ペン森通信
安倍居座りにあきれつつ民意を読む。
 期待した以上に自民党の惨敗となった。国民はあんたじゃだめ、とはっきり勧告したのに安倍さんは「私の国づくりはスタートしたばかり」
と政権の座に居座る。なんたる鈍感力。30日朝刊で退陣を迫ったのは朝日と東京だけ。2紙だけが民意に敏感だった。
 やっぱり昨夜はテレビに釘付けになったね。党派別勢力図の変化はもちろん、注目選挙区の当落がおもしろい。
 昨夜は9時2分前後の時点で当確議席はNHK自民25/民主52、日テレ自民22/民主48、TBS自民20/民主48、フジ自民21/民主45、テレ朝自民20/民主41,テレ東自民20/民主40とテロップが流れていた。投票したひとを投票所の出口でつかまえて聞く出口調査の結果が自民惨敗の傾向を示してはいたから各社とも流れはそうははずさなかった。出口調査に反映できない期日前投票の1000万をどうみるか迷ったかもしれないが、事前調査でその動向もかなりつかんでいただろう。
 だが、NHKは5人区の東京選挙区でキモを冷やしたのではないか。うんと早い段階で民主2人につづく3人目の当確者として川田龍平候補に当確をうった。「あと2議席です」といいながら、川田票は伸びないまま、公明・山口、自民・保坂と丸川の3人が追い上げてきる。川田当確を指示した担当者は生きた心地がしなかっただろう。ぼくは新人記者時代、締め切りの関係で当確をうった候補がやっと最下位当選するまで、人知れず息が詰まっていた体験を思い出した。
 結局、丸川元テレ朝アナが4位、山口2位、川田は5位にすべりこんだ。事前のぼくの予想では自民・保阪は当選が堅いとみていたが、はずれた。テレ朝の報道ステーションが丸川事務所の中継をしようとそたとき、NHKは丸川当確をだしていた。事務所はそれを受けてざわざわしている。「当確をだした局があったようです」「えっ、うちはまだなの?」と古館キャスター。元自社社員だからといったって、自信ががなけりゃ当確はうてないよ。NHKがだしたからうちも乗っかろうとはいかんの。
 テレ朝など民放はNHKに完全にやられたね。選挙報道はやはりNHKがつよい。ペン森卒業生の朝日新聞記者がなげいていたことがある。「NHKが当確をださねばバンザイははじまらないっすよ」。NHKは人海戦術と取材資金でみなさまのNHKになっているんでね。
 今回の自民1人区大敗は地方における自民ノーにほかならない。急進的な小泉競争主義による地方切り捨ての怨念もかなりあったと思う。自民党だけではなく日本もぶっ壊した小泉さんへの批判にようやく目覚めた選挙でもあっただろう。その民意は、日本がえいえいと維持してきた富士山型中央集権を排して、真の地方分権を選択したいという意思表示ではなかっただろうか。
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お茶漬け日本の合法的少子化
 ペン森生は作文のネタ仕込みに全国を歩くが、東京の定番は府中の慈恵院という寺院である。ここは大正時代からの古いペットの墓地として有名で、ぼくの家で18年生きた、元は捨て猫のミーコも合同墓地に弔っている。
 毎年、年末には墓参をするが、ペット墓地内に数千体の水子地蔵を階段状の棚に並べた一角があるのが気になっていた。その傍らに「産まなくてごめんね」とか「生きていたらもう5歳ね」と書かれた無数の絵馬が下がっている。おととし、こういうネタ場があるよ、とペン森生に話したら、何人かが訪ねて住職の話を聞いてくるようになった。
 2005年から日本は人口減社会に突入した。団塊の世代の話題ともからめて、この水子地蔵を題材として取りあげる学生が数人いた。水子とは流産や堕胎による胎児のことだから、水子地蔵はそれを供養するための地蔵である。団塊の世代は1947年から49年まで3年間のあいだに生まれた700万人をさす。あまりの出生増にブレーキをかける
方法として団塊誕生真っ最中の48年に経済的理由による中絶が認められた。つまり日本では中絶が合法化されたのである。
 中絶は厚生労働省への届け出は年間32万件といわれる一方、闇も含めると年間100万件の堕胎があるという専門家もいる。出生は110万人程度だから、とすれば、生まれる子とほぼ同数がこの世に生をうけないまま、ほうむり去られていき、こうして少子化と人口減が生じたともいえる。
 少子化をとめるには停電が効果的とする笑い話をご存じか。ニューヨークは1977年3日間の大停電に見舞われた。すると9カ月10カ月後にベビーブームになった事実がある。停電ではテレビもつかず、やることがないから子づくりに励む以外にない。
