信があったのだろう。

 前日は麻生氏一色だったのに、一夜明けたら雪崩をうって福田氏。麻生氏は参院選自民惨敗にもかかわらずいち早く安倍続投を支持した。2日前に安倍辞任の意向を聞いていて、自分の都合のいいように総裁選の日程を設定しようとした。おまけに「(麻生氏が)クーデターを起こして安倍首相を後ろからばっさりやった」という片山さつき発言もきいたね。福田VS麻生の一騎打ちというが、額田氏もチルドレンも福田支持にまわり、福田氏圧勝の流れだ。

 福田氏がまだ政策も発表してない時点で、こぞって勝ち馬に乗ろうとしているのは総選挙にらみのわが身かわいさだけだ。金も票もある程度保障される公認をとりたい。そのために反対勢力につくわけにはいかないのだ。

 その未熟さ、胆力のなさ、後手後手の処理、タカ派体質、国民感情とのズレ、空疎な言の羅列がぼろくそにいわれる安倍さんはまだれっきとした日本国総理大臣閣下である。ぼくはひ弱な善人ゆえに、つまり器でなかった良いいひとだったがゆえの悲劇ではなかったかと思ったりする。空気の読めない安倍さんが退院して「まだ辞めないよ」とさらに居座り宣言をしたら、朝日は再び天敵をえて元気はつらつと正論を吐くかだろうが、まさか。悪い冗談。
好きな女性とぼくの旅物語
ぼくもこうしちゃいられない。このブログで紹介している転身女性に刺激を受けて、むくむくと表現欲望が内部から立ち上ってきた。活力をもらった。紀行文を書いてみようと思う。『センセイの鞄』や『しょっぱいドライブ』は高齢の男と若い女の物語だが、視点は女性の側である。ぼくのは真逆から見たり考えたりする物語。

 ぼくが女の子と旅をするのが好きなことはペン森生はたいてい知っている。旅のマイランクをすれば①好きな女性と2人で②好きな女性をふくむ女性数人と③好きな女性をふくむ男女数人と④1人で⑤男と2人で、ということになろうか。男と行くのも嫌いではないが、男は女と行くのが自然であるという観念がぼくにはある。男と行けば上下関係の気遣いにお互い疲れる。

 70歳直前にして①は世間にとって非日常すぎてなんとも贅沢だねえ。しかしぼくはこの組み合わせをちっとも苦にしない。好きな女性はペン森生の現役か卒業生に限定され、ぼくが授業をもっている2大学の女子大生には1ミリの興味もない。ペン森に限定されるのは彼女たちと平素親しく感情や知識を交流させているからだ。ぼくをたいせつに扱ってくれるから、ぼくには癒しだ。相手にとっては介護かもしれんけど。

 ぼくの紀行文は過去の同行体験も振り返りながら①のケースを想定している。この年齢差の旅を高齢男性の視点から描くのである。『阿房列車』はヒマラヤ山系(平山三郎)をだしに使って、巧妙にとぼけたユーモアで表現しているが、なにせぼくは男だから、本質は残念なことにすけべだ。その東海林さだお風の妄想的本質をちりばめつつ、年齢差によるちぐはぐ会話を織り込んだ旅物語をめざす。もてない高齢者にエネルギーをぶちこむからね。ぼくの空元気にならんよう、女の子よ旅同行を申し出てくれい。

 
活動の拠点はやはり仙台がいい
  またまたドキュメンタリーカメラマン志望の女性の話。きのう本人から電話がかかってきた。このブログは知る人ぞ知る。知らない彼女はここに書かれていることを読んでない。電話は活動の拠点となる居住地はいま住んでいる仙台がいいか、東京がいいか、という相談。巨匠の江成氏は東京に居住しなさい、と勧めたらしい。ぼくも情報の集積地で人脈も広がる東京がいいと思っていた。

