ペン森通信
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靴とバッグ、ぼくのケース
 恥ずかしながら、ぼくは隙あらば靴とバッグを買うくせがある。ペン森の近くにある靴店はアメリカのウオーキング用ブランド「ロックポート」がそろっていることで知られ、いつか鳥越俊太郎もこの店に買いにくるといっていた。
 ぼくはもう30年近く前からこの靴店で計20足は購入したと思う。25年もははきつづけている「ロックポート」もある。それは大雪取材の際、買い求めたブーツ状の冬靴だが、雪や大雨のときなどに愛用してきた。だいたい1万円前後の靴を30足くらいもっているだろうか。
 ペン森にも7足置いていて、ときどき気分転換に履きかえている。うちの靴箱に10足以上、車のトランクの段ボールにも入れてある。「ロックポート」だけではない。ホーキング、ハッシュパピー、リーガルもある。ところがフォーマルはわずか1足。カジュアルばかりそろえてしまう。
 バッグはリュック状からトート、旅行用、ゴルフ用。肩掛けなど16,7個だろうか。ペン森にも6個用意してある。それでもビジネス用はわずかに1個。非常勤講師として2大学に行くときもまずビジネス用は使わない。このあいだまでは布製の草色リュックばかり背負っていたが、女房が「戦後の買い出しみたい」といやがるので、べつのリュックに変えた。一番高価なのはビジネス用のイギリス製5万5000円。あとは2000円~1万円。
 靴は最近、足にあわなくなったのもある。足のほうが変形したのだろう。外反母趾を疑っている。靴によっては左足の拇の付け根あたりが痛む。靴は年をとらないが、ぼくは加齢なる人生だから、どこかにひずみが現われる。
 リュック状のバッグはもともとはアメリカの学生からはじまった。分厚く重い教科書を何冊も持ち歩くにはこれがいちばん楽だからである。日本の教科書は薄くて軽いから、トートで十分だよね。ぼくはいま、濡れた折りたたみ傘を外側のサイドに収容できる肩掛けをさがしている。
 靴もバッグもなんとなく人間性を反映するところがある。じつはプライバシーを見せている感じがしてじろじろ観察されるのはいやだよね。


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目白御殿の木と目白三平の木
 吠える有名おばさん、田中真紀子国会議員が久しぶりに咆吼しはじめた。父親の角栄元総理が亡くなって約65億円の相続税が発生したが、真紀子さんは払いきれず旧目白御殿の敷地で物納した。その敷地はいま文京区が所有し、運動公園にするため樹木を切ることになった。
 木のいのちを切らないで、と訴える真紀子さんを見て、ぼくは古い流行作家の故中村武志さんを思い出した。中村さんは70代の当時、40代のぼくを「珍しいビデオを入手しました。見にきませんんか」などと
よく家にさそった。もちろん裏Hビデオである。中野だったか、阿佐ヶ谷だったか、その辺に住んでいた。道路から奥まった先にある亡き奥さんのお地蔵さんに手を合わせて抜けた2軒の家の左側の家が仕事場だった。
 右側の家が母屋になっていて、その仕事場はあとから母屋に接して建てたのである。最初そこに入ったとき、おおっとのけぞった。真ん中に大木が生えたまま、幹がすっくと屋根をつき抜けている。そのまわりにビールの空き缶がうずたかく、まるでごみ堆積場。
 大木は庭に55年生きていた椎の木。切るにしのびなく、その木を中心に囲んで屋根をふき、大木の幹が部屋の主人然として存在することになった。それほどいとおしんで大事にした木なのに、ビデオ鑑賞に下品な笑みをうかべつつ酒を飲んでいるうち、小便にいきたくなると、中村さんはいう。「その木の根っこにしなさいよ」