 もうひとつ、年配者の精力が減退しない食生活の改善があるんじゃなかろうか、という意見を吐く年寄りもいる。『ああ無情』のヴィクトル・ユゴーは1885年5月に83歳でなくなるが死ぬ前、今年8回いたした、といったらしい。すごいね。ゲーテだって死のベッドで「もっと光を」ともらして、これが文学的哲学的に語られるが、なに窓の外を歩く女性を見たかっただけという説がある。
 狩猟民族の欧米人はどう猛にして生命争奪の競争が激しいから、年間の回数が200回善後という統計がある。ユゴーは初夜に9回だったんだよ。こういう面からみてもお茶漬け日本は少子化になるわけだ。

シュートをしない日本みたいな選挙結果はいやだよ
 いそいで帰って昨夜はサッカーのサウジアラビア戦をみた。テレビの画面にはシュートをしない日本が映っていて歯がゆい。これじゃ勝てないという予感があって、風呂にはいり読書に切り替えた。読書はストレスがたまらないからね。
 つぎのテレビの楽しみは29日夜。参院選の開票速報がある。こりゃ徹夜かな。
 新聞各社の世論調査の予想どおり自民党大敗となるだろうと思っているが、もしそうでなかったら、シュートをしない日本サッカーをみているように機嫌が悪くなるだろうね。マスコミ人は100人中90人が乱を好むから、自民党大敗を期待しているにちがいない。民主党惨敗ではなんにも変わらず、これは最悪。
 おもしろい選挙区はまず5人枠の東京。民主・鈴木寛、民主・大河原雅子、自民・保坂三蔵、公明・山口那津男はどうやら当確らしい。5人目が自民・丸川珠代か、無所属・川田龍平、共産・田村智子か。丸川はテレ朝アナだったというが、ぼくはまったく知らなかった。田村は昨年から東京中にポスターが張られていて、それですっかり顔だけはなじみになっていた。川田はほほう成長したなあ、と感心するひとが多いだろう。案外、田村かな、とぼくは予想しているんだけど。
 1人区は29あるが、自民は何勝するかが今回の見どころだ。自民は10勝は可能だろうか。ぼくはそれすらむずかしいとみるね。つまり自民は1人区で目も当てられないひと桁。もちろん願望もはいっているけどさ(笑)。でないと、テレビの前でがんばっていられないよ。
 比例区は民主が2000万票はとる、とペン森にきた民主党の選挙担当がいっていたが、もうすこし上積みされるかもしれない。すると民主は20人は固い。
 というわけで民主大勝・自民惨敗となって拍手喝采だが、大事な衆議院の圧倒勢力の与党はそのまま。安倍さんは首相の座にしがみついて離さないというのがもっぱらだから、参院で民主が支配的な立場になっても国民が生活よい方向に大転換するとは思われない。
 小泉選挙では大衆が熱狂した。弱者といわれる立場のひとたちも自民党を支持し、結果として地方切り捨て、非正期社員増による格差の拡大、実質増税による年寄りや障害者への圧迫を加速させ、自分の首を絞めることになった。今回は安倍自民にNOを突きつけるところに意味があるとぼくは考えている。
不偏不党と朝日ジャーナリズム
  安倍バッシングはいまや朝日新聞だけでなく、全マスコミに広がりつつある。これもまた一種のメディアスクラムのようで、あまり気持ちのいいもんではない。
 日本マスコミが標榜してきた不偏不党はどこへいったのだろうか。もともと不偏不党は、反権力を装いながら部数や視聴率の最大公約数を維持するための建て前だったのかもしれない。しかし、これだけ人権、環境、災害、教育、格差など問題が多様化してくると、もはやキャンペーンで自己主張して独自色を出さざるをえない方向にあるのも事実だろう。
 朝日の船橋洋一主筆はきょう、就任挨拶のコラム「ジャーナリズム再興」をアピールしたが、現にこんなくだりがあった。「朝日新聞は、130年近い長い歴史と800万部以上の厚みのある読者層に支えられている。一部の層やどこかの利害の代表ではない。それだけに、国民の共通項を分断しかねない格差拡大、弱者切り捨て、少数派無視には赤信号を点す必要を感じている」
 なんとなくいったい何様のつもりだ、といいたくなるようなエリートの上から目線の感じがあるが、客観報道や不偏不党の理念を脱ぎ捨てたようでもある。
 ぼくの理解ではもともと、不偏不党は大正時代、朝日が筆禍事件で権力に降参した産物であった。寺内正毅内閣は、米騒動が起こると関係記事の掲載を一切禁止した。このため各地で新聞記者大会が開かれ、最も内閣を攻撃していた大阪朝日は政府弾劾の記者大会の描写に革命を予言する表現を使った。これによって朝日は朝憲紊乱などで告訴され、社長、編集局長、社会部長をはじめ編集幹部が退社する。権力に屈したのである。以後は、一方に偏ることなく不偏不党にします、と恭順の意を表し、新聞の無色透明主義がはじまった。
