ペン森通信
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きみ知るや女優バーグマン
 ぼくはペン森の女の子(ペン女)も好きだが、女優も好きだ。70ちかいじじいにしては「女優も」なんてもったいない話だが、これは一方通行だから許してもらえる。日本の女優で好きなのは、津島恵子。若いひとは知らんだろうね。
『七人の侍』に出てきた村娘、志乃を演じ、男装して村を野盗から守ろうとする七人の侍から身を隠す女優。「男はつらいよ」のマドンナにもなった。さして個性的ではないが、整った顔のいやみのない美女。だいたいぼくはこういう清楚清純な趣のある女性がたまらない。ロリータじゃないが。
 ぼくの机には吉永小百合の写真が飾ってある。これがぼくと飲んでる写真なんだよね。ところがぼくは小百合よりも栗原小巻のほうが好ましい。『忍ぶ川』の楚々とした風情には胸が高なったなあ。この女優さんとは複数で淺草のどぜう屋で飲んだ。六本木の俳優座まえの喫茶店で会ったこともあったね。男性がサユリストとコマキストに2分された40年もさかのぼる時代の話。
 ぼくはコマキストだったが、この小巻はぼくのイメージではイングリッド・バーグマンに近かった。それはあくまでもスクリーン上の印象であってね、もちろん実際にのバーグマンは見たことも触ったこともない。ゲーリー・クーパーと共演したスペイン市民戦争時の『誰がために鐘は鳴る』は馬上から居残るクーパーとの別れを悲しみ叫ぶ姿が痛々しかった。
 そのバーグマンが亡くなって29日が25周年。日本では『カサブランカ』(42年)『ガス灯』(44年)はぼくらの世代はほとんど知らないひとがいないほどの映画だ。『カサブランカ』は戦後初の本格的なアメリカ映画で、いまなお「カサブランカ」という喫茶店があるくらいだからいかに一世を風靡したかがわかるだろう。
 でもさ、バーグマンはいま風にいえばワイドショー女優だったんだよね。『無防備都市』(これもいい映画)を観て、家族を持つその監督ロベルト・ロッセリーニのもとに押しかける。大胆な不倫だよ。アメリカの州議会で問題になり、ハリウッドからも追放される。ところがロッセリーニもまた破滅的人間だから2人のあいだも破滅する。バーグマンはその後、ハリウッドに復帰して演技派女優として活躍する。
 20代であの戦場カメラマンのロバート・キャパとも互いの一目惚れでくっつくし、『誰がために鐘は鳴る』の原作者、ヘミングウェイともデキていたといわれる。虫も殺さぬ優しいイメージの裏に、かくもたくましい肉欲的な性格が隠されていたとは、女性は恐ろしい。というか、ぼくの知らない女は魔物だね。知ってる女性は小物ばっかり。
 
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守備も大丈夫かBY安倍改造内閣
 安倍改造内閣の評価がきょうはメディアで一斉に行なわれたが、総じて守備固め内閣ということであった。小沢民主の強打をどうそらすかが
このチームの特徴らしい。
 守備力には内外野の好守が求められるが、なんといっても投手力がポイントである。安倍投手はめった打ちに打たれただけでなく、四死球とやワイルドピッチで大量得点を奪われ、大敗戦のA級戦犯になったが、マウンドをおりなかった。こんなピッチャーで試合ができるかい、とチーム内から嫌気の声がわき上がったが、安倍投手は監督であり、オーナーでもある。
 チームが勝つには守備力のポイント投手の交代しかない、と素人でもわかるが、スタンドの激しいブーイングもかわして安倍投手は居座った
まま試合続行である。この新しい安倍チームには、昔の選手を多数起用してシフトしているので、まるで新鮮みはない。ネタが古い。パワーがない。
 厚労の桝添と総務の増田がすこし打力があるかなと思われているが、実際は打席に立たないとわからない。相手は豪腕小沢である。桝添にはコントロール抜群にして速球を投じ、きりきり舞いさせた長妻年金魔球が立ち向かってくる。打ち返せるか。増田は議席がないが急遽メンバーに呼ばれた。かつて小沢が自分の故郷、岩手に招いた結果、その地方改革が買われたが、いまや仇敵となった小沢に引っかき回されるだけでなく、昔は仲間であった霞ヶ関官僚軍のいじめの餌食となるかも。
 どっちみち地味で平凡な改造チームである。攻撃力はまるで乏しい。点を入れなければ試合には勝てない。安倍はオーナー監督として、人気待ちの策に出たが、この羊のような独裁者は、とりあえず決めないで先送りしてこじらせ、どうにもならなくなってから処理しようとする。後手後手のBY(場が読めない)人種である。