 中村さんは国鉄の社内報を編集していたが、サラリーマンの哀歓を描いた小説「目白三平」もので流行作家となった。ぼくが知りあったころ
はもう、『三等重役』など同じサラリーマンもので一世をふうびした源氏鶏太ブームも過去に去り、中村さんは間借人協会の会長としてときどき名前がでるくらいで、もう忘れられた作家だった。平成4年12月11日、83歳で死去した。
 独居のさびしさをまぎらわすために、ぼくをビデオと酒で釣ったのだろう。別名「目白三平」と愛されたいいひとだった。珍しい新着ビデオはだいたい同じものだったのには参ったが。真紀子さんが木を切るなと叫ぶのもわかるなあ。
本は内容か重量か
 年をとると、本も重い軽いが重要な購入ポイントになる。出版社は紙質や活字の大きさにはこだわるが、本の重量にはあまり神経を使わないようだ。ぼくが文庫本を愛用するのは、寝床でページを開くのに重さが気にならないからである。
 しかし、けさ読み終えたのは四六判の単行本だった。『ジェネラル・ルージュの凱旋』(海堂尊=かいどうたける 宝島社)。劇画タッチの論理活劇とでもいおうか、登場人物のキャラが立って会話が絶妙、医療ストーリーが起伏豊かに展開する。読みはじめたら止まらなくなった。 この作者は処女作『チーム・バチスタの栄光』で第4回「このミス」大賞を受賞してたちまち有名になった。ベストセラーとなった心臓手術ミステリーはめっぽうおもしろかった。
 海堂氏は現役の外科医であるから、手術場面の描写はまことにリアル。文庫本仕立ての話題の医療ドキュメント『孤高のメス』(大鐘稔彦=おおがねとしひこ 幻灯社文庫全6巻)よりも文章が光っている。この作者も手術経験6000件の外科医である。
 現代医療の問題提起という点では海堂本よりも社会性がつよい。文庫本だから、ぼくの趣味に合うのだが、6巻は長すぎる。
 医療ミステリーといえば、コロンビア大医学部出身の眼科医、ロビン・クックがよく知られていて、ハヤカワ文庫に並んでいる。『コーマ』『ブレイン』などぼくもはらはらどきどきして読んだものだ。医療現場の暗部を摘出する旺盛な作家活動をしている。
 あれま、文庫本の重量の軽さが高齢者にはありがたい、という現実を書くつもりだったのに、話がそれまくった。いかんいかん。
 
 
1人のおんなから大勢のおんなを見る
 作家の故開高健さんが「哲学的な質問やけどな」と前置きし、身を乗り出してきた。「きみは1人のおんなから大勢のおんなを見るか。大勢のおんなから1人のおんなを見るか」。どっちやねん?
 要するに女性は1人でも大勢でも独特の普遍性をもっている。その真実をどの角度から知ろうとするか、という開高さんらしい諧謔的な問いかけだった。
 ぼくは答えた「せっかくですが、どちらでもありません」
「うん、なにぃ。目の前におんながおるんやで、見ないでどうするんや」「もちろん見ますよ。ただ、大勢のおんなから大勢ののおんなをぼくは見るんです」
「そりゃきみ、哲学やない。哲学やのうて、単なるすけべ。きみはいったい何人おんながおったら気がすむんや」
 たしかに1人から大勢、大勢から1人という開高さんの哲学は女性経験は積まぬとも、結婚生活が長ければ、なんとなく意味がわかる。非常に含蓄がある。離婚せず結婚をつづける男性は妻という1人のおんなを通して大勢のおんなと接しているのである。
 統計によると、最近の離婚件数は年間26万組。かなりの数だ。このうち相当数の夫は妻の奥に多数のいやなおんなを見て、たまらなくなったのかもしらんなあ。開高さんは妻(詩人の故牧羊子)が好きじゃなかったようだから、あんな質問が頭に浮かんだのかもよ。
 さてこれから結婚する男性諸君、大勢の候補から1人のおんなを選んでも、1人から大勢を見ることになるんだよ。その大勢は共通して「おんな」なんだぜ。怖いのお。
ビデオ万歳!