 とはいえ、新聞はなんとなく思想的に色分けができているのはご存じのとおり。左側から朝日、東京、毎日、日経、読売、産経とならんでいて、朝日と産経ではあまりに距離が離れている。産経は安倍さん好みの右だが、これは日本を共産主義から守るためという出自からして当然である。片や朝日に就職したペン森生が田舎の祖父から「おまえ赤新聞にはいったのか」といやみをいわれ、くさっていたケースもあった。
 新聞の思想性は憲法に対する考えにも反映され、朝日は護憲、毎日は論憲、読売、産経は改憲である。毎日の論憲は憲法を論じることはいいんじゃないか、とどうも黒白つけがたく毎日らしいはっきりしない中庸主義。朝日が、ダメなものはダメときっぱりして護憲の主張を曲げなければ、いかにもジャーナリズムの背骨が通って尊敬に値するが、さてどうかなあ。
前回訂正
 前回の「竹馬とダリ」ブログは、地理上の混乱があった。会津若松から米沢に行ったのではなく、山形の米沢から福島の会津若松に行った。会津若松から山越えで裏磐梯五色沼の諸橋近代美術館に着いた。そのときも混乱して道に迷ったが、あのあたり頭のなかで地理がはっきりせず、どうもいかん。だれにも迷惑をかけない大恥のミスでした。
竹馬の脚みたいなダリのゾウを見ろ
 昨年夏、ペン森生と新潟→秋田→山形→福島とドライブした。福島は会津若松から米沢に行った。米沢はケネディが大統領会見で尊敬する政治上の人物としてあげた上杉鷹山の治世で知られる。その件でなにかネタになるものはないかという魂胆は、昼に名物の牛肉を食べただけで砕け散ったが。
 米沢から裏磐梯の五色沼に向かうさい、五色沼へのコースを間違えたら、見覚えのある美術館が目についた。「ここは前にきたことあるよ。ダリの彫刻がそろっていてすばらしい」「はいりましょ」。こうして男女のペン森生は諸橋近代美術館に入館した。
 館内は1階だけでそう大規模ではないが、サルバドール・ダリの奇妙奇天烈な一群の彫刻に度肝をぬかれる。竹馬のような細い脚をしたゾウ、腹に引き出しのあるミロのヴィーナス、ぐにゃりとした時計。ダリは天才か狂人かと戸惑うが、その発想はまるで暗雲の天空を行くように自由かつ、太陽からの光明があって陰鬱でもある。
 ぼくがほかに数回行った美術館は甲府の山梨県立美術館、箱根のポーラ美術館、熱海のMOA美術館などである。
 山梨県立はミレーの「種をまく人」を鑑賞したり、「種をまく人」のポストカードや書類ホルダーを購入するのが目的で毎年行く。ぼくはペン森や大学で若者がよきジャーナリスト・社会人になるよう、種をまいているつもりだ。ミレーのその複製画はの机の前にずっと飾っている。
 ポーラは梅原龍三郎、ルノアール、モネなどが目を楽しませる。山の地下に設備したこの美術館の光の加減は微妙な妙味に満ちて、気分が落ち着く。ぼくは出るときいつもあと1時間はほしいと名残が惜しい。
 MAOは世界救世教の教祖が創った施設。国宝の尾形光琳「紅白梅図」が有名だが、これは2月のみ公開である。広大見事な美術館だから宗教でないとこんな贅沢な造りはできないだろうと思わせ、エスカレーターのトンネルだけで200㍍以上もある。高さ200㍍の山頂に建てられているから見晴らしという天然の絵画に打たれる。
 ダリの諸橋美術館は「印象派と20世紀の巨匠たち」がいま、並行して企画開催中。ぼくは印象派も好きだから、この夏また行ってみようと思う。ペン森生もぜひ行くといい。自分の想像力や創造力の卑称さを思い知らされうんざりするけどね。それを自覚するためにも行くべし。
高村光太郎の独居地でたどる道程
  岩手県は、毎日新聞の社長をしたこともある庶民宰相原敬、銀河鉄道の宮沢賢治、一握の砂の石川啄木などの逸材を輩出した。高村光太郎は岩手のひとではないが、ぼくはこんど花巻の郊外にある「高村山荘・高村記念館」を訪れようと思っている。
 光太郎は敗戦直後の昭和20年10月から27年10月まで7年間、
この山荘で農耕しながら独居自炊の生活を送る。そこは「星座の高さが目立ち、北斗七星などが頭に被さるような感じに見える」と光太郎が書いているところだ。
 花巻温泉に泊まって、ついでに高村山荘に行きたいわけではない。山荘という建物の中に、光太郎が老年を1人ですごした惨めな小屋があるらしい。風雪が吹き込みそうな7坪半の電気のないその小屋で光太郎はなぜ暮らす必要があったのだろうか。