 しかし、彼女と話しているうち、気が変わった。仙台のほうがいいのでは、と思い至った。彼女は福島・会津育ちだし、転身の原点が東北の消えゆくふるさとであった。取材対象の現場に密着している。会津と仙台は車で行き来できる。彼女の感性に合う。

 それに仙台は気鋭の作家たちが住んでいる。『パラサイト・イヴ』の
瀬名秀明、『邂逅の森』の熊谷達也、『重力ピエロ』の伊坂幸太郎。いずれも仙台から離れようとしない。伊坂は新潮文庫のWEBアンケートで宮部みゆき、江國香織についで3位にランクインしている。ペン森の若者にも人気がある。吉川英治文学新人賞を受賞した『アヒルと鴨のコインロッカー』はおもしろくないというひともいたが。

 彼女には今朝、開高健の『ずばり東京』(光文社文庫)と沢木耕太郎の『人の砂漠』(新潮文庫)を贈っておいた。ルポルタージュやノンフィクションをめざすひとのバイブル2冊であった。『ズバリ東京』は最近、光文社文庫として復刊した。それが彼女の文章修練に役立ってくれればうれしい。彼女は写真だけでなく、文章をつけて重層的な表現を考えているようだし。

前途洋々の彼女へのはなむけ
 先週このブログで紹介した大放送局をやめてドキュメンタリーカメラマンをめざすペン森卒女性が、大写真家の江成常夫氏を訪ねたらしい。きのう日曜日の朝、江成氏からぼくの自宅に電話があった。彼女は師匠筋にあたるひとに連れられて、この高名な写真家のもとに行ったらしい。
 
 江成氏はぼくより2歳上だが、毎日新聞の同期生である。かれは木村伊兵衛賞と土門拳賞という写真界の2大タイトルを受賞した唯一の写真家だ。芥川賞も直木賞も受賞したといえば、わかりやすいかもしれない。「相変わらず忙しいのかい」と聞いたら「太平洋にまで手をだしたんでね」と。
 
 太平洋とはたぶん、地球温暖化で島が水没の危険に見舞われている問題ではない。太平洋戦争(第二次大戦)時の戦跡や遺骨や、戦跡を慰霊する遺族などを記録しておきたいということであろう。かれはアメリカにわたった戦争花嫁のいまを写真で伝えて有名になった。一貫して追求しているのは戦争がもたらした人間(日本人)の責任と悲劇である。
 
 ドキュメンタリーカメラマンを志望する彼女はまだ27,8歳だ。前途は洋々としている。江成氏のように過去の現場や人間を掘り起こして現代人にリアルに迫り語りかける作品をものにしてほしい。ぼくが彼女に期待したいのは「すべての目に見えるものはすべての目に見えないものに支えられている」あるいは「表現されたものは氷山の一角である」という言葉である
 
 そのためにはまずは自分の足を使って現場に行き、人に会い、自分の目でみて耳で聞いて手で触って匂いを嗅いで空気を肌で感じなければならない。そうすることによってはじめて、細部まで現場の実体を知ることが可能になるだろう。神は細部宿る。神をつかむとともに、作品を観るひとのこころもつかんでもらいたい。

 戦後世代の彼女はふるさとの消失を実感したことが独立のきっかけになった。戦後、日本人が経済一辺倒でやってきた果てに置き去りにしたり失ったりした価値あるものをわれわれに突きつける。われわれを立ち止まらせて考え直させるのが彼女の仕事だと思う。その彼女にまずは開高健『ずばり東京』と沢木耕太郎『人の砂漠』を贈らねば。

悲しき性
本日は酔っぱらって時間切れになった。このブログきょうはやめ。
本日ときょうの使い分けを知ってるかい、日航と全日空、JR東日本とJR東海。それぞれちがうぜ。
 一方が本日なら、片一方はきょうを用語とする。JRなら東日本と東海の境目できょうから今日に変わってくるんだよねなんという狭量と思うが、それがエネルギー源でもあらんだよね。
 悲しき人間の性。戦争という犯罪んの根源だね。
彼女が放送記者を辞めた理由
 女性は慎む必要はないですが、お酒は控えてくださいね、と前振りをしてペン森卒業生女子から大放送局退職のお知らせメールがとどいた。ドキュメンタリーカメラマンに弟子入りして、修行中とのことだ。