土日は旅をしてないかぎり、うちでビデオをみることが多い。自室のテレビで映すから、気兼ねなくR指定もみられる。
 近所の貸しビデオは1本100円。半額サービスも少なくないからうんと割安で利用できる。ぼくは「これは以前借りてますよ」とアルバイト店員にいわれても100円や50円じゃ気にならないから、かまわず週5本は借りる。先日なんか5本のうち4本が重複してたね。題名で選ぶから同じものになりがちなの。
 そこへいくとつたやは1本420円と高い。それでもぼくは新宿つたやでよく借りる。品揃えが豊富だから店内を30分うろうろしても目移りして飽きない。
 近所も本数がすくないほうではないが、主流はぼくがプレイヤーをもってないDVD。ビデオはアクションもスリラーもB・C級が並んでいる。カウリスマキ監督の「過去のない男」やガブラス監督の「戒厳令」なんか、つたやに行くしか借りられない。
 最近、中国映画に凝っていて「草ぶきの学校」「天菩薩」「この子をさがして」に泣き笑いした。ブラジル映画だったか、「セントラル、ステーション」も教師あがりのうそつきおばさんと孤児の旅がおもしろかった。イランものもいいね。
 で、あすあさっての土日は新宿に出てイタリア、フランス方面の古いのを借りて楽しもうかと思っている。リピートになるが、デ・シーカの名作「ひまわり」はソフィア・ローレンとマストロヤンニの戦争悲恋に涙の流出がとまらないだろう。フランス系は「暗殺者のメロディー」かな。主演のアラン・ドロンは整いすぎて好きではないが、革命家トロッキイ暗殺の話である。与党強行でも血が騒がない革命なき世を嘆くか。
塩の道はネタの道
 本日2回目の記入。1回目はタイトルを書くのを忘れた。ごめん、とはいえ、だれにも迷惑をかけてないよね。
 このブログの「歩く理由」のところで書いた「塩の道・千国街道」は130キロある。老骨をきしませても、書斎派といわれているぼくには歩きとおすのは無理だ。9月に街道のほんの一部を歩いてみたいと考えている。9月は日本海を沿うペン森生との旅の予定がいろいろあるので、そのついでになるかもしれないが。
 塩の道博物館に類した博物館は東京にもあった。「たばこと塩の博物館」(渋谷区神南1-16-8)。渋谷区役所の近く。ここのエントランスホールで写真家、片岡孝氏の「世界の塩を訪ねて」という個展が7月1日まで開かれている。これを見てから糸魚川からの塩の道の旧道を一部でもたどって、大町の「塩の道博物館」で話をきくと作文ネタになるだろう。
 塩は日本の自給率17%だから、いまやスーパーなどで各国のものを売っている。以前は国の専売だったんだよね。ぼくの父方の祖父母の家の真ん前が鹿児島の専売公社だった。ペン女の卒業生と数年前ネタ仕込みで輪島に行ったとき彼女は観光塩田で2時間おじさんから話をきいていた。そのときこの子はいい記者になると確信したが、ほんとにしつこくセンスのいいすばらしい記者になっている。塩とひとびとをネタにするなら日本海沿岸にのこる観光塩田も訪ねてほしい。
 ぼくはポーランドの岩塩坑道にはいって人間の生命と塩について考えたことがあったなあ。坑道の奥に掘削あとの宮殿みたいな施設の広場があって、人間の生命維持のためだからこそ、ここに利権と搾取が発生したのだと思うところがあったんだ。




 中大のゼミ授業の帰り、京王線仙川の代一元に寄って冷やし中華を食べてきた。850円と若干高いが、やはりうまい。醤油ベースのつゆはもうぼくが大学生のころから同じ味で、コクがあって風味豊潤。これが小鉢にはいって具たくさんの麺盛り皿と別々にでてくる。
 ぼくはずっとつけ麺ふうに食べているが、麺に直接かけるひとも多いようだ。代一元は地域限定チェーンで京王・小田急沿線にあって、ぼくが学生時代なじんだのは小田急経堂の代一元。下宿のおばさんが休日の昼にはラーメンの出前をとってくれた。当然、麺はのびている。以来、ぼくはラーメンはのびた麺にかぎると思うようになった。ラーメンと週刊誌が30円だった1960年代当時です。