 光太郎は28歳で知り合った3歳下の智恵子と31歳で結婚する。かれにとって智恵子は「昨日までのやけ酒や、遊びがまるで色あせてしまい、ただこの女性の清新な息吹に触れることだけが喜となった」女性だった。「私の精神も肉体も洗われるように清められ」た智恵子は心を病み、精神分裂症で東京の病院に入院させる。智恵子は昭和12年、54歳で亡くなった。
 「私の精神は一にかかって彼女の存在そのものの上にあった」光太郎はその2年後『智恵子抄』を刊行する。ほぼ同年の昭和15年、中央協力会議議員になり、17年には文学報国会詩部会会長に就き、戦争に協力するのである。かれの数多くの戦争協力詩は朝日新聞などに掲載され、国民を奮い立たせた。
 高村光太郎はそのことによって戦争責任を問う声があがり、非難を浴びる。わびしい小屋に1人こもり、下痢に悩みつつ自炊したのは、非難を避けるためではなかった。自らを罰したのである。内面はたとえば「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という『道程』のように強く高潔だった。
 昭和33年73歳で病死するが、昭和22年、帝国芸術院会員に推されたが辞退する。昭和28年には日本芸術院第二部会員に推されるが、これも辞退する。若いころ、ニューヨーク、ロンドン、パリに学び、本本来は彫刻家だったこの希有の芸術家は、被さるような星空の下でなにを考えて独居自炊したのだろうか、と想像してみたいのである。そういう環境に身をおいてぼくは、自分の68年の道程を見つめてみたい。
夏休みビデオ劇場で泣け
 ペン森は数年前までの土曜日午後、有志が集まってビデオ映画会を開いていた。そのころぼくは、いまみたいにわけもなく左目から涙がにじみ出ることはなかった。やっかいなことにその目はほんのすこしの刺激で涙が切れ目なくわき出てくる。だから、みんなといっしょの名画鑑賞は避けている。
 3年前になるが、中大ゼミの合宿で「砂の器」をみた。ぼくにとってもう何回目かの野村芳太郎の傑作である。父子の放浪場面がはじまると音楽の効果とあいまって、涙腺が無抵抗にゆるんでしまうことがよくわかっている。ぼくは部屋を出て終わるまで時間をつぶしたが、目を真っ赤にした女子から「先生、どこへ行っていたんですか。とてもいい映画なのにみないなんてもったいない!」と責められた。
 おれは映画では泣かない、という強情派もこの映画には負けるらしい。権威ある?ぼくがゼミ生にまじってぐしょぐしょに泣くことはできん。ペン森土曜劇場を再開してもいいのだが、涙腺全開にぼくは悩んで
いるので、再開には触れないようにしている。
 みんなにはそれぞれ勝手にみてもらうほかない。先般、夏休みに読むべき5冊をあげたから、今回は古い名画のビデオ(CD)を何本かあげておこう。夏休みにごろごろしながら、泣いたりハラハラしたりするのもいいだろう。解説なしの題名に製作国名だけ、でかんべんね。順不同。
 
*「ひまわり」(伊)、「恐怖の報酬」(仏)、「友情ある説得」(米)、「地下水道」(波=ポーランド)、「12人の怒れる男」(米)*「自転車泥棒」(伊)「タワーリングイインフェルノ」(米)
「天国と地獄」(日)、「わらの犬)(米)、*「スケアクロウ」(米)「セルピコ」(米)*「デルス・ウザーラ」(ソ連)「コーザ・ノストラ」(パピヨン」(仏)「戒厳令」(仏・伊)*「禁じられた遊び」(仏)、*「きれいなお母さん」(中)、「フロント・ページ」(米)【*印は泣ける映画】

 まだまだいっぱいあるけど、このへんでやめとこう。けっこう、白黒があるからカラーにそまっている若い諸君にはかえって新鮮かもしれない。白黒といえばチャップリンがはいってないね。「モダンタイムス」
「黄金狂時代」*「独裁者」・・・ヒトラーが世界を震撼させる前に
つくった「独裁者」はみなきゃね。



ぼくが六本木族だったころ
すこしまえ、週刊文春の鈴木洋嗣編集長がひょっこりペン森に顔をだした。雑談をしているうち「ミッドタウンに行きましたか」ときいてきた。「行ってないねえ」「だめですよ。新しいものは見るようにしなければ」「うん、年齢が重なるとどんどん出不精になるなあ」
 ミッドタウンは旧防衛庁跡にできた。この軟弱なぼくだけど、防衛庁担当記者だった時代がある。政治部の岸井成格くんと組んで、社会部のぼくは陸海空の幕僚監部を主に回った。朝日の社会部はいまは定年でリタイアした軍事ジャーナリストの田岡俊治氏だった。田岡氏は自衛隊幹部よりも軍事情報に詳しく、ぼくは九州でもいっしょだったこともあって仲良しだったが、専門記者としてかなり才能の格差があった。向こうは超上級、こちらは超下級。