 BYは最悪秘書官のせいだと出色のドキュメンタリー『官邸崩壊』(上杉 隆)があきらかにしている。安倍改造の今後も占えるから読まれたし。
眠る女話と甲子園決勝押し出し判定話
 *眠っても眠っても眠りたりない温泉マニア
 秋採用試験がはじまった25,26日、ぼくは10期生の温泉マニア某女と長野方面を旅をしてきた。レンタカーのフィットを利用。志賀高原から新潟路にはいり、栄村を抜けて秋山郷へ。この有名な秘境へ行くには細い山間部の曲がりくねった一本道しかない。ところどころすれ違い用のふくらみはあるが、すれ違うたびに神経がひりひりする。
 しかし彼女はどこふく風。助手席で寝入ったままカーブの際、振り子のように上体を左右に揺らせ、ぼくの左上腕部に頭をぶつけるも目覚めない。彼女はあらゆる乗り物に乗ったとたん、寝入るくせ、というか病気にかかっていて、症状が悪化するばかり。パブロフの犬みたいな反応を繰り返す。紀行文書きに行ってもそうらしいから、心配ではある。
 秋山郷の最深部から引き返す途中、温泉宿に変身した小学校の温泉にはいり、宿泊地の野沢温泉に着いて13あるという無料共同風呂のひとつへ。いやー熱いのなんの、湯船からあふれて流れ出た湯すら、足の裏が火傷するくらい猛烈。ぼくは蛇口の水と温泉とを桶に汲み、それを3回かぶっただけで外へ出た。
 だいたい、温泉街では温泉たまご以外に生たまごも売っている。温泉につかりながら生を半熟にしては、というのだから、ぬる湯専門のぼくはたまらん。日本酒15度をたしなむぼくはウオッカ60度の野沢温泉に悲鳴をあげたのだった。
 で、ぼくは部屋でシャワーを浴びたね。彼女は夕食のあと、7時には
掛け布団の上に寝っ転がり12時間後に起きあがって、朝市と共同風呂へ。9時発で飯山に向かうが、野沢を出てすぐ車中居眠りをはじめる。寝ても寝ても寝たりない。いつもながらたまげる。新幹線でももちろん眠りっぱなし。1泊2日で話をしたのは、つまり彼女が正気だったのは食事時間の計2時間くらいかしら。ロマンもなにもあったもんじゃない。「病気を治します」と彼女はいって、新幹線をおりた。ずっと起きていて読書などに使った老眼をぼくはなくした。
 
 *いまなお続く甲子園決勝押し出し四球話
 先週金曜日、9期生が集まって、甲子園決勝が話題になった。
「押し出しになったあの1球の判定はおかしかったね」「あれはボールだよ」「ストライクじゃなかったね」「佐賀北だからストライクだったんだよ」「ほら、特待生問題があったでしょ。地元中学出身者ばかりの県立だから佐賀北に有利に働いた」「広陵はツイてなかったねえ」「でもさ、佐賀北の逆転満塁はやはり筋書きのないドラマで、すごかったねえ」「そうだね、どんなにお膳立てをしても、あんなホームランは打てないだろうよ」
 ペン森の卒業生は新聞記者が圧倒的に多い。いまなお、佐賀北の奇跡に頭をかしげながらも盛り上がるが、さて世間はもうとっくに忘れて、安倍改造内閣はこりゃだめだとぼろくそにいっているのだろうか。安倍はまたまたコールド負けみたいなチームをつくったなあ、とか、さ。
 
 
論作文題は参院選の結果をヒントに
 新聞の秋採用試験が目前にせまった。明暗を分けるのは論作文の出来具合である。一般教養・時事問題はみんな同様の対策をしておけばよく、独自の資質が評価されるわけではないから、さして差はつかない。
 そこへいくと、論作文は本人の表現の底にある人生観や世界観が観察される。20余年間、なにを考え、どのように生きてきたかが問われるとみてもよい。それはどんな題でも論作文という文章に人間が反映されるという点では同じだ。
 今期の題はたぶん参院選の結果にヒントをえて出されるのではないか。あまりの衝撃というより、それは日本の大転換を予感させるから、学生がどのような内容・視点をもった論作文を書くか、その点に新聞としては興味があるだろう。その学生はそもそも、いまの政治状況に関心があるのか。関心があるならどのような身近な例を引き合いにだして筋道たてて表現するのか。
「逆転」「逆風」「逆転国会」「居座る」「リーダーの責任」「大転換」・・・題は参院選の結果に関連していろいろ思いつく。
 一般論、抽象論、大所高所論はもちろん避けて、具体的な事例を使って独自の意見を展開しなければならない。この件に関してはほとんど言い尽くされているから、もう参院選の結果についての説明や解説はいらない。自民大敗の原因についての借り物の意見は余計に不要。