 ついでにいうとそのころ週刊誌は30円文化とやゆされた。いま週刊誌は10倍以上の320円。10倍以上の中身が備わったとはいえないが、ラーメンは20倍も平気の値上がりだから、まだ週刊誌のほうが罪は軽いだろう。寒くなるとテレビでラーメン番組は大もてだが、味の進化は10円ほどもあるだろうかね。
 こんどの日曜日、六本木の香妃園でとり煮込みそばという中華麺を知人にご馳走するが、これは絶品です。もちろん値段も接待につかえるほどだから飲み物とつまみもとって、2人で1万円は必要だよ。
 仙川の代一元冷やし中華から、冷やし中華発祥の揚子江菜館のある神保町に向かう電車内でふと下腹部あたりを見たら、あらら、豊潤たれがズボンの上部に点々と付着している。ぼくは学生のころから食べ物をこぼすくせがあって、加齢とともにどんどん進化するなあ。このブログもこぼし気味の内容だね。
ミス・ユニバースかペン森美人か
ミス・ユニバース1位に選ばれた森理世嬢は美人かどうか、ペン森生のあいだでも話題になっていた。みんなが絶賛する美人だったら、美人世界ナンバーワンが話のたねになるわけもないが、世の中はもはやそんなことがあったの、というくらい無視している。
 しかし、毎日新聞はさすがだね。きょう18日の朝刊「現在を読む」でさっそく。『美人論』で名をはせたな井上章一教授から寄稿をもらっている。はっきりいって、彼女は美人とは思わんよ、という文章をこう締めくくる。。「美人の養成場とでもいうべきミスコンで、美人が出現しても、前ほどにはありがたがられまい。私がミス・ユニバースにケチをつけられたのも、そんなご時世のせいだろうか」。
 こんなご時世がはじまったのはもうずいぶん前のような気がする。テレビのおかげで美人はレアものではなくなった。森嬢程度の顔なら朝テレビをつければアナウンサー、CFタレントとあふれるほどでてくる。むかしは女子スポーツ選手といえばほとんど神様から見放されたようないかめしい顔が多かった。つまり、一般にも美人と不美人の差が大きく、それは歴然たるものだった。
 総中流の平均化によって、女の子はみんなかわいく成長した。ほれ、女子フィギュアーや水泳を見ればわかるでしょ。日本人女子はみんなきれいになった。ペン森は12年目にはいっているが初期のころ、女子は
もう美人が多かった。いまはもっと北朝鮮美女軍団も顔負けの美人ぞろいだ。森嬢みたいに数カ国語に通じている美女もいるにはいるが、全員容姿は数カ国に通用するね。笑。

歩くには理由がある
今朝も京王線の聖蹟桜ヶ丘まで40分歩いた。京王デパートが開店したばかりでさっそくトイレにはいった。ここのトイレはアンテーク風ですばらしい。古風な個室レストランといったたたずまいで、出ないものまで出るから気持ちいい。
 ぼくが聖蹟桜ヶ丘まで徒歩で行くのは、トイレを利用したいからだけではない。足腰や心肺機能をきたえて、尾瀬か塩の道を歩き通したいのである。そのためにまもなく皇居の周りの一周歩きもはじめる。
 尾瀬は4,5年前、ペン森卒業生と福島県の奥会津に位置する檜枝岐温泉に泊まって大江湿原を歩いた。檜枝岐は「ひのえまた」と読むが、村人が役者になって演じる檜枝岐歌舞伎で有名。年3回公演があり、9月の第一土曜日がぼくのねらい目。歌舞伎をみて民宿に宿泊し尾瀬へというプランを考えている。人口600人余のこの山村は全戸に温泉が引いてある。平成の大合併を拒否した裕福な村で外部観光資本も一切拒んでいてすがすがしい。檜枝岐村だけならぼくはほぼ毎年行く。
 塩の道は江戸時代、日本海から内陸部の信州・塩尻まで牛の背や人の背で塩を運んだ道。塩の終着だったから塩尻。古き当時の石畳や牛つなぎ石などの名残が歴史を感じさせるという千国(ちくに)コースを歩きたい。3時間のハイキングだ。
 作文のネタをさがしたい諸君は千国コースを歩いて、信濃大町駅近くの「塩の道」博物館に寄るといいだろう。古い木造の博物館は地元にひとたちが株をもっている株式会社。以前は社員が7人いたというが、いまはおばさんが1人いるだけ、とこの歴史はさびしい。
 


NOVAはbe動詞のおかげ