 かれは興奮すると内面の高揚が歩幅にあらわれ、通常よりも10センチちかく歩幅が広くなった。歩くスピードも速くなる。それによって、かれが特ダネを仕入れたことは察知できたが、深夜まで背広組の内局や幕僚監部をさぐってもわからず、抜かれた。あれほど優秀な記者にぼくはまず出会ったことがない。
 かれとは飲んだり、昼めしをいっしょに食べた記憶もないが、内局広報マンや他社記者とはよく六本木に出かけた。現在も大事なひとと食事をする香妃園はそのときおぼえた。とり煮込みそばは相変わらず絶品だ。
 防衛庁担当以前も飲みエリアのひとつが六本木だった。現にかの吉永小百合嬢と差しつ差されつしている写真がぼくの机に飾ってある。鳥越俊太郎くんと行ったのは交差点ちかくのビル内のバー。あんなにうろついた六本木だが、六本木交差点を挟んで香妃園と反対側のヒルズには1回しか行ったことがない。古い取材体験をたどれば、そのあたりは木造家屋が密集した地域だった。それが変貌に次ぐ変貌を遂げホリエモンという新種の人間の在所となった。
 ぼくは六本木ヒルズにも東京ミッドタウンにも興味がない。あすで大学の前期授業が終了して、教員たるぼくはペン森専念となるが、この期間は出不精解除の季節でもある。教え子鈴木編集長の師思いとは反対に、みどりこぼれる田舎を旅したい。やはりぼくは国有林のなかで生を受けたせいか、根っからの山林田園じじいらしい。
 もはや、新聞記者でも週刊誌編集者でもないから、新しいものを吸収して、そこからえたものを発信する必要もないのである。だいたいいま、ペン森の外へ飲みにいく気も起こらないし、金もない。飲み屋に行く気がしないのは退化現象だろうか、とふと思う。
 
女性記者がきれい系になったわけ
 山本モナは民主党細野議員とのキス写真でぼくは知った。降板したニュース23のキャスターよりもそのスキャンダルで有名になって、現在しぶとくも復帰している。7月19日号の週刊文春「阿川佐和子のこの人に会いたい」の相手が山本モナ。
 学習院大学で放送研究会にはいったのが縁で大阪の朝日放送にアナウンサーとして入社する。ここまでは知っているひとが多いだろう。モナの祖父は岡山の県紙、山陽新聞の広島県尾道支局長をしていた反戦記者だったそうだ。それが基になって、社会悪と闘う新聞記者にあこがれた。
 放送研究会にはいってなかったら新聞社を受けていたはず、という。
いま、彼女は31歳だからもしかしたら、大学時代放研に属したこともある新聞記者出身のぼくがはじめたペン森に入塾していたかもしれんなあ。すると2期生か3期生とうことになる。
 ぼくは放研は大学1年次だけの単なるひやかしだったが、モナとおなじくジャーナルスト志望の志は変わらなかった。
 モナはアナ上がりに取材はできないだろうと最初はばかにされる。
 阿川「わざと汚い格好で現場に行ったりするんですよね?」 
 山本「いいえ。私はわざときれいな格好をしてました。もちろん現場で女の子を意識していたら仕事はできないですけど、ときには女の子の方が得な場面はありますからね(略)」
 女性記者はおんなをすてて中性的であるべし、と説く先輩男性記者は多い。でもね、記者なりたての取材相手は完全男社会の警察や役所の幹部だよ。つまり心の中はスケベーじじい。若い女性記者がおずおずとひそかに単独取材に訪れたら、むげに冷たくことわれない。
 民放キー局の最終落ちして新聞社に内定した2期生の男子が「新聞社は女の子を顔で採るんじゃないんですね」と感嘆していたことを思うにつけ、最近の女性記者はきれい系が目立つなあ。採用新聞側も人間の機微というか男女の微妙な心理に神経を使うようになったらしい。ぼくが警察幹部だったら、きれい系が取材にきたら機密をあっさりリークするぜ。
 
 
ナチスも選挙で選ばれた
 さて、参議院議員選挙である。ぼくはこれまで自民党に投票したことがない。他に支持するところがないから今回も民主党かな。消極的民主党支持なんだね。
 今回の選挙の最大関心事は安倍首相の首がとれるかどうか、だ。それ以外、ぼくは興味がない。井伏鱒二の文章は真綿でくるんだようなやわらかさがあるが、なかに毒針がひそんでいる、とだれかが喝破した。安倍さんは物腰がソフトで口調もさわやかで当たりがいい。
 だが、その奥に小意地の悪さや独裁的な資質が隠されている、という感じをぼくはもっている。小泉さんも独裁的なところがあった。後年、評価がなされるであろうが、競争原理を持ち込んで格差社会を助長させた。小泉政治が劣悪だったのか、日本人が劣等だったのか、日本は悪くなった。心身が病んでいる。