「そもそもこういうことになったのは、3年前に実家に帰り、私の出た小学校の話を聞いたことが始まりです。私が卒業した15年前には1クラス20~30人いた子どもたちが、少ないクラスで数人になっていました。そのとき、自分のふるさとが消滅する危機感を強く感じたのです」

「先月、宮城県七ヶ宿町の稲子集落で話を聞いたのですが、70過ぎのおばあさんが、50年前に嫁に来たときには100人いた集落が今や4人になってしまったそうです。虫の声がやたらとうるさくて、自然が人里を襲撃しているような印象を持ちました。集落を出て行く人たちが自分の田に杉を植えていくため、どんどん森が人里に迫ってきています」

「現実的な人の住む面積だけでなく、伝統や慣習、自然との接し方など、グローバル化しているといいながら、日本人は何だか窮屈になっているような気がします。写真と言葉を組み合わせることで、今の日本の地方から見えてくる何かを伝えたいものですが。。。」

 なんという健気な精神だろうか。この香気あるたくましい転進にぼくは打たれた。既存のマスコミで仕事をしたいペン森生に対してぼくはよく言う。独立して自分でメディアをつくって発信する気概をもってくれ。やっと、その気になってくれたペン女が現われた思いがする。
 彼女は5年間放送記者として従事し生活は安定していた。独立してドキュメンタリーでは食っていくのが大変だ。メールはこう締めくくられていた。「今度、お会いしたら、貧乏談義をしましょう!」


愉悦の旅はまだ続けるぞ
 ありがたいことに1,2日の土日は休めた。暑熱も収まって散歩にもほどよく、すこし草いきれのする道に郷愁をおぼえながら、土日に休める幸福を考えた。
 7期生くらいまでは土日もぼくが出ているものと思いこみ、訪ねてきて空振りのはて、どうしたんですか、と聞くひとがいる。24時間フル回転はもうとっくにやめた。ぼくは疲れを引きずる年齢になった。
 ペン森に24時間詰め、50代か60代前半にかけて、ソファで寝ていたころ。こう自分に言い聞かせていたものだ。、兵隊さんは食うものもなくジャングルなどで寝ていた、それにくらべればなんという贅沢。240万人の犠牲があったからこそ、いま自由にメシも食え酒も飲める。空調の効いた屋根の下で寝られる幸福を思え、と。
 もちろんぼくは戦争に行った世代ではない。南方戦線の密林にいまだに眠る兵隊さんの遺骨収集のドキュメンタリーをみるたび、戦争のしっぽを知る者として、現在の生に感謝せざるをえない。
 ぼくの残りの生は健康に生きるとして、あと10年かそこら。かつての兵隊さんの飢餓と労苦を考えれば、逆に代わりに精一杯、愉悦の生き方をして供養しようという気になる。なにが愉悦かというとぼくの場合、国内の旅に尽きる。同行してくれる若い女性がいつまでもいてくれるはずもないから、結局は1人旅ということになろう。現に同行女性がいてくれるから、ぼくくらい天にも昇る幸福感を味わうじじいはいないとは思うが。
 ぼくの夢は人口減社会にはいった日本のすみずみを列車と車でめぐって日本の高度成長と峠の下り坂のはじまりを実見することだ。今秋10月、東北の旅をするが、これは誘ってくれるペン森卒女子編集者グループに運転手がいればこそ、の話である。もう来年からはそういう田舎をしみじみ見てまわる旅はできまい。
 認めたくはないが、ぼくにも峠の下りはもうはじまっている。年内は同行相手がいるから、まだ2人旅ができる。ぼくの下りの勾配はまだゆるく続くけどね。 
 


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