 自分が生きてきた過程とその周辺のエピソードと重ねて表現すれば、それなりの説得力ある論作文になるだろう。エピソードに話題性やニュース生があれば鬼に金棒だ。鬼に金棒という言い方は古すぎるか。
 新聞の秋採用試験が目の前に迫った。勝負の分かれ目になるのは、いうまでもなく論作文の出来である。その出来は各社とも記者がABCの三段階評価で行なうが、評価にばらつきが出ないよう、一応の基準が採用センターから示される。
 たとえば①内容4点②表現力4点③国語力2点などという具合だが、記者は読んでいくうちにそんなことは忘れてしまう。具体的なエピソードを土台にして、いいたいことが筋道たてて自分の表現で展開されているか、という観点で判断していくようになる。
 このブログ文章でいえば「目の前に迫った」という言い方は使い古された表現だから、高評価を与えるわけにはいかない。「自分の表現で」というのはどういう意味か。抽象的でわかりにくい。「借り物でなく自分の言葉を紡ぎ出して」としたほうが伝わるはずだ、となる。
 使い古された例が嫌われるのは、 
手足切断の接合費用が気になる
 オートバイで高速道路を走行中、右足の膝下から切断したのに気づかず、そのまま2キロ走って転倒した人がいたというニュースには驚いたね。ブレーキを踏もうとして足がなくて踏めずに転倒したのであろうか。普通、悲鳴ではすまないくらいの激痛では、と思うのだが、神経の空白みたいな部分があって、その部分をたまたま切断したのだろうか。
 沖縄ひめゆり隊の生存者の体験談によると、彼女たちは戦時の病院とされたガマと呼ばれる壕のなかで、負傷した兵隊が麻酔がない状態で手足を切断されるさまをみたが、激痛を耐える兵隊の絶叫がまだ耳底になまなましく残っているという。手先をすこし切っただけでわめくのだから、切断の痛さなんて想像もつかない。
 ぼくの叔父も南方派遣の砲兵だったが、右足は膝から下がなかった。部屋の柱によく義足がぶら下げてあり、それはあまり気持ちのよいものではなかった。野戦病院で麻酔をして手術したそうだが、麻酔がさめたあと猛烈に痛かったとしきりにいっていた。
 オートバイの男の置き去りにされた足は、ツアー仲間が折り返して取りに行き拾ってきたというが、時間が経過したせいか、破損が激しかったか、すでに接合は不可能だった。
 ところでこの接着費用はどれくらいかかるのだろう。体の部位の大小や太さ細さによって費用に差があるのだろうか。マイケル・ムーア監督の最新作「シッコ」の紹介記事によると、そのキャンペーン映画に答えらしきものがあるみたいだ。
 日曜大工の事故で手の中指と薬指を切断した人がいた。指の接合には1本につき100万円かかる。2本で200万円。オートバイ男性は接合がかなわなかったが、もし接合が可能だったら、いくらかかったのだろうか。
白い恋人に失恋して「ペン」を考えた
  北海道は5,6回行ったことが・あるが、ぼくの人生の消費期限はもう少ないが、早い時期10日間くらいかけて夏、ドライブしたいと思っている。その爽快さ、広大さ、原生的な自然、まっすぐな道。およそちまちまとした日本とはイメージが異なる。1回しかドライブしたことはないが、イギリスの地方を思わせる。
 雪印からはじまってミートホープとつづき、こんどは「白い恋人」だ。北海道のイメージダウンと信用失墜は、インチキ食材の中国なみである。なかでも「白い恋人」はその卓抜なネーミングによって、清新な淡い郷愁のような感情をほのかに刺激して、さわやかな北海道イメージと合致していた。
 これではせっかくの北海道みやげも「黒い悪女」と名前を変えたほうがいい。社長が辞任しようがしまいが、立て直しは容易なことではあるまい。「白い恋人」には消費者が失恋したわけだから、よほどの未練がないかぎり復縁はないだろう。
 それにしても賞味期限の期限を都合よく延ばしたということは、期限は自分勝手に決められるということ? ぼくは第三者機関のなんらかの関与があると思っていた。もしないなら、これもおかしい。匂いをかいだり、ちょっと舌でためしてみたり、色で確認したりといった食に対する防衛術が劣化している現代人にとっては、表示だけが信頼のよりどころなのだ。
 わが「ペンの森」もなかなかのネーミングだと評される。ときどき宗教みたいといわれるのは「天の森」と聞き違えるからである。ペンとはメディアの本質的な使命であって、もちろん剣とはペンが戦うべき権力の総称である。「ペンは剣よりも強し」ということばやその意味を知っているマスコミ志望の学生はすくないかもしれない。