 安倍さんは小泉政治をそのまま踏襲して日本をもっと悪くしようとしている。しかし国民を熱狂させたという点では安倍さんは、小泉ヒトラーにはかなわない。ヒトラーは国民社会主義ドイツ労働者党の党首であった。このりっぱな政党名こそ、かの恐怖のナチス党だ。当時、ドイツ国民は選挙でこの党を選び、ヒトラーは首相と大統領を兼ねる総統に就くのである。ヒトラーは人種的にゲルマン民族の純化をとなえ、劣等民族とみるユダヤ人とドイツ人の結婚は禁止され、ユダヤ民族の絶滅政策を決定して600万人のユダヤ人が殺す。
 国民社会主義労働者党という美名の底には牙の凶器があった。ナチス時代のドイツ国民はヒトラーに熱狂するが、次第に自由が消滅して強制的同質化が進んでいく。教育もヒトラーの子を育成するよう画一的な強制が行なわれた。戦前の日本だってそんなに変わらなかったのである。いま、戦前の日本に似てきたという年配者もいる。日本人は一方の方向に走る傾向があるから怖いけど、安倍さんにそのカリスマ性がなく、今回の選挙で国民から痛打を浴びそうだから、それが救いか。


夏休みの必読5冊
 ぼくの中大ゼミ生には夏休み、宿題をだすことにしている。課題本を読んでレポートを2000字手書きで書いて提出すること。昨年までは10冊を課していたが、読書が苦痛なのか、手書きがおっくうなのか、せいぜい2~3冊しかやってこない。
 ことしは自己規制して半分の5冊にするつもり。①レイチェル・カーソン『沈黙の春』(新潮文庫)は常識的な必読本だと思うが、例年宿題にしてもこれまで打率ゼロ。ことしのゼミ生には珍しくも、高校時代から図書館の本を雑食動物のようにあさって読了したという子がいる。彼女は読んだかもしれない。読んでなければ挑戦してくれるだろう。
 ペン森初期のころは勝海舟『氷川清話』と福沢諭吉『福翁自伝』が受講生の必読本だったが、いまどきの学生にはとっつきにくいだろう。そこで青春ものを宿題にしようかと考えた。宮本輝『青が散る』、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』はポピュラーすぎるので、②ジョン・クラカワーという登山家兼作家の『荒野へ』(集英社文庫)をあげたい。放浪してアラスカへ分け入り死体で見つかった若者とその周辺を取材した清冽ノンフィクションである。
 この本には人間の性善説を謳うような人物がたくさん登場する。最近は性悪説こそ人間の本質ではあるまいかという事件が多すぎる。北海道ミートホープの田中社長なんかその典型だ。このブログで取り上げた同じ姓の③田中森一『反転』(幻冬舎)には、安倍総理のJAL裏口入社あっせんとか人間のウラがこれでもかというほど出てくる。ワルを知る告発本。
 ぼくが愛読している吉村昭本もリストに入れねば。墜落したB29の操縦士を惨殺して戦後、逃避行をする『遠い日の戦争』は昨年の課題。生
への執着という点でねばりのない若者にぜひ知ってほしいのが④『破獄』(新潮社文庫)。捕まっても捕まっても獄中から脱出する天才脱獄囚の話である。無人島で生き抜く『漂流』も感動ものだ。
 しつこいねばりを発揮して村人とともに鉱害に立ち向かった田中正造についての知識も若者にえてもらいたい。それは⑤『城山三郎『辛酸』(角川文庫)に詳しい。遊水池にして強制廃村にされた旧谷中村は昨年が廃村100年だった。ぼくは数回その遊水池に行ったが、同行したペン女が「村の痕跡を見てもなんにも感じないの」と言ったのが悲しかった。
夢のような人生旅プラン
 けさも通常とは異なる駅まで40分歩いた。10時前、目的駅の近くのパチンコ店には開店を待つ若者が並んでたばこを吸っている。吸い殻を地面にすてて靴で踏みにじる。品もマナーもない。若者は学生だろうか。ニートだろうか。みな疲れたようすで生気に乏しい。洋々たる未来をひかえた抱えたかれらはどんな人生プランがあるのだろうか。
 おばさんの姿も散見された。夏になると、パチンコに夢中になって車のなかに閉じこめていた子どもが熱中症で犠牲になり、その子の希望も夢も摘みとる事故がある。むかしはパチンコに夢中になる女性はいなかったんじゃあるまいか。電車を待つホームでふと自分をひるがえってみると、ぼくがパチンコをしたのは30年以上もまえ、まだ玉を1個ずつ穴にいれて打つ時代だった。
 玉を入れる左手と玉をはじく右手を器用に操作して機関銃のようにはじくまでには上達したが、いつの間にかやめていた。喫茶店でインベーダーゲームが大流行して、この電子ゲームをよくやっていたからかもしれない。ゲームセンターも「ホタルの光」までねばった。新宿西口のある店は常連だったし、常連の知り合いもできた。
