| 熱海へ行ってきました |
先月、東海大学文学部文芸学部の教員5人が集まって、学生の読むべき本50冊を選定するシンポジウムが開かれた。堀啓子准教授は近代文学を中心にとりあげ、尾碕紅葉の『金色夜叉』を推薦した。女性読者が「この連載の途中で自分が死んだら、墓前に続きを供えてほしい」というほどの大人気新聞小説だった、とエピソードを披露して強く勧めた。
たまたまぼくは洋食の名店「スコット」で昼食にビーフシチューを食べに出向き、ワイン小瓶1本を空けて陶然と海岸を歩いて、お宮の松に立ち寄ったばかりだった。ちょっと話がそれるが、先週の週刊文春の「食味探検隊」の欄でスコットのステーキを注文した執筆者がぼろくそにけなしていた。スコットはビーフシチューかタンシチューが絶品でね、そもそもステーキを食べるなんてピントはずれなんだよ。
お宮の松のところには、マント姿の間貫一が取りすがる着物姿のお宮を下駄履きで蹴飛ばす像がある。小説の挿絵は下駄でなく革靴だったが、このクライマックスシーンの効果をあげるため、かつて無数の映画やテレビドラマ化で改ざんされた。偽装である。観光客ゼロの熱海名所で、備え付けのスピーカーから中年男声の歌謡『金色夜叉』がわびしく切々と、かつ長閑に流れていた。
この古色蒼然たる失恋ロマンスを知っているペン森生はまず皆無。貫一・お宮who?である。それでもつぎの歌詞を読めば、おおぼろげに見当はつくだろう。「ダイヤモンドに目がくれて 乗ってはならぬ玉の輿 人は身持ちが第一よ お金はこの世のまわり物 恋いに破れし寛一は すがるお宮を突き放し 無念の涙はらはらと 残る渚に月淋し」。お宮は貫一の許嫁だったが、高利貸しの男に走った。貫一は嫉妬の激情にかられるのである。
熱海は『金色夜叉』で全国区になり、新婚カップル、失楽園カップル、そして社員旅行の定番歓楽地となった。古くは徳川家康もここで湯治したんだよ。それがきっかけで江戸城まで湯を運ぶようになり、八代将軍吉宗時代から海上による大量輸送がはじまった。吉宗は温泉好きで在任中、長ひしゃくで源泉の湯を詰めた樽を3600個運ばせたという。
お宮の松からタクシーで熱海新名所MAO美術館に向かう途中、運転手がいった。「いまのお宮の松は2代目、初代は富士屋ホテルから移植した。2代目は熱海ホテル。両ホテルとも廃業していまはありません」。いま熱海は高齢者むけ温泉付き施設が建っている。最近は関西方面の観光客が多いらしい。その点は慶賀の至り。以上、熱海盛衰記。『金色夜叉』のさわりの部分を読みたい方はネットでどうぞ。
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| 福沢諭吉や木戸孝允出でよ |
司馬遼太郎説によると、日本の2大教育者は適塾の緒方洪庵と松下村塾の吉田松陰である。緒方洪庵はオランダ医学者で適塾は大阪大学医学部につながる。知っているひとは知っているが、ペンの森はこの適塾を真似た。大阪に復元されて現存するペン森の源流、適塾を訪ねた卒業生もいたが、実際はそれほどあがめていたわけではない。
適塾は橋本左内、大鳥圭介、高松凌雲、大村益次郎(村田蔵六)、福沢諭吉などの英傑を輩出した。慶應義塾の創始者にして1万円札の肖像、福沢諭吉は適塾の塾頭を務めたことがある。幼少時、散髪嫌いで母親は手こずったが、あとでお酒を飲ませてやる、といったらぴたりと泣きやんだらしい。
諭吉は自分と酒とは切っても切れない、という意味のことを『福翁自伝』に書いている。それにならって、酒も飲める寺子屋をめざしたのがペン森なのだ。動機不純。そこへいくと吉田松陰は酒にもたばこにも女にも縁がなく、安政の大獄で捕えられ数えの30歳で従容として死刑に服する。生涯めとらず、童貞のまま他界したといわれる。
松陰の死骸は桂小五郎(木戸孝允)、伊藤利介(伊藤博文)ら4人の門弟が獄吏からもらい受け、目印をつけて小塚原に埋め4年後、高杉晋作らがいまの松陰神社に改葬した。東急世田谷線の松陰神社前で下車して商店街を抜けた先に松陰神社があって、奥に松下村塾の看板が掲げられた本物そっくりの家がある。