 「ペン」はボールペンのことだけではない、ということを強調しなければならないほど剣に対抗するペンの賞味期限が切れているということか。「ペン」のあり方に失望しているひとも多いだろうから、この賞味期限を延ばすのは容易じゃない。でもペン森生はわずかながらも剣に立ち向かう精神をもっていると思うよ。
小池大物ぶりっこ大臣とケータイ人事
 きょうもまたケータイを家に忘れた。ぼくはしばしばケータイを携帯しない。だいたい持っていても、それは音消しのマナーモードのままかばんの中にいれ、チェックすることがないから、だれがかけても気づかない。2,3日あとで着信履歴で知ることが多いから、ぼくは問題ないが、あんんたにはケータイが通じないとすこぶる評判が悪い。
 ぼくに連絡をとるにはペン森に電話をかけるか、PCメールがいい。
ケータイメールなんて、メールを書いてくれる彼女でもいれば、使える努力を惜しまないが、めんどくてばかばかしい。ぼくのケータイ使用はこちらから電話をかけるだけ。それで十分なのね。
 じゃ持たなくても用が足りるんじゃないの、という意見があるかもしれない。合宿や温泉旅の際、旅先での互いの位置確認や待ち合わせ連絡に必要なのだ。通常、ぼくが家に起きっぱなしにしがちなのは、外出時に持参しなければならない優先順位が①老眼②電車内で読む本③ケータイと、ケータイが冷遇されているからである。
 そもそもそれがなければ困る必需品の老眼だってときどき忘れる。電車に乗って、本が読めないのですぐ気づくが、ただ外を眺めてやりすごすしかない。ペン森につくと100円ショップで買った予備が4つある。ぼくは左目が乱視なので、100円老眼はあまり役に立たないのだが、
我慢する。
 いつのまにか、ケータイから老眼に話がそれた。元はといえば、けさテレビで防衛事務次官の人事をめぐる問題で、守屋次官が事前に説明がなかったといっているのに対し、小池百合子大臣が「携帯で2度電話したが、応答がなかった」と反論していたことが頭にあってのケータイ話であった。ケータイで人事かよ、って守屋次官は頭にきた。
 守屋次官は大物で小池大臣には煙ったい存在かもしれない。独断的に退任させようとしたのは、小池大臣の大物対抗意識が根っこにあっての増長だろう。こりゃ内閣改造で小池大臣を変えねば防衛省に火種がくすぶることになるなあ。防衛省人事で炎上。そのほうがおもしろいけどさ。
論作文のマル秘指導要領
 きょうからペン森は新聞秋採用の直前講座。その場で出した題に基づき、800字と1000字の論作文を1日2本書くのを10日間継続して、本番に臨もうという対策である。
 採用側の題は時代の潮流や時事的なエポックを背景に考え出されるからこの秋は、地球温暖化現象参院選の結果をめぐる題は欠かせないだろう。きょうの直前予想題は「逆転」(1000字)と「中国とは」(800字)。
「逆転」はもちろん、与野党逆転国会から発想している。単に「逆転」ではなく「逆転国会」などと題のふくむ意味をせばめることも考えたが、1000字作文だからもっと自由に着想してもらうというねらいもこめた。「中国とは」は、大気汚染、食で問題視されている来年のオリンピック開催地の大国をどう見るかを問うている。身近な事例があれば日本との歴史に触れてもかまわない。
 春採用で読売は「宇宙と平和」という題をだした。書き方は具体的でない、一般論でもよかったそうだが、大学ではなくマスコミで一般論可というのは邪道というかピントはずれだろう。だから、こういうとんでもない題がひねりだされる。
 まあ、読売のことはどうでもいいのだが、記者は現場主義でなければいいネタは拾えないし、読者の付託に応えるだけのいい報道ができない。ぼくはまた9月から某大学でマスコミ就職の作文講座をもつが、学生は最初はどうしても知識や周知の事実を並べて借りものの意見を述べる。こういう一般論はペケである。
 ぼくの作文指導の要領は
 
 ①自分の目で見て、耳できいて、肌で感じたことをそのまま写実描写する客観性とそこから感じ考えたことを導き出す主観性。この2つを結びつけ筋道たてて分かりやすい平易な言葉で伝えようとしているか。
 ②表現力は知識や教養の蓄積を背景にして巧みか。
 ③文法上の間違いはないか、誤字はないか。
 
 以上の3点であるが、あまり詳しく述べると受講料をもらっているペン森の気持ちを逆なでするからさわりだけにとどめたい。これ以上の個別指導を望むひとはどうぞペン森入塾を。

政界関ヶ原で小沢家康の天下となる?