 ディスコにも通ったが、このような遊びはぼくらの年代はほぼ全員やったと思う。人生の通過儀礼みたいなものだった。ぼくはここ30年くらい、パチンコにもゲーセンにも無縁だ。カラオケ、フーゾク、ラブホにも足を踏み入れたことがない。かといってぼくは品行方正、謹厳実直でもない。
 無趣味ではあるが、酒好き旅好きだから、酒友、旅友にめぐまれ、夢のような人生を送っているような気がする。まもなく大学も夏休みにはいる。末端の教員たるぼくは旅ができる時間ができるのがなによりうれしい。旅のプランめじろ押し。このところ、旅にさそっては、そのプラン話ばかりに夢中になって空振りになる傾向があるけど。
新旧総理に見る教養
共同通信の秋採用ESの作文課題は「教養」。そもそも教養とはなんぞや、という話題でペン森は盛り上がっている。
 『広辞苑』によると、「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」。なんだかむずかしいのお。
 亡くなった宮澤喜一氏には広辞苑的な教養があったような印象が強いが、すると田中角栄氏はどうも「一定の文化理想」が気になる。テレビを通してその肉声やたたずまいに接している安倍首相はどうなのだろう。
 イケメンだけど首脳会議では端っこにいて他の首脳たちが談笑しているのにひとりカメラを見ていた。「個人が身につけた創造的な理解力や知識」に不安が残る。教養はあまりありそうもないといういうのが大方の意見ではあるまいか。
 では『広辞苑』ではなく『大辞林』はどう解釈しているか。「社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位」とある。すると、安倍首相「養われた品位」でどうやら及第だ。田中氏は「品位」の面で点数が低い。ほとんど落第。
 だが田中角栄氏に教養があてはまらないかというと、それはとんでもない誤解かもしれない。
 中越地震ですっかり全国区になった旧山古志村に中山隧道という日本で最も長い手掘りのトンネルがある。豪雪地帯のそこにはかつて、病院も商店もなかった。4~5㍍の積雪のなかを距離7キロの中山峠を半日かけて越えるしかない。病人がでると隣町の病院に着く前に亡くなったりした。
 これではたまらないと、山古志の住人たちは自らツルハシを手にトンネルを掘りはじめる。昭和8(1933)年のことだ。それは昭和24年に貫通する。戦争で中断するものの、じつにツルハシだけで16年の歳月をかけて掘った長さ900㍍のトンネルである。
 その中山隧道のわきに国道291号が走り立派な新中山トンネルが並行ている。田中角栄氏が村民を見るにみかねて予算をつけ、公共事業として開通させたといわれる。地震の直前、ぼくは2回ペン森生とそこに行った。いまは地震から復旧して通行できるようになったそうだが、当時ぼくは田中角栄というひとはなんと教養人だろうと打たれるものがあった。




小池大臣で自衛隊も女性的に?
 「原爆辞職」の久間氏のあとをうけて、小池百合子氏が防衛大臣に就任した。はて小池女史はいまなにをしているか、記憶がはたと立ち往生したが、首相補佐官だったんだ。首相補佐官なんて、そんなのあったっけというくらい、もはや存在感がないけどね。
 たしか安部首相は5人の補佐官を置いた。あとの4人はだれがどんな担当だったか。迷いなくすいすいといえるひとは非常にすくないだろう。小池女史は安全保障担当だったから、横滑り人事といえなくもない。
 ある新聞社でアルバイトをしている学生によれば、日本初の女性防衛大臣の誕生を聞いた記者たちは「もうこりゃおしまいだあ」と叫んだそうである。それがなにを意味して慨嘆につながるのかよくわからないが、小池女史の資質を指してではなく、安部首相の参院選対策の奇策ににびっくりしたのかもしれない。安部さんはいよいよおしまいだあ、と。
 防衛省は軍隊をたばねる組織である。最近でこそ世界には女性兵士も珍しくなく、主として後方支援で力を発揮しているが、軍隊に女性のイメージは伴わない。技術的、機能的には敵国の人殺しを終局の目的とする存在だから、平和的な印象が付随する女性には似合わない。うちのかみさんは決して平和的ではないという向きもあるだろうが、軍隊が男性的であることに異を唱えるひとはいるまい。
 自衛隊は国土防衛隊であって、軍隊ではない、と考えているひともいないだろう。発足当初の自衛隊は軍隊ではない、と国会で答弁され、戦車も「特車」といいくるめられていた。軍隊でないのに戦車というわけにはいかん、という悪知恵。
 ぼくはずいぶん昔、陸上自衛隊北海道総監部を訪ねたことがあった。