日本の英語教育が実戦的に充実していたら、NOVAみたいないんちき英会話学校がはびこる隙はなかっただろう。
 戦後日本の学校に英語教育を導入するさい、その関係者の1人だったというアメリカ人から聞いた話だが、be動詞を採用したのが決定的失敗だった。This is a pen。これはペンです、なんてのはペンも知らない日本人の教養程度をばかにしたところからはじまっている。イギリスがインドを植民地にしていた時代、イギリス人は使用人のインド人に対して、これはペンだよ、と教えた。その流れからきているという。
 半世紀以上も前、ボタンの掛けちがいによって、日本では英語教育の実効があがらず、NOVAの隆盛を許すようになったのである。have動詞を採用したらどうなっていたか、これまた定かではないが、少なくともbe動詞よりは口語的な分、実用性があったとみてよい。
 日本人はナマ魚を食べると気味悪がられていた時代のアメリカ人のゆがんだ日本人観のために日本人は英語に泣かされる結果となった。アメリカはすしバーが流行しているというのに、日本人はまだ英語が話せない。ぼくもその一人なんだ。be被害者のまま老人になった。
ほんとは手帳がほしい
 きょう発売のニューズウイーク日本版の投稿コラム「手帳のおかげで大人になった私」を読んで思ったね。ぼくには手帳は無縁だな。
 ぼくは手帳なし67年だ。現役の記者時代はめっぽう予定が詰まっていたが、それでも手帳は必要としなかった。来週の予定だったら、月~土1日平均6件合計36件までは時間・場所・用件を記憶していて、書きとめるるまでもなかった。頭のなかのギアはいつも記憶にはいっていたね。
 一回かけた電話番号は2,3日は消えなかった。「歩く電話帳」といわれたもんだ。
 ところが、その記憶メカニズムが50歳をすぎるころから狂いはじめた。パーティーでいっしょに参加した友人を知人に紹介しようとしたら、名前が口から出ない。ひどいど忘れ。ものを忘れることも多くなったが、約束を忘れることはなかった。
 だが心配なので、机の前のカレンダーに予定を記入することにした。手帳を購入しようという考えは浮かばない。持ち慣れない手帳なんてしょっちゅう家に置き忘れるに決まっている。時間のロスは老眼さがしと携帯さがしだけで十分だ。
 携帯を使いこなせないぼくだが、いよいよ手帳は持たなくていい。来週もまた火曜日と木曜日に大学に教えに行くだけの予定だ。梅雨が明けたら女子2,男子1とともに奥飛騨への旅にいくが、こんな楽しみは忘れるわけがない。とくに女子方面からの誘いを希望するが、お~い、だれかぼくが手帳を欲しがるほど旅やドライブや飲みに引っ張りだしてくれい。


新聞自体のニュース価値
 「今週の講義」とはべつにきょうから「ペン森通信」をはじめる。講義は新聞秋採用が始動するとき、参議院選挙のあとに再開したい。
 今期春(12期)のペン森生内定はこれまでになく朝日新聞にかたよった。内定34人中7人をペン森生が占めた。秋も2~4人が見込めるとみているから、朝日の内定者同士は顔見知りばかりになってしまう。
 11期生の朝日赴任者によると、ぼくは朝日嫌いということだ。安部総理は明らかに天敵むきだしだが、ぼくは嫌いというより批判の対象にしている。教科書的でおもしろくないし、高給取りのくせに弱者の支援や格差社会の矛盾指摘に熱心である。その点がいかがわしい。偽善を感じる。朝日は週刊誌の標的ならずとも批判されやすい体質がある。
 とはいえ最近、右側からの朝日批判はいささかマンネリで鼻につくだけ。週刊誌の朝日記事もまたかと思わせるだけで新味がない。だいたい朝日を代表とする新聞がニュースになる時代ですら早くも過去になりつつあるのだろう。
 週刊誌も読売毎日はもちろん、朝日記事でも売れないようだ。他メディアが取り上げるくらい新聞は思想的にも反権力的にもスキャンダル射手として元気でなければ存在理由が半減する。朝日にはいるペン森生は闘う姿勢に乏しいひとが多いから心配だねえ。
 


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