 安倍惨敗総理に対する批判は自民党内からも依然として噴出している。その不人気は関ヶ原の西軍負け大将、石田三成を思わせる。安倍三成ではきたるべき総選挙に当選しないかもしれない。衆議院の自民議員たちはわが身の当落を第一に考えるから、浮き足だって深刻だ。
 国会議員は選挙に落ちればただのひとである。ぼくの義父はむかし、国会議員をしていたが、落選つづきでついに復帰できず、ただのひとのまま亡くなった。葬儀には当時の首相と前首相から花輪がとどき飾られていたが、もちろん現役議員ではないからただ虚しいだけ。
 このまま安倍続行だと小泉チルドレンも大半が姿を消し、政治史のあだ花として残るしかないだろう。やっと首になった赤城元バンソウコウ大臣は当然、問題発言の柳沢、久間氏も危ない。大物の落選続出に民主党も一部マスコミもわきかえるにちがいない。
 解散総選挙の最初の引き金になりそうなのが、11月1日に時間切れとなるテロ特措法をめぐる与野党の攻防である。すでに小沢民主党代表は延長反対を表明している。政権運営に四苦八苦する安倍三成に対し、小沢家康は手練手管を駆使して追いつめにかかり、やむなく解散総選挙になる可能性が強い。
 徳川家康は関ヶ原の際、155通の手紙を外様武将にだして裏切りを呼びかけ、西軍の切り崩しを謀った。総選挙ともなれば、小沢家康は当然、安倍三成与党に手をつっこんでかき回すだろう。仮に公明党を引っこ抜けば、公明票頼りの自民議員はひとたまりもない。1人区のひとのいない地方を徹底的に回った小沢家康は結果的に、安倍三成が足下にもおよばない政治観の冴えを国民の前に見せた。
 つぎの総選挙が日本政治の関ヶ原になる。徳川家康は得意の野戦にもちこみ、小早川秀秋を裏切らせた調略が決定的な要因となって、圧倒敵に勝利した。たぶん、総選挙関ヶ原では小沢家康が勝って、日本の政治と社会は新しい時代に突入していくにちがいない。
 それは幸か不幸か、かつて小沢氏の側近がつぎつぎに離れていった事実もあった。移り気な国民の気持ちを引きつける小沢家康でなければ、
民主党も小泉チルドレンと同じ運命をたどるだろう。


旅心がわき出たついでにじじいが思うこと
 ペン森生たちが青春18切符で東北や四国に行った。青春18切符はべつに年齢に関係なく活用できるというから、ぼくも使ってみようかと60代末じじいの旅心がさわぐ。
 ぼくは全体にぼんやりとした乗り物好きと思うが、マニアというほどではない。乗るのが好きな順番からいえば①自動車②列車(電車)③船④飛行機となる。
 車の免許は50歳のときにとった。23歳時、1回だけ知り合いのタクシー運転手に助手席に同乗してもらい、無免許で「日産パトロール」という「テラノ」の前身にあたるSUVを運転したことがある。免許は
まったくオーバーなしの最短時間で取得したが、教習所の教官はしきりに「以前、運転してたでしょ」と言っていたなあ。
 車歴は日産プリメーラを経て三菱パジェロへ。このパジェロV6・3Lショート時代が人生最後の盛りだったような気がする。休日はコンビニでおにぎりとお茶を買って、山梨、奥多摩、長野によく行った。細い曲がりくねった山道を攻めるのが気分よく、じつに単純なおっさんだったね。いまは平凡そのものママチャリみたいなトヨタのカローラX。これが運転しやすくバランスがとれていて調子もすこぶるよい。ペン森生の遠出や合宿車としてここ3年、活躍している。
 列車(電車)は田舎をのんびり走る鈍行がいい。ことし機会があったら只見線、小海線、五能線に乗りたい。なかでも青森の五能線は日本一夕日のきれいな不老不死温泉にひかれる。ペン森生のだれかいっしょに行ってくれないかしら。