いかつい幹部が女性自衛官を「○○ちゃん」とよんでいて、まるで締まりがなかった。「○○2曹」とか呼称すべきものでね、○○ちゃんではまるで女子大生サークル。当時、その点では自衛隊はけっこう、平和的、女性的だった面があったのかも。
 その後、自衛隊も軍隊化するにつけ、女性自衛官を正式呼称で呼ぶようになったのだろうか。でも思わず戴いた女性最高幹部ももう陰で「小池ちゃん」とよばれているかもしれんぞ。ついでにいっそ、防衛省・自衛隊も女性的に変質してくれたほうが、と思ったりしてね。
 
いまそこにある不気味
 前回『反転』の紹介ブログで1カ所幻冬舎が幻灯社になっていた。なぜ間違えたかというと、げんとうしゃとつづけて変換したからである。
ぶんげいしゅんじゅうならちゃんと文藝春秋と変換されるが、幻冬はまだ幻灯としかでてこない。
 だいたいぼくは自分の書いたものを読み返さないのが普通だから、漢字も間違えたまま公になってしまう。記者時代はデスクがいて、専門の校閲も目をとおしてチェックしたから、このようなことはなかった。当時の甘えがまだ残っているのだろう。さらにいえば、手書きだと字を確認しながら書くので、このようなミスは起こらない。
 ま、「膝を進めた」が「股を進めた」になった例もあるが。
 変換ミスがそのまま流通してしまうのはワープロ機能の弱点だね。ぼくなんか高齢者はとても使いこなせないけど、しかしPCは便利この上ない。ぼくはペン森で愛用していて、これがないと仕事ができない。PCは自宅にも1台あるがアドレスもないし、まったく手をふれない。先週、卒業生のペン女に会ったら「自宅のPCは開ける気がしません」といっていた。会社で1日中向き合っているから、だそうな。
 これも卒業生のペン女だが、SEから転職する際の理由に納得がいったよ。「人間と話がしたいんです」と。ついでながら、ずいぶん前の
取材を思い出した。南米に移民したいという希望の男性の職業が地下鉄の運転士でね、「さんさんとした太陽の下で仕事をしたい」のだと。地下から太陽を求める。なんか痛々しかった。
 文明が進むと、矛盾やひずみが必ず表面化する。携帯電話の進化と普及はいちじるしいが、人間の精神や心理や肉体になにか不気味なものをあたえるような気がする。決して無事にすむわけがないとぼくは予感する。帰りの電車で携帯をいじってにやにやしている30男の群れは不気味だぞ。
元特捜検事の反論権行使
新聞記者や検察、警察の捜査関係者はもちろん政界や経済界の人間、はては暴力団まで多大の興味をもちそうな本が出た。『反転ー反射会の守護神と呼ばれて』(田中森一 幻灯社)
 先週、毎日新聞に全5段広告が出た時点で書店に走ったが、それは刊行前の前触れだったようで、2日後朝日に広告が出てから購入できた。筆者の田中氏は冒頭に挙げた業界にはほとんど知らないひとがいないくらい名だたる人物である。大阪地検特捜部、東京地検特捜部の敏腕捜査検事として名を馳せ、弁護士に転じて闇社会の弁護人になった。
 顧問弁護士につくなどその親しい人脈は、悪名高い許永中、イトマンを食い散らした伊藤寿永光、山口組5代目渡辺芳則、山口組若頭宅見勝やバブル金満紳士など不気味に底知れない。田中氏が弁護士になってからの後半はまだ目を通していないが、ページをめくるのが惜しい。
 多少、過去が美化された色合いはあるものの、偽善的な臭みはなく、検察の内側からの暴露本といったところに真実味がある。魚住昭氏や村上治氏の検察本とはその点の迫真性が明らかにちがう。匿名ではなくほぼ実名で暴いてくれる。検察の裏金、情報収集、捜査に対する政治や上層部の圧力、人間関係などこれまでぼんやりとしかわからなかったことが具体的に示される。
 田中氏は石原産業事件をめぐる詐欺容疑で古巣の東京地検に逮捕、起訴されて上告中だが、ぼくはこのひとを著者として引っ張り出した幻冬舎はたいしたものだと感心する。メディアは行政や捜査機関の発表情報によりかかって報道するのが当たり前になっていて、そこに意図された情報や濾過された情報があっても垂れ流しというのが実情だろう。広報が発達した現在では裏や真実に迫ることは至難の技である。朝日がそこのところを危惧して調査報道とかジャーナリズムとかいっているのは正しい姿勢だと、その点ではぼくは共鳴している。
 その意味で幻冬舎が田中氏に反論の機会を与えたのは発表報道を穴を埋める正しいあり方だ。「国策捜査」を面にだした外務省のラスプーチンこと佐藤優氏は反論によってすっかり言論界の寵児となった。堀江貴文氏などにも反論の権利機会を与えられ、いずれ再登場して発言してもらいたい。それが健全な情報社会だと思う。



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