その座敷で学ぶ伊藤や山県有朋などの豪華メンバーの姿が浮かぶ。桂小五郎は塾生ではなかったが松陰を師とした。松陰自身は佐久間象山を師と仰ぎ、松陰が下田から密航をくわだてたとき相談にのった。そのため松陰事件で連座して故郷の長野県松代に蟄居した。象山記念館が松代大本営跡地下壕への出入口の道に建っている。
ひととひととの出会いほど人生のふしぎはない、という。無口平凡な少年だった桂小五郎は松陰に出会って、人生が急転した。緒方洪庵も吉田松陰も私塾を開いて日本を根っこから変える原動力となった。松陰は通称名が寅次郎だった。フーテンの寅さん同様、旅をして行く先々で純粋な人間性や思想性や教養や哲学や学識が感銘をあたえた。
わが私塾、ペンの森から行き詰まったこの日本を建て直す逸材出でよ。ペンで立つ福沢諭吉、高松凌雲、木戸孝允、伊藤博文、高杉晋作よ出でよ。諭吉や孝允を思わせる女傑よ出でよ。
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| 作文ができなくて大統領になった男 |
鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した。「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸 朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」が、宮崎勤死刑囚ら3人の死刑執行命令を下した翌日、を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」
鳩山大臣はいかつい顔に似合わず、蝶の専門家として知られる。失言が話題になることも多い。失言癖はブッシュ大統領も同じだが、死刑執行の数に関しては、鳩山大臣はブッシュの比ではない。テキサス州知事時代の6年の任期中、120人余の死刑囚を処刑した。
素粒子は当然、問題になった。弁解に曰く「鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。『法相は職務を全うしているだけ』『死に神とはふざけすぎ』との内容でした。法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば」
チクリと刺したつもりが「死に神」とはね。チクリどころかサバイバルナイフで刺したほどの侮辱的インパクト。執筆者は横溝正史ファンかもしれん。「犬神家の一族」「八ッ墓村」「獄門島」などまがまがしい横溝本の読みすぎかビデオの見すぎで、言葉に対する感覚が鈍化していたのだろうか。ぼくがそうだったの。
表現の方法や技量をもっと磨かねば、にはペン森生も同感。ブッシュ大統領も自分のことを言われたように感じるのではあるまいか。ブッシュ大統領はパパブッシュと同じ名門エール大学出身だが、高校時代は作文で落第点をとったという。問題児だったらしく、コカイン所持や飲酒運転で捕まったりしたが、パパのコネで無罪放免(ブッシュ大統領の記述については『世界を変えたテロ 決定的瞬間』=宝島文庫を参考にしました)。
ブッシュ大統領は「あの男はパパを殺そうとしたんだぜ」とサダム・フセイン名指ししてパパのリベンジをはかり、イラクを攻撃した。大義名分の大量破壊兵器はなく、これによってアメリカ兵約4000人、イラク人約30万人が死亡したとされる。死刑執行は法の行使だが、戦争は権力者のエゴだ。作文ができなくて大統領になった男は思慮不足で罪深い。
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| 土日は鉄路を駆けめぐる |
神保町の隣の書店はエロ雑誌というかエッチ本の専門店である。ぼくのようなうぶは入店に勇気を有するが、かつてわざわざ入って狭い店内をつぶさに観察してきた受講生の猛女もいた。休日などタクシーで乗りつけるおじさんもいるから、その方面の興味と関心を抑えがたいマニアにはけっこう有名なのだろう。
その店頭にぼくにとってはエロよりも興味を引かれる古本が並べて売られている。駅名の由来を紹介したものや昭和の列車30年間の車窓風景、といった類である。このあいだはべつの古書店で『昭和の国鉄がわかる本』上下を仕入れた。北海道から九州の果てまで宮脇俊三さんの名著『最長片道切符の旅』を30年ぶりに追体験しようと計画している身としては、いまから資料をそろえておかねばならないのだ。