 ③船④飛行機はむしろ嫌いといったほうがいいかもしれない。むかし、日本海でイワシの大群がくるというので、水産庁の調査船に乗って沖合取材にでたが、それがまるでガセネタ。2日間大揺れつづきの船べりで小便しようとしたが、小便が波しぶきにまじって顔に吹きつけ、えらい目にあった。ただひたすら波に翻弄されただけだった。
 飛行機も管制塔が止めるのも聞かずに取材機が飛び立って、大雨被害取材をした経験がトラウマになっている。カメラマンはゲロをはきちらしながらシャッターを切っているし、低空飛行で高圧電線にぶつかりそうになるしで
怖かった。操縦士は帰着して地上におりたとたん「助かったぁ」とへたりこんだ。
 見るのが好きなのは①飛行機②船③自動車④列車(電車)。飛行機を見るためだけに夜、酔って羽田空港にタクシーで向かって記者室にはいり、航空記者の腕章をつけてジャンボ機を見上げたりしたものだ。とがめる係もおらず、いやあ、ゆるい時代もあったもんだよねえ。どこでいつ日本は壊れ、病むようになったのだろう。
朝青龍はK-1に転身せよ
 安倍続投と朝青龍問題が土日のテレビ情報・報道番組の主たる話題になっていた。朝青龍問題はけさの情報番組でもメインテーマだった。
 朝青龍は、さすがプロスポーツマン。モンゴルでヒデなどとやっていたサッカーで俊敏華麗豪快な身のこなしをみせていた。あのビデオの写りが、よたよたと高見山みたいだと、これほどバッシングを浴びることはなかっただろうに、と思うね。
 サッカーをやったことが問題ではなく、診断書をだして巡業を休場したのに元気そのものだった、仮病じゃないの、というところに非難が集中している。国技の頂点を張るにふさわしい品格品位がない、これまでも数々の問題を起こしてきた、とも指摘される。
 ぼくは相撲通でも相撲ファンでも朝青龍ファンでもないから、そんなに興味はないのだが、このバッシングはどこかおかしい。相撲はそれほど高潔な国技だったのか。外国人に支えられている国技に国技をいう資格があるのか。どこか高校野球が清廉潔白のイメージにこだわるのに似たいかがわしい矛盾をおぼえる。たしかに高校野球は不良青少年の爆発心を閉じこめ、日本青少年の不良化防止に果たした役割は大きいだろう。
 肉体闘争を旨とする相撲そのものには高校野球ほど精神性はないが、国技だからきわめてつよい伝統文化という精神主義が求められる。それは横綱就任時の挨拶の言葉に見るとおりだ。いくら立派な漢語や成句をならべても、若貴兄弟が示した兄弟の確執は横綱の品位も品格も裏切って、ただの遺産争いの兄弟げんかみたいだった。
 そもそも朝青龍は26歳ではあるが、ある特殊世界で育った単なるワルガキにすぎない。テレビもいままでそれを承知でタレントのようにもてはやしてきたのではないか。それにしても朝青龍も、江戸時代じゃあるまいし、いまどき「自宅謹慎」という処分をする奥の院でよく我慢してきた。日本語の覚え方なんか、かれは並みじゃないよ。ぼくらは
中高大と9年間も英語をやってきたのに、ほんの挨拶程度しかでけん。
 ぼくは朝青龍はK-1に転じてくれればおもしろいと思っている。高見山があまりにも無様だからテレビマンはこのさい、朝青龍が日本国技でつちかった強靱な格闘技術をみせて視聴率を上げてほしいと願っている気がするね。もし、朝青龍がK-1に転身したら試合前、相手選手に剣道みたいに礼をして品位のあるところも見せればいよ。
戦争の8月、蘇る体験に『ビルマの竪琴』を買う
 戦争を思い出す8月。ぼくは鹿児島県境に近い宮崎の小学校1年生のとき、敗戦になった。校舎は兵隊の宿舎になっていたが、それは南九州に米軍が上陸してくるのに備えての兵員配置だった。朝、グラうンドの一角にある遥拝殿を拝んで教室にはいった。
 遥拝殿とは、遠く東京の皇居におられる天皇陛下に礼をするコンクリートの小規模な建造物だった。敗戦とともにそれは取り壊され、校庭の隅には武装解除された兵隊の銃が穴のなかに筒先を上にして互い違いの三角形に組まれて埋められた。それをぼくはみていたので、よく憶えている。
 敗戦前、校舎が米軍機の銃撃をうけ2階から1階にかけて斜めに銃痕が走り、板の壁が何カ所もめくれていた。ぼくらは近くのお寺に避難して事なきをえたが、そのとき兵隊がどうしたかはまったく記憶にない。兵隊の宿舎になっていることを米軍は察知していたのだろうか。
 ぼく自身は漬け物工場の息子たる友人を訪ねて歩いている際、米グラマン戦闘機に低空で襲われ、道路わきに転がり落ちて難をのがれた。銃撃はされなかった。空中戦もみたが、日本機は米軍機に撃墜され、うちから50メートル離れた土手につっこんだ。土中にめり込んだ残骸を掘り出すと操縦士は黒こげになっていた。
 飛行機の音はトラウマとなって耳の底にこびりつき、とくに夜は敏感にその音を感知した。音におびえなくなったのは高校生になってからだったと思う。60年たってからも記憶のひだに付着している体験はやはり相当なものだ。きょうは、中学生のころ読んだ竹山道雄の『ビルマの竪琴』を買ってきた。これは映画もよかったが、本のほうがいい。名作です。
モグラ戦争はつづいているのか
 家と駅のあいだにちいさな公園があって、その円周路の半円をいつも歩いている。先の土曜日、ベンチに男女の高校生がわきにかばんを投げ出し、ひしと抱き合ってキスをしていた。そのそばで小学生が1人、マイペースでボール遊びをしていた。
 木の上から弱々しくセミの声が落ちて、それがうるさくない分まだ真夏ではないのだなと思わせた。セミは幼虫時代、土中で樹木など植物の液を吸収して約10年をすごし、成虫になってわずか1週間鳴き騒いでいのちの讃歌を終える。セミはじつに哀歓に満ちた小動物なのである。
 土中から出るにもほとんどすき間なくコンクリートのふたをされ、土の中で息絶えるセミの幼虫も多かろう。われわれの快適性を追求してやまない生活は土中動物を閉じこめることによって成り立っている。人間以外の動物に残酷な仕打ちをするのが文明でもある。
 われわれが知っている土中動物の代表はモグラだが、このモグラも行き場を失っているのではないか、と気になる。
 日本には西のコウベモグラ、東のアズマモグラ、山にいるコモグラと
3種がいる。コウベモグラが最も体が大きく、アズマモグラを攻撃して
東を侵略しつづけてきた。その速度は15年間で約1キロ。ところが道路網がマジノ線(フランスの防御ライン)のように立ちはだかって、侵攻も途切れがちと想像される。もっともマジノラインは怒濤のドイツを阻むには無力だったが。
 八王子あたりでモグラを調査している中高の生物の先生でもいれば、ある程度の戦況がつかめるのだろう。モグラの死骸をみればコウベモグラかアズマモグラか見分けがつくから、それで戦況判断ができるのである。
 モグラは地中のモグラトンネルでぶつかったとき戦闘を開始するらしい。100年後、関東平野がコウベモグラとアズマモグラの主戦場になるとみられる、とぼくが30年前取材した動物学の教授はいっていた。コンクリ化されてモグラは敵と戦うどころか、自分の生命維持に懸命かもしれない。
 さて、きょう8月1日、敢闘も梅雨明けとなった。これからぼくの近所の公園でもセミがいっせいに鳴きはじめるだろう。それがムンクの『叫び』に聞こえるのはぼくの感傷だ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は春に小鳥たちのさえずりが聞こえなくなった環境問題を提示したが、近所の公園でモグラの死骸を数年来見かけたことがない「沈黙の土中」という現実もなにかを告発している。


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