後輩に、がんで死にゆく自分を人間ルポとして連載した佐藤健という記者がいたが、かれは元気なころ、長い記事を書くときは自分の背丈だけの参考資料を読むべし、という主義だった。それは書く内容に厚みと奥行きを付加するかれなりの方法であった。物書きはたぶん、総じて取材に加えてそのような参考資料の助けを借りているにちがいない。
ぼくは資料のひとつにすべく新刊本も買った。『踏切みやげ』(石田 千、平凡社)。鉄道ファンはや鉄道マニアはあきれるほど多く、極めつきのひとりはぼくの先輩記者だった種村直樹さんだろうか。鉄道担当をはずされたとたん退社して、鉄道専門ライターに転じた。国鉄全駅完乗の記録ももつ。『気まぐれ列車』シリーズで知られ、ファンクラブも結成されていて、宮脇俊三さんと双璧をなす鉄道作家。
種村さんは娘さんの名前が「ひかり」と「こだま」、お孫さんは「のぞみ」と徹底しているが、さて、石田さんの踏切マニアぶりも相当なもの。踏切の長さを「大また4歩」とか「大また12歩」とか表現している。踏切だけでは間がもたないので、周辺ルポや自筆の挿絵でたのしませ、冒頭には「象の目で踏切わたる夏木立」などと踏切俳句を配して、多彩にしてしゃれている。
結局、エッチ本店店頭の古本は買わなかった。だいぶ購入費用がかさむが、鉄道に関する雑誌、本が全部そろっている書泉グランデ6階を利用することにした。ここはほんとうに各種鉄道雑誌のバックナンバーもカバーされ、きょうもぼくは雑誌やら鉄道地図やら3000余円分を仕入れた。土日は、こういう雑誌や地図を部屋にひろげて空想にひたりつつ、ニヤついているのである。いい趣味だねえ。
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| 山の奥にもネタあり |
先週12〜14日、2泊3日で長野・新潟の山間部を回ってきた。学生3人とマスコミ採用試験作文のネタ(題材)仕込みのドライブ旅である。1ヵ所だけ、宿泊を考えていた新潟・長野県境の秋山郷の廃校跡温泉宿が3月限りで営業を止めていたので、行けないのが残念だった。
秘境、秋山郷は江戸時代、鈴木牧之の『北越雪譜』でその存在が豪雪地帯として知られるようになった。飢饉で村が全滅したこともあったというから、よほど過酷な自然環境である。ぼくは昨年2回訪れたが、学生の感受性とセンスがその秘境の歴史と人間と文化をどうとらえるか、興味があったのだが、今回は無念。
このようなネタの旅は毎年の恒例となっており、ぼく自身はそこに案内するだけであとは学生をほっておく。1回、土地のひとから話を聞きはじめたら、学生たちはそばでただメモするだけで、考えることも感受性の新たな掘り起こしもなにもしない。ぼくは案内役とドライバー役に徹するのを旨とする。
ネタはおおむねメディアで評判にはならないが、話題性やニュース性のあるものをぼくが見つけて提供する。徹底的に取材を重ねた吉村昭氏の著作にはずいぶんお世話になった。本のあとがきや取材余録エッセーに、おや!これは使えると思うものがあるのだ。吉村氏は長崎だけで100回以上行って調べたというほどだから、膨大な取材量をあの簡潔端正な文章に整理する過程でこぼれ落ちる題材があるのだ。
言ってみれば落ち穂拾いネタも多いのだが、ぼく自身が発見したものもすこしはある。これは明かすとペン森生に怒られるので、紹介は遠慮しておくが、専門紙誌やマイナー雑誌でイベント情報や人物に目を光らすと半年で、きっと2つや3つはみつかる。ネタは細部や山奥にもひそむ。
ぼくは話題を探してそれを新聞でルポしたり、雑誌でこれは売れるか売れないかというニュースの選定をやっていたので、学生よりもメディアが好きそうなえさを見つける感覚はあるだろう。ただ、行った先々で夜、必ず飲む。疲れていてもぼくの部屋に集まって二次会だから、学生たちの顔にはうざいじじいだよ、早く眠らせてくれ、と書いてある。
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